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はい、今晩もリノベについてたっぷり喋っていこうかなと思っております。
今日はね、あれです。僕と全く真逆の人にゲストできていただいているので、いろいろ聞きたいなと思っております。
じゃあ、早速タイトルコールいきたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋銃株式会社と、建築建材といえばパクリス会社リクシルの提供でお送りいたします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションと街づくりをやっております。美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。よろしくお願いします。
特筆することは特段ないんですが、ゲストでこの後入っていただく方はですね、おそらく僕とほんまに真逆すぎて歩んできたあれがね、全く違うんですよ。
なのでね、その辺を聞きたいなと思っております。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。近畿大学教授株式会社スピーク宮部博之さんです。
はい、宮部です。よろしくお願いします。
いや、そういうことなんですよ。宮部先生、近畿大学の先生さんがね、建築を教えてらっしゃると。
僕、リノベーを独学で実践してきた人間なので、それを教えてるっていうのがね、どんなんなんかみたいなのは、いろいろ聞きたいなと思うんですけども、先生のね、プロフィールを。
そうですね。早速ゲストのご紹介をしていきたいと思います。
1972年千葉県生まれ、東京大学大学院建築学専攻修了。
東大。
北川敦市建築都市研究所、東京大学建築学科助手、リスボン工科大学客員研究院を経て2007年スピークインクに参画。建築の企画、デザイン及びリサーチを行う。
2008年ポルトガルでのリノベーションに関する研究により博士を取得。
2015年より近畿大学純教授、2021年より現職。
作品にリージアタイタテラス、竜宮城アパートメントなど。
著作にリノベーションの教科書、企画、デザイン、プロジェクト、世界の地方創生など。
なるほど。
まずリスボン工科大学がどこの国なのかっていうところから、あれなんですけど、これちなみにどこの国?
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ポルトガルです。
ポルトガルなんですか?
西の果てですね。
ポルトガルってヨーロッパですよね?
ヨーロッパの西の端。
フランスの先っぽのところですよね?
フランス、スペイン、ポルトガル。
そうですよね。
多分波乗りできるはずなんですよ。
ありますよ。
海ありますよね。
波めっちゃ高い。
そうですよね。
ポルトガルやったんですね。
そうです。
先生、僕井上先生とは出会いはリノベーションスクール、まちづくりの絡みでご一緒させてもらってて、全く歩んできた文脈が全然違うんで、東京大学から始まってるってことですよね。
僕関西の東大って言われてるところ出身、僕が言ってるだけなんですけど。
初耳ですね。
雪南大学っていうね。関西の東大って言われてるところなんですけど、僕ちなみに先生法学部出身って知ってますか?
これのラジオで聞きました。
本当ですか。全く建築勉強したことないんですよね。
すごいよね。独学でやってきてるわけですからね。
今週ですかね、今日は僕先生の大学で教えるに至るところまでどんなんやったのかっていうところと、
あとスピーク、いわゆる授業みたいな形でやってらっしゃるっていうところを、どんな感じで歩んできたというか、たどり着いたのかみたいなところを聞きたいのと、
後半に今後どんな感じでリノベーションいくんかなとか、考えた反応かなとかっていうところを聞けたらなと。
あともし時間あったら、学生さんに教えてらっしゃるところの取り組みみたいなのがお話できたらなと思ってて、
もしかしたらそこは難しくて、時間が足らんかったら裏リノベの。
30分の尺の中で。
分かりやすい。
の感じでいけたらなんですけど、72年千葉生まれなんで、僕のちょっと先輩です。4つ先輩ですね。今年50?
50。
50、そうですね。なるほど。ちなみに建築に歩んでいったのはどんな流れで、家が建築とかですか。
全然関係なくて、サラリーマン家庭なんですけど、郊外住宅地の。
ただ親父が土木の技術者だったんですよ。ダム。ダム屋さん。
なるほど。はいはいはい。
でね、小学校とか中学校。
ちなみにダムの何やってたんですか。
ダムの水門です。水門鉄管部門っていうので、水力発電所とかそういうのを作るときのダム。
水門係っていうのがあるんですか。
水門鉄管部門って言ってたな、親父は。
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で何されてたんですか。
でそれの設計と現場。現場も。
設計なんですね。
あと工事現場もやってましたよ。
設計管理ってことですね。
そうですそうです。
へー、なるほど。ルーツは本来はそこですか。
まあそういうものを作るのが親父の仕事であって。で、小学校とか中学校の時に、親父が家でDIYするんですけど、それ半端ないんですよ。
本気のってことですか。
なんなら足場くんで家全部塗り直すとかっていう、ちょっと可愛いDIYじゃなくて、公務店に頼めばいいのにみたいなことばっかりやってて。
それでも、子供の頃なんで3、40年前とかですよね。もっと前ですよね。
そうで、それを手伝わされるんですけど、ある日ね、休みの日に大人がいっぱい来てて、親父の友達が家に朝起きたら来てる感じ。
だからそのうち鉄骨が運ばれてきて、でこれ立てろって言われて立てるぞって言ってるわけ。
で俺らは弟と一緒に手伝わされて、支える係。
親父と親父の友達がコンクリートを足元に流し込んで出来上がったのがガレージみたいな。
で屋根吹くのに上登ってトタン板止めるのを、とりあえずこれ構造がそんなに強くないから子供が登れって言って、俺と弟で二人で登らされて、屋根吹くとかね。
半端ないDIY生活だったんですよ。
ルーツは完全にそこですね。
ルーツはそういうのにあると思う。
リーマン家庭っていうのもあんま関係ないかもしれない。もうお父さんの影響ゴリゴリですね。
そういうのが好きで、っていうのがありましたね。
でもね、それはそれで終わったというか、高校生ぐらいになったら理系なんですけど。
理系は理系なんですね。
理系、というかもう国語とかめちゃくちゃ苦手で、人の気持ちを理解して作文するやつとか全然できないわけ。
なるほど。この時の私の気持ちはどこに書いてんねんみたいな問題ができないってことですね。
一緒ですね。
なんだけど、なんかね、数学とか物理ハマったら、どんどんハマっていってやったら、ある日ね、その自分が考えた式が教科書に出てたりするわけ。
これ公式やったんや。
自分で考えてってことですか。
ちょっと次元が違う。
あ、これって公式でやるの?え、これ別に普通にやってったらわかることじゃんみたいなぐらい得意だったんですよ。
やっぱり、ちょっと建築の話関係ありえんけど、多分、それって大学等大ってことですよね。やっぱりちょっと脳みその回路ちゃうんですよ、絶対。
でもどうなんかな、それはハマったってことだと思う。高校受験は失敗して死亡、緊張シーンなんですよ。
意外。
すごい上がり症で、その時に回答欄間違えたんでね、多分。それで第一規模落ちて、滑り止めで受かってた私立に行ったんですけど、
その時にね、あ、俺って本番弱いから、実力の7割ぐらいで突破できるぐらい、日常の備えが大事やなみたいなのを。
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タイプ上げとけと。
そう、そこで思った。それで高校入った時に、別に等大受けるとかなかったけど、なんかそれはそれで悔しかったんだろうね。
やってるうちに理科系の勉強が結構ハマって、で、科学とかめちゃめちゃ得意だったんですよ。全国模試で科学の点数が3位とか。自慢だけどね、これ。
ちなみに僕も高校理系なんで、科学専攻、薬学部系やったんですよ。だから多分ルーツは一緒なんやけどね、公式は出てこなかったですね。
それがだから、結果大学等大受かっていったんだけど、最初はだから科学とか。
大学は建築学部?
じゃないんですよ。等大って理科一類二類みたいに分かれてて、ざっくり理工系と農学系と医学部に分かれるんですよ。
3つ。
僕理工系のところの。
建築も選択できるし、物理も選択できるしって。
その時は入った時はもう僕は科学か物理かって思ってたんだけど。
まだ建築に全然出会ってないってことですね。
そう、全く。で、勉強していくじゃん。
全然面白くないよね。
大学の物理が面白くないってことですか?
そうそう。で、よく分かんないの。先生に言ってることとかも。で、周り見たらそれをふんふんって言ってるやついっぱいいるわけ。
なるほど。
あ、こいつはこれ楽しいんだ。っていうか分かるんだと思って。
俺の世界じゃないなってだんだん思い始めて。
ちなみにその道にもし行ってたら、どんな職業になってたんですか?
科学者とかでしょ。
あ、そっち系ってことね。なるほど。
と思うんだけど、なんかね。
どこで建築に出会っていくんですか?
なんかその時に、周りに俺よりどんどんできていくやつがいるんだって見たら、これじゃないなって逃げたよね。
でもっと分かりやすいやつがいいなと思って。
そしたらそのDIY時代のあれがハワイなんじゃない?
それでよく分かんないんだけど、建築って自分がやることが成果として分かりやすい気がしたから建築いいなぐらいな感じ。
それはちなみにどんな2回で選択とかなんですか?
2年生。後半ぐらいになって選ぶんですよ。
で、建築の方に進んでいったと。
建築家の名前も1人ぐらいしか知らないし、みたいな感じで行ったら、これ建築学入ったら入ったで、すごい建築家の名前あげて、あの人と同じ名前ですって自己紹介してるやつがいたりとか、やたら大人びた感じにデザインいっぱいしてるやつとかいるわけ。
うわ、これヤバいとこしちまったなみたいな。
そんな建築の出会い方からなんですね。
そうですそうです。
それって東大の建築に行きたいって来る人間の割合と、宮部先生みたいに入ってくる割合ってどれくらいなんですか?
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どんぐらいですかね。でも本当に建築行くんだって来てる人半分もいないんじゃないですか。もっと少ないと思うけど。
それ東大の建築出た人って周り同級生とかって何やってるんですか?
結構もういい年なんでね。結構会社の社長さんになってる人とかもいるし、大学の先生も結構いる。
あと自分で設計事務所やってたりとか、有名な建築家になってるやつもいるし。
そんな全くわからん建築学部に入りですよ。そっから建築が始まっていくやと思うんですけど。
最初どんなに興味があったんですか?どっちに行こうとかイメージはどんなやったんですかね?
とにかくね、建築とプラモデルの区別がついてないぐらいだったの。だからどっちもないの。
最初になんか瞑想空間っていうのを考えてくださいって言って、5メートルかける5メートルかける5メートルの立方体を自由に使いこなして、
人が瞑想する空間作ってくださいっていう課題だったんですよ。
もう既にその課題の意味がわからないですね。
まあ瞑想するってやったこともないけど、座禅みたいな意味。
物はなんなんですか?
なんでもいいんですよ。コンクリートで。
要はその寸法の中で。
そう。自由に空間造形を考えようっていう課題なんです。
それリアルに作るんですか?
リアルではない。模型で表現するの。
何分の1かで。
そうそう。それでね、僕家が遠かったから。
千葉から通ったんですか?
学校行かないで、家で黙々と模型作ってたわけ。
リモートですね。
それでさ、定室に行ったら、僕だけプラモデルみたいな模型作ってたわけ。
フルカラーの。
で、他のみんなは白い材料で。
スチレンとか。
スチレンボードとかっていうので模型作ってて。
あれも白すぎる。
全然違うと思って。
でも僕はガンダムプラモデルが大好きだったから、
リアルに色塗ったりとか汚したりするテクニックとかあったんですよ。
それでもめちゃくちゃリアルなコンクリート表現したりとか、
やりまくってって先生たちが口ポカーンみたいな。
そういう感じ。
吐き違えてたところから。
そうそうそう。
あれ、俺違う?みたいな。
まあ、それちゃいますわね。
なるほど。
なかなかちょっと建築が見えてこないんですけど。
でもなんか、その最初の初期に、
その時の教授が課題で群馬県立美術館に行って、
ルイスカーンという建築家の展覧会をやってるから、
それを見てきて感想を書けっていう課題があった。
多分それで結構変わったな。
その群馬県立美術館っていうのが、
磯崎新田っていう建築家が設計したやつなんだけど、
全部正方形みたいなのができてるんですけど、
それ見てめっちゃかっこいいと思ったんですよ。
そこが。
初めて建築見て超かっこいいと思った。
さらに展示されてるルイスカーンっていうやつのが、
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写真見てめちゃくちゃ綺麗だったんですよ。
建築ってこんな綺麗なものが作れたり、
こんなかっこいいのができるんやっていうのを初めて実感して。
衝撃を受け。
受け、デザインいいじゃんと思ったんですよ。
そっからですね、なんか。
プラモデルを。
プラモデルじゃない。
ちゃんと建築を見始めた。
なるほど。
それが何回ぐらいですか?
それが3年生の時。
2年の後半ぐらいかな。
その時はそういう感じの、いわゆる建築、
ザ・建築家みたいなイメージを持ってやっていこうみたいな。
そっからはね。
大学の院じゃないですか。
院ってあってるんですか?
あってるあってる。
これは何やってあったんですか?
大学院では、要はデザインの研究です。
デザインの研究ってどんなの?
わけわかんないでしょ。
要は建築家が作った作品を、僕の場合、分解するんじゃないの。
全部写真とか図面見て、建築家がどういう思想で設計してたかとかを。
妄想するってことですか?
そう、考えていく。
面白い。
その論拠を形に求めたりする。
面白い。
建築形態論っていう、またマニアックな世界があるんですわ。
だからあんな話になるんだ。
いやいや、喋ってて思考が。
だからですわ。
全部言葉になるんですよね。
すげえ伝わりやすい。
僕たぶん物を伝えるときって、
グワーッとなってて、ブワーッていい感じやねんみたいな話を、
先生全部ね、ちゃんと文章化して伝えてくれるんですよね。
そうですか。
なるほど。そこがルーツなんかもんですね。
建築を観察して、それを言語化して、
ちゃんとロジカルに説明するみたいな分野だったんですよ。
それが大学院で?
建築家の弟子になるんですよ。
板川篤さんって芸大の先生やってる。
いや、もう引退したかな、先生は。
建築家なんですけど、調べてみてもらったらわかるけど、
めちゃめちゃアーティスティックな建築家なんですよ。
僕本当はロジカルな建築家のとこ行きたかったんだけど、
牧文子さんっていう。
そこがね、その年取らないって先輩に聞いて、
それやったら全然畑違いじゃないけど、自分のイメージつかない。
このときって、いわゆるほんまデッチ暴行みたいなんですか?
いや、ちゃんと給料もらいましたよ。
それなりに、北川さんはちゃんと給料くれる人だった。
助手なんで、いわゆる設計の一部分を図面変えたりとか、サポートしたりとか。
そうですね。プロジェクト担当で図面変えたり、模型作ったり、
打ち合わせ行ったり、現場管理したりっていう一辺の。
ザ建築事務所ですよね、いわゆる。
そこで建築のほうなら基礎というか、実務はそこがベースですか?
そこがもう完全にベースですね。
このときは大学の先生に進もうなんてイメージは全然なかったんですか?
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いったんまだなかったね。
まだ全くなし。
ルイスカンを作るぞ、みたいな話がそのときってことですよね。
これで東大の学科助手。
東大に戻ったんですよ。
研究室みたいな。
助手、教員として戻ったんです。
ここからなんでなんでなんで。
北河原さんのとこで、なかなか無茶ぶりだったんだけど、
1年目の僕と2年目の先輩で7000平米の高校の建物を担当させてもらってたんです。
あとそこの高校の全建て替え。
何年目くらいの話ですか?
1年目ですよ。
無茶ぶりでしょ。
だいぶ無茶ぶりですね。
思い出、でも死ぬほど楽しかったし、死ぬほど働いたけど死ぬほど楽しかった。
で、それやってたら教授が見とったよね、様子をね。
あいつ使えるかもって思ったんじゃない。
僕の先生が大学の本郷キャンパスっていう古いキャンパスのリデザインじゃないけど、
もうちょっと回収していきます、リノベーションしていきますっていうのを担当になって。
先生が。
先生が。で、手伝ってって言って戻ってったんですよ、大学に。
大学の中からそれをプロジェクトをやるみたいな感じで戻ってくる。
キャンパスの計画をするっていう部門ができて。
この時は建築ですよね。
そうですそうです。
そこで教えるっていうのもやってたけど、その辺りがリノベーションの出会いみたいな感じかもしれない。
これ何歳ぐらいの時ですか。
24、6ぐらいかな。
26ってことは何年ぐらいですか、2000年、1900?
97年か。
97年、なるほど。
ほんとにリノベーション大ギャーぐらいのそういうタイミングぐらいですよね、2000年前後ですもんね。
多分、大島さんがやってるリノベーションは、今みんなが知っているリノベーションじゃないですか。
実はそれよりずっと前からリノベーションってあるんですよ。
ちょっとその辺の話を聞きたいですね。どういうことですか。
要するに今みんなが知っているリノベーションは、不動産業界の人たちが古いものを投資して良くしたら、また高値で売れてモンカルディみたいなとか。
そういう流れでみんなが知ることになったわけ。
建築と不動産の人が主にやってるけど、その前のリノベーションは建築の人しか知らないみたいな感じで。
要はイタリアとかフランスとか行ったら、踏み立て物ばっかりじゃないですか。
向こうの建築の人がやってるのがリノベーションなわけですよ。
その中に、例えばイタリアでカルロスカルパっていう巨匠がおって、この人代表作リノベばっかりなんですよ。
60年代とかに活躍してる人。
カルロスカルパさん。
カルロスカルパさん、後で調べますわ。
その人のやつとかめっちゃかっこいい、味わい深くて、古いのよって、めでる感じのね。
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そういうのがあったんだけど、それはビジネスとしての話っていうよりは、古い建築を生かすっていう文化とか、あとデザインみたいな話。
向こうそうですよね、海外って。
で、そっちがリノベーションって言ってたんだけど、あるところで不動産業界の人たちが古い建物を改修して、バリュー上げるぞっていうところにも同じことだからね。
リノベーションっていう名前がついてるじゃないですか。そっちの方がワーッと広がった。
その時って、南部先生が東大のリノベーションやるってなった時って、それ何て言われてたんですか。改装なのか、改修。
日本で言ったら、日本語だと改修って言うんだよね。
それは東大改修工事っていう言い方をしてたんですか。リノベーションっていう言葉もなかったんですか。
リノベーションってあんまり、そんなに使ってもいなかったな。
リフォームっていう言葉もあったけど、それはリフォームには当てはまらなかったんですね。
そのリフォームは多分みんなが今思ってるリフォームと一緒だね。昔の形に戻すリフォームだけど。
改修工事っていうのが、本来建築の中のリノベーションだったってことなんですか。
その時は僕全くわかんないですね。
大学の絵画室みたいなのね、図が工作室だったとこが、図書館にきれいになりますとかっていうのとかリノベーションだと。
それはそれで今もありますもんね。銀行から。
やることは一緒だけど、その時は不動産塾の意味合いを全く帯びてなかった。
建築塾しかなかったってことですね。
それが先生のリノベー原点ってことですか。
そう、不動産塾抜きで、この古いの使うの超かっけーみたいな。
なるほど、それで本なら海外にもっとその辺の領域を見てみようと思って海外に行ったんですか。
リスボン工科大学。
そこはね、実は超僕のコアなとこなんだけど、東大のキャンパスのいわゆる街のリノベーションに近いキャンパスのリノベーションやっていく中で、
巨匠の大先生たちが新築で建てる建物ね、ガラス張りとか日本のコンクリートとか打ち放しとかでできるんだけど、それ一個一個はかっこいいんだけど、
キャンパス全体が歩いてて、だんだん前より良くない感じもするなと思ったんですよ。
その時に建築の雑誌見てて、ポルトガルにアルバロシザっていうおもろい建築家がいるとか。
アルバロシザ、全然知らん。
雑誌で見るとその良さがよくわかんないんだけど、詳しい人に聞くと行ったらめっちゃいいよって言われる。
もう一人、ソートデモーラっていう人がいて、やっぱりポルトガル人だけど。
24:00
こっちはもっといいとか言う人がいる。
ポルトガルがリノベーションの先生の中の聖地なんですか?
そう、僕の中では。
そこに旅行で行ったら、これ東大の方針違うなと思えたんですよ。
何かっていうと、ポルトガル人の巨匠たちって自分の作品が際立ってんだけど、街の中にある様子見たら全然目立ってないんですよ。
馴染んでる。
馴染んでる。完全に馴染んでるの。
で、日本で見るやつって、どうだと言わんばかり、みんな目立つでしょ。
確かに、確かに。
で、リノベーにしても新築にしても、そもそも論だ、違うなと思って、これは思想が違うなと思って、それを論文にしようと思って。
論文というか、それをもっと知りたいと思って。
研究するってことですね。
大学辞めて、ポルトガル行きますって教授に言ったら、これ研究で行ったらいいんじゃないって教授が言ってくれて、行かせてくれたんですよ。
東大の人として、このポルトガルリスボン工科大学に行ったってことですかね。
1年間行かせてくれて。
それで、旅の旅費とかね、そういうのは全部自腹なんですけど、相当金使いましたけど自腹で。
それでポルトガル中を旅して、リノベーの事例を見まくって、で論文書いたんですよ。
その論文はどんなのですか。今のリノベーじゃないってことですよね。
フルドサンジックは入ってなくて、どうやって目立たないけど、ちゃんと新しいってわかるようにデザインするのかみたいな、そこの考え方。
ちなみにね、これはゲストの方皆さんに聞いてるんですけど、だいたいこれめっちゃええやんかっていう古い建物のあの感覚あるじゃないですか。
あれって、だいたい一緒じゃないですか、リノベーみんな一緒にやってるメンバーって。
あれってどっから来るもんなんかっていうのを、いろんな方に聞いてるんですけど、ちなみに。
でもね、だいたい一致するね。でも僕ストライクゾーンがめっちゃ広いかもしれない、それの。
で、なんでかっていうとこで言うと、やっぱあれかな、人の手跡が残ってる感じが好きなかもしれない。
とか、あと風雪に耐えてきたのね、みたいな。
多分ね、あれだね。
奥行き感あるじゃないですか。
時間を遡って考えていった時に、その建物について、想像力がかきたてられるからだと思う。
きっと建った時こんなのやったかなとか、すげえ装飾ついてたら、すげえ職人に依頼したいかなとかね。
これ先生今何歳ですかこれ、大学からポルトガルに行った女。
論文家いたからもう35歳くらいまで。
あ、35まではいた。
でもまだ本題の、僕らリノベの時間のスピーク始まってないし、不動産塾のリノベーションがまだ始まってないですね。
27:01
ちょっと来週、その事聞きたいけど、聞きたいことめちゃくちゃある。
溢れるな、裏リノベもそんな話聞いて。
そこだけをちょっと、どんどん来週も掘り下げていきましょうか。
とりあえず今週はそれで勘弁してもらいましょうか。
番組へのリクエスト、質問・感想など皆様からのメールもお待ちしております。
メールアドレスはリノベーションタイムアットマークSFM.JP、リノベーションタイムアットマークSFM.JPです。
またスマホアプリ、FMプラプラからもメッセージが送れます。
リノベの時間、Twitterからもお気軽にコメント、DMなどもお待ちしております。
そうですね、コメントとかね。
リストの方への質問とかっていうのが、いわゆるラジオっぽい。
あれをやりたいなと思って。
面白いですって感想をいただくんですけど、質問をいただいてないんで。
今週のおはがきですね。
あんな感じがやりたくて。
我々ラジオが結構好き組でございまして。
憧れがそこに強いというか。
そうなんですよね。
全然まだ35歳の宮部先生の話で終わってしまった。
来週は不動産系のリノベーションであったり、スピークの今につながるところの話にできたかなと思っております。
今日の週は35歳で終わりということでよろしくお願いいたします。
また来週またよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。