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今、妻の実家から家に向かって一人で車を走らせております。高速道路です。時刻はですね、12月31日大晦日の今は午後3時46分かな。はい。
2022年最後の日でございます。昨日から妻の実家にいるんですけど、忘れ物をしたことに気づきましてですね、今一人で家に取りに帰っているところなんですけども、昨日ですね、12月30日なんですけど、各種SNSの方で報告をさせていただきました。
というのが、私、樋口紀夫にですね、次男ですね、2人目の子供が生まれました。ということで、樋口唯太という名前の男の子が生まれました。パチパチパチおめでとうございます。わーっていうことなんですけど、生まれたのが2022年の10月20日でございます。
生まれてもう2ヶ月ちょいは経ってるんですけども、なんやかんやあってちょっと公開できなかったというか、いろいろ気を使った部分だったり、いろいろ考えてちょっと公開を控えとこうということで公開しなかったんですけども、昨日ついに公開しましたということですね。
これを聞いている方、見た方の方が多いと思うので知っていると思うんですけども、ダウン症という認定を受けました。一種の染色体検査によってダウン症認定を受けておりますと、樋口唯太ですね。
どっから話そうかな。せっかくなんで、重複するかもしれないですけど報告した件と話していきたいと思うんですけど、まずは生まれたのが10月20日ですね。
もう生まれてすぐですね、ちょっと生殖、生殖じゃない、消化器系かな。消化器ですよね。腸とかあの辺なんですけど、腸から肛門にかけてのところにちょっと形勢異常ですよね。
ちょっと普通じゃないところが見られまして、すぐに医師の方から連絡が来て、樋口さんこれちょっとおそらく手術が必要ですということで同意してくださいということで病院に呼ばれてすぐに同意書を書きまして、生まれた次の日10月21日にNICUといって乳児向けの集中治療室なんですけどそこに入りまして、緊急手術を行いました。
一応手術は成功したんですが、合併症なんじゃないかということになりまして、いろいろ各種検査をしましょうと、だから耳の検査したりとか、もろもろ検査したんですね、ちょっと忘れましたけど、5種類6種類かなんかの検査をして、その検査の中の1つに染色体の検査っていうのがあって、
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その検査の結果、正式に21番目の染色体の数が1つ多いということで、つまりダウン症ということは認定されたということですよね。
その認定結果が出るまで大体1ヶ月くらいあったんですね。
その1ヶ月の間、集中治療室にずっと入っていて、そこから出てもなかなか退院できなくてですね、配接がなかなかうまくできないということで、ずっと入院したままだったんですね。
その間ずっと会えなくて、1週間に2回だけズームで30分だけ繋いで声がけをできるっていう、それしかできなかったんですね。
このご時世コロナがあるということで、全然会いに行くことすらできなくて、画面越しにiPadで見てたんですけど、そういう期間がありまして。
1ヶ月経ってやっと退院できるかなみたいなところで、妻が訓練として入院をしまして、1週間くらいからいわゆる健常時とは違うマスター立て方みたいなものが必要になっているので、その練習をしまして。
これだと家でも大丈夫かなということで、今家で一緒に生活してるんですね。
だから退院したのが11月20何日とかだったかな。だいたい1ヶ月ちょいぐらい入院してたので、その間子供は生まれてるけど家にいない状態ですよね。
っていうのがあって、今一緒に生活してるっていうことなんですけども、なかなかいろんなことがあって、いろんなことというか考えないといけないことがあって、いろいろやりました。
正直ほとんどの仕事を一旦ストップして、家事、育児とかもやっぱり大変になるんですよね。
そんなのもあって、僕は相当そっちに力を注いでたっていう状況なんで、だから僕の出てる番組とかが、僕がいない状態でヘルプで誰か出てもらってみたいなことが何番組かあったと思うんですけど、
新型オトナウイルスとか、完全逃げ何度もあったし、コテンラジオとかもリスケリスケをしてもらって、ちょっと本当は収録があったところっていうのを後回しにしてもらってみたいなことがあって、感じですね。
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一応その宣告を受けた時の僕の心境みたいなものなんですけども、実はちょっとデリケートな話になるんですけど、出生前診断をしなかったんですね。
これはもう僕からすると意図的にしませんでした。理由は、出生前診断っていろんな検査の中で確実なやつで陽水検査っていうのがあるんですけど、それをやるとちょっとリューザンの可能性が若干上がるって言われてたんですね。
僕の中ではもうどんな子供でも産むつもりだったんですよ。これは運命なので、授かったっていうことは運命なので、どんな子供でも産むつもりだったので、陽水検査して、どっちでも産むんだから、そもそもしなくていいし。
することでリューザンの危険度が1%でも上がるんだったら、しなくていいだろうみたいな感じではあったんですよね。なので結構生まれる前から個人的には覚悟をしていたということなんですよ。
で、石から診断を受けたので、もちろん想定と覚悟はしてたんですけど、じゃあショックがないかっていうともちろんそれはゼロではないですよね。やっぱり自分の人生にとても大きく影響するので。
で、終わっては思ったんですけど、でもなんかこう、これちょっと表現難しいんですけど、はいはい、なるほどと。そのパターンの人生が今からスタートするんですね。了解です。ぐらいの感じだったんですよね。
まあ、なんていうか、そういう設定での人生が始まったなーくらいに捉えてるっていう、人生の裏設定が一個足されたなーっていう感じなんですよね。
です。ですです。まあちょっとここ難しいな。なんかちゃんとその時の心境を説明するっていうのは、なんか正確に説明できてるかどうか微妙なんですけど、まあそんな感じでした。
で、じゃあそれを聞いて、まあどうしようかねって思うわけですよね。現実問題、いろいろ考えないといけないことがおそらくあるはずじゃないですか。
で、でも何をどの順番にいつまでに考えないといけないんだったっけみたいなことが全くわかんないわけですよね。
で、それぐらいからとりあえず本屋に行って、ダウン症関連の本をバーッと買ってきたりとか、あとはネットで調べられるものは調べたりとかして、まあそれでも足りないと思ったので、相談センターみたいなものが一応病院から紹介されたところがあったので、難病支援センターみたいなところがあって、そこの人に話を聞いて、
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ダウン症協会っていうのがあるっていうのを聞いて、その中の人を紹介してもらって話を聞いたりとかしましたし、あとは区役所の保健師さんっていう方がいらっしゃるんで、保健師さんにいろいろ話を聞いて、
実際こういうケースってどういうことが懸念点としてあるんですかとか、今何をすべきなんですかとか、実際じゃあ同じような教育の方と会いたいんですけど紹介してもらえないですかみたいなことを相談してたら、近くに住んでいる方を紹介してもらって、公民館で会って話す機会をいただいたりとかしましたし、
あとは、知り合いや友人の中にいるんですよね、障害者関係の事業に携わっている人っていうのがいて、そういう人に連絡して、実はこうこうこうです、これどうしたらいいみたいな、今考えておくべきこと何みたいなことを聞いて、そこでまたいろいろアドバイスを受けたりとか、
あと実は僕の知り合いの中にも言ってないけど、子どもが実は障害者な人もいるよっていう話を初めてそこで聞いたりして、そこにまた許可を取って連絡して話して、マジっすかみたいな、でまたいろいろ話を聞いたりして、どうやって乗り越えましたみたいな話を聞いたり、
あとはやっぱり学校関係、教育関係の友達とかでいるので、そこに話を聞きに行って、どういう問題が教育現場で起こっているかみたいな話を聞いたりしたりとか、いろいろやってるんですが、それでもやっぱりリアルにそれを体験しているわけではないので、まだ生まれて2ヶ月なので、
何について考えないといけないかっていうことがやっとぼんやりマッピングができてきたなぐらいの程度でしか今分かってないという状況ですね。おそらく一個一個の問題がとても大きな問題で、それぞれ一つ一つ対処していかないといけないというのが今のフェーズかなと思ってます。
その中で、これちょっとご報告のところにも書いたんですけども、ここでも話すとですね、障害は個性の一つだみたいな考え方って皆さんご存知だと思うんですよね。
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別に障害って聞くと劣っているとか生きにくいというイメージがあるけど、それは本当に個性の一つだと捉えることができるんじゃないかみたいな考え方ってあると思うんですね。
これって僕本当に心からそう思っているし素晴らしいと思っているし、人権という概念を用いてもこれって本当に100%正しいと思っているんですね。
理想はそうだと。ただやっぱり僕が今のところ調べた現状によると、やっぱり障害があるということでとても困難にはなっているという現実はありますというか、絶対にあるということが分かりました。
とてもシンプルにそうなんですよね。ごちゃごちゃ言う余地なくとてもシンプルにやっぱり困難ではあるんですよ。
例えば普通の保育園に入れるところと入れないところがあるみたいなところでもすでにそうなんですね。
一応調べたところによると、例えば今うちのユイタは毎日毎日ちょっとした医療的な措置をしないといけないんですよ。
薬も飲ませないといけないですね。ちょっと身体的にまだ健常な状態になっていないので手術がまだあれが残っていて、
ちょっと毎日やらないといけないことがあったりとか薬も飲まないといけなかったりするんですよね。
その状態の子って保育園に預けるのってやっぱり難しいらしくて、預けられるところってそういう医療的な専門の人みたいなものがいるところしか預けられないらしくて、
でなったらおそらく今虎之助長男が通っている保育園のところには預けることはおそらく厳しいんですよね。
この時点で若干ハードなことがあったりとか、あとは普通だったら選択肢が多いわけですよ。
例えば小学校どこ行くか問題というか、問題地から行くかだったとしても、普通に小学校どうするかとかでいいわけですよ。
ただ障害児だった場合は特別学級があるところに行かないといけないとか、そもそも学校自体がそういう特別な学校に行ったほうがいいんじゃないかなみたいなところがあったりとか、
そこもおそらくですけど、大体小学校1年生ぐらいからだったら一人で通えるわけじゃないですか。
でもやっぱり男小の子ってちょっと成長が遅いので、遅いですよ。
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だから親の世話というのが必要になるわけですよね、支援というか。
送り迎えとかもまだまだおそらく必要な期間が長いですし、みたいなことがあったりとか。
言い出したきりがないんですけど、そこからまた就労の話とかもあるんですよ、働けるかどうかとか。
そもそもそこに行くまで行くっていうのがあって、家と学校だけで育てるだけだったらやっぱり不十分らしくて、
だから療育センターっていうところに行って、それ専用の活動というかリハビリじゃないかな、
療育っていうのをしないといけないから、そこもやっぱり親からするとコストはとてもかかるんですよね。
あとはシンプルに養育費っていうのが必要なんですよね、多分普通よりもとかもあるし、
あと生活の自立っていうのは何歳からできるのかみたいなところでも、親の自由度っていうのは明らかに下がるわけですし、
就労に関してはもっとそこがシビアにきますよね。早ければ現状時だったら今の時代だったら18とか22くらいから働き出す、
そして親の仕送りなしでもそこから普通に働くっていうことができるはずなんですけども、
障害地だったらそこにやっぱり施設に入れるのにもお金がかかるだろうし、
一人で働き出して一人で生きていける分のお金を稼げるようになるかっていうとまたなかなかこれがかなり恵まれない時だし、
本当に1日働いて100円とか1000円みたいなケースもとても多くあるって話を聞いて、
これを言うのって個性と言えないですよね。障害っていうのはただの個性ではあるんですけども、やっぱりそこから来る生きにくさ、障害っていうものは明らかにあるなと僕は今感じているんですね。
あとはやっぱり両親の死後の話っていうのもあって、僕らが先に死ぬわけじゃないですか。
昔だったらダウン症って35ぐらいが寿命って言われてたらしいんですけど、今はいろんな医学の発達とかが、福祉の発達があって寿命っていうのはやっぱり伸びているらしいですね。
でなるとやっぱり親が先に死ぬっていうことって普通にあり得るわけで、そうなった時にじゃあその保護責任を誰が持つのかっていう問題も完全にはクリアされてないですよね。
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施設に預けられるのかとか、あとはその兄弟に責任が来るのかとかそういうところもありますと、じゃあその施設に預けるんだったらそのお金は誰が用意するのかっていうのはやっぱり僕が用意しとかないといけないよねっていうところがあるから、やっぱりそこも健常時だったら考えないでいいところを考えないといけないっていう意味では明らかに困難ではありますよね。
だからただの個性で済ませられるっていうことではなくて、やはり困難さを伴う個性であるっていうことは、もうこれはなんていうか、いろいろ倫理観とか道徳観とかを抜きにして客観的事実としてそうであるっていうことはやっぱり認めざるを得ないと思うんですよね。
僕は今のところを持ってます。調べた結果を持ってます。ここまではそうなんですけど、じゃあそれで不幸かどうかっていう話ではまた全然別だと僕は思ってるんですね。
困難であることイコール不幸じゃないって僕はいろんなところでずっと言い続けてはいるんですけども、そうなんですよね。困難だけどハッピーみたいなことって普通に起こり得るし、僕はやっぱり人生みたいなものをゲームに例えることが多いんですけども、人生がハードモードになったっていうことはもう紛らわない事実なんですけども、
じゃあハードモードのゲームが楽しくないかというと、むしろ楽しい場合も多いじゃないですか。楽しいからハードモードという設定があるわけで、やっぱりハードモードでクリアをした方が人生を達成感もあるし学ぶべきものもあると僕は思っているんですね。
そう考えるとハードモードのゲームをポジティブに楽しむみたいなことも理論上可能なんですよね。そうなんですよ。だから僕はそこの可能性を信じているし、まだ何も始まってないんですけど子育て。
まだ現状、今健常児の子育てとダウン症であるユイタの子育てって全く差がない、全くではないか、あんまり差がないんですけどこれが保育園に入れるみたいなところから徐々に差が出てくるんですけども、だから始まってもない僕があんまり言えることではないんですけども、僕は今のところハードゲームモードを楽しむということができるんじゃないかと思っているし、そこを目指したいと思っているんですね。
ただ結果としてもうゲームオーバーだみたいなこれはやっぱり不幸だったみたいな未来も十分あり得ると思っているんですよ。これは実際僕っていうよりはそういう不幸だと自分を認識している人たちの文章だったり声だったりっていうのがやっぱり調べると出てきます。
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全員が障害者の子供を受け入れられるわけではなくて、最初は別に気にしてなかったけどやっぱり障害は障害だよねっていうところでこんな子を産むべきじゃなかったみたいなことで普通に悩んでいる方っていうのはやっぱり多数いらっしゃって、それ自体は否定できるものではもちろんないと思っているし、
そう思うのはしょうがないし、僕も十分そうなり得るとは思っています。ここは道徳的に障害者は個性だからそう思わないに違いないって簡単には言えない領域の世界だなとは思っているんですけど、
ただとはいえ僕は今まで経験してきた人生で一つも後悔したことってないし、全ての困難をある意味乗り越えてきているし、困難の中にいてもポジティブに楽しんだりとか楽しまなくてもそこから何かを得ようとして実際に得てきたりっていうのは人生を通してやってきた自信があるんですよ。
実績があるんですよ。だから今回もそれは必ずできると僕は信じているんですね。それをやろうと思っているし、実際それでやれてる人の声ももちろん同じかそれ以上聞くんですよ。
障害者の親になってショックを受けて不幸だと思っている人以上に今はとても幸せですっていう方の声ってめちゃくちゃ入ってくるんです。もちろんこれはバイアスがかかった意見だと思います。なぜなら生まないほうが良かったですよねっていうのってなかなか実名を出して言うのって暴かられるような言葉なのでそういう人たちは思ってても言わない。
乗り越えた人たちって普通に言えるから言える。言ってる。だから世の中のリアルに入ってくる声としてポジティブな意見が多いっていうのはバイアスがかかっているとはいえやっぱり大多数いるっていうのはわかったんですね。
わかったんですよ。だからそこはとても僕は希望になっているし逆に僕が今度は全然大丈夫ですよっていう側に回ることはできると思ってるんですね。だから同じような境遇の人ってこれからも一定確率でずっと生まれてくると思うんですよ。
そういう時に僕が得た知見とか僕の考え方だったり経験だったりするものを社会にシェアすることでその人たちが何か生きる希望になるとか僕がそういう人たちから言われた言葉で救われたりとか情報として役に立ったりしているようにそれと同等かそれ以上のものを社会に歓迎できると僕は思ってるんです。
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だからそういう枠割りの人生が始まったなって僕は今思ってるんですね。
もう一回ちょっとまとめて言うとなんか本当に医療面とか福祉面とか教育面とか金生面とか様々なジャンル様々な視点での課題っていうものを抱えてスタート切るっていうのは間違いない事実ではあるんですけども
なんかとても今はポジティブに受け止めているということですね。
なんか実際どれくらいハードモードかというとあんまり普通の人とか一般的にみたいなものがどれだけあるかどうか分からないですけどもかなりハードモードではあると思います。
僕の今の状況っていうのがそもそも仕事とか会社の面でハードモード爆心しているんですよ。
会社で借金をめちゃくちゃ抱えているとかであとは会社と今家がとても遠いとかで各家族で子育てをしているとか両親の実家が遠いとかでフルタイムで両親が両親というかその僕と妻が働いているとかとてもハードモードではあるんですよ。
世界の情勢も何が起こるか分からないじゃないですか。今いつ戦争が始まるかも分からないみたいな中でじゃあ日本という国が今から右肩上がりに行くかというとなかなかそうじゃない確率の方が高くて円もどんどん下がっていくで年金ももらえるか分からないみたいなこのどんどんどんどんハードモードに突入していくことがほぼ分かっている中で
さらに自分の息子がダウン症である障害者である。普通の感覚化するととてもハードだなって思うんですよね。なんですけどまあ俺ならできるんじゃないってかなり楽観的には思っているんですよね。
それで全力やって心ぶち折れたりとか終わったな失敗したなって思うことはとても高い確率であると思うんですよね。ただなんかそれも全力でやりきった先にそういう結果が待っていたとしても別に後悔はないんじゃないかなと僕は思っているって感じですね。後悔さえしなかったら人生勝ちなんですよね。
なんかそれぐらいの感覚ですよ。
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なんで今からすいませんって思ってるんですけどただその分何かしらの形で還元をしたいと思ってるんですよね。社会なのか皆様に直接還元できるかどうかは正直分からないんですけども何かしら社会というか人類というかそこに対して還元したいなとは思ってますね。
あとはあれですね。最後なんかやっぱね生まれた時って家に帰ってきてない時ですよね。特に入院中でまだ抱っこもできてない状態の時ってユイッタに対して男性の子供が生まれたっていう思ってたんですよ。
だから男性の子供のユイタが生まれた。で男性の子供を育てていくためにはどうしないといけないかみたいなことを考えてたんですね。で実際今退院して1ヶ月ぐらいかな。毎日毎日一緒に生活をして
なんか普通に毎日生活してる時って男性の子じゃなくて僕の可愛い子供のヒクチユイタとして毎日毎日生活してるんですね。おむつをかいたりミルクを飲ましたり話しかけたりしてるわけです。
なんかこうしてる時って別にユイタが男性かどうかって本当に関係なくて俺の子なんやなって思いながらこう話しかけてるんですよ。
もちろん男性だから障害者だから巻き起こるいろんなことはあると思うんですけどよくよく考えるとそれは健常児でも一緒であって健常児だったとしてもいろんなことが巻き起こるわけですよね。健常児だけど不登校になったりする子もいるし健常児だけど
大怪我をして入院するようなこともあるかもしれないしとか考えるとなんかもちろんカテゴライズすることで便利なこともあるし認識しやすいこともあるし実際コミュニティとかも作りやすいっていうことはあると思うんですけども
でもやっぱり一人の人間としてユイタと接していくときには本当になんかカテゴリー障害者というカテゴライズみたいなものって本当に関係なくて僕のかわいい息子の樋口ユイタとして一生育てていきたいなっていうのを本当に思ってるんですよね。
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なんかめちゃくちゃ可愛いんですよね。もうなんやったら、これはもうわかんないですけど本当に健常児よりも可愛いとすら思ってるかもしれないですね。
なんかこうやっぱりこいつ俺がいなかったら本当に耐えないのなぁと思うともう俺が育ててやるから安心してくれってこう思ってるんですね。なんかめちゃくちゃ可愛いんですよ本当にもう可愛くてたまんないですね。
ということでこれからも樋口ユイタをよろしくお願いいたします。なんか皆さんと早くお会いしてほしいですね。いっぱい可愛がってほしいなと思います。
ということでもう年末なのでおそらく今日は今年終わりますということで皆様1年間ありがとうございました。そして来年もよろしくお願いします。良いお年を。