2025-06-06 22:07

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サマリー

このエピソードでは、福岡市を出発点として、友人のエッグ・ヤザワーとの再会が描かれています。また、家庭生活の中での思考や創造性の低下、子供との関わりについての気づきが共有されています。さらに、主人公は自身の働き方や経営への向き合い方について考察し、長期的な視点での価値の見出し方を掘り下げています。そして、家族との時間を大切にしながら、社会における自分の役割についても思慮を巡らせています。

福岡市への旅
はい、今はですね、福岡市の自宅から、鷹橋いいかにゃパレット付近に向かって、車を走らせております。時刻は、朝の10時27分でございますね。
あの、今日はなんで、鷹橋に行ってるかっていうと、僕の友達であり、吉本時代の同期であるエッグ・ヤザワーがいるからなんですね。
で、まあ彼はタイに住んでるんですけど、今奥さんというか、タイ人の方と結婚をして、今タイで生活してるんですけども、そのエッグ・ヤザワーが久々に日本に帰ってくると。
で、もともと埼玉出身なんですけど、もうなんやかんやって、今埼玉に家も実家もなくて、で、まあしばらくね、あの田川に住んでた時期があったんで、2年ぐらい。
まあ多分日本に帰ってくるってなったら基本的に、まあ田川か、東京、東京じゃないか、えーと埼玉か、みたいな感じになるんですけど、多分埼玉とかにも多分あんまり地元の友達今いなくなっちゃってると思うんで、バンバン絶好するタイプなんで、人と。
今あいつ、ふるさと、田川しかないんじゃないかな。まあいいや、そりゃいいんすけど、はい。
で、なんか今日何話そうかなーって思ってたんすよ。で、まあこれ、樋口清則の世界結構久々に収録するんで、わーもう久々に収録やからなんか話したいことあったかなーと思いながらぼーっと考えてたんですけど、
これがね、バチッとこれを絶対に伝えたいみたいなものがないんですね。で、これ、どっかのコテンラジオの番外変化なんかでも言ったような気がするんですけど、僕、年々世間というか世界に対して伝えたいことみたいなものがなくなってきてる感じがあって、
で、もっと言うと、多分そのブログを毎日書いていた時期とか、この樋口清則の世界を始めたぐらいの時期って、もう多分伝えたいことが山のようにあって、ずっと順番待ちをしていて、あれも言いたい、これも言いたいみたいな。
で、当時ツイッターの方にもいろんなことを書いていて、それでも伝え足りないから、それをブログだったり、この樋口清則の世界で言って、それを新型アウトナウイルスとかで言って、それでもちょっともうちょっと伝えたいなと思ったらコテンラジオの番外変化で喋ってみたいなことをやってたんですけど、
今なんかその感覚がとんとなくなったんですね。で、これなんでかなとやっぱり考えるんですね。で、やっぱり一番の要因は日々毎日をこなすだけで1日が終わってるっていうのがでかいなと思ったんですよね。
で、もうちょっと言うと、やっぱり家族と一緒に生活をしていると、思考を巡らすとか、細かいところで気づきを得るみたいなことがなくなってるんじゃないか説がちょっとありますね。
いやでこれ今思い返すと、なんか彼女がいる時期とそうじゃない時期とかも、それあったような気がしていて、なんか彼女がいない時期の方が思考回路めちゃめちゃ、なんていうんですかね、深く潜ってる感じがするんですよね。
で、おそらくそれって、なんか思ったことをすぐ人に伝えるっていうことができないからみたいなのもあるんじゃないかなと思ってて。
うーん、なんか、あでもちょっと違うか、でも僕がブログ始めた頃とか、一口気をのる世界始めた頃ってパレットで生活をしていて、毎日荒野とかと一緒にいて喋ってはいたから、なんかちょっと違うのか。
その時も多分アウトプットはしてましたもんね。アウトプットはしていたけど深くも考えていたから、彼女の例ちょっと違うな。なんなんかな。
まあちょっと一個これ完全に想像ですけど、おそらく出ている脳内物質の質が違うんじゃないかっていうのは仮説としてあって、なんかですね、やっぱり子供といる時とか家族といる時っておそらく頭がぐるぐる回ってブーストする系の化学物質が、化学物質じゃないや、脳内物質多分出てないんですよね。
多分なんか幸せやんなとか可愛いなとか、もっとこいつどうにか健やかにいい感じに成長させたいなみたいなとか、今日も一日楽しかったなとか、そういう幸せホルモン系の化学物質がめっちゃ出てる気がするんですよ。
でそれに対して多分やっぱ単身半分単身不妊で家族と離れてパレットにいた時ってその物質がめちゃくちゃ足りてないんですよね多分。で僕今覚えてるんですけどなんかもう毎晩毎晩虎之助に会いたくて当時2歳とか1歳2歳3歳ぐらいまで多分ほぼ単身不妊みたいな生活してたんですけど、
しかも僕ダイエットしてたんで腹も減っているし子供にも会えないしみたいなところでずっと渇望していてなんかこう渇いてた感じがするんですよねずっと。
で社会的にはそのもうパレットは全然今なんて言うんですかねあの今というか当時はお金もないし毎日やらないといけないことがいっぱいあるってもう膨大やしストレスのマックスやしみたいな感じでなんかこう今とはある意味その幸福じゃないとは言わないんですけど楽しかったは楽しかったんですけど
その落ち着き系とか癒し系とかの幸福度はほとんどなくてそれよりもなんか何系って言ったらいいんだろうね多分アドレナリン系なんですよ毎日毎日なんかこう
本当にいいかいなパレットの編集を毎日いいかいなパレットとコテンラジオの編集をもう交代で毎日やっててみたいなで収録バンバンあってそれで人がいっぱい遊びに来てくれてその人たちとめちゃくちゃ会ってそっから刺激今日もらってみたいなで話したことを元にまた違う人と話してそこでまた刺激をもらってみたいなでこうこうこう思うよみたいな話をまた他としてみたいな感じで多分人と会う量も多かったし
それによって多分何て言うんですかね考えないといけないことが多かったとかだから多分刺激の量なんかなとかもある気がしますだからいろんな総合的な理由によって頭の回転が悪くなったっていう感じじゃないですよねその思考深くいわゆるその自分の頭の中にディープリサーチするみたいな
幸せの価値観
そっち系の感覚がどんどん少なくなっちゃってる気がしますねでなんか多分当時の僕が今の僕を見たときに嫌だと思うんですよおいおいと樋口となんていうかお前そんなやつじゃねかっただろうって思うような気がしてるんですねでちょっとこれについてもちょっと考えたことがあって
僕結婚して子供生まれてから仕事のもうなんて言うんですかね総量はめちゃくちゃ下がってるんですよ多分3分の1ぐらいになってて稼働時間家族と一緒にいる時間とかあと一緒にご飯食べたりお風呂入れたり寝かしつけする時間もあるしあと単純に病院連れて行ったりとか領域連れて行ったりとかもあるし今サッカーの送り迎えやってたりとかするし
とかなってくるともう多分3分の1ぐらいになっててしかも睡眠時間も本当に少なかったんで昔は稼働時間3分の1になってるで多分その仕事に対するモチベーションもなんか例えばじゃあポッドキャストで
今ありがたいことにポジション取らせてもらってるんですよ社会的にいわゆるそのちょっとある時期第一輪車みたいな称号をいただきでまあ今はねその別に僕が第一輪車ってっていうわけでもなくそのいろんなもうすごい人たちがバンバンやってるしもうなんか別にそういうわけでもないと思ってるんですけど
まあでもとはいえまだちょっとそこの何ですか残りかというかもうちょっといろいろ多分やろうと思ったらできるんですよ
たとえばポッドキャストラブ福岡の活動もめっちゃできるやろしもっとそのポッドキャストのコンサルやったりとかあとガンガン企画書を書いて番組を作ったりとかあと自分も出演者としてバンバン東京に出張とかに行ってもう何やったらレギュラー持つとかであとメディアも露出
まあ僕
どっちかって言ったら嫌いですけど出れるは出れるんでそのテレビとかもそうなんですよでなんかそっちもやろうと思ったらやれるんですよ
はいそうなんですよねまあ実はちょっとレギュラーの仕事何個か実はオファーいただいたことあるんですけどちょっとやれないって言って断ったりしててまあ今じゃないですけどねそのまあまあいいやそれは
でそれはやっぱりその家族を大優先するっていうところなんですけど多分30代前半ぐらいの自分からしたらそうやって大人になっていくの嫌なって思っちゃったと思うんですよねなんかいつまでもどう言ったらいいんだろう
あのもうこだわり続けるし高め続けるし要はハンティングし続けるというか何よっていうのはちょっとわからないですけどお金なのか地位なのか名誉なのか自分の能力なのか何かに向かって突っ走り続ける突破し続けるみたいなものがやっぱ30代前半ってあったから
でやっぱり40代50代になってくるといややっぱりそうじゃなくなってくるよねみたいな大先輩方の走って普通に聞いてた時にこの人たちぶっちゃけ言うとなんか甘えてんなとか逃げてんなとか諦めてんなって思ってたんですよね思ってたんですよでそれがなんか本当はもっとやりたいのにもうなんかいろんな理由をつけて
こうそれでいいことにしているけど本当の魂のところは燃えたかってるのにこの人たちはなんかそうじゃないみたいなちょっとまあ言ってしまえばそのねもうなんかオアコン化していくみたいなそういう感じでちょっと切なさとかなんか悔しさみたいなものを感じてたんですね
でそれの言い訳だとずっと僕は思ってたんですよ全てがなんですがじゃあ自分が子供生まれていざその状況になったって時に
これが30代の時に見てたその子持ちで40代の先輩方の気持ちが死ぬほど今わかるというかなんかあ
これ逃げでも諦めでも何でもなくこれこれが幸せという価値観を選択するっていうのがフラットにあるなっていうことがやっとわかるみたいなところがあるんですよね
なんかこれはねなんかなってみないとわからないというか多分なんかもう今だとある程度説明できるんですよ例えばその主人公が自分じゃなくなる感覚とか子供だったりとか後別に子供じゃなくても主人公が会社になっていくっていう人もいるだろうし自分じゃなくてね
働き方の見直し
主人公が世界にとってとか社会にとってとかそっちになっていくっていうパターンもあると思うんですけどその中で今一瞬自分が死ぬほど頑張るっていうことよりも長く継続的に働ける方がよっぽど大事とか
あとその自分一人でやれることよりも何て言うんですかね自分一人のこの手作業でやれることつまり寝ずに時間を使って何かやるような成果よりももっともっとこう仕事の形って違うねみたいなものを学んでくるんですよね
例えば僕だったらその経営っていうものに本当に向き合った時に今までってそのオフィス樋口の時っていわゆるプレイングマネージャーって言われる自分がガンガン働いてる経営者だったんである意味それって経営してないのと同じなんですよね
なんかでもなんかブックになって一回つぶりかけて経営っていうものをめっちゃ勉強した時になるほどと時間を使わない価値の出し方ってあるんだみたいなものってあるんですよね
てなった時に何かこうガンガン働くとか一生懸命やるとか細部までこだわるみたいなものよりも何かみんながハツラツと生きれるような方向性を打ち立てるとか何かこうあえて自分が怠けることによって組織が成長するとかそっちとかも全部ありになってくるわけです
つまりそれがいいって言ってるわけじゃなくていろんな価値の出し方っていうものを学んでいくとなんか体壊しながら死ぬ気で頑張るってそれができればやった方がいいどころかやらないに越したことないみたいなことになってきて
こだわりとかもそうでもう僕本当に一語一句一挙手一等足一文字一文字1ミリ1ミリ全部こだわった方がいいと思ってたんですけど本当に超クリエイター気質やったんですけど実は世の中ってそこが求められてることの方が少なくて
とかなってきたときになんかあえて全部踏まえた上で気にしないみたいなことの方が価値が高い場面もあるんですよもちろん場面もあるって感じですよ
なんか感覚ですけどねあの若さの呪いが取れた感じがあるんですよね
いやーこれちょっと言い方ちょっと合ってるかどうかわかんないですけど呪いって言うとそれを何か否定するみたいな感じになるのはちょっと違うんですけどそのフェーズが変わったというのは一番あれなんですけどなんかねそういうのあるんですよね
まあ多分この辺の悩みまた悩んでないんやこの辺の感覚アクセル踏みっぱなしからちゃんとこうギアの調整をした方がいいみたいな感覚で多分おそらく古代中国ぐらいからずっといろんな偉い人が言い続けてることだと思うんですけどね
僕が今更気づいてドヤみたいな感じで言ったわけではなくて多分いろんなビジネス書でも書かれてるやろうし現代へとなんかそういうことだとは思うんですけどなんかやっぱり30代20代の頃ってそれを全否定してますもんねうるせえクソくらいとなんか余裕とかいらんのじゃボケみたいななんていうか男は黙ってフルアクセル踏みっぱなじゃみたいな感じあったんですけどね
なんかもう男とはとかそんなんでもなくなってきてるし今っていうのをなんかこうネガティブじゃなく思ってるんですよねだからその話相当達成しましたけどそのなんかいろんなことをなんかできなくなってきてるって捉え方もできるんですよ
なんか日常のいろんなところから学びや気づきを得る力とか思考力みたいなものができなくなってるとも言えるんですけど多分なんか別のものを得てるしそこってじゃあ今僕が一番大切にしてるのは多分家族やったりするから
なんかそこに直結してるかというと直結してないしみたいなところで多分なんかそうやって環境にいるとそうなっていくんだろうなとは思ってるんですよねただなんかとはいえねなんかふとねふとやっぱり自分の使い方社会での世界か世界に対して樋口清則の使い方をプロデュース
家族と社会の役割
一番しないといけない自分がこの労力のかけ方というか価値の出し方のポートフォリオって今最適になってるんやったっけみたいなものはまあ考えるときはありますよね
いやなんか僕は本当に全部納得してやってるんですけどなんか毎日朝起きて子供を保育園に送り届けてお迎え行って一緒にご飯多分夜は一緒にご飯食べてお風呂入って土日は極力仕事を入れずに平日の夜も仕事を入れずにまあいいんやったっけって思うときはたまにありますね正直な話をすると多分頑張れば
もうちょっといろんな人にいろんなことができるかもしれないんですけどでもねなんかまあそれ僕がやれてると思ってるだけでそれをやってもやらなくても世界は変わんないかもしれないし
じゃあ大体可能性というか
変えがきく聞かないで言うと僕が社会的に何か活動して何か社会に影響を与えるのって僕がやらなくても多分他の人はやれると思うんですけどじゃあ僕の家族に対して僕が今やれることを他の人ができるかというとずっと家にいるお父さんじゃないとできないことめっちゃあると思ってるんで
まああれですよ教育とか家事育児とかはできるんですけどそうじゃなくて家族としてお父さんとして妻や子供たちにやれることって多分変えがきかないのめっちゃあると思ってるので
その観点で言うと使い方間違ってないですよね
まあとかいうのをまぐるぐるぐるぐるたまーに考えたりするんですけどでも基本的にはほとんど考えなくなったしねまあよくも悪くもなんかまあよくもと僕は思ってますけどもはい
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