リノベーション業界の紹介
はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今晩は、過去売り上げもですし、会社の組織の人数もおそらく最大の方に来ていただいているので、
会社の業界の未来だったり、いろいろ聞きたいことがたくさんあるので、やっていきたいなというふうに思っております。
というところで、タイトルコールいきたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、建築土木作成向け就活総合サービスコンキャリの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪と宮崎でリノベーションをやっております。美想空間鯛島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。よろしくお願いします。
今日、一番新しい、今年、今年度、番組的には7月からなって、
新しい木が。
4年目になる、4年目ですよね。
3年が過ぎて4年目。
ゲストの方数えたことないですけど、かなりの方に来ていただいていると思うんです。
すごい、そうですね。
中で、ちょっと今日思ってたんですけど、
メーカーさんはね、ゲストに来ていただいたりとか、スポンサーにいただいたりとかで、
売り上げでいうとあれかもですが、
受け売り工事をやっている領域では、おそらくぶっちぎりの業界一位、
今、僕らが来ていただいた3年の中では一番多いかなと思うので、
なんかね、その組織の話をしたり、全国に展開されているので、
その辺の話を聞けたらなというふうに思いますので、やっていきましょう。
大本哲也のキャリア
この番組は、全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、
トークセッションでお送りする30分です。
早速、今日のゲストをご紹介したいと思います。
株式会社アートリフォーム、代表取締役社長、大本哲哉さんです。
こんばんは。
こんばんは、よろしくお願いします。
アートリフォームの大本と申します。
お願いします。
なんで来てくれはったんですか?
忙しいでしょうし、いろいろあるかなとは思うんですけど、ありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
聞きたいことだらけなんで、いろいろですけど。
ちなみに、なんで来てくれはったんですか?
もともとは、弊社のスタッフのほうからこの話を持ってきていただいて、
非常に発信するにはすごくいい場所なので、ぜひ。
地元ですし。
出させていただきたいということで。
ありがたいです。
さっきね、始まる前にも話してましたけど、
僕ら株式会社は美創空間というね、美創って言ってるぐらいなんで、
僕はあらいやからこの領域、建築に入ってきてて、
その二十数年前にアートリフォームさんの業者一、
あらいやとしてよく行ってたっていうのがあるので、
なんかね、すごいね、変な感じに言ったらあれですけど。
お世話になりました。
いやいや、とんでもございません。
ただ、売上が今現状で言うと80億は超えてますよね。
そうですね。グループ全体で言うと大体120億ぐらい。
120億、全体で。
100億も超えてあるんですね。
そうですね。
100億の事業のあれがどんなんなんかとか、
それはすごく興味があるので、その辺の話が聞きたいなっていうのと、
あと、これはうちがちょっと初めて、
地方に、地方というか大阪以外のところに拠点を設けて、
今宮崎で僕はやってるんですけど、
いわゆるこのリノベアさんを視点で出して、
建築業をやっていきたいなと思っているので、
他の地域で店舗展開していってる時に、
どんな感じなんかなっていうのは率直に聞きたいなというふうに思うので、
その辺を話し聞かせていただけたらなというふうに思っています。
というところで、ご紹介からお願いします。
1980年、兵庫県出身。大学卒業後、経営者を志し、
ファーストキャリアは金融を学ぶと証券会社に入社。
3年間の勤務でトップの営業実績を残す。
神戸市に拠点を持つリフォーム会社に転職、その後独立企業。
2008年1月、仙台の旧姓に伴い、27歳で事業継承。
もともと強みとしていた不動産会社との携帯によるB2B…
TKやね。
TKの漢字読めないか。
TKやね。
TKですね。
TKによるB2B中古住宅街のリフォームに加え、
ウェブを用いたB2Cリフォームをスタート。
元ある文化強みを活かしつつ、新たな取り組みを加えていくスタイルで、
2017年より事業継承M&A事業をスタート。
現在はグループ8社の代表取締役を務める。
はい。
業界の成長と挑戦
いやー、TKに…
ちょっとびっくりしましたけど。
ここに出ると、文字が違う文字に見えるんですよ。
言い訳です。
もともと、代名で言うと三代目を継がれたという形になる。
そうですね、三代目になります。
あとは、学生の時、高校とか大学の時って、
すでにそうなるんかな、みたいなイメージってあったんですか?
そうですね、これ正直、継ぐ気は全く当時はなかったですね。
なんで独立したの?僕は知らなかったんですよ。独立して…
学生の時に、社会人になることがものすごく絶望的な時代があって、
働くことや仕事をすることに対しては、非常に逃げてたというか…
社会側というよりも社長自身がそう思われてたみたいな。
はい、そこから大学3回生の時ですかね、
今もお世話になってるんですが、人との出会いがあって、
そこから180度考え方が変わって、
明日にでも会社を辞めて働こうかというぐらい…
学校を辞めて会社で働こうかぐらい…
仕事をしようか企業をしようかというぐらい、
仕事をしたくてたまらなくなって逆になったんですね。
そこの話、掘ったらめちゃくちゃ長くなりそうですけど、
そんなきっかけがあって、独立する前提に証券会社に入った。
もともと経営を志しているところで言うと、学部は何を勉強してあったんですか?
もともとは経済学部だったんで、経済学のことは学んでましたが、
ただ学生時代の学びなので浅かったと思います。
大学を選んだ時の、もし意思があったら建築に行ってたとか、
そんな可能性も確かにあったのかなと思うんですけど、
全くそれはなかったんですか?
はい、なかった。そして社会に出ることが嫌だったんです。
どうだったね。
シンプルに言うと、かっこいい社会人に出会って、
そこからこんな人になりたいってなって、
そのためには仕事ができなければいけない。
ちなみに何をやった人なんですか?どういう業界の?
銀行マンと証券マンでした。
証券マン。
ほんで一旦大学出て証券会社に入るみたいな感じなんですか?
そこに憧れたというよりは起業がしたかったので、
そのためには営業と財務というか金融を学びたかったので、
それを短期間でかなりハードに学べるところがどこかなと思ったのが証券会社です。
で、証券会社に入って成績を残し、独立したくてたまらなかったので独立をした。
もともと学生自体に10年計画というのを作って、
普通の人は作らないですからね。
普通の人は10年計画を作らないと思うんですが。
私の場合はやっぱり計画を作らないと、
まだそれに納得がいかないと動けない立ちなので、
起業するという目的が決まった瞬間から、
じゃあどのような流れでいこうかと。
20代のうちに起業しなければやはりやりたいことができないと思ったので、
10年間の中で起業していくその設計図を作って、
その最初の3年間が証券会社での3年間。
なので3年って決めてたんで、そこで頑張ってやってました。
何で独立しあったんですか?
独立した内容は、リフォームもやってましたし、
マンションの管理もやってましたし、
あと店舗の改装もやってました。
それはやっぱりちょっと頭の片隅にはあったとかはあるんですか?
これはよく聞かれるんですが、単純に周りにリソースがあった。
ある意味、先代のリソースをちょっと使ったというのもありますけど、
それだけじゃなくて、成功確率が高い。
いわゆる今成長している産業というんですかね。
領域。
当時で言うと、何年前くらいですか?
20数年前ですか?
23、4年くらい前ですかね。
で言うと、まだリノベーションという言葉なんかはなかった?
そうですね。生まれたくらいですかね。
年代で言うと2000過ぎくらいですか?
2002年に社会人になりましたんで、起業したのが2007年でしたね。
未走空間と全く同い年かもしれないですね。
来期でちょうど丸二十になるんで。
で、リフォームの事業を独立されたが、急遽継ぐ形になったみたいな感じなんですかね。
自分で起業して1年くらい経った時に、私の父である先代が救世して、今に至るということですね。
それは全く予期せぬ?
そうです。血管に血が詰まる症状で。
もともと不健康な方だったんで、その3年前にも一回焼肉屋で倒れてたんですけど、今回は間に合わずという形です。
本当に急遽なんですかね。
2008年の1月3日に亡くなって、1月7日から会社が、今のアートリフォームが年明けスタートする日だったので、1月5日に当時の幹部の方と会議をして。
どうするみたいな。
もちろん私はそこの時、5日の時でも継ぐ気はなかったというか。
アートリフォームの成長の背景
外部、息子として行っていたみたいな。家族として行っていたみたいな感じですかね。
そうです。私が継ぐのはおかしいと思ってたんで。
本当はどんな感じになったんですか。そこを掘っても知らないからでも気になるんですよね。
そこで、今現在の常務でもあるんですが、その人間が、当時アートリフォームというのは、今よりはサイズは小さかったですけど、非常に成長意欲を持って、みんなで一生懸命。
さっき聞いたんですけど、当時は30人くらいやったと。
30人くらいですね。
売上規模で言うとどれくらいだったんですかね。
10億くらい。横の関係性も仙台を中心として幹部でまとまってたらしいんですよ。
仙台が急遽いなくなって、この幹部の誰かがそれを継いでも、この関係性が崩れると。
なるほど。
なので、わがままを言っているのは当然ですが、仙台の後は一族から入っていただけませんかという形でお願いをいただいて。
当時私は企業をしていました。
何歳の時ですか?
27歳。
27歳?
はい。
企業をしていましたので、自分のやりたい、ある意味やりたいように生きていたんですね。
そういった出来事やその声を受けて、自分自身はやりたいようにやることが人生じゃなくて、何か自分自身が求められている。
なるほど。
そういうことに応えることが運命というか定めみたいなものがあるのかなと。
なかなかいきなり違いなくなることになるので、それを感じて覚悟を決めたっていうんですね。
すごいですね。
どうでもいい話ですが、30人くらいで10億くらいで、だいたい似たような感じ。
僕がいきなり死んで、息子が今25歳くらいかな、来たみたいな話ですよね。
よろしくみたいな。
すごいですね。
当時はそうですね。今振り返ると、はい。
その時点で幹部の方々とは、事前に面識とかあったんですか?
そうですね。ほとんどなかったです。
びっくりですよね。
私自身も起業して、移動しやすい体ではあったと思うんですけど、
本当にいい会社、今もそうですけど、いい会社なんですね。成長力もあって。
それは、冒頭で初めましてなんで、僕今日初めましてなんですけど、思ってるよりフランクな人だし、
一緒にスタッフの方と今日来られてて、距離近いなと思って、
言うて、100億やってる企業の代表者で、組織もかなり大きい、もっと僕ツンケンしたいなと思ったんですけど、
30人から今400人くらいの規模までなって10倍以上ですよ。
むちゃくちゃフランクで、シャフーもたぶんそんな感じが垣間見えたので、
たぶん当時もそんな会社だったんだろうなぁのイメージなんですけど、どう成長していったんですか?
そうですね、私自身、この会社の魅力、ポテンシャルっていうのはその時感じて、
同時に、この会社が成長していくためにはどうすべきかっていうのも、頭の中でパンと浮かんだものもあって。
当時はスイッターのお店と、どんな状態だったんですか?
店舗数でいくと5店舗くらいだったと思います。
5店舗で10億くらい。
全て関西ですね。
で、その冒頭言ってあった計画をしないと、納得がしないとなんで、じゃあ分かった、やるってなったら、もちろん計画をされたってことですよね。
どれくらいの計画をしたんですか?
いったん2050年までバッと。
2050年、未来部できてたんですよ、その時に。
はいはい。
未来になればなるほど、改変性が高いんでフワッとはしてますけど、こういう角度で、こういうふうな形でやっていけば、この会社は成長していけると。
かつ、こういう会社が業界のど真ん中に行くことができたら、この業界ももっと魅力的になるんじゃないかなと思って。
当時、あんまり接触がなかった、先代が作られた会社社風で、ぽんと見たら、ええやんかってまず思われたってことですよね、おそらく。
で、そのメンバーが、じゃあ未来これをどうしていくを託されたを考えた時に、この建築業界、リフォーム、公務店業界、ここの真ん中にアートリフォームが行けたら、業界が良くなるんちゃうかと思われたってことですね。
なるほど。
もちろん、その業界が良い悪いという感覚というよりは、自分たちが働いている環境が誇らしくなっていくためには、自分の会社だけじゃなくて、業界全体を魅力的にしていくことが貢献なのかなと思って、それで考えた設計図ですね。
今、たぶん2050年までなんで、ちょうど真ん中ぐらいですよね、2025年なんで。
そうですね。
今、その時のアレットノってどんなんなんですか。
そうですね。大きな方向性としては、その計画通りは言ってますが、ただやっぱり、なかなか簡単にできないこと、やりたかったけどできなかったことや、やれると思ってなかったけど意外とできたことがたくさん混じってる感じですかね。
組織の壁とその克服
30億から100億を超える前、多分そのMAをする前ぐらいですかね、ずっとスケールアップさせていっていたで、何個かハードルあったと思うんですけど、どんなハードルが、最初ここ結構アレやったなとか、それが売り上げの壁なのか、組織の壁なのか、どんなのがあったんですかね。
壁は売り上げではなくてやっぱり組織ですね。
じゃあその組織の何の壁があったかというと、やはり組織の壁っていうのは集団の数が多くなっていく。組織の人数が多くなっていく。その中で起こる、弊社でいうとミッションビジョンの浸透の壁。これが100人前後の時にありました。
というとどんな。
これは経営者の責任でもあるんですけれども、現在のミッションビジョン、これと同じようなことを毎年全社総会でですね、覚悟を持って情熱を持って言ってたんですけど、全く伝わってなかったと。
これはメンバーがじゃなくて、私自身が伝える技術がなかった。熱量、思いや熱量だけで物事は伝わらないというか、しっかり言語化することだったり伝える技術、仕組み。
これを持たなければやはり集団が大きくなると直接。
バラバラ見てる方向も違ってくるしみたいな。
直接コミュニケーションを取れる人数ではもうないので、言葉でやっぱりたまらんでいく必要があるというか。
多分組織の作り方としては、支店があって店長がいてて、中に部署があって、メンバーがいている。
その支店の塊でエリアマネージャーみたいな方がいらっしゃって、この方が役員経営メンバー、ボードメンバーみたいな、多分そんな組織図をなんとなくイメージできるんですけど、
それが広がっていったときに、100名を超えたぐらいで、一番店舗で直接社長と話しすることがほとんどないメンバーにビジョン共有が難しくなった。
それとどうやってクリアしたんですか?
当時ずっとそれを違和感という形で感じてて、ずっと不思議な感じをしながら、ほぼに話をしてたんですね。こういうふうな感じで。
ある同級生が、3歳ぐらいからの同級生が、コンサルティング会社に勤めてて、その時は当時は辞めて独立してたんですけど、その元々のコンサルティング会社を紹介してくれて、
一回ここで、サーベイという社内アンケートみたいなものを取ってみたらと言われて、取ったんですよ。そこで出てきた結果が、民主児童美女会社の理念に対して期待値が低くて、満足度も低かった。
いわゆる期待値が低いってことは伝わってない。満足度も低いってことは同じ。こういう状態が社内アンケートで出たんです。それで私は気づいたんですよ。それまでは伝わってると思ってた。
ちなみに、その時のビジョン、ミッションになるんですかね、と今どこで変化っていうのはあるんですか?
ビジョンと戦略の進化
内容は変化はないんですが、言語が変わりました。
ちなみに今と当時は両方いうんですか?
当時の経営理念というのは、メンバーの物心両面の満足度を高めて、社会貢献をしていくっていう、いわゆる稲森和夫さん、教セラの理念というか、それ用の言葉をほぼいただいてた形だったんですけど、
やっぱりちょっと概念的というか、宗教的で少し伝わりにくかったのと、その解概念がなかった。いわゆる現在で言うスタンス、行動指針であったりとか、そういった言葉が全くなく、その言葉だけで伝えてたっていうのと、あとはその熱量でそれを伝えてたというか。
確かに思ってる、もっと僕はスケールを指していっている人なので、ザ・ケーションで勝手にシュッとしているみたいなイメージがあったんですけど、どっちかって言ったらグワーッと行こうや、待ってろやっていう感じの熱量パターンですよね。
今はそうしたらそれがもうちょっと言語化されてて、業界のリフォーム業界にもうちょっと近いような内容になっているってことですか。
最上位概念、いわゆるミッションっていうのが最上位概念で、そのミッションを達成するための中期的な計画がビジョンで、そこの会社の価値観や文化を表すスタンスという行動指針みたいなのがあって、さらにそれってどういうことなのかっていうのを噛み砕く言葉があって、
さらにそれが戦略、戦術、活動まで全てこう繋がる、因数分解するような形で繋げていくような形に、言語化をするようにしてて、さらにそれが人事評価にも全て結びついてて、社会の常識的に正しいか正しくないかという以上に会社の価値観や考えに対して合ってるか合ってないかは最重要している。
要は評価まで、お給料まで直結するような仕組みにしているから、多分100で戸惑った、100人ぐらいの規模の時でいろいろ苦労したことが、今だから4倍になっているが、今はそれがちゃんと落とし込まれて、みんなが理解共有されているから、わりと新しくどんどん出展していくっていうところに対しても、わりと積極的にいけるみたいな、そんな感じなんですかね。
そうですね。もちろん入り口、入社の段階で、そこに関しても共感したメンバーが入ってきますので。
面接面談の段階でそれも、なるほど。
かなり話します。
えー。
だからどれだけ能力があったとしても、ここに共感性がなければ、やはり。
採用難しい。入っても評価されへんし、会社とのズレがあるから、多分続かないだろうなとかのイメージもあるってことですよね。
そうですね。
採用は全国でされてますよね、各支店で。
はい。
どこが多いんですか。関西、関東。
関西が一番多いのと、次は関東ですね。
関東の、横浜に平成の段階で出展されてたと思うんですよね。
12年前ですね。
一番最初の関東一号店って、どれくらいのタイミングでやってるんですか。
12年前なので、2013年ですから。
それが一番最初の関西外れた、あれですか。
そうです。新横浜に出しましたね。
大阪、いわゆる関西圏からやっていたを、一発目。
それは何故なんですか。
2050年までの計画を立てた時に。
そうか、もう立ってるんだ。
なるほどね。
もう一つは、教会が成熟、ある程度成熟してくる前に出さないと、出す難易度が上がっていくので、なるべく早く一歩出る方がいいという。
関東でいうと、たぶん奥田さんとか、いわゆるリフォーム業界で関東、もちろんあるじゃないですか。
その辺との競合みたいなのとか、いろいろあったかなと思うんですけど、わりと順調にパッといったものですか。
そうですね、ライバル達と衝突して苦労するってことはあまりなかったですが、やはりそこで職人さんとの関係性づくりだったりとか、
ああいうのをゼロからやるっていうのが一番大変だったと思います。
うち、僕初めてそれを興味を持ってて、横浜市って、こだて文化で、思ってたより、言葉はあれですけど、こだて文化、もっと都会だと思ってたんですけど、
めちゃくちゃええやんと思って、めっちゃ興味を持ってて、足気に横浜に通ってるんですよね。
なので、横浜出店の話はめっちゃ聞きたいなとは思うんですけど、今年からね、この今年度、関係ないですけど、
この番組が1時間ズゴーンってやってたやつを、30分に変わったんで、ほら、なりだしたなんですよね。
そもそも終わりの合図がね。
いや、そうなんですよね。これ、入口にも立ったんかな?ぐらいに思ったんですけど。
そうですね、まだね。
何の話も聞いてないんですが、多分、受け継がれて、業界の真ん中に立ったら、もっと業界を良くすることができるんじゃないのかっていうのをおっしゃられてたので、
来週、次回ですね。次回は、じゃあそれに対して、今後アートリフォームとしてどんな打ち手を考えているのかとか、
未来の話なんかを聞けたらなと思うので、引き続きその辺を聞いていけたらなというふうに思います。
出店戦略と未来のビジョン
番組へのリクエスト、質問、感想など皆様からのメールもお待ちしております。
メールアドレスはrenovationtime.jpです。
また、スマホアプリFMプラプラからもメッセージが送れます。
リノーメの時間Xからもお気軽に感想DMお待ちしています。
またアーカイブは、これまで4年の記録がYouTube、スタンドFM、ポッドキャストでは、リッスン、スポーティファイ、アマゾンミュージックと、
たくさん幅広く配信してますので、これまでのゲストの方々のアーカイブもぜひぜひご視聴ください。
本社長が思っている感じと違いすぎて、若干戸惑ったんですが、
すごい感情型の人に見えるが、でも、2050年までの戦略を描いてるんですよ。
感で、感情型だけど戦略的という。
僕は単純に感情で終わっちゃってるんでね。残念なところですが。
その辺の戦略的な話を次回聞けたらなと思いますので、今週はこれで終わりたいと思います。
ありがとうございました。