発達障害について
心と身体の専門家が様々なトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回はみなさんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。 今回はですね、発達でこぼこのある子供との関わりみたいなテーマで喋ってみようかなと思うんですけども、
最近ね、発達障害とか話題に上がることありますし、
昔はあんまりこういう言葉がなかったから、なんかちょっと変わった子だなぁみたいな感じで流されてたのかもしれないですけど、
まあ誰しもあると思うんですけどね、ある程度。 今後はこういうところをうまく得意な部分を伸ばしていくとか、
親とか、セラピストとかでもこういう関わることあるでしょうし、 どういう感じで関わっていくといいかなとか、今後の教育としてどういうのが大事だかなみたいなことをざっくばらに喋れたらと思います。
はい。 という感じなんですけど、
今までだと結構関わりありますかね、そういう発達障害の子供とか。
発達障害の子供、まあそうですね、うちの息子もちょっとその傾向があるかなとか、あとまあ割と保育園の時とかは、
結構色濃く出やすかったりで、周りの友達だったり、子供とかを見てて、いろいろな子供がいるなぁとか思ってましたし、まあ大人でもね、
その、すごくSNSを覗いてみても、結構、病院とかの医療業界も結構そういう研究者とかも割と発達障害っぽいなこの人みたいなと思うんです。
まあね、誰しもありますからね、そのデコボコの程度というかね。 そうですね。
だから、まあ、やっぱり日本の教育的にそういうデコボコが目立ちやすいというか、
まあ学校とかのね、授業とかでもずっと何十分も座って受けるのが一般的なんで、そこがなんかできない人はちょっと変わってるなって見られがちでしょうし、
何だろうな、まあ何でもそうですけどね、スポーツとかアートでも。 なんかこう、日本はこう、統一感を結構求められる傾向が強いなと思うので、そうですね。
どうなんですかね、これがまあいいのか悪いのかって感じで。 まあでもやっぱりちょっと言いづらさを感じてしまう子供とかは、
うまく対応できる場所があったらいいんじゃないかなと思うんですけど、 今だと本当にこう、例えば発達障害とか診断ついたりしたら、
その放課後デイサービスとか、そうですね。 養護学校もなのかな、まあそういう場に行くことになることが多いんですかね。
そうですね、本当に発達障害といってもいろんな種類があって、基本的にまあ幼稚園とかね、保育園の時期だと療育っていうところに通ったり、
発達障害と周囲の理解
小学校以上になると、まあそうですね、放課後デイサービスって福祉サービスだったり、学校の中でも通休っていうね、なんかその必要な部分だけを補ってもらうみたいな時間をうまく普通休と組み合わせるタイプとか、
あとなんか、支援学校ですかね。 支援学校みたいな、本当に普通の学校とまた別の支援休っていうところがあって、
普通休ではないんですよね、そこはね。 そういう方、障害がある子たちが通う組みたいな。
だったり、あとまた別に本当学校自体が、まあそういう支援学校ですね。 だいたいそういうような感じで、
居場所としては置かれてるんですけど、正直どこに行っても正解とかではないんかなと思うんですよね。
その中で、やっぱりその子を理解してもらえる環境かどうかとか、
うん、デコボコなりに、そうですね、全然その親も先生も、それを良いとか悪いとかじゃなく、
子供が進む方向をきちっと安全に見守れるかどうかとかが大事なのかなと思いますけど。
まあそうですよね、本当に例えばそうやって分けたとしても、その中でも特性違うでしょうし、
そういうところじゃなくて、一般的な公立とか私立とかの学校の中でもデコボコってあるでしょうし、
例えばね、なんかめちゃめちゃ賢い子ばっかいる学校とかっていうのも、逆にこうデコボコっていうかなんか賢すぎるっていうかね、
記憶力めっちゃ高いとかなんかいろいろあるでしょうし、まあどこに行っても結局そういう得意不得意とかはあるだろうからって思うと、
やっぱ周りの人がどうその、なんですかね、認めてくれるっていうか、うまく関わりを作ってくれるかみたいなところが結構大事になるんですかね。
なんかそうですね、子供なんかでも生まれても1歳ぐらいからこう難語みたいな発語していきながら、自分のことを主張して始まっていくじゃないですか。
で、言いや言いや気とか、そういう時期から始まってるんだと思うんですけど、なんかやっぱその子供が嫌っていうことを主張できる場所とか、
上手に背中を押してくれる場所とか、なんかそういう子供の意思をきちっと尊重して実行に移すっていうことが大切なのかなと思うんですよね。
なるほど、そうですよね。だからまあ発達デコボコっていうとこうなんか知能とかなんか能力のデコボコで見られがちで、
でもね、そう普通に感情面とかはやりたいことがあったりとか、まあ嫌なことは嫌とか、まあその辺のちょっとこだわり強いとかあるかもしれないですけど、
まあその辺の程度も違うだけだと思うんで、まあ結局みんなそのなんだろうな、やりたいことやって、やりたくないことはできるだけやらずにというか、
まあでもちょっと乗り越えるのも必要かもしれないですけど、まあその辺をまあ子供に合わせてサポートできれば、まあうまくこう付き合っていけるっていう感じなんですかね。
子供の成長に必要な家庭環境
そうですね、たぶん一番そばで付き合っていくのって親なんで、なんか親がやっぱこう健やかに子供のその成長時代を見守っていく時間っていうのが、
きちっとなんか費やせるかどうかがすごい大事なんかなと思うんで、なんか下手に能力を伸ばそうとか、何かこう評価でこの子は低いとか高いとかいうことにとらわれないようにすることも大切なのかなと。
なるほどね、まあねテストの成績に何か一気に注視しすぎたりとか、まあね今受験とかもあると結構それで親の関わりとかも大きく変わるかもしれないですけど、どうなんですかね、理想的にはあんまりまあ子供のやりたいことを尊重してっていうのがまあ一番理想は理想なんですかね。
子供ってやっぱりすっごいどの子も純真無垢なんで、基本的に本当恐れがない状態、安心できる場所だったら、なんかほんと伸び伸びしてるじゃないですか。だから本当になんかそれだけでいいっていうふうなぐらい理想をまずそういうふうに置くといいかなと思うんですよ。
そうですね、まあどこかしらに絶対そういう安心な場所は必要で、まあとはいえ世の中いろんな人がいるから、まあなんかうまく理解してくれない人とかもいるでしょうけど、まあ最終的にやっぱり帰れる場所があるといいですよね。
そうですね、やっぱり家庭が一番大切なのは言わざもがな、でもやっぱり社会とうまくリンクしていく先を適度に作っていくことで、子供がまた思いもやらないとこできちっと思いやりを発揮できたり、なんか人にちゃんと自分の気持ち伝えたりっていう場面も全然生まれてくるんですよね。
なるほどね。
だから本当にその成長って変化するっていうことを大らかに包み込んでいく感じがいいのかなと思いますよね。
だから逆にその家族だと近すぎるから、結構そのテストとか受験とかのうまくいったかどうかで結構左右されるから、もうちょっと間のサードプレイスみたいな安心できる場所っていうか、学校とか仕事とかとまた違う、ただ自分を認めてくれる場所みたいなのもあるといいかなって感じですかね。
そうですね。でも子供ってやっぱお母さんとかお父さんとかね、家を…
そっちに認められたいというか、なんかそっちの安心感を求めますよね。
ね、求めますよね。だからなんか学校の環境とかも本当に様々で、まぁ一長一短あると思うんで。
なんかそこが本当に親が望むことなのか、子供に適してる感じで動いていってるものなのかは、なんかやっぱコミュニケーションを取っていくっていうことが追われていくんでしょうね。
なるほどね。だからまぁ、なんだろうな、まぁ親子だけでそういう関係がうまく作れればいいし、まぁ難しければちょっと第三者のサポートもありつつ、いい関係性作っていくとかですね。
なんかもう一昔前私たちが受けたようなその受験地獄的なストレスが正直もういらないじゃないかとかって思うんですよね。
別にわざわざあれを与えるってなんかちょっと虐待してるみたいな感覚に近いと思うんなら、やらないほうがいいと思うし。
そうですね。なかなか難しいとこですけど。
まぁメンタル的にはね、もう学習環境とかもどんどんウェブ使えばできるしっていうのもありつつ、まぁ社会全体的に見ると、なんか嫌でもちょっと無理やり詰め込むことで底上げされたりとかっていうのもあるかもしれないんで、何を見せるかってとこですね、これは。
自己肯定感の重要性
なんかその最近なんかいろいろ見てたときに、結局そのいわゆる自己肯定感みたいなものがすごく高い子供とか人間の人って何がすごいって、自分がなんか人からなんかこう腹詰めて受けたりいじめられたときに、ちゃんと主張できるんですよ、すぐに。
自分はこんなことされてますとか、やめてくださいみたいなことを、なんかちゃんと堂々と言えるみたいな。
だからなんかやっぱりすごいそこの根っこの自己肯定感みたいな、メンタルの強さでもあるし、なんか自分自身がちゃんと自分を大事にできているかっていう感覚がやっぱり一番大切なのかなと思うんですよね。
なるほどね。
まぁその辺は発達でこぼこあるなしに関わらずかもしれないですけど、まぁそのどうなんですかね、自己肯定感ってなんか測る指標ってあるんですかね。
あんまなんか自己肯定感って概念自体が結構アバウトだと思うんですけど、でもなんかやっぱりそのつながってくると思うんで、家族が何でも受け止めてくれるみたいな場所だったら、なんかほんとその感覚でいられてるかどうかみたいな。
そうですね。言ってもそんな簡単にはね、社会の中でもいろいろあると思うんですけど、でもいざ何かあったときに出てくる力みたいな感覚なのかなと。
なるほど。まぁなんかそのいわゆるレジリデンスみたいな、ちょっとうまくいかないときがあっても立ち直れるとか、普段はこうやるべきことをコツコツ続けれるとか、人間関係構築できるとか、そういうのの根底としてこう自己肯定感っていうのがやっぱりそうっていうとこなんですかね。
確かにそうかもしれない。忍耐力とか継続力みたいな。
ぶれは小さくなりそうですよね、やっぱり。
そうそうそう、心が折れない感じっていうか。
なんか平均的なパフォーマンスは高くできて、まぁもちろんね揺れ動きはあると思うんで、うまくいくときといかないときと、なんかうまくいかないときでもそれで落ちすぎずに、うまくいくときはその波に乗ってやれてみたいな。
そうなんですよ。
確かに。
子供の成長における親の役割
感情で落ちていかずに、あくまで行動で持ちこたえていけるかみたいな、ちょうどそういう分岐点のときにどっちかって言ったら、あるかもしれないですね。
前向きに行動していくタイプっていう感じの子かもしれないです。
どうなんですかね、そういうのが、例えば発達のデコボコの状態によって、作りやすい作りにくいっていうか身につけやすさの違いとかってあるんですかね。
身につけやすさって、でも確かに発達障害の子はどちらかというと情緒的にも、小さい頃だと感触とかが結構出やすかったり、情緒も不安定になりやすかったり、いろいろあると思うんですよね。
だけども、構造としては一緒な感覚で、それもちゃんと受け止めてあげるみたいなものでいいと思うんですよね。
その人にとって嫌っていう程度とか嫌っていう場所、ポイントがそれぞれ違うよねっていうだけなんで、
でもやっぱりその次にどういうふうに切り替えていくかっていうところを一緒に突き沿っていくか、突き沿っていくこととかが大切なのかなと。
本当に成長してメンタリティ的にたっかんしてきたら、自分自身で何とか調整できるところが増えるかもしれないですけど、
必要な時は頼ることも必要なんで、必要な時は頼れるし、自分自身で何とかできる時は何とかするし、
みたいなことができるかどうかとか、必要な行動を続けれるかどうかみたいなところが評価っていうか身につけてるかどうかっていう指標になるんですかね。
難しいですね、この辺は。
そうですね。でも割と行動では結構見える化しやすい部分かなと思うんで。
エピソードをちゃんと観察して見てみたりすると、あっていう時に、あ、意外と上手に関われてるじゃんとか、前はこうだったけど、
動かさが上手になったねとか、気持ちの切り替えが上手になったねとか、あると思うんですよね。
それをその子の様子をしっかり見て、ちょっとした変化でもちゃんと認めてあげてみたいなことを繰り返すと、だんだんコントロールが上手くなってくって感じですかね。
そうだと思いますね。
昔だったらこういうことだったらすぐ感触を起こしてたけど、ちょっと我慢できるようになったっていうか、別に切り替えるようになったっていうのも指標かもしれないですし。
こういう関わりしたからこうなるとかっていうのはないと思うんですよ。
結構子供も様々だし、親も様々だから、組み合わせパターンとか関わりパターンって無限になってっちゃうんで、何がいいっていうのは分かんないんですけど、
発達障害の子供への支援
でもまあ、あんまり親が辛すぎる環境は良くないのかなと一つ。
まあね。
親が辛すぎてる状況だとこうしないといけないみたいな、縛られやすそうですし、余裕を持って対応できるといいですね。
そうですよね。だからやっぱりちっちゃい頃とかってやっぱりいっぱいいろんな人の目を入れて、いろんな角度から子供の良いところをどんどんみんなで共有していくっていうことが大切と思いますね。
なるほどね。
でこぼこがある子の方が領域とかで逆にそういう機会があるのか。
確かにね。
なんかそういうね、献身とかで言われなかったけども、親が辛い思いをしてるって場合もあると思うので、全般的に支援は必要なのかなと思いますよね。
そうですね。でこぼこなかったら逆にもう学校の先生とか部活とか、目が限られますよね。
普通に暮らしてるだけだったら。
意外とそうだと思いますね。
だからそれで後になって引くというか、後で気づくパターンもあるかもしれないですし。
意外とね、発達障害ということで、ちっちゃい時からいろんなところに関わって、やることで早めにそういう対処がうまくなったりとかっていうパターンもあるかもしれないんで。
結構ありますね。
子供自身には本当に何の罪もないっていうか、どんな子でも本当にいろんな個性があって、純真無垢っていうところで言うと、
本当にみんなで大切にしていくという感覚を持つために、親ばっかりは負担にならないようにしていくべきですよね。
そうですね。だからうまく考えて、親としてもこういう関わりすればいいんじゃないかと思ってやって、うまくいくこともあればうまくいかないこともあると思うんで。
そういうちょっと愚痴みたいなのを吐ける場も必要だったりとか、でも学べる場も必要ですし。
そうですよね、と思うんですけど。
個性を生かす社会環境の必要性
でもいろんな人がいて社会的に悩んだやつなのかなと思うので。
でもあんまりいい子ちゃんみたいな感じで、特に成長で何の指摘もされなかったけど、
それは子供が実は大人の顔色を見て学習して、学んでいい子になってるだけだよみたいなパターンはやめていきたいですよね。
あるかもしれないですもんね、そういうのもね。
そうそう。
本当は世の中の働き方的に、大企業とか大きい組織で勤めないといけないってなると、同じような行動を求められますけど、
個人で独立してフリーランスとかが一般的になれば、個性があってもそれを伸ばして生きていきやすくもなるかもしれないんで。
そうですね。
どうなることやらですけど、
そうですね。
デコボコあったとしてもなかったとしてもっていうか、みんな多少のデコボコはありますし、
みんなが生きやすい環境になってくるといいなというか、そういうところを作っていけるといいなという感じですね。
そうですね。楽になっていくといいですよ。
子供の自殺についての課題
最近その子供の自殺者とか、若者の自殺みたいな、死因の1位は自殺だったりっていうのがずっとそういうのが続いてる。
少し若い人はそうですよね。病気とかっていうよりも。
そうらしいですよね。
そこは絶対減らしていきたいなというとこなんで。
そうなんですよね。
少しでも。
大事ですよね。子供の時期とか。親のことも守っていかなきゃいけないんだろうなと思うんですけど。
子供のためにできることもあれば、関わる親とか支援する人が理解が深まれば変わることもあると思うんで。
両方意識してやっていきましょう。
そうですね。
じゃあ今回はこのぐらいで。
はい。
ありがとうございます。