ハセツネCUPでの成績
ハセツネCUPから、ちょっと1週間近く経っているんですけれども、盛り上がりました。先週末のハセツネCUPで上位で入賞された皆さんのインタビューシリーズをお届けしたいと思います。
この収録は、須賀悟さん、ハセツネCUP、今年第3位ということでした。おめでとうございました。
はい、ありがとうございます。
久々のハセツネで須賀さんを見て、この表彰台に見事立たれたということで、すごくいい週末になったと思うんですけども、いかがですか?
けがとか体調とかっていう点では、今すっかり戻ったって感じですか?
そうですね。ゴール後に停滞を脱水で、医務室の方に車椅子で運んでもらって、しばらく休む状況で。
2日ぐらいご飯とか食べられなかったんですけど、今はすっかり元気になりました。
結構やっぱり、後半で順位もどんどん上げて、力強いフィニッシュというふうに見えましたけども、結構過酷な週末になったということですか?
そうです。実は、ちょっと未踏さんからジェルとかエネルギーを取れない状況になってしまって、その前の段階で目眩がひどくなって、去年もその目眩でリタイアしたんですけども、
今年もちょっと同じようなポイントで、西原峠を過ぎてから目眩が出てしまって、ただ去年の経験上、一回しっかり休んで、補給をして心拍数を落ち着かせれば、また走れるなということは経験としてあったので、
一回そこでしっかりベンチに座って、しばらく心拍数をしっかり100以下まで落として、ゆっくり休んで歩いてというところで復活したんですよ。復活はしたんですけども、どうやらジェルを入れるとまたふらつきが出るような感覚があって、
もうそこで覚悟を決めて、水だけで行こうと、残り40キロぐらいから30キロぐらいを見下げて行こうと。
西原さんの山頂近くということですか。
そうです。まだあるんですけども、ただそこまでしっかりエネルギーが取れてたし、比較的下り基調というのもあって、あとはうまく自分のエネルギー、残っているエネルギーをうまく配布しながら行こうかなという部分で、残りを走って、
結果的にうまく繋げたというか、途中ポカリセットもらって、500だけもらったときに口の中に含んで脳を騙すというか、ポカリも入れるとあまり調子が良くなかったので、
少し口に含んで脳、糖質が入っている状態を騙しを作りながら最後まで進んで、本当は最後の数キロは脱水の症状というか、データ読んで痺れみたいなのも出てきてたんですけども、あとは気持ちというか早めに、それで上位の皆さんは比較的上に何も羽織ってなかったと思うんですけども、
僕はちょっとエネルギー取れないなって分かってたんで、早めにレインを着て保温しながら、うまくマネジメントしてゴールまで、本当にエネルギーゼロの状態でフィニッシュまで何とかたどり着いたという、そんなわけでゴール後に体調を崩してご迷惑をおかけしたという感じでした。
そういう過酷な、そうなんですね。そこは私もライブ配信とかで見ていただけになったので、気がつきませんでしたけど、そういう厳しいレースだったんですね。
自分の事前のマネジメントのミスなんですけども、うまくリカバリできたなっていうのは思ってます。
フィニッシュされた時に、確か3位でフィニッシュされて、7時間45分、素晴らしいタイムだったんですけど、3位ですっていうふうにリカさんがおっしゃった時に、え?って3位ですか?ってびっくりしたような表情だったんですけども、
自分が何位かはよく分からないというか、3番手に入ってるってことも、自分ではその時は気づいてなかったってことなんですか?
もうその通りで全く気づかなくて、スタートは相当ゆっくり入ったというか、後ろから行ったんで、最初の1キロは多分200位くらいじゃないですか、前にバーっといろんな方がいて、そこからマイペースで進んで上がっていったんですけども、
その状況だったんで、前に何人いるか分からなくて、抜いていく段階で前の選手と少し話しながら多分何番手くらいみたいな話をしてたんですけども、その話の感じだとおそらく6番くらいだなと思ってたんですよ。感覚的に話と合わせながら。
途中のスタッフさんにも特に順位とか聞くこともなかったんで、6番手くらいだろうなって思って進んでて、それでもそういうちょっとアクシデントがあった中でうまくレース自分の中で作れたので、順位はどうであれいいレースできたなと思ってフィニッシュしたところで3位って言われたんで、
本当に全く想像してなかった順位とゴールできたんで、あれは本当に素のリリアクションでした。
過酷なレースと体調管理
そうなんですか。なるほど。そうなったんですね。僕もちょっとその経緯、確かにそうですね。
今回、伊藤さんの先のロストをした人がそれじゃなかったという話がありましたけれども、そこで何人か順位が入れ替わったということもあったのかもしれないですね。知らないうちに須賀さんが抜かしてたということだったのかもしれないですね。
僕もロストはしたんですけど、やっぱり最小限の損失でリカバリできたので、多分僕より前に走ってた方々はもうちょっと大きいロストを恐らくされて、その間に入れ替わってたんだろうなって思ってます。
けど須賀さんもそのロストした一人でもあったわけなんですね。そうですね。恥ずかしながら。早めにちょっと気が付いたということがあったにせよって。それもすごいことだと思いますからね、そういうことがありながらも。
そうですね。なかなか時計に、あとコースのGPX入れてたんで、もう大きく外れてたのがわかったんで途中で。戻ってるんですけど、ロスト自体は相当正直焦りましたけど、ある意味、順位をもうその時点であまり気にしてなかったというか。
しっかり自分の中で体調不良からリカバリして上手くゴールにたどり着くみたいな、そういうところに自分の意識がフォーカスしてたので、どちらにせよしっかりゴールしたいなっていう気持ちが強かったんで、やっぱりそんなにその後はすぐ気持ち的にもリカバリできたっていう感じでしたね。
さすが、やっぱりその辺は菅さんの経験というか、その辺が物を言ったということなのかなと思いましたけどね。冷静にそこは立て直すというか。
年数だけはやってますって。
そうですね。菅さんと私、最初レースとかでお見かかりになったのって、もう10年ぐらい前になる、遡るのかなと思うんですけど、菅さんがトレーニングで目覚めて、レースとかでも活躍されるようになったのも、2012年ぐらいのシーズンからかなと思うんですけれども。
ちょっと僕のデータをね、ちょっと逆らって見てたんですけど、ハセツネカップも何とか出場されていましたですよね。去年も実は出てらっしゃって、リタイアされたという話も今ありましたけれども、改めてここでもう一度ハセツネ出てみようと思われたっていうのは、どのあたりに理由があったのかなということを改めて伺えればと思います。
そうですね。やっぱりトレーニングその初めて頃の2012年あたり、2012年からハセツネを目指して、心燃やして走ってたんですけど、一通りその時2014年にサブエイトして、ちょっと自分の中で区切りがついたというか、という部分があって、やっぱり同じ時期にもいろんな国内レースがありますし、
海外のレースにも挑戦したいというところで、相当もうしばらく離れて、いろんなレースに出て、自分の興味のあるレースだったり、レベルの高いレースを探したりしてたんですけども、そこから10年ぐらい経って、トレーナーの人生が一瞬したような感じで、
一通りやっぱり自分のやりたいこととか、出たいレースを経験してみた中で、もう一回自分の心を熱くしてくれる挑戦というか、過去の…やっぱりコースが変わらないんで、ハセツネは。過去の自分と向き合えるレースというところで、もう一回ハセツネに挑戦しようかなという気持ちになったのかなという。
この10年ぐらいの年月がちょうどその時期だったのかなと思ってます。
ハセツネCUPへの挑戦と成長
2014年にサブウェイトという話をおっしゃってましたけれども、僕もちょっと今手元のデータを見てたんですけれども、2014年、この時もコンディションは結構良かった年だったんですけども。
良かったですね。
1時間51分っていうタイムでいらっしゃったけど、今回はさらにそのタイムを5分から、もっと6分か、上回ってるということで。
その10年前、まだ20代でいらっしゃった時の自分をこれだけ大きく超えるってすごいことだと思うんですけど、ここはやっぱり自分としてはどうですか。やっぱり自分の成長を感じるということですか。
そうですね。30代半ばになって、やっぱりこううまくいかない部分というか、怪我が増えてきたり、去年今年と今年も春から夏まで全く走れなかったので、
そういった中で、純粋に同じコースで20代半ばの時の自分の記録を超えられたっていうのは、やっぱり誰かとの比較じゃなくて、自分の中ですごい自信になる。
ハセツネだから感じられた成長の部分かなと思って。今回ロストとかもあってちょっと取りこぼしがあったんで、もう少しハセツネと向き合って満足のいくフィニッシュがまたしたいなって今思ってます。
この間ね、私もちょっとイトラとかのデータベース見てたんですけれども、菅さんも海外のレース、GTNPだったりとか、あと昨年は秋に世界選手権、チェンマイの世界選手権を受けられて、私も登校させていただきましたけれども。
そういう形で、いろんなトレーニングの世界を経験されたわけなんですけれども、ここへ来て、またそういう10年前の自分と向き合うような経験されて、あと一つ象徴的だなと思ったのが、今回毎年そうですけれども、
いわば10年前の菅さんみたいな存在で、20代の選手、若いトレーニングまだ始めて間もないという選手が何人か優勝候補で2位になった菅沢さんとかもそうだと思うんですけれども、そういう選手たちと肩を並べて、菅さんが走ってまた3位になったというところも、ストーリーとしてすごく興味深いというか、
同世代のランナーの方もたくさんいらっしゃると思うんですけれども、勇気づけられるというか、そういう気がしますよね。
僕も10年前、柱根出たときなんかは結構前半に前のポジション、特に初出場のときなんかはやっぱり前半にどれだけいけるんだろうと思って、前にポジションを取って後半落ちるっていう典型的なレースだったんですけど、そのときちょうど活躍されてた世代というか、それこそ相馬さんとかもそうですし、
ハセツネカムロトレイルランの概要
今回も一緒に走った50代の星野山谷さんとか山田拓也さんとかもそうなんですけど、前後する選手と喋りながら肩を叩いてもらって、モチベーションをもらって、順位は悪かったんですけど、モチベーションをもらって当時の選手からもらってたんで、
10年経って、意図せず自分がそっちの立場になりつつあるのかなって思ってて、僕も今回後ろからポジション開けてたんで、そういう20代の赤井選手とスライドして、少し話しながらレースを進めてたんですけど、
そういう今回初出場とか経験が浅くてうまく力を出せなかった選手っていうのは、少なからず正直僕より力がある選手がいっぱいいると思ってるんで、今回の経験とかを機に来シーズンにいい走りをしてくれるんじゃないかなって、そこに僕もまた食らいつけるようにトレーニングしたいなって思ってるんですけど。
菅さんの今回の活躍に、この赤井選手、これから始めたばかりという選手も学ぶことが多いでしょうし、そういう世代のつながりが生まれてるっていうのはすごくいい話だなと思ったんですけど、その世代のつながりというところで話が広がるんですけど、菅さん自身が去年からですかね、
このふるさとの山形県と神山町で大会をプロデュースされてるということで、実は私もその話はうろ覚えしてたんですけど、今回調べてみたらもう来週ですよね。
1月22日に今年開催されるということなんですよね。こちらについてもぜひ伺えればと思うんですけれども、どんな大会かまずはご紹介いただけたらと思うんですけれど。
そうですね、山形県の神山町というところで、カムロ山という200名山があるところで、そこを舞台にしたレース、一番長い距離37キロなんですけれども、さっき岩澤さんがおっしゃってた世代のつながりというか、というところを大事にしたいなと思っている大会で、
若い選手、キッズたちにトレールランニングという文化、山遊びをして楽しんでいる大人たちを見てもらって、トレーラーに興味を持ってくれたら一番いいですし、そうじゃなくてもこういう世界があって、何か人生の一つ頑張るきっかけというかピースになればいいなという思いがあって、
なので、キッズの部門をすごい大事にしていて、大人の部門を走りつつ、同時にその会場内でファミリーから小学生、中学生という高校生のカテゴリーを同じ会場内でやって、入り乱れるような形でゴールゲートが大人のロングと選手とかミドルが帰ってくる中で、
ファミリー1キロの子供たちも一緒に走って、ゴール後一緒に一緒のタイミングで肝臓症をもらったりするような状況をあえて作って、それで世代のつながりというか、この地域から遠くから羽ばたく選手が出てほしいなという思いで開催しています。
まさに、菅さんが生まれ育った町でもあるということですから、なおさらそういう地元のふるさとの山で続いてトレードランニングだったり、地元の山だったり、そういうふうにもっと触れる機会が増えていくということ、そういうきっかけになりそうですよね。
そうなればなという、今ちょうど実は、カネヤマチに来てまして、ちょうど小学校で、カネヤマチの小学校で、昨日今日とちょっと子供たちとトレードランについての授業をしている状況なんですよ。この後もちょっと行ってくるんですけど、
それもどうやら、小学校の子供たちがカムロトレードランをきっかけに、トレードランに興味を持ってくれて、その町内のほかの、例えば山を調べたり、山をきっかけに街をPRする、観光としてPRするみたいな、そういう学習を自発的にやってくれているようで、
トレードランニングって、人が全国から集まるような、小さい町だけどポテンシャルがあるっていうところに、子供たちが興味を持ってくれたみたいで、それが自分の思いを一つ叶えてくれたというか、こうやって世代のつながりができて、いい形で次にどんどん若い子につながっていくんじゃないかなって、
今、すごく嬉しい気持ちで事業させてもらって。
素晴らしいじゃないですか。やっぱり、菅さんがまさに、舞い立たねというか、こう起こした一つの、なんていうのかな、行動が広がっているっていうところを実感されているってことですよね。
幸せなもんだと思います。
本当に、私の思いに共感してくれる仲間というか、地元の大人たちもたくさんいて、その人たちが支えてくれて、子供たちにたくさんいろんなものが伝わっているのかなって。
私たちも子供たちの思いを受け止めて、またしっかりこの大会、運営していかなくてはなって、今思っています。
菅さんの思いと地元の支援
もちろんその背景には、菅さんが世界選手権とかそういうところで活躍されるような、地元の山をベースにして、そこまでになった選手が地元の出身でいらっしゃるということが当然大きかったんだと思いますけれども。
そうだといいですね。
もちろんこれからこれ聞いて参加したいという人は、まだエントリーはもう決め切られてますけれども。
ぜひぜひ来年というか、いろんな菅さんのソーシャルメディアとかブログとかもありますし、概要欄とかでもご紹介したいと思いますので。
聞いて、そんなのあるんだと思われた方はぜひフォローしていただけたら、来年またチャレンジしていただけたらと思います。
ありがとうございます。
まさにこのハセツネは、菅さんのトレイラーニングを通じた、ふるさとやまた子どもたちでね、こんなことを伝えたいことの一つの、ハセツネも一つのエピソードになったんじゃないかなと思います。
本当に、本当にそういうことです。
3位という形で今回インタビュー伺うことができて、非常にいいタイミングでお話し受けました。ありがとうございました。
はい、本当に僕もちょうどいいというか、タイムリーなところでお話し聞いてもらえてよかったです。
カメラトレイルの話題も独作キャラバンのコラムの中でもご紹介したいと思ってますので、ぜひご覧いただければと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
今日はその大会の開催されるふるさとの金山町からご参加いただいた菅さんでした。
そうです。
ありがとうございました。またお話し聞かせてください。
ありがとうございました。
楽しみにしてます。