怒っても良い理由の探求
どうもボブです。今日はですね、介護と子育てとちょっと共通しているようなお話なんですけれども
怒っちゃいけないって皆さん思ったことありませんか?怒っちゃいけないとか、あー怒ってしまったって後悔してしまったり
そういうことあると思うんですけれども、怒っても良いというその理由についてお話ししたいなと思います。
たまに介護の現場でもですね、僕はケアマネージャーしてるんですけども、つい怒ってしまうんですって言われるんですよね。
そういう時に、いや怒るのは家族の特権です。怒っていいんですよっていう話をしたりするんですよね。
そのために介護の支援者、第三者がいるんですからということでお話しするんですけど
この怒ってもいいというのも、なかなか言ってもそうですよねなんてならないんですよね。
怒ってはいけないっていうのはもうなんかみんな共通認識のように思っている。
ただ本当に本当の本当の意味で慰めているわけじゃなくて、怒ってもいいんだっていうことについてお伝えしたいんです。
これが今までは聴診セラピーとか聴の話をしてたんですけども、別の角度からユサミカコさんという方のメンタルモデルっていうことについて以前お話をさせてもらいました。
本を買っていろいろと読んだり、Zoomとか入らせてもらってですね、いろいろと勉強したところ、すごいなぁと思って発見があったんですね。
なんでこの怒ったりとかそれを怒らないようにしようって溜め込むことが良くないのか、そういうことについて明確に分かりやすく、スピリチュアルでもない表現で、でもやっぱり共通してるんですけどね。
でもこっちの角度から話してくれるっていうのがありがたいなと思ってシェアしたいなと思うんですけど、うまく話せるかわかりません。
そもそもですね、この怒ってしまったっていう時って、怒ってはいけないっていうふうに信じ込んでるわけですよね。
怒ってはいけないっていうのは、なぜでしょうかっていうことなんです。
怒っちゃいけないっていうのは言ったら、相手を傷つけちゃいけないみたいだね、そういうことにもつながると思うんですけども。
でも、自然界見てみると、昆虫だって動物だって、お互いを攻撃したり共食いしたり、殺してしまうっていうことだってあるわけで、本来の本来ですね、おぎゃーって生まれた赤ちゃんの状態の子から見れば、人を傷つけちゃいけないとか殺しちゃいけないとかも含めて、
そんなジャッジって持ち合わせてないんですよね。
で、それが宗教によってね、これ良くないんだよっていうふうにあえて決めてくれてるわけですけど、でもそれがない場合は、人を殺したって、傷つけたっていいっていうことにもなりますよね。
だから宗教っていうのがあるんだと思うんですが。
ただ赤ちゃんの頃、幼い頃、いろんなことで社会に適合するために、親からね、あれはダメよ、これはダメよ、危ないからやめなさい。
そしてしつけとしてですね、ちゃんとお茶ままを持って座って節地よく食べなさいとかいろんなこと言われるわけですよ。
その中でいろいろと学んでいって成長して大人になっていく。
ただどうしても自分では納得ができないようなことでも、納得しないといけないような、そんな時も出てくるんです。
それが心の傷となって、この傷も結構子供にとっては大きい傷なんです。
この傷を二度と負いたくないから、本当は何でもあるって思って生まれてきたんだけれども、それがないっていう現実を見せつけられたわけですね。
それによって、もう世界はこういうもんなんだって自分で決めてしまう。
そこをね、信念として深い潜在意識に擦り込ませてしまうんですよね。
これがすべての今の行動の源になっているんです。
だいたいその自分で作り上げる世界というのが今4つに分かれているよって言われています。
現実の受け入れ
それが一つは自分には価値がない。価値がないというものがもう当たり前の状態になっている。それが一つ。
二つ目が自分は愛されていない。愛されることなんてないっていうような価値観。
そして三つ目が、所詮私は一人ぼっちだ。自分の理解者なんていないってそういうふうに思う。
そういう信念の状態ですね。
そして4つ目が私には価値がない。何か欠けているっていう欠陥、欠損型、そういう状態。
この4つの信念を持っているとですね、結局本来の自分のやりたいこととか本当の思いを捨てて社会に適合することを優先して生きてきている信念なので
善悪で判断するようになるんです。いいか悪いか。正しい悪い。こういうふうな判断の仕方をするような脳の仕組みになっちゃうんです。
ここでようやく最初の話のね、自分は怒っちゃいけないっていうこれも善悪の判断。
もしかしたら怒っちゃいけない。何にしちゃいけないって判断をしている時点で、そのジャッジの世界にいる方っていうのはこの先ほどの4つの
価値なしモデル、愛なしモデル、一人ぼっち、欠陥、欠損型、この4つのメンタルモデルの信念
このどれかに当てはまる可能性があるということなんですよね。 そして悲しいことにこの4つのモデル信念を持っている人っていうのは
どうにかね、克服しようと思ってその回避行動を起こすんですよね。 その
この痛みを感じたくないからどうにか克服しようとして勉強したりとか誰かの誰かに気に入られようとしたりとか
そういうふうにね、行動していくんだけども、介護とか子育てとかで例えばですね
介護しているお母さんがすごい忙しくて 若い頃ね、せっせと仕事ばっかりしていて全然構ってくれなかった
で私は愛されなかったっていう風な感情をずっと持っている まあいくら後で
仕事をしてたから仕方なかったんだってわかって頭でわかっていたとしても愛され なかったっていう感情を抑え込んだ状態を続けている限り
愛されないということが再度認識されるような 同じような出来事が次々と起こってくるって言われてるんですよね
この愛されてないというモデルの方っていうのは 回避行動として例えば
何かこう誰かに愛されるために自分の直接 幼い時は親から愛されたいと思ってたんだけれども
その愛されたいというこの信念を持っている方は 他の方にも愛されよう愛されようという行動をとるんですよね
そして 自分がこういうふうにしたら相手からもしてもらえるっていう風な期待も同時に
持っちゃう でもこのゆさみか子さんが言うには残念なことにこの4つ
信念を持っている方は どんなに克服しようとしても回避行動をどんなにとっても
それが満たされることはないって言われるんですね 価値がない価値なしモデルの方はどんなにやっても価値があるって思える
出来事は現実は 生まれてこない出てこないんです
愛されてないって思ってる方はどんなに回避行動をしても愛されるっていう 満足した現実は起こらない
なので今不本意な現実が目の前にある方っていうのは自分が怒ってしまうついつい怒ってしまうとか
そういった現実が目の前に起きている方っていうのは 幼い時に作った
自分本当の自分とこうしたかった自分と社会に適合するために作った自分の自分と2つが分離した状態になってるんですね
その分離を統合するっていうそういうアクションが必要になってくる そのためには
今の自分の行動判断すべてが この適合から来る自分のため自分の感覚じゃない
社会に適合するために作られたジャッジなんだっていうことに気づくことがまず 大事なんですよね
でもそんなね分離とか統合とかも難しいわからんってなると思うんで その
普段自分がジャッジしている良いとか悪いとかそういったものをどちらでも ok なんだっていう風に考える癖をつけていきましょうっていう風なことから始めてもいいかもしれないんですよね
怒っちゃうだったらね怒ってもいいんです 何何がない何何がないえっと
どんなに館介護してても母は私に感謝の言葉一つもかけてくれない とかないないないがたくさん出てくるはずです
そのないを なくていいんだなくてもいい
代わりに あるものを探しましょうっていうような癖をつけていく
何が逆に今あるのか なんだかんだお母さんはねまあ認知症で大変だけどでも命はある
食べる食欲もある元気もある口応えするそういう気合いもある とかねあと前後時自分自身だったらねうくん介護している介護者だったら
自分にもちゃんと家族がいる子供もいる そして何かあったら連絡するして相談してくれる介護の人たちがいるとか
あるものいるもの今存在しているものに注目をしていくっていうことが一つの 今まで分離していたないないないばっかりないないものを
あると思い込ませて 克服しようと頑張ってきたそれをねそれをなくしてもう
目の前にあるものはある っていうそういうね認識を持つ
怒りの受容
怒りという感情があってはいけないというものはあるものを否定してるんですよね そうじゃなくて今の自分の怒りっていう気持ちはある
その怒りの感情だったりとかいろんな感情を自分の体感でしっかりちゃんと味わう ことが大事なんですよね
怒りがあるのに怒ってないようにするとか言う そういうね中途半端なことをやっているとよくないわけです
だからちゃんと怒るなら怒るそしてそれを自分で受け止めて感じる
あっちゃいけないっていうふうに思わないようにするんですよねそれが大事 だって存在してるんだからその感情ちゃんと自動的に出てきてるんだから
だからそれはある そして
それがジャッジを自分で判断してしまうんですね怒っている方 怒りを出してるからいいじゃんじゃないんですよね
怒りを出してたとしても結局あーダメだって思いながら 後でその後悔するってことはダメだって思ってるっていうことですもんね
だからそのそもそものこのジャッジがすでに含まれている
本当の幼い時に傷ついた時の自分というのは本当はそんなジャッジをしたくない そして
いいも悪いも傷つけようが何をしようが自分は この親の下に存在していていいんだ
自分は価値もあるし満たされてるし愛されてるし そして自分は
足りないものなんてないんだ そういうふうに本来みんな生まれてきているけれども
それを否定せざるを得ないような出来事が起こったから今の現象が起きているので あれば
それを繰り返さないようにしないといけないということなんです そのためにも何回も言いますけど
怒っちゃダメだとかいうジャッジ判断 善悪
こういったものを 無くしていく
そうじゃなくてそれでいいんだっていうそういう世界観 そっちに戻っていくことが大事なんです
あの時は幼い時はせざるを得なかったあの時の 価値観だったりあの時の信念を
未だに 50も60もなって何なら80も90もなって同じ信念を持ち続けてるんですみんな
それはおかしいですよね もう何年も経ってんだからもう信念は変えていっていいんですその時の状況によって
聴診セラピーの提案
それでも大事に大事に あの時傷ついたから
傷をまた受けたくないからずっと大事に持ち続けているんです これをまず気づくそして
気づいたら 毎回毎回何か感情がざわついた場面で
はっはっはって気づくんです そうだあの時またジャッジをした
また自分は分離をした 本当の自分と社会に適合する自分にまた分離をしちゃった
そういうふうにはって気づく 気づいたら自動的に
また信念が変わっていくんです 何か行動をしないといけないとか何かをしないといけないものはない
ただ瞬間瞬間で気づいていくっていうことをやっていくと いつの間にか現象目の前に映る現象そのものが変わっていく
そういうふうな出来事も起こりうるんですよね 量子力学の観点からも言われています
なので 今の現実がもう物理的に今常識的に見てもこうだって
考えてしまうかもしれないけれども全然そんなことはなくて 自分の今の信念が今の状況を作り出して目の前に映し出しているわけですから
これスピリチュアルでも何でもないんです でも言ってること同じですよねでもあの
映し出しているその元のフィルターを変える そのためにはその信念自分の今まで一生懸命作り出してそして何度も何度も
ああやっぱり私には価値がないんだああやっぱり私は愛されてないんだ わーじゃあやっぱり自分は
何かが欠けてるんだどうせ私一人ぼっちだ そんなことを何回も何回も現実見せられてもう
凝り固まってるんですよ でもそれは本当は偽りなんです
それは所詮自分が作り出したあの時の悔しい悲しい気持ち それが作り出したものだったんです
だから介護をしている時に不本意な現実が起きた ということは
大事な大事なメッセージとして 自分を傷つけるとか同じことを繰り返すのではなくて違うアクションをとって
みるということが大事ですね だから怒ってもいいんだ
ジャッジあーしちゃダメこうしちゃダメ これをいかに外せるか
これにかかっているかかっているのかなと思いました で最後にね結局あの聴診セラピーに戻っちゃいますけどこういうね
自分じゃなかなか取り切れない感情ってあると思うんです それを解消するというのが聴診セラピーでそのどんな感情が溜まっているか
っていうのを見つけるだけでも違うと思うのでそれが調走診断になります これはズームとかでできるので興味ある方はあの一緒にね
こう自分の心の中心の中っていうのは腸にちゃんとお腹に現れてきてくれます 表面的になのでそれを見つけていくっていうのをぜひ興味ある方はやってみませんか
興味ある方はねメッセージコメントください 今日怒ってもいいんだっていうことがユサミカコさんの観点から
メンタルモデルを使ってちょっとねあのつたない説明だったんですけれども またちょっとねその都度ご紹介したいと思いますご視聴ありがとうございました