1. にじシバラジオ
  2. にじシバラジオ#034 寓話とし..
2025-02-12 29:34

にじシバラジオ#034 寓話としての『チ。-地球の運動について-』

spotify apple_podcasts

小倉さんおすすめコンテンツ/ 魚豊『チ。 -地球の運動について-』 / 『チ』の描写は間違っている?? / 言葉で伝えることの重要性 / 『チ』は歴史の話と思わないほうがいい / 知識はどう手渡されていくか / 天動説と地動説 / 人間の知識とAI解析 / 真理と物語の強度 / 寓話としての『チ』 / 社会的に抹殺されても残るものは残る /

#にじシバ #にじシバラジオ #LGBT #LGBTQ #埼玉県 #川口市 #レインボーさいたまの会 #ポッドキャスト #チ #チ。地球の運動について #地動説 #天動説

*************************************

◆にじシバは、川口市芝にあるシェアスペース「スペースとプラン」で開催している、ジェンダーやセクシュアリティ不問のおしゃべり会です。月2回開催。

開催日程の詳細はにじシバ公式HPでご確認ください!

(にじシバラジオのnote(にじシバラジオ配信日記)もあります!)

◆また、にじシバはNPO法人レインボーさいたまの会の活動の一環でもあります。活動の詳細についてはレインボーさいたまの会公式HPをご覧ください。

◆にじシバラジオの感想・お便り・お問い合わせはこちらから→⁠https://forms.gle/EMNvwJGcmJDFdcb49⁠

◆にじシバラジオMCの一人、小倉さんが経営する出版社・有限会社ぶなのもり

◆にじシバ開催場所、シェアスペース「スペースとプラン」

◆にじシバ発祥の地、ブックカフェ「ココシバ」

OP・ED曲はBGMerさんが配信している楽曲を利用しています。→ BGMer⁠http://bgmer.net⁠ ※OP曲 [Free Music] Lunar Eclipse - Drunk  ※ED曲フリーBGM [夕暮れコスモス]

サマリー

ポッドキャスト第34回では、アニメ『チ。-地球の運動について-』とその原作漫画について語られています。この作品は、15世紀から16世紀の地動説を唱えた人物たちの物語を通じて、真理を探求する重要性を描写しています。このエピソードでは、寓話的な要素を通じて、作品『チ。-地球の運動について-』における地動説と人間の成長が探求されています。主人公たちは自らの言葉を学び、地の動きを理解しようとし、その過程での人間関係や真理へのアプローチに焦点を当てています。また、エピソードではキリスト教のグノーシス主義に関連する別伝文書の発見と、その歴史的意義についても語られています。古代の知識がどのように残っているかを考察し、その伝達の熱意がどれほど重要かにも触れられています。

にじシバラジオの紹介
こんにちは。にじシバラジオ第34回です。
にじシバは川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
よろしくお願いします。
今回は小倉さんのおすすめコンテンツ会ということで、
何にしようかと思ったんだけど、
今ちょうどNHKで2期が始まりましたね。
『チ。-地球の運動について』っていうアニメやってますけど、
その前はもちろん漫画だったわけで、
ビッグコミックスピリッツでやってたらしいです。
アニメの方はね、ここに単行本が入ってたんだけど今貸し出しに出てます。
あったら見せて話が早いところもあるんですけど、ないですね。
どういう話かっていうと、
15世紀の地動説を唱えた人たちの、
15世紀から16世紀までいくのかな?
何って言ったらいいのかな?
地動説を唱えている中で、
舞台はピーコックってなってるけど、ポーランドなんだけど、
だからコペルニクスをイメージして、
フィクションなんだけど、実際に当時天動説が主流だった。
そして現在天動説は支持されておらずっていうのが当たり前か。
今は地動説がとりあえず社会の常識になったっていう答えは出ているところの中で作ったフィクションで、
こういうこともあっただろうということをイメージしながら作品を作っていく。
だから事実というよりは、
そうやってこれが正義なのではないか、
これが正しいことなのではないかっていうことをずっと唱え続けた人たちの話なんだよね。
なぜ地を取り上げたいと思ったのか。
そうそう、なんかあれね、面白いですよ。
まず面白いっていうかね、でも最初に私ネットでアクセスしちゃったのは、
地は間違っているっていうところから、
そういうブログを見たところから入ってるので、最初すごい懐疑的だったね。
そう、だから自分も地は読んでなくて、アニメも見てなくて、
たまにちょっと演じし系をつけたらやってるやつをたまに見る程度なので、
あまりこう話としては追っかけてないんですけど、
ただその地が描いているその時代背景というか、
それが間違っているという影響を受けて、
ちょっと炎上してたのは知ってます。
そうそう、私も炎上から、ここに地があったのは知ってたよ。
だから読んではいないけど、置いてあったと、まずね。
で、アニメになったんだ、すごいなNHKとは思ったけれども、
炎上してたことも知っていて、で、炎上してたからやっぱり一歩引くじゃん。
そうなんだ、なんか背景違うんだっていう、なんか嘘が書かれてるんだと思うと、
ちょっと心が引くところを見始めたら、嘘とかいいじゃんっていう。
変な話、極端なことを言うと、もちろんだって実際登場人物とか具体的なところとかね、
歴史物、仮に織田信長っていう話を、これが仮にコペロニクスだとして、
コペロニクスって話でやるんだったらっていうところでもないし、
織田信長ってやったって織田信長がいろいろ違うとか、
あとやっぱり海外の反応とか見てると、当時そんなに必ずしも天道説は否定されておらず、
地道説を唱えてた人たちも普通にいたというのも事実だっていうことの声が大きくて、
それはもうキリスト、でもね、見たらキリスト教徒は喜ぶんじゃないかなっていうようなアニメなんだけど、
やっぱりそれは私はキリスト教徒じゃないからで、見た人はやっぱりすごい抵抗あるんだね。
なんかキリスト教徒が残酷なことをしてる、それは本当ではないのに、みたいなところでの思いが募るらしく、
なんか水上に反発してる人も一方でいると。
でも実際にじゃあ残酷なことも、それからその地道説を異端とすることもなかったのかといったらば、
それも絶対ありえなかったわけで、
特に一番カマビス州中央の統制の取れてない周辺とかに行けば行くほど、
より異端に対する過劣な周知は大きかったんだろうなというふうにも想像がつくし、
その程度の理解でいいんじゃないかなと。
別に必ずしも全ての地道説を唱えた人が無惨にも残酷な状況下で殺されていったわけじゃないってことよりも、
大事なことが多分あって、こんなに例えばその言葉を伝えていくことっていうのは深い意義があるんだっていうことをね、
なんかその今言葉のサイコペっていうと失礼だけれども、
言葉に対するさ、やっぱり抵抗感とか信頼感のなさみたいなのが言われる時代に、
すごく言葉を読むとか書くとかってことは重要であるっていうさ、
いや私が今一方で疑いつつもあるさ、
主人公と知識の継承
それこそ前回のそのお互いに手を動かして編み物をする言葉が喋れるようが喋れなかろうがってことの方が重要じゃないかって言ってることの真逆だけど、
最後のさ、やっぱりその言葉を学ぶこと、言葉を伝えること、書いたり読んだりすることがどれほど重要かってことにだけ重きがあるんだよね、話としては。
転動説、地動説の話っていうのは、よくパラダイム転換のレイドスっていうのがあって、
それまで転動説だったのがパラダイムが変わって地動説になったことで世界の見方がガラッと変わるみたいな。
ただ実際の歴史的にはそのギリシャ時代からすでに地動説を唱えている人がいたりとかみたいな話で、
その転動説が支配的なところから、地動説が支配的なところからガラッと変わったっていうよりかは、別にそういうわけでもないような話ではあるっていうところの中で、
とはいえ、今小浦さんが言ったように、弾圧が全くなかったのかとか、地動説を途絶えることが異端とも目されなかったかといってば、
やっぱり異端であったっていうところがあったり、あることは多分事実であって、
そこのところの歴史のダイナミズムみたいなのをどう捉えるのかっていうのは面白いところですかね。
そうですね。でも歴史の話だと思わないほうが、だから多分よろしくて、それよりももっと主張的なんだよね。
逆に言えば、すごく誰かが、やっぱりこれもブログで書いてたけれども、著者と誰かの対談かもしれないけど、常に主人公は殺されて死んじゃうから、
そうなんです。
そうなんです。常に主人公は殺されて死んでいくんです。常に地動説を唱えるものは、異端新聞館に殺されていくので、変わっていくんですよ。
で、異端新聞館の方は変わらないんですよ。わかります?だからその人が生きてる間はね。つまり少なくとも一部の段階ではずっと同じ人なんです。
やっと2部になって途中で多分変わる可能性はあるんですけど、で、主人公が変わっていくストーリーで、だから大事にしてるのは、
主人公がこういう主張を持っているとか、そういうことではなくて、それがどう手渡されていくかみたいな。
で、まず最初の主人公のラファウっていうさ、少年が主人公のところから始まるんだけど、そのラファウは元々その子児で、僕、神父さんだね。神父さんに引き取られて、育つんだけど、
非常に優秀で、大学に行くことも、学内で一番優秀だから大学に行くことももう決定していたと。
で、その時にたまたまその神父がさ、傷んで転んだ人を預かる。その身元引き受け人みたいになって、その人は地動説で収容されてたというか逮捕されてたものが一応転んだので、転校したので解放されると。
で、その人からちょっとしたチャンスを、まあ元々彼は天体観測が趣味で、毎日空を見てるんだけど、空を見てつぶつけてるわけよ、ちゃんとその星の移動記録をね。
なんだけども、その一旦の元主人にいくつかのキーワードを手渡されたりチャンスをもらうことで、地動説を獲得したんだよ、自分で。
で、もちろんそれはこの元々の囚人、元囚人の人が早々にもうお前転んだって言ったのに転んでないだろうっていうことが分かって、すぐ捕まって彼の方はただ子供は関係ないですと。
この子は全然関係なくて、俺がこの子をちょっと利用しただけだよっていうふうに言って、もう早々に捕まって火炙りで殺されちゃうんだよね。
で、その子供の方は別に直接的にその時は怖いなとか嫌だなとか思ってたけど、やっぱり真理がはっきり自分で天体観測した分だけ手元にあるから、どうしてもそっちに引っ張られてっちゃうわけよ。
で、受け取っちゃうわけ、その思想を自然と。で、その彼が残していたその地動説を補填する資料みたいなのが山の奥に隠してあってさ、そこに彼も何か追加の資料とかを入れ立てたりして、そこの山の中にボックスみたいな、真理のボックスみたいなのを作り上げちゃうわけよ。
でもまあその結局大学に進むの進まないのって段階になって、その神父に通報されて、親で、式取り手の神父に通報されて、彼は結局異端診問されて自分で死んじゃうんだけど、っていうところからスタートなんだ。
なんか子供が死ぬところっていう、すごいキャッチーな、子供なのに死んじゃうっていう。で、彼は言い残すわけよ、自分が死んでも、自分の命なんて簡単になくなっちゃうかもしれないけど、真理を知りたいっていう探究心を殺すのは大変ですよって言って死んでいくんだけど。
で、今度はそのボックスは次の人が、そこを知ることになった人がたまたま引き取っていくんだけど、アニメを見たり漫画を読んでいくとわかるけど、そこの場所もついに燃やされちゃうんだよ。それでも今度は違う形で引き取る人が出るわけ。だからずっとそれが消えそうで消えない、ずっといろんな形で引き取っていく人がいる。
自分が受け渡されたっていうふうに考えて、違うところで同じように地道説を唱えていく人がいるっていうストーリーなのよ。簡単に言うと。すいません、説明が下手です。
そうやって知識をつないでいく中で、最終的には地のオチが微妙だのなんだのって話は噂で聞いていて、そこのところがあるので、あまりオチは知りたくないなって。
私もまだ見てないし、アニメがまだそこまで行ってないからね。でも漫画は終わってるんで。
言葉の繋ぐことに対するすごい著者の執着を感じるよね。だから大学のときにさ、よその大学の先生を呼んで話を聞くっていう授業を担当してたの。いろんな人を呼んで話を聞くときに、
人間の成長と探求
社会運動論をやってた先生を呼んだときに、いろいろなところでそういう市民活動とかそういうのを指導したり支援したりとか、そういう人たちにいろいろ教えたりしてる中で、それが実らないと虚しくなったりしませんかって私は聞いたことがあってさ、うまくいくわけじゃないじゃないですかって。
でもその人はさ、巻いた種はだから生えないかもしれないし、生えるかもしれないし、巻き続けてると生えたりするっていうのをさ、ちょっと思い出したんだけど、なんかそれに近い感じを地ではずっと受けるし、それは別にその、多分コペルニクスとかね、例えばそういう誰か一人の英雄が何か発見してじゃなくて、同じ頃に大体同じことをさ、同じ文脈の中から感じ取る人がいて、ちょっとずつこう、
なんか点が回ってるんじゃなくて、地が動いてるかなーみたいなことをさ、ちょっとずつちょっとずついろんな人が考えるようになって、でそれが、あの、いやそうじゃないんです、点が動いてるんですっていくら言っても、どっかのタイミングで、地だよねーってなる。
まあ実際その天体観測の道具とか、中世だとね、なかなか望遠鏡とかもなかなか作れない、レンズの加工技術がなかったりとか、なかなか手にすることができないっていうこともあるかもしれないけれども、やっぱり実際観測すれば結果は同じ、誰にとっても同じなので、
自然科学の場合だとその自然が、自然科学で観測の結果を得られるものっていうのは誰にとっても同じ結果が得られるわけだから、そこはやっぱ強い。
だから例えば、その時はさ、やっぱりレンズがないから、視力のいい人が見る世界なのよ。視力優位なのね。だからあの、あそこの星まで見えるかとかっていうのが問題になったりとかさ、するんだけど、
あともう一方でさ、やっぱりここにはすごいキリスト教っていうのが強く入っていて、その地動説が発見されるにあたってもね、多分それは本当にそうなんだろうなと思うのよ。
神様が作る、その星の動きってさ、天動説を基づいていくとすごく数式が合わないというか、この図がうまく描けない。けど、地動説で考えると割と描きやすい。
ここで火星が逆に回転しだすのはおかしいとかになるわけよ。例えばね、火星、金星、わせた。まあそうなんだけど、これが地動説に基づけば大丈夫ってことになっていくんだけど、それってもう一方で理屈が合うか合わないかっていうのは、神様がこんなにちゃんとしてない世界、きれいじゃない世界を作るわけないっていう風に言うのよ。
で、神様を信じてなかったらさ、火星でも金星でもいいんだけど、逆行したっていいわけじゃん。でも神様が作ってるっていう強い信念が一方であるから、正しくもっときれいに線が描けるはずだっていう風に考えるわけよ。だから前提としてあるのはやっぱり神様なんだよね。
まあその惑星の動き、惑星ってなんで惑星っていうかっていうと、惑う星って描くと。だから星座です。いわゆる星座っていうのは東から出てきて西に沈んでいくんだけども、だからそれは天球儀に描きやすいんですね。天球儀っていうのは地動説、天動説の頃に作られた星座の天が動く星みたいな。
ところが惑星っていうのは、天球儀とは関係ない動きをするので、昨日は東に出たかと思うと今日は西に出るみたいな、そういう動きをすると。なのでそれを天球儀上に表そうとすると、めちゃめちゃ複雑な動きになってしまうということなんですね。
で惑星ってことになったっていう。それを合理的に説明しようと、そういうシンプルに描こうとすると、どうしたって地動説になってしまう。地球の地点と地動説を、太陽の光点を想定しないと、で想定すればわりかし正しく図が描けるっていうことが分かるんだけど、それは科学の目だとそうだけど、
でもそれはどうしてそういうふうに曖昧に動く星がないのかって言ったらば、それは神様がいるからなんだよっていうさ。なんかそこら辺が、まあ私たちは逆にさ、おそらく神様が、キリスト教を信じて、私はいないから、神様いないからさ、神様がそうしてくれてるんだ。ちゃんときれいな世界を作ってくれてるんだなんていう信仰はなくても、
アニメを見る人たちのね、まず第一、アニメ視聴者あるいは第一漫画読者の人たちってさ、あらかたキリスト教徒じゃないじゃん。わかる?だからそれの面白さって、もう一つひねってある、別にキリスト教徒に指かけてるわけじゃないから、たぶん著者はね、日本の読者を想定してるわけで、
その人たちが、神様はきっと、なんかこんなぐちゃぐちゃなね、あの線を引かせるようなことはしないだろう。もっと美しい世界を作ってるんだっていうふうにいうことが、ちょっと距離を持ってみれるのよ。私はまた逆に。神様いないしな、私には。そうやって思うわけよ。なんかなんかその辺の。
でもどうなんですかね。割と数学、自然科学者って、割とシンプルなものに最終的に行き着くっていうか、法定式を作るとか考える場合でも、どんどんどんどんシンプルイズベストみたいな感じ。それって神様の概念と関係があるのかないのか、ちょっとよくわからない部分があるな。
だからフジテレビ系列、夜のアインシュタインを見てると、そうでしたよ。やっぱりその村上陽一郎。私、やっぱ大学生ぐらいの時に村上陽一郎にはまったけど、やっぱり神様なくしては、切れ隙をなくしては、科学は発展しなかったっていう発想を、だからこれはすごく詩的なものであるっていうことを、村上陽一郎は乱暴に喋ってるけど、教えてくれて、私もすごいショックだったけど。
なんかね、最近見たニュースっていうか、科学系のニュースで面白かったのが、ニュートン力学の法定式があって、それで例えば二重振り子運動っていうのがある。振り子の下にさらに振り子がついてるようなやつで、それを回転させるとすごい複雑な動きをする。
それは結構複雑な法定式になるんだけれども、それをAIが解析をして、その動きを。それと同じような動きをする法定式をAIに作らせると、人間が考え出したものとは全く別のものになるみたいな話があって、そこで出てくる変数っていうのが割と小数点を持ってたりする。
人間が作るやつは大体小数点がないパターンで、これが綺麗だっていう法定式を作るんだけど、AIに作らせるとめっちゃ複雑で、小数点を持つ変数を持ったやつが出てくる。だからそうすると、本来はそれを再現すると全く同じ動きをする。
どっちが正しいのかっていうのはわかんないですけど。
いや、でもさ、自然数って言い方があるじゃん。自然数が自然かって言われると、多分、そこにも一歩冷めたっていうかさ、距離を置いて見れる目を、キリスト教徒じゃなかったばかりに持てているっていうところがあって、多分AIの方が正しいんじゃね?って私はざっくり思う。
AI教徒でもないからあれだけど、でもAIがもしも小数点を走り出しても何の違和感もない。もっと高度な計算ができれば、そんなに人間にわかりやすく単純にシンプルにできているとは限らないぞって。
人間は人間がわかる範囲のものを法定式に表しているだけで、実際の自然法則がもっと複雑なんじゃないかっていう風に。AIが出てきたおかげでわかりつつあるみたいな。
たかし、なるほど、なるほど。そうか、面白いね。だから、千代はね、本当にそういう意味ではお勧めするよ。見たほうがいいよ。一部の主人公がラファウっていう少年なんだけど、二部はさ、二人いて主人公がね、言葉をまず読み書きを習ってないオクジーっていうさ、傭兵なのかな?
あと、バテーニっていう神父なんだけど、もうその異端神父。存在自体がとにかくもっと偉くなりたいとか、ちゃんとこう世の中に自分が名前を残したいとかってタイプの、その二人が主人公なんだけど、バテーニはさ、やっぱり、もう一人女性で天文を学ぶとか大学の授業を受けるということが認められてないんだけど、
いいように教室の生徒の下端だけみたいに使われたり論文書かされたりしながら、地の探求がやめられなくて授業を盗み引きしている女の子。ヨレンタだ。実は異端新聞館の娘なんだけど。
その三人が主人公なんだけど、オクジーはさ、その付き合いができ始めて、自分の言葉を文字が読めるようになりたいと。書けるように、読み書きできるようになりたいと、いうふうに言い始めるんだ。彼が最初にバテーニにこんな資料があるぞって、山の中の箱、ブラックボックスみたいなさ、宝の箱みたいなのの場所を教えるんだけど、自分はこれが何だかわからないの。どんなに大事なものか、どんなに危ないものかもわからない。
で、その三人で付き合って、どうやら地球ではなくて、天ではなくて地が回ってるらしい、動いてるらしいっていうことを訴えかけていくうちに、お互いにいろいろ詰めていくうちにさ、自分も言葉が書けるようになりたい。
で、そのヨレンタがさ、彼に言葉を教えたりするわけだから、それは絶対いいことだよって言って。でもバテーニの方は、いやそんな、やっぱり人間にはね、ちゃんとそういうのに向いてる人でも向いてない人がいて、いやそんな庶民が学んで学べるもんじゃないよ。一方で地動説を唱える人間もそういう状況なんだけど。
で、バテーニはさ、結局それで最終的に拷問にあって、その場所を教えて燃やされたりとかしてるんだけど、その後に残すものをさ、実はこっそり埋めていて、埋めていたのは、まあどこに埋めていたかは別に言う必要がないんだけど、唯一残していたのは、実はオクジーが文字を書けるようになって、自分の研究成果は一切残さなかったの。
物語の力
で、どうせそれは真理だから、誰か他の人が発見する可能性もあるからね。自分の名前が出ないだけで。オクジーが書いた、こうやって3人でやってきましたっていう物語の方を残したのね。それを言葉として唯一残していたっていうのがすごく面白くて、真実の方よりも物語の方が強度が高いんだなーっていうふうに思って。
で、ここ燃えるところね、みたいな気分じゃない。なんていうのかな。自分の研究成果よりも、自分が初手からこんな人が文字を学んだりしても何の役にも立たないって言ってた人が書いた物語の方を残しておいたっていうのはさ、なんだろうな、人間っていうところなので。
ある意味、なんか偶和的な感じなんですかね、その地自体が。
そうですね。非常になんか、すごくこう、私たちのお子様みたいな年齢の人たちでしょ、どうせ。もうね、ごめん、何も残せてなくてごめんって感じなんだけど。落ち着くってどうするって感じなんだけど。やっぱりね、すごいなって思いましたね、漫画家さんね。
そういう、どういう経緯を得てこの話を書くに至ったかわかんないけど、とにかく直線で残るものではないし、消えても残るものはあるし、残るのはこういう形で残して、人たちが残してきたんだなーっていうことがわかればいいだけであって、自動説とかどうでもいいなーっていうのが、なんかこう、やっぱりその、見ての感想なんだよね、ある意味。
なんというかあれですね、司会文書っていうのがね、あって、キリスト教の福音書の、いわゆるグノーシス主義って言うんですけど、キリスト教の聖典、バイブル、聖書、聖書は今残ってるやつが、正当なやつだって言われているわけですが、それとは別に別伝みたいなのがあって、
それがもうずーっと、古代の人が、完全に遺憾なのでね、聖書の別伝というのは。それこそ本当に、血どころではない感じの弾圧を受けてた。でもその弾圧の歴史自体も、見えない。昔、あまりに昔すぎて見えない。
もちろん残さないからね、それもね。
で、それが、グノーシス主義っていう立場の人たちが書いていた、キリスト教の聖典の別伝の文書っていうのは、司会の近く、司会っていうのは死の海って書いてある司会で、深々体が浮くところですね。
そこの近くの洞窟に、なんか壺がね、隠されてたらしいんですよね。で、羊飼いの人だったかな、なんかが見つけて、70年代かそのくらいに見つけて、なんじゃこりゃって思って、開けてみたら、古代のキリスト教板歯の文書が隠されていたっていう。
まだ多分2000年、千何百年という長きに渡って、その隠されていたやつが、70年代だか80年代に発見されて、それによって古代の板の、キリスト教板歯が何を考えていたのかっていうのが、分かる手がかりになったみたいだね。そういう話がありますよね。
それは何に書かれたの?羊飼しかなんか?
多分羊飼しとかなんですかね。
なんかさ、紙の強度って薄いじゃん。逆にさ、残すにしてさ、やっぱり石とかで残してると本気で残す気だなっていうふうに話したのって虹柴だった?違うか。どこで喋ったんだっけ?なんかどっかで話したけど、石に刻んだ段階で、本気で残す気なんだっていう感じになるって話をした。
でもなんかあの、石碑って意外と文字読みづらい。だからね、その死海文書は何だったかな。多分羊飼しかなんかだと思うんですけどね。パピルスだったらあっという間に腐ってなくなっちゃうんで。
パラッパラッになっちゃうんだね、きっとね。
まあそういう熱意を持って、古来のね、そういう知識を残そうとしたっていうものっていうのはあるんだろうなと思います。ただ、天道説、死道説に関して言うと、多分キリスト教世界以外でいずれ発見はされる。
そうそうそうそう。キリスト教世界ですら発見されるし、それ以外でも発見されるからね。だからそこの問題は、もうなんかね、ある意味どうでもいいんだろうなっていう。
その伝えていくっていうことの熱意。
それこそどんなに社会的に抹殺されたり、肉体的にも抹殺されたりしても、残るものは残っちゃうねっていうさ、それは残ればいいねっていう思い、願いとともに残っちゃうんだなっていうことを感じましたねっていうところですかね。
知識の伝達の熱意
なるほど、ちょっと情報持ちは見てないんでしょうね。
この後、この間のね、デストラインスプランスと一緒で、後で見れるっていうね。
後で見れる。ちょっとまたノートに感想書くかもしれない。
そうですね、楽しみにしておきます。
じゃあそんなところで。
そんなところでしたね。
はい。
LGBTQに関する様々な話題などについておしゃべりしています。詳しい解散日程などは、概要欄のホームページをご覧ください。またチャンネル登録やフォローお願いします。それではまた来週お会いしましょう。さようなら。
29:34

コメント

スクロール