へぇー、なるほどなぁ。
わかるかな、これ伝わる人と伝わらない人、多分いると思うんだけど、会社とかでもそうなのかな。
自分がプレイヤーで何かガンガンやっていたところから、例えば新しいメンバーが入ってきて、若いメンバーたちにそれを教えていくことで、会社としての価値がより上がっていくみたいな感覚ともしかしたら似ているのかもしれないんですけど、
人生というか生活全てにおいても、どうしたって息子は私より30歳若くて、次世代、次次世代ぐらいを生きる人間を豊かに育成することって、実はすごく価値があることなんじゃないかなって思ってるっていう感じ。
聞きながら思い出すのは、ディズニーピクサーのリメンバーミーっていう映画でご覧になった?
リメンバーミーはね、わかんない。
これになってない?
なってないかもしれない。
今すぐ見てほしいな。
うんうん。
メキシコが舞台で、死者の火をモチーフにした映画で、死者の火っていうのは日本でいうお盆みたいなところで、お家に花の壇と、ひなげしじゃなくてなんだろうな、オレンジの花が、お家に死んだ人の写真を飾るんですね。
紙棚みたいな物があって、ずっと先から日本に例えるけど、写真を並べて、その写真が並んでると、その家族の元に魂が帰ってこれるっていう。
写真がないと魂帰ってこれないと。
要するに、この世に生きている人の誰か、誰の記憶からも亡くなった時に人は本当に死ぬんだっていう話なんですよ。
うんうんうん。
だから、リメンバーミーっていう放題画の子供に、自分のことをどんなふうに覚えててもらいたいかみたいな話が、リメンバーミーっていうお話の肝なんですけれども、
次世代に繋いでいくっていう時に、自分のことを覚えててもらえるっていうものが、自分が死んでいくことへの恐怖を和らげるというか。
なるほどね。
なんかそういうことを感じたりしたんですよね。
だから、自分は主役じゃないけど自分が主役みたいな話とかね、そのことを思い出しながら。
確かに。似てんのかな。
どういうふうに覚えててほしいっていう感じはまだない。
私もまだ30代なので、自分が死ぬと思ってないから、まだ多分そこの気持ちが出てこないだけなのかもしれないですけど。
単純に今いろんなね、私も一応大学院で大人の発達を勉強してきたんですけど、大人の発達の前段階の子どもの発達についても勉強するんですよね。
どういう声かけだったりとか、どういう環境だったりとか、どういう性質というか、特徴を持った子どもっていうのが、今の社会の中で、例えば幸福に生きるかとか、お金を稼ぐっていう意味での成功するかとかね、いろんなものが出てると思うんですけど、
そういうのも、深くはないけれども学んできた中で、やっぱり今、息子が4歳のタイミングで、私がしてあげられる彼の人生の最大化ってことを考えたら、私の人生を輝かせることよりも、そっち超大事だなって思っちゃったんだよね。
でも、それがあんまり自己犠牲感がなくて、全くなくて、逆に。たぶんね、2年前とか3年前の私だったら、もっと私やりたいことあって、もっと頑張りたいのに息子がいて、子育てもしながらだと、やっぱり体力的にも精神的にも難しいみたいな感じの感覚になってたんですけど、でもそことはちょっとまた違う感覚なんですよね。
うーん、なるほどね。なんかその、息子によって邪魔されてみたいなことを思っちゃうみたいな。僕、先週の金曜日の話なんですけど、その前かな、なんかね、次男坊が前の晩にちょっと微熱があって、明日学校行けるかなどうかなみたいな感じで、朝起きたら、熱は全然ないんだけど、案の定なんか学校行きたくないというふうにすっごい崩って。
お休みさせたんですよ、その日は。でも僕はその日は1日、自分のことをいろいろ整えたい日だったんですよ。
筋トレもしたいし、仕事のこととかいろいろ整理して考えたいし、たしか前回のエピソードで、12月は自分の振り返りをしてて、1月以降に向けていろいろ仕込んでるんだっていう話をしたと思うんですけど、まさにそれを1日かけて自分で取り組もうとしてた、そういう日だったんだけど、1日、家に元気を持て余した1年生男子がいたら、
なかなかほっといてくれないから。
ならないよね、そうですよね。
一方で僕がやりたいことっていうのは、すごく曖昧なこと、誰かと約束した何々があるとかじゃなくて、自分のためにいろいろ投資として時間を使おうと思っていたみたいな話なので、その計画が狂わされたことに、1日僕はもう調子狂ったままだったんですよ。
結局、夜寝る前に自分で風呂の中でボイスレコーダー出して振り返り、確かに勘弁してくれ、勘弁してくれって言ってたんですよ。
切実。
1日僕は自分のペースを満たされたり、勘弁してくれっていうふうにわざわざ日記に書くぐらい追い込まれてたんだけど、やっぱりシュー開けてみて、どうせ勘弁してくれなんて叫ぶぐらいだったら、がっつり子供と遊べばよかったなとか。
その方が双方にとって素敵な思い出になったんじゃねっていうことを思って、今はもうその後悔の念が積み上がっておりまして。
苦しんでる。
過ぎてしまったものは仕方がないんだけど。
しょうがないけどね。
だし、そういうことに気づけたっていうことで僕にとっては意味があるんだけど。
そうですね。
やっぱね、濁流に飲み込まれてる最中には本当に自分のそういう客観視が難しいんだなと。
そうね、目の前で指寸関数的に機能と体力が伸びていく子供を観察しながら、それとの関わりで自分自身もこういうふうに世の中の捉え方が変わったりとか、この関係性の捉え方が変わったりとか、自分の時間の使い方に対する意味付けが変わったりとか。
あとね、声かけが変わると向こうの反応も変わったり、明らかに生き生きした顔をして、自信を持った顔をして何か行動するようになったりするから、すごく面白いんですよ。
そうなのかもな。このままの成長が嬉しいとか、次世代にバトンを持っているのもそうだけど、私の自己満足的な知的好奇心とか喜びみたいなのも、今のようやくこのフェーズになって満たされるのが子育てになってきたのかもしれない。話しててそんな気がしてきた。
結構好きなんですよね。学ぶのが好きだから、子育ての彼の中の心理状況ってどうだろうとか、どういう声かけがより彼の成長を後押しするんだろうかってことを考えるのが好きなタイプだから楽しいのかな。
かけがえのない時間を過ごしてるんだなっていうことを肩に口から伝わってきますよ。
だから、また後でりしゃさんと話したいなと思うんですけど、ペアレンティング、子育てっていうのに結構ハマり始めてるので、自分のこれまでメラメラしたものっていう感が、ちょっと小さくなった感じっていうのはあるんですよね。
ノータブルラジオ。
僕の中で今回のその一連のメタ認知できて振り返れたポイントは、勘弁してくれって回文章残したことだと思ってて。
発してるときに違和感はあったんですよ。
そうなんだ。
自分の人生で自分の好きにできた一日の締めくくりが、こんな叫びで終わるっていうのは、なんかおかしいよな、そんなはずはないよなと思いながら、勘弁してくれ勘弁してくれって言って。
それを読み返してるわけではないんだけども、振り返ったときに、あの日は勘弁してくれって言って終わったなっていうことが、なんかおかしいよなそれっていうふうに思えたので、
本当にくだらないものでも、自分の気持ちとかを何かに残しておくのは大事だなって、改めて思ったっていう。
めちゃめちゃ大事、めちゃめちゃ大事。
残しておく、本当に言葉だけで、気持ちだけでいいから、勘弁してくれだけでもいいから残しておく、大事。
なんでそう思ったのかっていうのが、いろいろ考えるヒントになるなっていうのと、
あとは、そうだなとはいえ、そんなにゆっくり子供と向き合う時間ないよっていうケースが結構多いとは思うんですよね。
で、やっぱそのときに忘れたくないのは、延々には続かないっていう。
やっぱ15歳になって抱っこしてくれとか絶対言われないし。
ちょっとね、それ緊急事態かな。
ね、言ってくれるときってね。
そうだし、なんかトイレついてきてくれとかね、そういうのもね、10歳くらいになったらもう、
10歳くらいになったらまだケース拭いてくれみたいなのもね、なんかないけど。
かわいい。
その、そういうのっていつの間にか終わるので、延々ではない。
延々ではない。
自分の人生もそうだし、延々ではないっていうことを忘れがちなんだけれども、
そこちょっと思い出すと、
なんだろうな、打開策も自然と出てくるんじゃないかなって思うので。
そうね、そうね。
いや、あとなんかこれはまたちょっと別軸になっちゃうかもしれないんですけど、
大体の人が仕事と、あと育児で、こうなんだろうな、狭間になって苦しむわけじゃないですか。
何のために仕事をするんだっけっていうのを考えてみるのも、
一ついいのかなっていう気がしていて、
結局その仕事をするって、自分のため、自分の心が満たされるってことももちろんそうだけど、
お金を生み出すっていうことも大きな理由じゃないですか。
お金を使って自分が何をしたいのかって考えたときに、
今いる子供のためにお金を使いたいとか、教育のためにってもちろんあるけれども、
それって結局子供を幸せにしたくて、お金を稼いでる部分もあるから、
目の前の子供をないがしろにし続けてしまうことって、
実は自分が求めている理想と相反することを無意識のうちにしている可能性がゼロじゃないっていうのは、
結構私も自生の中で出てきたものがあって、
これは本当に理想論に聞こえるんですけど、
結局お金を子供に使うだけじゃないから、いろんな使い方があるからなんですけど、
その一つの多くの人にとって大きな理由の、子供とか家族とかの幸せのためにお金を作って使いたいと思っているのであれば、
実は裏の裏で、求めている理想と、今自分がやってしまっている現実とぶつかってて、
そこに災難でいる場合もある気がするから、
じゃあ今この瞬間に優先するべきことって何なんだろうかっていうのに、
ちょっと思考を話して、もう1回自分の幸せの定義とか、何のために働くのかってことを考えてから、
一呼吸して子供と接するっていうのは、結構私は聞くんですよね。
今このメールやらなきゃいけないのかなとか、今このチャットをやらなきゃいけない、わけじゃない。
やっぱり一番大切なのは家族としての幸せとか、息子に対してなので、
っていうのを結構日々私はやってて、結構効果があるので、
しかも自分の中での幸せを、主観的幸せをすごく幸福感が明確にできるから、
ちょっと一つの道しるべになるので、もし悩んでる方がいたらやってみてほしいですね。
いやマジでね、やった方が良くて、仕事での評価されることが人生になっている人あまりにも多いと思うんですよ。
それは安直な、わかりやすくて経済的に有効な、安直な指標だと思うんですよね。
子供が生まれたときに、全ての人が子供のために働いてるかって言ったら、そうではないはずなんですよ。
産休育休を取る、産休は女性にしかないでしょ。
日本の場合は、数ヶ月お休みできることがほとんどで、その間にお腹の中に子供がいて、
その子が生まれてきた後にどうやって自分のキャリアと家族と子供と守っていくかっていうことをじっくりじっくり考える時間っていうのは多分ある。
のんきではない。それはすごく大事な時間だし、そういうのがあると。
男性の方ってそういう時間がかけていて、職場からの声かけるかも。
子供が生まれるんじゃますます頑張らなきゃだなみたいな話になるし、一時的に働いてるのはパパで、
奥さんは母親として家にいるみたいな構図が一回事実として発生することによって、
自分は仕事を頑張ることで家族を守っているのであるみたいなふうに、もともとそういうこととか考えてなくて、
ただただ今までの学業とか部活動とかの延長で職場で評価されることが自分の人生を豊かにするんだと。
職場の中で自分が確固たるポジションを築くことが自分の心の安定につながるんだという、
仕事イコール人生みたいなものがどんどん強化されていった先に、新しい要素として家族が出てきて、
それを支えるためにさらに頑張らなければいけないということで、価値観の整理をしないまま。
アドオンしてるだけなんですよね。
アドオンしてるだけで大黒柱になっている人がとても多いと。
これはデータないけど、自分の体感で。
自分自身のことを考えてもそうだし。
僕は会社辞めて妻の仕事について行って、イギリス行って主婦になった後に、