肉食最高。
節度ある食卓っていうテーマで、ファブカフェ東京さんとファブカフェ京都で展示をやったんですけど、これは元々なんでだっけ大木くん。
元々はバナブラザーズの食事会を東京でやりたい。あまりお金がある活動じゃないので、なんかただで貸してくれる会場はないかみたいなので、ちょっと自分らの心からここでやりたいですって言える場所にノックノックしてた中で。
ファブカフェ東京さんとお話しさせてもらって、すごい気まよく全然一緒にやりましょうというか使ってもらっていいですよみたいな感じで熱く言ってくれたんですけど、せっかくなんで展示とかもやりましょうよみたいな話で。
結構僕らが思ってたよりむしろ高いところにハードルを打ってくれて、展示やったことないけど。
で、バナブラザーズの食事会をやりたいがためにバナブラザーズの展示会をやって、この展示会場の中でバナブラザーズのイベントをやるみたいな。すごいそれはちょっと気持ち悪いかもっていう。
自画自賛さというか、こんなにいいサービスですよみたいなことを展示して、そこでサービス提供してもなんか気持ち悪いねっていうので。
コマーシャル感すごいですね、確かに。
コマーシャルな感じの、あまり面白くない場所になっちゃうかなっていうので。
どんなことやったらみんな興味を持ってくれるだろうっていう中で、自分たちがバナブラザーズの活動を通して考えてきたことを展示として見るのかなっていう話になったのがきっかけ。
なんかそうですね、5年くらいバナブラザーズに関わってる中で、自分たちの中でちょっとキーワードになってたのが、まあ節度とか、
意識的に食べるみたいなこと。
意識的?
意識的に、はい。
に、なんかこうマインドフルにと言えばいいのかちょっとわからないけど、自分が何を食べてるのか自分でちゃんとわかるみたいなことを結構キーワードになってたなと思ってて。
節度って言うと何でしょう、なんかこう厳しい感じの印象を与える言葉かなっていうふうにも思うんですけど、私たちが考えている節度っていうのはバランスをとるみたいなイメージで使っていて、
一つのなんか方向にちょっと行き過ぎたら反対の方向にちょっと戻ってみるみたいな、プリコみたいな態度のことをちょっと節度っていうふうに読んでみたっていうところで、肉食におけるじゃあ節度ってどんなものだろうっていうのを、
そうですね、バナブラの活動の中で考えてきたものをちょっとまとめてみた展示。
行きたかったですね。
そう、俺もめっちゃ行きたかった。誘ってもらえたのに。
またなんか、展示自体は多分場所さえあればできるので。
どんなものを展示されたんですか。
そうですね、展示物自体は大きく言うと3つあって、一個はゲームボーイでゲームを作りました。
すげー。
すげー、ゲーム作りました。
インテンショナルイーターを目指すゲームっていう。
本当に結構できるんですか。
そうですね、クリアするのに5分強、10分強。
ちゃんとやらないといけない。
かわいい。
今、ゲームできます。
サイトからできるんだ。
ゲームでもできます。
じゃあそれ、概要欄みたいなやつ貼っときましょう。
貼っておきましょう。
村のパーティーが開かれるんだけど、メインディッシュは何がいいと思うっていうのをお母さんに聞かれて、
いろんな意見の人が村にいるはずだから、意見を集めてきてっていうような。
面白い。
村の中を歩いていくと、肉食に対するいろんな考え方の人。
美味しいから当然肉食べるよねっていう人とか、私は食べないわっていう人とか、
食べないの中にもいろんな理由を持ってる人とかがいて、そういういろんな意見を聞きに行くみたいなゲームになってます。
それが展示物の一番最初にあって、
ゲームの中に出てきたキャラクターたちの考え方をちょっと説明した展示パネルみたいなものが展示されているのと、
そのバックグラウンドを学ぼうと思った時に、読んでみたらいい本っていうのをキュレーションして書籍をたくさん置いてっていうので、
ゲームボーイと展示物と書籍のキュレーションがあるみたいな展示をやりました。
あとあれだよね、肝入りの図というか。
肉食4証言。
肉食4証言。
なんて言えばいいんでしょう。
肉を食べる人、食べる、食べないのと、
なぜ食べないのか、
自分のその個人的な理由っていうのと、
もっと何だろう、世のためとか社会のためみたいな自分の理由を置いてる人っていうので、
肉食4証言で、肉を食べる人はこういう考え方、食べない人にもこういう考え方、いろんな主義があるっていうのを、
肉食に関する価値観のマッピングみたいなものを一個作りました。
で、実際私たちもすごい勉強してみて思ったんですけど、
なんだろう、ベジタリアンとかよく聞くと思うんですけど、
それって食生活の名前なんですよね。
ある食生活を実践する人の名前であって、価値観の名前ではないんですよね。
確かに、その中にいろんな考え方が混ざっている。
でも、もっとその価値観の方をちゃんと知った方がいいんじゃないかっていうところで、
価値観マッピングみたいなものを作って、実際にはこういう価値観とこういう価値観とこういう価値観が混ざり合って、
ベジタリアンの食生活に行き着くとか、
一人の人間の中にもやっぱりいろんな矛盾する考え方とかが混ざってたりとかもするっていうことを表現したかったかなっていうので。
なんか単純にそれこそ肉を対立的に、
肉食べるっしょみたいなのと、食べるなんてみたいな意見の対応だと、とても紛争っぽい感じがしますけど、
いろんな考え方というか、自分の愛着に基づいてこういう選択をしていますっていう。
っていうやりとりはすごい大事ですよね。
まさにそこのグラデーションというか、パッキリ食べる食べないっていうわけじゃないんだなっていうのをいろんな人に伝えられたらいいなと思って、
そういうものを作っていった中で、だんだん自分も肉を食べなくなっていくという。
すごい。それ結構きっかけとしてあるんですか?
考えたらってこと?いろんなことを。
そうですね。それこそ何週、この5年間の間に食べない時期、食べてる時期、食べない時期、食べてる時期みたいなので、
何週してるんですけど、今また食べないサイクルの時期に転じを通して結構入っていった感じがありますね。
そういう話は割と個人的なことな気もするんですけど、
それこそ4証言作る中で、かやこさん的に食べない理由みたいなのって聞いても大丈夫なのですか?
全然ありがとうございます。全然大丈夫です。
食べない理由は、でもかなり今は個人的ですね。
一番最初、頭で考えてた時は、それこそ牛肉がCO2をすごく出してるとか、
環境問題に畜産が与えてる影響ってすごく大きいっていうようなことを、
狩猟に関わり出してから結構見聞きする機会もすごく増えて、
そこと対比した時にやっぱジビエってわざわざ育ててないので、
CO2を無駄に出してないとか、環境に登ってないとか、そもそも駆除されてて無駄になっちゃってるわけだから、
じゃあ、畜産の肉食べるよりジビエ食べた方がいいよねみたいな、そういうロジックで、
結構ジビエいいなって思って、畜産の肉を避けたりっていうことがあったんですけど、
今は結構自分の身体的な感覚に基づいて食べてない感じがしますね。
身体的な感覚に基づいてっていうのは結構気になるんですけど、それはどういう意味合いなんですか?
お肉を見た時に、それこそプロセスを遡っていった結果、肉が動物に見えるようになってきてるんですよね、すごく。
肉を見ても、生きてた時の動物まですごく想像がリアルにできるように。
逆に飼料に関わって自分でその動物が死ぬところだったりとか見たり、
自分で一緒にさばいたりっていうところをしたら、
なんか逆に肉食べるのって別に普通に自然なことかもっていうふうにも思えたんですよ。
なるほど。
これ当然のことじゃんというか、
なんか食べ物をゲットして、
生きるためにやっているその行為っていうことですよね。
はい、そういうふうにして動物を食べるっていうことは別になんか普通のことというか、
すごいナチュラルなことのようにも感じて、
自分でやったことで逆に食べれるようになったんですね、その時は。
それもわかる気がする、すごく。
っていうのがあったんですけど、
なんかこう何頭も何頭も見ていくうちに、
やっぱりみんなその当たり前なんですけど、
苦しみ方とか声とか暴れ方とかも全員違うし、
なんかそれがこう積み重なっている中で、
なんかこれやっぱり食べていいんだっけなーみたいな気分に最近はまたなってきて、
でさっき言ってたような感覚というか、
ちょっとそのみこみたいな身体感覚みたいなものが、
ちょっとその前と変わってきたっていう感覚があります。
面白いですね、なんかそれってやっぱり前回大輝さんがちょっと言ってくれたかもしれないけど、
ずっとそこにいてやっていかないと多分得られない感覚ですよね、きっと。
僕も解体はさせていただいたこともあるし、
ドキュメンタリー映画で畜産が悪いみたいなのを結構誇張するわけじゃないですけど、
ネットフリックスとかのやつで見たこともやっぱりあるけど、
なんかその単発で体験したり、一回映画で見たとかだけだと、
なんか分かったようで分かんないなっていうのが僕の感覚としてはすごくあって、
なんか豚肉とか鶏肉、もうその本とか命への礼儀っていう本読んで、
いやこれほんとすごいことやってんの、自分で食ってんだなっていうのはやっぱり理解はするけど、
でもやっぱりまだスーパーでも普通に分かっちゃうし、
裏側でやっぱりテキストベースで想像がしきれてないし、
映画で見てもリアル感が得られてないから、
なんかまだ自分の中では何も落ちてないんだけど、
今のかよこさんの話聞くと、何回も何回も鹿を褒めさしするシーンとかを見ることによって、
それが徐々に感覚がまた1回やったのと多分全然違うくなって出るってことですもんね。
そうですね、全然違くなってってますね。
それはすごく感覚的には、何て言うんだろうな、
面白いって言うとちょっと語弊がありそうな気がするのであれなんですけど、
多分そう、何度も何度も経験しないと得られない感覚ってきっとあるんだなって、
今なんか聞いててすごい思いました。
体験程度では多分気づけないところまできっと行ってるんだっていう。
でもなんか分かんないんですね。
他のみんな、漁師のみんなそうなるかって言ったらそうじゃないし、
大臣とは違う感覚だもんね、きっと。
そうですね。
それが多分個別性なんだと思うんですけど、
それこそ身体性と個別性みたいな話で、
何かを需要したときにどういう受け取りをするかっていうのが、
実際はすごい大事なんで。
結構例えば、そこは結構人間の複雑さがより増してるって言うとあれなんですけど、
僕らは別にあざらしとか見てうまそうとは思わないんですけど、
イヌイットの人たちがあざらしを見て、
うまそうなやつ来た!みたいなのがあったりとか。
そういう森で生きる人たちも猿とか見ても、
ご馳走だ!みたいになる映像とかを見ていると。
なんかやっぱ食とそういう動物がそのまま繋がっていたりとかするんだろうなっていうのは、
それもまた別の身体性があるというか。
ちょうど奥田さんが今おっしゃっていただいたことが、
結構この間の展示の入り口になってて、
今、国だったりとか文化だったりとか、
土地土地のフードとかで、
これは食べるのが当たり前な動物と、
食べないのが当たり前な動物っていうのが、
それぞれ違うわけじゃないですか。
そうですね。
そのことを肉食主義と名付けた先生がいて、
なんで、菜食主義という言葉はあるじゃないですか。
これはなんかこう普通の人と違って、
あえて野菜だけを選んで食べる主義の人っていう認識だと思ってると思うんですけど、
それと同様にみんな気づいてないけれども、
あえて動物の肉を好んでとか選んで食べる主義を、
実はみんな持ってるんだっていう。
肉食主義がだから特別なわけじゃなくて、
肉食主義というイデオロギーの中に、
みなさん生きてるんですよみたいな議論を展開してる人がいらっしゃって、
その人の言葉を結構借りて、
園児の唇を切ったっていうのはあります。
結構私はそれ目から鱗というか、
うちらが肉食主義者なのかっていう。
それ僕読んでないんですけど、カーニズムってやつですよね。
カーニズムって名付けられてるのは、
インドの羊を生贄に捧げるカーリーとかから来てるんですか。
そういうわけでもないんですか。
カーニバルとかも多分語源は。
カーニってどこまでかちょっと分からないですけど、
カルネとかイタリア語のカルネとかも多分お肉っていう意味だと思うんですけど、
もともと多分肉っていう意味があって、そっからだと思いますね。
それの展示を通して、
参加された方とか訪れた方のリアクションとか、
もしくは大輝さんとかの感想というか、
感じたことってあるんですか。
あるんですかっていうのもあれですけど、
どんなことを感想でいただいたりしていますか。
なんかまず結構小難しい書き口でもあったし、
ゲームボーイで楽しそうなフリをしてるだけで結構真面目な内容の展示だったので、
どれぐらいの人が見てくれるんだろうっていうのが不安だったんですけど、
すごくたくさんの人が見てくれて、
ほんと1時間とか2時間、
その展示の前で友達と一緒に来てこうあだこだって議論してる人がいたり、
パネルを写真撮っていってくれる人がいたりで、
すごくなんか主義、哲学的な話も結構入ってたと思うので、
難しい内容にもかかわらずすごく多くの人が関心を持ってくれたなっていう。
やっぱ食っていうテーマにみんな関心があるんだなっていうのは、
すごく展示に来るお客さんたちと接しても感じましたかね。
すごく身近なものをこうやって言語的にというか、
ロジックも含めて疑ったことが、
肉を食べるっていうことを疑ったことがなかったっていう、
そこにすごい面白さを感じてくれた人がいたっていうのとかはすごく印象的だったし、
僕個人もこの展示の中で、
やっぱりビーガニズムって面白いなっていうのはすごく感じたこととしてあって、
さっき先生って、かえちゃんが言ってたのはメラニー・ジョイっていう先生なんですけど、
その人の本を読んでいくと、
どうロジックで戦おうとしても肉は食べれないっていう。
そうなんだ。
負ける。
でもでもでもって思うんだけど、
ちゃんと全部論破されていくっていう。
すごい。
食べることへの正当性は負けちゃうってことですか?
肉に関してはないってことですか?
ないです。
なのであくまで自分の主義、
肉を食べたいっていう気持ち、
食べるんだっていう主義で食べてるっていうことがよくわかる本なので、
ぜひ肉が好きな人にも読んでもらいたい本なんですけど、
この中でもすごく初めて知ったなと思ったのが、
動物を食べないっていう選択って、
もっとかわいそうだからみたいな感情にのっとって行われているものだと思ってたんですね。
もしくは環境に負荷がかかるからみたいなものだと思っていたんですけど、
その動物を当たり前に搾取する構造っていうのを、
社会の中に常設でインストールしてるのってどうなんだっていう。
それって種差別的だし、
それはこれまでに歴史の中で黒人を差別してきた、
黒人を搾取してきたとか、
女性から搾取してきたみたいな歴史と全く同じ構造にある。
だから感情的に動物がかわいそうだから食べないっていう話とはまたちょっと違くて、
そういう搾取を前提とした構造の社会から、
われわれ脱さなきゃいけないんだっていうすごく大きな話が展開されている。
どっか行って何か頼むときとかも別のものを頼んでいるみたいなのが、
すごい厳密じゃないですよ、もちろん。
コンソメスープとかベーコン入ってるとかは全然あるんだけど、
じゃあハンバーグ食べるとか、
家にお肉買ってきて食べるってことはなくて、
むしろ海鮮コーナーに行って海鮮を選んで買っているみたいなのがあって、
そのときは結構そうですね、食べなくていけるんだなみたいなのは。
やっぱ個人の中にそれが同居しているっていうのもすごい大事ですよね。
絶対食べる人類、人間じゃなくて、
食べない時期もあるし、食べる時期もあるよねみたいなのが。
そうですね。
なので、基本食べないですけど、
今大輝くんが言ってたのと結構一緒で、
本当にめちゃめちゃ疲れてるときとかは、
さっき言ってた美味しそうに見えないっていう感覚が薄れるんですよ。
めっちゃわかる、それ。
食べたいってむしろ思えるみたいな感覚。
そこまで厳密に僕は魚だけに食べることをしたことがあるわけではないんですけど、
結構長く、肉を選ばなかったわけではないけど、
魚を中心にした食生活みたいなのをしてたときもあったんですけど、
今、北カルイザーの土地に来て、
毎日8時間の肉体労働をするようになった瞬間に、
毎日肉食べたいってすごい思うようになって、
エネルギーの塊なんでしょうね、きっと。
そこも、今までそこまで思ったことなかったけど、
肉食いたいってめっちゃ思うようになってて、今。
習慣化されてるんですね。
欲求的に、人の体調とか状態によっても、
すごくその辺と違いってあるんじゃないかなって。
最終民族が肉食ってたのも、長くエネルギーを蓄えられるから
食ってたんじゃないかって思うし、やっぱり。
そうですよね。
いろんな感想があるなって思いましたけど、
本当答え出ないよね、これね。
もうずっともやもやしてますね。
そういう話と、結構最初に言ってた仮想空間じゃないけど、
仮想空間的な感覚とか、地に足がついてないっていうことは、
リンクしているんですか?
ちょっと別のレイヤーで考えていい?
リンクしているのかな?どうなんだろう。
仮想現実にいるからこそ、そこが分かりづらくなるって言われると、
結構そうなのかなって感じあるじゃないですか。
例えば、土から遠いからこそ、命の存在を感じづらくて、
肉は肉として存在して、
ゲームの、モンスターを倒したら肉変として。
肉になって出てくる。
そうするみたいなことも含めて、なんとなくその接続がないっていうことから、
そこがつながるんだからこそ、
そういう食とか、肉食に対しても同時につながってきているのかなみたいな。
そうですね。確かに。そう言われてみたらそうかもしれないです。
だし、多分、自然界のものって全部アナログじゃないですか。
やっぱり仮想世界に落とし込むと解像度が下がるわけですよね。
さっきのゲームの話じゃないけど、すごい解像度下がった状態で受け取ってて、
がゆえに抜け落ちている情報とか見なくて済んでいるものみたいなのが多分たくさんあって、
そこで多分、仮想世界とそうじゃない世界をつなぐものって、
自分の多分体だと思うんですよ。
自分の体を生かすために絶対全生き物がやらなきゃいけないことが何かを食べるっていうことだと思うので、
食べ物から考えると、仮想世界からリアルな方向に考えやすくなるのかなっていうのを思いました。
生きるために必要なものだからっていうのはあるかもね、確かに。
いや、おもろいな、なんか。
物理世界との接点ってことね、食べ物が。
そうそう、物理世界と。
物理的にね。
だからみんな、展示もすごいよく見てくれた人たちがいたのは、
多分肉を食べない人がほとんどいないから、
関係あることだって多分思ってくれたんじゃないかなっていうふうに思いますし、
なんか結構みんなこう考えたい、考えたいというかちょっとその、
なんで肉食べるのっていうことを問われると、
多分若干心がザワザワするというか、
そうですね。
ザワってする感覚がきっとみんなにあって、
だからこそ引っかかりが生まれたのかなっていう。
そうですね、確かにムキになるようなところもありますしね。
ほんとそうなんですよね。