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2025-10-31 10:56

「○○進行」に惑わされないでください

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特定のコードのつながりを指す「○○進行」という呼び名への思いについてお話ししています。

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サマリー

ポピュラー音楽におけるコード進行の命名の傾向を取り上げ、特定の進行に依存しない作曲の重要性を説いています。情報が溢れる現代において、自己表現を重視し、便利な道具としてのコード進行を活用することの大切さについて話しています。

コード進行の命名の風潮
耳で聴くうちやま作曲教室ってことでやってきますが、
コード進行のコードの展開っていうか、そのコードの展開のこの構造を、
なんとか進行とかっていう風潮があって、
カノン進行とか、4536進行とか、小室進行とかね、小室進行は6451とかですけど、
その特定のコードのつながりを、なんとか進行っていう名前でニックネームみたいなのをつけて、
呼ぶような、ポピュラー音楽コード進行界隈の風潮があるんですけど、
これは個人的に便利である反面、正直そんなになんとか進行って呼び名は好きじゃないんですよね、私はね。
もちろん慣れてない頃になんとか進行をうまく使って、
曲作りのきっかけにするとか、コード進行がいまいち思いつかないときに、
なんとか進行をうまく使いながら自然なハーモニーを作っていくとかって、
やるときにはもちろんそれは大事だし、使えるし便利だし、
なんですけど、なんとか進行をあまりに信頼しちゃうっていうか、もう妄信しちゃうっていうかね、
そういうふうになっちゃうと、なんとか進行前提の作曲になっちゃうっていうか、
になるんで、だからやっぱりなんとか進行をあんまり崇拝しないほうがいいっていうか、
っていうふうに私は思ってるんですよね。
作曲における自由な発想
なんか自分で生み出せることを目指してほしいっていうか、最終的には。
だから便利なんですけど、例えばカノン進行とかね、
この曲はカノン進行で作ってみようとかってやるのは、もちろん慣れてない頃は、
作曲の先に向かうための一個の道しるよみたいになるんで便利なんですけど、
やっぱりそれがずっと続いて、なんとか進行がなきゃ作れないみたいになっちゃうとちょっと違うじゃないですか。
だからやっぱりなんとか進行はあくまでも作曲を便利にするための道具っていうか知識っていうか、
そんなふうな位置づけとして思ってほしいですね。
なんとか進行は、数字で言うやつはよくありますよね。
145とかね、251とか1625とか、1625進行とか言ったりするんですよね。
それはダイアトニックコードの1番目、6番目、2番目、5番目っていう流れを指して、
Cメジャーダイアトニックコードを置き換えると、例えばC、Am、Dm、Gみたいな感じの流れを1625進行とかっていったり、
そこにもっとポピュラーなやつだと、小室進行とか、誰かの名前がついていたり、
丸さ、丸さ進行とかね、丸の内サディスティックっていう曲で使われた有名なコードの流れを丸さ進行っていうらしいんですよ。
私はあんまり使わないですけど、丸さ進行とか、ポップパンク進行とかね、王道進行とか、
いろいろ特定の度数のつながり、コードの展開をなんとか進行っていう風に言ったりするっていうのはあって、
それが曲作りできる技術の証明みたいになっちゃうと、なかなかちょっと厳しいところがあって、
もちろんその曲を分析するときとか、なんとか進行がすごい効果的だったり、
分析もともと曲作りしながら自分が作っている曲のコードの展開がこういう流れになっているのって把握するときにね、
これ1625だなとか、4536だなとかっていう風に感じながら分析しながら、
こういう風にコードが流れたら、ここは4536だな、ここはカノンだなとかっていう風に見ていったりするときには、
なんとか進行がすごい便利だし、なんとか進行を全部を私は否定しているわけではなく、
それを全部避けるべきものだと言っているわけではなく、もちろん便利に使える曲名はいっぱいあるんで、
私もそんな話をよくしてますし、SNSとかでなんとか進行を使ってくださいとかね、
1625便利でしょうとかね、よく言っているんで、なんとか進行はそれでいいんですけど、
それをそこに支配されちゃうと切ないっていうか、道具がメインになっちゃうと、ちょっと作曲として先細っていくんで、
だから考えるときの叩き台みたいな感じ、コード進行を考えるときの、
情報過多の時代における音楽活動
寄りどころにするのはいいけど、そこからなんとか進行を元に自分ならこうしてみようかなとか、
ここのコードは自分だったらこっち側に向けてみようかなとかね、ここにこういうコードを加えてみようかなとか、
そういう風にして便利に使っていく、使う側としてきちんとそれを支配していくような、
そういう主従関係でなんとか進行に向き合うのがいいのかなと思いますね。
なんとか進行をたくさん知るほどにね、作曲ができるようになるとかっていう風に勘違いしちゃうとなかなか切なくて、
なんとか進行はあくまでも曲とかコード進行の流れをすんなり理解する、
本当に便利ツールみたいなものなんで、だから知ってるっていうところに変に重きを置かなくていいっていうか、
やっぱり自分で生み出すほうがより意味があるんで、
だからやっぱり自分で位置から作るっていうところをメインに置いて、
なんとか進行はそれをスムーズにやるための1個の知識というか道具でしかないみたいな風に考えるのが理想かなと思いますね。
なんとか進行を叩き台にしながら、それをどうアレンジするかっていう風に考えるっていうか。
個人的にはコード進行っていう言葉そのものを散々使っているしね、これからも使っていくんですけど、
あんま好きじゃないですよね、コード進行ってね。
なんかね、コード進行って元々その英語のコードプログレッションっていう、コードの展開のことを指す言葉、コードプログレッションっていう単語というか英熟語というか、
それを多分日本語に直訳したような感じなんですよね、おそらくね。
だから、なんかちょっと単語っぽい感じっていうか、一つでまとまった言葉みたいな感じにしたくて、コード進行って言葉を多分誰かがね、そこに割り当てて、
それは今ではもう皆さんがね、当然のように使うしね、私も使うし今後も使っていくんですけど、
でも使っていながら、なんかねコード進行じゃないんだよなと思いながらいつも使ってるっていうかね、
コードの切り替わりとかコードの展開とか、そっちですよね、本当はね、本来のその意味合いとしてはね。
コードがなんか進行していくわけじゃないし、なんかコードが別のコードに切り替わっていく、
あとはハーモニーが移り変わる、ハーモニーのストーリーとか、
ある別の方がね、コードのうねりとかって言ってましたけど、
まさにそのうねりっていうのがなんかすごい近い気がしますね。
それは作曲をやるほどにそのコード進行をたくさん知るほどに、コード進行っていう言葉じゃないよなと思いながらいつもそれを使っているので、
皆さんがね、そのコード進行っていう言葉が一番そこに浸透してるんで、
コードが切り替わって別のコードに変わっていく、展開していくことをコード進行と呼ぶと、
それが一番伝わるんで、そういう言い方をこれからもしていきますけど、
でもなんかコード進行って言葉もあんまり自分の中で腑に落ちてないっていうか、
なおさらそのなんとか進行っていう言い方が自分の中でしっくりしてないっていうのもあるんですけど、
なんかそんなちょっとこう、私の日頃から感じている違和感をね、ちょっと今日話す回になってしまいましたけど、
だからまとめると、つまりそのなんとか進行っていう、
そのコードの展開を簡略的に型として名称として作ったようなものにあまりに支配されすぎちゃうと、
作曲としてはそのなんとか進行がなきゃ作曲できないみたいになっちゃって、先細りますよと。
だからなんとか進行はあくまでも道具で、なんとか進行を自分で新たに作ってやろうぐらいの気持ちで、
やっぱコード進行、コードの展開を自分で一から見出せるようになることを目指してくださいっていうね、そんなようなメッセージでしたね。
今このネットで特にその情報が本当に簡単に入手できるようになり、
誰もが動画を作り、コンテンツを作るとそのなんとか進行を紹介しますとかね、
なんとか進行便利ですよとかね、なんとか進行を知ってる人がいるとかっていうふうにやったらそれをね、
会話の中心に持ってくる局面が増えるんで、
なんかそれを知ってなきゃダメなのかなとかね、それを知ってるほど偉いみたいな風潮が生まれやすいんですけど、
なんとか進行は別にそんなに大したもんじゃないんで、
ぜひそこに惑わされずにですね、自分なりにそのコードの展開を探っていくっていう、
それでいいハーモニーを生み出していくってところをね、
ぜひ目指しながら、はい、楽曲活動に取り組んでいただければと思います。
はい、そんなわけで、お話した内容をぜひ参考にしてみてください。
はい、では今回これで終わりになります。
ありがとうございました。
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