今回もゲストをお呼びしておりまして、早速ですけど、合同会社土とデジタルの小川大暉さんと、香代子さんに来ていただいております。
よろしくお願いします。
大木さん、香代子さんは、僕も高橋さんも、ワナブラザーズのお二人だというふうに意識してお会いして、
別の会社もやっているということで、そちらもすごい面白そうだったので、今回そっち側で来ていただいておりますが、
最初にお二人の自己紹介、土とデジタルってなんだろう、みたいなのを聞いてもいいですか。
はい、ありがとうございます。土とデジタルの小川大暉です。
僕と香代子ちゃん、二人が共同代表でやっている会社です。
僕はですね、もともとシステム開発の仕事をしていて、今もシステム開発のプロジェクトリーディングだったりとかを普段はしてるんですけど、
片谷長野で漁師をやっています。よろしくお願いします。
お願いします。
同じく土とデジタルの香代子です。よろしくお願いします。
私も大木君と同じで、半分はITの仕事をしながら、半分は土とデジタルの中でワナブラザーズの活動だったりとか、
生産と消費を近づけるみたいなことをテーマに活動をしています。よろしくお願いします。
お願いします。
土とデジタルはですね、私と大木君と、あともう一人、桐田君っていう男の子、3人でやっているチームなんですけど、
元々、全員ITとか広告とか、なんでしょう、手触りのないものを仕事していた人間たちで、
本当に手触りがないものとしか言えないんですけど、土地に目指してないものというのか、
やっぱりインターネットの上に乗っかっているもので、すぐ消えちゃうようなものを作ったり消したり売ったりする仕事をずっとしてきている中で、
ままでいいのかなみたいな疑問がね、それぞれの中にあった中で、5年くらい前にワナブラザーズの前身となるサービスに出会って、
そこからもっと自分たちのスキルを、地球とか土に目指しているものに使えないかなっていうのを考え出して、
土とデジタルという名前で始めたっていうのが始まりですね。
なるほど。
そこが始まりだったんですね。
そうだよね。
なので、概念から何か作ったというよりは、まずワナブラザーズを長野の領主と一緒に立ち上げたというか、
その時のメンバーが土とデジタルという価値観を持っていたので、それを言語化して会社にしたみたいな順番。
なるほど。じゃあ土とデジタル作ってから、その中にワナブラザーズの活動も入っているけど、
実際にIT的なことをそのチームで一緒にやったりもしている。
そうですね。今はそれぞれフリーランスとしてITとか広告の仕事はしながら、
その土とデジタルが交わりそうなプロジェクト、混ぜれそうなプロジェクトは土とデジタルでみんなで。
なるほどね。
うん。
じゃあ、今日は僕らも普段ワナブラの2人として接している中で、その辺の話実はあんまり聞いてないんですけど、
改めて土とデジタルのサイト見たら、バイオフィリックみたいなあんまり馴染みのないことを標榜しているというかテーマにしながら、
あと土とデジタルみたいな、割と相反する価値観みたいなのをどうやって統合していくのかみたいなことがテーマですみたいなのを読んで、
すごく気になるテーマだなというか思ったんで、その辺聞きつつ、なんか深掘りしていきたいなという感じがするんですけど。
バイオフィリックっていうのは、聞き馴染みのない言葉かもしれないんですけど、
なんか、自然をどこにいても求めてしまう人間の差がみたいな、そういう意味合いの言葉で、
よく建築の業界とかで使われるみたいで、都会でビルを建てる時とか、オフィスを設計する時とかにバイオフィリックデザインっていうような考え方が振り入れられるらしくて、
多分、よく聞くと思うんですけど、オフィスの中に観葉植物がいっぱいあると生産性が上がるとか、なんだろう。
そうなんですか。なんか違和感あるな。
ある、あるで。
あるらしくて、あんなかんだ言って都会にいても緑を求めてしまうし、
やっぱり土っぽいものとか木っぽいものとかっていうのに触れてたいっていうような、水の音とか聞いてたいとか、
なんか、そういうどこにいても自然を求めてしまう人間の、そういう自然を寄与する心みたいな。
本能的な欲求か。
多分、だから気づいたら多くの人の家に何かしら植物が置いてあるとか、なんか木のプロダクトっていいよね、落ち着くよねみたいな。
おもちみたいなのもそのバイオフィリックに生まれるのかと思います。
それを探求じゃないけど、そういう価値観で活動しようぜっていうことになるんですか。
そういう価値観を探求しようぜっていうことですよね。
なんかその、なんだろうな、我々側まさにそうだったんですけど、その都市で生活している中で、
自然のものに心を取ったりとかワクワクする気持ちっていうのがあるなと、でもあんまり我々なんかそうとは認識してなかったんですけど、
なんかその狩猟、そのワナブラザーズの漁師と出会ったときもそうなんですけど、なんか狩猟って聞いてワクワクしたりとか、
山とか森林の話にワクワクしたりとかっていうのがきっかけで、長野県にも行き来するようになった。
同じように、自然にもっとワクワクしたい人とか、それとどう関わったらいいのかなって気づいてなくても潜在的に思っているとか、
気づいてるけど何をやったらいいかわからないみたいな人っていうのがたくさん僕たちみたいにいるのかなと思っていて、
そういう自然を支給してしまう気持ちに対して、僕らが都市にいる人たちに何かを提供できない。
なるほど。むしろあれですね、ワナブラのサービスがデジタル情報として漁の瞬間とかっていうのが共有されるっていうのも、
それが一番土地とデジタルの観念を表しているサービスでもあるっちゃあるんですね、多分。
そうです、そうです。まさに。
すごい納得感が早速ある。
なんかあれなんですか、入り口を作りたいっていう感じなんですか、関わりがかなり薄いとかそういう意識が少ない人たちに対して、
本当に自然とかを地で生きている人たちとつなぐパイプの役になるとか、パイプを作っていくみたいな活動っていう認識で間違ってないですか。
おっしゃっていただいた通りですね。
なんか多分それを木が欲しいとか植物が欲しいっていう人よりも、なんかこうワクワクにつられてついていったら、気づいたら自然と関わりを持ってたみたいな、そういう橋が作れないかなっていうのを探求している。
なんかかやこさんと話してて、すごい印象的だったのが、命と食が紐づいていなかったみたいな話をされてたと思うんですけど、
僕はよくこの番でも言ったかもしれないけど、霧見が海を泳いでいるっていう論説に対してあれは嘘だろうって、そんなわけないだろうって思ったんですよね、みたいな話をしたら、
霧見が泳いでいるとは思ってないけど、そういう気持ちはすごくわかるみたいな話をかやこさんが、東京育ち?東京生まれ東京育ち?
そんなこともあるんですね。
みたいなことがあって、あれ、何を仕事にしてきたんだっけみたいな。
めちゃくちゃいいな。
気持ちになった時に、さやちゃんの言うクラウド感みたいなのは感じていたかもしれない。
山口周さんっていらっしゃると思うんですけど、あの人の本に都市の成り立ちみたいなの書いてあって、なるほどって思ったのが、私は情報のやり取りをするのにすごいコストがかかってたと。
電話とかインターネットがなかった時って書類を送んなきゃいけなかったじゃないですか。
それも大変だし、国際電話とかもすごい、電話するのもすごいお金かかってたし、だからその情報のやり取りをするために人間が集まった方が、その情報のやり取りのコストがすごい低くなるから、みんなを集めていったっていうのが、その都市の成り立ちだっていう風に書いてあって。
やっぱりだから、ログインしてるじゃんって。
なるほど、通信同期みたいな感じ。
だから物理的にやってた。
リアルに集まってね。
でもそれも多分、今もこれ離れてる4人がネットで電話できてますけど、もう物理的に多分集まる必要があんまりなくなってきたときに、そうですよね、なんかみんなログアウトしだしたなっていう。
でもそのログアウト感覚で、それこそ都市、地方に住んでると逆に、東京にみんな吸い寄せられていくっていう現実はあんまり変わらないようにも見えるんですけど。
いや、全く変わらないよね。
もちろん移住してくる人もいますけど、東京だけは人口ほぼ減らず、むしろ増えて、地方の人はいなくなってるなみたいな、なんか人口の減り方ほんとすごいから。
いや、そうっすよね。
なんか、日本の人口全体が減る手前から、田舎の人口減り続けてるって結構面白い現象ですよね。
確かに。
なんか全体減ってるわけじゃないのに、総量減ってないのに、田舎からはどんどんいなくなるみたいなのが、そう言われるとそうなんですけど。
ブラックホール化してますね、東京が。
そのかよこさんたちの感覚みたいな、東京ログイン説みたいなやつは、割と周りの人たちと話すと共感されるというか、分かるみたいな感じなんですか?そうでもないんですか?
面白いねと言われるので、分かると間違えるかもしれないですが、
でも、やっぱ去っていく人を見ると、去っていく人の話を聞くと、やっぱりログアウトしたいっていう気持ちはすごいあるみたいですよね。
でもそこには、東京っていう実態があるようで、実際は人の都合に合わせて作られたバーチャル世界みたいな感覚に対する違和感とかを感じるってことなんですか?そこは。
そうですね、きっとそれに気づいた人からログアウトしてくる。
直感的?多分言語化はされてないと思うんですけど。
言語化はされてないけど、なんとなくこの街おかしいみたいな違和感がある人からログアウトしてくるんじゃないですか?
おかしいみたいなログアウトの仕方もあると思うし、僕らも言ってたように、地に足をつけたい、もっと残る仕事に関わりたいなみたいなところから気づいたらログアウト民になってたみたいな。
でも本当にキーワードとして、10年前は言い過ぎかもしれないけど、10年前くらいから都会の人と話すときに手触り感ってめっちゃ出てくるなってずっと思ってました。
えー面白い。
手触り感のない仕事みたいなことを都会の人たちは言うな。
地に足がついていないもん言われてましたけど、僕から見たら別に地に足はついてるしと思ってたんですけど、浮いてんのかな?
浮いてます。浮いてます、確かに。
ドラえもんみたいな感じがしますね。3センチ浮いてる。
3センチね、そうですね。浮いてます。
とはいえ、でも自分の出自は変えれないじゃないですか。
確かに。
すごい、やっぱ好きな気持ちもあるので、東京、まあそういう都市的なものを好きな気持ちもあるので、なんとかその、何でしょう、最初の話に戻るんですけど、
そういう土地的なものとデジタルなものとか都市的なものと、まあなんかそうですね地域ローカルみたいなものとか、なんかそういう生産と消費とかもそうなんですけど、
そういうこうちょっと離れたものとして扱われがちなものの間を取り持ったりとか、なんかどっちかを選ぶんじゃなくて、どっちもいいよねみたいな、
なんかどっちもあるからこそこう、なんかお互い助け合えるよねみたいな、なんかそういう、そういう世界観に行きたいなっていう願いを込めて活動しているという感じですね。
僕、前にその食品メーカーで本当に東京で働いたときに、東京生まれ東京育ちの人も結構いたんですけど、で僕が転職するってなったときに本当にその超ドローカルの方にまた行くって、いろいろ話をその時にもしてたんですけど、
なんかそのバイオフィリック的なその話で言うと、東京生まれ東京育ちの人って、まあ確かにその森林とか森とか結構非日常として行くのは好きだけど、現実的に土とか虫が好きがちょっとね、まあ人にもちろんよるんだけど、
なんか土とかそういうものを、もはや汚いものとして感じてたりする人が結構多いなっていう印象があって、だからそこは田舎の出身の人と都会の出身の人で、なんか感覚のずれみたいなのめっちゃありそうだなってすごい思ってたんですよね。
そうそう、科学さんとかがその感覚をバックパッカーで世界一周してっていうのはあるんでしょうけど、なんかモテたっていうところとかが結構なんか話を聞いて面白いなってめっちゃ思ってたんですよね。
なんかその感覚を持っている人と持てない人のその違いって何なんだろうみたいな。
何なんだろう。
えー何なんですかね、でもやっぱり一回接続を外す必要はありますよね。
ゴーグル外してみる。
はい、ゴーグルを外して自分の目でちゃんと世界を見るという当たり前のことを。
あ、予想空間の中に目で見ようって、そのゴーグル外そう。
ゴーグルをまず外さないといけないっていう。
それを外して、付けて生きてるということになかなかやっぱマトリックスの中にいたら気づけないじゃないですか。
うん。
ので、一回強制なんだろう、ログアウトというか外されてみないとわからないことがやっぱあるのかなっていうのを思いますよね。
僕はなんか、かえちゃんはかえちゃんで多分旅の中でそういう体験があったのかなと思うんですけど、
僕はそれこそワナブラザーズの前身になるサービスとの出会いがゴーグルを外した瞬間だったんですよね。
はい。
さっきの岡田さんの切り身の話とすごい似てるんですけど、
ワナブラザーズってオンラインで狩猟のプロセスを見られて、お肉が最後に届くっていうサービスなんですけど、
そのお肉が最後届いたときに、自分がそのお肉を食べるときその動画を見返したんですね。
そしたら目の前にあるお肉が動物だったときの姿っていうのが動画で見られて、
そしたら途端に目の前のお肉が、今まで抽象的に鹿肉、お肉みたいなものだったのが、
動画の中に映ってるこいつの足なんだって。
そこが初めて繋がって、
で、「あ、お肉って生きてる動物の一部なんだ。」っていうクソほど当たり前のことに、
27歳でしたら、6歳?
で、気がついて、
で、それが当たり前のことすぎてすごく衝撃だったんですよね。
それもちょっと、わかんないですけどね、自己満足ですけどね。
すごい、いやいや、そんなことないですよ。
思いを持って生産を、これもなんかむずい話ですけど、
じゃあ思い持ったぞ生産してるのかみたいな話は難しいんですけど、
社会とか地球にとって良いことみたいに思って活動してる、僕らもそうですけど、
からすると、そういう文化みたいなのはやっぱり作りたいとか欲しいなと思うけど、
難しさも同時に感じるから、そこはまさに、
ログインログアウトの感覚として、
やっぱり頭では、それこそ多分かやこさんも、僕同い年なので、
それこそ地球環境、環境問題とかの勉強をしながら育った世代だと思うんですけど、
なので頭では理解してるんですよね、結局みんな。
分かるけど分からないみたいなことの、
頭での理解と腹落ち、腑に落ちることの差のデカさみたいなのを、
どう乗り越えるのかみたいなのはむしろ重要な話なんだとは思ってるんですけどね。
そうだよね、テキストベースで地面で理解っていうのが本当の理解なのかって言われると、だいぶ遠いもんね、やっぱり。
思ったより遠いんですよね。
で、なんか僕にも結構思い当たる節があって、
アーツ&クラフト運動みたいなこととかも50年以上前から、
自分で作るとか、自分で修理するとかっていう価値観、大事だよねっていうこと、
最近言われるコンビビアルみたいな共有することみたいなのも、
頭ではめちゃめちゃ理解できるんだけど、全然作ってないみたいなことがあったりするので、
結局、言葉でわかっても、頭でわかっても体でわかってないみたいなことは、
すごいたくさんあるなっていうのは、最近よく感じるところでもある、めちゃくちゃ。
2人はそこから実際ね、鹿捌きに漁師になってるから面白い。
そうですよね。
すごいな。
2人とも自分で捌いたことはあるんですか?
はい。
そこまで言ってるのがちゃんとすごいですよね、本当にね。
僕も2月に取材させてもらったんですけど、やっぱ冬の捌くの、めちゃめちゃ寒かったですよ、本当に。
寒いですよね。
冷蔵庫状態。
でも暑いと暑いで嫌なんですよね。
確かに。
虫が本当。
そうですよね、匂いとかね。
そのリアリティがお2人にはあるから。
なんか本当はもっと一定の距離を保ってる予定だったんですよ。
あ、そうなんだ。
はい。
狩猟は長野で狩猟してくれる人たちに任せて、僕らは東京サイドの人間として東京側でできることをやろうって思ってたんで、結構最初はずっとそういう動き方をしてて。
東京で狩猟の話をするときに、漁師の川端さんが言ってたこと、漁師の誰々さんが言ってたこと、そのセリフを借りてあたかも自分が知っていることのように語るっていうシチュエーションがすごい何度も何度も重なっていく中で、なんか違和感がだんだん出てきて。
これ俺の言葉じゃねーみたいな。
あーいいですねー。
めちゃくちゃいい。
なんかすごいそれが、最初地につける、地に足をつけるっていう気持ちで関わり始めたはずなのに、結局すごいなんか東京的なスタンスというか。
あーはい。
なんかものすごく長野に行ってダサいことしてるんじゃないかみたいな気持ちになってきて。
そうですね、もっと自分の言葉で喋れるようになりたいなと思って、僕は2年前に修了免許を受けて、そこからはなりをちょっとずつするようになってっていう流れでした。
本当は解体とかもやらない予定だったんですけど。
えーそうなんだ。
それで自分の言葉になったんですか?そこは。
まだまだやっぱり途中だなっていう気はしますね。
なんかすごく話に、なんだろうな、自分の感覚から言葉を紡ぐのってすごく難しいことだなと思うんですよ。
なので、やっぱりこうずっと前線で一線でやり続けている人の言葉の方が自分の記憶にも残るし、なんかその自分の体験が言語化されるより先に頭に入ってきちゃう。
だから結構他の人の言葉を使いまくってます、今も。
あーなるほど。
でもなんかそこに、それをできるだけちゃんと体感で知りたい。
体感で知れば知るほどどんどん無情無情の中に入っていく感じもあって、なんかAかBかじゃないとか、AイコールBじゃない、AイコールAじゃないみたいな。
なんか矛盾した気持ちが自分の中にあったりとか、なんか誰かと仲間と仲間の言ってることが違ったりとか、なんかそういうなんか矛盾というリアリティって意味不明なんですけど、
なんか整理されてないものが現場にはあるなーって、それを感じられれば感じられるほど本物に近づいていってるような感じがするので。
すげえいい話ですね。
いや本当ですね。
でも矛盾というののリアリティはめちゃめちゃ感じます。今でも感じますし。
本当ですか?