よろしくお願いします。
タカランって、女性の活躍に理解があると言ってしまうと、ちょっとそれも違う気がするんですけど、
感覚が男性的でない、ちょっと女性的な感覚をお持ちかなってずっと思っていて、
そうなんです。
そんなところも今日のお話の中で出てくるんじゃないかなと思うんですけど、
私、今日タカランとすごい話したかったのは、
ヤコちゃんが、今3級中だからタカランに出ていただいてるんですけど、
ヤコちゃんが子供を産んで、
そうすると私もやっぱり子供を産んだ頃のこととかよく思い出すんですよね。
いつから母になったかな、母っていう自覚が芽生えたかなっていうのと、
男性はいつ父になるんだろうっていうのがちょっと気になってて、
何か覚えありますか?今小市の娘さんが上の子だから、
そうですね、16年前になりますよね。
私もヤコちゃんのね、出産されたっていうのを一方を聞いて、
わーって思って、今お母さんになったんだよなっていうの?
今、いつから母になるって話ですけど、今回は。
まずは子供を産まれて、母じゃなかった女性が母になった、
父じゃなかった男性が父になったっていうことではあると思ってて、
私、子供産まれた時、立ち会いしたんですよね。
立ち会い出産で、ビデオを持ちながらですね、
妻が一生懸命やってるのを見て、本当に出てきたところっていうのを立ち会ったんですけど、
その時の感想ですよね、やっぱりもう、わーって感じ。
わー。
なんだろう、命が出てきた感じ。
ずっとそれまでも、奥さんのお腹はだんだん大きくなっていって、
で、その赤ちゃんがいることは感じてるわけじゃないですか。
で、出産っていうその、なんだろう、ちょっと壮絶な場面というか、
痛そうな感じとか、そういうのを見て、わーなのか、
命が出てきたのわーなのか、どんな感じなんですか、そのわーって。
えっとですね、やっぱりだんだんだんだんお腹が大きくなってきたっていうのは、
私は父は男性の立場だから、夫の方だから、見てわかるとかね、
もちろん態度、お腹触ってわかるとかだけど、
体内にいる女性、奥さんとかと比べたら、感じた方は全然違うんだろうなと思いますけど、
父親になるんだなーって感じですよね、その頃。
あーそうですよね。
で、何をもて父となったかって、何をもて言ってはいるかなってあるんですけど、
あのね、さっき女性側の気持ちになりやすいっていうのがなんとなくあって、
やっぱ妻がその腎痛始まってからのこう、やっぱすごい苦しそうな、
苦しかったりとかギューって握りしめたりとかっていうの姿見て、
もうほんと大変なことだなーって思いながら、その結果もう出てくる。
出てきた赤ちゃんっていうのを見て、なんだろ、まずありがとうって言ったんですよね。
そんなにね、わーって出てきて、わーって、ありがとうって言って。
なんかその時に、なんだろうな、父になったっていうよりは、
命を見たっていうか命の誕生の、こういうことなんだな、
なんとなくそういうのは、どっかで動画でも何でも見たことあるはずなんですよ。
でもその瞬間を見たことで、命ってなんかすごい大変なんだなっていうのを感じたのが、
親になったとか父になったとかっていうよりは、そこで何か切り替わった感じがちょっとありました、感覚的に。
何かが切り替わった感じ。面白いですね。
逆にそう、お母さんとしてはね、いつ母になったかなって、さやさん今言ったのって、
私もやっぱり興味あって、やっぱりもうお腹の中にいた、いる状態から感じているわけですよね。
そうなんでしょうね。なんかこの話を私がしたいなと思ったのが、
ちょっと先に進んで、生まれてから1ヶ月以内だったと思うんですよね。
息子側も鼻水が止まらなくなっちゃって、1ヶ月ちょっと経ってからかな、ちょっとどっちか分からない。
でも、これ風邪だなっていう状況になっちゃったんですね。
で、鼻水ならならなかった。でも小児科とかには連れて行きたくないな、冬だったので。
って思った時に、地美科に連れて行こうと思って。
で、実家にいたから母が先に診察券入れてくれて、私が後から行ったんですけど、
看護師さんだったかな、息子の状態を見た後に、お母さんは大丈夫ですかって聞かれたんですね。
おー、はいはい。
で、私じゃないですか、お母さんって。
あの、母は大丈夫ですって。
私ね、なんかね、その時に、自分のお母さんのこと聞かれたと思って、
この看護師さん、お母さんの知り合いなのかなとか思ってね。
大丈夫ですとか言いながら、なんか、あ、違う、お母さんって私じゃんって思ったんですよ。
はいはいはい。
お母さんになりきれてなかったんだって、その時に初めて思って。
うんうんうん。
で、なんかそれがすごい衝撃的だったなって思ったんで、
お母さんは私なのに、まだ子供のつもりでいるんだって思って。
そういうことか。
うん。だから、母になってるはずなんだけど、
はいはい。
その、なんだろう、本当に母としての自覚みたいなものは、やっぱりすぐには出来上がらなくて、
うん。
徐々に出来てきたのかなって気がします。
うんうんうん。
で、お腹の中にいた時っていうのはやっぱり、ね、ちょっとずつ大きくなるし、
子供を育ててるんだっていう気持ちもあるんですよね、お腹の中で。
はい。
で、一番それを強く感じたのが、私、切迫相談になっちゃって入院することになったんですよ。
はいはい。
で、ま、あの、安静にしといたら大丈夫なんだけど、
ちょっと、様子みたいな、支給経過が短くなってるよみたいな感じで。
うんうんうん。
だから、その時に、なんかごめんね、すごいごめんねって、そのお腹の中の子に対して思って、
うん。
もしかしたら無理しちゃったのかもしれないとか、
うんうんうん。
そんなつもりはなかったけど、でも確かにあなたに対して気持ちがちょっと足りなかった、配慮が足りなかったかもしれないっていうのを思ってたから、
多分その時から母にはなってるんだけど、
うんうんうん。
なんか、いつなったかは分かんない。
で、子供がまだ小さい時って、ママ友との関係とかすごいめんどくさそうだな、やだなとか、保育園の行事とかやだなって思ってたんですよ。
うんうんうん。
で、でもだんだんお友達もできるし、ママ友というか、気軽に話せる友達もできるし、保育園の行事なんて今も楽しくて仕方がないんですよね。
うんうんうん。
そういう自分を感じた時に、いつの間にか母になってるなって。
あー、なるほどね。
思うんです。
うんうんうん。
つまり、子供の出来事に意識が向いたというか、感情が動いた時に母になれたかなと思ったって感じですかね。
そうですね。なんか、お母さんらしくなったなみたいな感じ。
うんうんうん。
一つちょっとその話聞いて思い出しましたね。
はいはい。聞きたい。
やっぱり強烈に思うのは、今になってやっぱり振り返ると思うのは、子供が1歳になった時に保育園に預けるようになりました。仕事は育児復帰してね。
で、そうなると、それまでは生まれて二人で一生懸命育ててはいるんですけど、ある意味普通に仕事は自分はしていて、その時在宅とかじゃなかったんで、普通に会社行って夜遅く帰ってきたみたいなのがあったんです。
で、育児の妻に、どっちかっていうと任せる方が多かったんですけど、保育園行くとなると妻の職場すごく遠くて、朝送っていけないんですね妻が。
はい。
私が送る妻を迎えっていう形になったんですよね。
そっか、奥さんの育休中と育休復帰してから後で生活が結構変わったんですね。
変わりましたね。
うんうん。
で、その時にやっぱり保育園連れてくとなると、朝の準備を私がするし。
はい。
保育園行って先生とのやり取りとか話を聞いて、こんな話したよっていう妻にも伝えてっていうようなことが発生するじゃないですか。
はい。
子供のことに自分が考えてやるんだってなった時から、なんか子育ての感覚が変わった気がします。
ああ、当事者意識みたいな感じですか。
まあ言ってしまえば当事者意識なんですけどね。
まあその通りなんだけど、なんかこう自分の一部になってきたっていう感じ。
ああ、なるほど。
子供の生活が自分の一部。子供がどうしてたのかなって気にするのが自分の一部みたいな感じで。
で、保育園の連絡書とかにも書いたりするんですよ。今日は大難でしたっていう。
それをタカランがしてたんですね。
私もしましたね。妻が書いたり、私が書いたり。
お父さん書くのちょっと珍しいらしくて。
はい、そうですよね。
お父さんが書いてくれて嬉しいですって先生の回答が来たりして、ああ嬉しいなりゃよかったみたいな感じでやってたんですけど。
でもやっぱり今振り返るとですね、あれもし妻の職場が遠くなくて、妻も送ってきて迎えもできるっていうふうにしちゃってたら、私子供と関わらなかったんですよ。
確かに。
そうするとね、自分何も考えなくても進んじゃうんですよね。子供の成長は普通に。
そうだ、うちそうだ。
あれなかったら私こんなに今も子供に対しての意識なかったなと思ってて。
そうですよね。今多分宝のこと皆さん知らないから、ちょっとだけ補足すると、お子さんの塾とか習い事の送迎とかもしょっちゅうされてるじゃないですか。
毎日のようにしてますね、今。
ね、毎日のようにされてますよね。
部活とか塾とかがあるんですよね。
それはあれですか、やっぱり在宅ワークが多いからっていうのも関係ありますか?
それはそうだと思います。
なかったらなかったでどうにするかっていう話はね、したと思うんですけど。
在宅ワークになったタイミングで、やっぱり子供が部活とか塾とか行くようになった年齢になってきてっていうのがあったんで。
比較的私も動けるっていうところでやるようになったっていうことですね。
でも在宅じゃなかったとしてもそれはそれで、もう子供のやつがあるから、もうちょっと早く帰るように何とかするとかっていうことを考えようとしたんじゃないかなとは思うんですけど。
でもそれでね、考えようとするっていうことができるのって、その保育園1歳から創芸をしている基礎があってのことじゃないかなって今ふっと思いました。
そうかなと思いますね。
基礎というかやっぱり子供の成長していくその社会、社会って言うんですかね。
自分の見えてないところでどういう生活してるのかって、やっぱ知らなければ知らないだけなんですけど。
こんなことあるんだな、こんな連絡もあるんだな、こんなプリント来るんだなとかっていうのが。
分かってるから動けるけど、やっぱり子供の時にね、母子手帳を持って妻が行けない時は私が連れて行くわけですよ。
はいはい。
連れて行くのとかも、やっぱり最初ね、分かんなかったりするんですよ。母子手帳どことか、何か買おうとしたらいいのって最初はやっぱり分からなくて。
母子手帳持ってってことは病院に連れて行ったりってことですよね。
そうそうそう、病院に連れて行ったり。
そういうのやると、あ、小児科ってこういう感じなんだなとかですね。
やっぱり、やらなきゃいけないからやってたんですけど、やらなかったら分かんないよなって感じなんですよね。
うん、確かに。
なんか、そういう子供の生活とか社会でどういう動きがあるっていうのを知ったから、なんかすごい一生懸命、なんだろうな、子供のことを気にするようになったなと思ってます。
それが父になったっていうのかどうかはちょっと分からない。
もっと前からなってたとは思うしっていうことですか?
私の場合はそういうのがあったのが、子供に対しての意識が強めになれた点で良かったなって思ってるだけですね。
そういうのやってないからって言って父親じゃないよねっていう風にはならないじゃないですか。