1. フリーランスのカベウチ。
  2. バッターボックスに立ち続ける..
2025-05-30 20:50

バッターボックスに立ち続けること。それだけが、自分の型をつくってくれる。

なにかに少し慣れてきた頃、
ついヒットやホームランを狙いたくなって、
却って動きが鈍くなってしまう時ってある。

だけどまだ「狙って当てられる」段階じゃない。
だからこそ、スランプのときほど打席に立ち続ける。

それだけが、自分の型をつくってくれる。

広告会社時代の話も踏まえ、
停滞している自分に喝を入れるために話をしてみました。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

*最後までお聴きいただいた方はぜひ「いいね」で教えてください。
*アカウントの「フォロー」や感想「コメント」も大歓迎です◎

ーーーーーーーーーーーーーーーー

■さき|脱サラしてフリーランスになった30代
広告業界歴約10年。4社で働いたのち、
勤務先の事業縮小をきっかけに独立。

現在はライフコーチとして活動中。

どう働くかは、どう生きるか。
「いい人と、いい仕事をして、おいしくご飯を食べる」をテーマに日々をデザインしています。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

🎙️ラジオ(stand fm)
日常を配信しています。
https://stand.fm/channels/666ff7cab3df431386f1f730

📖ブログ(note)
月報などを書いています。
https://note.com/sakinote_oo0

📷Instagram
ストーリーズに日常をアップするあそび。
https://www.instagram.com/s_____ooo000/

🐦X(ちょっと苦手で試行錯誤中。)
https://x.com/sakinote_oo0

🎥YouTube(過去の動画はこちら):
https://www.youtube.com/@sakinote/featured

ーーーーーーーーーーーーーーーー
#フリーランスの日常
#どう働くかはどう生きるか

#習慣 #継続 #発信活動

#ライフコーチ #コーチング
#生き方 #働き方 #脱サラ #フリーランス #個人事業主 #起業
#アラサー #ミドサー #30代 #アラフォー
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/666ff7cab3df431386f1f730
00:05
こんにちは、さきです。
金曜日の朝、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
都内はですね、朝から雨が降っております。
はい、今ですね、私は朝のカフェに散歩に来まして、
はい、40分ほど書物だったりとか、はい、作業した後にですね、
ちょっと気分転換に、今、外のベンチに出てきました。
はい、いやー、あの、なんだ、ちょっと風が横に降る雨なので、
若干、今日も今日とて濡れそぼりながらお話しすることになりそうなんですけど、
そう、屋根はあるんですけどね。
はい、というのと、ちょっとすいません、近くで工事をしているのかな、
なんか音がちょっとうるさめなんですけれども、
はい、ここは、えー、でも雨なのに工事なんかするのかな、
ちょっと聞きづらいかもしれないんですけれども、
あの、やみそうにないので、あの、雨同様ですね。
はい、ちょっとこのままお話を続けさせていただきます。
はい、えーっと、そうですね、
今日はスランプでもバッターボックスには立ち続ける、
はい、そんなお話をしてみたいと思います。
はい、えー、というのもですね、最近の私がスランプを感じてたんですよ。
はい、スランプだな、なんか停滞気味だなって思っていて、
つい、あの、手が止まってしまう。
うん、あれこれ考えて悩んで、あの、身動きが取れなくなりがちっていうですね、
そんなことを、えー、実は感じておりました。
はい、で、どうしようかな、どうしようかなって考えていたんですけれども、
もうですね、答えは一つしかなくて、
えー、バッターボックスに立ち続けるっていうことなんじゃないかなって、
あの、今の私は思っています。
はい、えーっと、なんでしょうね、というのも、
これはあの発信活動だったりするんですけれども、
うん、なんでしょうね、私が最近ですね、あの、揺れていたところっていうのは、
ついですね、あの、皆さんにいいねをいただいたりとか、
あの、予想外に、そう、自分がそんなに予想してなかった、
うまく喋れたと思ってない回だけど、なんか再生回数がすごく回ってるなーとか、
あの、いいねをたくさんいただけたなーっていうところに、
ついつい、あの、引っ張られて、ちょっと待ってチャイム鳴っちゃったんで一旦止めます。
はい、えー、戻りました。
そう、ついつい引っ張られて、うーん、なんかその、なんでしょうね、
こういうことを話したらいいんじゃないかとか、
えーっと、意図を持って何かを伝えたいなっていう欲が出てきたんですよ。
03:01
うん、そう、で、うーんと、まだ早いなって思ったんですね、まだ早い。
そう、あの、それができるようになったらプロだなって思うんですよ。
うん、どんなにスランプな時でも、あの、もう、はい、話してくださいっていう風に言われたら、
話すことができる、自分のネタを出すことができるっていうですね、
うーん、それができたらプロだし、
それができないうちはまだまだその自分のコンディションとか、
ネタが降りてくる降りてこないっていうことに振り回されたり、
その反応があるとかないとか、
そういうことに一喜一憂しているうちは、まだまだだなっていうことを思ったんですけど、
あの、何でしょうね、プロとして振る舞うためには、
じゃあどうしたらいいのかっていうことをですね、考えた時に、
それはバカ図を踏むことしかないなってことを思ったんですよね。
うん、何かっていうとですね、私は今ライフコーチとしての活動を始めたばかりなので、
ライフコーチのプロとしての振る舞いっていうのがまだ身についていないんですよね。
でも一方で、じゃあコミュニケーションプランナーとしてプロとして振る舞えるかって言われたら、
もうプロだと思ってます。
はい、だから何でしょうね、具体的なエピソードで言うと、
会社員を辞めて、独立をして、
1ヶ月後にはですね、契約が自分個人の力で取れていたっていうのは、
もう自分がですね、プロとして振る舞えていたからっていうのも大きいんじゃないかなって思います。
はい、もちろんですね、キャラクターに興味を持っていただけたとか、
そういうのは、何でしょうね、人の縁と運と温かさっていうんでしょうかね、
そういうふうに応援したいと思ってくれたから、
お仕事をいただけたっていうのももちろん大きいです。
はい、そこは忘れちゃいけないなって思うんですけど、
えーと、まあ何でしょうね、
一方で、
私は広告業界で約10年ほど働いていたんですけれども、
最初はですね、
プランナーではなくて、プロデューサーという肩書きでお仕事をしていました。
はい、会社員時代ですね。
プロデューサーっていうと名前はすごくかっこいいんですけど、
実際にやっていたことは、PM、いわゆる制作アシスタントみたいなことが多かったですね。
はい、えーと、具体的に言うと、
クライアントさんと社内の制作スタッフの間に立って、
いろいろ調整していく役回りですね。
撮影日とか、
何だろう、打ち合わせのスケジュールだったりとか、
06:00
あとは社内外のパートナーさんもそうですね。
何かプロモーションする時にタレントさんを起用するってなったら、
タレント事務所さんとのやり取りであったりとか、
社外のフォトグラファーさんとのやり取りですね。
そういった橋渡しをずっとやっていくっていうお仕事ですね。
はい、制作においての全責任を負うのがプロデューサーなんですけれども、
予算管理、振興管理、クリエイティブのクオリティ管理っていうところですね。
そういうことをやっていく、調整屋さんみたいなことをですね、
最初は、最初の3年間はやっておりました。
はい、で、4年目からですね、
私がいたのは制作プロダクションだったんですけれども、
そう、プロダクションの中でもプランナーが必要であるっていう風にですね、
とある人物が言い始めまして、
それまで制作会社にはプランナーという職種の人はいなかったんですよ。
ちょっと待て、だいぶ工事の音響いてますね。
ちょっと離れてみようかな。
一旦また止めますね。
はい、少し気持ち100メートル、200メートルくらい離れてみました。
カフェの中にですね、ちょっと荷物を置いているので、
あんまり離れることができないので、
ここで続けてみようかなって思います。
はい、なんだっけな。
いつからそのプランナーの話し方になったんですかとか、
話し方が変わりましたねっていう風に言われるタイミングがあったんですよね。
最初はその制作会社にプランナーっていう職種の人がいなかった。
これはもう自分のいた会社もそうだし、
広告業界の構造的にもクライアントさんがいて、
代理店さんがいて、制作会社がいるっていう省流になっていたので、
基本的にはプランナーっていう人たちは代理店にしかいなかったんですね。
10年前まではそうでした。
なんですけど、私がずっと代理店を挟まずに直接事業会社さん、
クライアントさんとお取引をするっていうお仕事が9割くらいだったんですよ。
すごく珍しくて、同日に中途採用で入社してきた同僚は、
もう9割どころか10割代理店さんのお仕事をしていた。
10割ですね。代理店さんのお仕事だけをしていたので、
代理店にプランナーの方がいて、その人が戦略設計を書く。
クリエイティブディレクターもいて、
その元に制作のプロっていうのが制作会社の人たちなので、
制作のことに全責任を負いますよっていう形で立ち回るのが、
09:02
制作会社のお仕事でした。
なんですが、結構ですね、今、広告業界も色々変わってきていて、
代理店を挟んで制作会社にも投げて、
大規模な広告プロジェクトをやれる会社って多分ですね、
上位3%とかになるんじゃないかなって思いますね。
売上規模みたいなところですよね。
9割以上の事業会社さんはそんなことをやる余裕はないですし、
広告のやり方、あり方っていうのもどんどん変わってきている中で、
直接のお声掛けをいただく。
制作もできるところに、制作のプロである我々に、
戦略にも携わってほしいっていうお声掛けが増えてきた。
いろんな時代背景があったんですね。
会社としても直接クライアントさんとお取引をどんどん増やしていきたいってなった時に、
じゃあ我が社にもプランナーが必要だよね。
戦略設計ができる人が必要だよねっていうことで、
プロデューサーからプランナーにそういう部署を作るので、
第1号としてちょっとそこにジョブチェンジ、部署移動をするのはどうですかっていうお提案を受けて、
で、なったんですよ。
そうするとどうなるかっていうと、プランナーのなり方とか、
プランナーとしての振る舞いの仕方とか、
どうやって企画書を書いたらいいのか、
どういうふうにプレゼンをしたらいいのかっていうですね、
ナレッジやノウハウは社内にないんですよね。ない。
だから本当に苦しかったんですけど、
誰もプランナーの仕事を評価できないし、
支持することもできない。
なんなら敵作ってるぐらいの状況でしたね。
これまで何十年もその時いた広告会社の人たちっていうのは、
プランナーなどいなかったわけですよ。いらなかった。
プロデューサーとクリエイターだけで、
自分たちの仕事っていうのを成り立たせてきた歴史があるし、
自分なんてまだ中途で業界未経験で入ってきて、
まだ3年しか経ってないところなんだけど、
10年20年青春のプロデューサーやクリエイターの先輩たちに
物申していかなきゃいけない。
となった時に、
とにかく何が私をプランナーたらしめたのかというと、
ひたすらバッターボックスに立つっていうこれだけだったんですね。
はい、ちょっとまた人の声が入ったので中断しておりました。
雨でも結構あれですね、みんな出歩いてるんですね。
12:02
何が自分をプランナーたらしめたのか教えてくれる人もいない。
評価してくれる人もいない。
正しいやり方なんてわからないっていう中で、
どうしていったのかっていうと、
もう本当に現場に立ち続けたんですね。
現場に立っていっぱい失敗していったんです。
もうそれこそ何言ってるかわかんないとか、
ちゃんと喋れとか。
あとは何だろうな、
これはプランナーじゃなくてプロデューサー自体に言われたかもしれないな。
小学生並みの、小学生レベルの分析ですねとか言われたりしながらも、
でも一個一個拾っていったんですよね。
どうしてそう思われましたか。
どういう分析を期待されてましたか。
っていうことをもう逃げないでやっていく。
中にはすごいプレッシャーをかけられることもあって、
何でしょうね、
例えば、
その御社がいい仕事をしてくれるかどうかが、
私のこの会社での立場に関わってますみたいなことを、
そういう言葉をかけられる時もありましたし、
できない言い訳ではなく、できることを探してくださいっていうことをおっしゃられたこともありました。
その時はつらいなって思ったけど、
でも今振り返るとそうですよね。
できる理由を探したりとかしててもしょうがないので、
できることを探して、
とにかく続けるっていうことだけが、
それをできた人だけがやっぱりその次のステージに行ける。
だから何でしょうね、
結局のところ不調だろうとなんだろうと、
パッパーボックスに立ち続ける。
空振りしても、デッドボールをくらっても何でもいいから立ち続けているうちに、
なんか打ち方が分かってくる。
自分なりの打ち方が分かってきて、
ルイに進めるようになってくる。
最初はやっぱり空振りばっかりだし、
そこは振れよっていうところを振りそびれたりとか、
そこは見送ってよかったよっていうところにバッと振ってしまったりとか。
ちょっとできるようになってくると、
ホームラン狙いでつい欲が出て、
また痛い目を見るっていうですね、
そういうことをやっぱり人は繰り返していくんじゃないかなって思いました。
15:06
できてるかできてないかも、自分では分かんないんだなっていうことを今話してて思いましたね。
何かっていうと、それこそですね、
フリーランスになりますっていうふうにご挨拶をですね、
かつての勤務先であったりとか、
一足先にフリーランスになっているプロデューサーとかに、
ご挨拶をしに行った時に言われたんですよね。
うちの会社には、
佐紀さんのようなコミュニケーションスタイルを取れる人がいないから、
ぜひ力になってくださいとか、
佐紀さんってプランナーだったんですねって言われたりとかですね。
どういうことですかって聞いたら、
その一足先にプロデューサーとしてフリーランスになっていた人はですね、
プロデューサーとしてジタバタしている私しか知らなかったわけですね。
私は本当にプロデューサーには向いてなかったんですよ。
誰かの間に立ってあれこれしていく、
数をさばいていくっていうですね、
マルチタスクなお仕事のやり方っていうのが本当に向いていなかったので、
多分そのプロデューサーの人は先輩か、
プロデューサーの先輩は私のできない部分、
本当に向いていないことをやっている姿しか見てなかったから、
何年かぶりに会って話した時に、
佇まいが変わった。
あなたはプロデューサーではなくプランナーの人だったんですね。
だからあの時あんなに苦しそうだったんだ。
どうやってそんな話し方を身につけたんですかっていうことを逆に問われたんですよね。
そうですね。
3年続けてもできないものはできないんですけど、
それは多分ですね、
もともと文系の頭の人が理系になるってことはできないじゃないですか。
それぐらいですね適正がないことは違ったわって言って下りていいと思うんですね。
そこは理系のことは理系の頭の人に任せたほうが絶対に良いので、
どの競技でバッターボックスに立つかっていうことは見極めた方がいいですが、
自分はこの道で行くぞって思ったことですね。
自分はこの道で行くんだ、行ってみたいんだって思ったことは、
やっぱり多少不調だろうと逃げちゃいけないなっていうことを思いました。
はい、というわけで頑張ろうって、頑張りたいって思ったっていうお話です。
18:00
そうですね。
なんだっけな、今言葉座を思い出したんだけど忘れちゃった。
なんかなんちゃらは石をもうがつっていう、
なんだっけな、言葉を紹介しようと思ったのに思い出せない。
締まらない終わりになりそうなんですけど、
習慣とする、不調だからといって逃げるのではなく、
バッターボックスに立ち続けるっていうことを習慣にしてしまうっていうことですね。
それが大事。
バッターボックスに立ち続けているうちに、
この人はそういう人なんだなっていう認知が自分の中でも確信になっていくし、
周りにも立ち続けたことによって示されていくことって絶対的にあるなと思うので、
数を積み重ねていくことっていうのは、やっぱり何よりも大事なんだなと。
令和の時代にすごく昭和な根性論を話しているように聞こえたかもしれないんですけど、
でも実体験としてそうだなって思いますね。
実体験としてそう。
やり続けたことだけが自分を形作ってくれる。
一発逆転のホームランをたまたまちょろっとバッターボックスに立って狙うっていうのではなく、
雨の日も風の日もバッターボックスに立ち続けたっていうことが、
そのことだけがやっぱり次のステージに連れて行ってくれるし、
安定してそのヒットを打てる人になりたいのであれば立ち続けることですね。
ということを思いました。
いかがだったでしょうか。
今日のお話が何かスランプに陥っている方であったりとか、
これから何かを継続していきたいけど、ちょっと気分にムラがあってできないんだよなと思っている人。
今の私ですね。
同じ救急車だ。
同じステージに立っている人にとって、
何らかヒントとか励ましになったらいいなと思います。
自分自身を励ますつもりで今日はお話をしてみました。
いかがだったでしょうか。
ここまで聞いてくださった方は、ぜひいいねを押していただけるととっても嬉しく思います。
それではまた次の配信でお会いしましょう。
佐紀でした。
20:50

コメント

スクロール