1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #302 哲学書?それとも海外旅..
2025-03-23 42:13

#302 哲学書?それとも海外旅行記?和辻哲郎の『風土』入門

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回のエピソードでは、和辻哲郎の著書『風土』を通して自然と人間の関係性が探求されます。モンスーン型、砂漠型、牧場型という三つの風土のパターンについて考察が行われ、それぞれの特徴や人間の生活への影響が議論されます。『風土』において、湿潤な風土や砂漠型、牧場型の環境が人間の生活や社会構造に与える影響が考察されています。特に、さまざまな風土条件において人間の性質や文化的背景が探求され、哲学的な視点から理解が深まります。和辻哲郎の『風土』の考察を通じて、地理的条件が人間や文化に与える影響が深く掘り下げられます。モンスーン、砂漠、牧場など異なる環境における人間の在り方や社会構造が探求され、文化人類学的な視点から新たな理解が促進されます。自然環境と人間の関係についての考察を通じて、理解が深まることが目的とされるエピソードです。

和辻哲郎と『風土』の導入
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回から日本の哲学者和辻哲郎さんということで、今回から具体的な中身に入っていくというところでした。
そうですね。前回、第1回でこんな人ってあれですよとかっておっしゃったと思うんですけれども、
和辻さんは30代半ばとかで、海外というかヨーロッパに留学に行ってるんですよ。
その時にあちこちをいろいろ回った経験を元に書かれたのが、何回か最初に書かれた『風土』っていう本なんですよね。
ああ、はいはい。前回言ってたもんね。和辻哲郎といえば、風土でしょ、みたいなイメージがあるんだけど。
結構この本は賛否両論というかもいろいろあるんですけれども、この本の中でもある種わかりやすい話というか、
逆に哲学だとわかりやすい話を書くとすごい日が多くなるっていうか、本当にそんな簡単に分けられるの?とかさ、
本当にそんなスッキリするんだっけ?とかって言われがちなんだけども。
なるほどなるほど。
ここから入っていった方が和辻哲郎さんがどういうことを考えたのかとか、どんなことを主張しようとするのかっていうところが見やすくなるかなと思ったんで。
今日はある種わかりやすい話っていうのをぜひしていきたいなと思っておりますよと。
なるほどだし、素人が聞いててもさ、風土の哲学ですって言われてもさ、全くピンとこない。
そうだよね。
前回の空気修造さんもそうだったけど、息の構造って言われて息と哲学って思ったけれども、もしそういう話になるのかなっていう期待はしながらって感じかな、今のところ。
哲学チックなところはまた少し次回になっちゃうかもなんだけれども、風土っていうもので何を言おうとしたかどういうことを考えたりしたかというところは今回お伝えできるかなとは思っていますと。
松井さんがですね、この風土っていう本の中で書いてることの一つに、この風土っていうのは3つのパターンというか、そういうのに分けて、かつそこに生きる人間について考えてみましょうっていうふうな話があるんですよ。
もちろんそもそもじゃあなんでこの風土について書こうと思ったのか、そのきっかけみたいなところはあるんですけれども。
確かに確かに。
ちょっとそれ次回に回させていただいて。
そういう順番でいいんだ。
より具体的に書いてるんで、その具体から入って、じゃあなんでそもそもこんなこと言わなきゃいけなかったんだっけっていうのはちょっと種明かし編じゃないけど。
ちょっといつもとは違う構成で、今回台本作ってみましたよと。
風土の三つの型
ここで重要なのは、風土って言われると、いわゆる自然とか環境みたいな、そういうふうなイメージの言葉だと思うんですけど、
そういう自然のことだけじゃなくて、そこにある人間とかそこにいる人間っていうのはセットで考えてるんだよね。
実は風土っていう本なんだけど、サブタイトルみたいなのがあって、ここに人間学的考察って書いてるんですよ。
人間学。
人間学。
自然って、それこそ理科とか地理科とか、そういうのでも分析できると思うんだけど、
この風土って、あくまでも人間の立場とか、人間ってものと切り離さずに考えていきますよっていうのが、この本の。
あとはわっつりさんがやろうとしてることなんだよね。
今、兄貴が生態系って言ってくれたんだけど、動植物とも関わってはくるんだけど、あくまでも人間と関わる限りでの動物とか植物みたいな感じなんだよね。
なるほど。人間も含めた生態系とかって言い始めると、さっきの地理とか理科とか、そういう自然哲学側になっちゃう可能性があるってことね、イメージ的に。
自然科学かな、どっちかっていうと。
なので、ちょっとすき取りなんだけど、ある種、何か風土とか自然っていうものを客観的に分析しますじゃなくて、
あくまでもその地理とか風土とそこに生きる人間っていうものを、一元的に言ったらちょっと言葉が荒れになっちゃうんだけど、
そういうスタンスで考えていきましょうっていう話なんだよね。
うん、なるほど、わかりました。確かに、いきなりそれをやりたかったって言われてもイメージ湧かないから、先に話を聞いた方がっていうのはその通りかもね、確かに。
分かりにくくて、その風土について考えますっていうと、気候条件がとか、地理の土地の状況がとかって、そっちにどうしても頭とか目が行っちゃうんだけど、そうじゃないよっていう話なんだよね。
なるほど、わかりました。確かにこれいつもこの哲学というかさ、それ哲ラジオでも最初に何かいろいろ教えてよっていうかさ、
この人は結局何やったのとか、何のためにみたいなとこ、最初に教えてよみたいな話するけど、結局それを最初に聞いてもわからないっていうのは、この哲学ならではのあるあるな感じがするよね。
ある程度聞いてからじゃないと、そういうことだったのかっていうふうに理解しないと、特に仕事はつながらないっていうね。
本当にあるあるなんだけど、やっぱり世界観とか人間観がさ、その哲学者の人は、行っちゃった後の世界観で書いてるからさ。
はいはい。
もちろんね。だから普通の僕らの世界観で見たときに、何かがわかんないなとかさ、何かを使いあって、どうしてもなっちゃうんだよね。
なるほどね。各方はだいぶ歩み寄ってる、なんだろうな。
そう、歩み寄ってくれてる。
歩み寄ってくれてるつもりなんだろうけどっていうね。
そうそうそうそう。
はい、なので、その意味では若干今日は誤解も含むかもしれないんだけど、一旦その3つにフードを分けましたっていうパターンの方の話をしたいんですよと。
うんうんうん。
で、これかなり具体的で、どんなパターンがあるかっていうとね、モンスーン型、砂漠型、牧場型っていう3つがあるんですよ。
へー、はいはい。
砂漠と牧場はわかるじゃない。
うん。
で、モンスーンもね、チリの勉強とか天気とかで聞いたことある方もいるかもしれないんですけれども、
いわゆる季節風みたいなやつですよね。
そうそうそう。
編成風で流れてる時に、それによって、いわゆる地域的に東アジア、インドとか中国、日本まで含むんだけれども、
そういう地域のことを指して、モンスーン型のフードだ、みたいなことを言ったりしますと。
はいはいはい。
この本編で言うと、結構地理的では地域とかそういう地域ごとにする特徴を分けて考えてます、というようなことなんだけど。
うん。
どんな特徴があっても、この後ちゃんと話してくるんですけど、
例えばすごいわかりやすく言うと、モンスーン型、インドとか中国、日本とかって、いわゆる雨とか水が多くて湿っぽいみたいな感じなんですよね。
日本の冬なんかまさにそうだと思うんですけど、やっぱりジトジトして、夏も暑いしみたいな。
カラッとした暑さじゃなくて、すごいジメジメジトジトしてるね、みたいなところが、こういうモンスーン型の特徴であると言ったりしてます。
うんうんうん。
さばく方はその逆みたいな感じで、乾いてますよっていうところなんだけど、地域的には西アジアとかアフリカみたいなところで、
ちょっとね、僕はあんまりイメージ湧きにくいんだけど、サウジアラビアとかさ、
あとエジプトとかに、サハラ砂漠とかあるじゃない、アラビア砂漠とか、そういうところのことを指してますと。
はいはいはい。
で、サハラ砂漠とかあるって言ってもさ、もちろん僕も行ったことないんですけど、
アラビア砂漠か、広さとかってイメージ湧くようにさ、
いや、全く湧かないね。
そう、湧かないよね。
調べたんだけど、日本全体の北の土地、それの6倍くらいあるんだって。
へー、なるほどね。すごいね。
とにかく広いところがある種砂に覆われてますみたいな、そういうふうな感じなんだよね。
まあ確かにね、世界地図とかで見ると結構茶色いところあんなーみたいな、
それくらいのイメージだけど、少なくともそういう一つのなんとか砂漠みたいな、
とことんでもそういう広さみたいな。
そういうことですね。
だから本当になんだろうな、ある種、僕らがさ、自然とかって言うと、
木々が生えた山とか川とかを想像しがちだけど、
そういった砂漠地帯の砂漠型の人からすると、本当に砂一色みたいな。
っていうところが、やっぱどうしてもイメージになりますよっていう話なんだよね。
で、つまりこの牧場型っていうのは、これいわゆるヨーロッパみたいな感じなんだけど、
へー、ほいほい。
こっちはね、ある種、夏は乾燥してるけど冬は雨だとか、
結構そういう、モンスーンと砂漠の両方を持ってるよね、みたいな感じなんだよね。
ふんふんふんふん。
なので、ある種根本的には締めっぽいか、乾燥してるかみたいな、そういうところなんだけど、
それの違いから、それぞれの型、3つのパターンで、
当然気候とか条件が違ってももちろんなんだけど、
そこで生きる人たちの特徴とか、なんだろうな、生き方とかも、
結構違うじゃん、とかっていうことを考えるんだよね。
ふんふん、なるほどなるほど。
自然と人間の関わり
もう自分が行ったことある範囲で、なんかだいぶ違うぞ、みたいなものを感じてたってことはね。
そういうことです。
なので、これですね、もちろん今の僕らからすると当たり前というか、
それは違うよねとか、それはどっちどっちによって変わるよねってあると思うんだけども、
当時そういったことをちゃんと目を向けるとか、
ちゃんと自分が行ったことを踏まえて考える人ってやっぱり少なかったという中で、
ロジカルっていうよりは自分が見たこととか感じたことを、
結構直感的に得たところから書いてますよっていうふうに言ってるんだよね。
なるほどなるほど、そっか。
そうした後でそれを哲学的に深掘りしましたよっていう話ってことはね。
そうそうそう、そういう感じです。
はいはいはい。
ぽい。
それぞれどんなふうに行動条件と人間というのが関わるのかっていう話なんだけど、
例えばね、モンスン型、いわゆる日本とかを含む東アジアというところがあるんだけど、
シメっぽいとか蒸し暑いっていうところから、
やっぱりこうある種、動植物がめちゃめちゃ繁栄するよねっていうことを言うんですよ。
これはさっきも言った通り、木が生えてる山とかっていうのはそういうイメージなんだけど、
やっぱり水自体が生命の源でもあるじゃないですか。
そういうときにやっぱり水が多いと当然植物は生い茂るし、
そこで生きていく動物も増えてくるというときに、
ある種この自然の恵みというか、
そういうところからいろんな果物とかもできるしとか、
動物も捕れるしとかっていうことが出てくるんだよね。
ただ一方でこうした自然の恵み、もっと水みたいなものって、
行き過ぎると洪水だったりとか、あと逆に干ばつ。
あとは風、モンスンだから風とかもそうなんだけれども、
台風とかはやっぱり防風域みたいなところがあって、
そういうふうに自然のある種の脅威というか、
人を脅かすものでもあるっていうふうな感じになりますよね。
湿潤な風土の考察
ある種この湿っぽさは表裏一体なんだよね。
湿っぽい水があるから豊かであるともあるんだけど、
水が多いからそれが洪水になって土地が奪われるみたいなものもあったりしたときに、
ある種そこに生きる人たちって、それを受け入れるとか耐え忍ぶしかない?
なるほどね。
レフォートが結構多いから十分だから、それが多すぎると洪水とかちょっとした災害につながりやすいし、
それが足りないと干ばつとか不作というか凶作みたいになっちゃって、
ご飯ないんだけどみたいな、あるはずのご飯がないんだけどみたいなことに振り回されちゃう。
振り回されちゃう。それもある種耐えるしかないというか、そういうもんだよね。
今年凶作だったら来年豊作になることを願うしかないみたいな。
結構そういうふうなスタンスになっちゃうようなことを考えるんだよね。
もちろん文明が発展するごとに、川を地製工事しようとか、田んぼを守ろうとかってあるんだけれども、
それは完全に分布できるわけじゃないし、あくまでも人々はその自然の恵みの一部をいただいて、
暮らしていきましょう。洪水とかそういう災害があったときも、でもなんとかなるでしょみたいな感じの、
ある種の楽観的なやつだけど、ちょっと耐えしのぶみたいな。そういうふうな感じになるんで、
この門前型の風土に対して、松井さんはそこに生きる人間っていうのは、需要的には受け入れる。
需要するってことと、あとは人獣って耐えしのぶ。
人獣的な構造の下に生きるんだよっていうふうに考えるんだよね。
なるほど。
こんなふうに、気候っていうのはある種風土の一部なんだけれども、そういうところに人間のあり方、基本的な性質みたいなものを対応させて、
こんな人間になりやすいよねとか。あとは、そういうところでいくと、さっき兄貴が言ってくれたみたいに、
農業が発達するよねとか、そこからある種、宗教的にも、神様に捧げ物をして、そこから見返りを得ようみたいな、
そういう宗教とか、神様との関係が支援しやすいよねってことを考えてるんだよね。
なるほどね。日本古代だったりとか、インドの古代とか、やったもんね、確かにね。
神様と仲良しだみたいな。そういうところが単純に、人の違いだけじゃなくて、地理的な条件とか、
ここでフードっていうものが影響してますよっていうことを、こういうふうに語っていきますと、この本に書かれてることも一つなんですよ。
砂漠型の人間関係
なんとなくイメージワークかな。フードっていうことは、そんなことが書かれてるのね、みたいな。
そうだし、ここまでだとね、結構聞く話、それこそ東北の人は、日本の中でも寒いところと暖かいところで違うじゃんみたいな、
そういう話なのかな、もしくはそういう話の源流なのかな、みたいなイメージで聞いてるかな。
そうですね。全然そういうイメージで聞いてもらえればなっていうところと、あと今日は砂漠型と牧場型が何かって話をしてくるんだけど、
まさに前に兄貴が言った通りで、「わかるけどね、でもこれって哲学なのかな?」みたいなこととかさ、
わかるけどね、これって本当なのかな?みたいなところを、たぶん疑われると思うんだよね、今日の話って。
まあ、そうだね。それこそマルコポーロとかさ、日本に行ってさ、「日本ってこういうとこだったよー。」みたいな話をするわけじゃん。
そういうのと同じ、旅行機みたいなさ、ある意味。哲学なのかね?みたいなね。そういう話かな、そういう感じがするね。
OKです。全然その感覚は砂漠で今日も聞いてもらっていいかなとは思っております。
続けて砂漠型に行くんですけど、さっき言った通り、乾燥してる、乾いてるっていうのが特徴でしたよね。
本当にどこまでも続く、日本の6名くらいある敷地が全部砂みたいな、そういうふうなイメージなんだけど、
これはね、門前型に比べると当然水って貴重だし、動植物が少ないですよね。
そうすると、やっぱこのフード、こういった砂漠型に生きる人っていうのは、
ある種、自然って恵みをもたらすものっていうよりは、本当に死のイメージ、死に直面するイメージ。
はいはいはいはい。
本当に厳しさだよね。
ところと戦って生きなきゃいけないし、あとそれは環境だけじゃなくて、
当然資源だよね。水とかさ、あとは住める土地とかっていうところも当然削げられてるわけで、
そうなると人間同士も争い始めますよね。
そうなると結局、当然一人では力では勝てないわけで、
そうなると共同体というか、ある種かなり強い絆とか、
忠誠心とかっていうものを基礎にする共同体が生まれていくよねっていうことを考えるんだよね。
ほうほうほうほう。
これが部族みたいなイメージなんだけど、
これ漫画、イメージわからない皆さん、おとよめがたりっていう漫画があるんだけど、兄貴知ってる?
え、知らない。
知らないかな。結構有名だと思うんだけどな。人気なんだけどな。
へー。
これがまさに、砂漠ではないんだけど、モンゴルとかなのかな?
遊牧民みたいな生活を描いてる漫画があって、
そこで行くと、本当にこういわゆる遊牧民、ヤギとかって暮らしてますよっていうような人たちが、
でも結婚すると、もう我々はやっぱり共同体だみたいな。
血縁関係で強固な器材になったりとか。
そういうところが、もちろん日本とかでもあると思うんですけれども、
より強固だよねっていうのは、この砂漠型だっていうのがこの漢字のイメージなんだよね。
ほうほうほうほう。
その意味で言うと、さっきのストーリー、自然とも戦うよねとか、人間同士も争うよねとかっていう意味で、
おついちさんからすると、この砂漠型、普段生きる人たちっていうのは、まず戦闘的、戦うっていう話と、
あとは服従的。要は裏切りとかっていうことをしないためにも、やっぱり忠誠心とか忠義とか。
忠義はちょっと違うか。義っていうものはちょっと日本っぽすぎるから。
もうちょっと、勝てないから従わざるを得ないみたいな感じになりそうだよね、イメージとして。
尽くしますっていうよりは。
生きていくためには従わなきゃいけないとか、利害関係の中でみんなで生きていかなきゃいけないみたいな。
そこそこ服従か歯科みたいなこと言われそうだよね。戦って負けそうになった時に。
あると思う。そういうふうなスタンスっていうものが自然に育まれていきますよね。
なるほどね。そういうフィールドってことね。
これもあくまでもワツイさんが考えたとか、日本で暮らしてきたワツイさんがたまたま砂漠だった人たちと触れ合ったりとか、そういうフィールドを見た時に考えたっていう話なんだよね。
牧場型の合理的思考
全員調査しましたなのか、そういうよりはどっちかというと、すごく興味を持っていろんな人と関わった中でぐらいのイメージってことかな。
全員見ましたみたいな感じじゃないよね。
そうではない。
最後は牧場型。これがヨーロッパとお伝えしたんですけれども、
今のヨーロッパは町並みも発展してるとか都会でとかってことじゃなくて、
もうちょっと前、これもイメージの世界になっちゃうと思うんだけど、
広い床があって、アルプスの少女ハイジみたいな感じで、羊とかがのんびり草をはんでますみたいな。
なるほど。
そういうのはあると思うんですけど、
なんでヨーロッパで牧場とか羊とかが発展するかっていうと、
これも気候的な影響があるって考えていて、
ヨーロッパって夏は乾燥して冬は雨が降るっていう風な方が多いらしいんですけど、
要は雑草が育ちにくいんだって。
へー、そうなんだ。
日本だと夏も雨バンバン降るから、いろんな植物が生えちゃうよね。
黙っててもね。
逆に言うと人間が通用したい植物が雑草にやられちゃって、
そうならないために稲作とかで常に雑草を抜き続けなきゃいけないとか、
お惣菜をまかなきゃいけないとかっていう風になってくるんだけれども、
ヨーロッパだとこういう風にいろんな植物がとにかくはびこるとかじゃないんだって。
へー、はいはいはい。
なので、もしくは自然と戦うというか、
自然に苦労させられるっていうのが少ないっていう風に考えていて、
そうなると逆に、もっと上手く自然を利用してやろうとか、
自然を人間の管理下に置いてやろうっていう風な発想と馴染んでくるわけっていう風に考えます。
へー、そうなんだ。
あれだね、庭の花壇とかすごい作りやすいのかな。
作りやすいと思う。今なんでも生えちゃうもんね、普通に日本でやってると。
そこの難易度じゃないけど、その雑多感が違うんだね。
そうそうそう。
っていう風なことがあるので、あとさっき日本の方でお伝えした通り、
結構洪水とか台風みたいなのがあるって言ってたんですけど、
ヨーロッパってそういうのも少ないじゃないですか、地震とかもあんまないし。
っていう時に、自然の変化が穏やかであるっていうことは、
逆に言うと、それをちゃんと予測をして、規則とか法則を発見して、
ちゃんとコントロールしてやろうみたいな。
へー、はいはいはい。
そういう風なものにつながりますね。
これが私たちに言わせると、ヨーロッパの自然科学というか、
対象を観察して、自分たちの思い通りにしていく。
そういう風な発想につながっていくんだよね。
せめて合理的な思考が育まりやすいんだっていうことを考えます。
なるほど、法則性とかそういうのが結構わかりやすいみたいな感じなのかな。
そうそうそうそう。
さっきのモンスーンとかで言うと、法則なんてないけど、
いつ雨が大降りして、いつやるのかもちろんわかんないしとか。
だって今でも台風の進路なんて、最先端の技術を持ってしても100%なんて無理なんでしょ。
そうね、全然実際違ったとかって今でもあるし。
逆に砂漠とかだと、そもそも変化が少ないとか、一面砂みたいな感じで。
ここの砂があっちに行ったってわかんないもんね。
わかんないからそう。
予測も何もあったもんだねとかっての時に、
この牧場型ヨーロッパでそういう風な思考が育まりやすかったでしょう。
なるほど。
もちろんヨーロッパといったものは広いわけなんだけど、
これは哲学の話なので、例えばギリシャを考えると、
ギリシャとかってヨーロッパの東側にあるんですけれども、
西側とかは白夜とかって言われるみたいに、
結構井戸が高くなると夜が長いとか、光が短いとかってあると思うんですけど、
ギリシャとかってそうじゃなくて、本当にすごい明るい世界なのって。
ちょっとごめん、僕も行ったことがなくてあれなんですけど。
はいはいはいはい。
そういうふうに思ったんですけど。
っていう中でいくと、この和田さんが考えるにはですね、
ギリシャって本当に明るく乾いている。
逆に言うと、影というかそういったものがないときに、
哲学的探求と地理の関連
見えないものを見るみたいなことじゃなくて、
いろんなものを日の光の下に示すというか明らかにする。
見るべきものを見るみたいな、そういうふうな傾向が現れてきたんじゃないかと。
それがまさに、この全てを溶き尽くすとか、
全てを明るみ出すみたいな哲学的な探求心とかに繋がったんじゃないの?
とかっていうふうに考えたりするんだよね。
逆にドイツとかフランスとかで行くと、さっき言ったみたいに、
夜が長いとか、日の光が短いとかってあるときに、
ちょっと暗がりを見に行くしね、
そういうのこっちは文学っぽくなるよね。
人間の内面を見つめるとか、精神とかの働きを大事にするみたいな。
そういうふうな傾向に繋がって、哲学とかもちろんあるんだけど、
そちらは文学作品とか芸術とかが生まれて発展してきたんじゃないか、
とかっていうふうに考えたりするんだよね。
哲学とかは宗教がわかりやすいかなと思うんですけど、
例えばソクラテス以前とかでも言った通り、
イリシャって根源は何?ゲームなわけですよね。
それでいくと、ある種自分たちが見えないものっていうのは今あるんだけど、
それをちゃんと哲学を踏むと全部見えるようになるとか明らかになっていくみたいな、
そういうふうな発想じゃないですか。
そうね。
それはただ人間がいればできるかってそうじゃなくて、
そういう地理的なものとか風土とか、そういうふうな中に生きてるっていうことが、
まさにそういう発想に繋がってくるのって考えるんだよね。
はいはい。そこに生きる人にとってまさに自然な感覚ってことなんだね。
そうそうそうそう。苦労せずに出てくるって感じかな。
無理やり合理的に考えましたとかじゃなくて、
普通に生きてるとそういう発想になってくるんじゃないかって感じだよね。
そういう価値観をもともと持ってるみたいなイメージ。
そうそうそう。育まれてる感じかな。
これさっき話も出ましたけれども、
逆に仏陀以前とかでやったみたいに、ベイダーみたいな時代になると、
人と神様って仲良しというか、
まずは相互交流もあるし、神の恵みをもらって人々は豊かに生きてくるんだけど、
それはある種、人と神様の関係性が近いからっていう感じなんだよね。
これもさっきの自然。
日本の神々って自然を模したものが多いじゃない?
そうだね。
自然との関わり方、そういった豊かな自然っていうものが進化されていくというところにフードの影響があるし。
あー、はいはいはい。
砂漠型でいうと、旧約聖書ができたのがまさにこの砂漠型の、
前でパレッシナのあたりなんですけど、
そういうふうなフードのもとにあるんですよね。
旧約聖書はまだそれでたじらってないですけれども、
この旧約の約って言われる約束の約だって言われてる話があって、
これは神様と人間の契約とか約束ごとなんだよね。
へー、はいはいはい。
これってさっき言ったような服従的というか、
神が作った規則とか約束を人間が守ることで、神との関係が成り立つみたいな感じだとすると、
それも結構フードによるんじゃねっていうことを考えます。
なるほどー、そうかそうか。
なんて言うんだろう、共同体の中で秩序を乱す行為のリスクがめっちゃ高いみたいな感じなのかな。
でも実際そうだと思う。個人に関してもそうだし、
集団に対してはそうやられちゃうと、ちょっともう立ち行かなくなるよみたいな。
だってさ、水がせっかく確保したのにさ、誰か1人が独占しちゃったとかさ、
なんかこぼしちゃったとかあったら、もう一族、部族みんな崩壊するわけじゃない?
そういう話だよね。基本資源が限定的だから。
そうそうそうそう。
そういう感じで、それぞれの神話とか神様の発展みたいなところも、
こういったフードってものとめちゃめちゃ関係があるとかってことだったりするんだよね。
フードと文化の接点
こういうふうに言われると、確かにそういう繋がりもありそうとかって思える気がするんですけど、
こんなふうに仮にこの3つ、モンスーンと砂漠と牧場か、分けたときに、
それぞれに対応するのはやっぱりその人たちの在り方とか、
その文化の在り方とか神話の在り方とかっていうところがいろいろ言えるよねっていうことを言っていくんですよと。
っていうのが千恵さんがこのフードっていう本の中で書いたことの一部なんだけど、
あれでさ、これって分かりやすいって言ったら分かりやすいじゃないですか。
そうだね。なんかどっちかというと民族学、柳田邦夫的な。
そっちの源流なのかなとも思えそうな話だよね。
確かにね、確かに。
そういう比較文化学とか民族学とかってまさにいろいろ並べて違いがあるよねっていう話なんだけれども、
そういうふうな批判って結構いろいろされてるんですよ。
例えばだけど、さっきも何か言ってくれた通りで、
例えば素朴型のフードに住む人って本当に全員がそんな戦闘的なんですかとか復讐してるんですかみたいな。
そういうのもあるし。
あと今回触れられてないけどアメリカとかどうなのよみたいな。
そうだよね。メキシコとかの話聞きたいわーと思って。
サバンナとかね、例えばね。
そうそうそう。っていうときに、それは松井さん言ったことないから言えないだけじゃん。
それはしょうがないよね、でもね。
であったときに、やっぱり欠けてる部分とか足りない部分って当然あるんだよね。
その批判っていうものをある種、専門的な言葉でまとめると、
松井さんのこういう意見って、要はフードが例えばAだと、
モンスーンだと、そこにいる人々は自動的になるみたいな話でいくと、
フードの影響でも人が決まるみたいな、そういう風になっちゃってるじゃないですか。
変数少なすぎるんじゃない?みたいな話でもね。
そうそうそう。変数が少なすぎるし、あとそのいわゆる決定論。
そこに生まれた人はそうならざるを得ないみたいな、
人の自由とか関わり方とかってないんですか?っていう話を受けるんだよね。
要は地理とかフードっていうのはあまりにも人間って決めすぎている。
決定論に陥ってるんじゃないかっていうような批判がされていて。
松井の思想の深探
まあありそうだよね。
それはすごい分かるというか、それはそうだよねって思うんだよね。
こういう話を見たときに。
で、僕もなんとなく松井さんというのを知るときに、
やっぱりこういう3つの類型に分けますよとか、
モンスーンはこうで、サバカーはこうでとかっていうちょっと分かりやすい話から入っちゃったから、
そういうパターン化をした人なのかなって思っちゃってたんだよ。
ああ、そうなんだ。
でも冒頭ちょっとお伝えした通り、実はそんなことはないんだよと。
要は、フードと人間って分けて考えて、
それぞれフードはこうなのに人間はこうっていうふうに言いたかったんじゃなくて、
ある種やっぱ松井さんって西田さんとか口さんと一緒で、
生の哲学というか、
生きている実感の中から哲学を作りたいっていうふうに考えた人なんだよね。
その中で自分のヨーロッパへの留学という経験から、
フードとかもっと空間的なものを手がかりにして、
自分の哲学を作っていこうというふうにしたのが、まさにこのフードという本だったりするので、
ここからいよいよ次回になるんだけれども、
なんでこの松井さんがフードというものを書いたのかとか、
そこにどんな世界観とか人間観があったのかというところを、
今日はかなりぐちゃいのモンスーン砂漠牧場というのをやって、
民族学、哲学っぽくないよねってあったと思うんですけど、
次回はよりこういうことの根底にある松井さんの哲学というか、
思想というものをお伝えすることで、
フードってそういうことをやろうとした本なのねということをお伝えしていきたいというふうに思ってます。
やっとここから先が松井さんみたいな感じだね。
そうですね、ここから先が。
普通に松井さんに接しようとするというか、書いた本とか読もうとするとか、
そういうふうにすると、早藤もさっき言ってたけれども、
やっぱりそこって誤解しやすいの。
何か当たり前のことを言っている人だなぁみたいなふうに思い変えない感じなの。
そうね、思い変えないし、これ多分受験倫理の弊害なんだけど、
松井は何に分けましたかみたいなフーランがあって、
モンスーン型、牧場型、砂漠型みたいなアナログ問題とかで作りやすいと思うんだよね。
なるほど、はいはい。
その奥に松井さんがどんなふうに世界を捉えていたのかとか、
人間とフードの関係はとかっていうところはやっぱりなかなかやらないんですよね。
まあそれはそうだったよね。
じゃあいざフードを読んでみようと思うと、結構いろんなことが書いてるんだけど、
やっぱりなかなかそれもさ、本当にそこまで読む人どこまでいますとか、
読んで理解できますって言うとやっぱりなかなか難しくって。
へー、そうなん?本はどんな感じなの?
結構やっぱりその辺の、松井さんがやったことの前提が分かってないと、
当たり前だなとも読めちゃうし、みたいな本なのか、
それとも全く意味わからんみたいな本になっちゃってるとかあるの?
ねえ、やっぱ難しいだろうな。難しいなっていうか、
例えばね、ちょっとこれ次回の先取りになっちゃうんだけど、
フードっていう本の冒頭で、この本が目指すこととか、
アティさんが何をしようとしたかって書かれてるんですよ。
ちょっと読んでみると、この本が目指すところは、
人間存在の構造形としてのフード性を明らかにすることである。
だからここでは、自然環境がいかに人間生活を規定するかということは問題なのではない。
通例、自然環境と考えているものは、
人間のフード性を具体的地盤として、
そこから対象的に解放され来たってものであるって書いてるんだよね。
全く入ってこないし、しかも唯一入ってきたのは、
人間をフードは全く規定してないよね、みたいな話してたよね。
自然環境がいかに人間生活を規定するかということが問題なのではないって書いてるね。
ではないって言ってるもんね。
そう、ではないって言ってる。
そうなんだ、こういう具体的な話をしながらね。
そうそうそう。
これ早藤間違ってるんじゃないの?持ってくる話間違ったんじゃないの?
いや、違う違う違う。
松井さん、最初にこの話は全然違うよって言ってるのに、わざわざこんな話を持ってきて、
無駄に時間を引き伸ばしてるわけじゃないの?
話数稼ごうとしてない?無駄な話で。
いや、思うじゃない。
思う思う。
自然環境と人間の関係
松井さん、もう第1章でそこから書いてるんだけど、第2章で今みたいな3つのパターンを書いてるんだよね。
はいはいはいはい。
っていう時に、逆に言うと、自然環境が人間生活を規定しないって言われる方が、え?ってなるじゃない。
僕らの感覚からすると。
うん、確かに確かに。
ね。
あー、そっかそっから入っちゃうと、確かにね。
その上でこれ聞かされた時の取ろう感っていうかさ、今何聞かされてんの感がすごいもんね。
確かに。
どういうこと?みたいな。
うんうんうんうん。
なので今日話した話は、松井さんからすると、まさにパターン化したものを聞いてる過ぎてるかっていうか、
松井さん自身が書いてることではあるんだけど、本当に意図したいのは今読んだような、
あくまでも自然と人間と会った時に、それが一方的な関係とか、ある種双方的、要はお互いに影響しちゃってるってことですらなくて、
分けて考えられないとか、あくまでも人間っていうものを通じて、自然とか風土っていうものを捉えるよってことなんだよね。
あー、そういうことを言ってたんだね。ちょっと難しすぎて何にも入ってこなかったんだけど、そういう感じなんだね。
そう、そういう感じ。
それを次以降で説明してくれるみたいな話だね。
そういうとおりです。
そうです。
はいはいはい。
それをいきなりやろうと思うと、もっとギャップがありすぎるというか。
そうだね。
そう思ったし、何度も言うけど、今日言ったような話を松井さんが書いてるのも事実なんだよね。
うーん。
なので、これを読むことで、なんか一般的な話だねとか、民族学っぽいねっていうところから、
でもその根底にある哲学的なこととか思想的なこととかが見やすくなるんじゃないかなっていうふうに思ったんで。
わー、だからYouTubeでさ、松井さん気抜きでさ、これだけあったらさ、松井さんめっちゃ批判されるよねみたいな、そういう話だね、今回。
そうですそうです。はい。
なので、今言ったような話も含めながらなんだけれども、次回ですね、松井さんが本当にやりたかったことは何なのかと。
今日言ったようなことを前座というかね、前段とするときに、いやいやその根底にはもっとこんなことがあるんですよって話をお伝えしていきたいと思ってますという感じですね。
はい、わかりました。では次回ですね、ついに松井さんの哲学を中身ですね、楽しみにしていきたいと思います。では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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