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2025-07-30 18:22

【心理】「危ないからダメよ」が「自分は何か足りない」という信念を作っている

「社長、今日斬らせて頂きます」YouTube↓
https://youtu.be/0PMIaZP2AVE?si=yyWoVIcX5torBqmy
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サマリー

このエピソードでは、ユサ・ミカコのメンタルモデルに基づく心理的信念を探求し、「自分は何か足りない」という感覚がどのように形成されるのかを考察します。また、その信念が引き起こす回避行動や現実認識についても議論します。さらに、自己価値を低く見積もる「自分は何か足りない」という信念の形成過程や、欠陥・欠損型のメンタルモデルを乗り越えて自分自身を受け入れることの重要性が強調されます。

メンタルモデルの導入
どうもボブです。今日はですね、心理的な話、メンタルモデルについてお話をしたいなと思います。
以前少しだけお話ししたことがあるんですけど、ユサ・ミカコさんという方のメンタルモデルという本があります。
今、YouTubeでもですね、「社長を切らせていただきます」っていう、「今日社長を切らせていただきますか?」っていうね、
今日切りっていうYouTubeチャンネルがあるので是非見て欲しいんですけど、
もう、いろんな社長さんが悩みを打ち明けてくれます。
そしてその悩みに対してユサ・ミカコさんが、このメンタルモデルっていうモデルを使って、もう切っていくわけですね。
分解して今の悩みの根源になっている、自分が本当に目指したい世界っていうものが何なのかっていうのに気づくっていう、そのプロセスが全部見れるんです。無料で。
なので、すごく長いけど面白いので、興味のある方は是非見てみてください。
このメンタルモデルっていうのは、僕もですね、介護のこのアセスメントをする時とかで、いろいろねちょっと使っていこうと思って、
今日もねいろいろ話をする予定なんですけども、このメンタルモデルっていうのは何なのかというと、
人はですね、今の時代の人たちは4つの分類に分けられるんだって言われるんですね。
どれか一つにみんな当てはまっているんだよ。
一つは価値がない。自分には価値がない。何々がないっていうね、そういうみんな信念を心の底で持っているんだ。
一つはその価値がない。自分には価値がない。価値なしモデル。
で、二つ目が愛されていないっていう愛なしモデル。
三つ目が一人ぼっち、所詮私は一人ぼっちだっていうね、一人ぼっち型モデル。
四つ目が自分は何かが足りない。どんなにやっても足りないっていう欠陥欠損型モデルっていうこの4つに分けられていて、
この4つの何々がないとかね、自分は一人ぼっちだとかそういったものを何か埋めよう埋めようとして回避行動っていうのをするんですね。
自分は何かがないから本当はあると思って生まれてきたのにそれがない現実を突きつけられて痛みを感じるんですね。
ショックを受けるわけです。でもショックを受けるけど大体幼い時って親の影響を受けてるんですよね。
自分はもうギャーと生まれた時にすべてがある状態で生まれてきてるけれどもいろんな親の家庭環境によって
こういう風に生きないといけないんだっていうねちょっとこう怒られたりして痛みを受けるんです。
痛みを受けた時にこうすべきなんだっていう風に学んでいくそれが適合って言うんですけど適合していく過程でこのメンタルモデルっていうのが作られていくんですね。
この4つに分けられていくんです。
価値がない自分は何か親とか大人に何か自分は価値のあるものを提供しないと褒められないと自分には価値がないんだっていう風に価値無しモデルが生まれてきたりとか
自分は生まれてきてよかったのかなとか暴力を振るわれて自分は本当は愛を求めてるんだけどももう自分は愛されてないということで
いろんな回避行動を起こす愛無しモデルになったり
あといろんな国に転勤になってみんなといつも離れ離れになる人とかそういった方がどんどん自分はもうどうせもうちょっとしたらどこに行っても誰かと別れることになるんだっていうそういう信念を持って
どうせ誰もね自分の本心本当の親友なんてできないんだっていう一人ぼっちになる一人ぼっちモデルになったりとか
あと何かねえ あなたはもうこれ危ないでしょとかこれやっちゃダメあれやっちゃダメってずっと親から厳しく言われたりとかして
自分は何か足りないんだ自分は何か欠けてるんだっていうふうに幼い時にそういうふうに信じてしまって欠陥欠損型モデルになったりいろいろそういうふうにね4つ分かれていくんですね
自己認識と成長の過程
その信念がある状態で何か不本意な現実が起こるわけです
モデルで信念を持っているとどうやっても自分価値がないと思っている人は価値がないと思うような現実が毎回毎回現れてくる
やっぱり私は価値がないんだっていうふうに再認識させられるんですよね
でもそのまんまで痛くないわけですだから回避行動というのを常に常に行っている
その回避行動っていうのは克服型か逃避型かに2つ分かれるんですけど
どうにか勉強してとか自分を成長させて克服しようっていうそういうタイプの人もいれば見たくない
もう自分はこういう感情傷つきたくないということでもう逃げる見て見ぬふりをするとかね
そういうふうに逃避行動をする方やっぱり2つに分けられるんです大きく両方やってる方もいるわけです
こういうふうに過去の自分のどんな信念を作ったかということで
この信念によって毎回毎回不本意な現実っていうのはそのメンタルモデルから来るわけで
一人ぼっちモデルの人はもう一人ぼっちやっぱり私が一人ぼっちだって思わせるような現実が毎回起こる
それはどんなに回避行動をしても克服行動をしてもそれはまた起こるんです
それをどうしたらいいのかって言ったらこの信念を書き換えることが大事なんですよね
どうやってもこの一人ぼっちだって強く信じてしまっているこれをほぐしていくことが大事なんですよ
ここからはちょっと僕の場合ということで簡単にお話しすると僕が自分なりに考えた結果だけなんですけどね
正解かわかりません
僕は不本意な現実今起こっている現実としてはいつも自信がない自分には自信がないっていうのにぶち当たるんです
これの回避行動としてはいつも僕はですね克服型
克服しようとして自分を何かで高めようって言って資格を取ったりね
いろんな勉強会に行ったりそういうのを繰り返してます
でもやってもやっても全部満たされないやってもまだ現実は変わらないんです
自分に自信がない現実は変わらない
逃避型も自分にはあってですね
何かこう誰かに自分の学んだこととか自分の何かこう気持ちとか本心を伝えようと思っても
言ってもねちゃんと伝わらないことが多いんです
こうじゃない変な風に取られてしまったりとか
あと話しても全然何かピンとこない
すごいと思いませんかって学んだこととか話してもみたいな感じなんですよね
だったらもう何かまたそこで傷つくわけです
だったらもう言わなければよかった
自分でね自分の中だけでとどめとこうっていう風に言っても無駄だっていう
そういう逃避行動で自分の思っていることのほんの数パーセントしか周りの人と共有できてないんです
そういう回避行動を起こしております
おそらくねでその時にでもねもう勉強しても学んでいかないとどうしようもないんだ
だってこうだもんっていうね
言い訳をしてみると本当の自分の信念とか理由が見えてくるんですよね
自分が学んで成長していかないといけないって信じ込んでる
もしくは自分は本心を伝えたいけれども伝えても伝わらないっていう風に思っている
その理由だってなんだもんっていうのを考えた時に何か思い出すことはないかなと思うわけですよね
だって自分がもう学んで学んでもうすごい息に達さないと周りの人は聞く耳持ってくれないんだもんって思うわけですよ
ここまでやってようやく話を聞いてくれるって思ってる
でもいじでも僕はですね誰かに自分の思いを聞いてほしい理解してほしいと思ってるわけですよね
じゃあ周りが理解してくれないとしたらどんな気持ちってなったら
なんか残念だなとか悔しいなとか
怒りよりも悲しみの方が強いかもしれないですね
でそれを伝えれない自分が悔しいみたいな
自分に対しては怒りなんですよね
そんな感じでいろんな感情がざわつくんですけど
その同じ感情をずっと昔に感じたことってないですかって思った時に
やっぱり幼い時にですね僕は超未熟児で生まれたんです
800グラムで生まれてでもう大事大事に育てられて
危ないよもうこっちよりこっちを押しときなさいっていう風に親からねすごく大事にね
されてであと父親からはですね僕父親大好きで
父親に認められたいみたいなのが強かったんですけど
でも単身不妊でなかなかいなかったんです
たまに会える父がすごいもうなんか嬉しくて
でその時になんか成長している自分を見せたいんだけど
いつもなんかね父は一丁前にって笑いながらねちょっと小馬鹿にした感じで一丁前にって言うわけですよ
それがまた悔しいなって気持ちがその時あったなーって思い出すんです
あと強くなろうとするけども
いじめと自己認識
友達の方が僕も未熟児で生まれたから友達の方が体も大きいし強いし
だからもういつもなんかこういじめられてたんですよ
でもう叩かれるし修行だとか言ってドラゴンボールの修行だって言って
ただボコボコにされるみたいなものを隠されたり
靴にね砂をいっぱい入れられてたりとかいろんなことがあって
でもう自分のなんかお友達はお家で姉がいたんで
姉のスヌーピーとかケロケロケロッピーとかのぬいぐるみが一番のお友達だったんです
でこれも小6や中学校の時までずっと大事にしてて
なんなら高校生の時も自分の部屋にたくさんぬいぐるみ置いてたんですよ
でもそれがおかしいってことがわかってるので
絶対にバレたくなかったんです
自分の親戚にもバレたくないけど大好きだからいつも一緒に寝てるみたいな
もうこれがバレたらもう人生終わりだみたいな
でもある時高校生の時にたまたま片付けずに
ケロッピーとかまだ高校生の時ケロッピーがあるんですよ
ベッドのところに置いてるんですけど
急に友達が遊びに来るってことになって
でもう突然ちょっと待っててって言ってもうずかずか入ってくるわけですよ
んでもうケロッピーたちがたくさんベッドにある状態を見られて
あー終わったーって叫んだ覚えがあります
で友達ははーみたいな
何この汚いぬいぐるみみたいな感じで何も気にもしてなかったんだけど
妙に僕が終わったーとか言ってるからどうしたどうしたみたいな
なんか逆にこのケロッピーたちになんかあるのみたいな
そんな感じでね
もうなんかすごい気にしてたんですよね
もう周りの目と
あと自分はなんかこう
安心できるのは
このぬいぐるみたちケロッピーたちと一緒にいる時が一番安心だけど
学校に行ってもお家でもなんか安心できる場所がないみたいな
その安心感を求めているのかな
そういうね思い出すわけです
でその時にこのメンタルモデル
僕は欠陥欠損型なんだっていうふうに思うだけです
自分は何かが足りない
800gで最初からもう未熟
未熟児の未熟と言われて
そして友達からもいじめられて
親からも自分は本当はできると思ってるのにやめときなさい
そういうふうにずっと育ってきた
自己受容への道
これによって自分は何か足りないから
何か埋めないといけないっていう風なメンタルモデルの信念になっていったんですよね
でもこれを裏返すと
自分は何がしたかったんだってなると
デコボコでもいいじゃん
欠損しててもいいじゃん
自分がダメポンコツなダメ人間でも
それでもいていい存在なんだ
っていう世界を凹凸があってもいい
自分は存在していいんだっていう世界を作りたいがために
今いろんな不本意な現実に対しての回避行動をやっているんだ
っていうことに気づくんですよね
ここを自分は目指して
この欠陥・欠損型っていうものを一生懸命作ってきたんだけど
それは所詮当時自分が幼い時に
生存するための適合行動としてやってただけのこと
だけど今大人になって
その適合OS必要ないよね
だったらもうそうじゃなくて
最初から自分のデコボコでもいいじゃんっていう世界を
自分で作り上げる
これが本来の使命かもしれないなって思った時に
回避行動を今までしてた行動が
自分の回避じゃない
自分の本当にありたい行動を見つけていくっていう
そっちに意識が向いていくと
全然また見方が変わってくるんですよね
これによって不本意な現実信念が変わると
デコボコがダメだ
欠損がダメだって思っていたものが
欠損でもいいんだっていうのを本当に心の底から
信じることができたら信念が変わって
今の不本意な現実そのものが変わっていく
そういうふうに言われているんですよね
僕も今ちょっと自分でもそれをやりながら
聴奏診断っていうのが聴診セラピー両方あるんですけど
僕それができるわけで
その奥底のこの怒りとか
自分に対する怒りとか悲しみの感情
これを取り除くことができるんですよね
癒すことができる
想像効果でやっていってるんですけど
そうすると今このメンタルモデルと出会ったっていうのが
そもそもこの自分の信念が変わってきた証拠だったりすると思うんですよね
こういう現実が変わっていく
この信念を変えていくっていうことを今後もやっていきたいなと
今日は訪問の中でいろんな方とお話をして
それを一緒に築いていくっていう作業をやっていきたいなと思っています
ということで参考になれば嬉しいです
ご視聴ありがとうございます
18:22

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