自然と生きるを考える 自然資本論〜
この番組は森で働くことを愛する高橋 奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、高橋です。
はい、奥田です。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、じゃあ前回に引き続き、写真家の山田さんをお迎えして、
今回はアラスカに住む人の話のところをちょっとしていきたいなというふうに思います。
山田さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回評価の話を伺って、
私たちも2年以内とか、少なくとも5年以内くらいには行きたいよって話を幕間でもずっとしてたんですけど。
しかももう計画しないと行けないですもんね。
いや行けないね、ほんとに。
いつ行くって決めないと。
決めないと本当にチャンス逃しちゃうかもしれないし、スピードも速くなってくるかもしれないしね、なくなるのも。
いつまで残るのかっていうところは気になるところでもありつつ。
ただ僕が地元で山田さんのお話を聞いたところで、評価の話もすごく面白かったんですけど、
自然のすごく豊かなアラスカという大地に住んでいる人たちの話をその当日していただいたんですけど、
その精神性というか、オーラかなっていうか大雑把というか、いろいろなお話をしていただいたんですけど。
今回小倉さんにも写真集を送らせていただいたジューズデイという小説も山田さんが出されているんですけど、
そこの話がやっぱりめちゃくちゃ面白いんですよ。
やっぱりそういう評価があるとかっていう話を直接的にリンクするわけではないと思うんですけど、
そこの部分が、きっと今の日本に住む人たちとの精神性とかとは全く違うものだなっていうふうにちょっと思って、
そのあたりを今回伺えればなというふうに思っております。
自然観みたいな話ですよね。
そうそう。とか自然観とか。
山田さんは何年か住まわれてたっていうふうなお話も確かその時聞いてた気がするんですけどですね。
2年ほど現地には住んでいて、現地を拠点に写真の仕事をもらって、他の国に写真撮りに行ったりとか、
たまに日本に帰ってきたりとか、またワカスカに帰ったりとかっていうことをやってましたね。
家を借りて、現地の人たち4人で大きい家をシェアして。
それはいつ頃の話になるんですか?
それは30前半ぐらいですね。
それまでずっと東京に生活をしてたんですけど、
やっぱり最初に行った22歳の時のワラスカの強烈な体験と、
そこで出会った同年代ぐらいの人間たちの生き方とか、人生設計とか、やっぱり影響されていて。
片居は僕20代で大体写真業、修行とか仕事をしながら忙しい高校で、
東京の生活の中にいて、そういった時にすごく悩んでたりとか、
あとワラスカに行ってインスピレーションを受けたりした。
そういう一日しているような生活がありましたね。
1年に1ヶ月か2ヶ月ぐらいワラスカに行ってたので、お金を貯めては向こうに行って。
ただそれで、やっぱり通ってるっていうところに満足ができなくなってしまって。
それは相当自分でも悩んだんですけど、
ちょっと1回東京の生活をどうするかと考えながらも、
英語もちょっとマスターしたい話っていうのもあって、いつかそういう向こうで暮らしてたらなっていうのが。
星野美長さんが学生の時から好きで、
星野美長さんの本を30ぐらいの時に全部読み返した時に、
一つそこに一節があって、
大切なことっていうのは出発することだぞっていう一文に触発されて、
まず出発しようと思ったんですね。
それでアパートを全部引き払って、ワラスカに行ってから考えるかっていう形で行っちゃったっていうのがあって、
その頃2年ぐらいいましたね。
あ、そうだった。
チューズデイが確か発売されたのは結構前ですよね。
これも12年だから。
そうですね。
その頃から取りためている写真をそこに収めているみたいな形ですか?
チューズデイを撮っているのは2000年ぐらいからの10年間ぐらいですかね。
それを12年まとめて撮ったのが本でしたっていうことですね。
なんとなくワラスカって自然がダイナミックでオーロラが出たりとか、
山とか大地が強烈にデカい、スケールがデカいっていうようなことは当然皆さんわかるし、
僕も星野一郎さんの本からそういったイメージをずっと受けて感動してたんですけど、
ワラスカに住んでいる若い人たちのライフスタイルっていうか感覚っていうものがすごい面白いなと思っていて、
おそらく美しい景色のワラスカだけだったら、僕はたぶんワラスカにこれほど行ったりとか通ったりするってことはなかったんじゃないかなって。
あの大自然の厳しい自然の中にどうして笑ってる人たちが幸せそうに暮らしてるのかっていうことが、
やっぱりもう一つずっと頭の奥になっていたことで。
前は僕の東京のライフスタイルは結構苦しくて、どうしていったらいいんだろうみたいなものがあったし、
そこにやっぱり一つの村とかのコミュニティの姿とか、
ワラスカの自然の厳しいとか冬がすごく寒いっていうものを生き抜く、
村人たちのコミュニティの力みたいなものを感じて、みんながすごく仲良いし、家族のような形で声を掛け合うみたいなところが、
これはあまり日本の中で僕は見てない光景だったっていうのが感じられて、
なんかこういった住民同士の在り方とか、
あとはお互いの家を移転して、
夕食会を20人単位でやっていくとか。
ないですよね。
一家族ぐらい招くがあるかもしれないけど、その人数で毎回違うのか。
でもだいたい集う人たちの顔ぶれは同じなんで、
やっぱり連帯儀式とか、
ヒドアイラクをちゃんとシェアできるような、
なんかそういった部族っぽいような感じがあったりするっていうのがすごく良かったし、
逆にそれがすごく恋しくなったりとかもしてましたよね。
いやー、日本もなんか農村部だと割とおもやに集まりみたいなのはあったと思うんですけど、
それがどんどんなくなって、むしろ本当にプライベート空間としての家が強すぎて、
集まるのは外みたいな価値観ですもんね、感動的に。
家の中で人を招いてパーティーみたいなのは、
本当にきっとあまり行われてると聞かないよね、さっき。
その時にそういう、海外とかでそういう風景に触れた時に、
なんか心がほっこりするみたいな、温かさを感じる、
人間っていいなみたいな、そういう時ありますね、確かに。
家の中だけじゃなくて、家の外とかもね、夏場はあるんですけど、
知らない人も呼んじゃうっていうか、知らない人もいるんですよ。
そこでまた新しい人を紹介し合っていけるっていうところから、
またああいうコミュニティの、かっこいいなっていうか、
まあそれは自然体で彼らはやってるんでしょうけど、
それでやっぱり、ガスとか水道とかがない人たちもたったいまして、
なんかそのライフスタイルってありなのかとか、
水は1週間に1回大きいタンクで汲みに行ったりとか、
まあ今もそういうライフスタイルも結構いますけど、アラスカに。
電気はなくても行けちゃうんだとか、
なんか生きるってそんなにシンプルなことだったっけみたいな。
音とかが、寝こそぎ僕が抱いていた、
生きていかなきゃいけない一つの住居とか、
仕事の形っていう概念を寝こそぎ崩されていくわけですよね。
笑ってる人たちの生活を見ながら。
買う気がする。
それで森の中にツリーハウスを作っていったりとか、
地面建ててないから大丈夫だとか、
でも立派な家があって、
だけど森の中だけでは誰も見に来ないから大丈夫だとか。
すごくこう、地味な。
イリーガルな。
法の内と外を一体したりしながら。
書籍の中でもバックウッド、アラスカンスタイルみたいな。
バックウッズ。
バックウッズですね。
書かれてるのがそういうスタイルっていうことですね。
だから、電気がついて当然とか水は欲しいとかっていうことは、
あんまり彼らの中では、
まあ確かにマストはマストだと思うんですけど、
お金はかかってくるし、
もっとアラスカらしさを満喫したいんじゃないかなと思っていて、
彼ら自体がそのダイレクトにその大地で生活していくっていうことをどう感じていけるのかっていうことを、
楽しんでるように思いましたよね。
だから、こんな山奥の中で全てが揃ってるのってつまんないよねっていう人たちにも出会いましたし、
水はないからいいのよみたいな。
どういうことかなみたいな。
汲みに行ったりして往復をトラックで済む道中だってすごく素敵な景色よって言われて、
あ、なんかそういう水を汲みに行く道中の景色に幸せを感じてるから、
水を汲みに行くことは苦じゃないのかとか、
なんかよくわかんないまま感動してましたよね。
その人たちはもともとアラスカ生まれの人たちなんですか?
アラスカ生まれの人たちは少ないですよね。
アラスカってやっぱり70年代ぐらいから結構アメリカから移住者が多くなってきていて、
その前はもうちょっとゴールドラッシュがあって金が取れるっていう金額で、
アラスカの開拓とか山、山岳地域に村を作ってそこで金の採掘をしてたっていう経緯があると思うんですけど、
主に70年代ぐらいに多く人が入ってきたんじゃないかなと思うんですよね。
そこでいわゆる白人ですよね。
ネイティブのエスキモみたいな人たちはもうちょっと北、だいぶ北の方にいるんですけど、
ほぼほぼ私たちが見てるところが白人がほぼいっぱいいて、
その第2世とか第3世ぐらいが今生きているような感じですよね。
でももう第2世、第3世の人たち、割とそういうアラスカらしい暮らしっていうのをエンジョイしようぜっていうスタンスは引き継がれてるんですね。
たぶんそうですね。
おそらく70年代とかのアメリカの森の生活とか、ヒッピームーブメントとかの延長線上にもっと敵地に移動する人たちがいて、
そのやっぱり生き残りみたいな感じなのか、このマインドを継承してるような人たちなんじゃないかなと思うんですよね。
じゃあネイティブアラスカじゃないだけで、アラスカ生まれアラスカ育ちではあるっていうことですよね。
そうですね。あとは中世代の中に移っている人たちの中には、第1世代というか自分が移動してきた人たちも半分ぐらいいて、
どういうきっかけでアラスカにみんな来たのって話をしていくと、
やっぱり若い時バックパッカーで、アラスカっていうのはアメリカの中の州の中でもカナダをひとつ飛び火して跨いでいくとこだから、
一回アラスカに行ってみたいなと思って来たら、すごすぎちゃって、帰れなくなったっていうんですよね。
それがわかるなと思って、僕もやっぱりアラスカに来て、人がもちろんすごいっていうのは、
自然の偉大さは当然あるけど、そこで出会う人とかに衝撃を受けて暮らしちゃうとか、
あとはそこで出会う村人たちのハーモニーというか、ちょっと温かいような雰囲気とか、誰でも受け入れてみんな笑っているようなものに、
僕だけじゃないんだな、こういうふうなところに衝撃を受けているのはっていうふうに。
アラスカの人たちは、そういう移住してくるような人っていうのは、仕事みたいなことが百姓的なことが多いんですか?
百姓的な営みというか、自分たちのことを自分たちでやりながら、現金稼ぐ仕事もちょっとやってるみたいな。
そうですね。アラスカってやっぱり観光ではすごく結構強い州なので、
夏、たぶん5、6、7、8、9ぐらいの、いわゆる春夏なんかは、多い時で5台に1台が大きいキャンピングカーが道を走ってて、
そのキャンピングカーをアラスカで借りて、アラスカ中を巡るっていう、そういうアメリカ人たちがごっそりとアラスカ州に登ってきて、観光を楽しむんですよね。
今はもう、それは他の国から来てるんですけど、いわゆる観光によってすごくお金が落とされていく。
冬だとオーロラ干渉なんかもありますし、だからそういったフィッシングガイドだったりとか、グレーシャートレッキングマウンテンガイドだったりとか、もちろんレストランとかバーも含めて、
一時的な季節感の一時的な一箇所にすごくお金が、経済が潤うっていうのがあって、夏はどこどこでハットバッグ、冬はどこどこのホテルで働くみたいな、夏と冬の仕事を分けている人たちも多いですよね。
そっか、でも観光業的にすごいちゃんと働いているというか、仕事はがっつりやってるんですね。
バックグッズとかに入っている人たちもそういう仕事は普通に、水のない生活をしている人たちも普通に働いている。
小さい村に住んでいて、いいところに住んでるなと思っていて、いろんな友人たちに知り合って話をしていくと、彼らさらに山奥の砂利道を登ったところに住んでたりとかするんですね。
で、なんでこんなわざわざこの村の自然に囲まれた廃墟で十分なのに、さらにこの山道をね、10キロも登っていくような砂利道に住んでるなって話を素朴にぶつけると、彼らは言うと、いやもうこんな都会に住んでられないよって言うんですよ。
ここが都会に見えちゃうんだっていうことを受けて衝撃的で、その後、知り合った人たちのところで1週間ぐらいね、寝泊まりして泊まっていくと、1週間ぶりぐらいにやっぱり降りてくると、確かに都会っぽく見えるんですよ。
都会意味がわかったみたいな。
インフラ的な管理感があるみたいな。
そうですね。山に行けば行くほどもっと自然しかないので、本当にもうその自然の音しか聞こえないっていうか、あれはやっぱりあれで心地よくて。
街に入ってくると、車が走ってる数台見ても、ああ都会になっちゃったなって、ああそういうことかみたいな。
そのせっかくアラスカまで来てるんだったら、アラスカらしさを追求した方が気持ちいいよねっていう感じなんでしょうね。
なるほど。確かに。
日本だと逆に言うと、そこまでの、探せばもちろん森の中、奥深くまで入っていけばあるのかもしれないですけど、でもそういうふうに感じられる場所って多分ほとんどない。
北海道の牧場を経営してる人の友達の家とか行くと、電波もないし、まじで周り10キロぐらい直ないなみたいなのはあるけど、そういう感じでしょうね。
そういうふうな人たちはポツポツといて、また山の中の家もいい感じでオシャレでアーティストたちがいたりとかね。
すごいよな。
山の奥に行けば行くほど廃れていくっていうよりは、逆に山の中に行けば行くほどイケてるみたいな感じの山小屋もありますし、だからその辺はちょっとあまり日本では見ないかなって。
その少ない人口で道みたいなのがやっぱり日本だとすごくネックになると思うんですよ。斜面が多くて。
アラスカとかだともう道は結構簡単に作れちゃうというのか、車もちろん木を切りながら進んでいけばそれはもう道だみたいなぐらいの道なんですかね。
自分で道を作っちゃってる人もいますよね。
なるほど。
あとはやっぱり道から見えるところに家を建てたくないとかね。
はいはい。
道から崖をロープで下ってった、下の川のふもとに建ってる友達もいらっしゃるし。
すごい!
それはわざわざ毎回そうやって降りるっていうことですか?
なんかスーパーで買い物してるものを運ぶのが結構面倒だったよねって言ってたけど。
ちょっとどこじゃない面倒そうですね。
限りなくその自然の中にポツンとっていたいっていうのもあるんでしょうね。
街に出てレストランに行ったりとか酒場に酒飲みに行くときはワイワイしてもいいかもしれないけど、
せっかくアラスカなので自分の家だけは超孤独でポツンと一軒家になりたいでしょっていう風な。
すごいな。
両方行けるからアラスカだったらっていうのはね。
プライベートはもう完全プライベートで。
だけど車で5キロとか10キロ山くなれば普通に家族ぐるぐるみたいな人たちに会えるし、
それはそれでいいし、その道中もアラスカならではの絶景を見れてドライブできるからいいじゃないみたいな。
そういう感覚なのかもしれないですね。
そういう人たちの家での過ごし方っていうのは自然を眺めながら考え事をするとか本を読むみたいな。
僕らが例えばその生活にポンポンと放り出されたらずっとスマホを見てそうな気もするんですけどね。
それだとアラスカらしくねえなってめちゃくちゃ思う。
僕がその中途で押さえてたような時代っていうのはまだスマホが出てくる前だったから、
インターネットはあったけどかなり遅いインターネットでしたから、
今はちょっと変わってきてるのかもしれないですけどね。
そういう若い30代くらいの人たちのスタイルっていうのはね。
当時は皆さんどんな過ごし方を押さえてたんですか?
当時はそうですね、それぞれ皆さん違うような仕事を持ってたりとか、
レストランでメーターやってチップだけでも結構もらってくるような人たちもいましたし、
あとはホテルのシーツを洗ったりとか、ホテルの裏方で働いてる人とかもいましたし、
あとは学校の先生みたいな裏の小学校の先生やってるとか。
大自然の中でどう過ごすのかっていう、豊かな時間の持ち方みたいなのを極めて下手くそになってる感覚があるので、
そこを学びたいなというか、自然の中で過ごす時間をどうしたらいいのかっていうのを、
ハラスカの人たちと一緒に話したいのですけど。
本当にポツンと一軒家的なところに住まわれてる人たちは、仕事が終わって戻られてからは普通に家族の時間みたいなものを大切に過ごされてるっていう感じになるんですか?
家に行って、あと大体楽器をやってたりとか。
バーとかで結構楽器でみなさんと演奏したりするのをやってますよね。
薄いアメリカのブルーグラスとかカップリーみたいなものとか。
そういうのはいいですね。手仕事、それこそ家の仕事。
庭の手入れとか野菜育てるとか、そういう楽器をやるとか、そういうことがあると楽しいだろうなっていう感じがしますね。
話聞いたときに、電話が小屋の外にあるお家があったりとか、あと3時間フェアバックスまでチャリで買い物に行ってた。
3時間じゃないよ、3日間。
3日間かけて、片道3日間かけてフェアバックスまで買い物に行ってたおじいちゃんに会ったみたいな。
おじいちゃん。
おじいちゃんだったな。チェズデーにも確か写真が載ってたときがあるんですけど。
いわゆるその辺を普通に移動しててもやっぱり景色は見れるから、やっぱりそのパノラマ感というか。
景色を見れるのは、車を走っててもリアカーを引いてても、歩くのが楽しいと思うんですよね。
森の中の吐息にもそれぞれ楽しいだろうし。
案外生活とか一日を充実させる要素が意外に結構多いですよね。
僕最初アラスカに行った時とかみんなに、「アラスカって何が面白いの?」って言われるんですけど、
アラスカに行くと結構忙しいんですよ。
今回もちょっと知り合いにアイスクライミングを教えてもらって、氷の壁を登ってたりしてたんですけど、
氷が固まった、滝が固まった壁を登るだけで一日過ごせて終わるとか。
確かに。
物質的な豊かさっていうよりは、ある自然と遊ぶっていうことがこんなに充実してくれるんだっていうのは、
あんまり普段の個人の暮らしではないから。
そうですね。本当にいいな。何かを変えなきゃと思っちゃうな。
そうだ、確かに。本の中でも少し文章で書かれてた気がするんですけど、
たまにしかない、おそらく梅雨の時期なのかな?
たまにしか晴れない時にいきなり仕事を放り投げて、みんなで沼に集まって遊んでるみたいなことも書かれていた気がするんですけど。
今しか体験できない瞬間とか、その時にしか大事にできないことを大切にするみたいなところ。
すごくめちゃくちゃ素敵だなと思って。
そうですね。みんなアラスカに住んでるからストレスがそれほどないのかなって思った時点。
だからお互い理解しようとする姿勢はあるかもしれないですよね。
生活が苦しいとかそういう感覚はないんですよね、きっと。
たぶんそういう仕事がちゃんとあって、うまくなんとか回るっていうところがあるのかな。
特に大きい公収入を望まない限りは、いろいろと仕事があるかという感じだと思いますし。
あと結構な確率で皆さん犬を飼ってるんで、だいたい1人1匹から2匹は飼っていて、
アラスカで見る犬は全員マネしてないんですね。ロープっていうか縄を付けられてないから。
犬もすごいストレスがないんですよ。みんな犬が幸せそうで。
あれもやっぱりアラスカになればかもしれないですね。
その辺歩いてるってことですかね、たくさん。一応飼い犬が。
歩いてたりとか、あと家の周りふらふらしてたりとか、友達の家遊びに行ってたりとか。
犬同士がね。
犬は本当に幸せそうですね。
でも本当そうっすね。幸せに暮らすって何かってすごい大事ですけど、なかなか考えられないんですよね、普段の生活の中で。
日本にいると豊かさの定義を若干外から固められてしまうというか、そういうのがあるかなというふうに思うんですけど。
そういうのが今話を聞いてると、アラスカの人たちは自分で自分のその幸せの定義を決めてて。
責任と自由、自由と責任みたいなのが明らかにセットになって、自分で決めている代わりにちゃんとそこに責任を持ちますみたいなのがあるよな。
物質的な豊かさみたいなものよりも、周りの環境がすごく自然がすごすぎるがゆえに、それでもかなり満足ができるっていう感覚はあるんですかね。
そうですね、多分物質的なものを持っても、あまりアラスカで役に立たないっていうか。
高級車持ってたとしても多分すぐドロンクになるでしょうし、石とか連れてくるからとか考えたら、多分高い車を所有する意味がほぼないじゃないですか。
やっぱりやるとしたら、みんなで釣りに行って釣ったサーモンを、アラスカのサーモンをベランダで焼いて食べるとか、
誰かが取ってきたクマの肉を解体して、バーが出てきたら呼ばれたりとか、
結局時間を過ごす、山登りしても山登るトレイルがいっぱいあったりとかして、
それで結構幸せ感満たされちゃうんじゃないかな。
でも、あの鮭とかを釣るのはめちゃくちゃ楽しそうですよね。
そうですね、僕も向こうに住んでたとき、大体仕事が、大学仕事とか終わって、
逆夜なんで、夜の2時ぐらいまで明るいんですよ。
時間的には午後2時から釣りに行く感じだけど、針は6時ぐらいになってますけど、
太陽は高いんで、午後から釣りに行って1匹だけサーモンを釣って、
それぞれのシルバーサーモン、銀ジャケを食べて終わるとか、
友達のところ持って行って食べて終わるとか、
なんか、それで増していけちゃったりするなって。
いやー、めっちゃ楽しそう。
そうですよね。めちゃくちゃ楽しそうだし。
いやー、なんかそうだね。
ほんとそういう風になかなかならないのはなんてなんだろうね。
太陽差欲しいな。
でもなんか、結構日本でもそれこそ、何だろう、数十年前まではこう、
何ですか、親父同士が割と家、なんか友達が家に来て酒飲んでるみたいな雰囲気があった気がするんですけど、
まるでなくなってるよなーっていうのはやっぱあるよね。
そうだね、確かに。
あの時間って、なんか日本人が日本人を見るから、なんかあんまり楽しそうに見えないんだけど、
山田さんの活動とか、例えば作品集とか写真展みたいなものを見たりとか、
アラスカの人の話を聞いたりとか、
これぐらいにして終わりにしていきたいなと思うんですけど、
山田さんの活動とか、例えば作品集とか写真展みたいなものを見たりとか、
何かこれから予定とかあったりするんですか?
作品ではないんですけど、
京賀の写真はいつか数年くらいの時間があるので、
写真集を作りたいなと思ってますね。
なんか撮り続けてまだまとまってないんですか?
撮り続けてないんですよ。
すごい。
もう既に十数年撮っているのによく変わらず。
まとまってないというかね、実は京賀の写真って撮るのがちょっと簡単ではなくて、
今まではとりあえず京賀があったら撮ってたんだけど、
京賀の中でも自分が定義して納得していく美しいカットって結構少なくて、
ちょっと目が超えてくるっていうことなのか、
例えば色が見えてくるっていうことになってると思うんですけど、
なんかちょっと吟味されていくっていうか、
なんとなくこう、
がむしゃらに撮っていた時からはだいぶ減りましたね。
今回は多分2枚くらい撮ったくらいですね。
まじっすか?びっくり。
一応10枚フィルムの写真は撮りましたけど、そのうち2枚くらいは良かったなと思ってます。
すっげー。
1ヶ月?え?1ヶ月くらいでしたっけ?
2週間くらいでしたね。
面白ー。
でもそれだけ動けないし、
だから1箇所に行った時のやっぱりその動ける範囲の中での作品になり得るような写真っていうのは
ちょっとですよね。
まじで最大の衝撃がそこにありました。
最後の最後。
本当だよね。何百枚とかパシャパシャって。
撮ってしまいそうな感覚だけど。
解像度が上がりすぎるとそうなるんですね。
シャッター押さないっていう。
大体何年先には出そうみたいなのも全然未定なんですか?
そうですね。行ってみたいところがいくつかあと3つくらいあって、
ちょっとそこにアクセスできたらいいなと思うんですけど、
今年そこも行こうと思ってたけどちょっとアクセスが難しそうでできなくて、
今回滞在したところはちょっとパリの仮のプランのところだったんで、
最初の行きたいところがダメで、2番目に行きたかったところもちょっと難しいとなって、
今回はちょっと違うところに行きましたけど、
それはさらさらと行けたらいいんですけれどもね、
なかなかその気象条件とかアクセスの条件が揃わないところがあって、
それで時間がかかっている部分もありますね。
なるほど。いくつかじゃあ、もともと撮りたい、
途中途中増えていったのかもしれないですけど、
押さえたいポイントっていうのがやっぱりあるっていうことなんですね。
そうですね。
じゃあこの自然史本論が続いている限りにおいては、
もしその写真集発表されるタイミングでまた来ていただいて、
ぜひよろしくお願いします。
来ていただけると嬉しいなと思います。
山田さん本当にお忙しいところありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
番組では皆様からのお便りを募集しています。
感想、ご意見、自然史本を生かした取り組みの情報、
自然にまつわる研究論文などぜひ教えてください。
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それではまた次回お会いしましょう。