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こんにちは、さきです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。これを撮っている現在は、月曜日の14時過ぎですね。お昼の14時過ぎにラジオを回しています。
はい、初めましての方もこんにちは。さきと申します。私は会社員として約10年ほど広告業界で働いた後、昨年の夏にフリーランスに転身をしました。
独立のきっかけは、勤務先企業の事業縮小、準備期間ほぼゼロでマーケターとして独立し、現在はフリーランス生活も10ヶ月目。
最近はライフコーチとしても活動をしています。はい、というところでですね、今日はですね、あの午前中に書物を集中してギューッとやったので、
午後はですね、これから人と会う、アポの予定が入っておりますので、生骨院に行ってですね、ちょっと懲りをほぐして、体のメンテナンスをして、頭も体もほぐしてですね、アポに向かいたいなぁと思っております。
はい、今日のラジオなんですけれども、あのですね、ちょっと洗濯物を干しながらですね、はい、今お家におりまして、洗濯物を干しながらですね、
洗濯物を干しながらお話をさせていただきますので、少しこの後物音が入ったらすみません。はい、ご了承いただけますと幸いです。
はい、今日のテーマなんですけれども、正しいやり方に固執するのは間違った方法ですっていう、こういうテーマでお話をしていきたいと思います。
正しい方法に執着するのは間違ったやり方なんだよということですね。
はい、なんかあのさっきですね、こうふとお昼ご飯を食べて、ちょっと一息ついている時に急にこの言葉が浮かんできたんですよね。
正しい方法、正しいやり方に執着するっていうのは間違った方法なんだよっていうことですね。
はい、で、どうしてこのお話をしようと思ったかというとですね、
ちょっとですね、あの時を遡って、昨年ですかね、フリーランスのマーケターとしてですね、とあるお仕事をやっていたんですけれども、非常に苦しい展開になった案件があったんですね。
で、まあそういったですね、組織で働いていく上で、なんかあの、これこうあるべきなのに、なんでこんな風にうまくいかないんだろうっていうシーンってよくあるかなと思ったりですとか、あとはですね、一個前の配信でですね、朝のモーニングルーティーン、朝のモーニングルーティーンについて、朝のモーニングルーティーンって被ってますね、朝のルーティーン。
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朝の時間の使い方、モーニングルーティーンについてっていうところもお話をしていたんですけれども、いずれにせよ通ずるお話だなって思ったんですよね。
大事なのは目的ですね。目的であり、目標が達成されることであり、そのための手段っていうもの、つまり方法ですね。
あくまでも大事なのは目的であり、手段っていうものは手段でしかないっていうことをですね、ふと思いだったんですよね。
そう、例えるならば朝のルーティーンですね、モーニングルーティーンをこなすっていうことは、その日一日を整えるっていうんですかね、充実させたものにするとか、自分の人生をより良くするために朝のルーティーンですね、モーニングルーティーンっていうものをするといいよっていう手段ですよね。
手段であって、モーニングルーティーンをすること自体は目的ではないですよね。
はい、なので先ほどですね、モーニングルーティーンは1個前の配信ですね、1個前の配信でモーニングルーティーンっていうのは思考停止でできることが大事だよっていうお話をしました。
で、思考停止でこなすことが大事であり、朝に何時に起きるかっていうのも別に重要ではないと。
で、大事なお仕事ですね、大事なことを自分がベストなコンディションでできる、そういう状況を作るために必要なものなんだっていうお話をしたんですけれども、これもそのままそうかなと思ったんですよね、目的と手段。
で、正しいモーニングルーティーンのやり方みたいな、正しいというかこうイケてるモーニングルーティーンみたいな形ですごくですね、巷にはいろいろなやり方ですよね、やり方っていうものがあふれていると思うんですけれども、それをいくら見たとて、あなたがなんでしょうね、あなたの目的ですよね、こういう1日を過ごしたいなっていうものですよね。
こういう1日を過ごしたいとか、こういう人生を送りたい、こういう暮らしをしたい、こういう人物になりたいっていう目的にそのモーニングルーティーンというものが全くリンクしないのだとすれば、それはやる意味のない行動になってしまうなと思うので、
方法にこだわるっていうのは、結構目的を見失っていると私たちは手段にばっかりこだわってしまいがちなんですけれども、ちょっと違うかなっていうことを思ったんですね。
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本当にこれはモーニングルーティーンでもそうですし、冒頭にちょっとお話をした、仕事がうまくいかないっていうときですよね、仕事がうまく回らないなっていうときに、これはすごく個人的なケースではあったんですけれども、そのチーム何人かで当たっていたお仕事だったんですよね。
クライアントさんがいて、代理店さんがいて、私がいてっていう形でチームでお仕事をしていたんですけれども、最初の方はすごく気持ちよく進んでいたんですけれども、途中から進みが悪くなったときがあったんですね。
どうしてなんだろう、どうしてなんだろうって、なんでこんなに進みが悪いんだろうなっていうことをずっと考えていて、今は無事にちょっと農品データをお渡しするっていうところまでは完了しているんですけれども、
しばらく時間を経って振り返ってみて思うのが、正しい方法、正しい仕事の進め方っていうところですね、そこにすごく執着してしまっていた部分があったんじゃないかなっていうふうに思ったんですね。
これはどうなんでしょう、長年同じ会社にいたりですとか、長年同じ業界や職種でお仕事をしている方は結構共感していただけるかなと思うんですけれども、
長年やっているとノウハウが溜まっていきますよね、ノウハウ・ナレッジが溜まっていって、こういうプロジェクトの場合はこういうステップで進めていくといいですよっていう知見が社内に溜まっていくと思うんですよ、社内であったり自分自身の中にも溜まっていったりすると思うんですけれども、
それにですね、捕らわれすぎてしまったっていうことが、進みが結局のところ悪くなった一番の要因だったんだなあっていうことを思ったんですね。
つまり、正しいやり方ですよね。正しいやり方に固執してしまったから、なかなか進まないっていう結果になった。
だとすればそれは間違った方法だよねっていうことをすごく思ったんですね。
これは私の反省でもあるんですけれども、特に組織ですと、一人一人が自分の中での正しい道順、正しいやり方、自分なりの流儀っていうものを持っているので、そこをですね、うまく折り合いをつけていくっていうことですよね。
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それも大事なことかなあっていうふうに思っていますね。
ナレッジやノウハウですね。ナレッジやノウハウっていうものはあくまでも過去なんですね。過去をベースにしたものっていうことを忘れちゃいけないなあっていうふうに思うんですよ。
そう思ったきっかけも少しお話しすると、また別の会社さんと別のプロジェクトをやっていたときに、すごく品質するワードがあったんですよ。
それが、これが弊社のやり方なのでっていうワードだったんですね。
すごく違和感を覚えて、もちろん私は業務委託としてフリーランスでお仕事を受けているので、これがうちのやり方ですって言われたら極力従うようにはするんですけれども、ちょっともったいないのかなあとも思ったんですよね。
なぜならば、自分たちのやり方通りにやるのであればですね、もうちょっと単価がお安い人にお願いをするとか、それこそ社内でやるとかアルバイトを雇うとか、そういうので全然できちゃうと思うんですよね。
でも、わざわざ安くはないお金を払って外注をするという場合であれば、自分がそのお金を出す側だったらですね、自分たちにはないやり方っていうのを知りたいなって思うんですよ。
私はですね、私はそういうふうに思うなあと思っていて、途中からですね、すごく佐紀さんのヒアリングの仕方とか、肌から見ていてとっても勉強になりましたっていうふうにですね、私も別にレクチャーとかはしないです。
求められたらしますが、求められなければ別に自分のやり方をレクチャーするみたいなことはわざわざしないですね。ちょっとニーズがないのに、そこをやっていくとちょっとただの押し付けになってしまうので、そこは気をつけてはいるんですけれども、そういうふうにですね、
何でしょうね、これまでのやり方っていうもの、ナレッジやノウハウや、何でしょうね、こういうケースの場合はこういうふうにやりましょうっていう、言葉が出てこないな、手引き書みたいなものですかね、
が結構会社だったりとか、自分の中にも溜まっていると思うんですけれども、そこにとらわれすぎないっていうことですね。
そう、なんていうかというと、それはすごくありがたい知恵ではあるんですよ。
かつて先人たち、先輩たちっていうのが何年もかけて何百件とかそういうクライアントさんたちとのお仕事をしていく中で、こういうふうに物事を進めていったら、こういう時にこういうことをしておくと後々困らないよとか役に立つよとか、
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この段階でこういうことをしていくといいよとか、こういうスケジュール感で、このタスクはこれぐらいのスケジュール感がかかるから、これぐらいバッファを見てスケジュールを組むとかするといいよっていうのは、
それはもうすごく貴重な経験に基づくアドバイスであり、すごく貴重なデータなので、使えるところは使っていく、生かしていけるといいと思うんですけれども、
ただ気をつけたいのはそこに囚われすぎないっていうことですね。なぜならばお仕事っていうのは常にライブなので、状況っていうのは刻一刻と変わりますし、同じ状況だとしても受け止める相手ですよね。
相手によって響く響かないとか、合わないっていうものがあるので、正しいやり方、正しい進め方、これが正しい方法だから、ちょっとそこから外れるのは違うみたいな形で固執をしてしまうと、ちょっとそれは方法として間違ったやり方になっていってしまうんじゃないかなということを思いました。
はい、今お話ししていて思い出したんですけれども、すごく象徴的な出来事が小学生、中学生くらいの時にあったなということを思い出したので、最後にそれをお話ししたいと思います。
はい、それはですね、数学?算数?数学かな?公式が出てくるのって数学ですよね、確か。で、ある授業でですね、学校の授業で、公式だったか図解問題の解き方を習ったんですよ。ありますよね。
ちょっと私は本当に文系畑の人で、数学がですね、本当に本当に苦手なんですけれども、公式なのか、とにかくこういう場合はこう解くっていう、習ったんですよね。
で、じゃあその習った直後にですね、先生が問題を出したんですよ。何だったか忘れちゃったんですけど、問題自体は忘れちゃったんですけど、何かの図解があって、ここの値を求めようみたいな、そういうですね、問題がありましたと。
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で、みんながもちろん直前に解き方を習っているわけなので、公式だったのか、それともどこかに補助線を引くやり方だったのか忘れちゃいましたけど、一生懸命それに当てはめて解くじゃないですか。私もそうしたんですよ。
そしたらそれをみんな一生懸命解いている間に、できたって言った男の子がいたんですよ、クラスの中に。え、はやっって思ったら、その男の子がスタスタスタって黒板の前に来て、こことここをこうしたらこうじゃんって、公式なんか一切使わずに解いてみせたんですよ。
で、それが本当だって、何でしょうね、本当に小学校の算数ができれば誰でもわかるような単純なことだったんですね。
単純なことだったのに、クラスのみんなですね、私含むクラスメイトのみんな、たぶん出題した先生もそうですよね、この公式を使って解こう、この公式をどうやって使おうとか、どの公式を当てはめようかっていう頭になっていて、
つまりですね、習った正しいやり方ですよね、正しい方法というものに意識がとらわれてしまっていたから、どの方法を使おうかな、どの公式を使おうかなっていう風に意識がそこに行ってしまっていたから、
一瞬でですね、え、だってこうとこうとこうしたらこうじゃんっていうすごく単純な答えにたどり着けなかったんですよ。これが本当に強烈に残っていますね。
たぶん本当にいわゆるもっとお勉強ができる子っていうのはいっぱいいたと思うんですけど、その真実の答えですよね、目的に最短最速でたどり着いた彼の単純明快な解き方っていうものが本当に強烈に残っていまして、
それでですね、本当にですね、方法は方法でしかないんだなっていうことですね。方法は方法でしかなくて、正しいやり方っていうものは実はない。あくまでも過去のデータに基づいてこうやるといいかもねっていう最大公約数的なものであったりとか、
明らかにこれをやると痛い目見ちゃうよっていうことを予防するための地図を見るとかですね、地図を見るみたいな感じかもしれないですね。
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ここに行くと急な斜面があるから、斜面がありますよって分かっていたら、じゃあちょっと多少遠回りをしてでも緩い道で行こうかなとか、足腰に自信がないからとか、おじいちゃんおばあちゃんと一緒だからちょっと緩めの道のほうがいいかなとか、
あるいは全然急な斜面があったとしても、自分はいけちゃうからこっちのルートで行くわとか判断できたりするけど、そういうふうにですね、あくまで一つのデータ、一つのやり方でしかなくて、
そのやり方に固執することが果たして今のあなたが解決したい課題、取り組みたいことに対して最適解であるかっていうのはまた別の問題であるっていうことですね。
時には公式を無視した方が、公式なんぞ知らんっていうぐらいの方が早く答えにたどり着けることもあるっていうことですね。
はい、なのでちょっとまとめますと、正しいやり方ですね、正しいやり方に固執するっていうのは間違った方法なんですよっていうお話でした。
それは何でかっていうと、方法やり方っていうものはあくまでも一つの手段であって目的ではないっていうことですね。
目的ではないので手段にこだわる必要がないっていうこと。大事なのは目的が達成されること、目的につながることなので、目的が行方不明なのに正しい方法にこだわってしまう。
例えば目的がよくわからないのにモーニングルーティンのノウハウですね、やり方っていうものをいくら見ていてもしょうがないとかですね。そういうことになりますよっていうことですね。
はい、これは個人で何か生活や仕事を進めていく上でもそうですし、グループでですね、組織で人と一緒にお仕事を進めていく上でも何かですね、自分が正しいと思っているやり方に固執しすぎてしまっていないか。
それによってちょっと人と人との摩擦ができてしまって進みが遅くなったら本末転倒なので、自分自身が何か正しいやり方っていうことに固執をしていないか。もし執着してしまっているんだとしたらそれは間違ったやり方ですよっていうことですね。
自分だけではなくてですね、Aさんの言っていること、Bさんのやり方、Cさんのこだわりポイント、そういうのもやっぱり違ってきますよね。
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そういう時にはですね、あなたがもしそれに気づいて、そのAさんBさんCさんがそれぞれのやり方っていうところに固執をして物事がちょっと硬着状態になっているなと気づいたのであれば、じゃあどうやって進めていけたらいいかなっていうことを考えていく。
どの方法が正しいかなっていう、どのやり方が正しいかなっていうふうに考えるというよりかは、どうしたら物事が前に進んでいくかなっていう問いをしていけるとですね、いいんじゃないかなというふうに思いました。
はい、過去のお話、そうですね、自分自身の反省や本当に衝撃的だったクラスのクラスメイトの男の子の体験までですね、ちょっといろいろ思い出しながらお話をしてみましたが、いかがだったでしょうか。
今日のお話がですね、何か自分はやり方っていうところですね、手段に固執してしまって目的を見失っていたなとか、きちんとやろうきちんとやろうって思いすぎてなんだか逆にこう状況がこうなんでしょうね、悪くなっているなみたいなときは、もしかするとやり方ですね。
正しいやり方っていうところにばかり意識が向いていて、目的っていうところがちょっとおざなりになっていたり、そっちを忘れかけているっていうことかもしれません。
なのでですね、ぜひちょっともし思いに至るところがありましたら、あれ、もしかしてこれは正しいやり方に固執をしてしまっているのかな、目的にちょっと意識を当て直してみようっていうふうにですね、思って行動してみると何か現状の打破ができるかもしれないです。
はい、いかがだったでしょうか。洗濯物も無事に干し終わりました。これからですね、生骨院に行ってバチバチに整えてもらって、アポに備えたいなと思います。
はい、本日も最後までお聞きいただきありがとうございました。また次の配信でお会いしましょう。
佐紀でした。