暑く30度近いとか30度超えてくると、やっぱ北海道も涼しいので、こっちはもうだいぶ、結構なんかちゃんと考えないと、後半とかもそうですし、序盤から結構きつい展開になるんじゃないかなと思ってます。
なるほど、けどね、まあいろいろシミュレーションはされていると思います。
小川さんのこれまでのいろんなレースを見ていくと、私のイメージでは先列なのはイズ・トレイル・ジャーニー、ITJ70K、12月にあるレースでかなりいい結果を出してらっしゃるというイメージもあって、
こういうハセツネは70キロ、実際はちょっとそれより短いかもしれませんけれども、ちょうど小川沢さんにとっては得意というかスイートスポットというか、距離にもし強みをどういうところに興味あるとか強みがあるとかっていうところで言えば、
結構小川沢さんにとっては自信を持てるフォーマットのレースなのかなと思いましたけれども、その辺はどういうふうにお感じになりますか。
僕も世界選手権走る前まではITJが最強距離だったんで、ITJも結構苦戦したんですけど、ITJで結構走れるところが多いじゃないですか。
結構ハセツネって結構アップダウンとかがあると思うので、そこの部分はやっぱりちょっと不安ではありますけれども、何とかギリギリ乗り切れるんじゃないかなと思っているような、今の自分の力だと距離なのかなと思ってますね。
同じような距離のレースもすでにチャレンジしていい成績も残してらっしゃるから、そういう面での不安はないというか自信が持てるということかなというふうに思いましたけれど。
ここからちょっと河原さんの最近というかトレーニングとの出会いみたいなところから、その辺もちょっとこの機会にせっかくなので聞かせていただければと思うんですけれども、
私もちょっと探せる範囲で探したプロフィールとかを拝見すると、その学生時代まではずっとランニングではなくてサッカーに打ち込んでらっしゃったというお話を拝見したんですけれども、そこはもうやっぱりサッカー一筋、サッカー少年みたいな感じだったんですか。
そうですね、結構もうサッカーはずっと小学3年生から卒業までやってたので、途中でその中学校とかの時には、駅伝とか陸上大会出るときは長距離というか、中学校で言うと長距離だったんですけど、3000メートルとか1500メートルとか出てた感じになりますね。
じゃあその学校とか市町村とかを代表するような駅伝とかがあると、ちょっと足の速い河沢さんにお声がかかって、選手として頼まれて出るみたいな感じで。
そういう、そんな具合だからやっぱりサッカー部というかそういう中でもかなり足が速いっていうか、練習で走ったりすることもあるんだと思うんですけれども、ランナーとしての自分の素質があるんだなというところ、速い時から気がついてらっしゃった感じなんですかね、そうすると。
そうですね、サッカーの中でも走れる練習とかだと結構ほぼトップだったりしてましたし、その実習練とかでも結構走り込みもしてたので、そこのところも結構自信はありましたね。
僕あんまりサッカー詳しくないんですけど、そういういろいろオフェンスとかリフェンスとかいろいろポジションとかあるじゃないですか。そういうことで言うと河沢さんはどういう役割をチームではされてることが多かったんですか。
結構中盤のいわゆるミッドヒルダーだったり、あとはサイドの方のところでやることが多くて、その中でも結構走れるから試合に出られるみたいな感じで試合に出てました。
サッカーに打ち込んでらっしゃった学生時代から、たぶん大学卒業されたりしたあたり、やっぱり天気があってランニングのほうに行ったりとか、
力を入れるようになられたのかなと思ったんですけれども、その辺にはどういう出来事というか自分の気持ちとか変化あったのかなというところを伺えればと思ったんですけれど。
大学の時に付き合ってた彼女がトレーランニングをやってて、それに僕もすごい興味あって、練習とかの休みが基本月曜日とかだったんですけど、月曜日とかに近くのトレーランニング、山ってほどでもないですけど、トレーランニングできるようなところに一緒に行ったりとかして、
それをきっかけにして始めて、これずっと続けたいなと思って社会人になってから、結構そっちのほう、働きながらですけど、そっちをプライベートではやってたという感じになりますね。
そのご出身が岩手県の花巻というふうに伺いましたけれども、それで進学は北海道の大学に進学なさったということですと、というふうにプロフィールで拝見したので、そこでトレーランニング、彼女との導きというかそういうきっかけで、北海道のトレイルというか山というか、フィギュエの中を走るようになったということなんですね。
すごい素敵なストーリーと思いましたけど。
ありがとうございます。
ちょっとそういう中で、僕も断片的な検索で知っただけの話なんですけど、一旦卒業して、東京というか関東なのかな、そちらのほうにいらっしゃって、またそれで北海道に戻って、今は北海道、札幌にお住まいでらっしゃるというふうに拝見したんですけれども、そこはやっぱりこう、一度は北海道離れたけれども、やっぱり
走ることもそこに関係があって、また北海道に戻ろうというか、また拠点を移そうというふうに思われたということがあったのかなと思ったんですけど、もし聞かせつけがなければ、その辺の自分の気持ちの変化とか、聞かせていただけたらなと思ったんですけれど。
はい、まさしくそんな感じ、おっしゃっていただいたようなことでして、北海道の自然も好きでしたし、住んでる人たちも、基本的にトリーランニングとかやってる方すごい言い方多いんですけれども、そっち側の方でもすごい言い方が多かったので、北海道でまた走りたいなと思った。
走りたいというか、トリーランニングメインでやっぱ北海道にまた戻りたいなと思うようになりました。
小学生時代から少しストレール走ることの楽しさとかに目覚めてはいらっしゃったけど、東京でなかなかそういう時間とか取りづらいし、だいぶ環境も違う人をなかなかやりづらいなとか、
たぶん岡田さんの年代とかだったら、コロナとかもそういうのも影響したりとかっていうのもあったのかなとか思ったりもするんですけど、やっぱりそういういろんな出来事があって、そこからちょっと気分を変えるというか、変えていく必要があったということなんでしょうかね。
はい。
今は札幌を拠点に走ることがかなり生活の中で大きいウェイトを占めているような感じなんですか。どんな今のところはこう感じで過ごしてらっしゃるのかな。
基本的にはフルで仕事はしてるんですけれども、競技に対してはすごい理解を持っていただいているので、大会とか遠征とかは結構すごい柔軟にやらせていただいているような感じで競技はしてますね。
なかなかいいバランスというか、まさに岡田さんのように才能のあるレトレイルというか、ランナーとしては力を発揮しやすい環境なのかなと思いますけれども。
今、昨年は、私もちょっとレポートというか、地元に家にいながらレポートしたゴールデントレイルワールドシリーズのね、ナショナルシリーズ、日本で行われたジャパンシリーズのチャンピオンってやつですよね。
去年は2位ですね。
2位ですね。
ジャパンシリーズで2位になられて、そっかそっか。
それで、マディア島で行われたワールドシリーズのシリーズレースにも出場されたりとか。
あと今年は、5月にはゼガマアイスコリですね。
こちらはビッグなイベントですけれども、そちらに挑戦されたりとか、あと世界選手権もインスタブックでありました。
海外のかなりレベルの高いランナーとかレースに参加されてみて、どうですか、だいぶモチベーションが上がった感じ、あるいはちょっとキャップを感じた感じ、どんなふうにお感じになりました?
どっちもすごい感じましたね。
やっぱりまだまだ全然自分の一力じゃトップとトップの下ぐらいでも全然戦えてないなっていうのもすごい感じてて。
プラス、もっともっといろいろ変えてやっていきたいなって思うようにはなりました。
やっぱりそこはどうなんでしょう、スピードはもっと求められるという感じなのか、やっぱりもう少し山のスキルというか、上ったり下ったりとかテクニカルなところをもっと早く下れるようになるとか。
今ちょっと思いつきで言いましたけど、どんなあたりが自分にとってもっと成長というか、もっと自分の力強くできるような鍵はどのあたりにあるというふうに。
これは秘密なのかもしれないけど。
結構全然まだまだ足りてない部分が多いというのがありまして、上りの部分で言ったらもう全然歯が立ってないですし、下りのところでも今年のゼガマとかもすごいテクニカルだったんですけれども、
全然ビビっちゃって走れないようなところとかも外国人選手は全然スイスイ行っちゃったりとかするので、そこの差もすごい感じてますね。
あとはやっぱりその基礎的なスピードの部分もやっぱり全然もっともっと、陸上やってない分全然そこのところ足りてないなとは自分で感じているので、
そこもっと今からすぐにはできないと思うんですけど、徐々に高めていきたいなと思っているところです。
この僕の素人の見たてというか、
けど岡田さんはサッカーを中心にしていらっしゃって、いわゆる陸上競技であるようなスピードのトレーニングとか、
そういうようなところはそんなにノウハウとかそういう経験があまりない中でもかなりおっと思うような結果が出ているわけですから、
そういういろんなノウハウというか、トレーニングの中でも重ねていけばきっとね、
グッともう一段高い栄光結果がきっと期待できるんじゃないかなというふうに私は思いましたけれども、きっと多分周りの皆さんもそんな期待をされていると思います。