1. りゅうちゃんの独り言
  2. #134 会社で大号泣した話_コ..
2025-11-17 32:53

#134 会社で大号泣した話_コアのガワ(本音と建前)

🎧️いのちのド真ん中対話#02りゅうじ(前編)

🎧️いのちのド真ん中対話#02りゅうじ(後編)


コアとガワ/会社員時代に大号泣した話/原体験はコアが発露した時/想いが出てないのがわかる/すべてがガワ/幼少期はガワで生きてた/高校で環境が変わった/ガワ合戦でコアの芽吹く/コアのガワ


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りゅうちゃん

1997年、大阪生まれ、徳島在住。関西大学人間健康学部卒業後、大手人材会社に就職。2年で退職し、お寺の一角を借りて2023年「対話する、図書館:遊観(ゆうかん)」を設立。武蔵野大学大学院人間学専攻在学。

サマリー

このエピソードでは、会社での経験を通じてコアとガワ(本音と建前)の関係について考えられています。特に、仕事における数値目標のプレッシャーや感情の混乱から生じた大号泣のエピソードが語られ、自己表現の重要性が強調されています。また、会社での研修を通じて自身のコアを発露する重要性についても言及されており、新入社員の発表における本音と建前の違いや、サラリーマン時代の感動的な出来事について振り返っています。このエピソードでは、コアの発露と社会的側面から自己分析を深め、特に就職活動やコロナ禍の経験を通じて感じた本音について語られています。個人の成長と他者との関わりを見つめ直す過程で、大切な原体験が描かれています。ポッドキャストの中で、発信者はリスナーの支えによって心が元気になり、コアの部分を発露する重要性について触れています。エピソードでは、リスナーとの対話を深め、自身の本音と建前についての気づきを共有しています。

コアとガワの概念
ハイブリッドとサラブレッドも似てるので、間違って覚えてました。
はい、おはようございます。りゅうじゅです。よろしくお願いします。
今日も元気に、元気にいきましょう。
はい、11月、今日は16日、日曜日です。
配信の1日前に収録してますね。
今日は今は12時6分35秒というところでやってますけれども、
いろいろ話そうかなと思っているんですけれども、
今日はね、いやー、あれですよ。
ちょっとコアとガワの話したいな、思ってて。
この前、YouTubeで、あ、概要欄貼っとくんで、
ちょっとそれ聞いてからでもいいんですけど、どっちでもいいんですけど、
前、友達のマオちゃんという人と喋ってですね、非常に楽しかったので、
そちらもまたぜひ聞いていただきたいんですけれども、
それはYouTubeの方で、マオちゃんのチャンネルで上げてるんで、ぜひ聞いて欲しくて。
補足じゃないですけど、コアとガワの話がね、ちょっといきなりですけど出てくるんですよ。
今日はそのコアとガワの話について、ちょっともう一度考え直してみたし、
コアとガワの話ができたことが非常に僕は嬉しくてですね、
その話を今日はしたいなと思ってますので、どうぞよろしくお願いします。
コアとガワって何かっていう話なんですけど、
これね、僕がもらったこの言葉は、もらったっていうか別に手渡されたわけじゃないんですけど、
ゆる言語学ラジオっていうPodcast番組、YouTube番組がありまして、そこで喋ってるんですね。
ゆる言語学ラジオは言語学のことをゆるくいろいろ喋っていくみたいなPodcastで、
まあまあ有名でやってるんですけれども、
最近その僕は面白さに気づいてですね、よく聞いて聞かせてもらってるんですけど、
そこでね、コアとガワの話をします。
何かっていうと本音と縦前とかみたいな感じですね、言うたら。
本音がコアで、ガワが縦前。
ガワっていうのが外側とか内側外側みたいな感じのガワかな。
コアが中心とか角となる部分のことだと思ってて、
そのコアとガワの話をマーキンとの対話で最後の方にできたので、
またそれも聞いていただいたらいいかなと思うんですけど、
何よりコアとガワっていう単語を使って話せたことが嬉しくてですね、
ちょっとよくわかんないんですけど、そういう欲求があってね。
コアとガワによって話したいなって多分どっか思ってて、
そういう話ができたんで嬉しかったんですよね。
会社での混乱と感情
普通の人用語ではあまり出てこらないというか、
ほぼ99.78%くらいはコアでずっと喋り続けてるんで、
ガワが出てこないんですよね、どうしても。
なのでコアとガワの話するためにはやっぱりガワのことを
共通認識で話せてる人と話さないといけないということで、
コアとガワの話ができたんですごく嬉しかったんですけど、
僕はですね、まおちゃんとの話でコアがよくわかるみたいな、
ガワについて説明したいんだけど、
その当時は4年前くらいかな、
当時はまおちゃんのガワについて喋りたかったけど、
ガワを話せなかったと。
こちら側がコアでいる分コアでいいかと、
こっちはこっちでいいかなみたいな思ってたんですよね。
それを会社辞めて徳島とか麦に引っ越してやってきて、
より一層コアではおるし、コアであり続けられてる自分もおるし、
でもやっぱり社会一般というかね、
皆さんはやっぱりガワで生きてるというか、
僕も結構ガワで生きてるし生きてたんですけど、
ガワを説明しようと思ったらやっぱり言葉は必要なんですよね。
コアの上でもガワが必要で、
だから言葉を大事にしようかなみたいな話とか、
自分の気持ちとかコアの部分をちゃんとガワにできるようにというか、
言葉として伝えられるように言葉として伝わるように言葉にして、
本を読んだりとかそういう思考手法を学んだりとかしてたんですよね。
学んだりというか、そういう感じでそういう雰囲気に合わせてインストールしたりしてて、
本当にここ1年、2年ぐらいでポッドキャストを始めたりとか、
ノート書いたりとかで言葉で誰かに伝えるとか、
言葉で何かを発信するみたいなことを知り始めたときに分かってきたというか、
ガワに伝えるには言葉が必要だなというところが分かってきたので、
それで言葉の方をよくよく伝えようかなと思ってて。
会社員してるときとかに、僕は結構コアをはつろしてたときがあって、
これいつかどっかで話そうかなと思ってたんですけど、
今日ちょっと話しますね。
僕、会社員のときにわけわかんなくなっちゃって、
大号泣したことがあったんですよ。
ほんまに気持ちがカオスになって大号泣しちゃったんですよね。
ちょっとその話をしたいんですけど、
僕がいた当時はそこまで部署もそうやし、コロナ禍ってのもあったし、
いろいろあってそこまで数字を求められないというか、
立ち上げ段階だったしみたいなんでね。
でも先輩とか上司とか部長とかは、
やっぱり数字で育ってきたというか、数字を追っかけてきたからなのか、
定性的な数値を目指されるというか目標にされるんですよ。
それもなんとなく僕の側では確かに分かってたんですよ。
けど、とはいえ部署の目標だったりとか、
KPI、目標設定だったりとか、
数値的な目標、どんだけ問い合わせがあるかとかの数値がね、
そこまで追っかけれないというか、
データも出てこないし、そもそも母数がないというか、
もうこのリストにアタックして無理やったら無理みたいな。
そのリストをどう育てるかみたいなところではあったんですけど、
新入社員とかその辺の時期ですよ。
いくら数値を求めても無理じゃんみたいな思っててですね。無理やんと。
だからもっと自分なりに数値ではないところを育てるというか、
自分の文章力なのか、伝え方なのか、業界の分析なのかとかね、
向こうのその企業の情報をちゃんと調べるとかね、
そういうことの方が目先の数値より大事だっただろうと思ってたんですよ。
で、なんかあるじゃないですか、ミーティングというか、
小級テストじゃないけど、なんて言ったっけあれ。面談。
今期どうやったかみたいな、四半期どうやったかみたいな、
半年に一回ぐらいする上司との面談みたいなんで、
直続の上司と部をまとめている部長の三者面談みたいなのをやって、
これぐらい頑張ってねみたいな振り返り会をしてたんですよ。
その時にほんまに、僕もそうですし他の周りもそうですよ。
数値がないんですよ、庶民。
で、どれだけ、見るところはそうじゃないですか、
見るところはどんだけ数値で出せたかみたいな、
どんだけ数出せたかみたいな、
それは別に周りと一緒ぐらいですよ、ぐらいですよ話せたのは。
こういう目標を置いて、リストがこうやからこうでしたみたいな、
それぐらいですよ話せた。
僕的に大事なのはそれこそ企業分析だったりとか、
向こうの目的を知ろうとすることとか、
自分の文章力とかチームの学び度合いとかね、
そっちのほうが大事だなと思っちゃってたんでね。
で、こんなに今リュウチョンに喋れているんですけど、
当時はそんなことも言えなくて、
なんか数値でリズメじゃないですけどされたんですよね、
そっかそっかみたいな感じで、
数値がここまでやなみたいな感じで言われて、
それ以上でもそれ以下でもなくて、
そこで僕めちゃくちゃ悔しくなっちゃって、
僕もそうやし、チームのみんなもそうやし、
みんな頑張ってるんですけど、
結局なんか数値で見るんかい、みたいな。
で、まあ、コロナがあったんでほぼほぼオンラインやったんですよ。
上司との面談とか、そういうミーティングとかも。
オンラインやって、こっちの情報も伝えられへんし、
頑張り度合いとか、やってる過程を伝えられなかったりとかして、
それが伝えられなかったっていう力不足さもあるんですけど、
どっちにしろオンラインで見えないじゃないですか。
で、見ようとできひんかったし、
そういう仕組みも整ってなかったので、
評価するにも評価できないし、
評価するにしても数値がないと無理やし、みたいな。
で、その数値もそもそも出てこれないような仕組みとかに、
システムになってたし、みたいな感じで、
いろいろカオスになっちゃって、
大高級しちゃって、僕。
自己表現の重要性
悔しくて。
よくわからんけど、ほんまに。
で、この、それが悔しいのもそうやし、
それをうまく伝えられへんかなーとか、
そのミーティングの場でそれをちゃんと準備して伝えられたらいいんですけど、
それも準備できひんかったし、なんか忙しくって。
で、言葉にするにもできへんかったし、
その場のアドリブさもなかったし、
そう、みたいな。
で、ミーティングの時間もね、上司とか先輩とかの時間も限られてるから、
そうなんですよね。
言うにも言えなくて、時間も焦ってね、言えなくて、みたいな感じで、
いろいろ発露して、うわーってなって。
で、こう、コアがもうもろ出たというか、
大号泣しちゃってですね。
で、上司もね、先輩とかも困った感じになっちゃって、
僕もその感じも恥ずかしいじゃないですか、なんだろうな。
申し訳ない。
そう、めちゃくちゃ申し訳ないなと思いながら、
でもなんか出ちゃったから、しゃーないみたいな感じで、
なんとか泣き止んで戻ったんですけど、
でも戻れなくて、泣き顔じゃないですか。
トイレ行ってみたいな感じで、ちょっと時間を過ごしたんですけど、
結構それがね、なんかもう、うわーってなっちゃって、
なんですよ。
それはすごく僕の中のコアが出た瞬間というか、
でもコアが出たんですけど、
それをうまく説明しきれなかったりとか、
コアの発露を感じる
側で側にいい感じに転換できなかったりとかしたので、
多分そこも結構原体験なのかなーみたいなのを思ったんですよね。
コアが出てへんみたいな感じが。
で、そういうのは僕が思い返すと、
なんか記憶に残ってるのとか、
これ原体験かもなーみたいな思ってることって、
そういうコアが発露した時とか、コアを発露された時とかに、
今がその大事な時期というかタイミングやとか、
コア出てんなーとか、この人の本音が聞けてるなーみたいなのって、
そういう時やなーって思って、原体験って。
これもまた仕事の時の話、会社員の時の話なんですけど、
ほんまにおこがましいですよ。
僕が今から言うことは非常におこがましいし、
だいぶ天狗な感じではあるんですけど、
ちょっと言いますね。
研修は受け負ってて、僕が、新入社員とかの。
研修して最終的に発表するみたいなのがよくあるじゃないですか。
ワークショップして最終的にこうなると思いますみたいなことを
発表させる場を設けたりするじゃないですか。
それで僕らもそうしてたんですよ。
月どれくらいかな、1ヶ月くらい準備させて、
一番最終週で発表させるみたいな感じでね。
発表の前の週か発表した後か忘れたんですけど、
僕がその発表を聞いたのかな、
リハーを聞いたのかな、分かんないですけど、
分かると。
思いが乗ってない中分かるみたいなことを言ってたんですよ、僕が。
僕これも言いながら、誰が言ってんねんみたいなこと思ってたんですよ、
自分でほんまに。
でも発表がね、新入社員とかの発表が取り繕ってたりとか、
それこそ側に寄せて会社に好かれるようにとか、
先輩に好かれるようにとか、
発表の場やから発表の場っぽいやつを側でしてたりとかね。
そんなことしてもさ、みたいな。
分かるし、面白くないし、
もっと自分のコアの部分、
その時は思いとか、自分が思ってることとかやりたいこととかを
発表したら、みたいなことを言ったんですよ。
非常におこがましい。
非常におこがましいんですけど、
誰が言ってんねんですけど、
でも多分それはその前とかね、
その研修をする前とか、
僕自身がコアを発表させてたりとか、
僕のコアを聞いてフィードバックくれたりとかした人が非常にありがたいことにたくさんおって、
僕自身もコアを出す経験とか、
その逆に誰かのコアを聞く経験があったから、
その時が一番感動するとか、
それこそ原体験になるみたいなことを分かってたんですよ。
感じ取ってた。
なので、
その研修の中でも、
いやちょっと思い出せよ、みたいな。
はい。
言ってたんですよね。
でもそうやなと思って、
今やったらそういう言い方はせえへんけど、
それこそ側に寄せて、
ちゃんとコアの部分を説明しようとはするんですけど、
でもそうやなと思って、
今このコアとか側とかみたいな概念を僕が話した時に、
結構ちょっと腑に落ちる人もいらっしゃるのかなとも思うんですよ。
確かにそう言われてみればそうやなみたいな。
それこそ本音と立て前って言葉があるみたいに、
本音はやっぱり持ってるけど、
立て前で話していくみたいなのがね、
あるかなと思ってて。
で、
その構造もそうやし、
そもそもなんですけど、
ほんまに僕は結構、
社会人の時にそれを思い知らされたというか、
それこそコアが出て、
めちゃくちゃ先輩の前で大号泣した話もそうですけど、
側なんですよ。
本音と建前の違い
ほぼほぼ全部が。
言い換えたら概念というかね、
フィクションというか、
作り物というか、
なんかそういう風に見えちゃったんですよね、
僕の中で。
これフィクションやんみたいな。
あれだって会社っすよ。
みたいな。
闘技して、
定感会って闘技して、
で、僕が社長やって言ったら社長っすよ。
社長って。
なんかそういう、
なんだろうな。
え、その肩書きなくなったらその人どうなるみたいなね。
別にでもその人はその人やんみたいな。
人は人やんみたいな。
物は物やんみたいな。
そこになんか役割とか役職とか、
チーム名とか、
そういうのがついて、
その、
ね、なって、
その人が作られていくみたいな、
アイデンティティじゃないけど、
ステータスが上がっていくわけなんですけど、
でもそれってこうやっぱり、
フィクションですよね。
過去の経験を振り返る
概念ですか。
人間が作り出した、
人工物というかね。
そういうものじゃないですか。
うん。
で、
これがまた側の話になっていくんですよね。
これがだから、
僕が言ってるその側っていうのはそういうことなんです。
フィクションとか、
作り物とか、
人工物とか、
そういうのがフィクション側のもので、
その側、
なんすよ。
この社会。
社会はね、
会社とか、
側でなってて、
で、
こっち側、
僕が純粋すぎた、
自分で言うのもあれですけど、
純粋すぎたりとか、
まあ、
コアの部分がありすぎたから、
そことのギャップがあったりとか、
したのかもしれないですね。
そのコアが発露してしまったのかとか。
あと、
僕が側を育てれなかった、
育たなかった、
ところもあるのかな、
みたいなのは、
今日思いましてね。
うん。
まあでも、
僕も思い返してみたんですよ。
小学校とか、
中学校とか、
高校とかね、
大学とかで、
でもその時は結構側で生きてたな、
みたいなのを思ってて、
それは何かっていうと、
中学校とか小学校の、
僕小中で、
ほぼほぼ、
メンバー変わらないまんまやったんですよ、
公立で。
で、
結構遊び仲間もいって、
というかね、
でも同じやったし、
でも悪さするやつもね、
おったりとかね、
ニャンキーだったり、
不良じゃないですけど、
ちょっとこう、
悪さするやつがおったりとかして、
でも、
それも結構僕はつるんでたんですけど、
でもなんかその、
言うたらそれが楽しかったんですよ、
僕は、
側というか。
その小中の時に僕はほんまに、
僕自身っていう、
なんかその存在みたいなのは、
思ってなかったし、
ほんまにみんなとおるのが楽しかったし、
みんなとなんかサッカーするとか野球するとかが楽しかったから、
サッカーとか野球してたし、
みたいな。
ほんまにこう、
自分の思いがなかったけど、
その側が楽しかったおかげで、
僕も小中楽しかったし、
ほんとに何も問題なく、
そういういじめとかもほとんど僕は知らないし、
あまりなかったんですよね。
平和な小中学校やったんでね。
結構側で生きてて、
でも側がほんまに楽しかった、
心から楽しかったって思ったら、
もうそれがなんか、
なんならコアじゃないですか、
それって。
心から楽しい、
こいつらだろう、
なんかほんまに面白い、
また明日も遊びたい、
電話しよう、
誘おう、
遊びに誘おう、
明日遊ぼう、
みたいな感じで、
ほんまにそれがこう回ったから、
結構こう、
側やったんだけど、
でもそれがコアになっていってたというか、
でそれが楽しいし、
今でもそれが付き合いがあって、
ダンジェリーやってたりとか、
地元に帰った時に、
ちょっとご飯行ったりとかする、
みたいな感じになっててね。
だから側やけどコアみたいなところが、
小中の時かなって思って、
で高校は結構側、
がっつり側やったんですよ。
でもそれは、
小中で側を育てて、
小中の側とコアが一致してたところを、
高校でまた別の環境に入った時に、
側がコアやったが故に、
自分のコアがなかった。
自分がなかったんですよ。
側がコアやったから。
ちょっとややこしいな。
概念過ぎるか。
側がコアやったんですよ、僕は。
小中の周りとの遊びに合わせてたから。
俺から何か、
誘うわったんですけど、
そこまで自分が主体的に何かこれしよう、
あれしようみたいなのじゃなくて、
昼休みはサッカーするよねとか決まってたりとか、
放課後はここ行って公園で何か食べるよね、
みたいなのが決まってたりとか、
ルーティンになってたりとかね、
僕らの中でしてて、
そこに合わせてた。
そこで何か新しいアイディア出したりとか、
次ここ行こうよ、
みたいなのは特になかったんですよね。
誰かが言い出すか、
みんなで考えて出すかだったんですよ。
けど高校ってまた別の環境になって、
自分の学力のレベルの子らが集まっての
学校生活でやったんで、
ちょっとまた別の感じで、
しかも僕一人ぐらいだったんですよ。
中学校から行ったのが、
3人か3人で、
周り2人とも女の子だったんですけど、
僕一人だけ男の子だったんです。
そこが01のスタートですよね。
高校生活と社会的側面
だからそこから高校になって、
結構側で過ごしてたんですよ。
バスケやってたからバスケしようかとか、
クラスでそんなに浮かないように
立ち回ってたりとか、
話し合わせたりとかしてて、
結構高校生活は側やったな、
みたいなこと思ってね。
大学選ぶときとかは結構側で選んでた気もするんですよね。
社会的にこれがいいとか、
親が高齢をこのところらへんまで行ったら
安心するかなとか、
ほんまに自分、
コアの部分を置き去りにして側で考えてた。
大学入って、
ようやくちょっとずつコアが見えてきたというか、
将来を見据えてじゃないですけど、
社会人になったときにこれのほうがいいかなとか、
自分この仕事のほうがいいかなとか、
専門職かっこいいなとかってなって、
社会福祉を学んだりとか、
コースをガラッと変えたりとか、
授業を自分で選ぶようにしたりとか、
2年3年でしていって、
インターンとか行ったりとか、
就職活動するときにもなって、
就職活動するときにも、
側がやっぱりうるさいというか、
自分分析、
自己分析をして、
企業分析して、
エントリーシート書いて、
面接行って、
側で話すみたいな。
エントリーシートとか、
自己分析するときも、
側がやっぱり出てきちゃう。
側でどれくらいだけ側に寄った、
社会的なというかね、
人工的なというか、
どれだけ自分が何かしてきたか、
自分発信じゃなくて、
社会の立場から見たときに、
自分ってこれで来てたよね、
みたいなことを判断して書いていくのが、
ESエントリーシートかなって思ってですね。
面接で聞かれるのとかも、
やっぱり側から聞かれるじゃないですか。
そのコアの部分を向こうは掘ろうとするんですけど、
掘ろうとしてたかな?
企業による。
非常に企業による。
側じゃないですか。
側で答えてるから、
自己分析の重要性
側合戦ですよ。
側合戦ですよ、ほんとに。
そういう意味もあって、
結構就活しんどかったんですけど、
結構それを相談したりとか、
先生に相談したりとかして、
確かにいいと思って。
それから結構自分は自分やなとか、
他人は他人やな、
みたいな、
これめちゃくちゃ覚えてるんですよ、
大阪駅のヘップの、
ヘップの、
大阪駅のヘップの下っすよ。
ヘップファイブの下ら辺で、
スーツ着て、
企業面接かなんか行って、
帰りぐらいに、
非常に悔しかったんですよね。
側な感じを受け取って。
その時は全然そんな言葉にしてなかったんですけど、
でも感覚を受け取って、
側やなみたいな感じを受け取って、
でも別にそれって良くないみたいなことを、
一瞬回って考え直したというか、
開き直ったというか、
自分は自分やなみたいな、
無垢は無垢やし、みたいな。
だって同じ年代だけ生きてきたので、
そこに、
他人軸で合わせて、
生きていくんだ自分は、
ってそこで思ってたら、
これまでの22年間か、
その時は、
22年間が無駄になるんじゃないかなと思った時、
それは非常に悔しいなと思って、
ちゃんと自分で、
選ばされてきたかもしれへんし、
側で生きてきたかもしれへんけど、
でもそれを自分で選択して生きてきたし、
親とか先生とかにも、
生かしていただいたし、
学ばせてもらったから、
それを全部否定することになるなと思ったんです。
他者と比較して、
自分が落ち込むっていうのは。
だから、俺は俺やなと思って、
他人は他人やなと思って、
じゃあ俺は俺で何をしてきたかな、
みたいなことを深掘り、
もう一度そこから自己分析し直して、
幼少期こうやったなとか、
おじいちゃんと遊んだなとか、
小中学校でみんな遊んだなとか、
喋ったなとかもそうやし、
高校でこういう理由でバス消してたなとか、
あの時の合宿の時苦しかったなとか、
で、大学行って、
自分で進路ちゃんと選んだなとか、
友達とか先生とかも相談しながらやけど、
ちゃんと選んだなとか、
みたいなことを、
そこから考えるようになった気がするですね。
だからそこが、
俺は俺やなって思い始めたのが、
僕のコアの発露というか、
オリジンやったなと思って、
そこからですね、僕は、
コアを出し始めたのは。
うん。
それで社会人、
前の会社になんとか就職させてもらって、
で、
それもそうですよね、
2020年のコロナやったんで、
いろいろあったんですね、
今やから振り返って、
あんなことあったなって思えるけど、
コロナ過中ですよ。
全然そんなこと考える間もなかったし、
今どうしようかみたいな、
次どうしようかみたいな、
明日が来るか分からんぐらいの、
ほんまに暗い暗い、
うん、しんどいしんどい時期やったなー
っていうのは今振り返るとそうやなって思うし、
でもなんかそれのおかげで、
よりこう、僕自身のコアが、
あのー、
磨いていただいたというか、
僕自身ももう一回考え直したというか、
俺やなって思ってたけど、
それだけやったらあかんなーとか思ったりとか、
じゃあその俺って誰なーみたいな、
他社ってどういう人なーみたいなことを、
より一層こうグッと深く、
学ぼうと考えようとした、
でそういうきっかけがまたね、
来たんですよ僕の原体験に、
12月17日ですよ、
非常に覚えてるねあの日は、
12やったかな、12、13やったかな、
そう12月、2021年の12月ですね、
うん、でそういう、
僕自身の大切な原体験があって、
でその12月の前の、
いつぐらいだ、10月とかかな、
その大号泣した話があって、
でまあそういうのが、
ポンポンポンってコロナ禍のおかげで、
コアの発露と成長
おかげですねほんまに、
コロナ禍のおかげでこう僕のコアが発露する、
原体験、深い原体験っていうのは、
ドンドンと、
来たので、
今の自分が出てきたなーみたいなことを、
思いましたね、
はい、
あのコアと側のね話はまあちゃんとして、
できて嬉しかったし、
そうあの時もね、
まあちゃんと働いてた時も、
僕もそんなに言葉に、
言葉ができなかったっていう、
言葉にできなかったし、
諦めてた部分もめちゃくちゃあった、
うん、
正直、
言葉にせんでもいいっていうか、
言葉にせんほうがかっこいいまで思ってたんですけど、
うん、
こう感じるんやというか、
その場にいてそれを感じるんやとか、
例えばその研修でね、
その思いを伝えろよみたいなことを言った時も、
そんな口調じゃなかったんですけど、
思いを伝えたらみたいな感じで言った時も、
そのほんとに向こうの思いが伝わらんような発表とかやったんで、
なんかほんまにこう、
自分の思いを出したら伝わるのにみたいな、
下手な言葉でも全然伝わるし、
なんならむしろその、
言葉じゃないほうが伝わると思ってたんですよね、
僕は。
今もその不思議はあるし、
言葉にすることによる、
なんか弊害もあると思うんですけど、
うん、
今はその思いを込めた言葉があったら、
もう最強じゃないですか、
コアの上に、
最強じゃないですか、
コアの上の側みたいな、
コアの側みたいなのが出せたら、
もう非常にそれは伝わるだろうし、
伝えたいっていう思いがあるから、
言える言葉だろうし、
なんかそれでこうな、
世界というか社会が回ったらな、
みたいなことも思ったなとか思ってね、
で、まーちゃんとの対話で、
それがもう一度僕の中で、
グッと思いが、
固まったじゃないですけど、
思い出してくれたというか、
もう一度そのコアと側を考えるきっかけになったりとか、
ほんまにこう、
命の本音の対話をね、
させてもらったから、
うん、
僕自身も、
僕自身を考えるようになったりとか、
そのコアについて、
僕のコアについて考えるようになったりとか、
考えるというか、
ま、感じるというか、
ほんまにこう自分が何か言ったんやろみたいなことを、
うん、
言葉にしてみようと思うというか、
うん、
それはこう自分の何か、
はい、
心臓の部分というかね、真ん中にある部分を、
こう伝えたいなと思って、
そう、でまぁこのポッドキャストもね、
ほんとにでも、このポッドキャストのおかげで、
135回ですか、
話してるおかげで、
もう何かね、
うん、一回目よりもやっぱり側が、
側がうまなったって言ったら、
口うまなったみたいな感じですけど、
じゃなくて、何て言ったらいいんだろう、
コアで話せるようになってきたというか、
うん、ほんまにこのコアで話させてもらってる、
練習させてもらってるなって思うし、
それをこう聞いていただけるのが
ほんとにありがたいし、
リスナーへの感謝
ほんとにこう皆さんがね、聞いていただけるなぁ
みたいなことを感じてですね、
あのこのポッドキャストの、
まぁどれくらい再生されるかなみたいなの
僕はこう見れるんですよ、
そう、で、どれくらいフォローしてくれてるかな
みたいなのも見れて、
でその数をね、
数字でね、
数値なんか関係ないみたいなこと思ってたけど、
やっぱり数値でね、
こうやって見せてくれるんで、
今のこのプラットフォームとかは、
数値で見せてくれるんで、
まぁそれを見て、
あ、今日これくらい再生されたなとか、
あ、評価くれましたね、ありがとうって思ったりとか、
フォロー、あ、一人増えたなとか、
あ、最近増えへんなとか、
なんかそういうの思っちゃうんですけど、
でもなんかそのフォロワーが一人増えるとか
再生回数今回いいなとかっていうのは、
ほんとに皆さんがこう再生してくれたりとか
聞いてくれたりとかフォローしてくれたおかげで、
僕はまた元気になって、
喋れるというか、だからほんとにこう聞いてくださってる方の
おかげで、
あのー、喋れるなーっていうのが
ありがたいなーって、
コアで僕は思ってて、
コアでとかって余計にこう側になっちゃうけど、
そう、心から思っててね、
そうだからまたこれからも全然、
どしどし、
どしどし話していきたいなって、
思ってて、はい、
一人ごとまだまだやっていきたいなーと思うんですよね、
うん、
結構だからこのりゅうちゃんの
一人ごとでは僕のコアの部分を、
まあ垂れ流し的にはあるんですけど、
話させてもらってて好きに、
で、それを聞いていただいてて
ありがたいなーっていうところがほんとに伝えたいなー
っていうところです、
うん、なのでまた来週も、
ちょっと来週もねまた楽しみなので、
あのー配信を
聞いていただけたらなーと思います、
はい、
まあということでまとめるとーすね、
まあコアと側の話っていうのでさせてもらって、
まあ本音と縦前みたいなね、
させてもらって、で僕が
コアを発露した原体験みたいなのを
喋りながら、まあ小中高大と
振り返りながらコアが、
僕のコアがどうやって出てきたか
みたいなのを、まあちょっと回数までですけど、
一個一個こうやっぱ深掘っていくと、
一話ずつになるとは思うんやけど、
あの回数まで話させていただきました、
うん、でまあこの、
何よりもリスナーっていうかね、
聞いてくださっている方のおかげで
僕がこうコアを出せる、
コアを言葉として
発信できる練習にもさせてもらってるなー
っていうところを本当に感謝しながら、
また今日も配信できてうれしいなというところで、
今日は終わりにしたいなと思います、
コアの発露
はい、
ということで、
対話していただきたいなと、
皆さんに、
僕と、
あのほんでね、評価、
ちょっとこれ言うのあれやけど、
あの評価できるんですよ、
SpotifyとかApple Podcastとかでね、
評価とかフォローとかしていただいたら、
ランキングじゃないですけど、
上に出たりとか、
知らない人の画面に
僕のこのリュウちゃんのひとり言が出てくる可能性が
少しでも上がるんですよね、
でそれをしていただけたら、
また僕を知らない人が
僕を知ってくれて、
聞いてみようってなって、
でそれが回り回って、
僕と話したいなーってなるかもしれないし、
勇敢に来てくださって、
話したよーみたいな感じで、
また対話が深まるかもしれないし、
でその対話が深まったことで、
僕はまた自分の中で内省して考えて、
コアの部分とか、相手のコアの部分とかを知って、
でよりまた、
それを言葉にして、
ここで話させてもらったりとか、
また別のところで話す機会になるのかなーって思うので、
良ければ評価なり、
フォローなりしていただけたら、
本当に嬉しいなと思うので、
ぜひそちらもよろしくお願いします。
ということで、リュウちゃんのひとり言では、
もう歓迎しておりますし、
概要欄のフォームから、
ひとり言を送っていただけたらなとも思いますので、
ぜひよろしくお願いします。
ということで、
皆さん、今日か明日かお元気で楽しんで、
癖強めで、
コアでね、自分のコアを大切に、
過ごしていってほしいなと思います。
ありがとうございました。
32:53

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