2025-05-17 41:41

vol.115 アラスカを撮る -選ばれてないけど行ったらどうなっちゃうんだろう?- 山田博行さん(写真家)

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山田博行さんInstagram:https://www.instagram.com/hiroyukiyamada/

[隔週土曜日配信]
自然を愛する高橋と奥田が送る「自然資本論」。マーケティングやデザイン視点をもちながら、植物生態学や森・海・里など自然資本をめぐる話を、面白おかしくしていく番組です。
自然における感動ポイントなんかも、皆さんに紹介していきたいと思います。

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・山口雄大 : https://my.prairie.cards/u/yudai
・ぞの
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ー賞歴ー
第1回 みんなのポッドキャストフェス (私の推しキャス賞受賞)
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サマリー

写真家の山田博行さんがアラスカでの30年間の経験について語るエピソードです。特に、スノーボードカルチャーや氷河の美しさ、環境問題への意識を共有し、アラスカでの生活が彼のアート表現に与えた影響を探ります。アラスカの氷河帯を撮影するために旅に出た山田さんは、彼の経験や出会った美しい氷河について語ります。ヘリコプターでのアクセスや一人旅の危険を感じながらも、氷河の美しさやその変化に心惹かれ、様々な氷河の表情に興味を持つようになります。このエピソードでは、山田さんがアラスカの氷河についての経験や変化を語り、氷河のメカニズムやそれが周囲の環境に与える影響についても考察します。

アラスカへの旅の始まり
自然と生きるを考える 自然資本論
この番組は森で働くことを愛する高橋と奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、高橋です。はい、奥田です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
今日はですね、私が新潟に戻ってきてですね、友人がカフェをやっているんですけれども、
そこで昨年9周年のパーティーが行われていて、なんと気軽に参加をさせていただいたんですけど、その時の話が面白すぎてですね、
今日ぜひゲストに参加していただきたいというふうに思って、今日はお呼びしております。
30年間アラスカにずっと通われ続けて写真を撮られている山田さんを今日はお迎えして話ができればというふうに思います。山田さんよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。 よろしくお願いします。山田博行です。写真家です。
はい、ラジオで写真家の方々をお呼びするという、なかなか難しさもあるなと思いつつ、
なかなかここの場では伝えられないことは、インスタグラムとか追って見ていただきながら、皆さんにも感じていただきたいなというふうに思うんですけど、
今日山田さんをお呼びしたのは、アラスカのところは結構、なかなか行くことないので、
行きたいですよね。行きたいけど、なかなか行けないですね。行けない。
行けないし、その氷河っていうもののスケール感とか全くわからないこともあるし、氷河が溶けているみたいな話とか、環境問題的なところの視点も気になるところではあるんですけれども、
その周年パーティーに参加したときに聞いた話の中で、氷河の話もすごく面白かったんですけど、
アラスカという大自然の中で生きているというか、過ごしているアラスカの方々の精神性みたいな話もめちゃくちゃ面白くて、
その辺の話をちょっと伺えるというふうに思っています。
楽しみです、めちゃくちゃ。
山田さんすいません、自己紹介をまずはしていただきつつ話ができればと思うので、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今53歳になろうとしていまして、僕は今写真家なんですけども、写真だけではなく映像の制作だったりとか、
あとは広告の仕事から自分のアート表現までのちょっと幅を設けながら活動をしています。
長岡にある長岡造形大学というところで、学生たちに教えたりもしています。
基本的にはカメラというものを通して、ものを見て撮ったものに対して何か編集をしながら、
人の意識とか心に訴えかけるものを作ればっていうのが、制作のスタンスの根幹としてある感じですね。
羨ましいですね。大学の先生をしながら自分の活動もめちゃくちゃちゃんとやってるっていうの、最高ですね。
そうですね、やっぱり自分が今動いている状況とかを伝えていくのが一番若い世代にとってはいいのかなと思っていて、
昔撮った金塚みたいな話がしたくないなと思っていて、
今どう考えてとか、過去にどういうものの経緯があって、今どうここにたどり着いて、どう悩んでるかも含めて、
学生と同じ目線で対話をして繰り広げていくのが僕も好きなんで、そういったことを意識的にやってますね。
じゃあ、もしかしたらアラスカに行かれてるタイミングは、学校が休みのタイミングだからそこに合わせて行ってるみたいなところもあるんですか、3月とかは。
これもありますね。基本的に1月ぐらいで授業は終わるので、2月、3月はいろんな会議とか書類の制作なんかはあるんですけど、それは大学に行かなくてもできちゃうので。
簡単に言うとオンラインミーティングだったりとか、あとはメール環境があれば自分でできるかなというところで、ある程度時代的にも行動の自由度が広がってきたなというところはありますよね。
じゃあ、その辺はもうアラスカに行きつつ、海外でそういうのをやってっていうふうな形なんですね。
30年間であってますかね、アラスカにずっと通われてっていうふうなのと、まだあと過ごしてるのが何年かあったっていうふうに確か伺ってたのかと思うんですけど。
そうですね。30年通ったと言えば確かに30年ぐらいちょうど経ったかなっていう感じですね。
スノーボードカルチャーの影響
自分の中ではそんなに何十年とか、10年20年単位で意図的にアラスカに行ってたっていう意識はそれほどないんですけど、
やっぱり通ってるうちに興味が出てきたりとか、興味の対象はちょっとスライドしていったりとか、もうちょっと深く行ってみたいとかっていうことが自然的に出てきた形ですよね。
最初は1回だけ行く予定だったんで。
そうなんですね。
スノーボーダーとしてのアラスカへの憧れから行き始め、1回目を行ったっていうのを読んだので、そこからどんどん別の形に興味が変わっていくってことなんですね。
そうですね。最初は僕も新潟県出身で、
冬のスポーツとしてスノーボードカルチャーがちょうど日本に入ってきて盛り上がってるときにスノーボードを始めてまして、
それで大学3年生、東京で学生生活してたんですけど、3年生の春休み、冬休みにニセコにこもったんですよね。
ニセコってやっぱり当時は珍しい大きなスキリゾートなんですけども、
白馬とか野沢五線とか湯沢とかに比べると決して華やかではなかった。
だけどその雪質とか山の地形とかを理解してる人たちだけが集まってるような、ちょっとマニアックな感じの場所だったんですね。
そこでそういった、ある意味スノーボードのディープな部分に入りたいなっていうところもあって、旅館でバイトしながら過ごしたのが最初のニセコの生活。
そしてそこで知り合った人とか、すでにアラスカにアパックしてるようなスノーボードが数人いて、アラスカへの興味が湧いたっていう。
やっぱり雪質とかバックカントリー的カルチャーの最高峰はそこにあるんじゃないかみたいな。
うん、そうでしたね。今のわかりやすい言葉で言うと、確かにバックカントリーっていう文化が根付いたスキー場っていう感覚でしたね。
ニセコがってことですか。
そうですね。
アラスカで滑られている方は、アラスカは特にスキー場とかではないってことですよね、そもそも。
スキーゾーンは2軒、3軒、3つぐらいあるかもしれないですね。
ちょっと待ってください。
1、2、1、2、2、僕が知る限り3つですかね。
少ない。
3つもだいぶ離れてますけども。
すごいな。
何百キロ単位で離れてるようなところですけども。
そこに滑りに行くわけでは、もともとつもりはなく、山手のバックカントリーをすでにやっている方々と一緒に最初入られてたって感じですか。
違いますね。最初やっぱり限られた人たちしか行けない聖地というふうな、メディアにもそう出てたし、行ってる人たちはやっぱりそういうふうな意識で。
いわゆるトップエンドのバックカントリーローボーダースキーやのみが行ってた時代ですね。90年代の中盤くらい。
その時には、僕が伊勢堀にこもった時に仲良くなった友達が数人いて。
アラスカにちょっと来年、しばらく住んでバックカントリー攻めていくのってどうかななんて話を、22歳くらいの時に同い年の電車で話をしてたんですよ。
選ばれたものだけが行けるって雑誌に書いてあったんだけど、選ばれてないけど行ったらどうなっちゃうんだろうなと思って。
選ばれてない5人が3ヶ月行ったっていう感じですよね。
めちゃくちゃ楽しそうですね。
分からないことだらけで、僕も初めての海外旅行だったんで。
そうなんですね。初めての海外旅行がアラスカなんです。
それで、全部山登りをするわけでかなりリスクがあるなと思っていて。
一軒スキー場があるエリアがあったんで、そこの元の村に滞在して、コンドミニアムを借りて3ヶ月生活し始めたというのが最初のきっかけですね。
そこから何年かは、最初の年はスノーボードをしつつ生活もしつつっていうふうな形だったと思うんですけれども。
何年かはそういうことで通われてた感じなんですか?
僕はもう大学で写真を専攻していて、当時からやっぱり写真で撮っていきたいなっていうのがすごくあったし。
あとはそのバックカントリーとかスノーボードカルチャーにもだいぶ傾倒していってたので。
当時ってインターネットがまだなくて、雑誌のメディアがすごく勢いをつけてたので。
雑誌の仕事なんかで世界中の雪山とかに行けたらいいだろうなということで。
いいですね。最高ですね。
そこを目指してましたね。
写真による表現で大好きなスノーボーダーたちと冬を過ごせたらいいよねということで。
最初のアラスカで撮ってきた写真を編集部に持ち込んで、特集ページを確約してもらったりとか、売り込みをして。
それを最初のやっぱり数年間で意図的にやっていって。
その中でやっぱりスノーボード雑誌とか山関係の雑誌から写真の仕事をいただくきっかけになったというのがありましたね。
めっちゃいいですね。
なるほど。
それで行きたいなアラスカは。
そういうので。
当時バックカントリーとかそういうことをしながら写真を撮られている方ってところが少なかったっていうことなんですか?
そうですね。
まだまだスキー場の取材みたいなものが多くて。
バックカントリーっていうかなり限定されたようなコアなカルチャーでしたよね。
そうですよね。JRが私をスキーに連れてみたいな。
そういうのが流行っている時代というか。
裏側ではね、湯沢でダンサーたちが踊っているCMが流れていたような時代でしたし。
スノーボードカルチャーもバックカントリーっていうよりはどっちかっていうと、いわゆる空を飛んでいくっていうか、雪を離れて何回転できるかとか。
トリックも成長していた時代だったので、その延長線上でやっぱり98年にスノーボードが初のオリンピック種目になっていったみたいなところがありましたね。
スノーボードカルチャーのメインストリームはどっちかっていうと、やっぱり飛んで回ってっていう方向でしたよね。
ですからまだ、そういうブームの中で、パウダーだとか地形だとかバックカントリーだっていうのは、やっぱりある意味マイノリティというか、好きな人の世界だったと思いますね。
日本の中だと、そうですね。スノーボードが入ってきたのも30年前っていうのは、ちょうど入ったぐらいのタイミングになるんですよね。
氷河と環境への意識
そうですね。80年代ぐらいからあったんですけど、いろんなものに露出して市民権を得たというか、
みんなが知り得たっていうのが、大体90年代の始まりぐらいからですかね。
僕もエクストレイルジャムとかめちゃくちゃ勉強して見てました。
懐かしいですね。
見てました見てました。
深夜のテレビ。
そうです。あれはやっぱりど真ん中の表の話。
あれによってやっぱりメディアも、あとはスノーボードの業界も飛躍的にいって成長したと思いますね。
そうですね。そこからどんな流れで、今もバックハンドでやってらっしゃるのかもしれないですけど、
そういうアラスカの氷河っていうものに着目をして映像表現し始めるっていうのはどういうきっかけ、流れなんですか?
そうですね。幸いにして、いろんな雪とかスキー場とかスノーボードメディアの仕事をいただけることになってきまして、
その中でやっぱりスキー場の仕事も多かったし、日本とか海外を行き来したりとかいろいろあったんですけど、
やっぱりアラスカでの初のバックカントリーだったりとかヘリスノーボーディング、
そしてそこで見えてくるものすごい景色というか山並みっていうのが、もう自分の頭を離れなかったんですね。
そのぐらいアラスカのインパクトって、他のスノーボードとかスキーエリアとかはまた違う衝撃だったんですよ。
だからいつかまたあそこに帰りたいなというのが出てきたわけなんですよね。
同時にやっぱり世界の先端的なスノーボードシーン、スキーシーンもだんだんアラスカとかに向かうようになっていったんですね。
要するに少しずつアラスカの山岳滑行とかヘリコプターアクセスで、
人間が滑れないようなところをどんどん開拓していって、滑っていくっていう映像とかいろんなものが世界に露出し始めていて、
ブームの焦点がエクストリームスキーとかエクストリームスノーボーディングっていう究極の滑りっていう方向に向かっていった経緯がありましたよね。
だからどんどん皆さんがアラスカに向かうし、向かいたいと思う人が増えていったっていうのが、
アラスカでの冒険の始まり
2010年ぐらいまでは特にそれがどんどんブームになっていったような気がしますね。
その氷河の方に意識が向いた、その写真とかを撮り始めたっていうのが十数年前っておっしゃってましたっけ?
そうですね。今まで、やっぱりアラスカでの滑りでアクセスするのって、ヘリコプターがやっぱり一番便利で、
やっぱり歩いていくには遠すぎるでしょってこととか、歩いていく良さもあると思うんですけど、
なかなかやっぱりヘリコプターアクセスできるところって、ヘリコプターではないとチェックリティできなかったとか、
効率的な天気条件がどんどん変わるときの、まさに今日の今だっていう瞬間にそこに行けるかどうかっていうのは、ヘリの力に合わせるものはないなと思っていて、
そういったものでヘリコプターでアラスカの三角地域の尖った山のピークに着陸すると、下にやっぱり氷河帯が見えるんですよね。
あれが氷河だとか、青びかりして見えるところもいっぱいありましたし、氷河という水面の中に雪山が恐ろしく注い立っているような光景をずっと見てきて、
僕はだいたい2012年ぐらいまで、ずっとエクストリーム式スノーボーディングの世界の相撲者たちとチームを組んで、写真を収めたりとか動画を撮っていた活動を冬にしてたんですね。
限られた世界というか、ある意味アラスカに集ってくる人たちって世界でも変わってる人たちが多いので、いろんな人たちの人脈ができたりとか、国をまたいで友達になっていく友人関係ができたりとかしていて、
あとは実際事故なんかもね、結構ありましたよね。危険な事故とかも。そういったものを2012年ぐらいまでやっていったときに、今まではトップアスリートたちをできたけれども、
ちょっと一回ここでその活動を休憩して、写真家としての自分自身はどんなものを撮りたいんだろうなっていうふうに、一回こう自問してた時期があったんですね。
で、ある時興味本位で、一人でアラスカをまた親しみに戻りながら旅をしていたときに、今まで遠くから見ていた美しい氷河の近くで見たいなと思ったんですよ。
遠くから見えててすごく綺麗な、青く輝く宝石のようなね、石じゃないけど、氷の塊が近くに行ったらどんな様子をしてるのかなと思って、刹那木をチャーターして、
着陸してそこでテントを張りながら、一週間ぐらい旅をして、近づけるような氷河のところを覗いてみたりとかして、写真を撮って始めたんですね。
特にガイドとかもおらず一人で?
いないですね。
できるんですね。覗いてみますなら。
結構危険なところってどういうところが危険なのかってなんとなくそこまでの産学経験で分かってたんで、今まで人について行ったりとかチーム単位で活動していたところを一回離れて、自分自身と向き合いたいっていうのも出てきたと思っていて、
そこで一人で旅っていうことで、比較的安全な領域で氷河部隊の中に入ってたっていう形ですね。
それ刹那でポイントCDするっていうかは、どこにおろしてくれみたいなのってどういう風にやられてるんですか?
なんかいろいろ現地で情報を収集していて、出会った人間とか知人とかに、あの辺に氷河があるぞみたいな話とか、そこだったら比較的地面が平坦でフラットだから、まあまあ安全だろうっていうところとか、そんな情報を収集しながら行ったんですよね。
アラスカの天気ってすごく当てにならないので、あの、刹那でこうおろしてもらって、じゃあ何日の何時頃迎えに来てねっていう約束はできないんですよ。
大体1週間後ぐらいによろしく。
飛べるタイミングで。
そうですね、飛べたり、まあ天気の関係とかもありますし、あと曇りだと基本的には白い雪山と曇ってる真っ空があって、あの、外だと雪の雪面の境目なくなっちゃうような状態、ホワイトアルト状態。
嵐でもないんだけど要するに白対白みたいな感じで、で、まあランディングできない、着陸できない、着陸、危険っていうような。
だからある程度視界が確保されて、あの、吹雪じゃない時に迎えに来てっていうような意味合いで、大体来週ぐらいで、この辺にいるよっていう。
孤独。
そんなような感じですよね。
そしたらまあ結構近くに庄下があって、さらに近いところに寄って行った時に、初めて庄下の障壁の目の前に立つことができて。
そこでやっぱり衝撃的で、それはやっぱり、どうやってこの氷の巨大な塊が強烈な青の光を放ちながら、ここに突然と鎮座してるのかっていうことに衝撃を受けて。
さらにその氷河がめちゃくちゃ綺麗で、つるつるで、で、まあ透き通っているような、2メートルぐらい奥まで透明なんですけど、その後はずっと青い空間に消えていくような氷の塊なんですよね。
その様子を写真で撮ったりして、1週間を過ごしたっていうのが最初の氷河のプロジェクトの初面との行動はそんなような感じでしたね。
氷河の変化と美しさ
そこの時の衝撃というか、美しさが印象的すぎて、そこから通うことになっていく。
そうですね。そこからまあ違うところはどうなんだろうなとか、違うエリアにも氷河が見えてたところがあるけど、あの辺の近くに行ったらどんな感じになるんだろうなということで、2年目も行きました。
そしたらまあまた違う様相の美しいものが見れて、なんかこれも最初の氷河のプロジェクトも最初の1年ぐらいで終わる予定だったんですけれども、
まあそれもまあある意味衝撃的な経験で、いろいろな氷河帯を巡ってみたいなっていう衝動に引っ張られたんですね。
写真の方は当時からフィルムで撮ってたんですけど、
ジャパンフォトアワードっていう写真のショーが今でもあるんですけど、そこに撮ってきた写真を応募したことがあって、
そういうコンペって僕初めて応募したんですけど、応募した時にそれで賞をいただくことになって、
それで氷河の写真だけが10点ぐらい組写真のように出したら、結構評判評価されたっていうのもあって、
それでまあちょっとこれは力を入れて制作に時間をかけてみたいなっていうのもありましたね。
なるほど。
自分の興味と外部からの評価とか両方とも交わってっていうふうな形で続くことになったんですね。
そうですね。
その2年目もまた違う氷河帯に行かれているっていうふうなお話だったと思うんですけど、
イメージは行ったことがないし、近くで見たことがないので全く想像もつかないんですけど、
氷河が、氷河帯によってその表情が違うのかっていうのはどういう感覚なんですか?
例えばどんなところから喋ったらいいかと。
例えば今目の前の氷河の氷の塊ってどっからここにつながってきたんだっけっていうふうに、
今度目を上の方に向けると、あの山のあそこの奥の、あの骨からこれは流れてきてるのかってなると線が引けるわけですよね。
一つの地平線というか、遠くに見える山岳の稜線からここまでのルートか。
そうすると例えば左からも流れ込んでるっていうことは、
あそことあそこの氷の川が途中で合流して、ここまでのこんな長い道のりを動いてきてるんだとか、
その氷とか氷河っていうのは今までの初年度とか、最初の2年目とかのプロジェクトって、
僕は氷のただ美しいものとして認識してたんだけど、
3年目からそういうふうなものとか、いろいろ氷河帯の様相とか周りの地形を見ると、
地形との兼ね合いだったりとか、そこにどんな時間が流れてたのかとか、
なんかその氷が、氷に似た過去の歴史とか出来事みたいなところまで意識が飛んでっちゃうような、
地球のもうこれ僕たちの一生とかの時間じゃなくて、何千年単位でこの氷とか、
元々は氷河って山の上に積もった万年雪が何百年も何千年も圧縮されて氷の塊になって、
そこからズルズルと低い方に引っ張られて、ここまで動いてきてるの?
動いてきてる途中で巨大な岩を巻き込んだり削ったりして、
だからこの氷河帯の横に巨大な岩が残されてるのか、
なんかその周りにある岩とか、大きい岩屑の塊とかいうものが、
これ目の前の青い氷が動きながら運んできたというわけか、
僕は全く氷河とか、地球の気象学とか知性学とかに全く興味がなかったんですけど、
一つの氷の塊を巡るたびにそこへの興味が湧いてきて、
そして今度は違う氷河帯とかに行くと、
過去ここまで、1800年代後半にはここまでが氷河がありました、
みたいな看板とかが立ってたりとか、
氷河の交代している様子っていうこともあんまり言葉では知ってたんですけど、
如実にそれを自分の視覚的な体験として見ることはなかったんだけど、
ここ真っ只中の森の中だけど、ここに氷があって、
今から僕が3時間かけて山を登って見に行こうとしている氷河っていうのは、
もう歩いて3時間分交代しちゃったっていうことなんだとか、
そういった意味での時間による氷河の位置だったりとか、
大きさの変化に気づかされるっていう風になってきたわけですよね。
本当にそれこそ僕らが見ていないので、イメージが難しいんですよね。
そうなんですよ。
氷河交代の衝撃
例えば原宿とかにたまに久しぶりに行くと、
なんかあれ、ここ昔あの店だったのに、
店変わってなくなって違う店になっちゃったんだ、みたいなところがあるじゃないですか。
氷河隊もみんなそんな感じ。
そんな感じですか?
3年前にここに来たけど、ここ氷なくなってるじゃん、みたいな。
そんな速度ですか?
すごい速さになってるんですよ。
そこに気づいちゃって、
長岡のがまだ変わらないぞっていう。
そうなんですね。
これはすごいことじゃんと思って、
いわゆる地球温暖化でいろんな氷河が交代してた話は、
当然ニュースとかで見に来てたけど、
まさか自分の目の前で数年前に見たものが全くなくなっていて、
様相が変わっているっていうことにめちゃくちゃショックを受けたんですね。
氷河の交代っていうのは、溶けて、
そこにあったものが水になって流れちゃってるってことなんですか?
簡単に言うと、いろんなケースがあるんですけど、
わかりやすいケースで言うと、
例えば氷河がずっと山の上から氷のすごい幅で、
海というか、海まで流れ出てるとするじゃないですか。
だいたい流れ出てるところは氷壁っていって高さが50メートルぐらい。
氷の壁になってて。
よく見るやつですね。
それでたまにずっと観察してると、氷壁がバリバリバリバリって崩れて、
水に、海面にガーンとものすごい音とともに崩れ落ちるっていうシーンを見ると思うんですけど、
その氷壁の位置が変わるんですよね。
この間この辺までが氷壁だったけど、もう2キロ。
あれって、でもこれ目印あるよねって。
だいたいあそこの左右に見えてた景色と。
ちょっと待てよって言って撮った今までの写真とか、
スマホで撮った写真と場所の特定をすると、やっぱり全然これ当たってるよ。
この間数年前に見たときと今。
これ全部後退してるってこういうことだねっていう。
数年前は海まで氷壁ができていて、海に落ちてたはずだけど、
もう浮いてっていうか陸に上がっちゃったよねっていう。
海まで到達しないっていう。
氷の冷え上がってるようなね、蒸発してっちゃう。
だから、これがもう、
これがもう、
これがもう、
これがもう、
これがもう、
これがもう、
蒸発してっちゃってるような光景をあのあたりにしたんですね。
山から流れてくる速度に対して、
もう溶けて崩れ落ちる速度が早すぎて、
どんどん山側に向かってっちゃうってことなんですね。
そうですね。
もちろんそれも原因としてもありますし、
あとは氷河ができてこないというか。
あー山から押されてこないから 確かになるほど
量が降るから押されてくるっていう感じ
それもあるんです
だからその相乗的な
まあもちろん重力によって落ちるっていうのもあるんだけど
基本的には山でどんどん氷の塊が生成されて
それでこう押されて
それが基本が高くなると山の山岳地域では氷も生成されず
下からは暖かくて溶けるみたいな形で
面白い
上からも下からもできない理由ができてくるんですね
そうですね
氷河の理解と変化
なんかそれこそインタビューでも氷河っていうのが氷の川だということが書いてあって
なんかイメージしたこともなかったんですよね
氷河が氷の川であるって実はも含めて意識で読み込んでたなってのを思った時に
その現地に行ってちゃんと流れを感じると
氷河と名付けたら正しいなっていうのがすごい見えてくる
そうなんですよね
僕も10年以上ずっと氷河を東府から見ていたにもかかわらず
その地形と動きと氷河のメカニズムを知らなかったので
なんとなく景観としての氷河の認識しかずっとなかったんですね
ただ氷にフォーカスしていくととか
あとは同じところに定点観測というか
たまに行ったりした時の変化によって
これはどういったメカニズムでこうなっちゃってるのかなっていうことに興味を持ち始めて
あとはアラスカとかでアラスカデジタルアーカイブとか
ウェブサイトの昔の写真とかが別覧できるようなサイトがあるんですけど
そういうところで自分が訪問していた氷河の
100年ぐらい前の写真をこういう仕事で探したりすると出てくるんだけど
全然氷がすごいところに来てるんですよね
狭い側に
これ全くごっそりと無くなっちゃった
悲しい
その時間の流れというか
時間に対してはすごく大きな変化だと思うんですけど
そういったものを調べることにハマったりとか
なんかちょっと気になったんですけど
氷河が無くなるっていうこと自体もすごく
たぶん間近で交代してるところを見ると
ショッキングな出来事だったと思うんですけど
そのそういった氷河が交代することによる
例えばその周辺の環境
山だったり森とか自然みたいなところへの環境の変化とか
そういうこともなんかあったりするものなんですか
どうなんでしょうかね
基本的にやっぱり気温は上がっているっていう方向で
これは毎年ちょっとずつ変化は上がったり下がったりしてるらしいんですけど
アラスカって極北の
極北って言われてるところなんですけど
夏35度になったりする場所もあったりとか
結構変なんですよ
それはなぜかというと
白夜があるんで夜がないからずっと照らし続けられる
照らされ続けていくっていうところで
気温が上がるエリアもあるし
それで変わっていく
昨今の温暖化とか
あとは2年前だと大規模な森林火災があって
それで大きな一帯の森林自体が焼けちゃったりとかもしてたんですけど
氷河が突然なくなるっていうことで
具体的にどうなるかはちょっとわかんないですけど
例えば氷の中に何百年も閉ざされてた細菌みたいなものが
水に戻されて生態系をまた狂わせちゃうっていうようなことを言ってる
科学者なんかもいますよね
氷の中から出てくる細菌
冷凍保存されていた生き物というか
木みたいなものが生き返っちゃって
それが大自然の環境に重大な
生態系の変化を及ぼしちゃうっていう場所もありますし
でも僕は学者ではないし
環境活動家でもないんですね
僕はやっぱり溶けていっているような状況を数年間見ていて
ハラハラしてしまうのは
今まさに撮っていかないと
撮影していかないともう撮れないもんだと思っていて
そうですね
多分もう20年後で見れないとも
みんなさん言われてるんだけど
そういう人たちは20年後氷河が
私たちが見えるところにあるかどうかと
わかんないよねって言われて
そうなんですね本当に
そうなんです
やばいですねマジで行きたいな
それは本当に地球の時間と
地球の気象条件が生んでいる青の宝石なんですよ
溶けてなくなっちゃうし氷だから
ただこれを今2025年で
僕がアクセスできるところにものがあって
これは撮る宿命があるなっていうふうに思っていて
撮影をしているっていうのもありますね
いやー結構切実ですね本当に
このタイミングで次撮れなくなって
また撮れるようになるって本当に数万年とか
もっと数百万年の気象変化の中で
またかまたまできるみたいな感じですね
いやー面白い
前半ちょっと氷河の話をガッツリ聞いてきたんですけど
時間もいいぐらいになってきたので
後半でアラスカの人の精神性みたいな話が
最初あったと思うんですが
アラスカの人々と環境
そのあたりと氷河の話を交えて
後半を聞いてきたらなと思います
前半ありがとうございました
ありがとうございました
最後までお聞きいただきありがとうございました
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