2025-10-04 48:40

Vol.126 デジタルとリアルの接続。今、再考する節度ある食卓。 - 小川 大暉さん・橋 香代子さん(土とデジタル)

spotify apple_podcasts youtube

合同会社 土とデジタルhttps://bitnb.io/

Intentional Eater 2025 ver.10
▼PRESS START▼
https://土.digital/ie/

⛰️ハッシュタグ⛰️
#自然資本論
ーーー
✉️お便り 質問フォーム✉️
⁠https://forms.gle/AqnAa86R7SAgWDu57⁠
ーーー
⛰️LISTENの文字起こし情報はこちら⛰️
⁠https://listen.style/p/shizenshihonron?Dwn9CZ6C⁠
ーーー

🎙️パーソナリティ🎙️
高橋和馬
有限会社きたもっく / 地域資源活用事業部
X ⁠https://twitter.com/kazuma19850807⁠
有限会社きたもっく ⁠⁠https://kitamoc.com/⁠

奥田悠史 株式会社やまとわ / 森林ディレクター
X ⁠https://twitter.com/yujioqda⁠
Instagram ⁠https://www.instagram.com/yuji_okuda⁠
株式会社やまとわ ⁠https://yamatowa.co.jp⁠
ーーー

🎙️制作サポーター🎙️
・山口雄大 : ⁠https://my.prairie.cards/u/yudai⁠
・たか : lit.link ⁠https://lit.link/taaakaaa⁠
・ぞの
ーーー

ー賞歴ー
第1回 みんなのポッドキャストフェス (私の推しキャス賞受賞)
ーーー

ー各種配信先ー
⁠https://linktr.ee/shizenshihonron

サマリー

このエピソードでは、自然資本とデジタル技術の関わりについて考察し、節度ある食卓というテーマを取り上げています。肉食に対する意識や関連する展示会についての議論が展開され、様々な価値観が紹介されます。また、デジタルとリアルの接続を考慮しながら、節度ある食卓の重要性が論じられています。食べる行為の意味や動物への意識について、興味深い視点が提供されます。さらに、肉の摂取が身体と心に与える影響について再考します。小川大暉さんと橋香代子さんは、肉を食べることの意味や体の欲求を理解することの重要性を議論し、仮想世界との繋がりについても触れます。また、デジタル技術とリアルな体験を結びつける重要性を考察し、自然との接続の機会を創出する新たな視点を提案しています。

自然資本とデジタル
自然と生きるを考える 自然資本論〜
この番組は森で働くことを愛する高橋と奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、北松の高橋です。
山とわの奥田です。よろしくお願いします。
前回、土とデジタルのお二人とお話ししてて、すごく心地いい対話なんですけど、いろんな感情とか感覚が、僕自身も深まるようなところがあって。
ログイン、ログアウトとかは、言われてみれば、みたいなところをめっちゃ自分もすごい感じてた。きっと感じてたんだろうなっていう。それは言語化されてはいなかったけど。面白かったですね。
面白い、確かに。ちょっとその辺も含めて、また4人で話していきたいと思いますので、引き続き土とデジタルのお二人に入ってもらいます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
やっぱあれですね。ログインしてるって、ちょっと疲れる感覚が表現としてはある気がする。何かオンじゃないといけないみたいなのはあるなと思うと。
まさに。田舎でTシャツとか服着てて、若干シミが、ソースのシミとかがついていっても大して気にならないんですけど、バスで東京降りた瞬間気になるっていうのが結構あるんですよ。
なにそれ。
なんで気になるの、それ、東京にいると。
わかんない。ログインしてるから。
ログインしてるから。
わかりますね、それ。逆に東京の服のまま長野行くと、長野ですごい、長野、上田駅着いた瞬間に気になります。なんかカッコつけすぎてるみたいな。
そうなの。
逆にダサいって。
でも確かにスーツ着てる人が、イナーもそうかもしれないけど、見ると若干違和感が感じたりしませんか。
浮いてる。
そう、浮いてるっていうか。
あれでしょ、東京的なスーツってことですよね。
そうです。本当にカチッと上も下も。
髪もピッチリ。
そうそう。
お、どっから来たんだろう、みたいなのありますよね。
そうそう、なんかね、違和感を感じてしまう瞬間がやっぱりそれはあるから、その感覚面白いですね。
まさにログイン感覚なのかもしれないですね。
課金して。
課金して。
自分の。
アバターの服を揃えてって。
いや、でもそうだよね。東京に働いた時、スイッチ入れなかったら働けなかったもんな、絶対。
でもそうだよね。たこやしさんの、なんだっけ、始発で行って近くのカフェで時間潰し、本読んで、出社して終電で帰るみたいなのって。
なんか僕もよくすげえ働いてるって言われるんですけど、たこやしさんの方が働いてるって思う。
別にそれがしたくてそうしてるわけじゃないけど、何かから逃れるためにはそうせざるを得ないみたいな、特に始発に乗るとかは。
信じられない。過労、過労やね。
いやー、そうですね。でも今考えるとよくやれてたなっていう風にログアウトしてしまうと、もう僕はログインはできない身になってしまったので、ちょっとゴーグルはつけられないんですけど、すでに。
っていうような話が前回だったんですけど、後半では東京都、京都でもやってたんですかね、展示会やられてた話をぜひ聞きたいんですけど、どんな展示、なぜそれをやってきたのかみたいな話から教えてもいいですか。
節度ある食卓の展示
肉食最高。
節度ある食卓っていうテーマで、ファブカフェ東京さんとファブカフェ京都で展示をやったんですけど、これは元々なんでだっけ大木くん。
元々はバナブラザーズの食事会を東京でやりたい。あまりお金がある活動じゃないので、なんかただで貸してくれる会場はないかみたいなので、ちょっと自分らの心からここでやりたいですって言える場所にノックノックしてた中で。
ファブカフェ東京さんとお話しさせてもらって、すごい気まよく全然一緒にやりましょうというか使ってもらっていいですよみたいな感じで熱く言ってくれたんですけど、せっかくなんで展示とかもやりましょうよみたいな話で。
結構僕らが思ってたよりむしろ高いところにハードルを打ってくれて、展示やったことないけど。
で、バナブラザーズの食事会をやりたいがためにバナブラザーズの展示会をやって、この展示会場の中でバナブラザーズのイベントをやるみたいな。すごいそれはちょっと気持ち悪いかもっていう。
自画自賛さというか、こんなにいいサービスですよみたいなことを展示して、そこでサービス提供してもなんか気持ち悪いねっていうので。
コマーシャル感すごいですね、確かに。
コマーシャルな感じの、あまり面白くない場所になっちゃうかなっていうので。
どんなことやったらみんな興味を持ってくれるだろうっていう中で、自分たちがバナブラザーズの活動を通して考えてきたことを展示として見るのかなっていう話になったのがきっかけ。
なんかそうですね、5年くらいバナブラザーズに関わってる中で、自分たちの中でちょっとキーワードになってたのが、まあ節度とか、
意識的に食べるみたいなこと。
意識的?
意識的に、はい。
に、なんかこうマインドフルにと言えばいいのかちょっとわからないけど、自分が何を食べてるのか自分でちゃんとわかるみたいなことを結構キーワードになってたなと思ってて。
節度って言うと何でしょう、なんかこう厳しい感じの印象を与える言葉かなっていうふうにも思うんですけど、私たちが考えている節度っていうのはバランスをとるみたいなイメージで使っていて、
一つのなんか方向にちょっと行き過ぎたら反対の方向にちょっと戻ってみるみたいな、プリコみたいな態度のことをちょっと節度っていうふうに読んでみたっていうところで、肉食におけるじゃあ節度ってどんなものだろうっていうのを、
そうですね、バナブラの活動の中で考えてきたものをちょっとまとめてみた展示。
行きたかったですね。
そう、俺もめっちゃ行きたかった。誘ってもらえたのに。
またなんか、展示自体は多分場所さえあればできるので。
どんなものを展示されたんですか。
そうですね、展示物自体は大きく言うと3つあって、一個はゲームボーイでゲームを作りました。
すげー。
すげー、ゲーム作りました。
インテンショナルイーターを目指すゲームっていう。
本当に結構できるんですか。
そうですね、クリアするのに5分強、10分強。
ちゃんとやらないといけない。
かわいい。
今、ゲームできます。
サイトからできるんだ。
ゲームでもできます。
じゃあそれ、概要欄みたいなやつ貼っときましょう。
貼っておきましょう。
村のパーティーが開かれるんだけど、メインディッシュは何がいいと思うっていうのをお母さんに聞かれて、
いろんな意見の人が村にいるはずだから、意見を集めてきてっていうような。
面白い。
村の中を歩いていくと、肉食に対するいろんな考え方の人。
美味しいから当然肉食べるよねっていう人とか、私は食べないわっていう人とか、
食べないの中にもいろんな理由を持ってる人とかがいて、そういういろんな意見を聞きに行くみたいなゲームになってます。
それが展示物の一番最初にあって、
ゲームの中に出てきたキャラクターたちの考え方をちょっと説明した展示パネルみたいなものが展示されているのと、
そのバックグラウンドを学ぼうと思った時に、読んでみたらいい本っていうのをキュレーションして書籍をたくさん置いてっていうので、
肉食に対する価値観
ゲームボーイと展示物と書籍のキュレーションがあるみたいな展示をやりました。
あとあれだよね、肝入りの図というか。
肉食4証言。
肉食4証言。
なんて言えばいいんでしょう。
肉を食べる人、食べる、食べないのと、
なぜ食べないのか、
自分のその個人的な理由っていうのと、
もっと何だろう、世のためとか社会のためみたいな自分の理由を置いてる人っていうので、
肉食4証言で、肉を食べる人はこういう考え方、食べない人にもこういう考え方、いろんな主義があるっていうのを、
肉食に関する価値観のマッピングみたいなものを一個作りました。
で、実際私たちもすごい勉強してみて思ったんですけど、
なんだろう、ベジタリアンとかよく聞くと思うんですけど、
それって食生活の名前なんですよね。
ある食生活を実践する人の名前であって、価値観の名前ではないんですよね。
確かに、その中にいろんな考え方が混ざっている。
でも、もっとその価値観の方をちゃんと知った方がいいんじゃないかっていうところで、
価値観マッピングみたいなものを作って、実際にはこういう価値観とこういう価値観とこういう価値観が混ざり合って、
ベジタリアンの食生活に行き着くとか、
一人の人間の中にもやっぱりいろんな矛盾する考え方とかが混ざってたりとかもするっていうことを表現したかったかなっていうので。
なんか単純にそれこそ肉を対立的に、
肉食べるっしょみたいなのと、食べるなんてみたいな意見の対応だと、とても紛争っぽい感じがしますけど、
いろんな考え方というか、自分の愛着に基づいてこういう選択をしていますっていう。
っていうやりとりはすごい大事ですよね。
まさにそこのグラデーションというか、パッキリ食べる食べないっていうわけじゃないんだなっていうのをいろんな人に伝えられたらいいなと思って、
そういうものを作っていった中で、だんだん自分も肉を食べなくなっていくという。
すごい。それ結構きっかけとしてあるんですか?
考えたらってこと?いろんなことを。
そうですね。それこそ何週、この5年間の間に食べない時期、食べてる時期、食べない時期、食べてる時期みたいなので、
何週してるんですけど、今また食べないサイクルの時期に転じを通して結構入っていった感じがありますね。
そういう話は割と個人的なことな気もするんですけど、
それこそ4証言作る中で、かやこさん的に食べない理由みたいなのって聞いても大丈夫なのですか?
全然ありがとうございます。全然大丈夫です。
食べない理由は、でもかなり今は個人的ですね。
一番最初、頭で考えてた時は、それこそ牛肉がCO2をすごく出してるとか、
環境問題に畜産が与えてる影響ってすごく大きいっていうようなことを、
狩猟に関わり出してから結構見聞きする機会もすごく増えて、
そこと対比した時にやっぱジビエってわざわざ育ててないので、
CO2を無駄に出してないとか、環境に登ってないとか、そもそも駆除されてて無駄になっちゃってるわけだから、
じゃあ、畜産の肉食べるよりジビエ食べた方がいいよねみたいな、そういうロジックで、
結構ジビエいいなって思って、畜産の肉を避けたりっていうことがあったんですけど、
今は結構自分の身体的な感覚に基づいて食べてない感じがしますね。
身体的な感覚に基づいてっていうのは結構気になるんですけど、それはどういう意味合いなんですか?
お肉を見た時に、それこそプロセスを遡っていった結果、肉が動物に見えるようになってきてるんですよね、すごく。
肉を見ても、生きてた時の動物まですごく想像がリアルにできるように。
食べ物の感覚の変化
なので、感覚として、すごい難しいんですけど、単純に美味しそうな食べ物っていう風に見えなくなってきた。
でも確かに、牛タンさばいてるやつっていつ見ても美味しくなさそうですもんね。
それはそうね、確かに。
一番、やっぱりベロが、自分にもある、それはお肉もあるんですけど、一番見えやすいから、うわー痛そうって思っちゃうっていうのは確かに肝心だよな。
鳥の足とか、食べるところとかあるじゃないですか。
煮込みで。
三本の足が襟をそっているようなのとか、あとなんか耳とか。
ある程度、動物であった頃の名残があるものって、普通に皆さん、普通の肉と比べた時にちょっとぎょっとする感覚?
ありますね。
一定あると思うんですけど、その感覚が拡大してる感じですかね。
普通の肉ですらそういう感覚を持ってしまうようになって、解体をした後とかから感じるようになり始めてる?
解体、そうですね。
菊山系のドキュメンタリーの映画を見たことがあって、
それを見た後はもう本当になんかすごい食べたくないと思って食べれなくなった。
それはそのドキュメンタリー映像を見て、自分が実際に見たものじゃないんだけど、
すごい粗悪な環境でかなりおごたらしい扱いを受けている、その菊山の動物の映像を見て、
そこからなんかこうすごいイマジネーションが膨らんで、
なんか普段売ってるものとかもああいうところから来てるんだよなっていう風に見てると食べれなくなったっていう時期があったんですけど、
肉食主義の再考
逆に飼料に関わって自分でその動物が死ぬところだったりとか見たり、
自分で一緒にさばいたりっていうところをしたら、
なんか逆に肉食べるのって別に普通に自然なことかもっていうふうにも思えたんですよ。
なるほど。
これ当然のことじゃんというか、
なんか食べ物をゲットして、
生きるためにやっているその行為っていうことですよね。
はい、そういうふうにして動物を食べるっていうことは別になんか普通のことというか、
すごいナチュラルなことのようにも感じて、
自分でやったことで逆に食べれるようになったんですね、その時は。
それもわかる気がする、すごく。
っていうのがあったんですけど、
なんかこう何頭も何頭も見ていくうちに、
やっぱりみんなその当たり前なんですけど、
苦しみ方とか声とか暴れ方とかも全員違うし、
なんかそれがこう積み重なっている中で、
なんかこれやっぱり食べていいんだっけなーみたいな気分に最近はまたなってきて、
でさっき言ってたような感覚というか、
ちょっとそのみこみたいな身体感覚みたいなものが、
ちょっとその前と変わってきたっていう感覚があります。
面白いですね、なんかそれってやっぱり前回大輝さんがちょっと言ってくれたかもしれないけど、
ずっとそこにいてやっていかないと多分得られない感覚ですよね、きっと。
僕も解体はさせていただいたこともあるし、
ドキュメンタリー映画で畜産が悪いみたいなのを結構誇張するわけじゃないですけど、
ネットフリックスとかのやつで見たこともやっぱりあるけど、
なんかその単発で体験したり、一回映画で見たとかだけだと、
なんか分かったようで分かんないなっていうのが僕の感覚としてはすごくあって、
なんか豚肉とか鶏肉、もうその本とか命への礼儀っていう本読んで、
いやこれほんとすごいことやってんの、自分で食ってんだなっていうのはやっぱり理解はするけど、
でもやっぱりまだスーパーでも普通に分かっちゃうし、
裏側でやっぱりテキストベースで想像がしきれてないし、
映画で見てもリアル感が得られてないから、
なんかまだ自分の中では何も落ちてないんだけど、
今のかよこさんの話聞くと、何回も何回も鹿を褒めさしするシーンとかを見ることによって、
それが徐々に感覚がまた1回やったのと多分全然違うくなって出るってことですもんね。
そうですね、全然違くなってってますね。
それはすごく感覚的には、何て言うんだろうな、
面白いって言うとちょっと語弊がありそうな気がするのであれなんですけど、
多分そう、何度も何度も経験しないと得られない感覚ってきっとあるんだなって、
今なんか聞いててすごい思いました。
体験程度では多分気づけないところまできっと行ってるんだっていう。
でもなんか分かんないんですね。
他のみんな、漁師のみんなそうなるかって言ったらそうじゃないし、
大臣とは違う感覚だもんね、きっと。
そうですね。
それが多分個別性なんだと思うんですけど、
それこそ身体性と個別性みたいな話で、
何かを需要したときにどういう受け取りをするかっていうのが、
実際はすごい大事なんで。
結構例えば、そこは結構人間の複雑さがより増してるって言うとあれなんですけど、
僕らは別にあざらしとか見てうまそうとは思わないんですけど、
イヌイットの人たちがあざらしを見て、
うまそうなやつ来た!みたいなのがあったりとか。
そういう森で生きる人たちも猿とか見ても、
ご馳走だ!みたいになる映像とかを見ていると。
なんかやっぱ食とそういう動物がそのまま繋がっていたりとかするんだろうなっていうのは、
それもまた別の身体性があるというか。
ちょうど奥田さんが今おっしゃっていただいたことが、
結構この間の展示の入り口になってて、
今、国だったりとか文化だったりとか、
土地土地のフードとかで、
これは食べるのが当たり前な動物と、
食べないのが当たり前な動物っていうのが、
それぞれ違うわけじゃないですか。
そうですね。
そのことを肉食主義と名付けた先生がいて、
なんで、菜食主義という言葉はあるじゃないですか。
これはなんかこう普通の人と違って、
あえて野菜だけを選んで食べる主義の人っていう認識だと思ってると思うんですけど、
それと同様にみんな気づいてないけれども、
あえて動物の肉を好んでとか選んで食べる主義を、
実はみんな持ってるんだっていう。
肉食主義がだから特別なわけじゃなくて、
肉食主義というイデオロギーの中に、
みなさん生きてるんですよみたいな議論を展開してる人がいらっしゃって、
その人の言葉を結構借りて、
園児の唇を切ったっていうのはあります。
結構私はそれ目から鱗というか、
うちらが肉食主義者なのかっていう。
それ僕読んでないんですけど、カーニズムってやつですよね。
カーニズムって名付けられてるのは、
インドの羊を生贄に捧げるカーリーとかから来てるんですか。
そういうわけでもないんですか。
カーニバルとかも多分語源は。
カーニってどこまでかちょっと分からないですけど、
カルネとかイタリア語のカルネとかも多分お肉っていう意味だと思うんですけど、
もともと多分肉っていう意味があって、そっからだと思いますね。
それの展示を通して、
参加された方とか訪れた方のリアクションとか、
もしくは大輝さんとかの感想というか、
感じたことってあるんですか。
あるんですかっていうのもあれですけど、
どんなことを感想でいただいたりしていますか。
なんかまず結構小難しい書き口でもあったし、
ゲームボーイで楽しそうなフリをしてるだけで結構真面目な内容の展示だったので、
どれぐらいの人が見てくれるんだろうっていうのが不安だったんですけど、
すごくたくさんの人が見てくれて、
ほんと1時間とか2時間、
その展示の前で友達と一緒に来てこうあだこだって議論してる人がいたり、
パネルを写真撮っていってくれる人がいたりで、
すごくなんか主義、哲学的な話も結構入ってたと思うので、
難しい内容にもかかわらずすごく多くの人が関心を持ってくれたなっていう。
やっぱ食っていうテーマにみんな関心があるんだなっていうのは、
すごく展示に来るお客さんたちと接しても感じましたかね。
すごく身近なものをこうやって言語的にというか、
ロジックも含めて疑ったことが、
肉を食べるっていうことを疑ったことがなかったっていう、
そこにすごい面白さを感じてくれた人がいたっていうのとかはすごく印象的だったし、
僕個人もこの展示の中で、
やっぱりビーガニズムって面白いなっていうのはすごく感じたこととしてあって、
さっき先生って、かえちゃんが言ってたのはメラニー・ジョイっていう先生なんですけど、
その人の本を読んでいくと、
どうロジックで戦おうとしても肉は食べれないっていう。
そうなんだ。
負ける。
でもでもでもって思うんだけど、
ちゃんと全部論破されていくっていう。
すごい。
食べることへの正当性は負けちゃうってことですか?
肉に関してはないってことですか?
ないです。
なのであくまで自分の主義、
肉を食べたいっていう気持ち、
食べるんだっていう主義で食べてるっていうことがよくわかる本なので、
ぜひ肉が好きな人にも読んでもらいたい本なんですけど、
この中でもすごく初めて知ったなと思ったのが、
動物を食べないっていう選択って、
もっとかわいそうだからみたいな感情にのっとって行われているものだと思ってたんですね。
もしくは環境に負荷がかかるからみたいなものだと思っていたんですけど、
その動物を当たり前に搾取する構造っていうのを、
社会の中に常設でインストールしてるのってどうなんだっていう。
それって種差別的だし、
それはこれまでに歴史の中で黒人を差別してきた、
黒人を搾取してきたとか、
女性から搾取してきたみたいな歴史と全く同じ構造にある。
だから感情的に動物がかわいそうだから食べないっていう話とはまたちょっと違くて、
そういう搾取を前提とした構造の社会から、
われわれ脱さなきゃいけないんだっていうすごく大きな話が展開されている。
展示を通じた反響
そういうことを僕は知らなかったので、
そこはすごく印象に残ったというか、
この人は多分すごく正しいことを言っているんだって。
かなわないっていうね、論理では。
ただ一方で、長野では鹿が食害を起こしていて、
その鹿を取らなきゃいけないっていう現実もあり、
その狭間でまだもやもやしているところですかね。
確かに。
あと、僕もその展示を作る中で、
肉を結構食べなくなったんですよ。
それは今でも続いていて。
へー、そうなんですね。
理由なくお肉を食べなくなったというか。
一回お肉を食べるのをやめてみて、
肉の摂取と心の変化
1ヶ月ぐらいやめたタイミングがあって、
その後またちょっと食べるようになって、
もう一回次のタイミングかな。
ちょうど展示の頃ですかね。
お肉また食べなくなってたんですけど、
結構忙しかったのもあってか、
昼間からすごい落ち込んじゃった日があったんですよ。
もうなんのやる気も出ないみたいな。
もうダメだ、ダメだみたいな。
ずっと家でゴロゴロしてたいなみたいな気持ちになっちゃった時に、
お肉、かよちゃんに言われたのかな?
お肉食べてみたらって言われたのか、
なんでだったかお肉を食べてみようと思って、
その日久しぶりにお肉を食べたんですよ。
もうそしたらすごい元気になって、
よっしゃ次何やるか。
分かりやすい。
気持ちになったんですね。
すごくプラシーボなところはあったかなと。
自分が元気がなかったのをお肉食べてなかったからだっていう
整理を頭の中で行って、
そこでスイッチを無理矢理かけたっていう説もありつつ、
体がお肉を求めることっていうのもあるかなって。
そういう感覚を少なくとも知らずに、
盲目的にお肉食べてきてたなっていうのは、
その体験から一個気づきとしてありましたかね。
自分が頭で食べたい、口で食べたいっていうものと、
もうちょっと体が食べたがっているものを知るっていうことは、
また違うことなのかなって。
もうちょっと体が何を求めているか、
頭とか目とか口ではなく、
体全体が何を求めているかみたいな、
心への解像度を上げていきたいなって思ったのは、
展示通じてだった。
本当に喉が渇いているときに、
甘いジュースじゃなくて水のほうがうまいみたいな感じで。
今、自分が何を食べたいかって結構曖昧になりがちですよね、確かに。
あと中毒性って言うのかも。
僕はそういう解釈だったんですけど、
完食のチョコレートと肉は、
3週間食べなかったら食べなくても大丈夫になるっていうのが。
僕も3年前ぐらいに半年ぐらい肉食ってなかった。
肉を取らなかったっていうよりは選ばなかった。
自宅ではってこと?
ほぼ自宅でもだし、
例えばファミレス行っても別に肉じゃないメニューってあるじゃないですか。
魚とかもね。あ、じゃなくて魚も食べてない?
魚は食べてた。むしろ魚を食べてた。
積極的に魚食べてたんですけど。
海鮮うめーって思いながら。
でもそのとき、お肉ほぼ食べない時期あったんですけど、
それも一回終わると食べちゃうんですよね。
なるほどね。
常食になっちゃうんですけど。
コンビニ行くとかもそうなんですけど、
コンビニも3週間ぐらい行かないとか行っても飲み物だけしか買わないってすると、
その生活になるんですけど。
またチョコレートとかポテトチップス買うとその生活戻るんですよね。
めちゃくちゃわかります。
それはありくそうですよね、確かに。
岡田さんはなんでそのとき食べてなかったんですか?
選ばなかった?
なんだろう、なんかなくても大丈夫だったっていうのが1個あったんですけど、
鰹節とエビがうまかったっていうのもあるのかな。
オッケーですね。
かっこいい理由だな。
でも、食べなくていけんじゃんっていう驚きがあったっていうのがちょっとあります。
結構食べずに続いてるみたいなのが、
だから無意識下にあって、
食の選択と体の要求
どっか行って何か頼むときとかも別のものを頼んでいるみたいなのが、
すごい厳密じゃないですよ、もちろん。
コンソメスープとかベーコン入ってるとかは全然あるんだけど、
じゃあハンバーグ食べるとか、
家にお肉買ってきて食べるってことはなくて、
むしろ海鮮コーナーに行って海鮮を選んで買っているみたいなのがあって、
そのときは結構そうですね、食べなくていけるんだなみたいなのは。
やっぱ個人の中にそれが同居しているっていうのもすごい大事ですよね。
絶対食べる人類、人間じゃなくて、
食べない時期もあるし、食べる時期もあるよねみたいなのが。
そうですね。
なので、基本食べないですけど、
今大輝くんが言ってたのと結構一緒で、
本当にめちゃめちゃ疲れてるときとかは、
さっき言ってた美味しそうに見えないっていう感覚が薄れるんですよ。
めっちゃわかる、それ。
食べたいってむしろ思えるみたいな感覚。
そこまで厳密に僕は魚だけに食べることをしたことがあるわけではないんですけど、
結構長く、肉を選ばなかったわけではないけど、
魚を中心にした食生活みたいなのをしてたときもあったんですけど、
今、北カルイザーの土地に来て、
毎日8時間の肉体労働をするようになった瞬間に、
毎日肉食べたいってすごい思うようになって、
エネルギーの塊なんでしょうね、きっと。
そこも、今までそこまで思ったことなかったけど、
肉食いたいってめっちゃ思うようになってて、今。
習慣化されてるんですね。
欲求的に、人の体調とか状態によっても、
すごくその辺と違いってあるんじゃないかなって。
最終民族が肉食ってたのも、長くエネルギーを蓄えられるから
食ってたんじゃないかって思うし、やっぱり。
そうですよね。
いろんな感想があるなって思いましたけど、
本当答え出ないよね、これね。
もうずっともやもやしてますね。
そういう話と、結構最初に言ってた仮想空間じゃないけど、
仮想空間的な感覚とか、地に足がついてないっていうことは、
リンクしているんですか?
ちょっと別のレイヤーで考えていい?
リンクしているのかな?どうなんだろう。
仮想現実にいるからこそ、そこが分かりづらくなるって言われると、
結構そうなのかなって感じあるじゃないですか。
例えば、土から遠いからこそ、命の存在を感じづらくて、
肉は肉として存在して、
ゲームの、モンスターを倒したら肉変として。
肉になって出てくる。
そうするみたいなことも含めて、なんとなくその接続がないっていうことから、
そこがつながるんだからこそ、
そういう食とか、肉食に対しても同時につながってきているのかなみたいな。
そうですね。確かに。そう言われてみたらそうかもしれないです。
だし、多分、自然界のものって全部アナログじゃないですか。
やっぱり仮想世界に落とし込むと解像度が下がるわけですよね。
さっきのゲームの話じゃないけど、すごい解像度下がった状態で受け取ってて、
がゆえに抜け落ちている情報とか見なくて済んでいるものみたいなのが多分たくさんあって、
そこで多分、仮想世界とそうじゃない世界をつなぐものって、
自分の多分体だと思うんですよ。
自分の体を生かすために絶対全生き物がやらなきゃいけないことが何かを食べるっていうことだと思うので、
食べ物から考えると、仮想世界からリアルな方向に考えやすくなるのかなっていうのを思いました。
生きるために必要なものだからっていうのはあるかもね、確かに。
いや、おもろいな、なんか。
物理世界との接点ってことね、食べ物が。
そうそう、物理世界と。
物理的にね。
だからみんな、展示もすごいよく見てくれた人たちがいたのは、
多分肉を食べない人がほとんどいないから、
関係あることだって多分思ってくれたんじゃないかなっていうふうに思いますし、
なんか結構みんなこう考えたい、考えたいというかちょっとその、
なんで肉食べるのっていうことを問われると、
多分若干心がザワザワするというか、
そうですね。
ザワってする感覚がきっとみんなにあって、
だからこそ引っかかりが生まれたのかなっていう。
そうですね、確かにムキになるようなところもありますしね。
ほんとそうなんですよね。
仮想世界と現実の接続
なんかそういう見えない偏見が働いているところこそ、
相手側の、自分と反対側にいる人たちの意見とか思想を聞かなきゃいけないと思うし、
それはだからなんか、さっき言ってたビーガニズムっていう考え方を、
いかに肉食べるっしょっていう人に知ってもらえるかっていう、
それをゲームで釣ったらできるかなみたいな。
いや、すげえいいアピールしたと思いますね。
ちょっと楽しそうなものでするっていうのが、
私とデジタルの仕事です。
ありがとうございました。
まさにそういうデジタルの文脈っていうのを、
お二人だからこそ活かしながら。
でもおもろいですよね。
仮想空間にログインするみたいな感覚がありつつ、
現実感というか、実存の社会にどう接続し直していくのかっていうのを、
デジタル的なアプローチを使ってやるのは、
仮想空間にいるのだから当たり前だなってすごい思ったんですけど、
その仮想空間に寄与するためには、
誰もいじるしかないだろうみたいな。
思うと確かに正しいなっていう感じがすごいしましたし、
なんか問いじゃないけど、
仮想現実みたいな、
それ別に東京だけの話ではなくて、
ローカルに住んでいても割と押し寄せる自然と、
そこにはあまり意識を向けない、
仮想的な空間があるような気はするんですけど、
そうですね。
その中で、自分の体と食べているものだけは、
生命であるみたいなことは、
なんか信じられるというか、
そこを、
何だろう、その仮想空間との対比でどうやって、
もう一回現実社会に戻るのかみたいな、
結構映画っぽいし、
ファンタジーっぽくてめちゃくちゃ想像できるなみたいな、
その絵が想像できるなっていう感じがめちゃめちゃあるんですけど、
これ深めていくとすごい面白い感じがしますね。
話していって、きっと、
図書とデジタルの展示を見たときに、
初めて俺たちVRゴーグルつけてたんだって思った人たちが、
かなりいた可能性があるんですよね、きっと。
仮想空間にいることに気づいていないというか、
そこにいることが当たり前だから、
ゴーグルがついてることは分かってないみたいな人たちに、
ゴーグルついてるよっていうことを伝えることが、
その展示によって相当できたのではないかと、
話を聞いても思うんですけど。
そうですか、どうですかね。
分かんないです。
僕ら言ってないかな。
そうそう、言ってないからね。
デジタルとリアルの統合
でも、VRを外すところまで行ってるかどうかはちょっと分かんないですけど、
なんかそういう話が書いてあるくらいの感じだったかも。
いや、でも。
マトリックス、映画のマトリックスをいつもイメージしてるんですけど、
なんかマトリックスの中で、
うさぎの入れ墨の女の子見たくらいのところまで行ってたらいいなって思います。
冒頭のね。
そうですよね。
長野でもできる場所があったら教えてほしい。
全然、雛谷シリーズでもできますし。
本当ですか。
やりましょう、ぜひ。
来週ね、焚き火するから、打ち合わせですね、じゃあ。
そうしましょう。楽しみです、めちゃくちゃ。
あと、一応最後に何かを言うなら、VRの世界も楽しいっていう。
仮想定サーバーも最高っていうところは、あえて最後に。
いや、いいっすね。
やっぱ今もね、こうやって最初にも話してたけど、
物理的に会ってないのにオンラインで繋がれて、
どんだけいろいろ情報を交換できてっていう、そこにもすごく豊かさがあると思うんで。
迫りくる自然と、すごく身近な空気みたいになってきてるテクノロジーとが、
もうちょっと合わさって、みんなが自然に目を向ける機会を作っていければいいなと思ってます。
一緒にぜひ、そういう世界観を作っていけたら楽しいなと思うので。
たき火しながら。
引き続きまた話したら嬉しいですね、それは。
嬉しいです。
はい、ぜひぜひ。
またたき火やりますけど、ちょっとそういう展示などなど含めて、
何かお二人と一緒にできるところ。
やっぱデジタルの面白さ、僕も実感しているので。
ゲームボーイ持っていこうかな。
ゲームボーイカラーっていう筐体が楽しいんですよ。
懐かしい。めちゃくちゃ僕世代ですからね。
それでポケモン銀をずっとやってたもんな。
シルバーも。
懐かしすぎる。
何かキラキラしてると思う。
できます。
確かに。しかもクリア。
スケルトン。
スケルトンパープルでしたもんね、写真が。
ちょっといろいろな視点でお話しできて非常に楽しかったです。
リスナーとの交流
ということで今回はつしとデジタルのお二人とお話しできました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
番組では皆様からのお便りを募集しています。
感想、ご意見、自然資本を生かした取り組みの情報、
自然にまつわる研究論文などぜひ教えてください。
お便りの宛先はメッセージフォームを用意していますので概要欄からチェックしてください。
Xでのメンション、ハッシュタグ自然資本論をつけてのコメントなどでも大丈夫です。
自然資本論は各週土曜日に更新されます。
最新話を見逃さないためにぜひ番組のフォローもお願いいたします。
もし気に入っていただければレビューをしていただけると励みになります。
それではまた次回お会いしましょう。
48:40

コメント

スクロール