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みたらしさんのゲスト回の2回目

母語が同じかどうか、同じ環境で生活したかどうかで言葉の持つ意味合いが違ってきて

同じ言語であっても完全には分かり合えず、「分かり合えるはず」との思い込みが悲劇を生むのかも

シュウは言葉の持つ微妙なニュアンスの違いに敏感で悲劇を避けられそう、と、みたらしさんは仰って下さるけど

細かい話になるほどに時間がかかるという側面があり…


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収録日:5月9日


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言語や文化によるコミュニケーションの課題
みんなの声を届けよう、樋口塾。
シュウの放すラジオは、誰でもポッドキャストを始められたらいいという思いのもとに集まった樋口塾の一員として配信しています。
それ以外の文化的な経験を持っている人の話す英語って、
言葉の持つコンテクストがないというか、
その微妙なニュアンスまでとらえて、
しゃべって使っている人って、少ないと思うんですよね。
母語が一緒の人、英語の人同士でもっていう感じですかね。
国が違えば、コンテクストも違うかなっていう気も。
でも、メディアの発達とかで、みんな同じものを見て育つようになってるから、
もしかしたら、英語圏とかスペイン語圏とか、
見ているメディアが、影響を受けるようなものが近いんであれば、
もしかしたら、同じコンテクストでしゃべれると思うんですけど、
でも、日本でさえ、日本広いですけど、
私がシンガポールに来て、少し経ってというか、
思ったのは、シュウさんも感じると思うんですけど、
日本人でさえ、完全コミュニケーションってできない。
できてなかったなって。
でも、できるはずっていう、この幻想が悲劇を生んでるなって。
なるほど。そっか。
説明における相手への配慮
はいはいはい。それはでも、そういう側面あるな。
悲劇とまでは意識してなかったけど、ある気がしました、言われて今。
でも、シュウさんはそこの、自分の今使ってるニュアンスと、
相手が捉えたニュアンスがどのように違うっていう、
その差分にすごく敏感じゃないですか。
そうですね、はい。
だから、もう気づいてるから、なんか、
悲劇は生まれにくいと思うんですけど。
本当ですか。いやいやいや、そうでもないですよね。
なんか、細かいディティールを説明しようとすればするほど、
話って長くなるから、
もう、僕は自分の父親に対してそういうのを丁寧に
コミュニケーション取ろうと心がけたタイプではあるんですけど。
あ、大丈夫ですか。
すいません、ちょっと宅配があったんです。
あ、いいですよいいですよ。
すいません。
あ、いえいえいえ。
はいはいはい。
すいません。
いえいえいえいえ。
あ、大丈夫ですか。
はい、大丈夫です。
はい。
で、だから僕はその、自分の父親に対して、
その細かいニュアンスをちゃんと説明すれば伝わるはずと思って、
すごく丁寧に丁寧に言葉を紡いで、
コミュニケーション測ったつもりでいたんですけど、
途中で長いっつって余計キレられるみたいなのがあったんですよね。
だから、細かくすればいいってもんでもないなみたいな感じですね。
刺激を避けようとして、ちょっとよりでかい怒りを買うみたいなことがあったんで、
そこも程度なんでしょうねって思うんですけど。
それも程度なんですかね。
文化によるコミュニケーションスタイルの違い
うん、はい。
私もその説明長くなっちゃうタイプなんですけど、
はいはい。
か、なんかもう異常に短い、一言で終わらすかみたいなクソの。
ほう。
ゼロ百なんですけど。
一言で終わらす。
はい。
あ、それ気になる。面白そう、面白そうって言ってられたけど。
どういうパターンですかね、その一言の場合は。
なんでしょうね。
つまり、こういうことですみたいなことを一言で終わらせちゃいたいときを、
はい。
すごいディテール分からせないとと思って、ながなが説明するときとあるんですけど。
なんか、それも全体的に言って、
日本人はハイコンテクストな文化に育っていて、
上の人が言ったことを、下の人が言葉少なであっても状況とか表情とか立場から読み取るっていう文化を持ってるそうなんですね。
はいはいはいはい。
だから、たくさんの説明をされるってことは、結構その能力に意義を抱かれているっていう読み取りっていう印象を与えるんじゃないかと。
はいはい。
言っていて思って。
うんうんうん。
なんでかっていうと、そういう、
全般的に言って、日本人が持ってる文化っていうのは、受け手が読み取る責任を負っている文化だからってことらしいんですけど、
で、また私の読んだ本の中ではそう書いてあって、
逆にオランダは、ハイコンテクストとローコンテクストの国みたいな感じで、すごい対極にあるのがオランダなんですけど、
へー、そうなんですね。
オランダは何でもすごい説明をすると。
で、はっきり含ませたニュアンスはなくて、はっきり言うと。
まあ人に言うと。
で、こういう文化圏の場合は、話し手に責任があるから、
その相手がわからなかった場合に、聞き手の責任じゃなくて話し手の責任になると。
だからこと細かに説明をする、そうなんですね。
はいはいはい。
だから、もしかしたら、
しゅうさんは、この相手がわからなかった場合に、
しゅうさんの言葉遣いとか、その説明の取得に自分が責任を負っているって思って、
お父さんに説明してるけど、
お父さん的には、その聞き手に責任があるから、
自己表現の欲求
こと細かにしゃべられなくてもわかる能力を自分は有している。
はいはいはいはい。
場合によっては、バカにされていると感じるかもしれない。
うんうんうん。ありそうですね。
ねえ。
そこを感じさせないために、一言で終わらせることがあるっていう話ですかね。
それはたぶんもう、自分が…。
そうでしょ。めんどくさくなった時に。
まあまあ、それも。
いや、僕もそういう瞬間もありますよ。
それはありますね。
一言も言わずに飲み込んで終わるみたいなのの方が正しいかもしれないけど、僕の場合は。
あ、そうか。
そうですね、僕はそういうシチュエーションの方が多くて、
出せる相手にしかしゃべれないから、
しゃべれるときにはなるべく細かく説明して伝えようとするみたいな感じの方が近いかな。
責任を負ってるっていう側面もあるんでしょうけど、
どっちかっていうと、自分がそういうときでしか出せないからみたいな欲求の方が多い気がしますね。
伝えたいからってことですかね。分かってほしいというか、
相手に正確なニュアンスを伝えたい。
伝えられる場面っていうのが限られてるから、
詳しく説明して、ちゃんとわかってほしい。
それも含まれてると思います。
でも、自分が表現したいっていうのも多分にあると思います。
普段我慢してる分、ストレスがたまってるというか。
自分の、なんでしょうね、
心地よさを維持するために、今めちゃくちゃ表現が下手だなと思いながら言ってるんですけど、
僕にとってはそれが生きることそのものなんですよね。
途中で言ったような流されてるだけではあるんですけど、
その流れの中で、もう気づいたときには、生きたいっていう欲求がすでにあって、
それに素直に従ってるだけっていう、その延長の自分にとって自分が心地よく生きるっていうのに、
自分が自分の言いたいことを表現するなり、
その中にはもちろんスタイルも含まれてるんでしょうけど、
人間の特徴とその苦悩
それひっくるめて自分がそうしたいっていうのが、一番割合としては大きい気がしますね。
あれですよね。
私は大きな流れに沿って生きることと、
能動的であること、自分の意志で何かを動かすことを対比として出したようなニュアンスになっちゃいましたけど、
でも、大きな流れの中で自分の出来事が変えられることっていうのもあるから、
別に対比ではないんですよね。共存というか。
でも、流れの中にあるものですよね。
うん、て僕も捉えてますね。
その範囲の問題というか、
範囲?
範囲、べきとか必要あるとかっていうのは、
大きな流れ全体に適応するんじゃないかという概念というか、
でも、私としてはそれが人間の特徴かなとも思うんですよ。
それがなければ多分、科学もここまで発展しなかっただろうし、
人権っていう概念もなかっただろうし、
こうあるべき、こうであるはず、
家庭法みたいな、実際には今はこうではないけどみたいなのが、
人が持つことによって、人権とかそうですけど、
実際にはそういう状態に今はないけれども、
小さな個人一人一人がこうなのかもしれないっていうことを持つことによって、
なかったものがあるようになるんじゃないかなって思ってて、
それが私の中の多分人の意思で何かを変えるとか、
必要があるんじゃないかっていう感じるところは、そこの理想の形なのかなと思ってます。
それもあると思いますね。
だからその、何でしょうね、人間の特徴、大きな特徴の一つだっていう感覚があるから、
なんかそこに自ら縛られる構図になった場合に、
そこに自ら築くために気をつけてるみたいな感じ?
そういう、人権とかっていうものが生まれるきっかけとして、
何かをべきみたいなものとか、必要みたいに感じる特徴がそもそも人間にあるっていう話をしてくれたのかなって捉えていて、
まさにそうだと思っていて、歴史の流れの中でその時に人間の特徴が発揮されて、
ある意味必要性が出てきてみたいな言い方もできるかもしれないけど、
そういうふうに存在する特徴であるということもすごくそう感じ、僕もそう感じている。
ただそれが、その特徴によって自分自身が苦しめられる構図になっちゃうシチュエーションも多々あると思っていて、
自分たちの特徴によって自分たちが苦しめられるとしたら、
特徴についての意識
じゃあ一旦そこはもう一回見直そうかっていうふうに、気をつける必要があるものとして捉えている。
だからそれこそ0、100じゃなくて、その瞬間瞬間にその特徴がいいふうに働いている場合もあれば、
全く真逆で苦しめられるものとして働いている場合もあるから、
気をつけて、古典とかの言葉で言うとメタ認知とか引いてみるみたいなことが大事だと思っていて、
だから僕はコミュニケーションを取るときにも、どっちの意味で使われているかなみたいなのを気にするみたいな、
そんな感じがあるっていう感じですかね。
なるほどね。
同じ、その一つの特性なんだけど、どっちに触れるかっていうので変わってくるだけですよね。
そう、はい。
いいほうに触れるときもあれば、それで自分自身を苦しめるときもあるし。
そうですね。
それはどうしようもなくというと、ちょっと否定的に聞こえるかもしれないけど、
さっき三浦さんおっしゃってくれたみたいに、それが人間っていう特徴の大きな一つだと思っているからこそ、
そのことをもう一回、今の自分にとってどうかなっていうのを、
ある瞬間に決めたらもうそれでずっとOKってことは、
他のことも全てそうですけど、そういうことがないから、
気をつけ続けるみたいなのが、生きることそのものだよなみたいに思ってるっていう感じかな。
大切な私のわからなさと向き合い続けるみたいなのもそういう感じ。
あー、はいはいはい。
それと付き合い続けるのが生きることそのものかなって思ってる。
うんうんうん。そうですね。それと同じ構図な感じがします。
うんうんうん。
なんか、そうですよね。どちらに振ってもなんか、
この瞬間はいいかもしれないけど、違っていっちゃうかな。
でも、なんだろ、辛くありませんか?
えーっと、その気をつけ続けることがっていうことですかね。
はいはいはい。
まあ、辛いという表現もできるというか、辛いと思ってきた気はしますね。
この2、3年になるまでは、ずっと辛いと思って生きてはきましたね。
うん。
私も辛いですね。
あ、今も?
今はどうだろうな、そういうものかなってなんか思い始めましたけど。
はいはい。
人間関係とコミュニケーション
僕はそれこそ、コテンラジオにすくってもらった感覚ですかね。
うんうんうん。私もです。
あははは。
あと、しゅうさんが、自分が考え続ける特性だからっていうのも、あ、そうかと思って。
はい。
私も考え続ける特性ならしょうがないかーって。
そうなんすよねー。
なんでしょうね、でも、さっきちょっと父親の例出させてもらったんですけど、
長いって言ってばっさり切り捨てるみたいな、うちの親父は割と切れやすいというか、そういうタイプなんですよね。
で、どっちかっていうと、すごい頑張って力を身につけて、なんとか生き抜いてきたぞ、みたいな感じの人なんですよね。
だから、それによって、ある意味うるせー知るかーみたいなのを、いろんな家族なり従業員なりを、
俺が黒だと言ったら白いもんでも黒だ、みたいな、そんな感じでやってきたように僕からは見えるんですけど、
ある意味、僕はそれが性格的に無理だから、羨ましいなと思う面もどっかにはあるんですけど、
なんか、その分、それによって得たことと同じだけの反動を、ある瞬間には親父もくらってるような気がして、
目的達成のための行動原理とその限界
なんか、じわーっと常時、うっすらだけどつれーなーみたいに感じてる僕の感覚と、
そうやって、ある時に思い通りにガーッと動かしたことで、気づいてるか気づかないかは別として、
それと同じぐらいの反動を受けてる父親って、どっちがつらいのかなーみたいに思ったりもしますね。
僕だったら、そのめちゃくちゃでかい反動が返ってきてるなって見えるときの、その反動、僕受け止めきれないですもんね、絶対。
だから、そんだけの反動みたいなものを受ける方が僕にとってはつらいだろうから、
ちっちゃい波のところに居続けようとしてるだけっていうか。
そんな感覚かな。
そうですね。難しい。
うん。難しいんですけどね。
父さんの生き方も、その時はそうせざるを得なかったというか、
やっぱ、私も人を雇ってみて、
雇われたことがあるんですね。
あ、いやでも、こっちはあれですよ。お手伝いさん制度みたいな。
あ、はいはいはい。それのことですね。
そうそうそう。お手伝いさんを雇ってみて、細かい会話がうまくいかない、機能しないときって多々あるんですよね。
うんうんうん。
だから、分かんないけど、
お父さんのその、積み重ねたこの経験上、
白を黒にするときに細かい対話を重ねるということが、
機能しないだろうなって思って、
そうしてきたから、だんだんそれが成功体験として、
この方法っていうふうになってったのか、
もともとのその性格上なのか分かんないんですけど、
細かい対話をすればするほど、
時間と労力もかかるし、
目的達成、今あるこのやりたいこと、目的達成のためにやってるんだけど、
そこから、
ここへたどり着くまでの、
かけるリソースとして、
ゴールが同じであれば、
ワッていったほうが、お互いいいんじゃないかなって思う。
そういう風景も多々ある。
対話が機能しない場面
人間と分かり合うっていうか、
ゴールがどこにあるのかっていうのもまた違うと思います。
分かり合いたいんであれば対話を重ねる必要があるけど、
何かを目的達成をするために、
授業とかでこういう方針に転換するってなったときに、
人々をそっちの方向に動かすってなったときに、
私は対話がすごく大事だと思ってきたんだけれども、
対話が機能しないという場面で、
思い知らされたというか、
分かり合えるというのはローマンだったなっていうこともまた思い知らせたので、
平安人がすごい、要は無情だなって思うこともまた。
そうですね。
分かり合い?
そうなんですよね。結局はその欲求として、
自分が生きることそのものみたいに言った、その欲求によって動いてるだけだから、
ある瞬間にはうまく機能してるし、そういう結果が出てるけど、
今後もうまくいかないときにはうまくいかないっていうか。
ただ、どうしようもなくそういう欲求で動いてしまうから、
そうやって動いてうまくいくときもいかないときもあるよねって、
あらかじめ思っておくことで楽になるみたいな。
そう捉えているかなーって思うので、
結局は、
そう捉えているかなーって思うので、
結果はゴールとか、さっき三太郎さんおっしゃってくださったゴールとかは同じかもしれないんですけど、
それを意識しておくかどうかで、だいぶその楽さは違う気がしてますね。
少なくとも僕に関しては、常時なんとなくつらみみたいなのを感じてるから、
どっちに転ぶかわかんないよねっていうのを常に意識しておくことで、
若干そこが和らいでいるみたいなところはありますね。
その意味でもコテンラジオにすごい助けられたなっていう感覚はめっちゃあるんですけど、
次回へ続く。
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