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2020-09-03 1:02:43

#024 中尾益巳・来年開催を目指す「ステージレース三陸311」とは

宮古市浄土ヶ浜(岩手県)から三陸海岸に沿って南三陸町(宮城県)まで311kmを6日間で踏破するステージレース。今年夏にプレ大会開催を発表した「ステージレース三陸311」はCOVID-19によりスケジュールを見直すこととなりました。大会を主催する「特定非営利活動法人ディスカバー・リアス」の代表理事、中尾益巳 Nakao Masumiさんは東京から三陸に住まいを移し、東日本大震災から10年となる来年2021年の第一回大会の開催に向けて準備を加速するといいます。

NHKのプロデューサーとして制作した2009年の番組『激走モンブラン!』は多くの人をトレイルランニングの世界に引き込んだ、伝説的なドキュメンタリーです。さらに中尾さんはウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)の実行委員として大会を実現にこぎつけたほか、様々な大会や競技団体などの立ち上げに関わってきた日本のトレイルランニング界のレジェンドの一人です。

「ディスカバー・リアス」のウェブサイトを立ち上げ、賛助会員「三陸でぃすかば部」の募集も始まった先月末、中尾さんにお話をうかがいました。ステージレースのコースや宿泊などについて現時点のイメージをお話しいただいたほか、中尾さんが三陸に関わりを持つようになったきっかけ、とりわけそこでステージレースを開催しようと考えたきっかけについて詳しく伺いました。東京からきた自分がここで6日間のステージレースをやりたいというのを地元の人たちがどう受け止めているか、と不安だったときに背中を押してくれたというエピソードも話してくださいました。

大会を主催するNPO法人は昨年秋に設立されたばかり。一方、今年に入ってからのコロナ禍は大規模なスポーツイベントを開催するには強い逆風、という状況です。大会を通じて、三陸の風景や人々にふれることでより多くの人たちにその魅力を伝えていくという「ディスカバー・リアス」の使命を果たすため、寄付金や賛助会員「三陸でぃすかば部」の受付も始まっています。選手としてステージレースに参加しようとしう選手の皆さんはもちろん、「これからいろいろ苦労して大会を開催するまでの過程を一緒に楽しんでいただける方がいらっしゃったら」、と中尾さんは話してくれました。

インタビューの最後では自ら動画を制作して人気を集めるYouTuberの人たちがますます話題になる今、中尾さんが考える今どきの映像作りについて思うことを岩佐が質問しています。

今回のエピソードはリカバリーサンダル「rig」の提供でお送りします。

(2020年8月31日収録)

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Iwate県の宮古市から宮城県の南三陸町まで、6日間かけて走るスページレース。
実は三陸というのは、ほとんどが山なの。
リアス海岸というのは、ノコギリの葉のようにギザギザした半島がたくさん太平洋に出ておりまして、
この中にすごい細かい湾や入り江、多くの人がこのイベントを作っていく過程もオープンにして、
それを楽しんでもらいたい。
NPOディスカバリアスは、このレースを作るためだけの団体ではなくて、
レースを作ることによって、やっぱり三陸という土地の面白いところ、楽しいところ、美しいところ、
それから古くから変わらないところを皆さんにアピールしていきたいと。
この番組はリカバリーサンダル、リグの提供でお送りします。
日本で企画された厚底ソールのリグは、昨年春に発売されて以来、
日本人の足の特徴に合わせた快適さで人気です。
私も履いていますが、一歩ごとに足裏を柔らかく受け止めてくれることを実感できる屈折性がありながら、
前後が上にカーブしたソールのおかげで、前へ前へと押し出されるような感覚が気持ちよくて気に入っています。
2020年限定モデルとして新色も登場しています。
詳しくはリグフットウェアで検索して、公式ウェブサイトをご覧ください。
ドクターキャラバンプレゼントランダワールド、ポッドキャスト番組ランダワールドへようこそ。
このポッドキャスト番組ではテストをお迎えして、トレードラーニングを中心に様々なトピックについてお話し聞いてまいります。
ちょっとしばらくお休みいただいてしまったんですが、またこのポッドキャストのエピソードをお届けしてまいりますのでよろしくお願いいたします。
今日は中尾雅美さんをお迎えしております。
日本のトレードラーニングブームのきっかけとなったドキュメンタリー番組激走モンブランのプロデューサーであり、
またウルトラトレードマウントフジを実現させた盾役者の一人として存じ上げております。
その中尾さんはですね、東日本大震災から10年となる来年、三陸沿岸をコーストする新しい大会、ステージレース三陸311、こちらの開催に向けて今取り組んでいらっしゃいます。
今日はこの中尾さんにですね、三陸での新しい挑戦を中心に話を伺いたいと思います。
中尾さんよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。中尾雅美です。
ありがとうございます。暑い中、日々が続いておりますけど、いかがお過ごしでしょうか。
ずっと冷房の効いた部屋で、さすらメールを書き続けています。
実は何かもう間もなく引っ越しを予定されているというような。
そうなんですよ。もうね、あと4日後に引っ越しをするので、今その準備もしているので、ほとんどずっと家の中に子供って断捨離をしながら、
岩手に持って行くものを作っております。
というわけで、それもね、ご家族といわば単身赴任の状態で、三陸大会が今ご紹介した大会が開催される三陸オーフナットと伺いましたけれども、そちらの方に
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進んで準備に当たっていくという大きな決意だと思うんですけども、そういう意味でも今回は今はね、このタイミングはいいタイミングでお話を伺えるのかなと思ってゲストに来ていただきました。
まだですね、多分知る人ぞ知る、なんかすごいことを中尾さん考えてるらしいぞというような、もしかしたら僕が知ってる以上にいろんな方がご存じなのかもしれませんけれども、まだそんなにたくさんの方が
いらっしゃらないと思うんですけども、これ中尾さん一体何を始めようというふうにされているのか、ちょっと簡単にご紹介いただけないですか。
はい、ステージレース三陸311という名前の大会を来年の夏か秋に開催されます。
これ一言で言うと、岩手県の宮古市から宮城県の南三陸町から、岩手県の三陸町から来るということで、
決して3月11日にやるわけではなくて、夏から秋にかけて開きたいと思っております。
これ一言で言うと、岩手県の宮古市から宮城県の南三陸町までを6日間かけて走る。
6日間もまだ想定ですけれども、6日間かけて走るステージレース。
要するに選手やスタッフが一緒に寝泊まりしながら、1日目走り止まって、また2日目スタートし止まりということを6日間繰り返して、
走る距離の総計を311キロにして、これはもちろん3.111にちなんだ数字なんですけども、311キロ走って南三陸まで走る旅をするというイベントです。
ステージレースでトレイルもありロードもあります。311キロ。
今まで日本でステージレースってありますけれども、これまでないような、あるかもしれないけど、相当スケールの大きな大会ということになるかと思います。
実は今年の春にも、今年の大会をまたやろうというふうに実は予定もされていたんですよね。
私もご案内いただいてましたけど、ご存知の通り、新型コロナウイルスの感染ともなるような出来事の中で、せっかく大きな話題になるべきところが厳しいところもあるかと思うんですけれども、
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どういうきっかけでこのアイディアが、この大会が生まれてきたのか、中川さんのインスピレーションなのか、あるいは何かきっかけを得るというようなところがあればと思います。
はい。これ長くなりますけどいいですか。
聞いてる方が途中で飽きちゃうかもしれないですけど。
いえいえ、全然。
そもそも、本当に2011年の東日本大震災の時にかが思いついたことなんですね。
それで、実は今私はUTMF、ウルトラトレイルマウント富士の実行委員として、イベントの運営とそれから公式映像の制作というものを担当してるんですけれども、
UTMFは立ち上げの時からずっと関わっています。
ご存知の方はいるかどうかわかりませんが、実はUTMFは2012年から第一回始まってるんですけれども、
2019年で7回やりましたが、実は本当は2011年の5月に第一回を開く予定だったんです。
そのために2009年、先ほど言われた激走モンブランという番組で私が、その時は私はまだNHKのプロデューサーだったんですけれども、
そこで株崎剛さんと知り合って、株崎さんや福田立花さん、それから三浦津智さん、村越慎さんなどと一緒にチームを組みましてUTMFを立ち上げたんですが、
主に2010年から本格的な準備を始めて、2011年の5月に開こうということで大会開催が決定してたんですよね。
ところが、その2011年3月11日に東日本大震災が起こって、それの影響で第一回UTMFが中止になってしまいました。
これは実は東北の地震の直接的な影響というよりは、これもあんまり知られてないですけど、4日後の3月15日に富士山の直下で内陸の地震が起こりまして、
これも東日本大震災の影響とも言われてるんですが、それで直接的にそのUTMFのコースの一部だった林道が通れなくなったということがあって、
それで完全に中止になったわけです。もちろん当時の社会情勢として、そういう大きな災害が起こった後で、
そんなイベントをやるというような雰囲気ではなかったので、実際難しいところであったんですが、
直接的にはその3月15日の地震で中止を決めました。そして、そうすると5月中旬に開催する予定だったんですけれども、
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それまでの間、その直前のゴールデンウィークの連休がまるっと空いてしまったんですね。
それで、私も仕事も休みを取っていたので、本当に2週間近く、実は休みができてしまいまして、
その時に、やっぱりこんだけ時間があるのであれば、これだけ大変なことが日本で起こってるので、
やっぱりちょっと向こうに遠くに行って、少しでもやれることがないかと思って、
それからそこの現場を自分の目で見たいという気持ちもありましたので、
それで一人で車で、最初はちょっと仲間と一緒でした。現地ボランティアに行きました。
最初に行ったところが南三陸町で、ここも非常に大変な被災地だったんですけど、
南三陸町でボランティアをし、それから実は陸前高田市、ここはもう完全な壊滅状態でしたが、
で、ボランティアをし、それから移動して最後ですね、
岩手県の宮古市っていう北の方まで車で移動したんですね。
その時は自分の車で移動したんですが、そのボランティア活動をしながら三陸から宮古まで移動して、
その時に初めて三陸地方、リアス海岸っていうものの地形を知ったというか、体験したわけです。
で、それまでリアス海岸、三陸海岸とも言いますが、海岸なのでずっと海が続いてるものだと思っていましたら、
実は三陸っていうのはほとんどが山なんですね。
リアス海岸っていうのは、のこぎりの葉のようにギザギザした半島がたくさん太平洋に出ておりまして、
そこの中にすごい細かい湾や入江があって、崖もあり、その崖の高さはだいたい標高100メートルか200メートルぐらいの低い山なんですけれども、
そういうのがこう連なっているわけです。で、その山を越えると次の町に行く。
例えば南三陸から山を越えると気仙沼という町に行く。気仙沼から山を越えると陸前高田に行く。
それから陸前高田から大船渡、大船渡から山を越えると釜石、それから大土、山田、都っていうふうに、
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みんな山を越えるって隣の町に行くっていう、そういう地形というかルートなんですね。
で、当時はまだ震災直後なんで、そこを結んでいる国道45号線っていうのが、完全にもうズタズタになっていて。
【佐藤】そうですよね。
【佐藤】当時すらもう、事前に通れるかどうかって保証はないような状況で。
そうですそうです。そのためにちょっと内陸回ったり、それこそ半島回ったりっていうようなことを、車を走らせながら走っていったんですけれども、
そうすると津波はですね、当然下の町には、全部甚大な被害を与えてるんですが、ちょっと標高を上がったところになると、もう何も無傷なんですよね。
で、無傷なちょっと山の上を通って町に降りると、そこはもう破壊されているという、そこは港町なので、
そういうことを繰り返しながらずっと南から北に走っていくうちにですね、津波がないところから見る山や海の景色はものすごく綺麗なんですよ。
で、そのすごく綺麗な景色なんだけども、その綺麗な海の向こうから大きな波が来て、この下の町々がすべて壊されたということを、
自分の目で見て知って、しかもそれが行けども行けども、そういうのがずっと続いているわけで、そういう被災地が。
これだけ長い距離の地域が一瞬にしてやられたっていうことを、
テレビの報道で映像で見て、もう大体のことはわかりますけど、それは初めて自分が車でですけど移動したことによって、
その被害の規模と距離感っていうのが初めて実感できたんですね。
それがやはり、私の震災の体験としてすごく強烈に残ってまして。
山陸とか行かれたことはあったんですか。
学生時代、僕はずっとオートバイでツーリングしてたんで、その時にちらちらっと宮古とか釜石とか寄ったことはあるんですけど、
そんなにずっと山陸だけを縦に走ったっていうのは初めてでした。
その時、2011年でさっき言ったようにUTMFの準備は始めていて、大会を開こうとしてたわけですから、
自分自身もそれほどまだ経験もないんですけど、トレイルランニングっていうものに非常に関心を持っていたので、
そういう目で見ると、実は海の近くの山に海を見ながら走れるトレイルっていうのがいくつかあるということを知りましてね。
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それは日本の中でも結構珍しいかなと、しかも海に近いんですよ。
例えば、私が毎回映像制作でお手伝いして、岩瀬さんとも一緒に行っているイズトレイルジャーニーとかも、結構景色いいところで海が見えたりしますよね。
でもあれは山から海がわりとちょっと遠いんですよ。
綺麗な海がだんだん広く見えるんですけど、山陸の山と海は非常に近いんですね。
それこそ本当に潮騒の音を聞きながらトレイルを走れるっていう環境で、こういうところはなかなか珍しいな。
トレイルランニングは大体本当に内陸の山の中でやって、山梨とか長野とか新潟とか非常にいいところが日本にはいっぱいありますけれども、
こんなに海の近くでトレイルを走れるところって珍しいんじゃないかなっていうふうに思ったんですね。
なので非常に地形、山と海が近いということ、それから山を越えて次の町に行くとそこが被災しているという津波の規模の大きさというのを、
山陸のいいところと不幸なところを一変に見て感じて、
でもここは、もしかしたらこれが復興してきたら、ここでそういうトレイル、当時はトレイルと考えてましたけど、
ランニングのイベントができたら面白いんじゃないかなっていうふうに、本当に思いつきてそう思ったんです。
それが最初のきっかけですね。9年前、震災の直後のことです。
そういう山陸の山を越えていく道とかっていうのは割と整備というか、
昔からリアスキー海岸の入江の中にある漁港だったり港町とかっていうところをつなぐような生活のために通られていた道とかが、
あったりしたするってことなんですかね。そういうものが残されて、街をつないでたりするという。
そうですね、残っています。ただ、もちろん、震災前でもすべて国道が通ってますから。
足で行く人はほとんどいない。
実は昔からその隣の浜に行く、山を越えていく浜海道って呼ばれるようなんですね。
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古いトレイルは今でもいくつかのところに残っています。そういうところも通れるなっていうふうに思いました。
それが中尾さんの胸に一つのアイディアとして、アイディアが浮かんでから、ちょうど来年の10年、
そこを節目に大会がまず、最初の大会が開催されようとしているということなんですけれども、やっぱりそれは現実的なものとして、やっていこう、あるいはやれるんじゃないかっていうふうに思われるようになったのは、やっぱりそこからもう一歩何かいろんなことがあったんですよね。
正直言うと、2011年に旅して、ここを走ったら面白いんじゃないかって思ったのは、本当にやっぱり思いつきで、
当時はもう本当にまだ被災した直後ですから、ここでそんなことができるわけがないという。
地元の人にそんなことやりたいって言ったらもう本当に大変で、絶対不可能なことですから、そんなことは言えないですし、
それはいつかここが復興したらできるといいなぐらいな、そんな気持ちだったんですね。
それで東京に帰ってきて、私はだからそれから後は、まだNHKのプロデューサーだったので、NHKの番組を作る仕事は結構忙しくあり、
それと共にそのUTMFの実行委員も始めたので、それで翌年2012年に何とか第1回の大会を始めてからは、
それを毎年続けることで結構大変でした。UTMFを続けることが非常に大変だっていうことは、
岩澤さんもご存知だったと思いますけど、それで毎年毎年大会を開き、それで映像を作りっていうことをやってて、
はっきり言ってちょっと三陸のことを考えたり準備する余裕は全くなかったんですね。
ただ、やっぱりどうしても最初に見た、そして感じたインパクトが強かったので、何とかしたいなと思いつつ、
年に1回ぐらいは実は三陸に通ってて、仕事を作っていくこともあるし、完全にプライベートで家族と一緒に行ったこともありますし、
年に1回ぐらいは三陸を見てどういうふうになっていくかを自分の目で見てきたんですね。
それが5年ぐらい経って、2016年にまたちょっと少しまとまった休みが1週間ぐらい取れまして、
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その時は私は一人でマウンテンバイクを持って、
その時は南三陸からだとちょっと時間がないんで、気仙沼から都まで自転車で旅をするっていうことを一人でやったんです。
5日間ぐらいかけてなんですけれども、ゆっくりいろんなところを回りながら。
【佐藤】気仙沼から都って何キロぐらいあるんですか?
でも直線で自転車走ったときは、せいぜい200キロぐらいでしたね。
だから1日40、50キロぐらいのゆっくりしたサイクリングで。
【佐藤】途中見て泊めて景色楽しんだり。
そうですね。地元の民宿に泊まいながら、地元の皆さんのどうやって復興してるかみたいな話を聞いたり、
ちょっと山に登ったりっていうようなこともしながら旅をして。
そこでやっぱりここの地形と景色は素晴らしいということと、
2016年で5年経ってて、かなり復興というよりは復旧ですね。
完全に潰れた街が少しずつ直されていて、
大きな変化としては海の近くに傍聴堤という非常に高い堤防が、
80メートルから15メートルぐらいのがすごく長くつながってできていて、
それによって海が見えなくなっていくとか、あるいは陸前高田とか南三陸という街は、
要するに街全体が盛り上げされて、それまでのグラウンドラインより10メートルぐらい高くなって、
10メートル高い街が当たり前の普通の高さになっているというふうに、
少しずつ街の形や風景が変わってきていてですね。
だから三陸というのは被害に遭ったのはとても不幸なんですけど、
いろんな街が生まれ変わろうとしているのを何年か続けて見てきてですね。
やっぱりここは、そういうふうに再生していく街として見続けたいなというふうな気持ちがまた強くなってきたんですね。
ただ2016年ではまだそこまでイベントを開くという状況ではなかったので、
でもいつかは開きたいという気持ちがまたそこで強くなってですね。
じゃあいつ開くかっていうのをちょっと具体的に考え始めたのがその頃なんですけど、
そうするともう2020年に東京でオリンピック、パラリンピックっていうのが開かないのが決まっていて、
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もうそれが日本中がそれに向けて盛り上がってきてた頃ですから、
この2020年までは何か新しいことをやろうとしてもきっとオリンピックの影で。
小さなスポーツは中々注目を上げるチャンスが少ないとか。
そして、だとしたらその翌年、2021年、
だったらオリンピックが終わってですね、みんな逆に新しいイベントっていうと注目されるんじゃないか。
ともにやっぱり2021年っていうのは大震災から10年後なので、
やっぱりそこの何かその三陸で新しいことを始めるとしたら、
10年後っていう年がいいのではないかなと。
10年後であり、オリンピックの翌年ということで、
2021年に開けないかなっていうようなイメージが、
2016年頃から少しずつ固まってきたんですね。
それでもう一つその時に思いついたのは、
当時はだからもうUTMFを4回か5回目ぐらい開いていたんですけど、
日本でも相当定着してきてですね。
100マイルレースっていうのが一つのカルチャーとして広がってきた頃なんですけど、
その時に、じゃあこの三陸でレースをやるとしたらどのくらいの距離で、
何時間ぐらいかけてやるのがいいのかなと思った時に、
単純に100マイルじゃ短いから、200マイルはどうだろうっていうふうに考えたんですよ。
200マイルっておよそ320キロじゃないですか。
320っていうのをふと思ったときに、
あれよって思って、320って書いてある。
これ320じゃなくて311にしたほうが、
さらに三陸っぽいんじゃないかって。
自分で言うのもなんですけど、わりとテレビ屋的な安易な発想だと言われればそうなんですけれども、
やっぱりそこで3.11っていう日のことを、
これから先もずっと忘れないためには、
あえてその311っていう数字を前面に出すことで、
みんなに感じてもらえるんじゃないかなって思ったのが、
その頃、2016年から2017年にかけてぐらいでした。
なるほど。
いろんな温めてたアイディアが自分の中で、
司法化というか調整されていったのがタイミングがそういうところだったということですかね。
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そうですね。ずっと考え続けてたわけじゃないんですけど。
日々の仕事とUTMFってめちゃめちゃ大変ですからね。
その合間にふと三陸のことを考えると、
自分も新しいことを始めるのに対して、
少しモチベーションが湧いてくるっていう感じでしたね。
ただ一方で、それだけ大きなイベント、
時間も1週間とか、大会の期間だけでも長い時間だし、
またそれに関わる人も当然たくさんになる。
そうするとやっぱり地元でどういうふうに受け止めていただくかとか、
もちろん場所を貸していただくみたいなこともあるでしょうし、
ボランティアとして皆さんに協力していただくようなことも必要になってくるとか、
いろいろある地元にどういうふうに受け入れていただくかというか、
あるいは一緒にやってもらうかということも必要だしたいと思うんですけれども、
その辺は中尾さんのヴァイタリティでガンガンいったという感じなんですか。
そこもきっと大変だったんだろうなと思うんですけど。
2016年、自転車で旅してから後に、
わりと2021年に開く距離は311キロにしようというようなことを、
具体的なプランとして考え始めたんですけど、
当然それはやっぱり自分一人でやってできるものじゃないですから、
人も必要だし、何よりお金も必要だし、
それをどうするかっていうことを考えたときに、
やっぱりそれを主催する団体が必要だろうと、
法人が必要だろうと。
ビジネスとしてお金儲けのためにやるつもりはないですが、
お金がなければできないわけで、
そういう形でやるのであれば、
この大会の意義も考えると、
NPO法人っていうのを作るのがいいのかなというふうに思ってですね。
実はUTMFを作るときも、
UTMFの主催団体として、
NPO法人藤戸レールランナーズクラブっていうのを作った経験があって、
NPO法人を作ることが非常に難しいか、
めんどくさいことなんですけど、
できないことではないっていうふうに、
そういう経験があったので、
じゃあこの三陸の新しい大会のために、
もう一つ別のNPO法人を作ろうかというふうに考えて、
そんな構想を、
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いわゆるトレラン業界で知り合った人なんかに、
UTMFで一緒にやってる仲間たちなんかに話していくうちに、
それだったらぜひやりたい。
私も手伝うっていうような人が少しずつ集まってきて、
それでNPO法人を設立した。
設立したのが去年の11月ですけど、
去年の2019年の頭から法人設立の準備を始めて、
去年なんとか設立したということです。
もう一つ地元の人に関して言えば、
私実は岩手県に何人か友達がいてですね。
プライベートで。
実は高校の同級生が一人、
それこそ都に移住してたりして、
震災以前からそういった方がいらっしゃるということですか。
ちょっと話戻っちゃうんですけど、
実は私ボランティアをしながら都まで走ったっていうのは、
その友人を探すためでもあったんですね。
震災直後に都に住んでた、
私の高校時代の非常に仲のいい友達が、
連絡が取れなくなっちゃって、
温泉不通になっちゃったんですよ。
とても心配になり、
それで都まで行こうと思ってたんですよ。
結果的には避難所に入ってて、
家族も無事だったのでよかったんですけど、
その友人であるとか、
あるいは森岡市内にも何人か、
昔の仕事でお付き合いした人がいてですね。
岩手県の人に、
こんなことを考えてんだけど、
こういうことってやっても、
皆さん受け入れてくれるかなっていうような、
すごくプライベートに親しい人に話をしたんですね。
あと宮城県に住んでる友人にもしました。
そしたら、それはぜひやったほうがいいよって。
僕が気にしてるのは、
3.11っていう日付は非常にメモリアルな日であり、
地元の人にとっては悲しい思い出。
それをイベントのタイトルに3.11とか載っちゃって、
そんなことしていいんだろうかと。
しかも東京の者が来て、
そんなこと言っていいんだろうかっていうのは、
自分で考えておきながらすごく気になっていたので、
そういうのを岩手県の人たちに聞いたところ、
岩手や宮城の人に聞いたところね。
やっぱりそれはやったほうがいいんだと。
みんなどんどんどんどんこの震災の記憶が薄れていって、
復興復興って言いながら、
実は作られるのは傍聴堤が作られたり、
街が枷上げされたり、
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一番すごいのは三陸自動車道って高速道路が、
ものすごい道路が一本バーンって通って、
トンネルがいっぱい、橋がいっぱい作られているんで、
それは非常に便利になっていいことなんですけど。
今もどんどん伸びてるんですかね。
そうですよね。
土木工事のハードなことは、
どんどんお金が注ぎ込まれてやってるんだけど、
それ以外のいわゆるソフトな部分、
人々を豊かにする部分、楽しませる部分っていうものが、
あまりないと。
それでそういうことを国はなかなかやってくれないし、
そういうのを民間の人たちが東京から来てでもね、
それをやってくれるっていうのは、
絶対地元の人は受け入れてくれると。
みんな3.11のことを被災地以外の人はどんどんどんどん忘れて、
それこそオリンピック万歳の風情がどんどん高まっていく中で、
ここで3.11っていう数字を出すことは、
決してみんなはそれを否定しないだろうっていうふうに言われて、
もちろん嫌がる人はゼロじゃないと思いますよ。
多分思うけど、地元の人にそういうことを言われて、
それでじゃあもう一歩進んでみようかなと思って、
さっき言ったNPO法人を作ったっていう経緯もあります。
という具合に実現に向けて、
大きく加速度をつけつつあるときだと思うんですけども、
ただまだできたばかりのNPO法人ということだし、
これから大会を開催する上では、
例えばお金のことだったりとか、人のリソースだったりとか、
いろいろ足りないところもきっとあるのかと思うんですけれども、
そういう我々トレーニングに関わりのある人、
それ以外の皆さんが中尾さんのそういう挑戦を応援したいと、
自分にはどういうような形で応援したらいいかなっていうのも、
常に伺われていると思うんですけど。
それは大変ありがたいですね。
それは最初にしないといけなかったかもしれないですね。
いやいやいや。
この8月の、いつ頃だ?
つい最近ですね。
公約にホームページを公開したのは8月20日過ぎだと思いますけど、
srs311.jpというこのウェブサイト。
それともう一つNPO法人ディスカバリアスのウェブサイトも立ち上がったと。
皆さんよく間違いにする、ディスカバリアスじゃなくてディスカバーリアス。
ディスカバーリアスですね。
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間違いな気を。
英語得意な岩澤さん。
こっちが正しいかは。
ディスカバーリアス。
立ち込みました。
で、要はこのディスカバリアスのホームページで寄付金を募集しております。
なるほど。
寄付金とそれから参助会員。
参助会員って言い方がちょっと固いので、
三陸ディスカバ部。
ディスカバーはひらがなで書いて部っていう、
クラブのような部活のようなグループにしたい。
三陸ディスカバ部っていうのの会員を募集しております。
で、
そこで三陸ディスカバ部は年貨費6,000円っていうのを払っていただくことになってるんですけども、
そこの会員になっていただくか、あるいは会員にはならなくても、
寄付金を一度、
ギリでもいいですし、またしばらく経ってからもう一度でもいいんですけど、
いくらでも3,000円以上なんですけど、
を払っていただく、
で、
支援していただくっていうことを、
つい最近始めました。
ひとまず、
こちらの方に、
このディスカバリアスのウェブサイト。
ディスカバ-リアスのウェブサイト。
ディスカバ-リアス.orgと、
こちらの方で、リンクも紹介しておきますけれども。
ありがとうございます。
こちらが見ていただく。
そうそう、その三陸ディスカバ部の会員にまずはなりましょうと、
なってくださいということですかね。
そうです。
いろんな情報を教えていただいたりとか、
そういういろんな活動のアップデートとか、
そういうことは教えていただけるのかなと思いますけれども。
はい。
ランナーとして参加したい方ももちろんですし、
そんなに300kmも、
5日も6日も走るのは無理なんで、
ボランティアとして、
1日2日だけでも手伝いたいという方って結構なんですけど、
お金も人もない、
本当にゼロからのスタートでやっているので、
こういうふうに多くの人がこのイベントを作っていく過程もオープンにして、
それを楽しんでもらいたいっていうのが、
この三陸ディスカバ部のコンセプトなんですね。
もうちょっと先の話になっちゃいますけど、
正直言って、このコロナの状況下で、
新しいこういうスポーツイベントを開くっていうのは、
はっきり言って相当難しいと思いますよ。
正直、なかなか厳しい時期になってしまって、
そこは本当に、中川さんに言うのも運が悪いっていう。
運が悪いですか。
みんながそうなんですけれども、
39:01
正確なチャレンジの最先としては、
なかなか苦労が多いだろうと思うと、
愛に応援して頑張ってくださいっていうのも、
ちょっとこう、無責任な気がして。
いやいや、本当に。
だからさっき言ったように、
NPOを作ったのが2019年、去年の11月で、
去年の年末から今年の1月にかけてが、
非常にこう、どういうふうにこれを発表し、
プロジェクトを告知して進めていくかっていうのを、
いろいろNPOの中で企んでいたんですが、
いざそれを発表するとしたらやっぱり、
3月11日が一番いいだろうということで、
その3月11日にイベント開催。
来年2021年に第1回を開催して、
今年2020年にプレ大会を開催するということを、
3月11日に発表しようということを決めて、
それに向けて準備をしてたところで、
2月の終わりぐらいからあれあれあれって、
なんだこれっていう。
ちょうど3月11日に発表、
私も教えていただいたけど、
あの頃ちょうど中川さんが掛かってらっしゃる
ウルトラトリウム&フジの開催終始のっていう話が、
ちょうど翌日にあったりとか、
なかなか慌ただしくて。
だから僕あの時もう本当にね、
頭が分裂しそうでした。
UTMFの中止をどう発表するのかっていうことを、
田村幸さんや立花さんといろいろ毎日議論しながら、
かつこっちの三陸の方は、
このステージレースをどう開催すると発表するのかっていうことを、
その2つを矛盾することをやっていたので、
非常に辛かったというか難しかったですね、あの頃は。
あと僕もっと早く伺っておくべきだったのと、
これ参加してみようという方にとって、
どんな大会なのかもうちょっとイメージが浮かぶような、
ちょっとお話聞いていた方が良かったなと思ってるんですけど、
スタートからフィニッシュまでどんなイメージなのかなという、
大会のウェブサイト、srs311.jpの方に持ってますけれども、
今ね、私たちZoomでお話ししてるんですけど、
中尾さんの背景に中尾さんがいらっしゃるわけではないから、
宮古市浄土浜の方からスタートするということですよね。
そこからですね、6日間、6ステージ。
6日間ですから311キロ6日間なので、単純計算すると1日50キロ強だけど、
それはもっと長く60キロ走る時もあれば50キロ未満の時もあります。
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全体的なコースでいうと、実はこれはよく間違いないんですけど、
トレイルランニングレースではないです。
トレイル率はまだ正確に、というかコースが完全に確定していないので、
ちゃんとした数字は言えないんですけど、大雑把に言うと多分3割ぐらいかな、トレイルが。
いわゆる未舗装の部分が3割ぐらいかなって感じです。
なのでロードが主体のランニングレースなので、トレランとは呼べないと思いますが、
ただ非常に変化に富んだいろんな道を走れるコースだと思います。
基本的にはその都の、今僕の後ろに映っている浄土ヶ浜っていう非常に白い大きな岩が海の中に隣立している、
本当に極楽浄土と言われた海岸なんですけど、
そこは海岸ですから海抜0mからスタートするんですが、ここから出てですね、
基本的には海に沿った道を走ります。
国道を走ったり、海沿いの漁港の近くを走ったり、ちょっと山に入って林道を走ったりっていう感じで、
海沿いを走りながら南へ南へ走っていくんですね。
ただそうすると、このロードと言いながら、やはりこの山陸でなければ走れないロードっていうのもあって、
その一つが、例えばさっき言った震災後の復旧、復興で作られている巨大な傍聴堤、傍聴堤っていうのは潮を防ぐ堤防ですが、
また津波が来たときに町を壊さないように、それを防ぐ堤防が高さ10mから15mぐらいのものがものすごく長く何キロも続いているんです。
いうところがあちこちにあるんです。一ヶ所だけじゃなくてね。
実はその堤防の上を走れるところもあるんですよ。
ちゃんと階段がついていて、手すりもついていて、遊歩道として歩けるように整備されている堤防もあってですね。
その上を走ろうかということも考えています。
そうすると、高さ10mのこの海に面した堤防から見る海の景色ってもうめちゃめちゃ広く綺麗なんですよね。太平洋がバーンと見えて。
だけどそれは、もともとはそんな堤防はなかったわけで、津波によってこの堤防が作られたということを走りながら感じてほしいなということで、
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すごいいい景色を走りながら、だけどこれは震災によって作られた場所だというところがいくつも出てきます。
あるいは震災後に直された場所だっていうことが明らかに分かる場所っていうのはたくさんあります。
そういうとともに、さっき最初の方に言った震災とは関係なく津波が来なくて、まだ崩れてなかった高さ100mぐらいのわりと低い海沿いの山を走る海に沿った綺麗なトレイルというのも何箇所もあります。
ですから、基本的には海の近くを走りながら時々山に登ってトレイルを越えて次の町に行くというようなことを6日間続けていく。
6日間続けていくんですけど、日によって本当にバリエーションのあるコース。
今日は本当に海沿いばかり、今日はわりと中に入って内陸の山にちょっと高い山に登ってみて、ちょっと離れたところからリアスの海を広い景色を見るとかいうところもありますし、
大きな橋を渡って島に渡るというようなところもありますし、基本的には景色を楽しみながら旅をするレースになると思います。
朝スタートして30キロから60キロ、日によっては電車に山陸鉄道に乗って移動する区間、日には1日3日目は予定されているというようなこともあって、その日の夕方とかにみんな完走したらそこでキャンプというかホテルだったりとか、その辺はどういうような感じ、過ごし方なんですか。
本当はキャンプしたかったんですよね。最初は当初の計画では500人という大人数を想定していて、500人が一箇所で大きなキャンプ場というか、例えば野球場のグランドとかですね、大きな体育館とかに仮設のベッドを並べてみんなで合宿する、キャンプするというような
イメージを考えていて、ですからそこがステージレースの醍醐味だと思っていて、早い人も遅い人も毎日スタートとゴールでは会うわけですよね。そこで全員が一緒に飯を食うわけじゃないけど、やっぱりそこで交流して、
少しは夜ちょっとお酒を飲んで喋ったりというようなことをしながらまた次の日の朝スタートするということを繰り返している。ステージレースっていうのはランニングで言うと、
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スターバックのレースがね、パラマーソンとかが有名ですけど、やっぱり選手たちも一体となり、それから選手とスタッフも一体となって、一緒に寝泊まりして飯を食って何日も旅を続けるっていうのが、それが非常に魅力なんですね。
そうすると、もう一つは地元の人との交流もあるわけで、そこで大勢のランナーたちが次の町へ次の町へ行くことで、その町がにぎわって、その町の美味しいものも食べさせてもらうっていうようなことを続けていくと。
それが、たぶん震災の復興に少しは役に立てるんじゃないかなと。ビビったるものだと思いますが、そうやって毎日お祭りが移動していくっていうような感じのイベントにできたらいいなというふうに思っていたんです。
ただし、それを今このコロナ状況下ですね、何百人がキャンプ張って一緒に飯食うなんていうことをやったら、もう一発アウト。
実際にはそんな影響ないかもしれないけど、やっぱりちょっとそういう気持ち、前向きに、ちょっとそういうしづらいっていう感じが続きそうですよね。
なので、今はそれをいわゆるソーシャルディスタンスをとりながら、密にならずに寝泊りして食事をするように、やっぱり大勢が一緒にキャンプするんじゃなくて、
やっぱりホテルや旅館で個別に泊まった方がいいかとか、それで人数もできるだけ減らして、最初は多くせも100人ぐらいで始めるかとか、あるいは日数ですね。
6日間で全部やるっていうのが、非常にそれだけリスクは高まっていくわけですから、6日間全てをやるのがリスク高いと判断したら、やっぱり最初は無理せずに3日間とか2日間とかに短縮して、
距離も311キロフルコースを走るのではなく、短い距離で第1回を実施するとか、そういうことも考えています。ただ、何としてもやっぱりこの2021年っていうのは震災12年目の年に、どういう形でも第1回は開きたいというふうに思っているので、
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第1回開くためにはどういう形がいいのかということをいろいろとNPOの中で検討しているという段階です。
ということで、なかなかこのコロナのこともあって、新しいイベントに向けた取り組みっていうのは非常にハードル高いことだと思いますけれども、私も応援させていただきたいと思いますし、また聞いていただいている方も、
中川さんの新しい挑戦、ぜひ一緒に見守って参加していただきたいなと思っております。
ちょっと時間の方があるんですけど、もう一つだけ関係ないことで、いろいろあったんですけど、一つだけ、中川さんはこの度NHKの方で退社されたということなんですけれども、映像制作、番組制作というところで長く携わってこられた。
一方、今時代はYouTubeというかYouTuberというか、いろいろやっぱり映像を作ってみんな紹介しよう発信しようということを一生懸命頑張っているじゃないですか。中川さんも多分そういうのをご覧になったりもする機会あるんじゃないかと思うんですけど、
もっとこういうふうにしたらいいんじゃないかとか、こういうところが足りないぞとか、一概に言えないというのは承知しているんですけれども、
私もやったりもするんですけれども、どうでしょうね、中尾さんが考える、特にトレイルランニングから見の映像コンテンツ、こういうことしたら面白いんじゃないとか、もっとこうしたらいいんじゃないとかって、
アドバイス的な、ちょっと急いなお話で恐縮なんですけど、何か一つくらいでもいただけたらと思ったんですけど。
いやそれはね、逆に僕アドバイス欲しいぐらいですよ。
なんていうか、映像の仕事をしてきて、恥ずかしいけど映像のプロだったわけですけれど、それはもう完全にテレビっていうメディアしか映像を伝えるものがない時代、
昭和の時代からテレビディレクターやってるので、もう30年以上やってるので、本当に古い感覚のテレビ番組の作り方で作ってきたわけですね。
それで考え方も今とは違いますし、あとは機材が圧倒的に違うんですよね。
それにかける費用や人数も、あと手間も全然違いますから、
今の本当に一人で撮影して編集して、しかもそれはスマホ一台で全部できちゃう時代のユーチューバーの人たちとは、
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全くそもそもの作り方っていうか考え方って概念が違うという感じは、僕は非常に常に感じるんですよね。
もちろん今の機材を使って、今の編集ソフトで作ってますけれども、やっぱりどこか作り方は昔のテレビ番組っぽくなっちゃっているので、
どういうのが面白いのかっていうのを、どういうのが受けるのかっていうのを、
僕が今を作ってる人にアドバイスするってことは、はっきり言ってできないし、それをあんまり真似しない方がいいと思います。
【佐藤】意外な答えでちょっとびっくりしました。
ただし、僕はそれを、自分のやり方は間違ってるとは思ってないんです。
今の時代には合わないかもしれないと思ってるけれども、でも見てもらえる人はいると思うし、
自分が伝えたいことを感じてくれる人はいると思っていますし、
実際それはUTMFの映像とか作っていても、触っていると実感することはありますので、
古い考え方ですけれども、
全くそれをやっちゃいけないってことじゃないと思うけど、
多分、今YouTubeで映像を作っている人たちに、こうすればいいですよっていう具体的なノウハウは、
僕は全然教えられることはないですね。
【佐藤】例えば、中川さんってご覧になってるかどうかわかんないですけど、
お気に入りのYouTubeチャンネルとか、こういうのをいつも更新されると見ちゃうとかそういうのってあったりするんですか?
【高橋】最近でもYouTubeあんま見ない。TikTokばっかり見てます。
【佐藤】TikTok見てるんですか。TikTokはまた違う面白さがあるみたいな。
【高橋】いや、あれはもう全く、まず画面が縦じゃないですか。
【佐藤】はい、今までなかった。
これね、本当に横の画面を基本にする人と縦の画面を基本にする人は全く映像感覚が違いますよね。
要するに横の画面を基本としている人は、だって人の前身を撮ろうとしてませんから。
人の上半身や顔のアップを撮ろうとしてますから。
縦の人は、まずは人の前身が基本サイズっていうんですけど、そこが違うんですよね。
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だからTikTokは何で面白いかっていうと、やっぱり人が、前身が映ってて、
せいぜい、完全な一人の映像ショーが見られる。
横のテレビではなかなかそれができないんです。
だから、なぜTikTokを見てるのか、そんな理屈で考えてはないですけど、
新しい可能性を感じる。
面白いと思うのはTikTokですね。
たぶんそういう、今の時代にはまた違うものがあるとおっしゃりながらも、
また新しい可能性を、そういう意味では、やっぱりさんの中では常に追いかけて。
あと、研究してるっていうか、これは3日1日でもやりたいと思ってるんですけど、
やっぱり今、ライブだなっていうのは感じてますね。
これはUTMAもそうですし、岩瀬さんとやってるITJもそうですけれども、
やっぱり、昔は僕がテレビでやってる時は、タイライブって言わずに生中継ってましたけど、
生中継をするってことは相当大変なことだったんですよ。電波を飛ばして生で。
今はだから、これがスマホができたことによって、誰でも簡単にできるっていう時代ですって。
中尾さんもね、TikTokの可能性、私もちょっと存在はしてましたけど、
自分ではあんまり見たことがなかったので、
そういう研究というか、好奇心というか、やっぱりその辺のところを、
そうおっしゃりながらもすごいなということを改めて感じたいです。
というわけで、今日は中尾雅美さんにお付き合いいただきました。
お時間いただきありがとうございました。
引っ越し先、何か楽しみにしてらっしゃる、
新しい向こうでのことで何か楽しみにしてらっしゃることとかって何かありますか。
岩手県の大船渡市っていうところに住むんですけど、
大船渡はステイレス三陸三一一のちょうど真ん中にあたるところで、
とにかく三陸は縦に長いので、北にも南にも行きやすいところということで大船渡に住みますが、
ちょっと海の見える高台の古いアパートというか団地みたいなところに住むんですが、
景色が非常にいいのと、震災によって復興した新しい町っていうのが非常に綺麗で、
おいしそうな店もあるので、そこで暮らすことを楽しみに。
そこを拠点に三陸のあちこちに回るのを楽しみにしております。
ステイレス三陸三一一に向けて、いろんな情報を発信していかれると思いますので注目していきたいと思います。
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また三陸ディスカバー部のほうもぜひ皆さん参加していただければと思います。
もう一つだけ。
ディスカバー部、さっきもちょっと言いましたけど、
NPOディスカバリアスはレースを作るためだけの団体ではなくて、
レースを作ることによって、レースを作って開くことによって、
やっぱり三陸という土地の面白いところ、楽しいところ、美しいところ、
それから古くから変わらないところっていうのを皆さんにアピールしていきたいということが大きな目的なので、
このコロナ状況下で1回目、本当にどういう形になるかどうかわかりませんけれども、
これを1回目が小規模だとしても、そこから2回目、3回目ってだんだん大会を育てていきたいと思っています。
ディスカバー部というのはNPOの参助会員として協力していただく、一緒に活動していただく方々なので、
このイベントを作っていくための活動を、三陸の良さを知ってそれを伝えていくということを楽しんでいただきたいな、
そういう人に参加していただきたいな、ただ単にレースを作りたい、レースを手伝いたいというだけではない活動を楽しんでほしいなと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
大会の枠を越えて、もっと広い目で見て協力して応援していただける方に是非、三陸ディスカバー部、ディスカバー、ディスカバー、ディアース。
ディスカバーの方に気を取られて、ディアースの方は思い浮かばなかった。
今日はゲストに中尾康美さんをお迎えしてインタビューをお届けしました。これからも様々なお題をこのポッドキャストでお届けいたします。
ぜひチャンネル登録していただいて、聞き逃しないようにしていただければと思います。中尾さん今日はありがとうございました。
はい、ありがとうございました。聞いていただいた皆さんどうもありがとうございました。
お相手はランドワールドの平田尚一でした。
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