私は海外在住歴が30年、中でも今いるオランダに住み始めたから25年も経ってしまいました。
世界から見る日本を初めて聞くリスナーさんのために補足しますと、私はオランダ人のパートナーと国際結婚をしており、17歳と11歳の娘2人がいます。
パートナーとはオランダ語で話し、娘たちとは日本語で話しています。
人生の半分以上、この平坦で広い国、オランダで過ごしてきました。
私は母国語である日本語の他に英語、そしてオランダ語の三カ国語を話します。
オランダ語の会話は何不自由なく、オランダのニュースを読み、聞き、オランダ人の友人と冗談を言い合うというのは私の日常でもあります。
でもふとした瞬間に、自分とオランダ人の間に境界線を感じ、突如として日本人である自分がアウトサイダー、いわゆる外人であることをつけつけられる瞬間があります。
それは悪意のある差別ではありません。もっと静かで、もっと根深いもの。歴史という名のバリアです。
今回のポッドキャストのテーマは、アイデンティティーが生む障壁。
日本人として、そしてオランダ市民として生きる私にとって、その障壁は常に過去の歴史という形をして現れました。
今日は、私が25年かけてぶつかってきた3つの大きなバリアについてお話できればと思います。
皆さんは、日本人が海外でどう見られているかということについて考えたことはありますか?
海外から多くの観光客がにぎわう日本。アニメ、漫画といった日本のコンテンツは世界中にファンを抱え、
柔道などといった武道、茶道、花道といった文化やその雄大な自然など、日本は世界に誇れるものが多数あります。
日本人ですと言えば、そのほとんどの場合が海外からは好意的に受け止められると感じている日本人は多いのではないでしょうか。
特にオランダといえば、昨年度2025年度はニチラン通称開始から250年の年でもあり、
ランガクシーボルトなどという言葉は皆さんもよく知っていると思います。
日本の鎖国時代、唯一西側諸国として日本と貿易ができたオランダは、日本にとって西洋の学問、文化の窓口でした。
杉田原爆の解体心象など、皆さんも聞いたことがあると思います。
医学、天文学、科学と幅広い範囲で日本に影響を与えたオランダと日本は、深い繋がりがある国々です。
このようなオランダと日本のいわゆる信仰がある仲良し歴史については広く日本で普及しているものの、
そうではない、利害対立があった歴史というのは、私の個人的感想ではあるのですが、日本人には広く認識されていない歴史だと感じます。
というのも、オランダの社会に入り、そこに深く根を下ろし生活すると、蘭岳シーボルトといった信仰が深い領国を表す言葉とは、真逆の言葉が飛び出します。
これは日本軍による抑留所を指しています。
多くのオランダ人にとって、日本はかつての敵国であり、自分の祖父母を収容所に閉じ込め苦しめた国であるという側面を持っています。
ここまで話してピンとくる方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
えー、日本はオランダを攻めていったことはないでしょう?どういうこと?
それはオランダ領であったインドネシアが関係してきます。
長年オランダという国はインドネシアを植民地支配しており、インドネシア全土実質植民地支配していた期間は140年にわたり、一部を占領していた時期を含めると350年にもなります。
しかしそのオランダ植民地支配も、日本が1942年インドネシアを占領したことから終わりました。
日本は太平洋戦争にてインドネシアの石油などの天然資源確保とオランダ軍の排除を目的にインドネシアに侵攻し、1945年までインドネシアを占領しました。
当時、日本軍統治下にいてインドネシアにいたオランダ人の多くは、その数、民間人9万人、軍人4万人が日本軍に抑留、捕虜として囚われられたと言われています。
ものすごい数です、これは。
食糧不足、病気の蔓延、劣悪な衛生環境など、過酷な状況下での強制労働及び生活が強いられました。
オランダ人には、元オランダ領東インド、現在のインドネシアは、日本軍占領の収容所体験が家族史、つまり家族の歴史として強く残っている人が少なくありません。
私も、それこそオランダに来たばかりの頃、友人の誕生日パーティーに出席したところ、ある年配の男性から、「お前は日本人か?」と言われ、「はい。」と答えたところ、
「俺はヤップカンプにいた。」と告げられたことがありました。
当時の私は、その方の雰囲気で、何か日本人としてまずいことをしたことを指摘されているという感覚はあったものの、具体的にそれが何を指しているかすぐに理解できなかったという過去があります。
このように、オランダと日本という国がどちらの国を直接的に占領しなくても、インドネシアという国を介することで利害対立が起こり、オランダ人は日本人に対して捕虜として抑量所に入れられた記憶があるということがあります。
これだけではありません。私はオランダにてスマーラン・イアンジョ事件の被害者の孫であるオランダ人女性と話したこともあります。
みなさん、スマーラン・イアンジョ事件とはご存知でしょうか。
1944年2月に日本軍占領下のオランダ東インド、現在のインドネシア、ジャワ島スマーランで起きた日本軍によるオランダ人女性の性暴力事件です。
日本軍幹部候補生のショーコラが、軍の公式指示を無視し、民間人抑留所から17歳から28歳のオランダ人女性約35人を看護婦として働くと偽って連行し、
これらの女性はスマラン市内の4つのイアンジョに約3ヶ月間監禁され、強制的に売春行為を強いられました。
連行された女性たちは、自分たちが理解できない日本語の同意書に無理やり署名をさせられました。
事件が発覚したのは、被害者の母親らが抑留所で抗議したため、上層部が欧州人の反発を恐れ、イアンジョを閉鎖。
女性たちは遠隔の抑留所へ移送され、口止めされ、日本軍総司令部は事件を隠蔽しました。
戦後、オランダ側、抑留者の証言が裁判当局に届けられ、1948年のバタビア臨時軍法会議で、この事件が明るみに出ました。
オランダ軍地方では、これを軍令違反の強制売春、合間として起訴。
被告13人、主に実行犯の証拠やイアンジョ経営の日本人業者を審理、女性たちによる直接証言が決め手となり、隠蔽工作を覆しました。
11人の日本人が有罪となり、そのうちの1人は死刑判決、他の10名は最高20年、最低2年の禁告刑が言い渡されました。
死罪判決を受けた1人は判決後、複数の兵士から鳴る銃殺隊が彼に向けて一斉に射撃する総射刑として、1948年に執行されました。
日本政府もサンフランシスコ講和条約で、この裁判結果を正式に承認しています。
皆さん、これを聞いてどう思われますか?
インドネシアでのオランダ人収容所も、スマラン慰安婦事件におけるオランダ人慰安婦についても、私は日本で学んだ記憶がありません。
オランダ慰安婦だった孫の女性は、オランダにいる多くの日本人にインタビューをしている方で、私がスマラン慰安婦事件について認識をしていなかったと知った当時、とても楽談していました。
日本人は朝鮮半島、中国での慰安婦については認識しているけど、オランダ慰安婦については知らない人が多い、と彼女は言いました。
多くのオランダ人にとって、これは教科書の中の話ではありません。祖父母、あるいは親の世代の家族の記憶です。
一方で日本人の多くは、この歴史を学校で詳しく学んでいません。
知らなかったという人も少なくない中、性暴力という重いテーマを日本人として、女性としてどう受け止めればいいのか、迷う感情が彼女と話していて湧き出たのを覚えています。
そのギャップの中で、彼女との会話がふと止まった瞬間がありました。何かを否定したわけではない。でも何も言えなかった。その沈黙は、彼女にはどう聞こえただろうか。
日本では、何も言わないことが配慮になる場面があります。でもヨーロッパでは、沈黙は無関心や否定として受け取られることもある。
でもそれは断片的で、世界に共有される物語としては認識されていません。
明確な事実としての日本政府の謝罪声明は存在するのに、それがなぜ謝っていないという国際イメージにつながるのか。
皆さんわかりますか?
長年この問題についてたびたびヨーロッパ人と話してきた中で、私が感じたポイントが3つあります。
まず第一ポイントとして、この議論で必ず上がる数字を把握したいと思います。
ナチス同一によるユダヤ人迫害、ホロコーストの死者数は皆さん知っていますか?
これは一般的に1100万人と言われ、そのうちユダヤ人が600万人と言われています。
一方、日本軍による第二次世界大戦、東南アジア侵略の死者数は2000万人と言われています。
ホロコースト死者数1100万人に対し、東アジア侵略死者数2000万人です。
ホロコーストは意図的絶滅政策の象徴であり、日本は侵略拙走の結果のため、単純に死者数を比較することは危険です。
それがわかっていても、この数字は被害規模の把握といった下で、必ずヨーロッパ人との議論で出てきます。
そして次に出てくる数字が、日本とドイツによる戦後の賠償、保証金額の違いです。
まず気をつけていただきたいのが、これは民間基金のお話をしているのではなく、国費、国から出たお金の日本の賠償、保証金額の総額です。
日本はこれが1兆円であるのに対し、ドイツはホロコースト保証だけで国費から総額8兆円出していると言われています。
日本の1兆円とドイツの8兆円というこの差。
第2のポイントは、日本はサンフランシスコ平和条約1951年、日韓請求権協定1965年など、賠償、保証などにおいて、相手国と条約を結び、平たく言うと、これで賠償、請求権は全部終わりと合意したことです。
条約のルールとして、日本が1兆円を非外国政府に渡し、その政府が国民に分配。
個人、つまり元慰安婦、徴用工などは日本政府への請求はできず、日本政府も国費から直接個人への保証は行わない。
日本政府からの国費での保証は条約上にて法的解決済みと一括決着となっています。
したがってそれとは別に、国費による新たな個人保証は条約違反になると言って日本政府は避けていました。
対してドイツはどうかというと、1952年、ルクセンブルク協定にて、当時のドイツ首相がユダヤ人請求会議と合意。
総額150億マルク、約45億ドル、当時のGDP10%を15年で支払うホロコースト保証基盤を作り上げました。
これはイスラエル政府との枠組みではありますが、実質は個人保証基盤です。
これが日本と異なる点です。国家間条約ではなく、保証合意であり個人に送金するという点です。
その後、1990年の冷戦終結にて、東西に分かれていたドイツが統一しました。
この時点でドイツの戦争状態が正式に終了したということです。
連合国であったアメリカ、フランス、イギリス、そしてソ連が国家間賠償請求権を最終的に放棄。
もう賠償金をドイツに請求しないよということで合意しました。
これらの条約決着後にも、ドイツは国費を出し続け、個人に保証を行い続け、それは現在まで続いています。
1952年、ルクセンブルク協定から80年近く経ったのにも関わらずです。
その対象は、賠償・補修年数がそれぞれ異なるのですが、ユダヤ人だけではありません。
ナチス強制労働被害者であるロシア人、ウクライナ人、ポーランド人といった非ユダヤ人も含まれます。
収容所・工場奴隷労働生存者の遺族なども対象としています。
ドイツという国は、こういった条約決着後にも新たな法律を作って国費での保証を継続し、2023年にも13億ユーロを追加しています。
ホロコースト高齢者・生存者5.6万人に年1,200ユーロを保証しています。
ドイツは国のお金で被害者の銀行口座に直接お金を振り続け、まさに償いは終わりなしです。
2026年の現在もドイツ政府は、ホロコースト高齢者・生存者に向け、年間1,450ユーロ、27万円ほどですね、の振り込みをしております。
想像してみてください。ヨーロッパ人からの目線はこうです。
日本は、被害国政府に、この賠償・保証金を国民に配分してね、と一括渡し、個人の保証は国費からは出さない。
一方ドイツは、あなた個人に政府から直接お詫びとお金を何十年も振り込み、ヨーロッパ人は後者を本気の謝罪・償いと認識するのです。
だからこそ膨らみ続けたドイツの賠償・保証金額の8兆円で、日本の1兆円とは大きい差があります。
第3のポイントは、教育です。
ドイツは、二度と同じ間違いを繰り返さないという理念の下、学校教育、社会教育、あるいはマスコミを通じてなされる報道等によって、
ナーツシスがどのような不法行為、どのような迫害行為を行ったか、教えるということを重視しています。
学校授業も記録映画も資料館などを作り、施設見学を促すなどの活動を行っております。
みなさん、ドイツ全国には、いくつのユダヤ人迫害ホロコーストをテーマにした資料館があると思いますか?
その数は100ヵ所以上です。
みなさんも見たことがある、あるいはその映画の名前を聞いたことがある、
ユダヤ人をナチスの虐殺から救った実在のドイツ人実業家の姿を描いた、