そんな彼が生活してたのがベーグンハウスだったんだけども。
やっぱりそういうなんていうのかな。
ちょっとカウンターカルチャー好きのアウトローな人たちが集まる。
美大生が集まるそういうベーグンハウスって駐在、駐留軍のね住んでた家がボロ屋があったんだけどそこを一生懸命みんなであちゃこちゃ。
自分らでいじって。
いじりながら住んでたっていうのがリノベのルーツ。
その時のそれが楽しかったみたいなのがリノベのゼロってことですか。
やっぱりあると思います。
あんなボロでも楽しいっていう。
その時はみんなどんな意識でやってたんですか。
あの頃はちょうどバブルなんですよ。
僕88年大学1年生なんで大学生活はバブルがこれから絶頂期に向かっていくでしょ。
そうすると裕福な家の子とか美大って面白くてデザイン家って結構その後も保証されてるんですよ。
大手広告代理店とかメーカーとかいったら。
だけど彫刻とか油の人間ってずっと霞み食って生きていくのがやっぱり哲学なわけですよ。
全然価値観違う。
僕は結構油とか彫刻のやつと仲良くて。
僕はもともと彫刻館に行きたかった人間だから。
ちょっと待ってください。そこは聞きたい。
そんな話し始めたら30分で絶対終わらないから。
それ裏裏で後でね。
彫刻の話。
その時に裕福な今後の将来も活躍されてる奴らは結構あの頃出始めた太月の新築のアパートとかワンルームマンションとか住んでる。
だけどアート系の奴らっていうのは畑のど真ん中に昔からある昭和20年30年にできた風呂なしのボトンベンジョン。
風呂屋に通いながら神田川みたいな世界にみんな住んでた。
その方が家が大きかったから。アトリエ代わりにできるから。
その時からアートレジデンスの考え方みたいな話ですね。
みんなねルームシェアしてたしハウスシェアしたし僕もその米軍ハウスは友達3人でシェアして住んでて。
でアトリエ代わりでもあったし飲む場所でもあったし化学作業する場所でもあったしっていうそういう時代。
完全にその時のまま今大人になった。
その時から言ってることもたぶんほとんど変わんないんじゃないかと思って。
そこからなんですね。
そうですね18歳。
大学はたぶんアメリカイギリスでその後組織設計みたいないわゆる建築はそこで実務をやったみたいな感じですかね。
そうですねだから僕は大学時代は建築はどちらかというとあんま好きじゃなくて。
ただ自己表現はすごく突き詰めようとしてたからいろんなことやってたわけですよアート作品を作ったりとかね。
建築だけじゃなくてアートもやってた。
だけど後半になって意外と建築ってルールがあるじゃないですか。
これが面白いなってやっと思えるようになったんですよ。
アートって自由すぎるから。
制約ゼロですもんね。
ゼロではないかもしれないデザインは当然のことクライアントに答える。
だからアートって違うでしょ。
気がだらけだったりとか。
大変や。
大変だったお前も勉強させてやったんだからなんとか。
あんな関係ないって言ってくれてたのに今になってそういうかと思ったんだけど。
そういうの見に行ってたらこれ社会課題としてでかいなって思ったんですよ。
単なる天守りの処理だと思って面倒だなと思ったんだけど。
やっぱり自分と同じ世代が抱えてる課題。
先代が作った社会資産としてのね。
いろんな建物も町もそうなんだけど。
それが僕らの代になったらものすごくお荷物になると。
それをどうしてやるかってマネジメント考えなきゃいけないんだって結構面白いなと思った。
それでイタリアの仕事なんかやってるよりも絶対こっちだと思って辞めたんですよこの会社は。
なるほど。そこでそうなったんですね。
で古いやつをどう見せるかみたいな下りになってブルースが始まるみたいな。
そうですね。だからそういうものを立て替えたりまた新しく投資をしたりすること自体がものすごくリスクが大きいと。
そのリスク取れない。自分自身が取れなかったから。
まずね。
僕30歳を超えてそういう状況になった時にやっぱり親父もうちの親父は昭和2年生まれというものすごく年を取った親父だったんで。
だいぶ先どうかなっていう考えなきゃいけない。
そうすると活用ってことは必然的に僕の中から出た。
だけどあまりにも今ある住宅やオフィスの建物自体がメンテナンスどころかマーケティングの発想を持ってないっていうのはよくわかったんですよ。
まあそういう時代に建てられてるってことですよね。
そうそう。うちの親父はもう自分が経った70年代っていうのは最先端に作ったんだって俺に自慢してたんだけれども。
だけど30年40年近く経ってみたらもう全然古い。
そのままずっと止まってるわけですよ。現状回復現状回復でしょ。
ちゃんと今のライフスタイルに合わせた家になってない。当然マーケットバリューは落ちてるってわかるじゃないですか。
だから自分でやれることはいっぱいあるはずだと。
なるほど。その時はでもノーノウハウ、そっちのが面白そうで、まだリノベットはなってないですよね。ただ古いものを新しく再生しようみたいな話っていうところ。
とにかく収益性を上げなきゃいけないから、もともと12万で貸したって自慢してたのが8万円になってたんですよ。
それで僕は12万円に戻したんですよ。でそれはデザインでしっかりとそれを伝えるということまですればね。
その時のデザインが気になるんですね。それはどんな、いわゆる普通の賃貸をどうしようと。
そうそう。ちょっとトツボで2DK、2DKかな、古いファミリータイプだったんだけど畳の部屋が私と。
マンションですか。
マンション。で暗い台所があるっていうやつですよ。
でそれを1LDKのキッチンの位置も変えて、リビングダイニングと小さな寝室。
まあリノベですね。
それ完全に。でそれを作るだけじゃなくて、モデルルーム化して自分がモデルになったりして自分の仲間のアーティストとか家具デザイナー連れてきて、
自分の先に置いてそれをアレンジして写真撮って、でその撮った写真を当時デザイナーズマンションが得意な不動産屋っていうのがいたからそこに持ち込んで、
これで12万円でつけてくださいって言ったらそしたらすぐ決まったわけ。
もうすでにそれが学生の時の通りが、イタリアとかアメリカいろいろ経て経てそれをもう一回やったみたいな感じですかね。
だから絶対僕は楽しいはずだし、もっとみんな気づいてってずっと思い続けた。
その時なんて呼んでたんですかそれ。
それでその後にリイノベーションっていうREのマスタリスクでイノベーション、もう一度イノベーションを起こすっていうそういうコピーを作ってリノベーションっていう読ませたっていうのをその時した。
そこがほんのもうオギャー。
そうですよねだから2000年、99年とかそれくらいにウェブサイトも自分でこう作ってその時にリイノベーションリイノベーションって言ってウェブサイト作ったのがその時。
そっからそれをじゃあこれをリノベーションと定義してしまおうっていうのでやりだしたのが一番最初のリノベーションのスタートってことですね。
それは僕は不動産管理会社に営業しまくったんですよ。
カタログというかパーフレットを使ってね。
古いの再生します。
自分の親父のアパートを8万円を自分で。
実績はこれだ。
もうこれやらないといけないでしょうって言って東京の管理会社回って。
管理会社もやっぱり親からこれどうすんだって説かれてるんですよ。
こまつけるんですよね。
こまつけろってお前ら絶え間違い。
その時みんな聞いてくれる。
聞いてくれるんだけどじゃあお前いくらするんだったら200万ですとか言うと。
ふざけるなばか方。
現状回復でみんな2,30万50万かければいいとこでみたいな。
いや確かに。
200万とか何言ってんのって言われてもうそこで終わり。
だから2年間ぐらい仕事なかったです。
もうほんと当たってはくだけ当たってはくだけ。
その間どんな人だったんですか。
僕のその時のパートナーのうちの代表の大千山博史。
彼は建築学科でベーグンハウスとの同居人だったんだけど。
もうそっからずっと一緒なんですね。
18歳の時から今52歳までずっと一緒ですから気持ち悪いですよね。
彼は建築学科出たんだけど広告代理店に入ってそれでグラフィックデザイナーとしてずっとやったんで10年。
彼はやっぱりそのプレゼンテーションというかスタイルということをずっとやってきたわけで。
一緒にやろうよということを始めたんだけど。
僕自身は建築でものづくりをしてきたでしょ。
うちの不動産賃貸業っていうのは管理だから。
これを僕は時間のデザインということでしたんだけど。
ことのデザインと時間のデザインは僕担当。
ちょっとゴールディメモしといてもらっていいですか。
時間のデザインことのデザイン。
いいことだったら今間違えた。
もののデザイン。
もののデザインと時間のデザインが僕担当。
もののデザイン。
もののデザインね。
あとことのデザイン。
それをうちの大島がグラフィックをずっとやってきた。
ことっていうのは伝えることであったりリサーチをするというソフトだよね。
時間を経たものをそこにポンと置くと安心するわけよ。
なんか変な例えだったけれども。
だから時間の蓄積があるものを家の中に置くと安心する。
家の中に高等品を置きたいと思う人もそういうものかもしれない。
全部が新品だったらきついと思う。きつくないのかな。
僕はきつい。
なんで僕らリノベーションの事業をやってるのかと思うんですけど。
僕は元々古着が大好きで古いのが好きっていう文脈の人なんで。
なるほどね。
その時は大島さんのワールドをイメージするものこれええだろうを広げたかったが
リノベーションのスタートのエネルギー原動力みたいな。
そうですね。
だからそんなに社会的な意義や今でいうようなSDGs的な炭素とか
そんなこと全然考えてない。
もっと面白いじゃんって。みんなもっと知ってよっていうぐらいなもんだと。
だけれどもそればっかり言ってるとアホちゃんって言われるから
そこには実は経済性がくっついてくるってことを
後から8万円12万円で僕は知ったので。
それを投資効率、利回りに言い換えてウェブサイトを作ったんですよ。
そしたら当時不動産の証券家って聞いたことありますよね。
不動産の証券家の流れが2011年くるわけね。
その時に不動産金融の人、不動産屋じゃない。
金融の人が僕らの言ってることをそうだよお前らよくわかってるなって言ってくれた。
資金源があるところの人たちが気づいてくれたってことですね。
それは金のある人じゃないですよ。金の使い方を知ってる人。
だからちゃんとリスクがあるものに投資をしてそのバリを上げてこそビジネスだっていう人。
だけど不動産の世界の人たちはそういう人たち少なかったんだよね。
これから確率に上がるっていうか。
いいマーケットの中で情報を先取りして勝つぐらいのもんで
みんながそっぽ向いてるものを探し出してきて投資をして成長させるみたいな
エンジェル的発想が不動産の世界にはないわけ。
作ろうっていう発想ないですよね。
不動産証券家ってファイナンスの人たちっていうのは
最初開発ってほとんどやってなかったですよね。
みんなあるものを買って不良債券買ってそれをバリアップして
転売するっていうのがあの人たちのやり方でしょ。
当時の流れと僕らの考えがたまたま合致しちゃったんですよね。
僕らが不動産の証券家の流れの中で
外資の横文字の会社から海外から電話かかってきた。
ネットのヤフーのニュースかな。
大丈夫?
これ全然全然。
でしょうが。
リノベのリの左カーブで書いたぐらいですね。
この不動産投資のところからリノベに駆けつけれなかった?三浦さん。