ポッドキャスト配信の背景と理念
みんなの声を届けよう、樋口塾。
シュウの放すラジオは、誰でもポッドキャストを始められたらいいという思いのもとに集まった、樋口塾の一員として配信しています。
ひ孫のことを考えている。
2020年12月31日、なんでポッドキャストの配信をするのか。
コテンラジオの樋口さんの影響っていうのがまず…。なるべくお金を使わない生活をしている…。全部循環の中に居て、
地球に対する恩返しのような形でノグソをやってる…。
地球に起きていることを、小っちゃ頃から自分ごととして捉えているというか…。
俯瞰した観点を持てば分かると思うんです…。
ご飯と味噌汁は羽釜で炊いてる…。お米だけ作り始めたっていう…。
HSS型HSP…。
相方欲しいなぁ〜…。
シュウとショウの未知の理への道のり…。
今自分たちが何の上に成り立ってるのか…。
職場を辞めさしてもらいたいです…。
5万円だけ稼いでるっていう、それすらも今捨てようとしてるんすか…。
競争を生み出しやすい原因としてお金があるってボクは…。
アウトプットが先っていうか…。
どういう感じなんやろうな…。
そのリミット、2050年とか、体感的にありません?
今のままだったら本当にまずいんだろうなっていう…。
フェードインスタイルの雑談
頭では分かってます…。
僕ってそれが気になるぐらい、ビビリなんですよ…。
さすがに伝わりました…。
小さい邪馬台国みたいなの作るんじゃないですか?
え?
龍源さんの今の現代社会は
あらゆるサービスは不安OSでできてる
安心OSに変えていこうって
アウトプットが先っていうところとめちゃくちゃ一致して
根っこの方に直接アクセスしようっていうのが僕の
シュウの放す
ラジオ
こんにちは
ありがとうございます
すいません、時間かかっちゃって
いえ、なんでかわかんないですね
僕もわかんないんですけど
いや、なんか携帯からは入れるんですけど
え?
なんかパソコンから
私普段Discord使ってなくてパソコンで
はいはいはいはいはい
で、なんか手間取っちゃいました
あ、本当ですか?
携帯からなんですけど、これ
大丈夫ですか?
あ、今
今?
あ、はいはいはい、大丈夫ですよ
大丈夫ですか?
はい
もう、あの
これYouTubeライブ用のやつなんですよ
あ、そうなんですか?
はい、ただあのプライベートライブって言って
もう完全に僕しか見れないライブを
今配信中みたいな状態なんですね
あ〜
はい、でもその録画が要は
動画として録画が残るんで
はい
それをポッドキャストに音声だけ使っちゃえるっていう
それを使おうと思ってるんですけど
構いませんか?
あ、大丈夫です、すいません
いえいえ、こちらこそ
いや〜
ありがとうございます
なんかお顔見るのめちゃくちゃ久しぶりですね
ね、めちゃめちゃ久しぶりですよね
僕の記憶では
あのなんだっけ
インプッターの集いとかに来てくださったような気がしたんですけど
なんかもうだいぶ遥か昔ですよね
ですよね
いや〜やばいな
私あんまりそういうのに参加できないんで
結構夜じゃないですか
当たり前です
そうですよね
あの時は
あれは夕方でしたっけ、夜でしたっけ
で、なんか夜参加できる時がすごい稀なんで
はいはいはい
そう
その時はちょうど運よくみたいな
なんか運よく
お〜
娘が友達行ってるとかそういう時が
はいはいはいはい
なるほど
いや〜なんか本当に嬉しいっす
僕の中では
ありがとうございます
こちらこそありがとうございます
なんかあの最近は僕あんまりこうキチっとカチっとご紹介してみたいな感じで
そんなにやってなくて
雑談みたいなのをフェードインみたいにして
もうポッドキャストでそのまま使って
なだれ込んじゃうみたいな感じにしてるんですけど
その方があんまり緊張しなくて
僕も緊張しなくて済んでみたいなところがあるんですけど
どっちがいいですか
一応ご希望に沿ってって感じで始めてるんですけど
あ、いやどっちでもいいです
だから
ありがとうございます
どっちでもいいですって言ってくださる方が幸い多くて
そんな感じで入ってるんで
たぶんこの部分も使っちゃうと思います
話題の分からないの程度問題
もし問題なければですけど
でも一応あれですね
みたらしさんですって言っとかないと
はっきりわかんない人もいるかな
今お話ししてるお相手みたらしさんです
樋口塾のお仲間で
雨とまどわくってポッドキャスト配信されてますね
はいこの間久々に配信されてて嬉しかったです
だいぶ久々2、3ヶ月ぶりに上げました
でもそんなもんか
なんかもうもっとすごく空いてたような気がして
2、3ヶ月ぶりでしたっけ
あ、ちょっと詳しくちゃんと見てない
いやいやでもいいですよね
ほんと凄く好きで
ありがとうございます
しっかり考えてっていうところを
すごくいつも見習いたいなと思うんですけど
なんか収録始まってると
僕いつもそれ忘れて
うわずった喋りになるなーって
僕は勝手に自分のこと思ってるんですけど
あそうなんですか
はいだからもう今日は何を話そうとかは
もう全然考えてない
あの事前にテキストでやりとりした時も
そんな風にお伝えしたんですけど
その場の流れに任せるのはそうですけど
よく考えて喋るっていう
言語によるニュアンスの違い
ちょっとみたらしさんの真似をさせていただこうっていう
それだけ今日は意識して喋ろうと思ってるんですけど
そうなんですか
多分それだとだいぶ沈黙が続く感じになると
お互い
めっちゃ良くないですかでもそれ
あーそれもまた
なんかほんと最近そう思ってて
沈黙
まあ本当にめちゃくちゃ長かったら
カットするかもしれないけど
そのどのぐらい考えてるんだなーっていうのも
結構大事だなーみたいな感じがしてきて
なんかそうなんですよ
全然言えてない
上手いこと言えてないんですけど
この前やび…違うやびさんじゃない。なっちさんとムロさんの対談で
聞きました?わからな性についてみたいな
ちゃんと理解はできてないですけど
一応1回は聞きました
また聞き直そうと思ってて
まだ2回目聞いてないんですけど
あれってすごいあそっかと思って感じたことがあって
はいはいはいいいですねはい
なんか多分私突き詰めれば小さい頃からなんですけど
全部わからないなって思ってるんですよね
全部?
全部なんか100%わかることってないなって思ってて
結構小さい
あー小さい頃からなんだすごい
だからわからなさと一生つき合っていくんだなって思ってて
だからなんだろう
結構数学とか苦手で結構あれって
なんか突き詰めたらわからないじゃないですか
わかったことにして進まないと
小中高って進めないじゃないですか
数学もってことですか
はい
なんか意外でした
数学みたいなのは一応ちゃんとした答えが出るけど
それ以外はあまり出ないみたいな話はよく聞いてたもんで
その数学のパキッとした回答ですら
本当はわかんないじゃんみたいな感覚があるっていうことですかね
こうなって
なるほど
それすごい
数学の素養がないだけだと思うんですけど
いやいやいやいや
ちょっとじゃあそれで言うと1たす1は2とか
それはオッケーってことですか
それですら本当はわかんないってことですか
うんなんかそれはわかったことにできるけど
でも突き詰めたら
それもわかんないじゃんって思ってるって感じ
そこはなかなかですねすごいですね
それもわかんないか
そうなんか便宜上そうなってるけど
でもなんか本当は違うかもしれないなって
なんかずっとそういう感じがあって
結構生活全部そうっていうか
身の回りのこと全部なんかこう
わかったことにできないというか
わからなさに注目している部分
性質なんだろうなと聞いてて
それ聞いて思ったんですよね
なんかお二人物事には
わかる側面とわからない側面って必ずあるはずだけど
なんかその便宜上6割7割わかったら
わかったことにできないなっていうのが
世の中そうしないと回っていかないし
そうだよねでもわからないっていう側面もあるはずなのに
それはないことにしたりとか
逆にわかることが少しあるのに
全部わからなくなったりとかするよね
全部程度問題
みたいな話も出したと思うんですけど
私は多分そのわからない面にかなり注視してるタイプだから
だからなんかすごい考えちゃうんですよね
なるほど
いやでもそこに惹かれてるってことは
僕もそういう側面少なからずある気もするし
確かにそれも全部程度なんだよな
この全部程度問題みたいなのも
ムロさんがおっしゃってたらしくて
僕はちょっとDingtongさんっていう方経由で聞いたんですけど
それ以来僕もずっとそれは思っていて
全部わかるじゃなくて一部わかる
それが比率がどのぐらいかも
感覚的なもんでしかないけどみたいな
それはめちゃめちゃ考えますね
性質によって便宜上わかることにできるタイプの人と
わからなさにすごいずっと執着しちゃうタイプと
そこってどこに注目するかが違ってて
どちらがいいとかも別にないんですけど
わかったことにできて
わかったってすぐ言ってるのを見ても、う~ん、と思うし
特にわからなくていいんだ
わからないままでいいんだって言われても
私には両方が同じに見えるんですよね
同じに見える
わからないことに対しても
態度が雑というか
なるほど
わからないことに囲まれて生きて突き詰めれば
わからないことだらけの世の中で生きて死んでいく中で
便宜上わかったことにすることも
いいということにすることも
そうして生きていくこともできなくはないけど
わからないことを
これはわからないものなんだなってわかった上で
でも考えていく必要があるというか
私は多分思っていて
だからこれはわからないから
わからないままでいいんだっていうのも
100パーわかってるみたいな顔をするのも
私の姿勢とは違うなっていう
どっちかの端っこというか
100パーかゼロパー
わからないことへの姿勢
ちょっと雑な言い方かもしれないけど
100パーかゼロパーじゃないでしょっていう話に
今聞こえたんですけど
その細かいニュアンスは最後の最後まで
きっちりそれこそ何パーみたいな
何十何パーみたいに割り切れることはないけど
でもだからそこをずっと見続けていくのが
さっきのみたらしさんの必要があるっていう
そのみたらしさんの今の感覚としては
みたらしさん的に必要があると感じるっていう話なのかなって
受け取ったんですけど
そうですね
ごめんなさいどうぞ
いえいえ
でもなんか別にみんなの生き方が必要があると感じるのは
あれなんですけどね
私の偏見というかバイアスで
よく生きるにはみたいなのの定義というか
みんなそれは違っていいと思ってる
だけどその中の定義としてそれがあるって感じなんですかね
なんとなくなんとなくっていう表現は雑ですけど
なんか僕の感覚的には7割8割わかる気がします
言わせちゃいましたね
そんなことない
僕の中でさっきその必要があるっていうところを
ちょっとあの僕の方で取り上げさせてもらったっていうと
表現ちょっと大げさですけど
そこをそのそういう表現にも
僕結構気をつけるタイプで気をつけるっていうとかっていうか
自分がその何か必要があるっていうのが
誰にとってっていう意味で使われてるのかなっていうのが
その人によって違ったり
ただ僕がよく感じるのは
もうそういうのを一緒くたにしちゃって
みんもう頭につけてないけど
みんなっていうような意識で使ってる人が多いように感じていて
そこに違和感感じがちなタイプなんですね
みんなじゃないよね
みたいなのを心の中でかすかに思ってるみたいな
のでちょっとさっきの
ニュアンスの違い
僕の言葉で言い換えさせてもらっちゃったっていうところがあるんですけど
というのも
なんか本当は微細なその人それぞれのニュアンスの違いみたいなのもあるし
全然違うって感じる人もいるしみたいな
そういう意味で言うと必要があるとか
まあもっと言うと僕が一番苦手なのは
べきっていう言葉とかはすごく使ったり
あとはその人から汲み取るときに気をつけて扱いがちというか
そういうところがあって
なんかただその場に流れてるだけだよね
僕らの存在みたいなのを
僕はちょっと感じたり
そう捉えがちな人間なもんで
それも思います
なんか方丈記とか読むと
方丈記
鴨長明さんでしたっけ
僕もちゃんと把握してないんですけど
そうです
無情だよね別に世の中ってこう
な…くものだから
どんなに栄華を極めた家でも没落するし
都を移そうとして
なんかだら疫病が流行ってみたいな
いかないし
みたいなのが
なんか人の世の無情みたいなのを説いてるんですけど
それもまたわかるし
大人になってやっと
高校生で古文とか習っても
なんか人たちどうしてなんか
いつもなんかこう悲しんでるんだろうって思ってたんですけど
古文で?
人生の流れ
古文で
なんかいつもこの時の流れとか
人の心の移り変わりとか悲しんでるじゃないですか
その方丈記とか
そういう諸行無常的な話があっていうことですかね
はいはいはいはい
でもなんかどうして
その能動的にならないんだろうって
なんか思ってたんですけど
高校生で
はいはいそうなんですね
でも若い頃は
若い頃はって言ったらあれですけど
学生とかはそう思ってて
今でもたしかには
人の意志で何かが変わるかもしれないっていう
希望というか願いというかがあると思うんですよね
その小さい
だけど一方で
なんかこう
人生まだあれですけど
経験していくと
なんか流れには逆らえないなっていう気持ちもまた出てきて
だから別に今ある状態
自分の状態も別に安定的なものではないし
また流れのようなものだし
感情とかもそうですし
だからあの頃全然分かんなかった
どうして大きな流れに対して
能動的にならないんだろうっていう
疑問への答えが
なんかこう最近は分かるって感じ
あーそうなんですね
だからもともとというか
人の意志によって何かが変えられるかもしれないと
考えと
だけどいやいやでも人間って
というかこの世の中って
いつでも何かの流れに沿っていて
大きな流れに身を委ねてているだけなんだな
私たちはっていう考えも
自分の中に走っているって感じ
そうですね
そこも比率というかバランスな感じを持ってて
さっき自分がそんな風に言ったけど
その次の瞬間には違うこと言うかもしれないよ
みたいなこれもちょっと雑すぎるんですけど
そんなもんだよねみたいな意味で
言ってますね
すべてを諦めてるみたいに
もしかしたら文脈によって捉える人もいるかもしれないけど
そういうんじゃなくて
なんかただただ流れているものだから
めくじら立ててこだわったところで
また次の瞬間には変わっていくよねっていうのを
僕の中ではある意味それにも
能動的っていう要素も含まれてるって思ってるんですよね
自分が流されてるって言うと
受動的っていう文章の意味としては
そう感じるかもしれないけど
自分の意思でなんか動いてることも含めて
自分も流れの中の一部として
能動的に流れる瞬間もあるみたいな
だからある意味その中で
どうやって自分の心を穏やかにだったり
楽しくだったりそういられるっていうのを
探るみたいなのはいつでもできるよね
みたいな感じで捉えてるっていうか
最初のわからなさの話にしても
途中で僕が挟み込んじゃったべきみたいな話にしても
何かを全部のゼロか100かに偏らせるみたいな
言葉の定義の差分に対する敏感さ
固めちゃいたいみたいなことをよく
世間っていう言い方も雑ですけど
感じることが多くて
そうして何かを固定したり固めたりしようとすることには
なんかあんまりいい結果が待ってないみたいな感じがあるので
そこをほぐそうほぐそうっていうのを
いつも考えてるっていう
そんな意味合いでの
いつも流れてるよねみたいな表現だったんですよね
言語化がまだまだ不得意なんで
言えてるようで言えてない感じがするんですけど
最初から言ってるみたいな言葉がそもそも言葉がというか
わからないよねって三浦さんがおっしゃってくださったこと
それって伝わらないよねっていう風に
言える時もあると思うんで
それもじゃあゼロ伝わり具合がゼロかっていうと
ゼロでもないから100じゃないけど
いくばくか伝わるんであれば
この伝わるかもしれないっていうのを
podcastでしゃべり続けるのは
楽しいよねっていうのは思ってますね
ちなみに私はわからないが
人に対して使ってる意味ではなかったです
物事に対してでした
ですねもうなんか混ぜがちです
すいません
でもシュウさんが最初からすごく気にされているのは
人によってその言葉のその人の中の言葉の定義がちょっとずつ違うから
そのコンテクストをシュウさんが出す言葉を
相手のコンテクストで理解するじゃないですか
それに対して何だろう
そのコンテクストではないよとか
なんかそのお互いの使う言葉の定義の差分にかなり敏感だなっていう
そうですねはい敏感さんです
英語における文化的背景の影響
それはそうですね
わからないんですけど
母語が私たち一緒だから
そこまで細かいことが気にできるんだろうなって気もします
あーそっか
なるほど
シンガポールでは英語をメインでコミュニケーションされてる感じなんですよね
ってなるとそこまで気にしてられないみたいな感じになるって感じですか
そうですねなんかそこまでのレベル
あれなんか画面が真っ黒になっちゃって
声が聞こえなくなりました
みたらしさん聞こえますか
聞こえました
あーよかったよかったです
なんか普段シンガポールで英語で暮らしてると
私の英語力が足りないっていうのもあるんですけど
周りを見てても
どうだろうもちろん英語の
母語が英語同士の人たちは母語が日本語同士の人たちぐらい
その細かい話で話してると思うんですけど
はいはいはい
なんか文化とか宗教的な背景も近いから
言葉の持つコンテクストとかが近いと思うんですよ
だけどそれ以外の文化的な背景を持っている人の話す英語って
そもそも言葉の持つコンテクストがないというか
おーない
ないというか
なんかその微妙なニュアンスまでとらえて
しゃべって使ってる人って少ないと思います
次回へ続く