自己コントロールと責任
前回からの続き。
もうその時には本当にめちゃくちゃ相手を同化するような言い方をしちゃいますみたいに僕言ったと思うんですよ。
で、めっちゃくちゃそう見えないですねってしゅらさんが言ってくれたのも未だに覚えてるっていう。でもよくあるんですよ。
そう、怒るように見えないとか。でもめっちゃあるんで僕にもその親父と同じように
その相手をコントロールしたいだったり、要はコントロールされたくないの裏返しだと思うんですよね。
僕の感覚としては。
コントロールされたくないから、あれしたくなるってこと?
したくなるというか、されないように先にコントロールしたいってことですか?
なんていうか、それもあるのかもしれないですけど、僕のイメージではコントロールされ本当にされるって自分が思っちゃうほど近い関係になっちゃうと、それをされないためだったらもう相手からしたら表現したって感じられるぐらい
そういうの言い方をしちゃうだったり、そういう顔つきになっちゃうだったりっていうことがあると思うんですね。
で、その自分が僕も今でもめっちゃくちゃ嫌で、今も言いたくないと思いながら言ってるんですけど、
本当にそう思えないって言ってもらえるような人に最終的にはなりたいって本当は思ってるんですよね。
自分の中からその激しいというか、人を傷つけてしまう面が消えてほしい。本当にゼロになるかわかんないけど、少なくともほぼほぼ制御できるぐらいにはなりたい。
制御というか、自分で納得した上で、ある程度自分の本音もちょいちょい日常生活の中で出せるような自分になっていたいって。
強烈な思いが結構あるんですね。
だからこそその練習に、相手として最適なのは親父だしって思ってて。
っていうところに、ちょっとごめんなさい、話ぐるぐるしちゃってるかな。
そんな感じでした。
そうですね、最初の九州知事さんの時におっしゃってましたね。
覚えてらっしゃいますか?
親子の関係と責任の取り方
家族だからか、奥さんには結構ぶつかっちゃうというか、
あえてぶつかって、本音を受け止めてほしいじゃないけど、結構きつく喧嘩するみたいな。
意外ですねって言ったことがあったんですね。
そうなんすよ。
さらにね、関係があの時より深まって。
さらに意外ですよね。
そんな面見えないですからね。
さらに意外か。そうかー、ダメだなー。
たまにしゅうさんが話してると、聞いたことはしてないんですけど、ここ譲れないんだってポイントがあるんだなっていうのはちょっと垣間見えるときはありますよね。
具体例がちょっと出てこなくてあれなんですけど、めっちゃ失礼な話なんですけど、そこそんなこだわらなくてもいいところなのに、絶対譲りたくないんだなっていうポイントが垣間見えてますね。
いいですね。
今の話聞いてて思ったのはそこなんですよ。
そういうポイントが、さらに身内だったり関係性に発言すると、さっきのお父さんとの喧嘩みたいなことになるんだなって聞いてながら。
そうなんすよ。
難しいって言われるんですけど。
なんかあれですよね。今ずっと話聞いてて。
今回3人が持ち寄った話って共通するのは、責任を取るって言うとあれですけど、自分の選択で責任が取れるのかみたいな話なのかなと思うんですよね。
僕はぶっちゃけて言うと、さっき業務改正しましたみたいなことをちょっといろいろ言ってましたけど、まあまあ会社的にアウトなことやってるんで、僕正直言うと。
え、アウト?
会社によっても首になってもおかしくないようなことはやってるんで。
ただ、え?
だからあんまり詳細が言えないんですよ。
ちょっとまだ想像できてないけど。
結論としては、でもそっちの方向で進んどいてよかったなっていう。立場的なところも含めて。
ただ、その分で怒られたらすみませんって言うしかないんですけど。
しゅうらさんはこれから無責任というふうに表現されてましたけど、今まで取ってなかった選択肢を取ろうとして、その中での起こったことに対しては責任を引き抜いていこうっていう感じだったんで。
しゅうさんの場合は、違う選択肢を取りたいのに変えられない自分みたいなのが出てきてしまって、それをどうにか除きたいみたいな感じ。
でも、とはいえ変えられない自分でやったことは、責任というかその結果を引き受けないといけないわけじゃないですか。
なるほど、確かに。
お父さんとしばらく連絡が取れないみたいなことがあったりもする。
あれなんですね。
聞くことが自分も含めてですけど、いろいろ選択だったりとか、責任とかいろんなことをコントロールできるように思ってるんですけど、
それがうまくいってるうちはいいんですよね。どっかの瞬間で、しかも予想もつかないようなところで、それができない瞬間が自分の中から顔を覗かせるわけじゃないですか。
それに対してどうやって向き合うかって結構難しいし、難しいというか想定できないよなって聞きながら思ってましたね。
だって僕も、しゅらさんも、秀さんの話聞いてて、そんなになっちゃうんだって思ってたと思うんですけど。この秀さん。
なっちゃうんだと思うんですよね。家族に出るってことは関係者に近くなれば出るってことだと思います。
なる自分じゃないほうが嬉しいんですけど、そうならない自分のほうがいいなって思っても、でもしょうがないんで、そんな自分なんで。
出ちゃうんですよね。でも出た以上は、結果はやっぱり何かの形で自分にも影響を及ぼし、相手にも影響を及ぼしってことだよね。
でも今のなぜぐるさんの話聞いて思ったのが、僕、責任っていう言葉はあんまり好きではないというか、責任なんてことってこの世にあるっけ?ぐらいに普段思ってるタイプなんですけど。
自分にもあるんでしょうけど、ちょっとごめんなさい。自分のことよりも親父のことの方がわかりやすいもので、親父に対して感じたみたいな話で言うと、
親父はそういう、普段すごく穏やかで、でもある時、評辺したみたいに貫き通すみたいなの、相手がぶつかってきた場合みたいなのが、跳ね返ってくる相手がいないんですよね。僕以外。
受け流すことと自己表現
そういう状況だと思ってるんですよ。でも僕はそれは裏でめちゃくちゃ親父が知らない、親父以外みんな知ってるけどみんな駆け口叩いてるよっていう状況なんで、そこについては親父はなんかただ知らないっていう状況によって、ある言い方をしたらその責任を取らなくていいみたいな。
他の人たちはみんな自分たちがその傷を、その人たちが追って、自分たちが傷つくことで、駆け口は言うけど親父にはその責任を取れっていうことを言い返さない。でも僕はそこにすごくフェアじゃないなと思ってるんでしょうね。
だから僕の感情を出したいっていうのがもちろん先にあるけど、いやいやそのあなたがやってることおかしいよと責任取ってないよみたいなことを多分言いたいだなって思いました。さっきの話聞いて。
お父さんの態度だったりとか言動で、相手に与えてる被害があるのに、その反発を受けてないから駆け口を言われてるけど、あなたがどれだけの傷を与えてるか少なくとも認識しなさいよってことを言いたいと思います。
言いたいんだと思います。
衆参の立場的には、さっきのここから出てくるというか通じないような衆参の立場からすると、お父さんが今まで培ってきたような権威だったりとか、
権力を重ねてきたような戦法が通じないので、それをわかってもらうためにもやってるという意識がある。
後付けなんですけどね。
でも今謎口さんの話を聞きながら感じたから、そう思ってた自分もどっかにいたんだろうなっていう程度ですけど。
ただ一方で、見方を変えると、お父さんのそういう性質があったからこそ会社が続いてきて、
結果的には、いろんな人には嫌な思いをさせたかもしれないですけど、それで暮らしていける人がいたわけで。
その面でのいろんな生活を支えてきたっていうのがあったりとか、洋服店があることで地元の人たちが入手する場所を提供してたってことでは価値がある。
すべてが両面っていうことで言うと、書いて逃げみたいになっちゃいますけど、両面というのは違う層にあることなんだなって思うんですよね。
資本主義的な文脈でいうところの成果と、人間の性質としての行為と結果みたいなことは繋がってはいるんですけど、
でも判定するときは判定しないといけないヘイドもあるよねっていうことかなと思います。
それも含めて、責任というか、自分の起こしにやったことがどういう形で返ってくるか読めないなって思っちゃいましたね。
読めないけど、読めないしコントロールできないよなって。
ちょっと今のなずくろさんの文脈とまた違って話が戻っちゃうかもしれないんですけど、
ちょっと感じたことだけせっかくだから表現させてもらっていいですかね。
僕が親父に対して今は練習的にぶつかり合うっていうのをやりたい時期ではあるんですけど、
次にその機会があるなし別として、こういうふうな状態が理想だなぁみたいなことが今聞きながら浮かんできたものがあって、
なんか、親父が言ってきたことに対して自分の中ではストレートに反発するみたいなことしか今は反射的にはできないから、
それこそしろさんが最初に言われたみたいな、AかBかって言われたときに、AかBを選ぶしか僕にはたぶん今できてない状況だと思うんですね。
でもしろさんが言ったみたいに、どっちも別にいつでも好きなときに俺は動くんだよっていう、
まあまあまあみたいなことが最終的には言えるようになりたいと思ったんですよ、今日ずっと通しで話してきて。
で、たぶんでも僕以外の人もみんなそうなのかなと思ったんですね、親父が無理難題を出してきて、
基本的には飲むしかなくて飲むっていうのを繰り返してきて、お袋みたいに、お袋とか長いこと言ってくれる従業員さんも結構疲弊して疲れ果ててでもしょうがないから、
でも、なんかどっちも選ばなくても自分らしくただ接してて、最終的にはですけど、最終的には僕もその親父が何か言ってきたら、まあまあまあなり、いやいやそれはやんないけどなり、
でもしれえっとしてるみたいな、どんなに親父が怒ろうが平気な顔して笑いながら受け流してるみたいに、最終的にはなりたいビジョンみたいなのがさっきは言ってきちゃって、
でももしそんな風に、本当にこの人生でなれる自信はまだ全然ないですけど、もしなれたんだとしたら、そういう今突きしたがっている人たちも、なんかそういう手もあるかみたいに思ってもらえるかなみたいに、ちょっと思ったりしました。
そうですね。その手が、AかB以外の手もあったんだと思えば快適になりますからね。
だから修羅さんが言ってくれたこともすごくヒントになったし、なんとくるさんがその責任っていう観点で整理してくれたことがめちゃくちゃ役に立ってるなと思って、すげえありがたかったです。
修羅さんの言うとこのAはこの帽子をかぶれで、Bはこの帽子をかぶらない。Cとはまた違うけど、それをうまくいなすことができるのかみたいな。行動というよりもその態度が欲しいって感じですね。
そうですね。
具体的にこうするノウハウとかっていうよりも、そういう性質のところに直面した時に、どういう心境でどういうふうにいなせばいいのかなみたいなことを体得したいって感じですよね。
そうですね。僕の中では、ある程度自分もその反発というか負の感情を出すってことを本当に慣れた上で、本当に俺平気だなって深刻思えないとそこには行き着けない気はしてるんで、全然自信はないんですけどまだ。
でもそうしたい自分がいるなっていうのはなんとなく残したかったんで、言うだけ言ってみたみたいな感じですけど。
いやー、できるかわかんないけど、そういう発想が持てたことがありがたかったんで、本当ありがとうございます、今日お二人に。
いやいやいやいや。
めっちゃ感謝します。
そんなつぶやく話聞いてもらって。
いやいやいやいや。
そうですね。修さんの話を聞いてて、勝手に想像したら、そんな汚い帽子がどうのこうのって言われた時に、避けるというか、
あ、そう、そんなに汚いかね、みたいな。うちに汚いと思わないけどね、みたいな。書いてをちょっと細かにするみたいな。
なんでそんな怒ってるの?みたいなのを言いながらいるようなのをちょっとイメージしながらいたんですけど、
自分もそういうキャラクターができないというか、ちっちゃい頃にはいたんですよね、そういうキャラクター。
えー、そうなんだ。
多分いたと思うんですよ。ちょけて、なんていうか、そういう言葉いますよね。
そういう言葉はいる。
イメージめちゃめちゃわかる。
でも修さんもイメージできないっていうだけで。
イメージできない。
だけど大人になるにつれて、特にやっぱり高校の時の体験が大きかったと思うんですけど、
俺高校で陸上部の先生が結構厳しい先生で、
でもその人についていって、失敗もありましたけど成功もして、
その体育会系の上学関係の中で育ったんで、そこで結構、そこでの成功体験が大引いてるかなって。
成功体験が大引いてるって感じなんだ。
たぶん辛いことはあったんですけど、でも結果的には成功してるんですよね。
なるほど。
どこかで答えはあると思ってるし、スポーツやってきたんで。
スポーツってやっぱ結果が必ず出るじゃないですか。立ち負け出るし、
ルールも単純明快なんで、そんな社会みたいに複雑なことはないじゃないですか。
ルールに従わなければゲームに参加できない
だから必ず答えを出そうとするし、求めるし、出したら出したで正しいことを証明したいと思うんですよね。
ルールに従わなければゲームには参加できないので、スポーツは。
ルール違反っていうのはもうないじゃないですか。
だからルールに、ルールそもそも疑う、ちょけるみたいな行為はプレイヤーとしてはNGというか、参加できないので。
やってもしょうがないですもんね。
そうそう、やってもしょうがないんですけど。
このルールムカつくって言ってもルール変わんないから、このルールの中でどうやって結果を出すかって話ですよね。
そうそう、ルールの中でどうしてもそのルールの中で結果を出そうっていう意識になってしまうんですけど、
そもそもね、高校の部活で帰宅部とかそういう部活に入ってない人からすれば、
なんでそんな一生懸命やってんのみたいな、ちょっと細かいする態度みたいな人もいるじゃないですか。
でも社会はそういうものなんで、ルールも必要かなと思って。
昔はいたなって思って、いったい自分をちょっと見つけたいなって。
そういう態度を取ってみると怖いんですよね。
怖い?
怖い。そういう態度を取ろうと思う時も多分あるんですけど、
なんかそれをやって、先生のせいにするはあるかもしれないですけど、先生とか親に怒られた。
怒られて、それをしないことによって収まった。怒られなくなったっていう体験があるんで。
だからあえてそれをやろうとするとやっぱり怖いですよね。今までの人にとって怖いです。
そうですよね。
それこそなんかまたちょっとただの言葉じりを言ってるだけかもしれないけど、
その責任を取りなさいって言われてきた世代だと僕思っちゃってるもんで、
それの行き過ぎたものが自分の中にはすごく残ってて、
だからその場に応じて臨機応変だったり、一貫した姿勢と見られないような態度をなかなか自分が取れないみたいなところもありますね。
どんな自分でもいいんだみたいになりたいと思いつつ、なかなかできない。
なんかね、あのときにしゅうさんはどうしたらよかったのかみたいなことをちゃんと考えてたんですけど。
あのとき?
あのときで帽子のこと言われたときに。
あのシミュレーションあんまりしてもしょうがないっちゃしょうがない。
いやいやいや面白い案の一つとして。
なんか考えたのは帽子のこと言われたんだったら、
でも知ってる話かもしれないですけどお父さんのお店にはしゅうさんのおメガネにかなうものはないので、
似合うものがないので、
じゃあちょっとまた今度日を改めて帽子買いに行くんでついてきてくれない?って言うとか。
ただね、本質は帽子じゃないんですよね、ここでは。
帽子?
帽子ではないですね。
本質はお父さんの言うことを聞くかどうかってことを試される。
今まで散々それできたっていうのは染み付いてるから反射的に出たって感じ。
なんですけど、だからこそそこで違う軸でこう。
僕はそういうことじゃないんだけどなって思いつつも、こっちのペースに巻き込むとか。
じゃあちょっと親父、服詳しいからアドバイスくれよ、今度デパート行くからさみたいなぐらいのちょけ方じゃないですけど。
そっちじゃないんだよなって方向に行って。
それがね、そのとっさんのときに逃げるかどうかみたいなのがまた別です。
なんていうか、ちょけ方ではないんだよなっていうのが一つ。
自分がそこに本当に反応しない親父のコントロールを、もう全然何言われようが俺はされないんだという自分になってないと、
その表現、言葉の表現ではなくて、ちょけられない気がする。
波風たる。
自分自身との向き合い方
あ、ごめんなさいごめんなさい。
やっぱりしゅうさんの中でどうしても、今までの話聞いてて、お父さんに対して許せない部分がまだ残ってるんだろうなっていうのは。
あります。それはあります。
そこはやっぱり鍵じゃないかなって思うんですよ。
許すって言うとあれですけど、許すって言うとお父さんのやってきたことを全部肯定するっていうようなことではなくて。
じゃないですね。
その豪語も含めて、お父さんがダメだってことを認めてみると、言葉で言うのは簡単ですけどね。
その許せるほどの自分にまだ成長しきってないみたいな、またちょっと、ただこねくりましてだけかもしれないけど、
しゅらさんが言われてたことでまた思い出したのは、さっき僕、勝手な理想像を言いましたけど、
その時の僕はもうビビってないんですよね。
しゅらさんがさっき、怖いじゃないですかって言ったじゃないですか。
ちょっと文脈として、違う自分、今までそうだと思われてた自分と違う自分をやるのが怖いっていう、文脈とはまた違う意味でただ怖いっていう単語に反応してるだけですけど、
あ、しまった。
俺、すごいビビりだったって思ったんですよ。さっき理想像を言った後に。
そのビビりを想定せずにさっきの理想像を言っちゃったなって思ったけど、
でも、なんか、そう、ビビりながらでもいいけど、なんか、親父が何言ってきても、平気だみたいなのがもっと強くなれば、その瞬間ビビりながらかもしれないけど、
さっきのなずぐるさんの許すっていうことは、自分が平気だって本当に思ってないと許せない気がするんですよね。まだ本当に怖いとか、
ビビりの心は今反応してるけど、本当は大丈夫だって心底を思えてたら、許せる自分になれる気もしましたね。
選択肢とコントロール
なるほど。
そうですね。
まだまだ、もし会う機会がまたあったとしたら、まだまだぶつかると思うけど、それも織り混ぜつつ、
まあでも、あんまりシャレにならないぐらいの揉め方にならないように、こういう場所で話して、すごく思考としては整理されてる部分があるから、
めっちゃその場でも浮かぶと思うんですよね、今日話したこととかも。
だからそれで多少、回転速度っていうか、今後会える回数とかも限られてるかもしれないから、
なるべく会える間に、より良い状況にっていうのを思い描きながらいきたいなーっていうのが今の感覚ですかね。
すいません、なんか後半僕の話ばっかりあれになっちゃって、すいません。
今日は3人の話があんまりつながらないかなとか、途中僕がチェックインとして僕の話し始めたときはちょっと思ってたけど、
なーずぐるさんがやっぱり見事につなげてくるなーっていうのは思いましたね。
それよりは全部つなげようと思います。責任と選択で!っていう感じでつなげますからね。
聞いて思ったのは、選択肢みんないろいろ取ろうとしてるけど、やっぱ取れない場面もあるんだよなっていうのをしゅーさんの話を聞いてて。
コントロールできないっていうのを念頭に置きつつもコントロールを生かして、たずらに生きろうとしないといけないよねっていうのをちょっと思ったんで。
いやー、めちゃめちゃありがたかったです、僕的には本当に。
本当にありがとうございました。
僕的にはすごくスッキリしていい回だったなっていう感じですけど、お二人が話し残したこととかがなければ時間的には大体いい感じになってきたかなーなんて思ってるんですけど。
ちょうどいい塩梅ですかね。
大丈夫ですか?しゅらさん、後半とかはあんまり発言的に聞いてくださるに結構…。
全然大丈夫です。
大丈夫ですか?わかりました。
わかりました。
じゃあ、今回はこんなとこで終わっておこうと思います。
今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
失礼します。