自分の幻想について
どうもボブです。今日はですね、「ダメな自分」についてお話ししたいなと思います。
皆さん、多かれ少なかれダメな自分とイケてる自分ってあると思うんですよ。
で、僕なんてもうとってもダメな自分だらけで、自分が大っ嫌いだったんです。
ただ最近はですね、そういうの少し薄れてきてるなって感じているんですよね。
というのも、自分というのは実態としてあるとしても、良い自分とかダメな自分というのは所詮自分で作り上げたものなんだっていうのが分かってきたんです。
で、ということはもう良い自分も悪い自分もそもそもない、というのが分かればずいぶん生きるのが楽になってくる、そういう風な気がするんですよね。
なので、ちょっと今なんかこう上司からダメな部分を指摘されて怒られて、シュンてなってたりとか、
なんか自分を克服しなければって思ってる方っていうのは、良い自分とか悪い自分っていうのに振り回されている状態かもしれない。
そういう方に聞いてもらえたら嬉しいなって思います。
僕がこの参考にしているのは、ユサ・ミカコさんっていうメンタルモデルっていうのを提唱している方で、メンタルモデルワークブックっていう本があるんですけども、
それとか動画だったりとか色んなので、ちょっと知って本当だなーって自分もちょっと思ったところだったので、それをねシェアしたいなと思うんですけど、
プラス、僕も超想診断とか超心セラピー、超にアプローチして、その方の過去に溜め込んだ感情だったり、そういった部分と向き合っているんですけども、
そこでも共通してるんですよね。見えてくるもの、いろんな方のお腹の状態、お腹の状態っていうかね、お腹から見えてくる感情を見ていくと、
そのイケてる自分とかダメな自分とかがどういう感情で作られたのかっていうのが見えてくるんですよ。
そういった部分からちょっとね僕も確信を持って、これは本当に自分で作ったんだっていうのがちょっと感じてるんですね。
ではこの自分で作るってどういうことっていうことなんですけど、生まれた時ですね、おぎゃーと生まれた時ってもう赤ちゃんってもう神様みたいな状態なわけです。
天国からやってきたような状態で全ては一つみたいな、そういう意識で生まれてきているんだと言われてるんですよね。
それだと仮定してですよ。生まれてきて今の生活、おぎゃーって言って最初おむつ交換されて、でもどんどんどんどん
これしたらダメよとか、これダメでしょって言われて、すべては一つで何か良いも悪いもないような、そんな意識状態で生まれてきたんだけれども、
なんか怒られるぞと、しかも自分の大好きなこの人に離れられたらもう自分生きていけないって本能的にわかってるんで、この人に言われたらもう従わざるを得ないんですよね。
すべては一つじゃなかったんだ、世界ってこういうものなんだって、もう幼な心ながら自分で世界を作っていく、それが自我が芽生えていくこの発達段階になってくるんですけども、その中で
自分の中の分離っていうものが起こってくるんですよね。本当は一つだった意識だったのが自分と他者、自分と社会、自分と世界っていうのを分離するような、そんな意識に変わってくるんです。これは人間として社会生活を営んでいく上で大事な成長の過程ではあるんでしょうけど、その中で痛みっていうのを感じてるんですよね。
本当はいいも悪いもない、怒られる必要のないようなことなのに怒られてしまう。でもまたやっちゃう、またやっちゃうっていうのを繰り返していくと、もういい加減お母さんもブチ切れて、もうダメよって怒っちゃう。
そうなった時にグッとやっぱり溜め込んじゃうものがあるんですよね。それが痛みを本当は感じてるんだけれども、もう痛みを感じたくないからもうこれを忘れてしまおうっていう感じでですね。
相手に適合するっていう選択をとるんです。相手に合わせよう、合わせよう、もう自分の自我を通してね。自我というか自分のやりたいことをそのまま通していくんじゃ、これじゃ生きていけないなって思って。
社会、親、先生、そういったものに合わせていこう、自分を合わせていこうとするんですよね。その時に生まれるのが、このいいとか悪い、いけてる自分とダメな自分というものがこういう部分から芽生えてくるんです。
そこに社会、周りから受け入れられるかどうかっていう基準がでっかく自分の中に入ってくるんですよね。周りから受け入れられるような状態っていうのは、いけてる自分なわけです。
受け入れられる自分っていうのは、いけてる自分。これだったら怒られないしむしろ喜ばれるな、じゃあこれはいけてる自分だって自分の中で思い込むんです。
そして逆に受け入れられない自分、周りから受け入れられない自分っていうのは、これはダメな自分なんだ、そういうふうに自分の中で決めるんですよね。
その2つ、いけてる自分とダメな自分っていうのが自分の中で基準として出てくるっていう、これがずっと大人になってからも毎回毎回こういういろんなジャッジが出てくる中で自分の中で確信を持つんですよね。
痛みを避けるための選択
親からこうしなさいって言われて、いけてる自分を演じてそういう行動を取っていった。
じゃあ次は先生から、学校に行った時にも同じようにいけてる自分を求められてそれを演じた。それによって自分はこれがやっぱりいけてる自分なんだ、やっぱりこうなんだっていうふうにどんどん確信を持っていって、
もう今となってはもうこれは自分の判断で自分の中でいけてるんだとかダメなんだっていうふうに自分で思ってるように感じてるんだけども最初のスタートはそうじゃなかったんですよね。
じゃあこのダメな自分っていうのを克服しようとみんなするわけですよね。克服しようとしたりもう自分はこういう性格だからって言ってもう見ないようにするとかこういうふうにいろいろ対処をするんだけれどもこれをやればやるほど結局のところ例えばその克服しようとして頑張るわけですよね。
克服しようとしてどうにか自分を良くしていこう。良くしていこうは結局のところ周りにとっていいと判断される意味での良くしていこうなわけですよね。
そこに合わせよう合わせよう適合しよう適合しようとするのはいいんだけどもそれをしたとて最終的に行き着くところは自分の本当の意味での満たされた自分っていうのはどうやってもたどり着かないんです。
全然こう別路線だから周りに対しての基準の満たされると本当に自分自身の本当の魂からのというかねそういう満たされるっていうそういうところには行き着くことはできないんです。
どんなに頑張っても外側から得ようとしてもやっぱり満たされることはない。
イケてる自分も結局同じなんです。イケてる自分をまたやろうまたやろうとどんどんイケてる自分をやればやるほど結局自分は満たされてなくてなんかこうフラストレーションを感じたりとかするんですよね。
まずこういう良いとか悪い善悪で縛られている状態っての僕たちって何を最初すべきかって言ったらもうそのダメな自分というものをそのままありのまま見るただそれだけなんだよっていうことなんですね。
もういろいろな脚色をつけないで本当にありのままのダメな自分をそのまま感じるっていうところからまず始めてくださいとユサミカクさんは言うんですね。
そのダメな自分っていうのがあってもいいこれこうしないといけないとかじゃなくてこれをそのままにしておいてくださいとそこをそれを克服しようだとか逃避して見ないようにしようとかじゃなくてありのままを見てそこに何の感情もジャッジも入れないそこから始めてくださいって言うんですね。
僕は介護の仕事しているので僕たち介護職も高齢者の方のストレングスっていうね強みっていうのを見なさいよっていうふうに教えられるんです。
でもどうなんだろうこれってありのままを見れてるんだろうかって思うんですよね。
結局その人の強みいいところそういうのを見なさいって言うんだけれどもその強みっていうのも見方によって違ってきますよね。
誰に対しての強みなのか誰に対してのいいことなのかってなってくるとどうなんでしょう。
外をガンガン歩くことができる状態は強みかもしれないんだけどもそれで徘徊しまくるんだったら介護職や家族にとっては全然強みにならないんですよね。
でもこれって本当に間違った意味で捉えてしまうと本当にこのストレングス強みっていうのはこっちの色眼鏡ジャッジを含んでしまう判断をどうしてもせざるを得なくなってくる。
それよりもそのままありのままを見るできない状態も含めて徘徊してしまう状態も含めてありのままをそのままの現象として見るそういう癖をつけることも大事じゃないかなって思うんですよね。
ありのまま見てじゃあどうするのって思いますけどありのままを見るっていうことは周りからの期待だったりとか周りから求められるものっていうものを一旦ちょっと分けて考えるんですよね。
本当の自分を見つける
そういうものでの自分の強みとかダメな自分とかそういったものを今までジャッジしてたんだとしたらその周りからっていう部分を一回切り離して考えてみましょう。
そうなった時に初めて自分の中のこうありたいっていうありたいが出てくるんですよね。
そうじゃない限り周りに適合した状態の意識で探そう探そうとしても絶対に見えてこない。
一旦それを脇に置いた上でその上で純粋な意味で自分でどうありたいかっていう部分をイメージする。
まずはそこからが大事ですよっていうお話でした。
まだ抽象的だと思うんでまたちょっと今後も継続的にお話ししていこうかなと思っていますので
今日はちょっとねダメな自分というのは結局周りに合わせようとして作り上げた自分の幻想なんだよと。
でもそれを一旦ちょっと脇に置いた時に本当の自分というのが見えてくる。
本当の自分というのはまた別のもの。
本来ありたかった自分を改めてこれから作ることできるんだよということを知る。
それが大事なんですよね。
またこれからもうまた抽象的ですけどねまたちょっとお話しする中で具体的になっていけたらいいかなと思っています。
ではまた次回お話しさせていただきます。ご視聴ありがとうございました。