人口に対する感度。
なんか、例えばヨーロッパって、フィンランドって550万人ぐらいだし、
デンマークも500数十万で、みたいな感じで、
結構数百万人台の国々とか、多いじゃないですか。
で、日本みたいに1億何千万いる国ってないですよね。ないはずだと思うんですけど。
で、その500万人ぐらいのフィンランドで、国土面積結構似てるっていうか、
90%ぐらいが、日本の90%ぐらいじゃないですか、フィンランドとか。
そうですね。
で、これどっから話したかもしれないですけど、
長野県みたいな、何々県の県庁所在地、長野市は40何万人いるんですけど、
僕らがいた要縁室っていうところだと、県庁所在地なのに5万人ちょっとしかいなくて、
伊那市より少ないんですよ。
だけど、そんな人口少ないねって感じっていうよりは、
そんな気にならないのは何だろう、みたいな。
でも別に、実際にフィンランドに行ってた時に、
もちろん過密っていうことを感じることはないと思うけど、
でも人がいないっていうふうな感じでももちろんないし、ちょうどいいっていう感覚だったんですかね。
そうなんですよ。
で、ちょっと別の集落とか行けば、すぐ数千人とか数百人とかになるし、
なんかドイツのレッテンバッハ村みたいな、その廃村ギリギリのところから自然エネルギーに振り切って回復してきましたよみたいな話とかのところも、
2000人とか人口2000人みたいな、ドイツって人口多いじゃないですか。
そうですね、そこそこいる気がしますね。
っていう感じなんですけど、
前回の話で、自然対人間の中で、自然こえーって言ってるアジア圏、人口やたら多いなっていうのがあるなみたいなのもあって、
それこそ人口減少に、今日本でも2009年ぐらいから人口減少にトレンドに入ったんでしたっけぐらいだと思うんですけど、2009年ピークだったのかな。
ちょっと全然覚えてないけど、でもそうですよね。もう十数年減り、確か15年ぐらい減り続けていった気がするからそうかもしれないですね。
そう多分ね、国勢調査みたいなやつが、何年?4年か5年に1回ですよね、多分。4年なのかな。
なので、多分その2009年がピークで、そこから下がってきてるっていう感じだと思うので、人口減少やばいねって話がめちゃめちゃあるけど、
それでも1億2600万人ぐらいいて、結構いるなみたいなのは思うんですけど。
いやほんとそうですよね。だって国土面積一緒でね、北海道の人たちと同じくらいしか人口いないっていう状態が、なんか想像つかないもんね、今ここにいると。
そうですね、ほんとね。
全くわかんない。どういう風にしたら、それでそもそも成り立つのかみたいなのもそうだし。
そう、でGDPもさ、一人当たりGDPは向こうの方が高いし、みたいなこととかがあって、
いやーなんか不思議だなーってか、僕らはそれを人口減ってくと、もちろんなんか少子高齢化っていうトレンドやばいみたいなのはめっちゃわかるんですけど、支えられないじゃん社会がっていうのは。
思うんで、難しいなーっていうのは思うけど、なんか人口に対する捉え方、内需が減ってくみたいなのが多分結構問題なんだと思うんですけど、
で、こないだ雄大さんに出てもらった時に、寒川村が廃村になったよ、みたいな話とかあって、それこそこれから廃村の議論とかね。
たくさん出てくるでしょ。
どういう風にこの南極を乗り越えるんだろうみたいなのが結構増えそうだなーみたいな時に、
前回の話じゃないけど、当たり前みたいなやつをどうやって疑っていくのかみたいなのがすごい大事。
人口減っていくから単純にやばいよねっていうのに対して、もうちょいおもろい未来はどうするの?みたいなのを考えないと結構苦しいよなみたいな、最近思ってるんですけど。
既存のシステムのまま行くっていうこと自体はもうでも多分無理だもんね、減るって考えるとね。
そうですよね。
どう頑張っても多分無理だし、どういう単位で締まっていくのかみたいなところもきっと、
うちも越後湯沢町という町だけど、きっとその集落単位でもしかしたら締めないといけないところが出てくるとかっていうことは、おそらく議論には上がり始めてるだろうかな。
それでさ、その時に結構暗い気持ちにもなると思うんですけど、
ただこないだ、僕設計士の人に取材をさせてもらって、OプラスHさんっていう公共建築を多く作ってるような人たち。
はい。
地方の、結構地域で、例えば熊本の震災のメモリアルホールみたいなやつを作ってますとか、
そういうすごい素敵な建築ユニットというか会社があるんですけど、その人たちのところに取材に行って話聞いてたんですけど、
その人たちの手法っていうのが、この地域にどんな施設ができたら嬉しいだろうみたいなことを地域の人たちと議論をしながら、
その建物がみんなにとって大事なものになるようにっていう設計をしていくっていう話で、
で、なんか公共施設ってそう、公共施設だけじゃなくて、建物って本来そうあって欲しいよなって思ったんですね。
はい。
で、なので、なんかそういう当たり前っぽい、そっちの方がいいじゃんみたいなことってあるじゃないですか。
ありますね。
なんでそうなってないんだろう社会みたいなことは結構あると思うんですけど、
でも建築のあり方みたいなのも、なんか変わってきたなーみたいなのは裸でも感じてて、
同じようにその空間が人々を幸せにすることができるっていうことで、いろんな素敵な建築設計が増えてきてるなーって思ってたから、
なんか箱物行政って言われるような、なんか建物を建てることが目的化していくことで、
しかもあんまり素敵なものじゃない建物がいっぱいできてる、できてきた時代に比べて、
今はすごくそうやって寄り添ってくれる建築っていうのが増えてきたと思うんだけど、
それは何でだと思いますかみたいなのを聞いたんですよね。
その設計師の人たち。
設計師の、おプラスエイチの方に、大西さんと百田さんでおプラスエイチなんですけど、
そしたらなんかちょっと考えて、多分人工胴体の、人工のせいじゃないですかねーって言われて、
で、その時に、なるほどなーってめちゃくちゃ思って、
その人口が、日本の戦後って6000万人ちょっとなんですけど、
そっからこの70年80年で6000万人で倍に増えてるわけじゃないですか。
そうですね。結構びっくりするぐらい増えてます。そう考える。
そうすると、とにかく人々が住む家をたくさん安く作らないといけないっていう市場命題が出るんですよね。
確かにね。急激に増えたものに対しての物量が足りてなかった状態から、
その安全な場所をとにかく増やしていかないといけないっていう状況だったってことですね。
そうそう、自然との境目を作らないといけない。
で、そうするとグリッドの設計になっていって、いかにコストを下げずとたくさんの家を作るかって、
それが昭和建築って言われるような、やゆされたりすると思うんですけど、
壁は薄いし、みたいな感じで寒いし、みたいな感じで言われるけど、
それは確かに数十年間のうちに6000万人増えるような社会変化に対応しようと思ったら、
とにかく家作りまくらなきゃいけなかったし、
それを供給し続けないといけないっていうことがあって、
それこそ2009年を境目に人口が減ってくると、
次に建てられる建物っていうのは、
供給するための場所じゃなくて、
その地域にとってどんなものが必要かっていう議論ができる時代に入ったとも言えるなってすごい思って、
人口がめちゃめちゃ伸びてる時代には、その力学がすごい強く働くんだなって思ったんですけど、
人口の研究だったかな、人口の専門家か人権の専門家どっちか忘れちゃったんですけど、
人権の専門家かもしれないですね、の人が、
人が減ってる方が、人が増える方が大変ですよって言ってて、
国のリソースなくなっていくんだから減っていく方がまだリソース分配ができるからまだマシみたいな話をしてた時に、
その時はあんまりピンとこなかったんですよね、そういうもんなんだみたいな、
今で僕そんなにピンときてないもんね。
本当?その話があった上で、
人口が倍増したこの70年80年に対して、
人口が減少していく時代っていうのは、
建物をそのとにかく建てろ増やせじゃなくて、
人間にとってどういう建物が必要かっていう議論ができるような余裕が生まれるし、
土地が余ってくるみたいな話だと思うんですけど、
そうですね。
だからこれから人口が増えていくような、
新興国とかってむしろ食料増産、建物増産みたいな感じでとにかく、
食も仕事も住まいも作り続けなきゃいけないみたいなフェーズがやってくるじゃないですか。
リソース分配ってそういうことか。
それに対してフィンランドが1945年時点で350万人ぐらいだったかな。
今550万人みたいな感じで、
比率でいうと日本のが倍増えてるというか、
感じなんですよ。
80年で200万人増えましたみたいな。
しかも今まだ増え続けてるんですけど、移民も含めてね。
なるほど。
それで考えると、確かにフィンランドとかデンマークが、
緩やかに人口を増やしながら仕事とか住まいのことを考え、
しかも地震もないような場所で設計をする余裕があったときに、
僕らはもうとにかく人は増えるわ、各家族化して、
前は5人とか10人で住んでたのに、2人で1軒とかになり始めて、
みたいに考えたときになんかすごい、しょうがなかったんだなってある種思ったんですよね。
昭和建築がペラペラであるっていうことが、余裕なかったんだわみたいな、すごい思って。
まあそうだよね。
確かに。人が生きる死ぬところをどうにかしないといけないみたいな、
力学の方が圧倒的に強く働いたってことだもんね、そこに。
そこにしかも復興っていうさ、強いメッセージも乗っかってるから。
確かに。
とにかく働き、とにかく拡大していくみたいなことが普通に起こるよな、みたいなことが思ってて、
そのときにこれはなんかどうなのかわかんないですけど、仕事もそうだよなってすげえ思って、
なんかクリエイティブな仕事とか、何だろう、やりがいみたいなことじゃなくて、
とにかく仕事作らんと、みたいな感じの状態になるじゃないですか。
なりますね、間違いない。
だから日本ってものづくり大国なんだ、みたいな。
確かにそうやって時代を逆行して考えていくと、本当そうなるかもしれないですね。
確かにそこに余裕が生まれることは全くなかったんだろうなって。
80年でそんなに人数増えてて、今考えると想像が全くつかないですよね。
そうですね。
なんかどういう状況なのかっていう。
仕事の在り方とか住まいの在り方っていうのは、結構人口増加に引っ張られてる部分ってすごいあったんだろうなって思って、
今人口減少になったときに、そうやってメモリアルホールを住民を巻き込んで考えるみたいなことができるようになったっていうのは、
すごい大事な話な気がしてて。
確かに。
これまではとにかく、たぶんどんどん増えていくから、そこに対応したものを作るとか、そっちが優先されてたから、
そういうこと、ヒューマンセンタードデザインって人間中心デザインみたいなことが、かなり昔から言われてるんですけど、
そういうことを僕ら日本では考えることができなくて、
最初社会とかマーケット、市場主義というか、マーケットに飲まれながら成長してきたみたいなところが多分あるのが、
ようやくそのヒューマンセンター、人間中心になって、今そのライフセンターって、
生命中心主義みたいな、中心デザインみたいな言葉が出てきてるんですけど、
それ両方大事ではあるけど、まず人のためのデザインっていうことが、意外とできてないんじゃないかみたいなのは結構思ってるところがあって、
市場要請に応じてデザインがされて、社会デザインがされてるけど、
なんかヒューマンセンターだったら、いやもっとあったかい家作らない?みたいな。
最初から。
いやそうだよね、確かにね。後で何とかするんじゃなくてね、設計上からね。
いやなんか快適に住まうってあるよね、みたいな議論が多分できなかったんだろうなって思うと、
それが今めちゃめちゃされてるから、
そうですね、確かに。
なんかそれは人口の話と結構ひも付くんだなーみたいなことを考えていて、
そうなると地域では結構な勢いで人口減ってるじゃないですか。
減ってますね、減ってますね、ほんとに。
ヤバいところを大激減して新潟が毎年数千人単位で出てってるだろうし、減少率もまあまあ激しい方で。
そうですよね、新潟、今6万4千人だけど、10年前ぐらいのデータ見て7万人ぐらいいて、
あ、そんなに減ったんだって思ったんですけど。
結構びっくりしますよね、ちゃんと見るとああいうの。
びっくりする。
なので、少子高齢化っていう問題はもちろんすごい大変であるけど、
減ってく人口の中でどういう規模を見出すのかっていうのは結構語りたいし語れるんじゃないかなっていう気もする。
割となんか考えられなくもないのかなーみたいなのはちょっと最近思ってて。
なので寒川を復活させたい雄大さんに対して、何、どういう状態だったら面白いワクワクするのかみたいなところから問い直すのが大事な気はしますよね、すごく。
確かに本当そうですよね。しかも配送になって、しかもすでになった状態からですね。そこは。
そうですね。いやでもそうそう、何で復活させたいのかみたいな話とか。
どういう場所にしたいのかっていうところもありますしね。
それさえ見えてくれば別に、結果的に自分の中で配送じゃなくなっていたみたいなこととかは考えられそうなんで。
インフラがなくなっている状態から進むっていう選択肢は結構難しいのかもしれないけど、本当にどういうふうに使って、何のための場所にしていくのかは、
なんか話し合ったらいろいろ出てきそうな気はします。どういうものが残っているのかとかもいろいろあると思うんですけど。
いやそうですね、すごい大変なのは間違いないし、現実を考えると、なんだろう、すごい果てしないなと思っちゃうけど。
あ、そう。
まあでも、なんか僕らも、ヤマトはもうすぐ来年、来年の秋で一応10年になるんですけど。
おお。
なんか10年過ぎあっという間だったなーみたいなのもあるから、10年ぐらいかかるかもなーみたいな、もんやりした気持ちで。
始めてみると意外と、あ、10年だーみたいなのあるから。
なるほどね。そっか、そんな感じなんですね。ヤマトアテの10年。
いやー、そう、まだ8年半だったけど。
まあまあ確かにね。
うん、8年半と言いつつ、なんか最初の1年半ぐらいはちょっともんもんとぼん準備してたのもあって、6年ちょっとって感じなんですよ。
2018年からしっかりやり始めたぞっていう感じなんですよね。
なんかでも、当初は今みたいな形になるって想像してたんですか?
2018年時点ではしてた。
あ、してた。
そう、2016年はしてなかった。
あー、なるほど、そういうことか。
そう。で、そう、だから2018年にこういうふうにしようみたいな、思ってから7年間ぐらいだけど、その間にすごい仲間増えたし、なんか場所も増えたしみたいなのあるじゃないですか。
はいはい。
だから7年とか意外とあっという間だけど、プロダクトもいろいろ増えてるなと思うと、できることもいっぱいあんだなみたいなのは思うので、1年先というよりは5年先ぐらい見つめながら計画していくのがやっぱりいいなと思いますけどね。
まあそうですよね。その短期だけで成果を上げるのが本当に正解なのかどうかっていうのは、やややっぱり大企業も含めてだけど、考え直した方が良いんじゃなかろうか的なところはありますよね。
なんでもね、短期で考えすぎたところは本当になんでそうなっちゃうんだろうって、ずっと疑問ではあったし、ちょっと無理ですって言いたくなるところもいっぱいあったんだけど。大きいところで勤めてるときは。
なるほどね。
やっぱね、思考停止するっすよ。無理矢理になっちゃう。停止するっていうか。どうしてもこじつけになったりとかしてしまうし。
いいことじゃあきっとないんだろうなという。その時はそんなにあんまり疑問に思ってもなかったんですけど、そういうもんだという思考になってしまってたので。
いろいろ見た結果、やっぱり縛られた思考になっちゃうんだなって今考えると。
そうかもね。それはそうかもね。
それこそ本当にね、飛行マン辞めて東京チェンソーズ行って、全然ガラッとめっちゃ企業の方に入って、考え方が180度変わったみたいなところは、変えたかったっていうのももちろんあるんですけど、
大きい企業にいるときに、じゃあそういう思考に果たしてなれるのかって言われると、周辺環境も含めてかなり難しいと思うんですよ。
そもそもそんな考えを持ってる人たちがそもそも周りにほぼいない状態で、歯車に疑問を持ってる人とかはいっぱいいると思うんだけど。
でもこれが普通とか当たり前っていうふうに思ってる中で、どう違和感を感じられるのかみたいなところは、すごくハードルが高いし、個人の資質にももちろん寄ってくると思うんですけど、
そんな簡単な話じゃないなって、今考えても思う。
もう一回ゼロスタートで僕がそこの企業に入り直した。今の思考がない状態で入り直すとしても、ずっと同じような考えにしか捉われてただろうなっていうふうに思うんで。
そこから脱却するって本当に難しいよなって思います。
超大事っすね。
それってどこかで気づくタイミングがきっと人それぞれあったりするんだと思うんですけど、僕の場合は自分で廃棄をするっていうことへの違和感が出たから気づけたというか、
それが本当にいいんだっけ?これで?みたいなふうに疑問に思う瞬間があったから良かったんですけど、たまたまそういうポジションを与えられて、
自分でボタンを押したからこそわかったっていうか、それもたぶん身体制の問題なのかもしれないですけど、ある意味。
でもそれが身体制を伴わずに、やっぱり核のものと対峙し続けている、みたいな。
商品は販売してるけど、よくはわかってないみたいなところもあると思うし、システム売ってる人たちなんか本当にきっとそういう人たちも多いんじゃないかなって思うんですけど、
実感を伴わないものとずっと対峙し続けている人たちっていうのが大きい企業とはやっぱり多いんじゃないかなって思うんで、それは本当に難しいよな。
僕も今その企業さん向けの研修をやってるんですけど、その中で、そもそもビジョンを立てた人がメンバーを集めて、そのビジョンに向かっていくのはわかるけど、
すでに何千人といる会社でどうしたらいいのかっていうのを質問でもらった時に、答えがなさすぎて、難しいというか、
多分デジマ的に小さい会社を作って、そっちで新しいチャレンジをし始めるみたいなことが一つ考えられるんですけど、本体は変わっていかないよな、それではって思うと、
この問題って、どうのようにみたいな感じがすごいあるよね。そのためにパーパスが生まれて、ミッションビジョンに対して存在意義みたいな感じでパーパスが登場して、
それを企業が、じゃあもう一回インナーブランディング的要素も含めて考え直そうって言って、でもそれも企業は大きければ大きいほど、解釈の仕様がいっぱいある状態の言葉になるじゃないですか。
そうですね、ちょっとふんわりしたというかね。 そう、そうするとその解釈をそれぞれがして、それぞれの興味とかけ合わせていくっていうことは一見良さそうなんだけど、もう解釈自由なんであってもなくてもそんなに変わらないみたいな感じで、
結局それぞれバラバラのことを考えながらやっているよね、みたいな状態になっているんです、みたいな話をされて、わーどうしよう。
いやでもほんと多分超難しい問題だと思うな。僕はそこのカチューに多分いたからこそ想像はつくけど。 ってことですよね。
やっぱりその、別に目の前の仕事に一生懸命だからとかっていう話でもないんだけど、そもそもやっぱり仕事している中でそこまでの意識が働いてないことが多いですもんね。
ニーズ多すぎるとね。やっぱり一部しか、その生産工程の一部しか携わってなさすぎて、全体のことなんて当然よくわかんないし、それを元にそのパーパスというものを読んだところで、
自分が関わっているその範囲の狭さみたいなところが、それを濁らしてしまうというか、理解ができない状態に陥らせてしまうということもきっとあると思うし、
実践を本気でしている人たちが、じゃあ周りにちゃんといてくれてるのかっていう問題もめっちゃ多分出てくるだろうし、相当ハードルが高い問題だとは思う。
その問題が解けたら、すげーよねっていう。
いやーすごい本当に、方法はでも何かしらきっとあるんだと思うんだけど、でもシステムをまず作り変えないといけないのかもしれない。
それはありますよね、前提を紐解かないといけないのはありそうで、その人すごい勉強熱心だから、
ティール組織みたいなのが出てきた時も、ティール組織について勉強して面白いって思ったけど、
そのピーター・ティールの本の最後の方に、大きい企業をティール組織にするのは無理だから、新しく作れって書いてあってがっかりしたっていうね。
マジかよね。そうなんだみたいな。
本当にそうですね。だから前提から作り変えないと、前提作り変えたところで簡単な話ではもちろんないと思うし、
でも絶対そこから行かないと、みんながそれを浸透してわかるようになるってことはなかなかないのかもしれないと思うけど、
そういう世の中になってほしいよなって思ったりするかな。
そうですね。なんか今回人口の話してきたけど、多分それこそダンパー数の150とかみたいに、
コミュニティとしてあり得る数字みたいなのがいろいろ研究されていると思うんですけど、
それをはるかに超えた組織を企業体は持ち始めているっていうのが、そもそもむずいよねって話だと思うんですけど、
確かに。
まあそれの中で今回例えばフィンランドとかニュージーランドと日本みたいな話をしてきたけど、
逆にそういう世界の大企業みたいなものがどういうガバナンスでやってるんだろうみたいなのをちょっと見ていくっていうのは気になるねと思いましたけどね。
確かに気になりますね。なんか僕は日本のことは多少なりともそこにいたからわかるけど、海外がどうなってるか全然わかんないし。
なんかさ、世界でうまくいけなかったらもうなんか人類の限界じゃないですか。
確かに。
数千人っていうのがもう、それもう無理ですねみたいな。
で、まあそれと前回話した身体性と理解、個人っていう概念はわかるけど個人を体現は難しいみたいな話と一緒で、
日本的その身体性はどこにあるのかみたいなのを海外から事例学ぶばっかりだと多分無理だから、外資はこうしてるよねみたいな時に、え、なんかそもそものなんか制度の設計が違うとか。
いや、それはありそうだよね。やっぱりよく西洋の文化とかを持ってきて真似てみたいなところあるけど、なんか真似してるようで真似できてないみたいなこともきっとあるだろうし。
やっぱ上辺だけじゃダメなんだろうね。その何の上にそれが乗っかってるかっていうことに注意深く見ないと。
私、日本のそれは何なんだろうみたいなのを問いを変えるのもすごい大事だと思うから。
まあ本当そうですよね。自分たちなりに本当にそれを見聞きした上でどう解釈していくのかみたいなところをやっていかないとうまくいかないんでしょうね。なんかそれを鵜呑みにするだけっていうかね。
そうそうそれはすごい感じた。だから技術、スキルを学ぶことはできると思うんだけど、思想も含めてってなると意外と入り込みづらい部分はあるんだなって思いながら、それでも何するって考えた方が筋が良さそうだなっていうのはすごい思っているので。
そうですね。
まあちょっと長くなってしまいましたが、今回は人口と階層の話から大企業はどうやって団結していくのかという超難問の話をずっとしちゃったんで、ややこしい話だったかもしれないですけど。