その自然資本を生かしていくためには、こういうふうに考えていくことが大事なんじゃないかみたいな、順序立てが必要だと気づいたときに、もうめちゃめちゃ大幅に書き直しというか。
いやそうだよね、確かに。だってね、何ページの本書きになるのかはちょっとわかんないけど、一冊を通してどうメッセージ使っていくのかってめちゃくちゃむずいよね。
いやほんとそうなのよ。だからそれに気がついて、しかも読み直すのにもう数万字また読み直さないといけないじゃないですか。
ですね。
だからもう一貫性あんのかなとか、すげーどんどんわかんなくなってきて。
でもその辺やるのが編集者じゃないの?本当は。
まあそうかもしれないけど、でもやっぱり編集者さんもそんなに作家さん一人一人にそんなにコミットできないじゃないですか。
まあまあいっぱい持ってるとね。
だし、言ったら僕なんて一番こう、新人というかね、ぺいぺいだから、まずは書いてみてくださいっていうことだと思うんですけど、
確かに。
だからそれで下手なもん出せないじゃないですか。
そうですね、もう訳わかんねえなって思われるとちょっと大変だよね。
そうそう、あらーみたいな、直し大変ですねーみたいになったらもう立ち直れないからさ。
そうですね。
っていうのでゴールデンウィーク中めっちゃ書いてたんですよね。
うーん、なるほど。
でもそれすげー楽しくて、なんか文章書くの楽しいなーと思って、
それが楽しすぎて5月のその2週目ぐらいまで引きずってたんですよ。
あーその楽しさを。
楽しさというか、もうちょい直したいみたいな。
文章本当に直す作業ね。
そうそうそう。夜ほんと僕、マジでファミレス行きすぎて、
いつもいるスタッフさんがいるんですよ、お店に。
ホッタさんっていうおばちゃんが。
はいはい。
マジで本書けたらホッタさんにプレゼントしたい。
毎回いるなあいつって絶対思ってるでしょ。
そう、毎回いるなあだし、いつも優しいんですけど。
そうなんだ。
そうなんですよ。僕が11時過ぎぐらいに帰ろうとすると、
今日早いんですねって言われて、もう早いんですかみたいな感じで。
すげーな。
お仕事頑張ってますねみたいな感じのニュアンス。
だからすごいありがたくて。
そうですね、そうやって見守っててくれると。
別の、結構ファミレスをはしごしてるんですけど、
別のファミレスだとちょっと迷惑かけてませんよみたいな。
奥田さん側がね。
そうそうそう、感じしてるんですよね。
なるほどなるほど。
その本が書いてて楽しいから書いちゃってたら、
普通の仕事の方もやんなきゃいけない。
両立がほんと難しくて。
だからやっぱり一気にやっていかないと、
ペース乱れるというかやっぱり難しい。
集中力というかね。
とかこれについて書いてるとか忘れちゃうじゃないですか。
まあそうですよね。
だから一気に書く場合はほんと一気にやるしか。
会社員とかだったらまだ夜の時間に書くとかが切り替えられると思うんですけど、
むしろ昼打ち合わせ、夜処理みたいな感じだから。
でさあそこから書くかの体力がないんですよ。
なるほど、まあ確かにね。
そうだから連休中めっちゃ楽しくて、
すげえよかったんで皆さんぜひ楽しみにしてほしいなと思うんですけど。
それはいつ頃あれなんですか。
順調にいけばいつ頃。
いつなんだろう、秋ぐらいじゃないかなと思ってるんですけどね。
来週打ち合わせがあって、そこで相談するのかなって想像してます。
なるほど、それはヤマトワのこと書いてるっていう感じ、中心としては。
えっとなんだっけな、
森林ディレクターとしての視点っていうのを中心にしながら、
ヤマトワでやってることを事例として紹介するみたいな感じの立て付け。
なのでヤマトワの創業物語とかでは全くなくて。
じゃあどっちかというと森の見立てをどう変えていくのかっていう話の中で出てくるっていう感じなんですね。
そうそう、まさに。
そこにフィンランドの林業が先進国として取り扱われてるけど、
日本の先進性について目を向けた方がいいんじゃないかみたいな話とかいろいろ書いてて。
それで書くことですごい頭まとまったのと、ちょっと足りないとこ調べたりしてて。
そういう意味でやっぱいいですよね。
そうでしょうね。何万字書いてるのかちょっとわかんないけど。
ノートで1記事書くのと全然違うからね。
そうそう、でもノートの気持ちになっちゃうね最初。
書き始めというかね。
直し始めてクオリティが上がっていったんですけど、
なんていうんだろう、書いててこれについて詳しく書こうとすると文字数が増えるなっていうのと、
構造的に書こうとすると結構難しいなっていうのが思い浮かんじゃうと、
結構飛ばしたり簡単に書いちゃったりしてて、面白くないことになってたりするんですよ。
そうなんだ。
そこが何ていうんですか、その作業量が見えるって多分いろんなことをやっていくとそうなるじゃないですか。
これ多分こんぐらい時間かかるなとか、これをやろうと思ったら2時間かかるなとかっていうのって、
物作りでも企画でも何でもそうだと思うんですけど、文章においてもこの道に行くと時間かかるみたいなのが見えちゃうから、
それをショートカットしようとして結局遠回りになる人も。
そうだよね、全体が長いからね。
やってた。
なるほど、大変そう。
でもそうか、そう考えると今は書籍の方も書いてて、シーズではマガジン作ってみたいな感じで。
そうですよ、シーズマガジンもようやく販売開始して。
めっちゃ面白かったです。
読んでくださってありがとうございます。
いやいや、あれも結構長くかかって、取材があちこち取材して書かれてる感じだったから、あれはあれでまとめるのも大変だったろうなっていうふうに思うけど、
でも書籍を作るのとはまた全然違いますもんね。
全然違う。
そうだよね、しかも自分で書いてるわけじゃないパターンもね。
一応シーズマガジン編集長っていう肩書になってるけどさ、皆さんが一緒に取材行って、僕はどっちかというとインタビュアーをやって、一緒に行ってるメンバーが書いて、それを確認してみたいな感じだったんですよ。
なので、しかも雑誌一冊の中でいろんな意見があるから面白いみたいなところもあるじゃないですか。
そうですね、確かに。
だからなんか一貫性、個人の主張の一貫性とかじゃなくていいから、すごくその素材が集まってくると何とか形になってくるみたいなのがマガジンなんで。
うん、なるほどね、確かにね。なんか一つの方向性はある程度あるもののまとまりきる必要はないっていうところですもんね。
多分そうだと思うんですよね。やっぱり雑誌ってそれが良さであったりとか、脈絡があるようでなかったりないようであったりするっていうのが、どっからでも読める面白さだと思うんですけど。
まあそれでヒップシーズマガジンは割とテーマに沿った雑誌になってるんですけど、それでもなんか全国一緒に旅するような感覚でスケールについて考えようみたいな感じだったから。
そっちの方がやっぱり構成もしやすいし、みんなでチームでやるぞみたいな感じだったんで、すごい良かったです。孤独で。
確かに確かに。読み終わって思ったけど、やっぱり初めから多分読んだ方がシーズマガジンは多分すんなり入ってきそう。
うんうん、確かに確かに。
うん、その、まあ旅してるっていうところももちろんあるんだけど、内容の作り方とかも頭から読んでった方が、なんだろうね、考え方とかがいろいろスムーズにインプットされていくっていう感覚はあるかもしれないですね。
シーズマガジンはまさにちょっとそういう本っぽさがあるよね。
そうそう、一個一個もちろんね、語っている方も別々だし、全然内容も違うんだけど、それでもそういうところはあるかもしれない。
結構多分取材の順番も近いんですよ。台割りの、目次の順番と取材順も、全部がそうじゃないけど結構つながってるから、自分たちのアップデートがちゃんと反映されていくっていうのはあるよね。
なるほど。
いや、そうなのよね。なのでちょっとだいぶ、僕は何屋さんなんでしたっけ?
今日、書籍の話しかしてないからね。
そうですね。でもそれも自伝子本とデザインについての本を今書いてるんで、なんかそうですね、たくさんの人に読んでほしいし、その中で誰かのヒントとか行動の助けになったらいいなっていうのをめっちゃ思ってて。
はい。
僕も20代の時に、今思い浮かべても3冊ぐらいの本がキーになっているというか。
そういうのあるんですね。
そうなんですよ。考え方とかの点で、わりとこの3冊にめっちゃ救われたなみたいなの、わりとあるんですけど。
へー。
そういう本になりたいというのはおこがましいとしても。
はい。
なんかそうやって、自伝子本と一緒に生きるってありえるんだなみたいなのとか、わりとの仕事のあり方って結構考えられそうじゃんみたいなのが、何人かでも繋がっていくとめっちゃ嬉しいなと思って。
いやーそうですよね。あとはいつも言ってるけどね、それで実際自分は何したらいいんだっけ問題がね、あとは出てくるし、どう行動したらいいかのところにどう紐づいていくかがきっと重要だから、その場作りをしていかないといけないんでしょうね、でも実際は。
確かに。
いやこれ難しいですよね、なんか制度とか政治の話になると、もうお手上げ?
自分たちがコントロールできる領域じゃないところですね。
そうそうそう。で、じゃあその自分たちができる範囲でやることにどれぐらい意味があるんだろうみたいに思ってしまうっていうのはすごい理解が、理解するというかわかるっていう感じなんですけど。
うん。
いやでもそうだよな、なんか考えてると不思議な気持ちになりますよね。毎回思うけど、もうあのウルフルズの明日があるさじゃないですけど、どうして俺は頑張ってるんだろうっていうこともありますよね。
まあまあ確かにね、世の中はよくしたいものの。
あれ何でだっけみたいな。面白いからかみたいな感じだと思うんですけど。
まあそうですよね。最終的には多分やっぱりそこが重要じゃないですか、面白いからっていうところと、あとは多分自分のためっていう、他人軸にならないっていうか、人のためになることも多分めっちゃ重要だと思うんですけど。
自分がどう思えるかみたいなところとか、自分ができるのかみたいなところが結構重要な気がしてるんですよね。
いやめっちゃそうですね。いやそれみんなに届くといいな、それ。なんか考え込めば考え込むほどわからなくなりそうな問いなんですよね。
うん。
そういう自然と共にみたいなやつとかって。で、僕そのちょっと最近思ってることがあって、なんかヨーロッパで、例えばエコの話とかでさ、環境に配慮した暮らしっていうのが、
海外ではむしろこう、自分たちの暮らしを良くするものであるっていうふうに答えるアンケートが多くて、アンケートで答える人が多くて、で日本だとエコとか環境保全みたいなのはむしろ我慢とか不便とか、
そういうふうに思うみたいなのが、あのエモリセータさんとかが、よく気候変動の講演とかでしてたんですよ。
あーそうなんですね。アンケート調査した結果がそういうふうに出てるってことですよね。
だからそういう環境配慮型の暮らしとかってどう思いますかみたいなのをアンケートしたときに、欧米ではヨーロッパではそれは自分たちの未来を良くするものでむしろその快適性をつくるものであるみたいな回答をするのに対して、
日本では何割だったか忘れちゃったけど6、7割の人たちがむしろ不便我慢を強いられるものであるみたいな、そこの考え方を変えていくの大事ですよねみたいな話をしてくれてたんですよ。
でそれを結構たくさんのそういう環境に対する環境のことをやってる人たちは聞いていて、で日本人ってなんでそうなんだろうみたいな感じの感想というかそれを引用して、
普通の会話の中でその話をする人とか、ディスカッションの中でその話を持ち出す人結構その時多くて。
そうなんだ。 多くてって言ってもそんな大したことじゃないけどね。
でまぁその時は本当そうだねみたいななんか環境に良いことみたいなのを不便なものじゃなくて楽しいものに変えるにはどうしたらいいんでしょうねみたいな議論が結構あって、
それはなんかその時納得感あるしあったけど、最近あの思っているのがなんか自然に対する感覚の話なんですけど、
あのコテンのさ深井さんが弥和坂を書いた井上新平さんって元ニュースピックスの編集長の人と対談してるやつを見てて、
日本人、明治以降に日本に個人とか人権っていう感覚が海外からもたらされたけど、結局僕なんか日本人にとって個人っていうのは半分ぐらいしかインストールされてないっていう話をしてたんですよ。
もともと家族のつながりみたいなのが強く、中断みたいなのが強いからってこと?
まあ多分それもあるし、東洋哲学とかのその新明Pのさ、自分なんてないからっていう本がバカ売りしてるんですけど。
僕その本は存じ上げませんでした。
これだから東洋哲学でそのブッダが何言ってたかみたいな話のことを東大卒業にとか考えたら、なんか自分なんてありませんでしたみたいな。
でもその、そういう教えじゃないですか。どこまでが自分で、どこからが世界なのかっていうのが、自分が思い込んでるだけで、じゃあこの服は自分なのかとか、石に座った時に石は他人なのかみたいなことを東洋哲学ってずっと問いかけているわけじゃないですか。
そうなると確かにどちらかというと個人と社会っていうのを切り分けるっていうよりは、一体感、一体化するみたいな話だと思ってて。
で、なんかその時に大事なのが、個人、英語で入ってきた、外国語で入ってきた言葉を日本語に翻訳して個人とか人権みたいなことを当てていった時に、ネイティブじゃないからちゃんとは理解できないみたいなのが。
ありそうですね、それは確かに。
あると思うんですよ。
うん、そうだから、自面では意味はわかるけど、感覚としてのニュアンスはそのカルチャーがそもそもそこにないから、理解しているわけじゃないってことだよね。
そうそう、で、しかもさ、なんて言うんだろう、フランス革命で、フランス人っていうか、欧米の人たち、ヨーロッパの人たちは人権を獲得してるじゃないですか。
そうですね。
そう、虐げられてきた奴隷から、奴隷的なものから、いや俺たちだって人間なんですけどっていうことを勝ち取る歴史があるからこそ、人権に対するこう、なんだろう、深い理解とか感謝みたいなのが多分あって。
うん。
で、それをなんか僕たちは頭で人権大事だねっていうのを言ってるし、僕らも個人個人の人間として、そのプライバシーとかプライベートとか、そういうことがあるんだけど、頭ではわかるし大事だねと思うんだけど、体には半分ぐらいしかインストールされないっていうのが、めっちゃそうかもって思ったんですよね。
なるほどなるほど。
で、そうやって考えた時に、東洋の自然観と西洋の自然観ってそもそもめちゃめちゃ違うじゃないですか。
うん、だからどういうふうに違うのかちょっと僕はいまいちわかんないけど、西洋の自然観ってどういう感じなんですか?
えっとね、多分征服的なものだと思うと言うと怒られるかもしれないけど、自然はこうコントロールできるみたいな、コントロールできるのはちょっと言い過ぎかもしれないですけど、
例えばフィンランドとかデンマークで、対話が文化として根付いているのはなぜかみたいな話を聞いた時に、心理的安全性の話をしてくれたんですけど、その心理的安全性を持って人と人が接することが大事だみたいな話の時に、
で、北欧的ワイド家具とかの国でもあると思うんですけど、地震がないんですよね、地震、壊れない、地震がないし、あと熊みたいな人命を脅かす危険動物がいないっていうのを言ってて、
え?そうなんですか?
うーんって言ってた。
意外?
北極圏も行ったら北極熊いるかもしれないけど、
だから一番怖いのって多分人間なんですよ、バイキングの世界じゃないですか、海賊だし、隣はソビエト連邦だし、みたいな感じで、
確かにね。
だから自然が脅威っていうよりは人間が脅威だったんだと思うんですよ。
うーん、なるほど。
それに対して日本とか東洋って自然がめちゃめちゃ脅威?
うん、そうですね。
毒ある虫もいるし、狼みたいなやつは熊みたいなやつもいれば、自然の征服力じゃないですけど、植物とかが生えてくる速度が異常に速いみたいな感じで、
買っても買っても草がなくならないっていう中で、そもそも多分日本人は自然が怖いんじゃないかって思い出したんですよ、最近。
でもそういうところから多分山岳の信仰とか、そういうのもあれも原因であり、脅威を肌で感じたりしているから生まれているものですよね、多分。
恐れとか異布とか、祈りとか信仰とか、もう人間の力はどうしようもないから、願うとかその態度として表すみたいなことが大事だと思うんですけど、
だからなんかこれはめっちゃ仮説なので、あまりそれ違うだろうみたいな言わないでほしいんですけど、聞いてくださってよかったら、自然が怖いからこそ環境を守ろうって言った時に、
なんか環境を守るって何みたいな、その人間を守ろうじゃないのっていう感覚が根付いていて、だから自然を守るっていうよりは自然の方が圧倒的に強くて人間の方が弱いから、守るってことが馴染まないみたいなのがあるんじゃないかみたいなちょっと思い始めて、