1. 美想空間鯛島の『リノベの時間』
  2. リノベの時間2022.8.4:blue st..
2025-01-18 28:37

リノベの時間2022.8.4:blue studio クリエイティブディレクター 大島芳彦

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ゲストはblue studioクリエイティブディレクター大島芳彦さん。

「リノベーション」という言葉の生みの親である大島さん。 大島さんがリノベーションと出会った原点から、じっくりと深掘りさせて頂きました! 美大出身の大島さんが建築業界に入る前に行っていたことは○○?! そして建築に転向したきっかけとは?!

是非お聞き下さい!!

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はい、えー、今晩もリノベについて語っていきたいなというふうに思います。
今日は僕の師匠ですね、大師匠に来ていただいておりますというところで、タイトルコールやっていきたいと思います。
それでは今日も行きます。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋重工株式会社と
建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りいたします。
はい、えー、こんばんは、えーっと大阪港区でリノベーション等の事業をやっております、美想空間大島です。
こんばんは、アシスタントの三浦香菜です。よろしくお願いします。
さあ、だいぶね、回数重ねてちょっとこなれてきた。
先週ね、ちょっとハプニングがあったんで。
なんとか乗り切ったんかなとは思うんですけど。
今日はあれです、来ていただいておりますけれども、僕にとってはだいぶ影響を与えていただいている大師匠ですね。
僕のしょうもない話はいいんで、早速どんどんやっていきましょう。
はい、この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
はい、じゃあ早速行きましょうか。
では早速今日のゲストをご紹介いたします、ブルースタジオクリエイティブディレクターの大島芳彦さんです。
どうもこんばんは、よろしくお願いします。
大島さんと大阪でラジオです。
はい。
めちゃくちゃ嬉しいですね。
多分みんないろんなこと聞きたいなと思ってるかなと思うんで、どんどん今日は聞けたらなと思っております。
はい、よろしくお願いします。
はい、早速で大島さんのご紹介をお願いいたします。
はい、では早速ゲストの大島さんの経歴をご紹介いたします。
1970年、東京都生まれ、武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
米国、英国に留学の後、大手組織設計事務所勤務。
着るどこがあれだね。
恥ずかしくない。ごめんなさい。
知らないとバレちゃいられない。
組織設計でお願いします。
大手組織設計事務所勤務。
2000年株式会社ブルースタジオにてリノベーション旗印に有給不動産の再生。
活性化をテーマとした建築企画、設計、コンサルティング、アセットマネジメント事業を起業。
近年は全国の自治体とともに地方創生、中心市街地再生、団地再生、小中学校再編などの都市スケールの再生プロジェクトにも取り組む。
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家業でもある東京都中野区の不動産賃貸業、大島土地建設株式会社では3代目代表を務める。
2012年11月テレビ東京系カンブリア宮殿。
2017年1月にはNHKプロフェッショナル仕事の領域に出演。
2015年ストック型社会におけるリノベーションスクールを通じた人材育成と地域再生事業にて日本建築学会教育賞を受賞。
2016年団地再生プロジェクト。
星野谷団地でグッドデザイン賞大賞候補となり金賞経済大臣賞を受賞。
2022年大阪大東市法上まちづくりプロジェクト森根機都市景観大賞国土交通大臣賞を受賞。
はいそうそうたる経歴。
そうですね。ありがとうございます。
いやーこの経歴だけをこういくとね、まあとんでもないですよ。
テレビ出て、これ今なかったですけど2000年ぐらいにブルスタで情熱大陸あったんですかね。
2000年って僕ら仕事始めたばかりなんでそんなことは絶対にないです。
ないですか。
2000年は。
その後ぐらいですか。もっと後とかですか。
カンブリアに出たのが多分大きなメディア始めてじゃないですかね。
あーなるほどですね。
その前にANAの発想の来た道っていうANAの機内の番組があったんだけど、あれで僕の1時間番組をやってたんです。
何年ぐらいの話ですか。
それね2013年14年ぐらいかな。だからビジネスクラスの人たちに見てもらえたりとか。
あの頃エコノミークラスでもずっと映ってるからもうシートベルトで縛り付けて40分間ぐらいずっともう洗脳ビデオみたいに僕の特集をやるっていう。
あれすごい効果ありましたね。
なるほど。
そんなお願いしたわけじゃないんだけどそんなことをしていただいたことがありました。
多分三浦さんを大島さんがどういった経緯かっていうのが知らんと思うんで。
詳しくね。もちろん大島さんのことは知ってると思うんですけど。
僕今日は大島さんのリノベーションの未来の話がとにかく聞きたいなと思ってて。
ずっと先頭走ってあるんで。
先頭かな。
先頭じゃないですかね。
いや先頭じゃないですよ。
で次どこ見たはんやろっていうところは一番聞きたいなと思ってるんですけど。
とはいえ今日に至るまでのところで何個かターニングってあったと思うんですけど。
そこの話も当時どんなことを考えてて今見てたのかみたいなのを聞けたらなというふうに思ってます。
からから行くと、さっき読み間違えてたところの手前でも気になったんですけど。
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米国英国に誘惑って書いてあるんですよ。
誰が誘惑って言ったんでしょうね。
遊びみたいなもんっていう意味でしょうけど。
実際は。
正しいと思いますね。
どんなあれやったんですか。
僕最初はロサンゼルスカリフォルニアに行かせてもらったんですけどそこに建築の専門の大学があって南カリフォルニア建築大学単科大学ですね。
僕美大出身だったんで実践的なのがいいわけですよ体を動かして。
あんまり東海岸のアカデミックな。
知識的な。
こんな帽子かぶってねマントの帽子投げるみたいなそういう学校じゃなくて。
ずっとメタルとかウッドの工房がある中でフルスケールの模型作りますみたいなそういう学校がカリフォルニアにあるんですね。
それは建築ですかその時はまだリノベに至ってない感じなのかアメリカで。
もうその頃って1992年とかですからあの頃の建築ってデコンストラクションって聞いたことありますよガッツ構築ってやつですけど。
もうあのポストモダンの後でねこんなこっちゃこっちゃいけばなみたいな爆発した建築っていうのがアンビルドとかお絵描きだけみたいなCGの世界だけどそういうかなり前衛的な建築っていうのがカリフォルニアのほうでも盛んに。
アメリカではそんな感じだった。
そうそういうものを学びたい僕はアートの学校に行ってたからね美術授材区なんで。
むさびで専攻は。
建築学科ですよ造形学部建築学科ってやつ。
いわゆる芸大の中の建築を学んでらっしゃった。
理系じゃないんですよ。
まあまあとはいえだから今なんかとはめちゃくちゃ思うんですけどアメリカでその最先端の建築をやってたみたいな。
結局勉強したというよりはいろんな社会経験をさせてもらったというほうが結果すごくいいことでしたね。
どれくらいだったんですか。
アメリカには延べで3年弱ですかね。
ちなみに英語は英語って今また。
それなりです。
出るんですね。
英語でしゃべりかけないでくださいよ。
ここでいけたらね勝つのいけるんですけどね。
その後イギリスにいたんですよ。
アメリカからのイギリスなんですね。
アメリカからイギリス行ってまたアメリカ戻るっていうそういうあちこちな感じ。
まさに遊学ですね。
その時っていわゆる古い建物再生するっていう考え方ってアメリカもイギリスも結構最先端というか。
その頃全くそんなリノベとか考えてなくて。
僕のリノベのルーツってむしろ18歳19歳の大学1,2年生の頃ですよ。
僕はベーグンハウスっていう限りなき青に近いブルーなんだ。
村上隆のね。
本ですね。
本があるでしょ。
村上隆もムサビだったんだけれども。
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そんな彼が生活してたのがベーグンハウスだったんだけども。
やっぱりそういうなんていうのかな。
ちょっとカウンターカルチャー好きのアウトローな人たちが集まる。
美大生が集まるそういうベーグンハウスって駐在、駐留軍のね住んでた家がボロ屋があったんだけどそこを一生懸命みんなであちゃこちゃ。
自分らでいじって。
いじりながら住んでたっていうのがリノベのルーツ。
その時のそれが楽しかったみたいなのがリノベのゼロってことですか。
やっぱりあると思います。
あんなボロでも楽しいっていう。
その時はみんなどんな意識でやってたんですか。
あの頃はちょうどバブルなんですよ。
僕88年大学1年生なんで大学生活はバブルがこれから絶頂期に向かっていくでしょ。
そうすると裕福な家の子とか美大って面白くてデザイン家って結構その後も保証されてるんですよ。
大手広告代理店とかメーカーとかいったら。
だけど彫刻とか油の人間ってずっと霞み食って生きていくのがやっぱり哲学なわけですよ。
全然価値観違う。
僕は結構油とか彫刻のやつと仲良くて。
僕はもともと彫刻館に行きたかった人間だから。
ちょっと待ってください。そこは聞きたい。
そんな話し始めたら30分で絶対終わらないから。
それ裏裏で後でね。
彫刻の話。
その時に裕福な今後の将来も活躍されてる奴らは結構あの頃出始めた太月の新築のアパートとかワンルームマンションとか住んでる。
だけどアート系の奴らっていうのは畑のど真ん中に昔からある昭和20年30年にできた風呂なしのボトンベンジョン。
風呂屋に通いながら神田川みたいな世界にみんな住んでた。
その方が家が大きかったから。アトリエ代わりにできるから。
その時からアートレジデンスの考え方みたいな話ですね。
みんなねルームシェアしてたしハウスシェアしたし僕もその米軍ハウスは友達3人でシェアして住んでて。
でアトリエ代わりでもあったし飲む場所でもあったし化学作業する場所でもあったしっていうそういう時代。
完全にその時のまま今大人になった。
その時から言ってることもたぶんほとんど変わんないんじゃないかと思って。
そこからなんですね。
そうですね18歳。
大学はたぶんアメリカイギリスでその後組織設計みたいないわゆる建築はそこで実務をやったみたいな感じですかね。
そうですねだから僕は大学時代は建築はどちらかというとあんま好きじゃなくて。
ただ自己表現はすごく突き詰めようとしてたからいろんなことやってたわけですよアート作品を作ったりとかね。
建築だけじゃなくてアートもやってた。
だけど後半になって意外と建築ってルールがあるじゃないですか。
これが面白いなってやっと思えるようになったんですよ。
アートって自由すぎるから。
制約ゼロですもんね。
ゼロではないかもしれないデザインは当然のことクライアントに答える。
だからアートって違うでしょ。
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僕はアートのサイドにいたからだんだんそれは才能がなかったんでしょうね。
ルールがあった方が面白いやと思うようになった。
制約の中でどう表現するのかみたいな建築ですね。
検証基準法でやってるいろんなものがあるんだけれどもその中でいろんな文脈みたいなものをどう読み解いて建築作るかみたいなことに興味持つようになった。
それから慌てて大学の後半僕は2回もダブってるんだけど。
それで勉強。
二流ですね。
僕はだから医学部状態ですね。
ちなみに私も。
仲間ですね。
一郎は二流なんで。
長いですね。
そんなので慌てて6年生ぐらいになって。
5、6年生ですけどね。
もうちょっと勉強したいなと思ってそれで僕はアメリカに行ったんですよ。
帰ってきてからは建築ですね。
建築やって。
ちょっと経て経てでブルスターでジョインするみたいな。
そう3年僕は働いて。
そんな中僕イタリアの仕事をずっとやってたんです組織事務所の時は。
そんな話聞きたい。
それ後で。
イタリアはうらりのね。
うらりの部多いな。
外国帰りだったんでそういう仕事で大学の。
ちなみにイタリアの建築って何やってたんですか。
ミラノ工科大学っていう大学があるんですけどそこ建築学もあって有名ですけど。
そこのキャンパスの移転のプロジェクトって超巨大プロジェクトを僕ら若手チームで組織事務所の時に応募して一等賞取っちゃったんですよ。
それでその設計をやることになって。
そうやって日本に居ながら。
日本に居ながら。
その組織事務所で応募して。
へー。
だからそれでミラノに何かこう行ったり来たりしてたんだけどそれも全然リノベと関係ないでしょ。
関係ないですね。
合理の建築ですよね。
いわゆる本当に王道の王道ですよね。
そうですね王道の中でもどっちかっていうと結構皇居に近いですよね。
大学とか向こうのエネルギー供給公社とかそういう巨大建物とランドスケープのデザインをやってた。
そのままやったらそっち系の方でその実績をもってしてなんか世界を股にかけるみたいな方に行きそうな聞こえもあるんですけどそっからブルスターに行くっていう流れですか。
ブルスターに行くというよりは僕は家業が一番のきっかけなんです。
なぜリノベ買ってたら。
僕は自由奔放に海外で勉強させてもらったりして帰ってきたらやっぱり海外の仕事してるでしょ。
実は家業は賃貸業なんですよ。
親父が1970年代60年代後半から作ったアパートビルがあってみんなわかる通り当時は経済成長期だから家主なんて不労所得って言われてたもんだからお前はそんなこと考える必要ないからと。
家業なんか後で何とでもなるからって僕は言われてたから家のことなんか知らなかった。
だけど僕帰ってきてもう30になってちょうどねミレニアムでそろそろ21世紀だなっていう時になったら親父が僕にぼやくようになってどうしたのかなと思って言ったら。
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気がだらけだったりとか。
大変や。
大変だったお前も勉強させてやったんだからなんとか。
あんな関係ないって言ってくれてたのに今になってそういうかと思ったんだけど。
そういうの見に行ってたらこれ社会課題としてでかいなって思ったんですよ。
単なる天守りの処理だと思って面倒だなと思ったんだけど。
やっぱり自分と同じ世代が抱えてる課題。
先代が作った社会資産としてのね。
いろんな建物も町もそうなんだけど。
それが僕らの代になったらものすごくお荷物になると。
それをどうしてやるかってマネジメント考えなきゃいけないんだって結構面白いなと思った。
それでイタリアの仕事なんかやってるよりも絶対こっちだと思って辞めたんですよこの会社は。
なるほど。そこでそうなったんですね。
で古いやつをどう見せるかみたいな下りになってブルースが始まるみたいな。
そうですね。だからそういうものを立て替えたりまた新しく投資をしたりすること自体がものすごくリスクが大きいと。
そのリスク取れない。自分自身が取れなかったから。
まずね。
僕30歳を超えてそういう状況になった時にやっぱり親父もうちの親父は昭和2年生まれというものすごく年を取った親父だったんで。
だいぶ先どうかなっていう考えなきゃいけない。
そうすると活用ってことは必然的に僕の中から出た。
だけどあまりにも今ある住宅やオフィスの建物自体がメンテナンスどころかマーケティングの発想を持ってないっていうのはよくわかったんですよ。
まあそういう時代に建てられてるってことですよね。
そうそう。うちの親父はもう自分が経った70年代っていうのは最先端に作ったんだって俺に自慢してたんだけれども。
だけど30年40年近く経ってみたらもう全然古い。
そのままずっと止まってるわけですよ。現状回復現状回復でしょ。
ちゃんと今のライフスタイルに合わせた家になってない。当然マーケットバリューは落ちてるってわかるじゃないですか。
だから自分でやれることはいっぱいあるはずだと。
なるほど。その時はでもノーノウハウ、そっちのが面白そうで、まだリノベットはなってないですよね。ただ古いものを新しく再生しようみたいな話っていうところ。
とにかく収益性を上げなきゃいけないから、もともと12万で貸したって自慢してたのが8万円になってたんですよ。
それで僕は12万円に戻したんですよ。でそれはデザインでしっかりとそれを伝えるということまですればね。
その時のデザインが気になるんですね。それはどんな、いわゆる普通の賃貸をどうしようと。
そうそう。ちょっとトツボで2DK、2DKかな、古いファミリータイプだったんだけど畳の部屋が私と。
マンションですか。
マンション。で暗い台所があるっていうやつですよ。
でそれを1LDKのキッチンの位置も変えて、リビングダイニングと小さな寝室。
まあリノベですね。
それ完全に。でそれを作るだけじゃなくて、モデルルーム化して自分がモデルになったりして自分の仲間のアーティストとか家具デザイナー連れてきて、
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自分の先に置いてそれをアレンジして写真撮って、でその撮った写真を当時デザイナーズマンションが得意な不動産屋っていうのがいたからそこに持ち込んで、
これで12万円でつけてくださいって言ったらそしたらすぐ決まったわけ。
もうすでにそれが学生の時の通りが、イタリアとかアメリカいろいろ経て経てそれをもう一回やったみたいな感じですかね。
だから絶対僕は楽しいはずだし、もっとみんな気づいてってずっと思い続けた。
その時なんて呼んでたんですかそれ。
それでその後にリイノベーションっていうREのマスタリスクでイノベーション、もう一度イノベーションを起こすっていうそういうコピーを作ってリノベーションっていう読ませたっていうのをその時した。
そこがほんのもうオギャー。
そうですよねだから2000年、99年とかそれくらいにウェブサイトも自分でこう作ってその時にリイノベーションリイノベーションって言ってウェブサイト作ったのがその時。
そっからそれをじゃあこれをリノベーションと定義してしまおうっていうのでやりだしたのが一番最初のリノベーションのスタートってことですね。
それは僕は不動産管理会社に営業しまくったんですよ。
カタログというかパーフレットを使ってね。
古いの再生します。
自分の親父のアパートを8万円を自分で。
実績はこれだ。
もうこれやらないといけないでしょうって言って東京の管理会社回って。
管理会社もやっぱり親からこれどうすんだって説かれてるんですよ。
こまつけるんですよね。
こまつけろってお前ら絶え間違い。
その時みんな聞いてくれる。
聞いてくれるんだけどじゃあお前いくらするんだったら200万ですとか言うと。
ふざけるなばか方。
現状回復でみんな2,30万50万かければいいとこでみたいな。
いや確かに。
200万とか何言ってんのって言われてもうそこで終わり。
だから2年間ぐらい仕事なかったです。
もうほんと当たってはくだけ当たってはくだけ。
その間どんな人だったんですか。
僕のその時のパートナーのうちの代表の大千山博史。
彼は建築学科でベーグンハウスとの同居人だったんだけど。
もうそっからずっと一緒なんですね。
18歳の時から今52歳までずっと一緒ですから気持ち悪いですよね。
彼は建築学科出たんだけど広告代理店に入ってそれでグラフィックデザイナーとしてずっとやったんで10年。
彼はやっぱりそのプレゼンテーションというかスタイルということをずっとやってきたわけで。
一緒にやろうよということを始めたんだけど。
僕自身は建築でものづくりをしてきたでしょ。
うちの不動産賃貸業っていうのは管理だから。
これを僕は時間のデザインということでしたんだけど。
ことのデザインと時間のデザインは僕担当。
ちょっとゴールディメモしといてもらっていいですか。
時間のデザインことのデザイン。
いいことだったら今間違えた。
もののデザイン。
もののデザインと時間のデザインが僕担当。
もののデザイン。
もののデザインね。
あとことのデザイン。
それをうちの大島がグラフィックをずっとやってきた。
ことっていうのは伝えることであったりリサーチをするというソフトだよね。
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ハードとソフトと時間。
このものこと時間。
これを原点って感じですよね。
なるほどっすね。
そうやって始めたのがそれをきっかけに。
そういうリノベーションとものこと時間のデザインということを
ある意味旗印にしていろんなところに。
でもダメだと。
その時に彼はグラフィックの仕事はもう10年やって独立して持ってたんですよ。
だから僕はそのグラフィックの仕事を手伝って。
なるほど。
とりあえずそれで。
プレイステーションのポップを作るとか。
新しいゲームをね。
芸大ですからね。
作ったりとかね。
そういうグラフィックの仕事をやったり。
あとはCGねみんなやるけど。
コンピューターグラフィックス。
僕カリフォルニア帰りだから。
できんじゃねーの。
でも実際僕はすごくできたんですよ。
コンピューターグラフィックスが。
それを前職に仕事くださいって言って。
いろんなところからCGの仕事を取ったり。
それをしながら。
当時はどこを見てたんですかね。
今は見れてましたですか。
それとももうちょっと前の話なのか。
多分今ってエリアのリノベーションとか。
どっちかっていうとこのエリアをどうするとか。
そっちの方に結構行ってると思うんですけど。
それのもう一個前ぐらいのところまでは見たかったですか。
あの時はエリアとか全然見てないです。
エリアとか見てないけど。
自分が感じている価値観が。
もっとみんなに知ってもらいたいっていうのはあって。
自分家というよりはもう少しもっと普及するべきだという気持ちはあった。
自分家だけじゃなくて。
新しくなくたっていいじゃん。
古くたってこんなにもっと新しいものよりもっと魅力があるはずだし。
そういう価値観ってなんでまだカウンターカルチャーの息を出てないんだろうとかすごく思ってた。
ちなみにちょっと話それるようなんですけど。
僕古い建物でこの建物ええなとかあるじゃないですか。
あの感覚ってどこから来るもんなんかなっていうのをずっといろんな人に聞かせてもらって。
溜めていってるんですけど。
まだ解決してないんですけど。
大島さんはちなみに古き良きとか。
あれだいたい見てええないうの一緒じゃないですか。
みんなだいたい。
時間の蓄積がそこに見えるわけですよね。
例えば新しくできた建物ってあると全部新品だから。
トゲがあるように感じるでしょ。
ピッカピカですね。
だけど5年くらい経っていくと程よくまろやかになってるじゃないですか。
それは色々空気とか手の赤かもしれないけれども。
なんかそういうことでしょうね。
僕新築の家誰か作ったらそこに生ハムの原木を置くたりするわけ。
そうするとその空気が和むんだよね。
なぜかというと生ハムの原木って時間を経てるじゃない。
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時間を経たものをそこにポンと置くと安心するわけよ。
なんか変な例えだったけれども。
だから時間の蓄積があるものを家の中に置くと安心する。
家の中に高等品を置きたいと思う人もそういうものかもしれない。
全部が新品だったらきついと思う。きつくないのかな。
僕はきつい。
なんで僕らリノベーションの事業をやってるのかと思うんですけど。
僕は元々古着が大好きで古いのが好きっていう文脈の人なんで。
なるほどね。
その時は大島さんのワールドをイメージするものこれええだろうを広げたかったが
リノベーションのスタートのエネルギー原動力みたいな。
そうですね。
だからそんなに社会的な意義や今でいうようなSDGs的な炭素とか
そんなこと全然考えてない。
もっと面白いじゃんって。みんなもっと知ってよっていうぐらいなもんだと。
だけれどもそればっかり言ってるとアホちゃんって言われるから
そこには実は経済性がくっついてくるってことを
後から8万円12万円で僕は知ったので。
それを投資効率、利回りに言い換えてウェブサイトを作ったんですよ。
そしたら当時不動産の証券家って聞いたことありますよね。
不動産の証券家の流れが2011年くるわけね。
その時に不動産金融の人、不動産屋じゃない。
金融の人が僕らの言ってることをそうだよお前らよくわかってるなって言ってくれた。
資金源があるところの人たちが気づいてくれたってことですね。
それは金のある人じゃないですよ。金の使い方を知ってる人。
だからちゃんとリスクがあるものに投資をしてそのバリを上げてこそビジネスだっていう人。
だけど不動産の世界の人たちはそういう人たち少なかったんだよね。
これから確率に上がるっていうか。
いいマーケットの中で情報を先取りして勝つぐらいのもんで
みんながそっぽ向いてるものを探し出してきて投資をして成長させるみたいな
エンジェル的発想が不動産の世界にはないわけ。
作ろうっていう発想ないですよね。
不動産証券家ってファイナンスの人たちっていうのは
最初開発ってほとんどやってなかったですよね。
みんなあるものを買って不良債券買ってそれをバリアップして
転売するっていうのがあの人たちのやり方でしょ。
当時の流れと僕らの考えがたまたま合致しちゃったんですよね。
僕らが不動産の証券家の流れの中で
外資の横文字の会社から海外から電話かかってきた。
ネットのヤフーのニュースかな。
大丈夫?
これ全然全然。
でしょうが。
リノベのリの左カーブで書いたぐらいですね。
この不動産投資のところからリノベに駆けつけれなかった?三浦さん。
27:02
そこ聞くかと思ったけど。
来週はここの部分と未来について。
やりたいことを伝えるっていうところから。
今エリアのリノベーションとかっていうところに行ってらっしゃるので
そこに着目になったところとか。
あとこれからずっと先頭走ってあるんで
次何言ってるのかなっていうところは
来週聞かせていただけたらなと。
来週は駆け足で。
すいません。
お願いいたします。
番組へのリクエスト質問感想など皆様からのメールもお待ちしております。
メールアドレスは
renovationtime.jp
またスマホアプリFMプラプラからもメッセージが送れます。
リノベの時間ツイッターからもお気軽にコメントDMなどお待ちしております。
アーカイブは?
毎週月曜日の夜6時にアップしてるので
スタンドFMとYouTubeを6時にアップしてますので
ぜひそちらもご視聴ください。
毎回言ってますけど30分早いですね。
そうですね。
あったって言うまで終わっちゃいました。
ほんまにリーンのしゃべれてないかなと思うんで
裏リノベで続きを。
特集ここにいっとかなきゃいけない。
ここにあるんですよ。
あと10秒で終わっちゃうんですよね。
じゃあまた来週引き続きよろしくお願いしますというところで
ありがとうございました。
ありがとうございました。
28:37

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