1. 深夜のカラアゲ定食 #ごはん大盛り
  2. #3 そんな…そんな出来た人間じ..
2025-06-22 47:58

#3 そんな…そんな出来た人間じゃないわ、私

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番組名が決まったのでその話を。

これからの自分たちのライフワークに・・・なるんですかね。

でもそうなっていけばいいなと思います。自然と。

奇天烈な番組名に思えますが、話せば話すほどしっくりくる感じが不思議です。

そう、我々は案外「いい子ちゃん」ではないんですよね。

人並みに「いい子でいてね」と言われて育ったに過ぎないのです。

・・・深夜に唐揚げ定食食いてえ。

後半はますだの関心から、支援を通して、社会と人の話。

支援する側/される側という立場の違いもあり、意見がぶつかるところもあります。

これは普段生活していてもそう。生のコミュニケーションをお届けできたんじゃないかと思います。

サマリー

ポッドキャスト第3回では、番組名「深夜の唐揚げ定食、シャープご飯大盛り」が決まる過程や、ホストたちの生活および働く意欲について語られています。無職のホストは社会に必要とされたいと感じ、その欲望や健常者との感覚の違いに深入りします。このエピソードでは、社会参加に関する意識と周囲とのギャップについて考え、特に働くことの意義や精神的な健康について話されています。また、社会の中での支え合いや困難な状況に直面することの重要性が強調されています。支援を受けることの複雑さや、支援者と支援を受ける人とのコミュニケーションの重要性についても考察が行われています。さらに、精神疾患の当事者が心理学や福祉の分野に進む背景についても触れ、支援のあり方を再考します。生活の変化についても話し合われ、小さなことを変えることの重要性について考察がなされています。

番組名とコンセプトの紹介
収録2回目ですけれども、この間に僕が体調を崩したりとかもいろいろありましたけれども、
なんと番組名が決まりました。
ちょっとね、番組名を考えてくださいと、ますださんにお願いしたわけですけれども、どうですか?出来上がった番組名を見て。
なんか、良い。
良くなりました?
良いと思います。
なんやっけ、お互いの好物を入れ込もうっていう。
お互いの好きなもの、最初は好きな色とかさ、考えてたんだけど、好きな色がね、喧嘩しちゃうよね。
何色が好き?
黒とか水色とか。
でもなんか自分結構、自分もあんまり、何?寒色系が好きで、水色も好きだし、緑とか、あとオレンジ、暖色で言ったら。
緑と水色を混ぜると、なんか抹茶色みたいな色になって、なんか特に、こう、なんかね、特徴もないなぁと思って。
混ぜた色の名前を、タイトル番組名にしたかったってことね。
そう、そういう風に考えたけど、でもよく考えたら、何色と何色を混ぜたかっていうのが分からんからさ。
っていうので、決まったのが?
えっと、深夜の唐揚げ定食、シャープご飯大盛りです。
あの、我々の魂のポッドキャスト番組。
我々の、もしかしたらライフワークになる可能性のあるポッドキャストのタイトルは、
深夜の唐揚げ定食、シャープご飯大盛りです。
はい。
はい、あの、どうですか?
あの、僕は唐揚げ担当させていただいておりますけども、はい、ご飯担当の。
ご飯担当、大盛りなんで。
大盛りがポイント。
大盛りもやっぱ重要やと思う。
そうね。
まあ、あの。
やっぱ食いしん坊ですよっていう。
はいはいはい。
まあ、あの番組のね、あの、説明欄みたいなところにも書いてますけど、あの、炭水化物がね、好きということで。
そう、好き。ご飯好き。
まあ、自分は、まあ、炭水化物以外にも、でかい、別にあなたも炭水化物以外にも好きなものいっぱいあるんですけど。
まあ、唐揚げも好きなんやけど。
そう。
唐揚げも好きなんやけどさ。
なんか普通にちょっとあれじゃなかった?玄徳さん唐揚げ好きでしょ?みたいな感じで言われなかった?
なんか、昔から唐揚げ好きってよう言うしさ。
まあ、それはそう。
なんか定食とかでも唐揚げ定食頼んでるのよ、見る気がするからさ。
それで唐揚げ定食が浮かんできたってことね。
そう。私ご飯好きやし、と思って。
で、まあ、唐揚げ定食、ご飯大盛りかっていう話をしたんだけど、ちょっとあまりにもポッドキャスト、ラジオみたいな番組名感がなさすぎるという、
自分の意見により、マジックワード深夜のをつけることによって、
グッとこの深夜ラジオ感を出すという荒漁師によってこの番組名が爆誕しました。
結構意外と気に入ってるんやけど。
やっぱ私はご飯担当、しかも大盛りのご飯担当として、しっかりとこれからも食べていかないといけないなと思ってるんですけど。
なんか普通にさ、深夜の唐揚げ定食ってさ、なんかはみ出し具合が良くない?
はみ出し具合?
そう。明らかに正しくはないやん。
正しくないよ。
人間として正しいとされている行動ではないやん。
うわー、やっちゃってんなーっていう楽しさやから、それは。
なんかその中でも、向こう150年ぐらい法に問われることはないやろうなっていう悪さではあるやん。
っていうのがなんか我々っぽいなっていう気がして。
まあぶっちゃけ言うと、マヨネーズの有無で法に裁かれるかどうか。
悪質度合いが変わってくるから。
裁判長の審証に関わるタイプの。
悪意があるかどうかって、やっぱ大事そこ。
だから裁判の場で、検察官と弁護人がマヨネーズで必死のいい争いをしている可能性がある。
そこの確認によって、刑の重さが変わるっていう。
変わる変わる。
なんなら無罪有罪が変わるかもしれないっていう。
可能性があるかなと思っておりますが。
はい、そういうことで。
番組名が決まりましたっていう話と。
あと、ハッシュタグっていうのを考えました。
無職と働く意欲
実は。
ハッシュタグ。
はい、これは今初めてマスタにも言うんですけど。
X、旧ツイッター。
我々はもうツイッターという故障を捨てられないんですけれども。
捨てられへんよ。
ずっとツイッターって言うとる。
またツイートって言うとる。
ポッドキャストとかラジオとかって知ってると思うけど。
これを聞いてる人も知ってると思いますが。
Xとかでハッシュタグをつけて番組名とかで決まったハッシュタグをつけて感想とか。
そういうコメントとかっていうのをポストするっていうね。
そういう文化があるじゃないですか。
それに乗っかって、我々もエゴサーチさせてもらうとか感想をもらうっていう。
チャンネルとしてそういうのを作ろうっていうことで考えました。
ちょっとね、2つできればつけて欲しいなと思っていて。
シャープ、カタカナで新カラ。
これ4文字で安直に僕が略称を考えました。
意外とシャープ新カラでも案外他に何かかぶりなかったです。
ポッドキャストで同じタイトルっていうか同じハッシュタグを使ってる人とかっていうのはなかったんで。
これでも多分届くんですけど。
やっぱり1位に定まってほしいじゃないですか。
今後もしかしたら同じ番組に同じハッシュタグを使う人が出てくるかもしれないんで。
なのでシャープ新カラとシャープご飯大盛りこちらをつけて。
だってもう番組名になってますから。
これを2つつけて面白かったと例えば言ってもらうと確実に我々に届きます。
我々もインターネットジャンキーなんでちゃんと見てます。
どっちかは見ますっていう感じなので番組への感想私たちの質問など何でもかんでも思ったことがあればそこに書き込んでほしいなというふうに思います。
一応リッスンっていうこの配信プラットフォームではフォローしてもらったりとかメッセージを送る機能みたいなのがあったりするのでそれをやってくれると自分の方にもちゃんと届くので。
そっちでもokですということで。
いただいたご意見っていうのはねぜひ番組内でも使わせていただきたい。
ぜひお悩み相談とかしたくないですか。
そんなできた人間じゃないわ私。
ということでお待ちしております。
お願いします。
っていうのが一応今日しゃべろうかなと思ったことなんですけど。
これだけでは寂しいと思うので何かありますか最近。
最近ね。
これを言ってからスマホを開いてメモを見るんだ。
あの私まあ言ったっけあの今無職なんですけど無職というかニートというかね。
でも仕事につきたい意思はあるからニートではないのかな。
無職なんですよ。
で私あの大学に7年いた7年かけて学部を卒業したんですけど。
その大学3年目の夏以降だから3年半ぐらいの間一応そのね大学には所属してるから学生だけど。
実体はそのニートとか引きこもりとかっていう生活をしてて。
で今もまた卒業してから数ヶ月経ったのでまだ無職をしてるんですけど。
やっぱね働きたいのよ働きたいんです。
であのもちろんねお金が欲しいっていうのはねすごく大きい。
お金が欲しいその生活に困らないぐらいのお金が欲しいっていうのはあるんだけども。
やっぱね考えてる中でなんか必要とされたいっていうよく。
まあ社会に貢献している感じとかそういうことね。
社会とか人とかに必要とされたいっていうなんか気持ちとかいうレベルじゃなくて欲望ぐらい大きなものがあって。
でどうなんやろうね。
私は一応こう社会から見たとき周りから見たときにどちらかと分類するなら健常者ではない方に分類されてるんだけど今は。
結構そのいわゆる障害者とか健常者じゃないとされてる人ってそういう欲望強い人多そうだなと思ってて。
必要とされたい社会に人に。
それはねちょっと承認欲求もあるんだと思うんだけど。
自分はなんか承認欲求って言葉はね正確厳密じゃない気がしてて。
社会人に必要とされたいっていう欲望なのかなって思うんだけど。
今現時点では玄徳さんは多分社会から見たら健常者っていうカテゴリーに入ってるやんか。
そこらへんのその必要とされたいみたいな欲望ってやっぱ感覚違うんかなって思う。
どうだろうね感覚は全く同じものっていうのは考えにくいかなって第一感では思うけどね。
やっぱりそのまあ人間は社会的動物であるって言ったり昔の偉い人がいるわけじゃないですか。
やっぱりなんかそういうところになんかもっとこう直接に直接的につながってくるようなその
本能的なところに近いというかなんかそういう話のような気がするよね。
なんかそれと承認欲求っていうのはまあ似てるけどちょっと違うものみたいな感じのような気がする。
やっぱ承認欲求って今言ったらさなんかある程度それこそなんか健常者よりというかある程度その生活の基盤はしっかりしてる上で
その sns のいいねがいっぱい欲しいとかそうなんかそういう方向じゃない。
承認欲求って言うとなんか5を10にしたいとか10を100にしたいみたいなイメージでも
私が今思う社会とか人から必要とされたいっていうのはマイナスをゼロにとかゼロを1にっていう話やからちょっとなんかね違うよねやっぱ。
自分のイメージ的にはなんかもう今やついぞ聞かれなくなったかもしれないけど
なんかご近所付き合いみたいなものだったりとかなんか町内会みたいなものだったりとかなんかそういうところの関わり合いの中でこういうことやらないといけないんだけどっていう時に
何々さんのところはなんか例えばお子さんが今年受験だからそこはうちがやっとくよみたいななんかそういう時に
進んで手を挙げるみたいな時の気持ちみたいな感じの話をしているのかなっていうどちらかというと
今増田が言っているのはそういう時の気持ちの話をしているのかなーっていうのを思いながら聞いてた。
ああなんかそういう感覚はあんまないかもな。
承認欲求と社会的つながり
なんかもっとこの。もっと最低限の話やな。なるほどね。
自分のイメージはそういうなんか共同体の中での支え合いみたいなさ。
社会の中にいたい。
ああなるほど。
確かにそこの感覚で言うとね。あの自分自身の話で言うと自分は姉が生まれつき障害を持っていたりとかしてそういうところに近いところにはいるけれども
でもやっぱり自分自身が例えばなんか大きな病気をしてみたいなそういう形で
なんか離れるみたいなこととかそういうことってまあありがたいことに今のところはあんまりなかったから
そこの感覚なのかっていうのは思いつつ
実感としては自分はないなあって思いながらって感じかな。
なんかすごくて世の中の人って。訳のわからん切り出し方をしたんやけど。
世の中の人ってすごくて
なんかずっと社会におるんよね。
なるほど。365日24時間。
ずっと社会に居る。まあそれは休みの日はコンビニに行くだけですみたいな人も居ると思うよ。特にあの
一人暮らしでとかいう人やとそういう人も居ると思うけど
なんか1週間のうち大半社会に居るよね。
まあ例えばその分かりやすく言うと平日働いてる人とか。
あと
何やろうな。働いてるが一番大きいのかな。
なんかこう
参加しているというか
それがすごいと思うんだよな。
自分はそこがうまく
イメージできてないから
うん。
その働くことで
社会の中に入ったりとか
社会とか人から必要とされたりっていうものをしたいと思ってるんだけど
さあなんか
精神、うつとかの人であるあるが
働きたいってすごい言うねん。
それはまあ焦りとかそういうちょっとうつの症状とかで焦りがすごく強く出たり
脅迫観念のように働かなきゃというふうに思って
働きたいっていうのが出ることもあるんだけど
でもさ健常者とされている人とかバリバリ働いてる人ってさ
いやお金に困ってなかったら働かんで済むんやったら働きたくないよみたいに言う人も居るやん。
まあまあね。
まあ実際ねあのファイヤーとか言って早期リタイヤーみたいな人もね
実際ね本当にいるんか迷つ場合だと割と思ってはいるけど
まあいるとされてるからね。
変わってあげましょうかっていう話なんだよな。
私からすると。
多分さそういう人たちってさ
働かなくて済むなら働きたくないよっていう人たちって
なんかこう社会参加できるっていう自信とかイメージがあるんだろうなと思ってて
まあもっと根本的に社会参加
社会から離れることによる社会参加しないことによる辛さみたいなものを感じたことがないのかもしれないね。
なんか
そこがあまりにも自分の感覚と違いすぎて
働くことの意義
びっくりするんよ私は。
働かなくて済むなら働きたくないよ
まあ言ったら好きなことだけして生きていけるならって言う人はさ
わからんよその人の好きなことが
youtube でめちゃくちゃ動画投稿してコミュニティをどんどん作っていって発展させるみたいなことなんかもしれへんけど
結構趣味をやりたいとかさっていう人もいると思ってて
その時に例えば趣味を通して社会参加
何らかの形で社会とのつながりを持ち続けられるから働かなくて済むならそっちの方がいいわっていうイメージなのか
そもそも社会とそんなつながってるって重要かなぁ
別に好きなことできるんだったら一人でもいいんじゃないの?みたいな感じなのか
あの想像ができなくて私は
やっぱりねそのまあもちろんその社会参加できてるできれないっていう話も結構
あの見方があると思ってるし今ねマスターが言ってる社会参加っていうのはそのなんていうんだろう
ある程度社会にわかりやすい形で社会に貢献する
例えばそのねあの頼まれたことをする
仕事をなす組織の一員として働くみたいなことがイメージされてる
まあそういうね
観点の話ではねあるけどね
私はこれは個人的な感じ方やねんけど
社会に参加することとか社会とつながっていることが全くしんどくないとは思わないけども
社会の中にいないこと社会の中にいないなっていうふうに自分を感じてしまうことってすごくしんどいって私は思ったんよな
あの引きこもったりしてて
だからどうなんやろうな意外とこうあの世の中にはさ一人の時間を楽しむのがすっごい上手な人っておるやん
そのなんかあれもやってこれもやって逆にこの日は何もやらずに寝てみたいなのがすごい上手な人
そういう人とあんまりくじゃないのかな
まあそういう人もいるかもしれないけど
まあ結構レアなタイプやと思うけどね
なんか単純にやっぱりそのさ
あのなんていうか目に見えないものってさ
その実際に失ってみるまでずっと存在したってことがわかんないものとかもあるじゃない
ああ
そのなんか別に夫婦関係カップルの関係とかのそうだけどさ
なんか勢いで離婚してさ
まあなんか見下り犯なのかなんか知らないけどどっちかがさ家で出たとしてさ
ガランとした家に一人みたいになったらさ
実はその彼がいたことが彼女がいたことがあってこういう影響があったんだみたいな
本当にさなんかあのなんか窓のさ
札紙のさなんかそれとシュート目がさついてやるようなところがなんか埃が溜まってるなみたいな
そういう生活の日常をパッて見たときにそれに気づいて
あのなんてこと俺はやってしまったんだみたいなのってやっぱあるじゃないですか
なんかそういうのに近い気はするんだよね
だからそういうのってやっぱりそのやっぱりその経験をしてるかしてないかっていうのが人によって違うし
それを失っている社会参加ができない社会貢献をしたいのにできないっていう経験をしたことがある人ない人でもあるだろうし
経験したことがあっても
例えばその時が長く流れてしまったもあるだろうし
あるいはその仕事にいっぱいいっぱいになってめちゃくちゃ忙しくなったとか
なんかそういうことによって忘れてしまう
やっぱり仕事してると仕事しんどいしか頭になくなるからさ
ファイヤーしてる人が羨ましくなったりとかさ
そういう感じのなんか本当にさもう深く考えて言ってるのかっていうと
なんかそういう感じじゃないんだろうなと思うけどね
結構私そういう精神疾患を持ってる人とか
過去経験した人のやってるYouTubeチャンネルとかを見てると
例えばパートナーが働いていて自分は主婦をしながら過ごしていますみたいな人だったり
もしくは失業保険やっけ
失業給付やっけ受けたり障害年金を受けながら仕事再開するために頑張ってますみたいな人がいると
働かなくてもそんな生活していけるなんてすごいあなた恵まれてますねみたいな
それを言ってるのが健常者もおるし精神疾患同時者もいるわけですよ
健常者は多分本当に自分は働いててしんどいのに
養ってくれる人がいるっていいですねお金がもらえていいですねとかっていうこともあると思うけど
もっと苦しいのが当事者で私は例えばけど私はうつ病だけど誰からの支援も受けられないから無理してでも働いてるんです
あなたはパートナーがいて食べさせてもらって何もせずにいいですねみたいな
そういう社会が嫌だって思っちゃってその人が悪いとは私は思わへんけど
そういう社会がとてもなんかやだって思って
自分も全く同じ意見でやっぱりそこにさ人それぞれ環境の違いというかさ
が出ることは問題じゃないわけですよそれこそ昨今の sns の論調だともうそれをもうなんか
要はどちらかというとあまり良くない環境の方に合わせてしまえみたいなあの感じのことを言うような論調ってあると思ってるんだけど
やっぱりそれはあの結局みんなで貧しくなるという結果しかならないっていうのもあるし
あのいかにその社会的な制度によってみんなのベースを上げていけるかっていう
まあそもそも社会制度でそのためにあるはずなのでなんかそういう考えを見ると
社会制度の重要性
きっとこの人って社会の下の方になるかもっていう自覚ないんやなと思う
だってもしほんまにいつ転落するかわからんとかもしかしたらなんか例えばまあ身体でも精神でも病気にかかったり
もしくはちょっと疲れてしまったりまあ例えば家族にアクシデントがあったっていう時に
社会のいわゆる下の方に自分が行くかもって本気で思ってたら絶対底上げしたほうがいいや
最低ラインを上げた方が生き延びれる確率は増えるわけで
いわゆる社会制度とかまあ方法でもいいかもしれないけどそういうものを整備するときに
よっしゃやるでって言うてた先人の人たちのその言葉にはしてなかったけど共通の認識っていうのがそれやと思う
でそれがまあ今まで多分日本で言えばまあ一区切りで言えばね1570年80年ですけど
そこでこう当たり前と思われてきたものがまあいろいろね今は分断とかいう言葉がありますけど
っていう形でだんだん当たり前じゃなくなってきてるっていうことだよねだからちょっと政治っぽい話をすればさ
ある時事情を掲げた人がいたじゃないですか自ら助けるの事情ね
長女の次じゃなくてね
あの後女の逆ね事情後女の
具体的な人の名前とか忘れちゃったけど多分自民党やったかな
やっぱりあれとかは自分当時大学生ぐらいだと思うけどギリギリ
やっぱり周りでもいまいちだねみたいな話が出てたしやっぱり自分がその時にそれをしっかり理解できてたかって言うとあんまり自信はないけど
今はやっぱりそれに対してここが良くないよね
だってこうだからっていう説明が一定できると思っていてそれがまさに今の話なんだよね
やっぱりその自己責任とか自分で自分を助けることを大事にしようっていうのは
やっぱり限界があるのでそれでなんとかなるのであればあの社会制度は極端な話いらないんですよ
支援の複雑さ
それでなんとかならないで周りには人がいるで多分最初の話を拾っていくとやっぱり人間って人と関わりたいし
人を助けたいっていう気持ちがあると思うだからその辺はあれかな
リタとかその辺の理論の話に繋がってるかもしれないけどね
私が散々玄徳さんにぶつけてる感情がねおかしくなった時にぶつけてるのは
支援されるずっと支援されてばっかりのしんどさってあるねみたいなのをぶつけるけど
それがなんかしんどくなったら助けてもらえばいいんだよって言ってくれるのはそれはすごく正しいしありがたいんだけど
じゃあそれを助けてくれてありがとうだけでずっとやっていけるかっていうとほとんどの人はそうじゃない気がするな
やっぱりそういう時にいろんな病気でもいろんなところに当事者のコミュニケーションだったりとか
そういう支援団体的なものだったりとか
セルフヘルプグループとか
そうそう
やっぱり今の話で言うとやっぱり支援されるしんどさがあるっていうのは自分もわかるわけそうだろうなって思うわけ
それを言うとさ支援してくれてる人からするとわがままなのよ
わがままっていうか自分は別にわがままだと思ってないけど
そんなこと言わないでじゃないけど
なんかあんまりいい顔はされないよね
支援してもらってる側が支援されるしんどさがあるっていうふうに訴えるのってあんまりいい顔されへんなっていう
それはそうだと思うよ
やっぱりそれでいい気持ちがしない人っていうのはたくさんいると思うけど
自分は別にそこはあんまりどうでもよくて
じゃあその支援されることがしんどいっていう
マスダの気持ちを自分が救えるのか
自分が何か軽減できるのかっていうふうになると
やっぱりそれがすごく難しいっていうことになっちゃうんだよね
支援そのものをやめるっていうことでしか根本的なことはできないし
それは自体の根本的解決には全くなっていないので
やっぱりそこが要は自分の限界になるんだよね
そこで当事者とのセルフケアとかそういうところの話を持ち出したのはそういう部分で
そこはまた別の人とのコミュニケーションの中で
共感みたいな形
お互いに理解し合うみたいなので支え合っていくっていう
そういうやっぱりネットワークが必要なんだろうなっていうことも言ったりしますけどね
自分が支援してくれてる人とかサポートしてくれてる人とかに言いたいのは
本当にありがとうっていう気持ちと
支援されてばっかり
いつもどこに行っても私は非支援者
っていうのがしんどいっていう2つの気持ちって両立するから
それはすごく大事な話
心理学部への進学
ありがとうって思ってないわけじゃないし
文句言いたいわけじゃないけど
いい話じゃないですか
よく精神疾患当事者が心理学部に行ったりするんです
虐待を受けた経験がある人とか
犯罪被害者になってしまった人とかが心理学部に行って
ある人は学部で挫折し
ある人は大学院まで行って心理師の資格を取ったりするんだけれども
それって結構あるあるなのよ
なんかしんどい思いをした人が心理学部に行く
もしくは福祉もよくあるかな
それってなんか結構そういう支援される
いつも非支援者であることのしんどさを何とかするために
じゃあ次は私がサポートする側になろうっていう
そのサポートをしたいっていう
まあ欲求のうちの一つサポートしたいという欲求を
無自覚のうちに送礼をしてる人もいるのかなと思って
それは確かにあんまり自分それ考えたことなかったな
いそうそういう人もね
結構ねいると思うんだけど
まあそういう過去にしんどいことがあった人が
鍵かっこ付きの鍵かっこ支援者になっていくのを見ると
私はとても悲しくなる
まあまあいわゆる門切り方というか
社会的に見てのっていうね
そうそうそう正しいからね
正しいけどっていう
まあでも実はそういう学部とか専門的な学習をしなくても
支援者っていうのにはなれるわけで
自然なコミュニケーション
そういうところをすごくバシッと示したのが
戸畑海人さんの普通の相談っていう
やっぱりタイトルがこの本も秀逸だと思うけど
やっぱり普通の人の普通のなんか居酒屋の会話雑談みたいなのが
すごくその人たちのメンタルのケアになっていて
実はもうそれは専門のカウンセラーみたいな人ができる範囲とは
要は全くその守備範囲が違う
結局だからどっちも大事っていうところで
もっと言うと要はその精神的に
病院にかかっているような人じゃなくても
日常的にそういう精神的なケアっていうのは
いわゆる健常者って言われるような
カテゴリーに入るたちの間で行われているっていう話で
それはすごく解像度の高い話だよね
私何年か4年5年って臨床心理師の人のカウンセリング受けてたけど
その時間は私にとって必要やったけど
臨床心理師がやるカウンセリングって
コミュニケーションとしてすごいおかしいからね
異質やから
こうやって原徳さんと喋ってたり
友人と喋ってたり
あの真ん中の人と話すのって
私からしたらそっちの方が自然なコミュニケーションやから
臨床心理師とやるコミュニケーションって
すごい雑に言うと変だよやっぱり
ただその変なコミュニケーションによって
何て言うんだろうな
可視化されるものというかがあったりして
それがその時の私にとっては必要だったっていうだけで
本当にシンプルに自然なコミュニケーションでは
想像を掘り出されないようなものを
あんまり乏しい関係性の中で
どうにかその引き出そうとすると
必然的に不自然なコミュニケーション
コミュニケーションとしては
不自然なものになってしまうっていう感じ
結構そういう社会的な話とケアの話と
いろいろ横断してるなと思いましたけど
自分はあの話聞いてて
やっぱり周りが気になるじゃないですか
その貢献
社会に貢献できない自分っていうのを語る時に
どうしてもその周りから
どういうふうに見られてるんだろう
今の私みたいなので
やっぱりそのマイナスに思われてるんじゃないかとか
まあそのさっきの何だっけ
あのなんだろう
支援者まあその自分周りの人たちがね
あの何て言うんだろう
ちょっとうまく出てこなかったけど
そうなんかね
そういうまあいろんなね
あの周りの人の気持ちとか言葉みたいなのを
マイナスの方に解釈しちゃう
っていうこと自体が
やっぱりその今の日本の社会の問題だと
自分は思うので
なんかそういうところをね
あの変えていけるような人間でありたいな
というふうに思いました
何だったかな
たまにあのツイッターとかノートで発信をされてて
一冊本を出された人で
その人は戒律性障害
戒律性同時性障害の当事者の人なんやけど
あの半径50センチの世界を変えるだったかな
っていうことを言ってる人がいて
うまくは言えないけど
ああそういう考え方もあるのかと思って
良いなぁと思ったりしたんですけど
ちなみにあなたはあんまり好きじゃないかもしれないけど
あの諸刃の革命っていう曲にもほぼ同じ歌詞があります
あれは半径1メートルかな
文脈は全然違うと思いますけどね
そうかなどうなんやろうな
いやでも諸刃の革命はあれやからね
マイクが1本ギターが1本
俺らは俺の道を行くだけみたいな
あーちょっと突き進んでんだ
あれは最初知ってる?諸刃の革命
聞かせたことあるでしょ
聞いたことあるね
あれ最初は
すっごい早口なんだよな
ラップやからさ
しかも今より元気がない時に聴いてるから
ちょっとね難しかった入れるのが言葉を
まあねまあね
それはなんかさPVみたいなんとか
そういうなんかMVみたいなんで歌詞が出たりとかするやん
そういうのも合わせて見て欲しかったなとは思うけど
あれはもうだって
その何?
もう昔並み
ダニジミの友人と
そのいつもの居酒屋で飲む
その飲んでるシーンから始まる曲やから
もうその停滞の象徴なわけ
そのあったかい
そのちょうどいい適温の温室
から俺は出ていくぞって
俺たちは出ていくぞっていう曲だから
勢いなきゃ困るんです
出ていけないよ
勢いがないと
だってもう激しくギターやって
もう思いの丈をドカーンって喋ってもらわないと
出ていけないですから
そうね
そうっていう曲なんですよ
だからちょっと今の話のあれとはまた違うかもしれませんが
っていうのは
モノハの革命はそんなにこのポッドキャストにおいて
この回において大事じゃないからさ
話がさブレるからさ
自分は大好きな曲なんですけどね
なんていう本やったかな
さっき言った人の本
えっとね
ハルさんっていう
それはなんか
アルファベットでハルさんっていう
精神疾患当事者の方で
乖離性同一性障害を持ってるのと
鬱とかも持ってるのと同時に
トランスジェンダーの人
なるほど
えっとFTMかな
で今は男性のパートナーさんと一緒に暮らしてるっていう
見つけました
タイトル
僕が13人の人生を生きるには体が足りない
っていう本がありまして
これあのほとんどほぼ全て
抗体人格が書いてるんよね
この本
なるほど
変化をもたらす小さな行動
ハルさん本人が語ってるのではなくて
抗体人格
まあ複数人が生活のことだったりとか
心がけてることだったりとかっていうのを書いた本
なんだけども
なんか面白いので
ちょっと文庫が出てないんよね
単行本でしか出てないんだけど
面白いので読んでもらえたら嬉しいかな
いいですね
是非ハルさんの半径50センチの世界を変えると
どうしよう半径1メートルやったら
ドンピシャやったら
いやちょっと覚え間違いの可能性全然あるからさ
でも半径を変えるっていうのを
モットーというか
座右の銘というかにして
ハルさんがそれを座右の銘にしてて
抗体人格もそれを受け入れて
みんなで暮らしているっていう
いやでもすごい大事な話ですよ
本当にだから
どんなにいろんな立場の人がいるわけじゃない
精神的に弱っている人もいれば
夢を追う若者もいる中で
エネルギーに溢れてる人も
そのどっちのエネルギー溢れてる
枯渇してるに関わらず
やることは一緒なんだということですよ
目の前のことをちょっと変えてみるっていうね
ごめんちょっと他人の踏んどしで
相撲取り過ぎかもしれない
そうなんよな
そういや目の前のことを
目の前のことをするのが大事なのは
めっちゃわかる
私は今それをしようと
自分なりにぼちぼちやってるつもりなんだけど
どこかでそれに満足できない自分がおるよ
目の前のことをただやるっていうのも大事だけど
今の話でいうとさ
目の前の世界をちょっと変えるっていう
そうそこに
自分でもなんかちょっとできることあるな
みたいな感覚が生まれるから
それがないと自分はどうせできないとか
って思って何もできなくなっていく
本当に何もできなくなっていくから
そういうちょっとこう
難しいこともあるかもしれないけど
春さんも諸葉もさ
変える量とかさ
その大きさを問うてるわけではないからさ
できるときにできる範囲でやってみたらね
いいんじゃないですかね
で多分それは何かみんなに役立つ
何かのこうライフハーク的な
ティップス的なものなんじゃないですか
っていうことで一旦締めていいですか
はいはいじゃあまたそのうち会いましょう
聞いてくれてる人はそのうち会いましょう
本当は毎週あげたいなと思ってるんですけど
まあまたそれはできる範囲で
そうそうできる範囲でね
このポッドキャストもね
我々にとっては世界を変えるかもしれませんから
そうそうだよ
世界を変えていきましょう
深夜の唐揚げ定食ご飯大盛りで
なんて言ったってご飯大盛りなんで
そのうちアリアで私は世界を変えるって言ってさ
ご飯特盛りにしとかでさせんといてよ
特番みたいな時は
例えばゲスト豪華ゲストを呼びましたとか
ちょっといつもより時間長めです
みたいな特番の時はご飯特盛りになります
健康に悪いよいよいよ本格的に
はい終わりありがとうございました
47:58

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