1. フリーランスのカベウチ。
  2. 停滞から抜け出すきっかけは、..
2025-04-25 37:58

停滞から抜け出すきっかけは、"人と話す"ことだった。

大学時代に不登校になった時、
短期離職を繰り返してお先真っ暗だった時、
そして30代、独立前の混乱——

何度も停滞にハマり、そこから抜け出せた背景には
いつも「誰かと話すこと」がありました。

今日は、過去の自分を振り返りながら
「停滞から抜け出すきっかけ」についてお話ししました。

ちょっと長めの配信ですが、
過去の自分と、今しんどい誰かに向けて。
よかったら、ゆっくり聞いてみてください。

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■さき|脱サラしてフリーランスになった30代
広告業界で10年働いたのち、
勤務先の事業縮小をきっかけに独立。

現在はライフコーチとして活動中。

どう働くかは、どう生きるか。
「いい人と、いい仕事をして、おいしくご飯を食べる」をテーマに日々をデザインしています。

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00:01
こんにちは、さきです。今日は、停滞から抜け出すきっかけ、そんなテーマでお話をしてみたいと思います。
初めましての方も、こんにちは。さきと申します。
私は、会社員として10年ほど働いた後、昨年の夏にフリーランスに転身をしました。
フリーランス生活も、現在で10ヶ月目となっております。
今日のテーマは、停滞から抜け出すきっかけです。
昨日のお話で、めちゃくちゃ何の気力も湧かない、心身すごくつらい。
そういう時は、何か変わる、何かを今までとはガラッと変える必要があるよ。
今までのやり方や、今いる場所というのは、あなたにもうフィットしなくなっているんだよ。
そういうことを、心の不調とか、体調不良とか、そういうところで、もうこれ以上、今の場所、今のやり方で進まなくていいんだよというふうに、
心身がサインを出している。心身がストップをかけることで、あなたに教えようとしてくれている。
そんなお話をしました。
今日は、その続きというところで、全部にストップをくらった後、どうしていったらいいの?というお話ですね。
それを、私の経験をもとにお話ししていきたいと思います。
結論から言うと、人と会う、人と話す。これが一番いいんじゃないかなと思っております。
私がライフコーチというお仕事をしているので、ちょっとポジショントークに聞こえるかもしれないんですけれども、
でもですね、実際、自分自身が過去に何度も停滞を、強制ストップみたいなのを喰らい、そこから抜け出してきたとき、振り返ってみると、やっぱり人と話すということをやっていたなと思いますね。
人と話した後、人と話すというのはきっかけでしかないんですけれども、人と話した後にこれまでの考え方をやめる。
考え方を変え、行動を変え、場所を変えというふうに、全部ですね、今までの自分というところから卒業して新しいステージに入っていく。
新しいやり方を試す、新しい行動をする。それをやっていくことによって、次のステージへ、次のステージへというふうにですね、楽になっていけたなと思っております。
具体的にちょっとお話をすると、私が人生ですごく停滞を感じていたとき、3つぐらいお話ししてみようかなと思うんですけれども、
03:05
一つはですね、大学生のときですね。もうだいぶ昔になるんですけれども、大学生のときに受験に失敗しまして、すごくですね、学歴コンプレックスをこじらせたんですね。
もともと私は全くお勉強ができないタイプの子供だったんですけれども、身内の親族がですね、おじおばは兄弟兄弟、で、いとこが3人いるんですけれども、兄弟兄弟、神戸大全員現役ストレート合格、予備校も行かないで自分で行けちゃうみたいな、
そういう地頭のいい学歴の高い親族の中で、すごく落ちこぼれだったので、行ってみたら、そういうわーすごいってなるようなステータスのある高学歴なところには、全くそもそも国立を受けようとも思えないぐらいダメダメ、お勉強は全然できないところだったんですけれども、
そこで、その中でも自分の行きたいなと思っていたレベルに達することができなくて、偏差値的にはちょっと低めの大学に行くことになりました。
そこでですね、自分ってダメだなってすごく思って、学校に行けなくなっちゃったんですね。全部がつまらないなって思ったし、なんで自分はここにいるんだろうって思って、すっごく何もかもが嫌になって、何にも興味が持てなくなって、大学1年の夏休みが明けてから半年間不登校になりました。
結果、大学1年の時に10単位しか取れなかった。なんですけれども、2年で70単位ぐらい取って、無事に4年間で卒業をしております。
この時にですね、私はずっとずっと停滞していたんですよね。すごい苦しかった。何もしてないんですけれども、何もできない自分が苦しくて嫌だった。
ですが、どうしてその2年になって副学をして、1年間の間に70単位も取って、普通に大学4年で卒業できたかというと、この時に原因となったっていうんですかね、ある自分の中ではキーマンとなる人に話を聞きに行きました。
それは高校の時の担任の先生だったんですけれども、卒業式の日に言われたんですね。私はグラフィックデザイン学科に進んだんですけれども、担任の先生が国語を教えていらっしゃる方で、
その先生がですね、私に対して卒業式の日にお声をかけてくださったんですが、その時に言われた言葉が、私は先生はですね、
06:15
私は佐紀さんは文学部に進むと思ったのに、絵なんて書くんだねっていうことを言われたんですね。
別に文学部に私は進みたいわけではなかったんだけれども、行ってみれば自分に何か期待をしてくれていた人の期待を裏切ってしまったし、全然大した学力もないし、
グラフィックデザインがやりたかったかといえば全く興味がないまま、ただそこに受かったから行っているとかだったので、どうしても通えなくなっちゃったんですね。
でも、そこですごく心配した高校の同級生が先生に会いに行こうって声をかけてくれたんですね。
これが本当にありがたかったなと思っていて、そこで先生あの時言ったじゃないですか、私は今本当に不登校になっちゃって、この先どうしたらいいか分からないんですっていうお話をしたときに、
先生がですね、何をどう話したかはもう覚えてないんですけれども、一言言ったんですね。
分かった、あなたは大学に行きたいんだよって言われて、そこであ、そっかって、私はなんか嫌だ嫌だとか、文学部に編入すればいいのかなって資料を取り寄せたりとか、
何か別の場所、別の場所って探していたんですけれども、そうじゃないんだ、本心では大学に行きたいんだってそこで気づいて、2年で副学をして、無事に卒業して、
そこからは本当に今までは出席人数も足りない、何も作品が作れなかったところから、これオープンキャンパスで飾っていいですかって言われるような作品をいくつも作りましたし、
3年4年とグループワークがあったときは、グループリーダーになって結構みんなの前に出ていくだったりとか、教授の勧めで学外のですね、コピーライター養成講座っていうスクールがあるんですけれども、
君は言葉で考えるのが得意なタイプだからそっちにも通ってみたら面白いんじゃないかっていう風に勧めていただいて、学外のスクールにも通うですとか、そうやって動き出せなかったところから一気に色々な物事が動いていった。
でもそのきっかけは人と会うっていうことだったなと思います。
09:05
2つ目、ちょっと長くなっちゃったので手短にいくと、2つ目はその昨日お話しした2社目のブラックな会社に行ったときですね。
私はグラフィックデザインを学び、教授のもとで広告について学び、コピーライター養成講座にも学んでいたので広告業界に興味があった。
でも1社目の会社も2社目の会社も就職に失敗してしまって短期離職をしていた。
短期離職をしました。
そのときに我ながら偉いなと思ったのが、離職をしちゃったときにはもうすでに上京をしていたんですね。
上京をしていて東京の代々木っていうところに住んでいたんですけれども、代々木の家賃を自分で払わなければいけなかった。
でも2社目を辞めたときは次のことなど考えられなかったので、次のことは辞めてから考えればいいと思って、
とにかくこれ以上いたら心身が病んでしまう。
一度壊れてしまったら元に戻すのが大変だから壊れる前にこの環境から逃げなければならないっていうふうに考えて、
とにかく辞めました。2社目の会社を辞めました。
その辞めますって言ったときは会社のナンバー2、上から社長のすぐ下にいるナンバー2の方から言われましたね。
あなたみたいな人間を、あなたレベルの人間をうちと同じ水準で雇ってくれる会社なんてどこにもないよっていうふうに最終日言われて辞めました。
辞めた次の日から無職だったんですけれども、
結果として3社目の会社で私は行きたかった広告業界に入り、その3社目の会社の中で勤めていく中で昇進昇格をして年収もう200万以上アップしていただいたので、
人の話を聞くっていうことは大事だけれども、重要じゃない人の話は全部無視していいっていうことも言いたいですね。
人間無責任に結構ポンポンポンポン人の仕事とか人生について言うんですよね。
それは無理だよとか、その条件は他に言ったら叶えられないよとか言いますが、
そんなに真面目に聞く必要はないですし、辞める会社の人の言うことなんてもう過去なので、今これからが大事なのであって、
12:11
卒業していく身としてはそこで何を言われても揺らがないで大丈夫だと思います。
2社目の会社を辞めてから3社目の会社、広告業界やりたかった広告のお仕事につくまでの半年間は、
これが自分偉いなと思ったポイントですが、フリータをやってたんですね。
フリーアルバイターですね。
家賃を稼がなければいけない、すぐに仕事が必要だという時に、
何が偉いかというと、私は自分で偉いと言っちゃいますけど、その時に少し関わりのあるお仕事をしたんですね。
受給1,400円、1,200、1,400、1,600、1,400円くらいかな、当時。
それくらいで、生きていくのにカツカツのアルバイト代ではあったんですが、
知り合いの友人の恋人が元電通の営業マンで、その方がちょうど今の私くらいの年齢かもしれない30代だったんですけれども、
元電通マンの方が原宿の今はなき古いアパートの一室に事務所を構えて、
一人で製作所をやっていますと。
そこでアルバイトをさせてもらいました。
学生時代の作品やそこでのアルバイトの中で培った自信や経験というのをもとに、
広告会社、一社だけ受かって製作会社に7,8年勤めるという形になったんですけれども、
何が偉かったかというと、実はバイト先は他にもあったんですね。
月収30万出すから俺のところで働かないかって言ってくれた人もその時いました。
月収30万で飲食店のお仕事だったんですけれども、
月収30万で飲食店で働くのか、時給1,400円で小さい社長一人しかいない製作会社というんですかね。
一応多分法人化はしていたと思うので製作会社。
製作会社で一体どの規模のお仕事ができるかわからないし、
というところで時給1,400円の仕事を選んだというところですね。
15:04
これは大事だったなと思っていて、2人の話を聞きに行ったんですね。
家で働かないかって言ってくれた原宿の事務所の一人社長さんと、
家に来てくれたら30万は約束するよって言ってくれた飲食店の人ですね。
その時に自分がどうありたいかということを考えました。
30万円は魅力的でした。
20代前半の私にとって月収30万の起業というのは、
今だったら都内だとあり得る話ですけど、
昔だとそんなになかったので、それはすごい魅力的だったんですが、
でも飲食が悪いと言いたいわけじゃないです。
私がやりたいのは飲食ではなくて、当時私がやりたかったのは広告。
広告クリエイティブの方だったので、それに近しいのはどっちだって考えた時に、
多少金額が安かったとしても、お金の面では安かったとしても、
そっちのプロダクションの方に行った方がいいよなっていうことですね。
あとは生活のリズムとかもありますね。
どうしても飲食店の方に行った方がいいよなっていうことですね。
飲食の方は居酒屋だったかな。
多分夜働くことになったと思うので、
昼夜逆転してしまうっていうのもあったんですね。
でも昼のお仕事に就きたいって考えた時に、
じゃあその昼夜逆転生活っていうものを今していいものだろうかっていうところで行くと、
30万円得られる代わりに失うものっていうものもあるなと思ったので、
自分は原宿のプロダクションを選びました。
ここでですね、やっぱりいろんなことを学びました。
その方は年通番だったので、大手での働き方も知っていらっしゃるし、
個人ですごい面白い方だったんですよね。
単身でインドか何かに渡って、インド?タイ?タイかな?
とにかく一人旅をして、現地で絵を描いて暮らすっていうことをやったらしいんですね。
その後に日本に戻ってきてなんやかんやあって、
原宿の駅前の今はなきボロアパートの一室を借りて事務所を作りました。
なきボロアパートの一室を借りて事務所を構えて会社を起こして一人でやっていたので、
18:00
そこで学んだことがですね、実は私の10年以上経って私の中でのテーマになっています。
その時彼が言ったのは、
俺はいい人と好きな人と好きな仕事をして、美味しくご飯食べたり美味しくお酒が飲めたらそれだけで満足だなあっていう風に言ったんですね。
24歳の時の私はその言葉の意味がわからなかった。
それができないからみんな頑張って働くんじゃないですか。我慢するっていうことが働くっていうことで、
それが大人になる会社になるってことなんじゃないですかっていう風に反発したと思います。
でも不思議ですね。不思議なことに私は34歳で34の夏に独立をしたんですけれども、
今ですね、彼の言っていることがすごくよくわかります。
私が掲げているいい人といい仕事をして美味しくご飯を食べるっていうのはですね、ほぼ彼の言っていたこととイコールですね。
何が自分にとって大事なのかっていうことを考えていたときに、
その彼は電通マンだったのでお給料もすごくよかったと思うんですよね。
でもそれがですね、幸せっていう人もそのままいればいいんですけど、自分はそうじゃないなって多分どこかで気づいたなと思います。
深い話をする前に、私はその事務所を去って広告会社でバリバリ働き始めてしまったので、
今彼が何を思っていて、どうしてそういうことをしていたのかって、機会があったら聞いてみたいなと思うんですけれども。
でもいくらお金を積まれようとも、多分彼はもうその会社に戻ることはないだろうなっていうことは思いますね。
それは自分がどうありたいのかっていうことを、それがその会社にいることで得られるのか得られないっていうことをはっきりとどこかで見えてしまったからなんじゃないかなと思います。
このはっきりと見えてしまった何かっていうのがですね、それが人によって見え方が違うと思っていて、すごく変わるわけです。
忙しく、本当に今は令和なので、昔ほどじゃないにせよ、ものすごくブラックなお金はいいけれどもお金以外のすべてを捨てるような生活っていうところから、
21:20
一人で一刻の主になって、すべて自分の裁量で物事が決められる稼ぎも、どんな人とお仕事をするのか、何のためにお仕事をするのか、誰と顔を付き合わせて話す時間が長いのか、
会食という場でおいしいものを食べているけれどもちょっと胃が痛い思いをしながら飲み食いをするのか、それともせんべろとかでいいから本当に自分が好きだと思える店で本当に自分がこの人といたら楽しいって思う人と飲み食いするのか。
全然違いますね、それが見えるときっていうのが見える前段階が昨日お話ししたようなすべてに無気力になるとかですね、何もかもがうまくいかない、またこの感じかっていう風に全部に強制ストップがかかっていく。
体調不良でどうにもこうにも頑張りたいと思っても頑張らなくちゃと思っても頑張ることができない。そんな形でですね、サインが現れることがあります。
2社目を辞めたときは私はそうでした。自分の心の声っていうものを封じ込めすぎていたので、体がですね、何も食べていないのに水しか飲んでいないのに胃液を吐いちゃうとか、地ましが出るとか、熱を出すとか、生殖アレルギーになるとか。
いうので、あなたここにいちゃいけませんよっていうのを教えてくれていたんだなと思いますし、その後に出会った人にこういうですね、そういう生き方もあるんだっていうことを、その時は分からなくてもやっぱり出会った人によって何かですね、自分の中に新しい価値観を取り入れていくっていうことはすごく大事ですね。
だいぶ長く話しちゃったんで3つ目いらないかもしれないな。3つ目はいらないかもしれないけれどもお話しすると、まさに34の時ですね。
ブラックな会社から次を決めずに辞めたっていうのが24の夏だったんですが、何の因果か、そのきっかり10年後、34の夏にですね、勤務先企業の事業縮小、事実上の解散というところで私は再び無職になりました。
24:21
この会社はですね、広告会社ではなくて、その次ですね、4社目の会社でした。
ブランディングエージェンシーと呼ばれるようなところにいたんですが、その会社が経営悪化っていうところで転職するなり、独立するなり、好きにしてくださいっていうことを親会社から言われまして。
創業メンバーの経営人というのは、私たち社員が社員より先に全員いなくなっていましたので、そういったことを親会社から言われるっていうような非常事態がありましたね。
去年の4月にこの会社の事業は順次受付を停止しますというリリースが出されたので、タイムリーですね、そう。
そういうことが春にあって、その時に私は本業の仕事、副業の仕事、転職活動、そして発信活動という4つを一気に走らせていたんですね。
本業が危ないから収入が減った分を副業で確保しようと思って副業を始めてやってましたし、
いずれ本業のところにどうなるか分からない、解散しますと言われたのは4月なんですけれども、その前からちょっと危ないぞというのはあったので、副業と転職活動というのも走らせていました。
発信活動もやらねばというところでやっていたんですけれども、
結果としてどうなったかというと、エンストを起こしました。
頭では分かっているんですよ。頭ではこの会社、当時勤めていた4社目の会社の未来はもうないな。
この会社という船に乗っかっていたら沈んでいくだけだから、次の船を見つけなきゃいけないと。
次の船というのは転職先ですね。
だから転職活動をして、転職をして今よりも条件が良いところ、年収や福利構成が良いところに転職をして、かつ副業オッケーなところにしようと思いました。
4社目の会社は副業もNGだったので、もうそんな一社に収入を依存するなんてことは怖くてやりたくない。
27:01
気に食わないと思ったので、副業オッケーな会社に転職をして、年収を上げながら副業もやって、自分のやりたいお仕事というのはそっちでやっていけばいいやって考えて、
それが一番賢い方法だと思って、2、3、4月と動いていたんですが、どうにもやる気が起きない。
エージェントさんからは3、4名あったんですけれども、皆さんからこれは完璧ですと、完璧なのであとは応募するだけですと言われるようなきちっとした応募書類を作っていたけれども、応募しますと言えなかったんですね。
200通くらい溜まりに溜まっていく、ここはどうですか、ここはどうですかという求人票ですね。見ているとどうにもこうにも眠くなってきちゃう。そんな状態でした。
その時何をしたかというと、私は今お世話になっているマイコーチに初めてセッションを受けました。
そこでシンプルに会社員卒業ですねという一言をもらったんですね。
これがびっくりだなと思っていて、会社員じゃない働き方というのは私の辞書の中になかったんですね。
だからずっとどの会社がいいかな、どの会社も選べないなというふうに200通も溜まりに溜まった書類を見て途方に暮れていたし、エージェントさんからあとは応募するだけですと何度言われても選べなかった。
でもそれがあなたもう会社員じゃないんですよというふうなことを第三者から言われた時ですね、自分の辞書になかった言葉というのが第三者からポンってくるんですよ。
これが人と話す意味だなって私は思っています。
すみませんずいぶんと話が長々としてしまったんですけど、そうなんですよここがミソだと思っていて、今だとチャットGPTとかですねそういうAIツールに相談をするっていう人も多いと思うんですね。
私も仕事でもプライベートでも使うんですけれども、でもそれじゃ出ない答えっていうのがあるんですね。
それが第三者と人と話すことの意味だと思っています。
どういうことかというと、AIっていうのは連想ゲームみたいな形になっているので、いろいろこうABCDEFG、AからZまでの情報をバッって入れてあげると、
30:10
そこからですねつなぎ合わせて、これの次はこれの次はこれの次はこうっていう感じでいろいろ答えてくれるっていう形になると思うんですけれども、
逆に言うとそのAIに何を読み込ませるかっていうのは自分の辞書の中にある言葉しか読み込ませられないんですよね。
自分が言語ができるもの、自分が知覚できるもの、自分自身が考えられることしかAIには投げられない。
AIは投げられたものをもとに答えを出してくれるので、そうなるとですね、新しい何かとか思ってもみなかったこととか、まだ言葉にできなかった思いを読み取ってもらうとかそういうことは一切できないんですね。
それが人となると、あなたはこういうふうに言っているけれども本当はこう思っているんじゃないとか、あるいはキャッチボールをして真っ直ぐのボールを投げていたと思ったら急にそんなところからボール来ますっていうような角度からポンって思いもかけない球が飛んでくるとかですね。
そういうことが起こせるのはやっぱり人対人が深く関わったときだし、なんでしょうね、人ならではの揺らぎとか言葉以外の入力したものだけを分析するのではなく、何かこう、まだ言語化されていない、整理されていない、そこにスポットライトが当たって、
いないことにグイッと持っていってくれるというような形ですね。
それができるのはやっぱり人だなと思いますし。
高校生の時の自分がですね、高校生じゃない、大学生の時の自分が仮にその時にチャットGPTというものが自分の手元にあったとして、仮にあなたは大学に行きたいんだと思いますよって言われたとして、自分の心が動いたかって言ったら、まあ動いてないだろうなって思いますね。
それはやっぱり人の心が通っていたっていうのがありますし、関係性っていうのもありましたよね、その時は。
高校生の時にお世話になった人、自分のキャラクター内面を分かってくれている人、かつ私にあなたはデザインなんかじゃなくて文学の道に進んでくれると思ったのにっていう風に一個ですね、私にくさびを打ち込んだ調法人でもあったわけです。恩師であり犯人であるみたいな感じですね。
33:24
だから私はその人に会わなきゃいけなかった。そのくさびをその人に抜いてもらう必要があった。そういうことなんじゃないかなと思います。
というところでだいぶまとまりがなくなってしまったんですけれども、どうにかしてまとめたいと思います。
もしあなたが今停滞しているんだとしたら、停滞から抜け出すヒントっていうのは、人と話すっていうことにあると思います。
家の中で引きこもってずっとAIと会話をしていても、あなた自身がすでに言語化できること、あなたの常識の中にあることをずっと深掘っていくことになるので、新たな視点というものが得たいときは外に出て人と話すっていうことがすごくすごくおすすめです。
これは私の実体験としてそうしてきたときの方が状況が圧倒的に良くなっています。そういう経験に基づくおすすめです。
人と話すっていうのは本当にきっかけでしかないんですけれども、きっかけがあれば人は変わっていけると思うので、きっかけをつかみにいくっていう気持ちで外に出て人と話せるといいんじゃないかなと思います。
そこできっかけさえつかめれば、あとはもう未来の自分がなんとかしてくれると思います。
大丈夫です。次を決めずに会社を辞めて、あなたみたいな人を雇ってくれるところなんてどこもいないよみたいな捨て台詞を吐かれたとしても気にしなくて大丈夫です。
ポイント2つ目としては、1つ目が人と会う。外に出て人と会いましょう。重要な人の話を聞く。2つ目は重要じゃない人の話は聞かなくていいということですね。
あなたが去ろうとしている場所、もう過去のもの、そこにとらわれる必要はないです。大事なのは今これからどうしていくかということになります。
腹が決まりさえすれば、あとは本当にスポーンと抜け出して動ける自分に変わっていくはずなので、そのきっかけをつかむ。それさえできれば大丈夫です。
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はい、いかがだったでしょうか、今日のお話ですね。かなり個人的なセキュララなお話になったんですけれども、もしですね、過去の私と似たような境遇ですね、抜け出したいのに抜け出せない、進みたいのに進めない、本当に停滞期というのは苦しいと思います。
でも、その苦しいというときに抜け出すきっかけというのは意外なところに転がっているかもしれない。だから外に出て人と会って話をしてみてください。つかみさえすれば、あとは本当に早いです。
はい、いかがだったでしょうか、今日のお話ですね。最後までお聞きいただきありがとうございました。ちょっと長くなったので、どれくらいの方が最後までお聞きいただいたのかわからないんですけれども、ここまで聞いてくださったあなたにはですね、何か思うところ、響くところあったんじゃないかなと思います。
はい、そうですね、ぜひ一緒に停滞から抜け出してですね、前に進む、何かいいところに光を当てていく、そんなことができたら嬉しいなと思っております。
はい、今日のようなお話ですとか、本当に真面目な話から思いつきで話すような、昼間にビールを飲みましたみたいな緩いお話までですね、フリーランスの日常というところで、私が日々感じたこと、思ったこと、考えたこと、実際の体験に基づく学び、そういうことをこれからもどんどんお話ししていきたいなと思いますので、
よろしければ、いいねやフォローして、次の配信をお待ちいただけると、とってもとっても嬉しいです。
それではまた別の配信でお会いしましょう。
サキでした。またねー。
37:58

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