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2025-07-09 11:17

音楽理論を知るほどに作曲の手探り感はなくなる

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音楽理論を知るほどに作曲の手探り感はなくなる

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耳で聴くうちやま作曲教室ってことでやってきますが、今回またちょっと音楽理論の話をしてみたくて、
理論の中身そのものっていうか、勉強的なものっていうか、その理論の位置づけっていうかね、概念的なものの話なんですけど、
音楽理論って結構その道しるべみたいな存在になっていくんで、
だから作曲していく中でその道しるべに沿って曲作りができる良さっていうのはあるんですけど、それを知ることで
つまりガイドができちゃうんで、まあ好か不好かね。なので、だからその作曲の中で手探りでやる楽しさっていうのがあるんですよね、その出たとこ勝負じゃ何が出るかわかんないみたいな感じで、その手探りを楽しみたい人は音楽理論を学ばない方が楽しめるかもしれません、みたいなそんなテーマの話なんですけど、
だからさっき言ったように音楽理論を知ると、音楽理論って普通の詰め合わせみたいな、普通を体系化したものみたいな、そういう情報なんで、だから自分が知っている作曲の内容がいわゆる標準的な音楽の形に合わせて
どれほどね、そこから離れているかとか、どれほどその標準に沿っているかみたいなところを意識できるようになるんですよね、でその理論的な知識がそこにあると裏付けが持てるようになるんで、だからとっぴのことをやってながら、実際はこうなんだけど自分はこうするよとかね、そういう発想が持てるようになる。
で、それは裏を返すと、そのとっぴのことをやっていることが、本当に完全に自分が好き勝手にやっているのとはちょっと違ってくるっていうか、裏付けがあった上で、その裏付けに対してとっぴのことをやっているみたいな、あくまで標準を知った上で、それと相対するものとしてとっぴのことをやっているみたいなね、そういう構図になってくるんですよね。
だから手探りの感じはやっぱどうしてもなくなってくるっていうか、本当に何が出るかわかんないみたいなスリリングな感じはなくなってくると言えると。
だからそういう意味での音楽理論を学ぶ弊害っていうのはあると言えるかなと私は思っているんですよね。
だからその手探り感を大事にしたい人、自分が何が出るかわかんないけど、何が出るかわかんないところを手探りで進んでいる感じ、それが楽しくて作曲をやりたい人っていうのは音楽理論をあんまり学びすぎないほうがいいんじゃないかっていうふうに思ってますね。
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私自身も作曲始めたばっかりの頃は音楽理論全く知らずに作曲やってて、その手探りな感じが楽しくてハマっていったところがあるんですよね。
よく音楽理論を学ぶと感覚が束縛されて自由に作曲できなくなるとかよく言うんですけど、実際のところそれはちょっと的外れっていうか、ちょっと意味合いが違うんですよね。
だから作曲していく中で理論を知ると感覚が束縛されるっていうか、やっぱり手探りじゃなくなるみたいな感じに近いのかな。感覚は感覚で持てるんですよ、理論を持ってても、理論を知ってても。
理論は理論で持てるんで、だから理論の武器と感覚の武器と2個持てるみたいな。時として理論でもいけばいいし、時として感覚全開でいってもいいし、そういうふうに作曲は進めていけるんで、だから感覚は別に束縛されない。
ただその感覚全開でいくときに理論が自分の中に根付いていると、理論といういわゆる普通の詰め合わせっていうか標準的な音楽の情報が自分の中にきちんとある状態で感覚を発揮する形になるんで、だから常に標準はこうだけど自分はこうやるよっていうふうな感覚の発揮の仕方になってくるんですよね。
で、それが、つまりさっき言った手探り感のところに繋がってくるんですけど、手探り感がなくなってくるというか、完全に手探りじゃないっていうかね、ちょっと標準分かった上で自分はどうしようかなって考えるみたいな感じになってくるんで、そういうちょっと弊害っていうかね、作曲の羽の伸ばしづらさみたいなのがあるのかなと思いますね。
完全に何も分かってなければ、もう何にも分かんないんで、とにかくやってみようって感じになって、そういうのみのみやれる感じがあるんですけど、のみのみはもちろんやれるんだけど、その理論があると普通ってこうだよねって分かった上でのみのみやる感じになるんで、だからそこの違いっていうのが出てきますよね。
そこがある意味する音楽理論を学ぶか学ばないかのこう一個判断基準になるところかなっていうふうに思ってますね。
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さらにより突っ込んで言えば、例えば音楽を仕事にするとかね、音楽を曲作りをね、あとは誰かに依頼されて曲を作るんだけどねとか、仕事にならないまでもそういう誰かに依頼されて曲を作るっていう状況に自分の身を置くんであれば、やっぱり手探りでやってる場合じゃないじゃないですか。
手探りでやって、曲にね毎回品質にムラが生まれたりとか時間がかかりすぎたりとかねしちゃうとやっぱその分依頼者には迷惑がかかるし、お金もらって仕事にするなら当然ですよね、納期があったりね、その依頼してくれたオファーの内容にきちんと合わせにいくっていうね、そういうことも必要になるんで。
だからそこはやっぱり手探りでやってる場合じゃないと結局なってくると。そうなるとやっぱりその手探りじゃないものをきちんとした裏付けを持って、然るべき裏付けに沿って進めていく作曲っていうのが求められてくるんで。
だからそういう人は音楽理論とかある程度知った方がよりそこに近づきやすくなっていきますよね。
やっぱり理論がわかると標準がわかるんで、だから常にコンディションに左右されずに一定の力で水準以上の結果が出せるようになるっていうか。
で、作曲するスピードも早くなるし、作る曲の品質も安定していきますよね。
だから手探り感がある作曲はスリリングで楽しいんですけど、手探りでやる分やっぱ時間がかかったり、出たとこ勝負な感じになっていくんで。
だから毎回の曲の品質にやっぱりムラが生まれるっていうね、そういう弊害はありますよね。
だからそこはどっちを取るかなと思うんですけど。
で、あと音楽理論って今散々言ってるんですけど、その理論っていうお勉強っぽいものじゃなくても、
自分の中の理論みたいなものが備わってさえいれば、それもある意味でその理論を知っているのと同じ状態に持っていけるんで、
自分の中でこれをこうするとこうなるみたいなものが体系づいていれば、それによってやっていけばね、
そのコンディションに左右されずに、質の高いものを常に生み出していけるようになるし、
作曲のスピードも、いわゆる音楽理論を知っている人と同じぐらいの速度を出せるっていうかね、そういうパターンもありますよね。
実際プロミュージシャンの人でも、その音楽理論をそこまで理解していないっていう人でも、
仕事にできているっていうのはある意味そういう理由で、自分の中での理論みたいなものがきちんと備わっているから、
だからこそ、少ない労力で必ずね、品質、水準以上の品質の曲を作れるようになるというところは言えますよね。
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だから曲作りしていく中で、その音楽理論を覚えるべきか覚えるべきじゃないかみたいなところがまずあって、
で、その音楽理論を知ることで感覚が束縛されるとかね、のみどみ自由にできないっていう、よく言われたりすると。
で、それは本当なのかどうかって迷うことはあると思うんですけど、その本当のところは、感覚は束縛されないけど、
手探り感がなくなるみたいな感じ。理論を知ると裏付けが持てるようになる。
それは素晴らしいことなんですけど、手探りでやるスリリングさは徐々になくなっていきますみたいなね。そんな感じですね。
まあ時々本当に自分も理解できないような音使いがね、偶発的に生み出されて、これは何なんだろうみたいになったりすることもあるんですかね。
だから時としてそういうね、本当に手探り感の満載の作曲に入っていくケースもあるかもしれませんけど、
そういう風な音楽理論を知ることによって生まれる状況っていうのはね、そういう状況だという風に理解していただいて、
それをもとにしてどれくらいまで音楽を学ぶかってところは考えていってほしい。
さっきの繰り返しですけど、きちんと水準以上の音楽を定期的にしっかり生み出していきたいっていうのであればやっぱりその辺の知識はある程度備えていた方が便利ですよっていうね。
そんなような話でした。
はい、そんなわけで、今回は音楽理論を学ぶと手探り感がなくなっていくみたいな、曲作りの手探り感はなくなっていくんで、
手探り感を楽しみたい人は音楽理論を学びすぎない方がいいかもしれませんみたいな、そんなようなお話をしてみました。
お話の内容をぜひ参考にしてみてください。
はい、では今回はこれで終わりになります。
ありがとうございました。
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