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  2. 第185回 最近よく聞く「個人主..

ネオリベラリズムや自己責任論などの文脈で、最近よく耳にするようになった言葉「個人主義」。個人主義とは一体どのような考え方で、現代においてどういった形で取り入れられているのか?夏目漱石の書籍「私の個人主義」を読んだ上で、その在り方などを話し合ってみました。


▶ 目次

個人主義ってなんだ?

夏目漱石の「私の個人主義」

利他性と自己本位性の重要さを説いた漱石

現代に残した置き手紙?

宗教と個人主義の関係性

多様性と個性の尊重という世論は同調圧力が高い

自由主義を謳いつつ、ルールや縛りがないと生きていけない私たち

無理に世界基準に合わせすぎる必要はない?

個人主義と自己防衛

本当はリベラル

仲間外れを生む議論の仕方

炎上リンチは海外にはないのか?

苦労人の漱石

お札偉人シリーズをコンプ



▶ 関連リンク

夏目漱石「私の個人主義」

https://amzn.to/3Ork77c


お札偉人シリーズ・福沢諭吉「第176回 福沢諭吉と学問のすゝめが残した価値観は罪なのか?」

https://youtu.be/8U7w5Y91epc


お札偉人シリーズ・新渡戸稲造「 第174回 こんな時代こそ読んでおきたい明治の名著「武士道」」

https://youtu.be/n4xssn9NIYY


関連回「第184回 人種の壁を超えた絆、弥助と信長の物語」

https://youtu.be/tBVWULtiTB4


関連回「第76回 イカしたオッサンに出会い、指南された話語」

https://youtu.be/or4vIdWMdtY



▶ お便りはこちら

https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9


#夏目漱石 #個人主義 #自己本位性

00:04
どうも、WATAです。
TAZAWAです。
TAZAWAさん、一人の時間は好きですか?
一人の時間は好きなタイプですね。
僕もです。
最近、前回の僕が話したテーマ。
騎士道?
騎士道の回で、最近のジェンダーの問題、フェミニズムの問題というのは、個人主義に根付いているのではないかというのを、前回収録の後に話したので、個人主義について調べていきたいです。
ちょっと難しいテーマですが、一人ぼっちが好きな僕らが、個人主義を真正面から捉えてみたいなと思っています。
個人主義って知っていますか?
個人主義?
例えばどんな感じ?
例えが見つけづらいです。個人主義というのが。
でも、よく言われるのが、個人主義と利己主義は似たような言葉で2つあるんですよ。
個人主義というのは、自分の生き方や個性を尊重するという考え方らしくて、利己主義というのはそのままの通りですよね。
マイセルフですよ。自分の都合で色々と何かを決めて、人に迷惑をかけるみたいな。
だから、比較的個人主義と利己主義は言葉的には近いんですけど、意味的には違っている。
ただ、最近、個人主義という言葉はよく聞くようになったと思いません。
例えば、岸田政権になってから、新自由主義からの脱却、自己責任論からの脱却とか、そういう文脈で個人主義という言葉もよく使われるようになってきたんですよ。
世論的には、比較的ネガティブな言葉として取り扱われることが多くて、個人の考え方を尊重しまくって、社会の調和が乱れるのはどうなのかみたいな論調であったりとか、
すごい自己中な感じで環境とかを悪くするのはどうなんだとか、消費社会においてそういう利益主義とか、自分都合主義みたいなことがまかり通ってて、よくないんじゃないかみたいな。
結構ネガティブなイメージがあって。
なんかあれですね、インターネットメディアと一緒に出てきた感じもしますよ。
03:02
感じもしますよね。
どこでも生きている、一人で生きているみたいな、そういう自由だみたいな。
そういう感じですよね。
なんかノマド的なイメージ的には。
縛られない、社会のルールに縛られないみたいな。
いい意味での側面もあれば、ちょっとそれが穿った感じで解釈されてネガティブになっているみたいな。
アメリカ的な欧米的な感じですよね。
武士道の時に、日本の価値観と対比して個人主義的な説明にちょっと入れたような気も。
確かに入れてましたよね。
そうなんですよ。
ちょっと今日話したいのはその話です。
個人主義っていうのを調べていくと、一冊本にぶち当たりまして、
夏目漱石いるじゃないですか。
漱石が個人主義の本を書いてたんですよ。
僕知らなかったんです正直言って。
タイトルがズバリですね。
私の個人主義っていう、漱石が考える個人主義みたいなテーマの本になってて。
ただこれ文献として書いたものではなくて、
夏目漱石はよく知られてるかもしれない。
教育とかの分野で結構そのを広げていろいろやってた方なんで、
その文脈で学習院の高校か何か高校かに講演にしに行ったらしいんですよね。
その時に個人主義の大切さを訴えかけた講演がございまして、
それを文章に書き起こしたらしいです。
本的にすごい短い本なんですよ。
39ページくらいじゃなくて。
スティーブ・ジョブのスピーチじゃないですけど、
あんな感じの小物が文献としてまとめられてるっていう感じなんですけど、
結構これ僕読んで、
夏目漱石って正直、
我輩は猫であるとかそういうイメージしかなくて、
そんなに自分の中でヒーチャーしたことなかったんですけど、
フィクションの作家さんっていう印象はありますよね。
夏目漱石ってね、
やっぱり教育者なんだなっていうのをすごい実感させられる本で、
だから割と職業作家みたいな生き方をしてて、
考え方とか価値観みたいなのを結構人に伝えるために作品を書いたみたいな感じで、
すごい学びが多いのと、
あとこれちなみに100年前に書かれた本なんですよ。
ちょうど100年くらい前。
100年前っていえば文明開化?
日本が近代化を押し上がっている時代ですよ。
近代化の文脈で、いかに個人主義みたいな考え方が、
日本にうまく取り入れられないかっていうところを、
死ぬ間際とかまですごい悩みながら考えて、
それを伝達しようとしている。
そういう講演活動をよく行ってたらしいんですけど、
今日はこの漱石の私の個人主義も踏まえながら、
06:04
個人主義の話をしていければなと思っております。
この本は本当に短い本なので、
宣伝図として取り上げられるところはそんなになくて、
何が言いたいかというと、
個人主義ってもともと欧米の考え方なので、
言っちゃうと結構エゴイスティックな、
本当に理工主義みたいな、どっちかというとそっちに近くて、
エゴをいかに人とぶつけ合って、
それを貫き通すかみたいな、
割と結構攻めてる感じの考え方なんですけど、
漱石はこれをちゃんと日本人の国民性に合うように、
こういうふうに解釈した方がいいという、
説いてくれてる本なんですけど、
3つぐらい漱石がすごく大きいトピックを、
この本で言ってくれてるんですけど、
まず1つに、
自己の個性の発展を成し上げようと思うのであれば、
同時に他人の個性も絶対尊重しなければなりません。
だから欧米の考え方は全く逆ですよね。
欧米は自分の考え方をいかに主張するために、
という考え方なんですけど、
漱石はそれじゃちょっと日本人には伝わらないから、
ちゃんとその利他性を持って、
他人を尊重するような前提にあった上で、
自分の個性を主張するべきだというのを、
すごい言ってて、
あとは自己が所有している権力とか、
使用しようと思うなら、
ちゃんとそれに付随している義務というのを、
心得なければならないと。
権力者というのは権力を行使して、
やっぱり人に圧力を与えたりとか、
道徳規範がなくなっていっちゃうメカニズムというのは、
どうしてもエゴに走っちゃうというところがあるから、
そうならないように、
ちゃんと立しなきゃいけないよと言ってたりとか、
あとは自己の経済力を示そうと願うなら、
それに伴う責任を重んじなければならない。
これもちょっとさっきのと近いですけど、
経済力を持つと、
やっぱり人を使う存在になっていくわけで、
人の力を扱う存在。
そこにさっき言った理性の手当たりとか、
他人を尊重するという考え方がないと、
結構暴走していって、
いわゆる利己主義的な考え方に陥るので、
この3つの考え方を、
ちゃんと持った上で、
自己本位制と言っているんですけど、
結構日本人って、
やっぱり近代化を迎える前って、
よく言われる村社会であるじゃないですか。
和を持って唐突してますけど、
比較的周りと調和しながら、
生活を営むっていう国民性があって、
ただそれだと、
逆に言うと、
利己主義の反対語で集団主義って言うんですけど、
集団主義のままだと、
近代化を迎える上で、
単純に欧米の受け売りというか、
欧米がやってることを単純に真似して、
自分たちの国民性に合わないものを取り入れてしまう。
だから、そうならないように、
09:00
ちゃんと自己本位制を持つべきであって、
これは僕らが過去、
いろいろ散々話してきてるやつなんですけど、
総席はこの時代に、
単純に欧米の真似事はすんなって言ってるんですよ。
それをした時点で、
日本の良さであったりとか、
日本人に合ったやり方とか、
マインドセットみたいなのが根付かないから、
ちゃんと自己本位制というものを持った上で、
それが総席がやってる個人主義みたいな考え方なんですけど、
さらに学習院の講演で、
学習院って金持ちが行く学校でしょ。
これ、今も昔も変わらないですよ。
公室の方が行かれたりとか、
優勝叩き式、
学校という認識があると思うんですけど、
総席がなんでこの話をしてるかというと、
国を作っていく人たちに向けて、
権力とか経済力、
それを理工的に使ってはいけないよと、
それを伝えるために、
この講演を行ったそうなんですけど、
これってやっぱりすごい。
僕が感じたのは、
現代人に向けて、
おき手紙をしたんじゃないかなっていうぐらい、
僕らに当てはまることだなって思ったんですよ。
この総席がいた時代の近代化って、
それこそ江戸時代から明治時代とか、
本当に欧米化、グローバリズムが進む流れだったんで、
もちろん今よりも全然大きいうねりがあったと思うんですけど、
今って結構、
欧米の考え方をどう捉えるか、
みたいな価値観って、
すごい向き合うべき時期に来てて、
前回のフェミニズムの話とかもそうですし、
多様性の話とかもそうですよね。
確かに今ってもう、
欧米の価値観に対する疑いってないですよね。
そうなんですよ。
だからこれがやっぱり最も総席が継承してた部分なんですよね。
もう今だとぶっちゃけ言うと、
SDGsとか言われて何の疑いもなく、
そうだよねって言って受け取ったりとか、
そのアクション自体はいいんだけど、
割と抵抗なく受け取ってるけど、
本当にそうなんだっけかとか。
はっきり物が言えるとかも、
それがいいに決まってるっていう常識はありますよね。
そうそうそう。
だから結局、
法律性とか、
正しさ、正しくなさみたいな話で言って、
現代的にそっちの方が正しいよねみたいな。
わかるんですけど、
それ自体をそのまま受け取ってしまうと、
結局本当にそれが正しいかどうかって、
判断をしないまま受け取っちゃうんで、
結局悪い方に繋がっていっちゃうんじゃないかって思ったそうなんですよね。
夏目漱石の人生を全体的に眺めていくと、
人生の後半くらいにイギリスとかに留学してるんですよ。
この頃にはある程度本も売れてて、
地域的にも割と高い位置あって、
社会的認知もされてて、
だから国からですね、文部省から、
これからその近代化する上で、
12:01
英語教育とかすごい大事だから、
イギリスに行って、
現地調査した上で、
英語教育とか英米文とかっていうものを、
日本に取り入れるための研究をしてくれみたいな感じで、
留学されてたらしくて、
その時にですね、
この壁にぶち当たったらしくて、
単純にこのイギリスの文化を、
そのまま日本に流しちゃうと、
とんでもない悪いことが起きるんじゃないかっていうのを、
すごいその時に感じて、
もう神経衰弱になっちゃう。
今でうつ病みたいな感じになっちゃって、
考えすぎちゃって。
あまりに無理ゲーだからって言って、
これ絶対このままやってもうまくいかないし、
何ならすごい悪い文化を伝えちゃうかもしれないみたいな。
これがさっき言ってた欧米の文化って、
割と自分のエゴというか考えとかやり方とか、
結構押し付け合って戦わせながら、
勝ったものを良しとして、
それを規範にしていくみたいな文化があるんですよ。
それをたぶんそのまま日本人に伝達しても、
もうすぐやっぱりうまくいかないだろうというか、
むしろ逆交換になっちゃうみたいなところは、
すごい論じてて、
宗教の考え方がすごい、
欧米と日本って明らかに違くて、
欧米ってやっぱり一神教というか、
キリスト教ならキリスト教とか、
イスラム教ならイスラム教とか、
必ず一つの神がいて、
その教えを持って、
自分の考えとなすみたいなのがあるじゃないですか。
だから変な話、
人からどう批判されようが、
自分は神の教えを全うしているだけだから、
全然構わないという考え方が強いんですって。
だからコミュニティにおいても、
仲間外れにされても、
全然関係ないんですよ。
神とも通じてるから。
別に神だけ味方であればいいという考え方が強いんで、
すごい強力な個人主義を持っている。
そもそも性質として。
でも日本人って、
考えてみてくださいと、
やおよろずの神ですよ。
神さんめっちゃいっぱいですよ。
木とか石とかそういう自然にね。
そうそう。神羅万象的な。
あとそもそも宗教観でいうと、
何かに根付いて一つの何かをって、
神道とかは一部あるけど、
あんまりそこらへんに頼って生きてるって感覚が、
日本人はないから。
だからいざ誰かと意見を戦わせた時に、
やっぱり耐えられないんですって。
自分がそれを確信を持って言える確証がないから。
それやっぱり日本人の良さでもあり、
弱さみたいなところもあるんだけど、
それがやっぱり村社会っていうものを生んでたりして。
日本だともう村八分にされちゃうと、
生きていけないわけですよ。
もう食べ物ももらえないし、
村で生活できないから。
そういう意味で、
単純にその欧米的な個人主義と、
その教育みたいなのを、
そのまま伝達するわけにはいかないってなって。
15:01
この後、漱石が精神病になりながらも、
でもこれはぶっちゃけ、
ブレイクするはないぞと。
ブレイクするはないぞっていう結論にはなったんだけど、
これを小説に起こして伝えていくべきだってなったんですね。
だからちゃんとその作品にして、
文化として根付かせていくしかないみたいな。
だからこの後も、
このイギリスに渡って、
この学習院で講演とかして、
その後結構すぐに死んじゃったりするんですけど、
でもその間に書かれた3冊の本とか、
例えば心とか、それからとか、門とかですかね。
この辺の小説に関しては、
いわゆるその、
利他性も込めた個人主義みたいなのを、
すごい盛り込んでるらしくて、
これがこの時代で言う、
他の小説家とのすごく大きな違いと言われてるんですよ。
結構アクタガーとかは、
マジでストレートに人間のエゴを描いてて、
欧米的な利好主義を描いてるんですけど、
漱石は全く逆の、
やっぱりちょっとそうじゃない、
より日本人的な、
調和を持ってどうするかっていう考え方を、
伝えようとしてたらしくて。
そんな雰囲気はありますね。
そうそうそうなんですよね。
結構作品から伝わってきますよね。
あとはだから、
よく言われるのが、
打罪批判ですよ。
打罪とかも、
めっちゃ利好主義。
自分のエゴというか、
愛欲、性欲。
まあそうですね。
自分の中で完結してるものが、
世界がね。
あとそれをもって何かに、
もちろん世界観とか、
作品としての芸術性は高いんだけど、
メッセージ性としてそういう、
利他性を伝えるというのは、
全く要素としてはなかったりするんで。
その辺がやっぱり、
漱石が単純な小説家ってよりも、
社会活動家みたいな側面があったりとか、
文化を共有していく教育者みたいな側面に、
繋がっていったんではないかというところで、
僕はこれを見て、
ちょっと漱石を誤解していたなというか、
月が綺麗ですねとか言っちゃってる。
そういうね、
欧米かぶれの人なのかなと思ったんですよ。
その話なんかこの番組知りました?
知りました。
漱石をどう日本語に訳すか?
訳すかみたいな。
漱石は月が綺麗ですねって訳したって話ですか?
そうそうそう。
懐かしいね。
最近ちょっと古い書物とか紹介して、
現代的に解釈できないかみたいな話を、
この番組でよくするんですけど、
この漱石の個人主義の本は、
すごい現代に必要な価値観が、
いっぱい詰まってるんじゃないかなと、
感じた次第なわけなんですけど、
ただね、やっぱり漱石、
結局小説でいろいろ書いたんだけど、
調和ってすごいわかるし、
そうありたいと思うんだけど、
18:00
無理じゃないですか実際。
限りなく近いところまで行きたいと思ったんだけど、
やっぱ無理だなっていうのは、
すごいやっぱり感じながらね、
なくなっていったわけなんですけど、
それが多分今、
この現代社会でも起きてて、
本来の意味での調和。
個人の自己本位性は保ったまま、
それをちゃんと人と調和させながら、
各個人の本位性も尊重しながら、
文化を作っていくみたいな。
多分今はすごい最も、
さらに分岐点を迎えてる時代なのかなと、
思うんですけど、
ちょっと今日ディスカッションのテーマも、
持ってきてるんで。
そうなんですか。
まずね、
現代において、
よく言われる話、
多様性とかお話、
あとは個性が大事ですみたいな話ってあるじゃないですか。
あれって、
人権の話とかもそうなんですけど、
多様性とか個性を尊重すると言いつつ、
めちゃめちゃ同調圧力が高い言葉で、
実は個人主義と言いつつ、
すごい集団主義的な考え方なんですよね。
マイノリティを尊重しなさい。
女性の権利をちゃんと尊重しなさいとかっていう。
僕らが今まで話してて、
ずっとその中、
気持ちは分かるんだけど、
すごい違和感があるメッセージって、
ここに集約されてるのかなと思って。
多分ここがあれですよね。
前回話したサザエさんの話とか、
ここがすごい、
こういうところに違和感が通じてる気がしたんですよ。
確かにそうですね。
その考え方はそもそも知らないけどって思いますよね。
そうそうそうそう。
それを外国でこうだから、
日本も追いつかなきゃみたいな。
それってすごい、
個人とかそういうマイノリティの意見を尊重すると言いつつ、
外国っていうすごい、
大きい長いものに巻かれてる感じというか、
外国が言ってるから、
俺らやらなきゃダメらしいよっていう感覚。
戦略的にそれをやるっていうならいいんですけど、
それを主張してる人たちって別に、
そういうつもりは多分なさそうじゃないですか。
そうなんですよ。
そこまで考えてなさそうだと思うんですよ。
しかも裏にあるのは、
利己主義なのと思うんですよ。
結局自分の影響力を誇示するために言ってたりとか、
そう言ったほうがビジネス的にいいじゃないですか。
美味しいじゃないですか。
だからやっぱ言っちゃうんですよね。
そういうふうに。
結局今の社会において、
そうしたほうがやっぱり旨味が出ちゃうし、
本来の意味での長話ってやっぱり、
だから難しいんだろうなというか、
なんか上辺だけの仕組みとか、
言説だけがどんどん取り立たされて、
何も本質が変わってないみたいな。
21:00
それに対する違和感が、
すごいんじゃないかなと思って。
世の中的にもね。
そうですね。
そうすべきっていう時点で、
ちょっと矛盾してるところがありますからね。
そうそう。すべきみたいな。
べき論みたいな。
べき論は、
多様性は別に尊重できないわけですもんね。
そこをすべきって言っちゃってるみたいな。
あともう一つあるのが、
結局、個人主義は大事だし、
漱石の言うね、
やっぱり多性も考えた長話みたいなのは、
すごい大事だと思うんだけど、
僕らって結局、
ルールとかがあった方が、
楽に生きれるんじゃないか説みたいな。
すごい思ってて。
自由だ、平等だとか言うじゃないですか。
でも、僕らって法律とか、
学校で言えば拘束とか、
あとは宗教もそうですよね。
なんか義範みたいなのがあって、
これは欧米も日本もそうなんですけど、
例えば欧米人で言ったら、
宗教なくなったら、
マジで生きていけないやつが、
めっちゃいると思うんですよ。
神が言ってるから、
こうだっていう確信があって、
それを持って生きて、
生きるっていう、
一つの自分の中での規範が、
できてるだけで、
それがなくなった時に、
生きていけないんじゃないかなと思って。
なおかつ僕らもそうですよね。
法律とか、
あとは社会のルール。
ある種、それがあるから、
何も考えずにそれに従えるじゃないですか。
すごい楽なんだと思うんですよ。
その考え方。
だからこれが、
そのサザエさん論で言うと、
そういう論があった方が、
僕らってそれに寄りかかれるから、
楽なんですよね。
すごい集団的な、
集団主義的な考え方に寄り添ってきてて、
すっごいダブルスタンダードを抱えてるんですよ。
たぶん夏目漱石がね、
本来が言いたかったところで言うと、
自己本位性っていうのは重要で、
それがあることで他人を尊重できるし、
すごい正しいことを言ってるんですけど、
だから少しでも現代人に、
何かそこからインストールできるとすると、
やっぱり自分の考えとか、
自己中ではないんだけど、
やっぱり自分が何でこうしたいかとかっていうのは、
すごい持ってる必要があって、
単純にその人の意見に寄りかかっていると、
日本の文化はどんどん、
よくわからない方向に行っていくし、
アートとかもそうだし、
政治もそうなのかもしれないし、
マッサージ屋のおっさんがいいことを言ってくれたじゃないですか、
この番組もマッサージ屋のおじさんめっちゃこすってますけど、
逆輸入しちゃうわけですよ。
その自己本位性と、
ちゃんと自分たちとして、
他人の真似事をする時に、
ちゃんと自分たちなりの解釈をしないと、
やっぱり人の真似事になっちゃうし、
正しいかどうかもわからないし。
そうですね。
この間、日本史とかにすごい詳しい人と、
24:00
ちょっと食事しながら喋ったんですけど、
やっぱりそのこう、
左っぽい主張って、
やっぱり日本の歴史とか、
知らない人たちなんだろうねって話はしましたね。
知ってたら、
そういう風な論調にはならないというか、
もう少し気持ちはわかるけど、
そうは簡単に言えないよなってなる気がするんですよ。
この夏目漱石のこの下にもそうなんですよね。
なんかそうなんですよね。
結局その歴史を知るって、
だからその日本人の国民性とかルーツとか、
どういう生活してきたかとかを知る文化とかね、
知るっていうことだから、
やっぱり、だから結構これが1900年代以降、
大きい明治維新とかあって、
あと大戦とかもあったじゃないですか。
その流れですごい、
僕らが急速に欧米化しちゃったみたいなところはあって、
そこの弊害なのかなっていうのもありつつ、
歴史を見なくなっちゃったみたいなのもあるかもしれないですよね。
だからやっぱり自分たちを理解するっていう、
理解した上で自分たちがどういう意見を言うかみたいなのはね、
すごい大事なんだろうなっていうのと、
特に今、
ある意味無垢な状態だと思うんですよ。
バイアスがある意味ないところもあって、
前回のエピソードの、
信長の家来の、
安系の話なんですけど、
人種的な先入観がなかったりとか、
っていうところもあって、
やっぱりすごい、
単純に海外の、
欧米とか、
ちょっと大陸側のアジアの国ともそうなのかもしれないけど、
単純に比較できない、
文化とかを持ってたりするので、
やっぱりそれを踏まえた上で、
自分たちの考え方を作っていけると、
より、
今、日本って大変な国じゃないですか。
いろんな意味で、経済的な意味でもそうだし、
政治的な意味でも大変な国だと思うんですけど、
なんかそういうね、
本来の日本の良さみたいなものが。
今って、世界の中の日本っていう目線で、
物を語らなくても良さそうというか、
そんな必要がないじゃないですか。
あんまりそういう視点での意見って、
なんかちょっと不要な感じがしちゃうというか。
確かに確かに。
世界の中で、
日本っていう国がどういう国であるべきなのかとか考えた上で、
日本人の良さを理解した上で、
海外の良いところを取り入れて、
日本人としてより強くなっていくみたいな、
そういうふうに考えたら、
そんな短絡的な、
欧米的なものを取り入れるっていうふうには、
ならないんじゃないかなっていつも思いますけどね。
確かに確かに確かに。
欧米になりたいなら別ですけどね。
なんかそこね、だから、
欧米になりたい人もいるっちゃいるんだよね。
なんか欧米っぽい、
なんかそこがやっぱり、
この新しい時代における、
新自由主義の考え方じゃないですけど、
27:01
やっぱり欧米列強に追いつくためには、
そのやり方を。
追いつくための方法として、
欧米になるっていう。
そうなんですね。
それは確かにハックとしては面白いけど。
まあそうなんですね。
今の話ってすごい重要だと思ってて、
ここが政治を考える上での一番大事なところだと思うんですよ。
世界と戦っていく上で、
どういう戦い方をするかっていうところが、
これ多分正解がないから、
これがそれこそ政党とかによって違っていいと思うんですけど、
そこのイデオロギーがそれぞれ違うっていう視点で、
政治ってあんまり見られてない気がするから。
これやっぱり政治に対して無関心な、
この世の中じゃないですか。
もう全然興味ないじゃないですか。
言っちゃうと。
なんならカブー化されてるみたいな。
なんか話すとダメみたいな、
雰囲気さえあるみたいな。
それってやっぱりこの漱石とか、
今タダさんが言ってくれた話とかの、
文脈でできてる国民性になっちゃったということなんですかね。
どういうことですか。
だから、あれじゃないですか。
自己本位性っていうのがないまま、
やっぱり戦後、太平洋戦争の後来ちゃって、
そこにイデオロギーっていう、
もともと結構色濃く持ってたのかもしれないけど、
それ以降そこの本位性がやっぱりなくなってしまって、
ナショナリズムなのか、
パトリオティズムなのかというところですけど、
そういうのが失われてったなれの果てが、
欧米的なリベラルな感覚とかを、
特に理解せずに取り入れてしまって、
感覚的にそれを語るようになっちゃったから、
そもそも政治って無意味じゃねみたいな、
距離がすごいそこで出ちゃったのかなと思って。
そうですね。
今ちょっとでも日本人としてというか、
そういうナショナリズムっぽいフィギュアが出ると、
それだけで右翼って言われるんですけど、
そうでしょ。
そうなんですよ。
だからちょっとでも出すと右翼ですか。
これってめっちゃ欧米的な考え方と思いません?
あれはすごい分かれてて派閥が、
で、お前そっち派かみたいな、
俺はこっちだから、
俺の意見は突き通すぞみたいな、
そういう関係性で、
その価値観を植え付けられすぎちゃって、
政治肝みたいな、
そういう感覚が強いのかなって。
日本人ってものを意識した途端に、
右翼って言われるぐらい、
今ってもう欧米っぽいですね。
欧米っぽいよ。
だからちょっとでもリベラルからそれると、
ネトウヨか、ネトウヨと呼ばれる説みたいな、
あるじゃん。
なんかこれってやっぱり、
この自己本位性がなくなったゆえの、
行き着いた果てなのかなと思って。
だからそれを持つこと自体が、
なんていうの、
野蛮というかさ、
ちょっとでも日本いいぜ、
とか言うと、
やっぱりどうしても右翼の意味。
30:01
百田グループって言われるから。
百田グループって言われるから。
百田直樹グループ。
でも今の日本とその姿って、
戦後のGHQの改革の思う都合ですけどね。
そうなのよ。
だって今の日本みたいにしたかったんだから、
だから結局、
それを強制的に僕らがインストールされて、
こうなっちゃったっていう。
だから本来持つべき、
その政治的な感覚とか、
あとはその日本人っていう、
日本人である尊厳みたいなやつ。
別にそんなのなくてもいいと思うけど、
なんかその虐げる文化があるじゃん。
そもそも日本的であることが、
もういかにも非合理的で、
ちょっと間違った軍国主義っぽい感じで、
あともう一つ言うと、
結局その個人主義、
個人主義っていう言葉が、
良くも悪くも取り立たされている世の中で、
これは欧米では当たり前なんだけど、
個人主義って結局、
ある意味ちょっと自己責任論的なところも入っちゃってて、
何かこう災いとか戦争が起きた時に、
自分で自分たちを守らなきゃいけないっていう、
考え方なわけですよ。
だからその軍事的な考え方とか、
防衛的な考え方も、
欧米的なものを取り入れた時点で、
結構この価値観自体を見直さなきゃいけなくて、
自分たちの身は自分たちで守らなきゃいけないっていう、
感覚を落とし込まなきゃいけないんですよね。
今ってなんかそれってすごい、
日本ってめっちゃ多席じゃないですか。
守ってくれるみたいな感覚。
ここでやっぱ日本人に問われている、
どっちを選ぶと自分たちがいいのかっていうのは、
結構求められている時代なのかなと思ってて、
これを考えたら結構政治、
ちゃんと見た方がいいよっていうのが、
感じるところですよね。
めちゃくちゃそうなんですけど、
この番組で渡さんと僕で、
政治的なスタンスがちょっと違うよ、
みたいな前提でやってきたんですけど、
渡さんが話してる話って、
僕が言いたいやつなんですよ。
僕ね、今日この本を紹介して、
これ渡さんの声で話すやつなんじゃないかなって、
思いながら話してます。
全くそうですよね。
だからこれをね、
そうなんですよ。
ちょっと僕もなんか、
右に寄ってきてますね。
心配になっちゃったんですか。
僕は今の話って健全なところにいると思うんですよ。
健全な保守というかね。
これだけで左翼の人は絶対右翼を握っていますよね。
そうでしょうね。
ただ僕は別に軍事的なことを賛同してるわけじゃないですよ。
それがいいって言ってるんじゃなくて、
それを向き合わなきゃいけない時に来てて、
それをちゃんと直視しないとダメじゃないですか。
それをこう逃げてるというか、
なんかすごい自己本位性がない。
33:03
このやっぱり、正直な話がずっと。
自己本位性がないじゃないですか。
本当にアメリカ様みたいな感じじゃんって。
そうですよね。
不思議な回です。
僕がうまくしたってますからね。
本当に僕がそういう主張をしたいんですけど、
まさかのワタさんが夏目宗介を引っ張ってきてまで。
うよ投稿し始めてた。
全く僕も賛同でしますけどね。
逆に言うとリベラルな感じがしないんですよ。
日本大好き軍国主義みたいな。
めっちゃリベラルじゃないですか。
その感覚って。
それに違和感をすごい覚え始めてるんですよね。
昔からあったんだけど、
最近ようやく言語化できるようになってるっていう感じなのかもしれないですけど。
それが逆に言うとその左が嫌われる理由でもあるわけですよね。
極端だし。
すごい抑圧的じゃん。
その感覚自体が。
僕は自分なんかが本当はリベラリズムだと思ってるんですよ。
直すべきところはしっかり直していくとか、
そういう感覚で見ていたいんですけど、
今の左の人たちがちょっと行き過ぎてるから。
あえて一応保守層にいると自分は言ってますけど、
本来であれば僕はリベラルだと思ってるぐらいなんですよ。
分かりますよ。
僕もそれに近くて。
本来は多分ニュートラルなんだけど。
多分誰しもこの感覚ってあるじゃないですか。
多分ベースはそこなんだけど、
極端な人たちに対する拒絶反応がどうしても出ちゃって、
ちょっと偏りがちになってしまうみたいなことなんでしょうね。
自己表現として活動してるじゃないですか、彼らは。
そうですよ。
だから自己保診と自己正当活動になってる。
それをもって政治肝みたいなのはあると思います。
僕らもこういう発信してる時点で肝って思われると思うんですよ。
確かに極端な思想で言うと、
街中での活動、外戦カーとかもそうですし、
あのイメージもそう。
あれはでもネガキャンだからね、言っちゃうと。
右左の極端な例なんだよね。
失われた機能としては、
失われさせられたみたいな側面もあって、
政治に対する拒絶反応みたいな。
やっぱり総席が一番危惧してたことなんじゃないですか、
こういうのが直視できない状態を作られちゃって、
36:02
それに向き合ってること自体が寒いというか、
ちょっと冷笑主義っぽい感じが蔓延してて、
別にっていう、別に的な個人主義あるじゃん。
前回取り立たされた佐々井さんのことを言ってるインフルエンサーとか、
僕そうだと思ってるんですけど、
個人主義とは違うんだよね。
自分の考えがイコール世間で、
その還元方自体が絶対正しいよ。
だってもうみんなそう言ってるし、
欧米みんなそうじゃんみたいな。
それって合理性の意味では正しかったりするから、
それに対する反証できないんですよね。
国家観とかそういう思想、
日本人ってこうで痛い、こういう歴史があるから、
こうであるべきだよねとかっていうやつって、
合理性には絶対勝てないから。
だからやっぱり自信を持てると思うんですよ。
一見倫理感がありそうに見えるっていうのもあるよね。
高感度上がりそうみたいな。
政治のことで、
なんで政治の話になるとタブ化されてるというか、
その理由の一つとして、
僕思うのは政治の話って、
基本的に人格否定から避けられないからだと思ってて、
僕正直政治の話をするときって、
絶対に人格否定入るんだと思うんですよ。
これってほぼ例外ないぐらいじゃないかなと思ってて、
どんな人でも、
多様性マイノリティとかそういうことを言ってる人でも、
絶対に自分の意見を主張するときに、
自分と違う意見の人の人格否定絶対するんですよ。
これってなんか程度はあれど、
みんなそうだと思うんですよ。
だから政治の話って、
絶対人格否定っぽいのが挟むから、
嫌悪感を抱く人はいるんじゃないかなと思って、
だから人格否定を一切しないように努めていけば、
政治の話もうまくできるんじゃないかと思うんですけど、
政治の話ってそれできないんじゃないかと思うんですよ。
自分と違う人を人手なしとして扱わないと、
自分の意見って制度ができないじゃないですか。
人を落として自分を上げるっていうテクニックですね。
まあ左の人は右の人が戦争がした人でなしだと思ってるし、
右の人は頭悪い人だと思ってるし。
でもやっぱり集団的思考に囚われすぎてるから、
あいつの考え方はおかしい。
普通に考えておかしいでしょみたいなのを晒すわけでしょ。
でも本来は個人の考え方を尊重した上で調和を見出すっていう。
そこじゃないですか。
これは日本人が無理やり欧米化しちゃったなれの端っていうのを、
これもその話なのかと思って。
39:00
そういうディベート能力とか、
基本的に人との意見を比べるときの正当化の手段が、
やっぱりそういう手段しか選べないし、
そこがやっぱり日本人っぽい。
村八部感があるんだよね。
晒してさあいつは間違った、頭気狂ったやつですね。
受け物にする仕組みを使うじゃないですか。
日本人の特性を生かした、そういうやり方をするというか。
これは本当に海外で言うと、別に頭がおかしかったとしても、
そいつがいかに理由弁でちゃんとパフォーマンスができれば評価されたりとかあるんですけど、
日本ってもうアウトの発言をした時点で、
もうキャンセルカルチャーの対象になっちゃうんで。
もう排他されちゃうんですよ、その時点で。
そこで日本人の特性が増幅されて、そこに出ちゃうんですね。
そうそうそうそうなんですよ。
本来は相手の立場も踏まえて、そこでいいところを引っ張り上げつつ、建設的な意見を交わしていくのが、
やっぱり議論のいいところじゃないですか。
絶対的な否定の下、俺の意見正しいよねって。
だからこれでいこうよみたいになって。
だから今別に物事を解決しようと思って行われてる議論じゃないんですよね。
そうですね。
そういうための議論だから。
そうそうそう、それもあるね。
だからもうその火種の時点で間違ってるのかもしれない。
だからそもそも、討論してどっちかが勝ち負けて、勝者と敗者が別れ打ち合って気持ちいいっていう。
平和すぎますよね、そんな。
そうですね。もうちょっと話して身のある答え出すよね。
だって今は相手の社会的評価を下げるっていう論破が円溜めになってるぐらい、
やっぱり解決することが目的じゃないんですよね。
だからこれはまんまと日本人の悪いところが出ちゃったパターンだよね、これに関しては。
そうですね。
だってもうそれでウェーって言って、死ねーって言って、アホ教授が怒るわけでしょ。
あれって欧米だとあるんですか、ああいう炎上で追い込んでなんとかっていうのは、欧米もあるんですか。
まあ全くないとは言わないんですけど、ここまではないんじゃない。
これって日本独特の空間ですかね。
こういう韓国とかをよく見ますけどね、ニュースとかで。
なるほど。
でもやっぱりアメリカとかで逆に言うとこういうのは聞かない。
あんまりいないですよね。
そもそも勝敗を、勝ち負けを明らかに結果を出すためにやるディベートとかもやってるし、そういう文化が前提あるから、負けてちょっとおかしいこと言ってるからって炎上問題にはならないんじゃないかね。
そうですね、あんまりそういうのって聞かないなっていう。最終的には自分の中で神がいるからって。
そうなんですよ。
42:01
あとはそこは逆に言うと日本よりも上手くやるというか、相手も称えつつ、もちろんリスペクトの精神を。
まあドライなところがあるっていうか。
そうそうそう。宗教的にもあるじゃないですか。他者をあまり強いてあげてはいけないというか。そこも保ちつつ自分の好感度も上がるから。
それに逆に言うと凄いダサン的で合理的な感じは言えるけど、そこは日本と違うんじゃない。日本はマジでボコるからね。死ぬとこまでボコるから。
そうですね。
だから凄い漱石が言ってることが刺さったわけですよ。今のこと言ってんじゃんって。間違った手個人主義を取り入れちゃったという風に。暴走し始めちゃったというか。
なるほど。
でも一つ漱石の本でも書いてるんですけど、話したりとか勉強することはとにかく大事だって言うわけですよ。勉強しないから無知だからそうなっちゃうっていうのはあるわけなんですよね。
勉強した上で自己本位性とか自分の意見が出てくるんで。議論を交わすっていうのも勉強のうちだから、本当にそこを多少引いてあげない形で議論をしたりとか、ちゃんと勉強をしてっていうのは大事だよっていうことをね。凄い教育者だなっていう感じのことを言ってますけど。
いい本だと思いました。いい本というか講演の内容ですけど。漱石が結構ダメ人間なところもあるんですよね。結構苦労人で色々と、確か学習院とか入れなかったんですよ。漱石って。受験とかしてるのかな。
苦労話とかもこの講演中にしてて、結構人間性が。なんかちょっとなんかあるとメンタルおかしくなっちゃうんですよ。漱石って。すぐ神経衰弱。留学の時の神経衰弱も何回目かの神経衰弱だから。最終的に漱石って異海洋で死んじゃうんですけど。50歳ぐらいで。
ああやっぱりそこもじゃあメンタルですね。
ストレスが繋がっていったのかもしれないですよね。だから結構人間ぽくて。好きになりましたよね。夏目漱石は。
副在口はあれだけど漱石はいいんですね。
副在口は本当にね。ネオリビューの講演みたいな。ちょっと言い過ぎかもしれないけど。
そうか。どうしてもお札の人ってことでなんとなく漱石とユキチと。
でもユキチは1万で上ですから。漱石の比喩力的に。
そのせいでそんなイメージちょっとあっちゃいますよね。
あっちゃいますよね。僕はね納得いかなかったですよ。それで言うとやっぱり漱石が1000円っていうね。もっと評価されてもいいんじゃないかなっていう気はしましたけど。
これあれですね。これでお札全員行きましたね。ユキチと稲造と。
45:04
行ったね。稲造行ったね。じゃあちょっと現代版行きますか。渋沢栄一とか。一旦あれですね。旧札ではコンプしたんですけど。
そうですね。あれ今そうでしたっけ?あれ樋口一洋ってなんでしたっけ?
樋口一洋はいたね。もう最近お札売れてないからもう2人とも分かんない。もうヤバい。
行きましたね。お札シリーズでも面白かったです。
お札シリーズだったんですね。
お札シリーズだった。これ。そう。ビルを尽きるとしたらお札シリーズだった。でも二戸稲造と漱石は結構話をちゃんと見たら感銘を受けましたね。ユキチはちょっとやっぱりどうしても。
あの回は面白かったですね。僕の中で一押しです。ババタさんがすごい面白かったなって。
ちょっとああいうだから逸材を引っ張り出しちゃったですね。それでいじるみたいな。漱石はもうめっちゃいい人だったから。
じゃあスピーチはもうジョーブズじゃなくて漱石を。
スピーチをみんな学習院のスタンフォードじゃなくて学習院のスピーチを聞いてもらって。聞いて聞けないけど見てもらってね。
人生の指標になるような感じになればいいなと思うんですけど。ちょっとまたこれからお札シリーズ続くかもしれないので。
そうですね。
今後期待いただければなと思います。じゃあそんなこんなで今回はお開きということでありがとうございました。
ありがとうございました。
46:46

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