ダメな自分の探求
どうもボブです。今日はですね、ダメな自分とイケてる自分についてちょっと考えたいなと思うんですけれども、
なんかこう、皆さんいろんな悩み相談してくださる中で、
こうすべきなんだけどそうできないんだっていう悩みあったりするんですよね。
介護の現場でも、怒っちゃいけないってわかってるんだけども認知症の母に怒ってしまうんですとか、
そういったことって多かれ少なかれ、子供に対してとかでもありませんか。
僕もね、ちょこちょこ家庭の中でもね、思い当たるんですけど。
で、こういう何々しないといけないとか、
あとそれをやってしまって、ダメと思っていることをやってしまって、
ダメな自分だって思ってしまったりとか、
そういうことって多かれ少なかれあると思うんですけど、
このダメな自分っていうもの、
これがあらゆるあらゆる悩みの根源になっているような気がするんです。
いろんな方の、僕が聴診セラピーをやっている中でもお腹を見ていく中で、
最終的に行き着くところっていうのが、
こうダメな自分に対しての、
こう、劣等感とか、あと罪悪感とか怒りとか、
こういった部分が根底にあったりするんですよね。
で、これ何だろうってちょっとね、思うわけです。
ダメな自分っていうのは、本当にそれダメなのかっていうのを考えた時に、
で、怒ってしまう自分とか、
そういうのも、怒ることそのものって人間の自然な感情なわけで、
そのものが悪いわけじゃないわけですもんね。
で、怒ってしまうっていうのは、
一般的に介護のお勉強をした方だったら、
認知症の方っていうのはあからさまにね、
一方的に怒っちゃうと周辺症状が強くなるよとか言われたりするとか、
あと子供に対してもガミガミ言っちゃいけないとかいうのは、
もともと自分にあった情報じゃなくて、
外から入れられたあの情報なわけですよね。
で、これも結局は、
なんていうか他者から、自分がそうすることで周りから、
あの人いつもガミガミ怒ってるねって言われるとかね、
あとちゃんと介護ができてないって思われちゃうとか、
なんかそういう子育てに関してもね、
ガミガミガミガミ怒ってると、
で、それを周りから見られたときに、
ちょっとハッてしたりとかね。
あと、まあその、
誰かが見てなくても自分でハッて思うときに、
客観的に自分はダメだって思ったりするわけですよね。
でもよくよくそれを見ていくと、
周りからの評価だったり、
周りにこうあるべきだよって昔から言われたことの記憶から、
あ、ダメだって思っちゃう。
イケてる自分の定義
そういう感じじゃないのかなって思うんですよね。
皆さんどう思いますか。
逆にイケてる自分、この自分はいい自分だって思うのも、
これも同じで、
結局周りから見て、
社会的に自分はどうかっていうときに、
イケてる。
そういう自分をイケてる自分って思う。
そんな感じじゃないかなって思いませんか。
でもそれは、
昔から幼いときからね、
評価されて、ジャッジされてきたわけです。
点数が良かったら良い、悪かったら悪い。
そんな感じでジャッジされてずっと育ってきた。
なので当たり前になってるかもしれないけど、
もしかしたらこの良いとか悪いっていう判断は、
この社会的に適合しようとして、
合わせてきたことで作られた固定観念かもしれないなって思うんですね。
この誤った固定観念というか、
本当の自分とはずれている固定観念があることで、
今の自分を自分で間違ったジャッジをしてしまっている。
そこで今の自分が怒ってしまうことへの罪悪感だったり、
自分に自信がないとかそういった人もね、
これに当てはまったりするんじゃないかなと思うんですけど、
こういうイケてる自分、イケてない自分っていうのは、
どちらももう同じことで、
結局のところ周りから作られた価値観。
これを大事に持っていて、
でもこれ幼い時に作られたあくまで価値観で、
今の大人になってからの自分たちにとって必要なのかって言ったら、
今不都合が起きてるんだとしたら、
自己承認の重要性
もう必要のないものだと思うんですよね。
これを取っていくっていうことは、
取っていくだったり、
見つめていくっていうことが大事じゃないかなと思うんです。
感情っていうのは承認欲求があるので、
感情そのものに承認欲求があるので、
承認されずに無視されたり、
見て見ぬふりをされてきたり、
我慢して抑えたりしてきた感情っていうのは、
ちゃんとそれに向き合って認めてもらうと、
その承認欲求満たされて消えちゃうんです。
それを調心セラピーっていうのはやっていて、
この認めてあげるっていう作業を、
セラピーだったり、
自分で感じてもらうっていう体験から消していくんですけれども、
こういうのをやっていくと、
もしかしたら今までダメだ、ダメだ、ダメだって思ってた自分の固定観念が、
自然と緩まって、
あ、別に良いも悪いもないんだ。
本来の自分はもっとこういうふうに自由にやりたかったんだ。
そんなジャッジ、自分に対してのジャッジなんて必要ないんだ。
みたいな感じで、
心が軽くなる可能性あるんじゃないかなって思うんです。
なので、
調走診断っていうのを僕やってるんですけれども、
無料でズームでやってるんですけれども、
その中でもちょっと見つかることがあるかもしれない。
ご自身でお腹に触ってもらって、
そこのポイントのメッセージってこうなんですよ。
なんか思い当たります?っていう話をしながら、
あ、なんかこういうこと以前ありました。
ちょっと向き合う時間を作って、
そこで笑いが出ちゃったり、
今思えば馬鹿らしいことって思って笑いが出ちゃったり、
あと思い出して涙が出たり、
しかも感謝の気持ちが出てきたり、
いろいろね、起こりうる。
その時に浄化が起こるんですよね。
もしくは、実際お会いして、
セラピーとしてお腹に触れさせていただいて、
セラピーすると、
その反応が出た部分の感情が、
ちゃんと癒されて取れていくんです。
なんか張ってるなーとかですね、
反応が出たところって、
ちゃんと緩んでくるんですよね、物理的に。
それが本人も僕も分かると、
あ、なんかこう取れた実感もあるわけですよね。
ここからようやく解放されたみたいな感じ。
そういうのをやっていこうと思ってます。
興味のある方はいつでもコメントメッセージください。
今日はお伝えしたいのは、
イケてる自分とかダメな自分っていうのは、
そもそも存在しないものかもしれない。
何か自分で作り上げたもの。
その自分で作り上げたっていうのは、
周りの環境に合わせようとしたり、
周りの環境にどうにか適合しようとして、
いろんな価値観を植え付けられた中で、
作られた固定観念かもしれない。
だからこれはもう本来は幻想だよぐらいの気持ちでね、
本来は別に良いも悪いもない、
自分にジャッジする必要がないんだっていうことに、
なんか不意に落ちたらですね、
すごく楽になるんじゃないかなって思います。
僕自身がちょっと今ね、そういう気持ちでいるんですよ。
なので、今までもう本当に自分が嫌いで嫌いでたまらなかった。
もう自分よりも他の人がみんな正しいんだって本当に思っていて、
自分の言うことなんて大したことじゃない。
だから発信なんてとてもとてもできる人間じゃなかったんですけども、
いろいろはっと気づくことが多くて、
今こうやって配信をさせていただいています。
なので是非ね、今悩んで苦しんでいる方っていうのは、
もうその苦しむ必要なんて本来ないんだっていうところをね、
気づいてもらえたら嬉しいなと思いました。
ではご視聴ありがとうございます。