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2021-05-11 20:25

第14回 シベリア抑留 第二次世界大戦の終戦

シベリア抑留とは、 第二次世界大戦の終戦間際(1945年8月9日)に突如ソ連が満州国、北朝鮮、南樺太、千島列島に進行し、 そこにいた日本人がシベリア、モンゴルなどの2,000か所近くの収容所に強制連行され、強制労働をさせられた。 日本最大の拉致被害と言われるこの事件はなぜ起こり、そして実態はどうだったのか。 戦争という悲劇を痛感させられるテーマである。

※訂正※

×マガンダ収容所 → ○マガダン収容所


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「大人の近代史」始めます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、じゃあ早速…
普通じゃない?どうしたの?
あのね、ちょっとなんだろう、導入部分別に誰も気にしてないかなと思って、
なんかスムーズにいった方がいいんじゃないかみたいなのも思ったんでね。
まあ、そこは任すわ。
僕はちょっと探り探りやっていこうかなと思って。
まあ、即反応してくれるとは思わないけどね。
そうそうそうそう。
まあ早速なんだけど、シベリア抑留について話したいと思います。
おお。
最初に言っちゃうんだけど、あらすじなんだけども、
1945年の8月9日にですね、これ終戦の間近ですね、日本の終戦の、
突如ソ連が満州国、北朝鮮、南カラフと千島列島に進行してきたんです。
そこにいた日本人の多くが、シベリア、モンゴルなどの2000カ所近くの収容所に強制連行されて、
強制労働をさせられたっていう話なんですよね。
ああ。
そう、なんとなくこれって聞いてた。
シベリア抑留はさ、結構こう、戦争、日本の戦争の話とかにさ、出てくんじゃん、割と。
まあ出てくるよね。
そう、でまずね、このシベリア抑留っていう、この聞き慣れない言葉になってるってことなんですよね、まずは。
ああ。
これなんで抑留っていう、あの抑えるにとどめるって、なんかすごい回りくどいような言い方してるんだけど、
ああ。
単的に言うと、拉致なんですよね。
ああ、なるほどね。
そう、拉致なんだけれども、なんでこれ抑留っていう回りくどい言い方っていうと、当時戦争に日本は負けたわけじゃん。
うん。
で、ソ連は勝った側の人間じゃん。
ああ。
だから、勝った側の国に対して、日本は拉致だ拉致だって言えないわけなんですよ。
ああ。
だから、このなんかちょっと、なんだこれっていう、シベリア抑留って言葉になってるんですよね。
へえ、なるほどね。ちょっと言葉遊びじゃないけどさ、ちょっと言葉だけ聞いてもさ、なんかそういう戦争の、なんつーの、負の歴史っていうのかな、なんか出てくるね。
出てくる出てくる。だって、北朝鮮は今でも拉致でしょ、拉致被害者でしょ。
ああ、そうだね。
そうそう。で、しかも北朝鮮って、多く見積もっても1000人ぐらいって言われてるんだけども、
ああ。
あの、今回このシベリア抑留っていうのは、日本で最大の拉致被害と言ってもいいぐらい、日本人が約57万5000人抑留されたっていう話なんですよね。
なんか桁が違うね。
桁が違う。ま、厚生労働省のこれ発表で、実際はね、もっと多いとも言われてるんですよ。
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ああ。
で、その抑留された中で亡くなった人は5万5000人なんですよね。
10%ぐらいか。
そう、10%なくなってるんですよ、1割。
こう見るとね、亡くなってる人も多くて、しかも最初にシベリアだけじゃなくて、モンゴルにもね、収容所に送られてるんですよ。
ああ。
だけど、亡くなった人の5万5000人中、5万3000人はシベリアで亡くなってるんですよ。
まあ、なんか環境良いんだろうね、確実に。
そうそう、環境良いも悪かったっていうのがあって、だからまあ、これシベリア抑留って言い方なんだけども。
ああ。
で、これ日本だけの話じゃなくて、世界で外国人の捕虜、トータルで言うと415万人抑留されてる。
シベリアに?
そう、自分日本だけの話なのかなと思ってたんだけど、実際一番多いのはドイツが約239万人抑留されてるんだよね。
ああ、でもドイツはそうだね、ソ連がドイツに攻めてきた時に、
てかドイツ軍ってソ連の方にまで来てたから、その人たちがみんな抑留されたんだよ。
そうそう、戦ってたからね、ソ連と。で、次に多いのが日本なんです。
なんかもう、負けた国の差がって感じだね。
そう、で、その次がハンガリー、ルーマニア、オーストリアって続くんですよ、ずっと。
ああ。
そう、だから負けた国がソ連に抑留されたっていうね。
時代背景で言うと、この8月9日にソ連が侵攻してきたっていうんだけども、
8月9日って長崎に原爆が投下された日なんです。
ああ、そうだね。
そうそう、で、この3ヶ月前ぐらい、5月8日にドイツはもう降伏してるんですよね。
ああ。
で、8月5日にソ連が侵攻してきて、で、そのちょっと後に8月15日に日本では終戦記念日だけど、
昭和天皇が終戦を伝える玉音放送っていうラジオ放送で国民に終戦を伝えたっていうのがあって、
正式にはその後の9月2日のポツダム宣言に降伏文書に調印した日が世界では終戦の日になってるんだけども、
こういう時代背景がありますみたいな。
で、なんでそもそもソ連って日本に攻めてきたのかっていうところなんだけど、
当時ね、日本はソ連が攻めてくるって思わなかったんですよね。
なんでかって言ったら、1941年に日ソ中立条約っていうのをソ連と日本で結んでるから、
お互い戦争を仕掛けないというか、中立の立場を取るっていう条約で、これをソ連が破ってでも来た理由があるんですよ。
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これはね、よく聞くヤルタ会談って1945年の2月4日から11日の間で行われたっていう、
アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まって会談したっていう、お互いの利害調整をしたっていう会談なんだけども、
これでアメリカが日本を降伏に追い込む手段として、まず考えたのが原爆投下だったんですよ。
これは実行された。その次のカードとしてソ連の対日参戦っていうのをしてほしかったんですよ。
そうすれば、日本ってソ連は攻めてこないって思っているから、そのソ連が攻めてきたら、さすがにもう、
ただでさえアメリカにこんなに追いやられてるのに、超大国のソ連も来ちゃったら、もう降伏せざるを得ないっていう状況に追い込めるから、
っていうので、これソ連を対日参戦してほしかったっていうアメリカの狙いがある。
でもソ連は逆に、ソ連の旨味というか利益としては、ここで話し合われたのは、日本の領土だった当時、
南カラフトとチシマレットをソ連側に引き渡すというか、ソ連のものにするっていうのと、
あと満州国の権益確保っていうのが、ソ連が参戦してきた理由なんでね。
ただドイツとソ連って戦ってたから、ドイツが降伏してから2ヶ月後、3ヶ月後ぐらいでソ連は対日参戦しますよっていう話だった。
だからドイツが降伏して、ちょうど3ヶ月後ぐらいに日本に対して攻めてきたわけです。
っていう背景。攻めてきたっていう背景はわかったんだけど、なぜ翼龍までしたのかっていう話なんですよね。
しかも大量に。これは第二次世界大戦で最も一番死者を出した国っていうのは、実はソ連なんですよ。
先死者がね、2600万人いるって言われてるんですよ。
なんか桁が違うよね。
そうそう。人口の14から15%ぐらいが亡くなってるんですよね。
あと戦争以外にもソ連の独裁政権でスターリンがやってたんだけども、それに逆らう者っていうのも容赦なく自国内で殺してたんですよ。
または収容所に連行して強制労働で、労働環境が悪いから多くの人が亡くなってたっていう現実もあった。
だからもう国がね、疲弊しきっちゃって、労働不足を補うためにもスターリンが支持の下、外国人捕虜が使われたっていう話なんですよね。
なるほどね。
そうそう。で、日本人はね、どうやってシベリアに連れてこられたのかっていうのなんだけども、最初ソ連が下から攻めてきて、日本は南にどんどん逃げてったんですよ。
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でも途中で日本は降伏をしたんですよ、世界に向けて。
なのでもう武器を捨てて、ソ連に捕まったわけですよ、降伏をして。
で、ソ連はね、なんか日本に帰れるぞって、よくダモイダモイって言うんだけど、ダモイって帰国っていう意味なんだけども、ロシア語でね。
で、日本に帰れるぞっていう風に騙して、鉄道とか船に乗せられた。
どちらにしても、もう乗るしかないんだけれどもね。
で、乗せられて、本当にその日本に帰れるって思ってた人が多くいたんだけども、実際着いたら、極寒の地、シベリアだったっていうね、っていう悲劇。
このシベリアって、ものすごい環境悪いんですよね。もう聞いただけで寒いって感じじゃん。
で、これね、1年を通してね、夏の時期ってすごい短くて、大半がね、極寒の冬なんですよ。
気温で言ったらマイナス20度からマイナス50度以下っていうのも結構多くて、もう信じられない寒さだよね。
まあそうだよね。
そうそう。中でも収容所の中でも、最も過酷と言われてたマガンダ収容所っていうのがあるんだけど、
北位60度、結構北の方にあって、囚人の墓場って言われてたんですよ。
これね、条件がすごい悪くて死者も多くて、ここで働いてる人って、結構足の指がない人が多いんですよ。
当床で?
そう、当床でね、みんな亡くなっちゃうっていう。
それぐらいね、そこにも日本人は生かされた記録もあって、
服もね、ちゃんとした服用意してくれないわけですよ、防寒具なんて。
服もね、夏服のまんまだったりもするんですよ。
しかも寝るところ、食べるところって丸太小屋みたいなところで、
すきま風がガンガン入ってくるような劣悪な環境っていうのも多くて、
あとその中でね、環境が悪いから白身っていうのも流行って、本当に災難な環境だったんだよね。
で、食事なんだけれども、例えば黒パン一切れとかね。
でも黒パンだったらまだ良い方なんですよ、パンだから。
煙幕って言って、煙幕の粥みたいなのが出たんだけど、
なんだろうな、これちょっとね、画像で見たんだけど、
なんか稲の、米のなんかこう脱穀が全部できてないような殻付きのままで出てきて、
それを水に浸しているような、馬の餌みたいな感じですよ、本当に。
それを食べさせられてて、食べたら結構お腹くだす人も多いんですよ。
なるほどね。
そんな食事も劣悪で、量もかなり少ないんですよ。
でも食べないとどんどん亡くなって死んじゃうから、必死に食べて、
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もうそれでも足りないから、自分の排泄物を洗って煮てまた食べるみたいな。
そういう人も多くいたんす。
なんかもう、かわいそうとしか言いようがないよね、そうなっちゃうと。
そうそう、しかもね、この労働させられたっていうんだけども、
なんかノルマがね、就業所ごとにあって、そのノルマ達しないとどんどん食事も減らされる。
でも食事減らされると体力出ないから、ノルマがまた達成できない。
で、この悪循環に入っていくんですよ。
でも本当に悲惨な。
で、栄養失調でさ、すると体ってガリガリになるんだけども、
お腹が少し出っ張るような、そんな体験にみんななったっていうんだよね。
だからもう、食べられるものは昆虫や草でも何でも食べたって言ってましたね。
で、仕事なんだけど、仕事はね、森林伐採とか鉄道の建設とかね。
ただね、土がこうさ、凍ってるのよ。
シベリアだしね。
そうそう。で、凍ってる中、鉄道建設とか言っても、
ツルハシでさ、凍ってる土を掘るのも本当にね、すんごい大変なんですよね。
で、あとは石山とかで石を削って切り出してっていう結構危険な作業とかもあったりとか、
あとは建物、建造物作らされて、今でもあるウズベキスタにナボイ劇場っていうのがある。
これソ連時代の四大劇場って言われるぐらい立派な劇場も日本人が多く携わってるんですよね。
で、そんな過酷の中で行われてたから、亡くなる人も当然多くて、
例えば隣で会話してたら、突然話し声が聞こえなくなったと思ったら、
国立って突然亡くなっちゃったりとか、
あとはもう脱走する人もいたんだけど、もう脱走しても射殺される、もしくは投資しちゃうんですよね。
だからもう相当の死体の数っていうのが増えてって、
だけど土が凍ってるから死体も埋められないところも多かったんですよ。
なんで収容所の裏手とかに積み上げられていったっていうか、そのまんま。
30メートルほどぐらい渡って死体が並べられてたっていう環境もあったんですよ。
恐ろしいですよね。
なんかもう地獄って感じだね。
これね、男性がほとんどだったんだけども、女性も抑留されてたんですよ。
女性も約1000人ぐらい被害に遭ってるって言われてるんだけど、
被害に遭った人は看護婦とかタイピストとかね、タイプライター移してとか電話交換士とか民間人もいたんだけど、
もちろん男性ほど重労働ではなかったって言われてたけども、環境は一緒だから、
すごい劣悪な環境で薪を拾いに行かせて乗る間があったりとか、
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あと看護婦とかはその病院に勤めて、栄養失調とかで捕虜が運ばれてくるんですよ。
懸命に看病したりとか、日本人の看護婦がやってたりしたんですよね。
助けたいから命を、自ら血をドナーになって輸血したりとか、そういうのもやってたんです。
ここでね、ソ連が攻めてきた時に、満州国にいたジャムス第一陸軍病院っていうところがあったんですよ。
ここに看護婦が20数名いたんだけれども、日本人のね。この看護婦が全員抑留されたんです。
この人たちが常に抑留されても、持っていたものを肌見放さず、持っていた小さな小瓶があるんですよ。
みんな全員持ってたって言うんですよ。これなんだと思う。
小瓶?
そう、小瓶を見つからないようにずっと持ってたんです。
それが彼女たちの精神的な安定にもつながったって言われてる。
なんか自分たちも言ってた。
何だろうね。小瓶だから薬系かな。
そう、これは粉末の生産下痢なんです。
いざとなったら死ねるようにみたいな?
そうそう、これも聞いた時にうわーって思ったんですよね。
自分の自殺するためのいざとなった時に、その中、日本って敵に殺されるぐらいなら自分で死んだ方がいいっていう。
当時そう思う人が大半だったから。
生産下痢が粉末が入ってて、ただ水がないと飲めないから、その瓶の上に寒天もついてて一緒に飲めるようにしてたんです。
すごい聞いてると、どんどん重い感じなんですよね。
これ、浴流、長い人で10年ぐらい浴流されてたんですよ。
長いね。
数年で終わった人もいるんだけど、帰れない人はずっとっていうのもあったし、
国際社会からやっぱり非難が相当あったんですよ。
このソ連に対してね。
それで徐々に日本にソ連も返していったっていう経緯があるんだけど、
この返していく中で、結構持ち物検査というか、返す時にすごい厳しかったんですよ。
例えば文字、一切文書とか情報が書かれたものっていうのは持って帰れなかったんです。
収容所で多くの仲間が亡くなったわけじゃん。
それを遺族とか日本の国に伝えたいわけじゃん。
だけど、誰が亡くなったとか、住所とかその人の住所とかを持ち帰れないから、
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それぞれ一部そういう話があったんだけど、都道府県別に私はここをこの人たちを覚えるとか、
都道府県別に分けて暗記させて、記憶だったら調べられても問題ないわけじゃん。
暗記して日本に帰って、遺族とか日本政府にこういう方がシベリアで亡くなりましたっていう事実を伝えたんですよね。
っていう話もあって、あとシベリアに帰ってきた時に結構色々聞かれたんですよ。
シベリアのことどういうことがあったのかっていうのを政府とかメディアとかにね。
だけど多くの人は結構シベリアの真実を話さなかったんです。
これは徐々に返していったから日本へ、まだ捉えられてる人がいるから、
その人を思ってあんまりソ連をさ、こんなことされてたって言うと、
今捉えられてる人がもっとすごい酷い仕打ちに遭うから、あえて真実を話さないっていうこともあったんですよね。
この人たち帰ってきても、日本に温かく迎えられたわけじゃないんですよ。
実は就職差別とか日本人からの差別っていうのも多かったんですよね。
そうなんだ。
ソ連ってさ、共産主義じゃん。強烈な独裁主義の。
その思想に染まってるんじゃないかっていう風に見たんですよ、みんな。
なるほどね。
長い間ソ連にいて、実際にソ連の共産主義を叩き込まれたんです。
中には本当に共産主義に共鳴して、実際にソ連に残って帰らなかった人もいたんですよ。
とか、帰ってきても、当時東京都の代々木に共産党の本部があったんだけども、日本の。
そこに入党するっていう人もいたんですよ。
でもね、大概の人はやっぱりそんな建前では共産主義っていうのを共鳴してないと殺されちゃうから、
そういう建前でいたんだけども、実際はね、そこまで染まってない人も多くいるんだけども、こう差別されちゃったんですよね。
っていうのが、本当に悲劇がまた悲劇を生んでるって感じですよね。
そうだね。
でさ、日本ってこんなにひどい目に遭いましたってだけで、終わりにするのもなんなんで、戦争って被害者でもあって加害者でもある部分もあるじゃん。
例えばソ連に対してさ、ロシアか。
1917年にシベリア出兵って第一次世界大戦の時に日本はしてるんですよ。
で、これロシア革命に乗じて、反革命派の支援をしに行ったんですよね。
で、岩のカフ村事件っていう、岩のカフ村で村人300人ぐらい、子供含めて殺害したっていう歴史もあるんですよ。
これはね、シベリア翼流を調べてたら、翼流にあった人が岩のカフ村について語っていて、この人被害に遭ったわけですよ。翼流されて何年も。
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だけど帰ってきた後に岩のカフ村っていうのを知って、そこから毎年ロシアに行って、岩のカフ村の村長とかにも会って供養し続けてるんですよ。
いや、これもすごいなと思って逆に。みたいなね、そんな背景もありましたみたいな。
なるほどね。
そう、あと満州もさ、当時食料って配給性なところがあったんだけど、日本人が一番優遇されて、次朝鮮人、最後中国人って配給されるのが日本人の3分の1ぐらいの量とかね、結構差別をしてたっていう背景もあるんですよ。
日本ももちろんなんかひどいことを結構してたっていうのもあるっていう歴史ね。一応伝えとこうかなみたいな。
それじゃああれだよ、右寄りの方はもう避難してくれよ。
長丸はどう思うかな。
いや別に、だって日本は負けたわけじゃん。負けたらやっぱこうなるんだよねっていうところをさ、もう身にしみて分かったわけじゃん。
うんうん。
もちろんその瞬間はさ、辛いっていうか不幸な人も多かったけど、ぶっちゃけ俺ら関係ねえからさ、それって。
それをどう教訓として生かすかが大事なんであってさ。
そうだね。
戦争って70年とか前の話じゃん。
うんうん。
だからその70年前にじゃあ日本人がこういう目に遭いました、何クソっていうのは俺は変だなと思ってる。
はいはい。
そこからなんか学び取ることは大事だけど、なんかそれを恨みに思ってじゃあ今ロシア人嫌いですかってやつ言ったら俺ちょっと変だなと思う。
まあそうだよね。
直面してる問題にはさ、それは好き嫌いはあると思うよ。なんか北方領土とかあるじゃん、ロシアだったら。
うんうん。
っていうのはわかるけど、なんかそのね、昔の、まあ今のあれだよね、韓国とか中国もそうじゃん。
展示がね、日本にね、そういうことされたからっていう理由でさ、半日決め込んでたりするけどさ。
だからその言ってる人たちって大体もう戦争世代じゃないわけじゃん。
そうだね。
これはなんか外れてるよね。
うん。
それはもう別に日本人も言えることだからさ。
日本人もさ、だからシベリア翼流でさ、ロシアめとかって言ってたらそれはちょっとおかしくねっていう話じゃん。
翼流された人がいるならわかるし、その時代に生きてた人がいるのもわかる。
あとだからアメリカに原爆落とされてさっていう話もそうじゃん。
うんうん。
今の若者ってさ、要は関係ねえじゃん、もう一言で言うと。
まあね。
だからそれをどうこう言うのは、まあちょっと置いといてなんだったと思うよね。
それでアメリカ憎し、ソ連憎しとかっていうのはまた変だよねっていう。
あーなるほどね。
現実に、だから自分があった問題じゃないじゃん。
所詮はもう過去の出来事だし。
そこからもちろん教訓は学び取る必要はあるけど。
うんうん。
っていうのがまあ俺の意見かな。
そうだね。
じゃあまあなんだろう、これね最後自分たちの言葉で終わりにするのもあれなんで、
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あのちょっとまとめのね翼流された人の遺族の言葉がちょっとね心に刺さったんで、
ちょっとこれをね読んで最後終わりにしたいなって思います。
うい。
戦争した国すべて人道に恥じないことをやってきたと胸を張って言える国など一つもないと思う。
ソ連の責任を問うというよりは、戦争そのものがあらゆる罪を犯し悲劇を巻き起こす。
また同じような道をこれからも歩もうとしているような人たちに対して、
本当にあった事実を伝えるのは非常に大切なことだと思いますって言ってるんですよ。
もうその通りだね。
ね、これね刺さるよね。
まあということなんでこれからも大人の近代史は日本の歴史について知ってもらいたい、
一緒に興味持ってもらいたいなと思って配信したいと思います。
それではごきげんよう。
え?
え?
なかなか言わなかった。
え?俺言うの?最後。
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