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2024-06-04 31:20

#4 ダウン症の子どもの母親である私を受容する ファミコさん

ファミコさんは1年以上、カウンセリングを続けたことがあります。その体験をお聴きしました。

サマリー

ファミコさんはダウン症の子どもを持つ母親です。カウンセリングを受けながら自身を受容していく過程を経験しています。彼女は、ダウン症の子どもの母親である自分を受容することについて、カウンセリングでの体験やその後の社会復帰について話しています。

カウンセリングを受けるきっかけ
ひつじ
こんにちは、ポッドキャスト心理士のこころです。 ここでは僕、ひつじが心理カウンセリングで何をするの?をゲストにインタビューしています。
心理カウンセリングに親しみを感じ、 自分らしく生きるために気軽に使ってもらえたらと思っています。
今日はファミコさんに来てもらいました。 ファミコさんは約1年ぐらいカウンセリングを継続的に受けた経験があるそうなので、今日はその体験を話していただきたいと思います。
ファミコさん、こんにちは。 こんにちは、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 ファミコさん、ご自身のことをちょっと紹介してもらってもいいですか?
ファミコ
はい、ファミコと申します。今はメーカーに勤務している会社員で、息子が2人おりまして4人家族です。
ひつじ
ファミコさんはカウンセリングをだいぶ長く受けた経験があるってお伺いしたんですけど、
そもそもカウンセリングを受けることになった背景とかから教えてもらってもいいですか?
ファミコ
はい、私、さっき子供が2人いるって言ったんですけど、下の子が4歳になっているんですけど、ダウン症がありまして、
産むまでダウン症があるっていうことは知らずにいて、産んでから翌日だったかな、おそらく顔の容貌とか、
ちょっと心臓にも疾患があったので、その双方を加味して、おそらく21トリソミダウン症だろうというのを、
新生児科の先生から言われて、えーってなったんです。
なんかそうですね、そのショックというか、産んだあと3、2週間ぐらいいるんですけど、
なんかその私のショックを受けている様子を、数日見ていた看護師さんとか先生たちの勧めで、カウンセリングを受けることになりました。
ひつじ
あ、そうなんだ。だから、出産されて翌日に、もしかしたらこの子はダウン症を持っているかもしれませんよって言われたんですね。
ファミコ
そうですね、はい。
いや、今、えーって軽く言ったんですけど、そこは本当に思い返すと、
なんていうんだ、もう自分の世界から色がなくなった感じ、信じられないっていうか、どうしたらいいのかわからないし、
なんかもう不安と恐怖と、どうやって育てたらいいんだろうとか、なんかもうそういうわからないことへの不安と恐怖が、多分すごかったんだろうなーって振り返りますね。
ひつじ
自分の生活から色がなくなったような感覚?
それってわからないことへの恐怖っておっしゃってたけど。
ファミコ
そうですね、だからもうなんか恐怖で、すべての自分の世界が支配された時に、本当に灰色に見えたんですよね、世界が。
なんか11月の終わりだったんで、紅葉とかもすごい綺麗なシーズンで、病院の窓からはすごく綺麗な紅葉の景色が見えたんですけど、
本当に冗談じゃなくて灰色に見えたっていう感じですね。
ひつじ
へー、そっか、じゃあ恐怖で人生が支配されてしまって、なんか例えると灰色みたいな感じだったんですね。
ファミコ
そうですね、恐怖と悲しさと、あと長男、いろんなダウン症っていうことに対する、その当時私が抱いていた、いろんな偏見とか可能性みたいなマイナスのほうをすごく捉えちゃってて。
ひつじ
あー、なるほど。
ファミコ
なんかその、じゃあ長男はダウン症の兄弟って思われてとか、言葉を得らずにすごくストレートに言うと、なんか本当に長男に対しても申し訳ないなとか思っちゃったりしますね。
ひつじ
そうなんだ。
ファミコ
そうですね。
ひつじ
その時の様子はどのように見えてたんでしょうね、看護師さんとか。
ファミコ
私の様子ですよね。
いや、なんか多分その当時は本当に泣いてるし、ご飯もろくに食べれてなかったんですよ。
かろうじって寝てはいたと思うんですけど、やっぱり夜とかになると、もうなんか涙がこみ上げてきてとかだったんで、
カウンセリングの始まり
ファミコ
常に泣き晴らした目と コンコンってきたら、なんかちょっと泣いてたりするみたいな感じで、
そういう様子を見て、想像以上にちょっとダメージを負っている様子を見て、カウンセリングを紹介してもらったのかなって思って。
ひつじ
そのご紹介いただいた時はどう思ったんですか。
ファミコ
そうですね、その時は本当にもう藁をもすがる思いというか、何か心の真理というか、何かここから助けてくれるんだったら、何でも受けたいっていう感じで、
受けます、受けます、みたいな感じでしたね。
なんか助けてほしいっていう気持ちだったと思う。
ひつじ
1回目ってどんなふうに始まっていくんだろう。
ファミコ
私カウンセリングってその時初めて受けたので、結構助けてもらえるっていう感覚で行ったんですよ。
何か答えを出してもらえる、この恐怖とか、この気持ちに対してとか、こうやって対処していけばいいよとか、
そういうお医者さんが診断してお薬出してくれるみたいな感じで、何かこう助けの手がもらえると思って行ったんですけど、全然そういう感じではなくて、
なんかそこがすごく最初は、えーみたいな。
ひつじ
お医者さんが診断してくれたら、あなたこの薬飲んだら治りますよとかっていうような感じで、カウンセリング行ったら、こういうふうにすればあなたの恐怖は和らぎますよとか、
何かやってくれると思ったら違ったんですね。
ファミコ
違いましたね。
ひつじ
何をしたんですか、初回。
ファミコ
何か初回はひたすらに、何か私は問いかけてたんですよ。
何かこうでこうで、こんなふうに怖いし、どうなっちゃうか分からないし、どうなんですかね、みたいな。
何かそういう感じで問いかけてたんですけど、ただその心理士の先生は結構、どうなんでしょうね、みたいな感じで、何か私が言うことを隣で聴いて、
ただ聴いてくれる、みたいな感じで、でも私はそもそも答えを求めに行っちゃってたので、答えは全然出てこないじゃん、みたいな。
初回はそんな感じだったのを覚えてますね。
ひつじ
じゃあ、問いかけてたんですね。
こんなどうしたらいいんでしょう、みたいな問いをしてたら、先生はどうしたらいいんでしょうね、みたいな感じなんだ。
ファミコ
そうです。
で、ただ何か私の今の心理状態というか、例えばその本当に体に影響が出てるのはどういう状態かみたいな、
何かそういうことはすごく説明していただいて、例えば食べれない、寝れない、みたいなことがやっぱり続くと、
それはお薬とか、何かそういう方で見ていかなきゃみたいな、何かそういう自分の心の危うさがどの程度にあるのかみたいなのを、自分で確認できる方法みたいなのは、何か結構明確に教えていただいて、
食べれてるし、寝れても起きてるから大丈夫か、みたいな。
ひつじ
そのこの恐怖からどうやって逃れたらいいんでしょうっていう問いには答えてもらえず、1回目はじゃあ、何ていうか物足りなかったんですか?
ファミコ
そうです、本当に。
えっ、えっ、みたいな。
何かそうですね、1回目は本当に何か全然答えなかったみたいな感じで。
ひつじ
何か物足らない感じで答えがなく終わったけど、でもまた2週間後にやりましょうって言われて、じゃあまた2週間後来ようとは思ったんですか?
ファミコ
そうですね、何かその時に多分先生が何かこういう感じで思ったこととか、その生活、その次男のこととかで感じた、思ったことを話してくれればいいみたいなことだったんで。
で、はいじゃあまた来ますみたいな。
私多分カウンセリングと何かこうコーチングみたいなことが、結構そのカウンセリング受けるまでごっちゃになってる印象だったと思うんですよ、今振り返ると。
もっとこう何かカウンセリングって導いてくれる、すごくずんずんこう導いてくれるみたいなイメージを持っていたんですけど、
実際に受けてみると、ほんと初回もそうだったんですけど、何かひたすらに寄り添ってくれるっていう感じですね。
長男のことを異様に心配するようになっちゃって、例えばその保育園に行ってて事故に遭わないかとか、
何か普通にしてたら絶対しない悪い想像みたいなのをすごいやっぱその当時しちゃってて、そのこととかもすごい先生に話しましたね。
何か近くにいないと安心できなくなっちゃってるみたいな。
それは心のやっぱり、すごくショックなことがあったときの心の影響みたいなことで、マイナスにすべてを想像しやすくなってる。
何かそういう状態ですねみたいなことを、そのときは言っていたら、やっぱそうなんだみたいな。
悪いことが起こる、悪いことと捉えてることが起きちゃってるんで、
そうするともっと悪いことが起こるんじゃないかとか、そういうふうに連想してしまう。
ひつじ
なるほど。
ファミコ
退院して連れ帰ってきたときも、長男はめちゃくちゃ喜んでて、やっぱり弟とか、
ただやっぱその姿を見て、うーみたいな、障がいがあるんだよ弟、みたいな。
ひつじ
あー、なるほどね。
ファミコ
何かそういう気持ちありましたね。
あの、障がいがある子の兄弟って、兄弟児って呼ばれることがあるんですけど、
兄弟児になってしまったみたいな、本当に当時は本当に知識というか私も何もなくて、
ただの失礼な話になっちゃうんですけど、こういう言い方すると。
本当そういう暗黒期、いわゆる暗黒期にいたんで。
ひつじ
行き続けようって思ってたんですか、その時は。
ファミコ
あーそうですね、その時は、なんかだいぶもう暗黒というか灰色の世界は脱してからも通い続けてたんですけど、
ただやっぱり、なかなかダウン症の子供であるとか、その母親であるみたいなことを受容していく期間が必要だったと思うんですよ、マジに。
それが結構私1年ぐらいかかってるんじゃないかなって思ってて、
私の祖母はやっぱりすごく偏見がある人だったので、結局なのでダウン症があるっていうことはもう開示してないんです。
ひつじ
あーそうなんだ。
ファミコ
言ってない、はい。
それもそうですね、結構葛藤ありましたね。
なんで言わなくていいとか言っちゃダメなんだろうとか、結構もやもやしましたね。
だってその子はそういうことを持って生まれてるんだから、当たり前のこととして言っていいじゃんみたいなふうに、私も気持ちが変化してきている中で、
隠すって何?みたいな。
頭ではわかってるんですけど、おばあちゃんに言ったら大変だからっていう、うまく心までは落ちてこない。
なんで隠さなきゃな、隠すって変じゃない?みたいな。
それを持って生まれてきたから、別にそれ言っていいじゃんみたいな、こういうもんでしょっていうふうに心が変化してきたんです。
そうですね、別に私今もあえてすごく言うってことはしてないんですよね。
自分から言うってことは知ってなくて、ただそういう言うような状況だったら別に普通に言うんですけど、隠すこともしないし、
ですけど、それぐらいがすごく自分の中では普通というかナチュラルな状態。
ひつじ
そういうものを持って生まれた次男くんがいるんだよと、そういうこのお母さんであるっていうことを徐々に受容していくような時期があったんですか?
ファミコ
そうですね、多分それは普通に育てていて、次男がそこにいて、
それは本当に次男としては普通で、そんなに怖いこととか恐ろしいことじゃなくて、こんなに普通で当たり前の存在なんだっていうことで、
やっぱ知らない恐怖でしかなかったんで、私多分。
次男を通して次男の個性、ダウン症の個性を知っていくことで、こういうことなんだって理解していくことが受容につながっていったのかなと思いますね。
受容の過程
ひつじ
最初はダウン症とかそういうものも全然知らないし、どう育てたらいいんだとか、そういう恐怖とか不安があって色のない世界だったんだけど、
一緒に暮らしていくうちに、それが普通の生活になっていって、だんだん分かってきたっていうことです?
ファミコ
そうですね、だから特徴っていう感じで私は捉えてて、長男は長男でその成長スピードと特徴があるように、やっぱり次男は次男でその成長スピードと特徴があるので、
それに合わせたサポートをするっていうことは、基本的には別に、いわゆる普通の健常の子育てるのと何も変わらないなっていう感じ。
もちろん次男の方が療育に行かなきゃとか、そういう通うべきところとか病院みたいなことは多いんですけど、
ただ別にそれはそういう次男の特徴だからと思うと、それに合わせて動いているだけという感じなので。
ひつじ
カウンセリングにも通い続けようと思った何かがあったんですね?
ファミコ
そうですね、なんか自分の中ではそういう変化がある、普通のことだ、別普通の特徴なんだと思ってるけど、やっぱりそれを対社会に対して言ってみると、やっぱ反応をいろいろもらうじゃないですか。
それを結構自分が観察しちゃうというか、やっぱそう思われるんだとか、特に主人とも誰々には言うとか、友達たちには別にあえて言わないとか、言う言わないみたいなことをすごく話してた時期に、
自分の中でどういうふうに言ったら別に普通なんだってことが人に伝わるかがわかんなかったんですよね。
なんか結構、障がいがあるっていうと、えー、そうなんだ、かわいそうにみたいな、かわいそうにじゃないけど、それは優しさを含んだ、そうなんだなんですけど、
なんかその反応ってやっぱ重なってくると、結構、なんかそんな別に普通なんだけどなーみたいな気持ちになるっていうか、なんかこう、自分の中ではもう普通ってことは揺らがないんですけど、やっぱ社会から見ると本当にそうなんだ、なんか特別でかわいそうでみたいなことなんだなーっていうのを改めて突きつけられるっていう感覚。
カウンセリングの体験
ファミコ
でも、相手が悪いとかじゃないんですよ。相手は別に、もともとだって私だって同じような反応してたかもしれないし、知らないだけというか、なんで、だから今の社会、日本ってそうなんだなっていう感じ。
ひつじ
その時期は、カウンセリングに何をしに行っていたとか、なんかあります?
ファミコ
なんかその時期は結構明確に誰には言えましたとか、誰に言ったらこういう反応でしたみたいな、そういうことを結構話してましたね。
ひつじ
なるほどね。
ファミコ
うん。
ひつじ
そのことを語って聴いてもらうことで、どういうことが心の中で起こってたんですか?
ファミコ
やっぱすごくショックを受けた出来事だったし、自分の中では受容できてきてるけど、なんかその傷をまだ人にわっと見せれるかというと、そうではないぐらいの治りかけさみたいな感じなんで。
ひつじ
うんうんうんうんうん。
ファミコ
だからなんかあれですね、全然関係ない、よく行くお店の人とかに次男を連れてって、でもこの子ダウン症なんですとか言ってみて、どうかみたいなこととかをやったりしてましたね。
ひつじ
それはさっきおっしゃってた、自分の傷の治り具合を確認してたということ?
ファミコ
そう、自分がどれくらいそれを普通だと思って走ってるか。
で、それを心理士の先生にもなんか割とすごくさらっと言えましたみたいな。
ひつじ
うんうんうんうん。
ファミコ
なんでそれやってたんだろう?なんか今思うとすごい不思議なんですけど。
ひつじ
先生は相変わらず何もこうしたらいいよとか言わずにずっと寄り添ってくれたんですか?
ファミコ
ずっと妖精のように寄り添ってくれて、あ、言えたんですねみたいな、どうでしたかっていう感じで。
そこででも改めてこうこうこうでしたとか、なんかそうですね、そういう話をしていましたね。
ひつじ
うーん、それで1年ちょっとでもう今日で最後にしようかなっていう日がやってくるきたんだろうと思うんですけど。
ファミコ
はい。
ひつじ
それの日はどうやってやってきたんですか?
ファミコ
えーとですね、なんか私あの育休取っていて、復職したんです。
で、その復職後にもう1回行った時に、まあじゃあもうそろそろ終わりで大丈夫だけど、また何かお話ししたいことがあったらいつでも予約取ってくださいみたいな感じで。
ひつじ
じゃあ今日最後にしますって言ったのはファミコさんなんですか?
ファミコ
そうですね、なんかまた何かあったら予約するようにしますって言ったのは私だったと思います。
次男とその周りの世界だけでこう過ごしていたところから、やっぱりその社会復帰をしてみて、自分だけのその世界にいる時間も取れて、
なんかこう、前の私とまんま一緒の私ではないですけど、なんかこう揺らぐことはなくなっていったっていう感じですか。
ひつじ
最後に行かれてから何年ぐらい経ってるんですか?
ファミコ
もう4年ぐらいですかね。
ひつじ
じゃあ今振り返って、その1年ちょっとのカウンセリングってどんな体験だったんですか?
ファミコ
すごく想定外の心にショックを負う出来事が起きて、やっぱりその心の変遷、動きというか、なんかそれを一緒に見ていってもらえた期間っていう感じですかね。
めちゃくちゃこう下に落ちてたと思うんですけど、その波を描きながら元の位置に戻っていくのを一緒に見ながら寄り添って、心の現在地を確認してくれるっていう感じ?
ひつじ
最初はドーンって落ちて、もうわらおもすがある思いで、何とかしてほしい、何かいいアドバイスか何か助けてほしいっていう期待があったが、そこには答えてもらえず、ずっと寄り添って一緒に見ててもらったっていう体験は良かったんですか。
ファミコ
そうですね、今思えば、例えばそれってドーンって落ちた時に、じゃあもう特効薬みたいなものでパーンって戻ってきたとしても、それってやっぱり全然違うじゃないですか、全然治ってないっていうか、その痛さをその瞬間忘れられてるだけで、
やっぱり自分の受けた傷は、自分でしっかりと一歩一歩向き合っていかないと治せないので、それがやっぱり一人だと、一人では難しかったんだろうなと思いますね。
表現して話すことで、自分ってこう感じてたんだとか、こういうふうに言えるんだとか、そういうことがあったので、やっぱりただただ聴いて寄り添ってくれることで得られたものというか、自分の心がちゃんとそれを受け入れて立て直していけたっていう感じ。
なんですかね。
カウンセリングをもし受けていなかったとしても、徐々にはもしかするとこうやって立ち直ってというか、普通に戻っていったかなとも思うんですけど、カウンセリングを受けたことで、すごく心の線の動きが自分でも認識できたっていう感じ。
社会復帰と心の現在地
ひつじ
立て直していく過程における自分の心の動きをより認識できたっていう感じなんですね。
そうなんだ。
ファミコ
それってでも結構、なんか人生においては大事なことだったなーっていう感覚はありますね。
ひつじ
1年間のカウンセリングを受けている心のプロセスを終わってから4年経って教えてもらうなんて初めてなんで。
ファミコ
でも私もこんなにあの時のことを言葉に出して振り返ったの初めてなんで、すごく貴重な経験だったし、よかったですね。
すごいカウンセリング受けてよかったなってぼんやり思ってたんですけど、こういうふうに感じてたんだっていうのは今初めて、なんか自分でも認知したかもしれないです。
ひつじ
あ、そうなんですね。
ファミコ
話すって大事ですね。
ひつじ
あー、言葉にして誰かに語ると。
ファミコ
そうそうそうそう。
ひつじ
今後どのように生きたいですかって聴いてみてもいいですか?
ファミコ
今後どのようにですよね。私なんか自分の人生で次男を産んで、こういう精神的な体験をしたのもそうなんですけど、
やっぱ子どもたちにちゃんと生きてる自分を見せたいし、こういう自分が理想とする社会に向けてやっぱ活動してるっていう姿は見せたいなっていうのがどのように生きたいかの答えかな。
それは結構、障がいのある方、私はすごく障がいに無意識でめちゃくちゃ多分偏見があったのでショックを受けていて、でもそれってきっと誰もがそうだと思うんですけど、やっぱそうじゃない社会、こんなにショックを受ける必要ってなかったと思うし、
それって多分普通に接してたりとか、今まで私が接してることがあるとか、ダウン症の方と一緒に過ごしたことがあったりとか、そういう経験があればここまでのショックさってなかったと思うんですけど、やっぱ知らないことで恐怖につながるんで、
やっぱり今ってすごく日本ってその障がいのある方と日常では全く接しない世の中になってると思うので、もう少しその、やっぱ共に生きていくというか当たり前に共に生きていくみたいな環境っていうのは何かこう提示していきたいなっていうのはありますね。
ひつじ
社会に対して働きかけているよっていうのを見てほしい。
ファミコ
なんかそうじゃないと、まず長男には伝わらないと思うんですよ、その障がいがある弟がいて、いくら私が言葉で親が言葉で、それは特徴であり普通であり、みんな変わらず過ごしてるよって言っても、やっぱり長男が見る世界の中ではすごく区別して差別されていくと思うので、差別じゃないか区別これからされていくので、
なんかそういうことに対してやっぱり私が言うだけじゃなくて行動でも示してあげる、あげたいなっていう感じですかね。
あと単純に次男が生きやすい世の中にもっとなってほしいっていう。
ひつじ
なるほどね。
なんかすごいプライベートで大切なお話をシェアいただいて、僕も感動してるんですけど、大事なお話を教えていただいてありがとうございました。
ファミコ
ありがとうございました。
ひつじ
カウンセリングが終わって4年も経ってから振り返って受けられた方のお話を聞くなんて初めてなんで、いろんな心の動きが分かって僕もとても勉強になりました。
じゃあファミコさん今日はどうもありがとうございました。
ファミコ
ありがとうございました。
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