自然農の哲学と経験
寒さに我慢で勝とうとしてます。
りゅうちゃんの独り言
よし、元気ですよ。
2月も終わって、3月になりましたね、3月。
いやー、先週の気づきというか、なんだろうね、独り言が結構良くて、僕の中では。
すいません、自己満足から入ってますけど。
自画自賛か。
僕的には良くて。
それからまだ1週間経って、今収録してるんですけど、やっぱりこう、見える世界が変わってきますね、日々日々。
いやー、そうなんですよね。
で、先週の収録の前の日に、自然農の話というか、勉強会みたいなのがあって、自然の農ですね、農業の農なんですけど、勉強会に行ってきたんですよ。
で、それで結構自然農の話と言いつつ、結構哲学的というか、すごく語感を研ぎ澄ませるというか、そのために知識をちゃんと、言葉とかをちゃんと重ねていきましょうみたいな、そういうマインド面的な話も結構多くて。
で、言ったざっくりとした感想としては、やってみな分からんなっていうのが正直なところなんです。
で、このやってみな分からんなっていうのは、自然農やってみな分からんなっていうのはもちろんそうなんですけど、いろいろ自分から自分でアウトプットしていくというか、何かアクションを起こしていくというか、何か見てもらうというか、みたいな、
そういうことをしていかないと、その人たち、登壇してる人とか、話を聞かれてる人と話をするときに対等に話し合えないというか、みたいな感じがあって。
確かに言ってらっしゃることとか、話されてることは頭ではすごく理解できるんですけど、やっぱりやってない分、体感というか経験値というか身体値みたいなのがなくて、腑に落ちきらないというか腑に落ちきれないみたいなところもあって、
言葉ってその人が腑に落としてるし、腑に落とそうとしてるから、そうやって言葉として出してるわけじゃないですか。
それは体験とか経験とかされてることを腑に落としたからとか、腑に落とそうとして言葉にしてるところもあるのかなと思って。
だからその人たちの話を聞こうと思ったら、やっぱり自分もやってみないとわからないんだろうなと思って、そうじてそういう感想になったんですけど。
その影響もありつつ、配信やったなと思ってて、結構言葉を選んだというか、もう少し言葉を大切にみたいな、そういうこともお話から学び取ったというか。
映画『アニマル』の影響
それに並行してライティングやったりとかノート書いてやったりとかみたいな感じで、他の人たちに見られるような、読まれるような言葉とかタイトルとか見出しとか内容とかも考えていかないとなって思ってるところでそれだったんで。
それをポッドキャスで話すってなったら、また余計に言葉をどう紡いでいくかみたいなところを意識しないといけなかったんで。
いろいろそういうところが繋がって選手のような配信ができたのかなと思ってて。
そこからまた1週間経って、それのことも考えたりしつつ、他にもやっぱりこの1週間でインプットされたことがたくさんあって。
いろいろ今、いろんな地位が重なってきてて、僕にとってはすごくいいことにいろんな地位が重なってきてて。
地位っていうのも、僕好きな漫画があって、地球のなんていうの、地球のなんちゃらっていう調べよう。
地球の運動についてっていう漫画があるんですけど、今アニメ終わったのかな。
アニメ僕まだ見れてないんですけど、っていう漫画があるんですよ。
これは天動説から地動説に変わった転換記をオマージュしてというかフィクションを盛り込みつつ、
結構その転換記の様子みたいな感じをしっかりと描写されてる。
すごく面白いし学びのある漫画でありアニメなんですけど、ぜひ見ていただきたいんですけど。
この地位っていうのがいろんな意味の地位で出てきてる場面があって、
その漫画で見たときがすごく衝撃的で、地、赤い、動物とか僕たちにも流れてる赤い地、ブラッドですね。
のブレッド、ブラッドの地位っていうのがあったりとか、あとは知識の地、知るっていう、
もう少し言うとHの地とかね、そういう地位があったりとか、あとはこの題材にもなってる地球の地ですね。
大地の地、土地の地みたいなのがあって、いろんな地位があって、
その漫画の影響も多々あると思うんだけど、いろんな、僕にとってもいろんな地位が重なってきてるというか、
いろんな、何で重なってきてるって言ったらわかんないのかな、ちょっと違うんやけど、
地位、何か連なってきてるというか、天才し始めてきてるなっていう感覚があって、
それは先週で言うと言葉とか、ポッドキャスト配信してることとかノート配信してることが言葉っていうのでつながって、
大事にしていかなあかんなみたいなのを感じたみたいな話でもあるんですけど。
で、こうやって今日も相変わらずダラダラと喋ってるんやけど、
いろんな、ちょっと抽象的やな、いろんな虎なりというか、いろんなボコボコとしてきたものが一つずつあって、
地位で言うと、地位で言うとというかね、
一つ、大地の地位は畑の自然の話を聞いてきたっていうのが大地の地位の一つでもあるし、知識の地位の一つでもあるかなと思ったりとかして、
昨日、シネマムギって言って、僕ら有冠っていう場所で映画を今月に2回ずつ上映してて、やっと初めての月の上映月が終わって、
2月の8日と2月28日に上映させてもらったんですけど、
で、一つ目がトゥルーコストっていうファッション業界の裏側というかを捉えたドキュメンタリーの映画と、
もう一つ、それは昨日上映したんですけど、アニマルっていう映画。
で、このアニマルっていう映画がすごく僕、本当に感動してって言ったらちょっとちゃうな、良かったんですよ、めっちゃ。
16歳の少年少女2人が、結構デモの運動とか地球環境の活動みたいな感じで活動されてるところを、
この映画のディレクターさんかな、プロデューサーが見つけて、2人を映画に撮らせてほしいって言って、
で、世界各地の環境を汚染してる人であったり、もしくは逆に環境活動されてる方のところにいって、
いろんなところに行って、いろんなものを学ぶっていうのがアニマルの映画だったんですけど。
で、主にアニマルっていう題名から動物のことが広く描かれてて、
それでいろんな世界各地の方向に回って、その動物の出荷される人とか、出荷しようとしてる生産者の人の話を聞いたりとか、
あとはその地域、地方の助成金を漁獲魚、漁業に充ててもいいのかどうかみたいな議論会議のところに出席して、
その話を聞くとか。
で、あとは畑、山とか、自然の畑を作ってたりとか山を作ってる人たちに話を聞きに行ったりとか、
あとはシンプルに動物が生きてるイルカの船でイルカを見に行ったりとかしてて、みたいな映画で、
そういう力を考えさせられる映画の一つで、もう一回見たいなとも思えるような映画をやったんですよ。
倫理観と生産の現実
で、地の話に戻すと、地の場面もちょっとずつ出てて、流れる地の方が出てて、
生物多様性の話だったりとか、死生観、生きるとか死ぬとか、殺すとか殺さんとか、食べるとか食べないとかっていう話にもなったりとか、
いろいろ考えさせられて、
で、印象的だったのがウサギをケージにいろいろ詰め込んで、
食用にね、食用にウサギを飼って、家畜として飼って、それを出荷してる人に話を聞きに行ってて、
生産者の人に男の子と女の子2人がインタビューしに行ってて、
もうすごい壮絶な場面やったというか、
倉庫みたいなところに生産者の男の人が言ってたんですけど、
A4サイズの紙あるじゃないですか。
それがウサギ1匹のスペースって出てて、
で、この回には何匹やったかな、750匹?
4000匹ぐらいおってみたいな。
で、1週間に750匹ぐらい生まれるみたいな。
で、工場内で話しながらインタビューしながら歩いていくんですけど、
ウサギが死んでるって言って、ウサギが死んでますねみたいな話をして、
普通にウサギ出てとって、ポトッと落としてみたいな感じで、
落としてっていうか、その辺に置いといてみたいな。
まあまあよくあることだよみたいな。
で、その男の子と女の子と、僕ら映画を見てる人たちもうわーって感じだったんですけど。
でもその生産してる男の人は、1日に10匹くらいはこうなってるよみたいな。
普通だよみたいな感じで。
普通ですか?みたいな話をしてたりとか。
で、まあそれが男の人的には、それが30匹とか40匹とか増えてたら、
これは結構やばいなっていう話になるんだけど、
でもこれに一気に注意してたら仕事にならないからって言って、
そのまま仕事されてるんですけど。
で、その後、人工受精って知ってる?って言って、
うさぎに人工受精をさせるやり方っていうか、
頭に注射入れて、中でこう器具をその中に入れてみたいな感じで人工受精させて、
ほんの2、3分くらいで1匹受精させてみたいな。
で、1週間後にはこいつから生まれるよみたいな話をして、
1週間後かな、1ヶ月は忘れたけどしてて。
で、それをちゃんと管理したら、一気に750匹、
人工受精させて750匹生ませさせる。
で、それがバラバラに生まれさせたら、
こっちが管理大変やからってことで、
一気に注射打って、一気に受精させて、
動物の生産の現実について
一気に出産させるみたいなことさせてるらしくて。
そうしたら出荷しやすいというか、
一気に4,000匹出荷して、また4,000匹生まれてみたいな、ができるみたいな。
で、その受け取る側の人、出荷して受け取る側の人も、
一気に受けてくれたほうが管理しやすかったりとか、
その後また卸しやすかったりとかするから、
そうさせてるんだみたいなことを言ってて、
はぁーっていう感じ。
そんで、うさぎをね、そういう扱いをしてて、
でも、そこに疑問を持たないんですかとかを、
少年少女が聞いてて、
でもこれはもう上が言ってるから仕方がなくてみたいな。
これを毎月働いて出荷してみたいなことをやっても、
たったこれだけしか金額がもらえなくて、
その中でやり取りをしているから、
でもこれ以上スペースを増やす、
うさぎ1匹あたりのスペースを増やすとなると、
生産が大変になるし、出荷もできなくなるから、
これは最適ではないのかみたいな話をしたりとか。
つまりその上というか、
食肉を扱うとか家畜を扱うことで、
たぶん条約とか法律とかが国ごとに違うと思うし、
あると思うんやけど、
それに従うとそうせざるを得なくなっちゃってる現実があって、
衛生上、薬を使うしかなかったりとか、
生産を上げないと、
生産する人もご飯を食べれないというか、
生活ができないから、
そういう工場に1つのケージ、
4サイズのケージにうさぎを詰め込むみたいなことしかできないみたいな。
それでどうしようもできないみたいな。
で、契約してしまったら、
始めてしまったら抜けられないらしくて、
辞められないらしくて、
もうそれを続けるしかないみたいな話をしてて、
その人が悪いとも言い切れないというか、
その人が悪いとは言い切れないなっていうのも感じたし、
でも下ろす先もそうやし、
そういう仕事を作ってしまった社会もそうやし、
それを元をたどせば、
僕たちがそういうお肉を求めてるから、
そういう生産者を生んでしまってるっていう見方もあるし、
もしくは安さとか、
例えば自分1匹1人が、
うさぎとかマットリとかウジとか豚育ててるのを省いて、
誰かにやってもらって飼ってるじゃないですか。
そういう手間を誰かに押し付けてるっていうか、
手間を便利にしてそういうことを求めてる。
便利さを求めてそうさせてしまってるから、
その生産者っていうのを置くしかなくて、
生産者っていうのを置いたら、
悪いことせんへんようにとか、
健康被害がないようにとか、
衛生上安全にっていうことを気にして、
決まりを作ったりとか条約を作ったりとかする。
ならそういうシステムを組まないといけなくて、
生産者もそのシステムの中に組み込まれないといけなくて、
ならA4サイズのところにウサギ入れて、
人工受精させて、一気に産ませて、一気に出荷してっていう、
このサイクルができてしまってるっていう側面もあるのかなと思って。
なんかすごく言い畳まれない気もするよね。
難しいなっていうのをそこを持って。
でもちょっと生産者の人も、
そうなっちゃうのも仕方ないかもしれないですけどね。
サイコパス的な感じになっちゃうというか、
それらの常識とはまた違う常識を持ってしまってるというか、
常識って何?っていう話もあるんですけど、みたいな話ですよね。
そういうことを感じてすごく印象的でした。
そういうところもやっぱり、
どうしようかなっていうのを考えさせられた映画だなと思って。
発信者としての自覚
もしよかったら見ていただけたらな。
結構見れるところ限られてるかなと思うんですけど、もしよかったらね。
またゆうかんでも上映するかもしれないんで、
見に来ていただけたらなと思うんですけど。
そういう注意を最近得たりとか、
あとはドラマを見たりとか、
本も見てて、それこそこのライティング、言葉をどう扱うかとか、
読まれる文章をどうやって書こうかなみたいなことも日頃考えながら、
最近本読んでたら、本自体そういう本を読んじゃってて、そうなるんですよね。
いったんそういうのも学ばないといけないなとも思ってたんで、
そういう本を読んでるんですけど。
書くこととか、読むこと、言葉を発することって何かなみたいな本を読んだりとか、
コピーライティングの本を読んだりとか、
大体それってタイトルが大事だよとか、タイトルの付け方みたいなのも教わるし、
確かにタイトルを少し変えただけで、
やっぱりノートのビュー数、見られる数が増えたりしてて、
これはどうなんですかね。
ノートを毎日書いて、結構気にしながら、
学んだことを学んですぐ出してみたいなことをしながら書いてて、
そうしたら学んだことをすぐ出したときに結構ビューが伸びたりするんですよね。
それを定着させていくことをしないといけないなとも思いつつ、
面白い不思議ですよね。
ちょっと意識したら何か変わるみたいなのが最近起こってて。
もう一つ読んでる本が、コンテクストデザインっていう本を読んでて、
渡邉幸太郎さんの、
これ話し出したら本当に僕は熱量が半端なくなっちゃうんですけど、
ちらっと言うと、
弱い文脈と強い文脈があって、
ちょっと難しいな。
もう少し手前から話さなあかんな。
何か作品を僕ら鑑賞するじゃないですか、見るじゃないですか。
何でもいいですよ。映画でもいいですし、
本とか漫画とかドラマとか何でもいいですよ。
見るじゃないですか。
僕たちなりに色々解釈するじゃないですか。
さっき言ったらアニマルの映画見て、僕が言ったような解釈をする。
これを今僕はポッドキャストで配信してるじゃないですか。
つまり作品を見て、作品を見た人が自分なりに解釈して、
それでまた物語を話し出す、喋り出すっていうのが、
簡単に言うとコンテクストデザインって言って、
そういう定義を渡辺幸太郎さんが定義付けて、
本を書かれてて。
それがコンテクストデザイン、それがデザイン。
コンテクストをデザインすることだ。文脈をデザインすること。
つまり作品を見て、それを、作品の元は物語じゃないですか。
誰かが物語を書いてる。
絵でも何でもいい物語として、作品としてね。
それを誰かに物語らせる作品だと。
そうすることができる作品がコンテクストデザインだと言ってて。
そうじゃないですか。
今回のアニマルも、アニマルを見るだけでもよくて僕は、
けど話したくなるようになっちゃった。
誰かに伝えたいとか、それこそこのポッドキャストとか、
ノートで発信したいなと思っちゃってるっていうのは、
その人の解釈があるし、元をたどれば物語があって。
その物語を見て解釈して、僕がまた物語に語る。
もう一回物語られるみたいなのがあって。
だから誰しもがデザイナーというかアーティストというか、
誰しもが発信者になれるっていうのが、
発信者になれるっていうことを言ってて。
そういうのも学んだときに、僕の発信、
ノートなりポッドキャストなり他の媒体なりを発信して、
誰かがまた紹介されるような作品を作れたら確かにいいなと思ったし、
でもそうさせるためにはやっぱり基礎というか、
読まれるような文章、元をたどればそれこそクリックされるような、
今で言うとタイトルに惹かれるようなものであり、
内容がすごく良くて、いいねとか好きをもらえるものであり、
それが拡散されるものであれば、
それがまた作品と呼ばれるものになるんだろうなって思って。
それって何なのかなっていうか、そういう作品、
僕が何かものを書いて何かを言って、またそれを誰かが誰かに伝えたくなるような
コンテンツ内容、作品っていうのはどういうものなのかなみたいなのを思ったりしてて。
インプットとアウトプットの関係
そういう目線で、それこそアニメの地位を見たりとか、
コンテクストデザインっていう本を見たりとか、アニマルっていう映画を見たりとかをすると、
自分だったらどうやってこれを読み取って、どう解釈して、
どう話すんかなっていうので考えてみたりとかしたりしてて。
だからちょっといろいろこんがらがっちゃってどっちにかになっちゃってるんですけど、
何が言いたいかっていう、まとめんでもいいか。
発信をしようと思ったりとか、何か書こうと思ったりとかしたら、
自ずとインプットされるんだろうなって思って。
第100回目の目的やっと持てましたみたいな話をしたりとか、
先週の言葉とか、当たり前を大事にしようと思いましたみたいなことで、
僕ポッドキャストしてなかったら気づけなかったりとか、
こうやって誰かに伝えられてなかったかなと思ってて。
間違いなく伝えられてないと思ってて。
で、毎週こうやってネタを話したいことをいろいろ話すんですけど、
こうやって話す場があるとか、誰かが聞いてくれるような場所があるみたいなのを作ると、
やっぱり必然的にインプットするし、
多分1回目とか2回目とかよりも今のこの103回目ぐらいのほうが、
ちょっとインプットの人も当然上がってるだろうし。
でも逆に本当に何言ってるかわからん回もあると思ってて、この100回近くでさえも。
今日の配信もそういう配信なのかもしれないと思いつつ、
でも自分で聞き返してみたらまた少しちょっとした学びがあるかもしれないなとか、
他の誰かの何かになってるかもしれないなとか思いつつ。
だから僕にとって、やっぱり続けることも大事にしていきたいし、
言葉にすることも意識していきたいし、
その先に聞かれることとか、誰かのためになることもちょっとずつ意識していきたいなと思って。
本当は先週にも話したんやけど、やっとそういうスタンスに慣れてきたなみたいなのを思って。
そういうスタンスに慣れてきたから、読まれたりとか聞かれたりとかすることもあるのかなと思って。
そうやって読まれたり聞かれたりとかするようになってきたら、
こっちも負けない像じゃないけど、じゃあもう少しいいもの出そうとか、
もう少しいいこと言おうとかになっちゃうのかなと思って。
でもたまに本当に意味わからんこと言ったりとか、どういうことっていうことを言ってると思うんで、
説明が不足してたりとか、言葉に詰まってたりとか、
同じようなこと言ってたりとかすると思うんやけど、
でもそれも練習であり本番でもあるのかなと思いつつ喋ってて、
まあまあまあ、まあまあまあですね。
そう、いろんな血が繋がってきてて。
でも今日話してみて、やっぱり話してみると案外、
もっといっぱい僕の頭の中には存在してたんやけど、
まだこんなもんか?みたいな感じでも思ってて今。
ああ、そんなもんかっていう。
血で繋げてるけど、別に繋げなくてもよかったかもなって思ったりとか。
いろんな頭の中のぐるぐるしてるものを、
登ってきてて話しててちょっとよかったかなと思います。
いやー、今日はちょっとなんか、迷走気味やね。
まあ、いいか。迷走気味やけど。
まあでもちょっとずつなんか見えてきてるなーっていうのも、
ここに残せてるんでよかったし。
継続することに悪いことじゃないね。
ちょっと心の鳴るぐらい。風邪ひくぐらい。たまに。
それぐらい悪いの。デメリット。
でもそれがまた学びになったりとかするから、
リスナーとのつながり
やっぱり継続したりとか、やっぱり発信し続けることって
かなり意味があることなんだなと思いました。
はい。というわけで、
今日はこんな感じで終わろうかなと思います。
本当に毎日ノート更新してて、
今ね、しかも1000文字ぐらいを目標に。
2000文字とか言ってる時あるんですよ。結構。
あるんですよ。みたいなのをイメージしてて。
意識してて、しかも読まれるような文章とか、
その内容をちゃんとまとめて、
かつ読みたくなるようなトップのタイトルとかを
結構意識してるんで、もしよかったら見てください。
で、このタイトルそんなんやなと思ったら
開かなくてもいいのかなと思ってて。
それがちゃんとデータになって、また僕の学びになるんで、
もしよければノート見ていただけたらなと思います。
一人ごと、皆さんの一人ごとも募集してるんで、
概要欄のフォームから送ってくれても嬉しいので、
ぜひ送ってください。
はい。ということで、
今日はこんな感じでした。
本当に毎回聞いてくださったりとか、
今日は初めて聞いてくださってる方も
いらっしゃるかなと思うんですけど、
本当にいつもありがとうございます。
毎週月曜朝6時に配信するんで、
また次の月曜日もお会いしましょう。
では皆さん、今日から明日からお元気で楽しんで、
癖強めで無理せず頑張っていきましょう。
ありがとうございました。