1. 樋口聖典の世界
  2. 社会はないと思ったらないしあ..
社会はないと思ったらないしあると思ったらある

サマリー

クロスFMのディレクターは、仕事と家族の困難な時期を経験し、家族の大切さを強く感じています。また、現代社会の出来事はリアルとバーチャルの境界が曖昧であると思われ、家族や友達以外の世界には触れることができないと思われています。VR上の空間のリアリティにより、バーチャルな経済活動や社会活動に意味があると感じる人が増えています。ただし、体の内側で感じることが本当にリアルで大事なことであるという認識も広まっています。

目次

困難な時期と家族の大切さ
クロスFMから福岡市の自宅に向かって車を走らせております。時刻は17時13分です。
毎月必ずやっているファンファン北九州という番組のディレクターをやっているので、その収録でございました。
ここ2ヶ月半ぐらい、めちゃくちゃ大変でした。
それは仕事ではなくて、家庭というか、別に人間関係がどうとかではなくて、怪我と病気ですね。
僕を含めた近い人たちが、ちょっと連続的に怪我と病気が、ずっと誰かしら何か調子が悪いみたいなことが続いていて、
マジでちょっと数えたら7個ぐらい重なってて、嘘やろって感じだったんですけど。
本当に呪いじゃないかなと思っているんですけどね。だから本当にお腹いくレベルの困難な感じだったんですけど。
仕事の方も本当に必要最低限以外はもうちょっとキャンセルしたり断ったり、リスケしたりしてギリギリこなしてるっていう感じですね。
どうしてもやらないといけない時は本当にヘルプを頼んだりしてたんですけど、実家とかに頼んで。
そんな2ヶ月半でした。その中で家族と向き合う時間がめちゃくちゃ長かったんですね。
介護をしたり看病をしたりとかがあったから、まる5日間ぐらい長男と2人きりでずっと過ごすとかいう時間もあったんですよね。
普通からするととても大変な時期ではあったとは思うんですけど、ある意味今まで仕事が軸だったんですよね。
人生ずっとほとんどそうだと思うんですけど、年代的にというか時代的に僕らが、今でもそうなんかな。
特に男はそういう風潮が強いから仕事に生きるみたいな。仕事に生きるとは言わなくても仕事が軸としてやっぱり生活が基本的にあるから。
仕事そっちのけで、介護休暇とか看護休暇みたいな感じですよね。2ヶ月ぐらいっていう生活をしてました。
仕事だけじゃないな、社会活動と距離を置いて家族とめちゃくちゃ密に向き合うっていう時期だったんですけど、これが僕の中で相当良くて。
なんかね、これあんまり語弊を恐れずに言うと結構幸せな時間をいただけたなって思ってるんですよね。
子供とか怪我をして入院したりとか病気で入院したりあったんで、本人たちはもちろん辛そうだし、とてもよかったね、会ってよかったねとか手放しで喜べることではもちろんないんですけども、
ただなんかね、こんなに家族と向き合うことを許してもらえる期間だったのはものすごい貴重で、改めてこう、何ですかね、家族の大切さというか、むちゃくちゃベタですけど、そういうのを感じた期間だったっていう。
仕事や社会のリアリティとバーチャルの違い
で、やっぱりそういう大変な時期だったんで、最低限まで削らないといけないんですよね。人生でもう全部抱えられないから、とにかく削りまくって削りまくって大切なものって何やったっけみたいなところで削った結果、やっぱり今のところ最後に残ってるのは家族と友達なんですよね。
だから正直ね、ポッドキャストとか今やってますけど、あれもやっぱり友達なんですよね、結局。
で、コテンラジオとかも、なんか辞めるか辞めないかの判断って別に普通にできるじゃないですか。で、仕事だけで考えてたらやっぱりこう最後に残らないんですよ。
でも、なんで残したいと思ってるかって結局深井さんやんやんさんや、今関わってるコテンの皆さんと多分友達と思ってるんですよね、僕。
だから友達と思ってなかったらほとんどのこと辞めれるなって逆に思ったんですよね。なんかコテンラジオから得てるものってめちゃくちゃいっぱいあって、その実はお金ももらってるし、それによって社会的な拍付けにもなってるんですよね。
樋口清則という人間がコテンラジオのパーソナリティーであるということで、とても影響力を持たせてもらってる部分があるんですけど、正直その部分っていつでも捨てれるなって思っちゃったというか。
深井さんとやんやんさんと面白い話したりとか一緒になんかこう活動していたいなっていう気持ちがあるんですよね。なんかそういうとこまで考えたって感じですね。
なんかこう、この2ヶ月で何を残して何を捨てれるかなって考えたときに。だから僕の活動ほとんどが多分なんかこう、最終的にはそこだけは残るなって思ったって感じですね。家族と友達ですね。
なんかね、世の中でいろんなことって常に起こってると思うんですよね。例えば、世界情勢が今不安定っていうこともありますし、科学技術も進んでいって社会がどんどんどんどん変わっていってますよね。
例えばAIによって社会が変わっていってるし、宇宙事業によって何か変わっていってるし、芸能界でもいろんなことが事件や不倫問題やスキャンダルやなんやかんやあってますと。
でもなんかこう、その世界で行われてることって、今まではなんとなくリアルな世界で行われてることだなっていう感覚で見てたんですけども、やっぱりここまで浮世というか現世というか現代社会と距離を置くと、マジでバーチャルの世界というか違う星で起きているような感覚というか。
僕の世界に本当にこれ、今、スマホとかパソコンから目に入ってきてる情報って本当に行われてるんやったっけみたいなリアリティがどんどんなくなっていってて。
逆に言うとその家族とか友達とかの手触り感っていうのがどんどん増えてきていて、そことしか向き合ってないからですね、当たり前ですけど。
そこ以外の世界って本当にあったんやったっけって今思ってるんですよね。
現代社会の出来事とリアルな感覚
究極いくとテレビゲームだったりとかボードゲームでやってるじゃないですか、例えばジャカタンっていうボードゲームがあるんですけど、これって自分の国があってそれを人質取りをするんですよね。
島の人質を取っていくみたいな感じなんですけど、それとリアル社会でやってることって究極的に差がないというか、僕の中で同じになってきているというか。
カタンとかって現実世界に何の影響も及ぼさないじゃないですか、そこで勝っても負けても。
面白かったなとか悔しかったなとか、そういう感情は残りますけど、じゃあなんかその勝敗が何か現実世界に影響を及ぼしてるかというと及ぼしてないじゃないですか。
僕からするとリアル社会で行われていることもほとんどのことがそう見えてるって感覚ですね。
例えば経済がどうなったとかも、ボードゲームと変わらないというか、ないと思ったらないというか、自分の会社ですらないと思ったらないなって思ってるんですよね。
ブックとかいいかなパレットとかも、ないと思ったらないんですよね。
僕の中では五感で特に例えば叩かれて痛いとか、腹が減っているとか眠いとか寒くないとか、そういうものってものすごくリアリティを持って体感してるんですけど、
それ以外の何でもいいんですけど、会社やってる人からすると何か事業でものすごい成功して会社の口座にものすごく利益として売り上げが入ってきてるだったりとか、
SNS上でものすごく有名になって褒められまくっているとか、自分の肩書きがどんどん出世をして上がっていってるとか、いろんな人から褒められるみたいなことって別に手触り感ないじゃないですか、触れないじゃないですか、それそのものに。
ということは目をつぶってないと思ったらないんですよね。目を開けてあると思ってるからあると思ってるだけで。
一応会社で売り上げ上げました、利益出ましたってなると自分の役員報酬とかに影響が出てきて、自分の口座にいっぱい金入りますと。
それによっていい家に住めますとか、いいとこに旅行行けますとか、いいもの食えますとかっていうので、じゃあ互換に訴えかけてくるじゃないかっていうこともあると思うんですけど、
いいとこに旅行行きましたって言っても、それって別に目の前の景色と雰囲気が変わってるだけで、目をつぶってないと思ったらないじゃないですか、そこの旅行先って。
バーチャルな経済活動と社会活動
究極VR上でものすごいリアリティがあるところで、家から一歩も出なくてもあると思ったらあるじゃないですか、その空間ってVR上の空間って。
それとあんまり差がないわけですし、じゃあ1万円のめちゃくちゃうまい飯を食えるようになりましたってなったときに、
500円のコンビニに比べて20倍うまいかっていうとそういうわけじゃないですよね。じゃあなんで1万円のものを食いたいかっていうと、その1万円のものが食えてるっていうその満足感だったりとか、
あとはやっぱりロケーションとかあるだろうし、その一流の人が一流の場所で作ってくれてるっていう、そこのストーリーに対しておそらく価値を感じているわけで、
舌と味覚と嗅覚そのものからきてるものじゃないような気がしてるんですね。その1万円っていうものに含まれているほとんどの価値っていうものが。
ってなったらほとんどのものがやっぱりないと思ったらないんですよね。あると思ってるからあるだけで。
っていう感覚にどんどんどんどんなってきてるんですよね。だから一生懸命そのいろんなことやってる人を見て、
なんかどう言ったらいいんやろなぁ。一生懸命ゲームしてる人いるじゃないですか。なんかこう死ぬ気でロープレイングやシミュレーションゲームやってる人っていると思うんですけど、
別にいい意味でも悪い意味でもなくて、それと全く一緒だなってリアルの経済活動とか、社会活動かな、経済活動含めた社会活動すべてに対して、
なんかテレビゲームやってるのと同等だなと思ってるんですよね。おそらくそれ何も残らないし、何もリアルじゃないし。
でもそれをやって楽しいかどうかとか悔しいかどうかとかっていう感情だけはリアルにあるから、なんかその感情のためだけにやってるわけであって。
だから意味がないとは全く思わないですよね。じゃあそのバーチャルだからといって経済活動や社会活動が意味がないかって言われると、
いやいやじゃあテレビゲーム意味ないことになりますかって感じになるんですよね。テレビゲームって意味あるじゃないですか。
何も現実世界残らないけど楽しかったっていう感情が巻き起こるということ自体に意味があるから、意味があるんですよね。
だから意味はあるけど、結局感情が動くかどうかっていうところだけに意味があって、それ以外は意味がないですよ。
だからどう言ったらいいんだろうな、イメージとしては体の外で巻き起こっていることって、なんか素材でしかなくて、素材っていうかなんていうんだろうな。
結局大事なのは体の内側で何を感じるかっていうことだけが本当にリアルに大事なことで、それを動かすためにその体の中にある心みたいなものを動かすためだけに素材として
外の世界に何かがある。で、外の世界に何かある諸々のものは体の中には入ってこれないので、
なんかそうなんですよ。入ってこれないじゃないですか。体の中に。だから何やろうな。
所詮その程度のものだなって思ってるって感じですね。体の外のことって。で、別にネガティブでもポジティブでもいいも悪いもなくそういうものだなって最近思ってるって感じですね。
体の内側で感じることの重要性
だからやっぱり今興味があるのは体の内側ですね。そっちにどんどんどんどん興味が向かっている感覚がありますね。内側っすね。
おそらく多分ここを突き詰めていくと、痛みとかうまいかどうかとかそういったものも多分剥がしていけるような気がするんですよね。心から。
グラップラーパキーとかでよく強くねんじれば手に傷がバッて入って痛みを感じるみたいな描写があるんですけど、多分そういう感覚になっていくような気がするんですね。
逆に言うと神道滅却すれば日もまた涼しい状態とかじゃないですけど、なんかこうリアルな世界と痛みみたいな感覚とか空腹とか逆に温泉入って心地いいみたいな感覚も分離して存在できるというかそういう感覚になっていくんでしょうけど、
まだ僕はそこまでには行ってないし、そこに行くのがいいかどうかも別によくわかんないしね。本当にそこまで行っちゃうと、じゃあ子供を抱っこするとかそういうのが意味なくなってくるから、それもそれでなんか怖いじゃないですけど、そうなったら本当にこの世との距離ができるなって思ってるので、そこまでは行ってないって感じですね。
みたいなことを最近ちょっと考えてますね。面白いですよ。
17:01

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