1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. V.72 建築家・高木俊さんに聞..
2024-02-01 1:09:16

V.72 建築家・高木俊さんに聞く「何かを探してる、その何かはわからない」

今回は、建築家・高木俊さんにお話を伺いました。
第63回の聞く人ラジオにご出演いただいた佐生かおりさんが営むギャラリー&カフェ・船形倉庫の設計をされた高木さん。
まずはその船形倉庫についてのお話から、伺っていきます。
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
今回は建築家高木俊さんにお話を伺いました。第63回の聞く人ラジオにご出演いただいた
佐藤香里さんが営むギャラリー&カフェ船形倉庫の設計をされた高木さん。まずはその船形倉庫についてのお話から伺っていきます。
倉庫の設計を任されたので、設計だけにならず、ギャラリーが良くなるようにできることはないかというのは考えていますが、そういう関連でのお話をよくしています。
もともとお知り合いだったんですか?
いえいえいえ。
何かご依頼があったみたいな。
はい。ギャラリー&カフェを始めるにあたって、香里さんが村上健一工場さんに工事をお願いして、その時私一緒に仕事も村上さんに建物を建ててもらっていた関係で、
そこまでやっていると手一杯なんで、ということからわかりましたという話です。
そうかそうか。
僕はそこで香里さんに初めましてで、
元々の倉庫の、あれ僕も知っているくらい有名で。
そうなんですね。
そこの建物自体。
僕も行った時に、すごく雰囲気があるといいますか。
防臭石の。
香里さんが防臭石のことについてお話しくださったことでも、そうなんだという独特な感じ。
あれがやっぱり素晴らしい。
そして、あそこを香里さんがされたということですもんね。
ましたといっても、石倉が素晴らしかったからしたことといえば、コーナーにカフェコーナーを作って、エントランスが鉄の扉だったのをガラスの扉にして、
あとは照明を、ギャラリーに適した照明を配置しただけで、
本当、たぶんあそこで一番いいのは絵がバッと飾られているからいいんだと思う。
03:01
それが入るように。
ちょっとこれはその時香里さんにも話しましたけど、
美術館とか今時は真っ白い壁に。
どんな作品でも入るようにホワイトボックスと呼ばれる空間を設計されるんですけど、
もともと油絵とかがヨーロッパで発展したのって、おそらく石造りの建物が、
例えば漁師とかお城みたいなところに石で建物を建てると小さい窓しか開かないんですよね。
石積みの形状。
そういう中で、例えば風景画にしても衝動画にしても、
外の世界と違うものを額に入れて飾るっていう。
それで、石の壁がない、しかも暗い。
明るい石もありますけど、あんまり使わないですね。
近くで取れた石で作るものですから。
そういう風に暗い石に囲まれたところで発展した手法なんじゃないかと。
油絵とかいうのを額にしっかり入れて置かれると、
そこに窓ができたように。
水口さんの画像さん、お父様の絵はこの辺りの風景画だから、
窓を開けるように。
石の硬い壁に窓を開けるように置かれるっていうのが、
もともとの絵画の発展の理由なんじゃないかと。
僕は本当にこの仕事できてよかったっていうか、
やらなきゃ気づかなかったっていうか、
こういうものだとしか思ってなかったんです。
絵は飾るもの、白い壁とか、
色は広い壁に飾るものぐらいしか思ってなかったんですけど。
ルーツに近づけたのかなと。
石積みの壁の建築は新築できないんですね。
新築できないんですか。
それこそ関東大震災が、それまでレンガ作りとか、
ヨーロッパから入ってきた技術とかで作ってたものがあるんですけど、
それが結構壊れたもので、
法律ができるのもその後なんですけれども、
基本的には石だけが力を伝える建物はできなくて、
06:00
単なる壁として実質して、
それは倒れないように他のフレームが支持していれば作れますけれども、
純粋にああいう石積みっていうのはもう作れない。
じゃあその後とも、ますますあそこの建物ってすごく。
そうなんですよ。
そうなんだ。
水木さんが地元の石で作られた石蔵を、
地元の風景画を描いていたお父様の作品を展示するっていうアイデアは、
もう冴えてるなと。
そういうのが展示されるべくして、
誰の手にも、誰にも生かされなかったんじゃないかぐらいに思いました。
そういうプロジェクトに関わらせてもらって本当によかったなって。
で、後から例えば外の敷石をやるなんていうこととか、
そういうのもやらせてもらっていて、
なるべく防水石を集めて、それで敷石にして、
その周りにはこの辺の寺とか梅元とかから貝殻を集めて、
そこに敷いて、
何としても地元のものだけで、
身近なものだけでやれないかと。
あと龍木とかも。
そういうふうに今が作られていったら間違いないんだろうなと思って。
最近、それこそ看板を、
道路の駐車場の前に看板を作ることになったときは、
これは友人で、
立山の高圧で陶芸家をしている、
地元からオリジナルの焼き物が作れないかということで、
地元の粘土を集めて、
泡焼きっていうふうに命名して、
工夫してやっているんです。
応援していて。
あれは泡焼きじゃないですけど、
作ってもらいましたね、この。
特徴的ですね。
このデザインは彼の、
いわゆる泡焼きとかやる前のデザインですけど、
こうやって移住してきて、この地に来て、
作風とは別なことと繋がっていく。
その彼に、泡の土で、泡焼きで、
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船片底ギャラリーのモチーフである、
渦巻きの貝を作ってくださいってお願いして、
それを結構大きな、
直径50センチくらいに焼いてもらって、
それを元々あった、
扉になった鉄の板に貼り付けて、
それを建てかけて看板にする。
そうか。
そう思うと、いろんな、
もちろんあそこの場所があるからこそのアイディアとかイメージ、
それを高木さんが膨らませていきながら、
やりながら発見してきながら作っていくみたいな。
そうですね。
今のお仕事って長いんですか?ずっと?
それこそ大学を卒業して、
建築学科というところに行くと、
建設会社とか設計事務所とかに勤務して、
行くわけです。
僕は建物デザインする、構想する側になりまして、
修行して、独立して、
それこそさっき話してた、
事務所を構えたりしてました。
芸能仕事というのは、
いくらでも時間費やすことができて、
本当に寝ないでも作業するような世界なんですね。
それで若い時は全然平気だったんですけれども、
結婚したり、子供が生まれるみたいな、
そういうタイミングでこっちに勤務してきて、
こっちではなかなか設計者に、
建築家に例えば家を作るにしても、
依頼して家を建てるなんていうことはないですね。
家は大工さんが建てられちゃうし、
別にそこまでこだわりのとか、
難しい条件でもどうしても建てたいということはなくて、
その時に、自らが設計だけやるんじゃなくて、
ちょっとしたことでもやりますって言って、
自分も手を動かして、
それこそさっきご先生が坂戻ってきたんですけど、
DIYですね。
そういう現場で職人さんは大概は知っているので、
どうやってやるのかというのをじっと見てきたんですから、
12:01
やりたくもあったんですよね。
やっているのをじっと見ているよりも、
こうやってやるんだって思ったものですから、
工事を受け負ったりとか、
ちょっとしたものだったら、
自ら施工したりとか、
仲間を集めてやってみたりとか、
というふうに作る範囲が広がったというか、
やる範囲が広がったというか、
それが今もうこっちのスタイルというか、
定着していますね。
こっち来るときは特に何が起こるかわからないわけですが、
こっちに来てからの人との出会いとかご縁で、
お仕事がいろいろ繋がっていって、
今に至るみたいな。
何の縁もゆかりもないです、僕は。
そうなんですね。
移住の動機はいろいろポジティブからネガティブまであるし、
あとそっちの話もいくらでもあるんですけど、
でも初めて来て、
僕らが、
元々のイダシペはギリン妻のお母さんがイダシペで、
というのもギリンの父が、
僕が出会った時点で介護だった。
それは結構若くして、
クムオークから農耕作とかで、
農に障害を持ってしまった。
都内のマンションで介護してたんですけど、
介護体制とかそういうのを考えると、
どこか伸びやかなところでって思ってたんですかね。
僕なんか、ドライブでというような感じで、
いろんな中銭堂を行って、
コミュニカ見たりとかしてたんですよ。
最後になって、いい加減決めたいなという時に、
竪山に来て、
最初はここじゃなくて、
竹ぼうぼうのシナモンだけが無いって、
誰も手をつけないようなところでいいんじゃない?
帰りに観光のつもりで阿波神社に来たんです。
すごく素晴らしいと思って、
近所でお昼も食べてたら美味しいし、
よくこの近くにないのかねって、
家に帰って検索したらここがヒットしたんです。
そうなんですね。
ここで最初の4,5年、
娘が子供園に入るまでの間は、
都内とこっちを行ったり来たりしてて、
15:03
こっちにいざ住民を移して暮らし始めたら、
何て言ったって周りの人と知らない、
飛び込んでいってないんで。
子供の幼稚園って、
パパともとかママとものつながりで、
たまたま白浜にある介護施設、
六次郎っていう介護施設があるんですけれども、
小規模多機能っていう、
そこに、
介護施設としては手厚いというか、
都内の結構しっかりした介護施設でも、
なんて言うんですかね、
結構しっかりした介護施設でも、
何て言うんでしょうかね、
機械的に扱われちゃうというかね。
それは母が嫌がっていて、
そういうところが見つけられたらと思ったら、
すぐ見つかっちゃったんですよ。
そこに入りたいって言ったら、
南細市と影響してるので、
まだその当時、
立山市に小規模多機能っていうのが、
完成しなくて、
完成する前だったらいいですよ、
急遽同居することになって。
それは母も望んでいたことで、
娘と夫婦のいるところで一緒に暮らせるように。
そういうことを言い始めたんですけど、
こんな段差もあったり、
お風呂場も離れだったり、
寝床も全部離れてる。
一回外に出なきゃいけないの、
介護は大変だったんですけれども、
こういう冬でもぼかぼか、日は暖かいですし、
ギリの母の目的はおそらく、
家で見取ることだったんだと思います。
それをたぶんやりたかったんだと思います。
施設に預けてじゃなくて、
そこの小規模多機能の施設は、
たまに1週間ステイもすることもできるし、
家に訪問・会話もしてくれるし、
いろんな多機能でできるので良くて、
たまたま父が、
もうそろそろかもというような時に、
18:03
友が家に帰ってきて、
母と二人きりの時に息を引き取ったんです。
ちょうど私も外に出ている時で、
このタイミングでみたいな感じで。
お葬式もこの家でやったんです。
家で見取って、
家で葬式って、
父とか母の世代はそうやってやってきたから、
それができるような場所を求めてたんだなと。
ということをその時に知ったというか。
家の機能って、
マンションじゃ絶対そんなこと考えつかないですけれども、
そういう暮らしをしてみて、
初めて思いに至るという。
それまで大学とかで勉強していた建築という概念とか、
住居というのとは違う、
もう一世代というか、
建築という概念が輸入されてくる前の当たり前みたいなものに、
ちょっと僕は近づいて。
なるほど。
共同体というのも、
まだありますけれども、年寄りばっかりだし、
厳しくなっていますが、
そういう共同体にも入れてもらって、
一番僕らまだ青年だったので、
おみこしをやるんですか?
やりますよ。やらないといけませんよ。
僕も去年か、久々に。
僕は八幡神社なので、
これかと思って、若い頃にちょっとだけやって、久々にやったらこれ。
で、阿波神社です。
2回やるんですよ。8月10日のここの町と。
僕が入ってからもどんどん減ってますし、
上のほうはOBと卒業していくんですけど、
僕のぐらいから卒業できなくなって。
ずっと
漢字みたいな、単文みたいな扱いになっちゃうんですよね。
そっかそっか。
確かにここお住まいで、すぐそこにあるっていう。
ああ、なるほど。
こちら来てからすぐそういう共同体みたいなの?
まず越してきて、当時の区長さんのほうに
越してきましたということとか、
阿波神社のブージーさんに
お祓いをしてもらったりとか、
21:03
こっちにはこっちのやり方があると思ってましたから、
よろしくお願いしますなんて。
どうやらちょっと青年団は
お断りしてたんですよ。
僕まだ東京都行ったり来たりしてたりとか、
それこそ深川のほうのあっちもやってたんですよ。
あっちもやってたんですか。
そんなのって思ってましたけど、
そっかなるほど。
そう思うとこっちでしっかりお住まいになって、
建築のもともとやられてたことも
生活する中で形というか感じが変わってきて、
もともと小さい頃から建築学科とかに入られるから好きだったんですよね。
好きというか何かがあったから建築のほうに進んでたんですよね。
それはなんで?
絵描くことや作ることは好きだったと思います。
でも、
高校入って、
部活しかやってませんでしたから、
その先どうするってときに進学大学に行って、
ちょっと手前で理系を選んだんですよね。
国語とかで点数取れる気がしなくて。
理系数学とか、
理屈のある方のほうが勉強できたんで。
理系で選んでたら、
数学とか物理とかなんて理学ではないし、
医学ではないしとか、
工学の中にある建築っていうのは短だなと思って。
入ってみてからさらに興味もどんどん湧くし、
すぐそこにあるすべての建物は、
建築家が建てるとかってことではなくたって、
そういう技術を利用してできていて、
さらにもっと刷新していこうっていう勢いもありましたし、
その辺りの技術を利用して、
その辺りの技術を利用して、
刷新していこうっていう勢いもありましたし、
そういうことが求められていると思っていました。
そういう能力が。
うちもそういう中で頑張って勉強したりしていましたが、
何かその中で都会の建築を作るムードというか、
ムーブメントというか、
そこからこぼれ落ちたんですね。
24:05
仲間はバリバリやってるから。
建築でバリバリやるっていうのは、
どういうのがバリバリやるとされるものなんですかね。
建物を設計するとか。
例えば今これから大阪万博なんですけれども、
あれに万博の一つのデザインを頼まれるなんていうのが建築画像としては。
あれに万博の一つのデザインを頼まれるなんていうのが建築画像としては。
建築に進んでいくにあたって、
自分の好みも当然あるじゃないですか。
例えば住宅の1個建てを作りたいという方もいれば、
でっかいビルを建てたいとか、
それをやっていく中で、
その中でいろいろ分岐があって、
お仕事にされていく。
最先端を目指してましたね。
この間また建築の方にお話を聞いたことがあって、
その方は、やっぱり製図っていうのは、
試験にはそういうのがあって、それをずっとやってて、
そういうのは一般というか、例えば僕はよく分からないんですけど、
建築になる、目指す、じゃあ何するとか、
あと建築家的視点、建物とか見てて、
もう1人聞いた方は、
都会の道路があって建物が何階以上ないとか、
あそこは道路なんだよみたいな、都市計画において。
あ、そうなの?だからあそこはあれ以上建てなくて、
この辺はこういうのとかっていうのは、
えーっと思ったし、紹介してくれた本がパッと見たら、
斜めな、上の方が斜めになってるとかは、
それは決まってるから、別に好きであれやってるわけじゃないみたいなのは、
えーっと思ったのとかがあったので、
そういう大きな都市計画っていうのがさらに、
建築の方記とかの上に被されている。
さらにもっと言えば国土計画とか、
そうやってこの国とか都市とかをどうしていくのっていう話の中に、
まあ建物は作られるから、
そこで、えーっと、
それと個々人の生活っていうのはそんなに必ずしも、
なんか一致しなかったりしますし、
もちろん都内でのびのびと庭付き、
こんなの、電車に乗ってどれくらい離れたら可能なんですかみたいなことになっているのは、
まあそれは経済の問題だったりする。
ただそれをそのまんま、
そういうもんだよねって受け入れてると、
なんて言うんですかね、
27:03
まあ何も考えないで、
オルタナティブも出せないでいるだけなんで、
まあその問題点はどこなのかとか、
そういうことを考えながら、
実際ながらも新しい提案をしていく。
設計事務所にいましたよ。
で、まあそういうところでいたけど、
ちょっと、
まあのびのびとというか、
尖ろうとしていた部分を、
よりかは家族の時間というか、
自分たちの暮らしを設計しようということです。
自分たちの暮らしを設計しよう。
尖っていく方向もあったのかもしれないですね。
そうですね。
行こうと思えば行く人は行くでしょうし、
その時に欲しかったのは、
ここに千百坪もあって、
広すぎるんですけど、
隣との距離とか、
木々に囲まれているとか、
そういう状況だったので、
これくらい離れれば、
去年も勝っていないところとかがあるんですよ。
何て言うんですか、不才を抱えているような自覚を。
そうか。
やる時間を作ったりとか、やればいいだろうという話なんだけど、
それだとまたやらないということとも繋がっちゃうんで、
どうやったら動機を作れるかだなと。
要は人がここを通り抜けないと向こうに行けないという、
途中だったら、
手が届き始めると。
無理しないでやっていくことを、
これも実はこっちに来て、
そういうメソッドをパーマカルチャーと言うんですけれども、
これ、
オーストラリアのタスマニア大学かな、
その大学院の研究室で生まれた。
それは東アジア、日本とか東アジアの国々が、
どうして西洋みたいに資源を全部、
木々を全発しちゃって、
また戻らないからまた移動しなきゃいけないというのを繰り返しているのか、
どうして循環型なシステムができるんだろうというのを考えた。
30:00
持続可能な、
どちらかというと持続可能な、
循環できるカルチャーはタガヤスというんですね。
それをやっている仲間が和田にいて、
こっちに来て、
僕、さっき言ったように、
都会的なモノマネ、
都会的なものを諦めて、
家やした、なんなら都地してきたわけですけれども、
田舎はつまらない場所だとか思ったら、
結構知り合う人って楽しいんですよ。
それはちょっとわかります。結構いらっしゃいます。
だいたい同世代で、東京暮らしを経て、
こっちに来ていますという人が多いんですけれども、
何をやっているんだったら、やりたいことをやっています。
そうか。
一つはパーマカルチャーで、ガーデニングをして、
家作りもできるので、
一緒にエココテージを建ててみたり、
それが大きいですかね。
田舎が、
都会が最先端なことはありますけれども、
田舎にないわけではないという感じです。
ああ、わかりました。
人とか資本が集まってくるのは都会ですけれども、
逆にそういうのがない、
これだからそうできる、
伸びる部分があって、
そういうのを本当に感じられています。
場所も広いですし、きっとやることもいっぱいありますね。
そうですよね。
大学とかで教えてらっしゃるんですか。
それは東京にいるときから非常勤講師でやっていた、
設計課題といって、
座学ではなくて、
例えば図書館を設計しなさいとか、
最初は住宅から始まって、
ちょっとずつ大きな建物を設計していくんですね。
それを教えるのは、もちろん、
大学の教授とかもそうなんですけれども、
生徒一人一人、人数を見るのには全然足りないので、
非常勤の先生がついて、
それをずっとやらせてもらっているんですが、
途中から、あなたはわざわざ東京に行って、
33:01
こういう風にやっているのは、
リアルライフなんでしょって。
リアルライフというのは、
一拠点面の東京、東京というか、
そっちにまだ当時仕事もあったりして、
そっちに行こうとやっているわけではないですよね。
拠点はちゃんと2つ作っていて、
そっちに向かって、こっちに向かってとか。
そういうライフスタイルとして、
これから建築の、
これからどっちの方向に発展していくかの、
一つのこととしては、
ライフスタイルに対応していないというか、
みんなマンションの同じ間取りに閉じ込めておけば、
ここから出勤して、日中働いて帰って行って、
週末休んでっていう、
あれなはずがないと。
それは今まで来たけど、
多分これからまた変わっていく方向先として、
建築がついていけるのか、
もしくはそういうことに提案ができるのかということだから、
あなたがやっているそれをちゃんと課題にしてくださいと。
そうなんだと。
今度は逆に学生をこっちに連れてきて、
僕がやっていることを、
30人の学生を集めてテントを張ったりして、
仲間たちに手伝ってもらって、
ワークショップをやったり。
そっか、確かにこの場所であれば、
30人は結構いる気がしますけど、
今も継続的な?
その授業は未だに続いているんですけど、
コロナがあったのに終わりましたね。
そうそう、オンライン授業になったりすると、
こっちは知能力を利用してというか、
学生がこっちに来て、
学生はほとんど首都圏出身の。
僕が通っていた頃、まだ田舎の都市部じゃなくて、
さらに三角地域とかっていう子が、
田舎から来ましたという子がいましたけど、
今はもういないですからね。
親の世代がそういう風に出てきて、
そのまま首都圏で勤務して生活してっていう子どもたちなんで、
田舎が知らないのでここに連れてくるだけで、
新生になるんですね。
36:01
そこに来たら、
研究室とか先輩とかそういうのも無しにして、
そこに行ったら、
それは嬉しかったみたいですけど、
じゃあ彼らがそれを楽しかったことと、
設計・建築のこれからの音に関して、
インスピレーションを受けて発展してくれるかどうかは別な話ですね。
そっかそっか。
それは、
自分にとっても学べたし、
ただコロナはちょっと困ってましたね。
コロナの前に台風があったんで、
神社もやられたんですよね。
学生さんも。
うちも木が倒れて、
あそこに立ってた大きな木がバーンと倒れて、
被害っていうか、
大変でしたが、
道も塞がっちゃったり大変でしたけれども、
やっぱり狙い浜の
ああいう被害に比べたら大したことないと思ったし、
本当に大災害だって、
どういうわけか、最初は東京だったんですけど、
東京で、ああこれは災害に弱いなと思ってましたけど、
こっちで災害に自らがアウトあって、
日本は今どこでもってことですよね。
日本の人たちにとっては、
日本の人たちにとっては、
東京から建築家の仲間が来て、
台風被害の状況を見たいって言うから、
車で案内してて、
最後に宮崎寺に来たら声かけられて、
お前建築家だろって、
白井の方から。
貸し切っちゃった廃電を直せないかって言われて、
作りを見ると、
昔100年前に建てられた建物ですから、
引っ張って真っ直ぐ戻して、
もう一回固めれば、
そう僕は授業で習いますみたいなことを言ったら、
そしたら直せるんだ、やったーって言って、
じゃあやってくれって。
39:00
僕が直せるっていうか、
かなり大きな建物なんで、
さてどうしたもんかって、
こういうのは大学の先生に連絡したらいいんじゃないかとか、
大学の先生に連絡したらいいんじゃないかとか、
山田吉野先生とかそういう人かって思ったんですけど、
まず最初に一番身近で一緒にやってた、
村上建築工房さんに電話して、
村上さんに電話して見に来てもらったら、
彼は伝統工房というか、
そういう大学さん、できる大学さんなんですけれども、
直せますって簡単に言うんですよ。
そんなに簡単にやることになっちゃいけないんですよ、
この仕事みたいな。
直せますって。
どうしてですかって言ったら、
彼も東京の大学の研修学校に出てたんですけれども、
卒業した後大工になるんですけど、
大工の修行をしたのが淡路島で、
修行中に阪神淡路大神社。
ほとんどの建物が傾いて、
そこの神社よりももっと大きなのを、
ともかくまず引っ張って、真っ直ぐに戻して、
土壁とかそういうのが、
あれが揺れのエネルギーを吸収して、
壊れるんです。壊れるようにできていて、
でもまたこういうふうに戻して、
土を剥がして、
くさびを打ち直して、
また固めて土壁を塗って、というふうに直せる仕組み。
昔から地震があるたびに
それをやったんだと思います。
やることになりました。
でももう今回地震じゃないから、
一方向からだけの揺れ。
同じ方向に来ちゃったらもう、
次耐えられないんですよ。
その部分は疲れちゃってたんで、
じゃあどうしようと、
いろいろ提案しながら、
同じクラスの衝撃とか地震が来ても
耐えられないように、今度は固めるという、
そういう補強をして、外見がなるべく変わらないように、
ほとんど構造的な設計が主だったんですけれども、
42:02
して、村上さんに講師してもらって、
それをやってたら、隣に
それこそ全壊してしまった三越蔵があって、
それを引き受けてしまったんですね。
引き受けてしまった。
引き受けてしまった。
僕はそれを自分の講座を持っている学生と
こっちに連れてきて一緒に直すというのを
授業としようと思っていたらコロナが来た。
そのタイミングなんですね。
まず学生なんか呼べないし、学生にも会えないしオンラインだし、
どうしようと思っていたら、
仕様見にかやぶきゴンジロウって、
東京大学の岡部彰子さんが
千葉大の頃からずっとかやぶきをずっと吹き替えながら、
毎年吹き替えながら維持しているコミュニティがあるんです。
そこにその頃できたゴンジロウ塾っていう塾がありまして、
三重県の大工さんがそれの代表なんですね。
その大工さんがこの紫神社の三越川を直すのに、
ゴンジロウ塾のメンバーを連れて一緒にやってくれる。
でもコロナの最中だよって。
しかも、なんて言いましたっけ、
コロナが終わってしまったか忘れておりましたけど、
要は出ちゃいけないみたいな隔離期間ですか。
入るときに差し掛かろうとしているときにどうするのって言ったら、
もう一回来たら2週間帰れません。
そういう運命共同体で、ご民家で暮らすようにして、
最大の注意を図ってやるからって言って、
そんなのに来てくれる人いんの?と思ったら、
まあまあ優秀な子たちが、
常時5人から7人くらい泊まりながら、
彼らびっくりしたのは、ちょっと抜けてアルバイト行ってきますっていう。
アルバイト?
オンラインで家庭教室を。
都内にいたらマンション自分たちが借りている小さな部屋から出られなかったので、
こっちに来て、やったこともないカンナを持ってやって、
神社の爺たちからは、本当に何て言うんですかね、
45:04
上手とか下手っていうんじゃなくて、一生懸命やってるのを、
上手くじっと見てるんですよ。
まずやってくれてありがとうっていうのと、
この辺って大学生の世代が一気にいなくなるじゃないですか。
だからそういう子たちが来て、やってくれてるっていうのもあるじゃないですか。
まあ孫を見る目で。
クラーを自分たちの力でやることができて、
そういうのがもう完全に僕にとっても、みんなにとっても自信になって、
できることが増えていったり繋がりが増えていって、
誰もへんもない場所から始まったのに、
そういう繋がりが仕事になるとか、
そういうものを探してるんだけどどうしよう、
力になってもらえたらやるんですよね。
広がっていくイメージと、自分も力に慣れてるっていうことと、
そういうのが重なっていく、つながっていくのが、
何よりも精神衛生上いいんですよ。
何かどこかに就職して、何の仕事かわからないことやってるのと全然違う。
人がそのまま働きになって、それでお金もいただくこともあるし、
材料とか手つけないでいる杉林とかあるじゃないですか。
うちは材料として間伐させてくださいって言うんです。
植えた木を大きく育てるためには
途中で細い弱い木を間引かせてください。
それをしないで何十年もいるから、
木それぞれ自体も成長しないから、
そういうのが産権されるんですね。
売れなくなっちゃったからそうなっちゃったんですけど、
でも未だに木は成長してるから、
細い材を間伐させてください。
それをいただきたいと言ったら大概OKですね。
いわゆるこれからもっと太らせて、
10年20年後にはそれこそ一般の木のして、
自分地に近ければ自分地を作り変えるとか、
木は育つんですけど運び出すのが大変なんですよね。
それはもうどうしようもなくて、
運び出すことも頭に入っていて、
それが大変だから人力で運び出すしか機械が入らない。
場所によってはそうですもんね。
48:02
みんなで肩で勝ちたい木を持つんだろうと思うから、
その作業の時には、
たまたま青春が音楽関係の人だったから、
太鼓を呼んでくれと。
太鼓を呼ぶ。
いわゆる元気づけてくれという意味で、
太鼓隊を呼んでもらったんですけど、
それが和太鼓じゃなくて人鋭だったんですけど。
そうなんですね。
それはいいんですが、
その時に思ったのは、
重いものを山からすごい苦しむ。
目は早く目的地に着かないかって考えるし、
肩は痛いし、
鼻水が出てくるのは、
口の中も苦々しいし、
でも耳だけは自由なんですよ。
重いなと思いましたね。
耳だけは遠くの方でいただいているジャンプのリズムに
合わせられるんですよ。
でも全然そこから入ってくる部分なのかわからないんだけど、
ああ聞こえるって違うことを考えられるんですよ。
あれ驚きました。
確かに。
それを分かってて呼んでくれっていうことなんですかね。
僕からも仮説なんですけど、
こっちでおみこしとか、
あんなののルーツは重いものを持って、
みんなで共同して何かやってたのが、
それがああいう形になっていたんじゃないかって勝手に思っているから、
みこしのときに太鼓ってあんまりこっちじゃないですけど、
何かそういうルーツに近づけるんじゃないかって勝手に思って。
でもなんか鼓舞するものとして。
そうですね。
それは正しいかどうかわからないですけれども、
実感として体験できたっていうか、
耳は自由だったっていう。
共同で作業しているときにもみんな同じくその音は聞こえていて、
そういうことを実験的にやれる機会をいただけているという感じがします。
今コロナがある程度落ち着いてきたとなると、
また今度取り組みとしてやっていこうみたいな感じなんですかね。
そうですね。
以前まで大学生に関して言えば、
こっちで集めてこっちでおせんだてしてばってやってたんですけれども、
もう少しちょっと形変えられないかなっていうのを思っていて、
51:04
まだまだうまくいかないんですけどね。
せっかくそういう僕が持っている鉱山の中で、
どうやって彼らに違う世界というか場所やエリアがあって、
ちょっとしわかし感で生活できて、
なんならその二つは同時にザ・ライフというのをやってできるんだよって。
それは都市居住者は実はそういうことをしてたんだよっていうのが、
フランスのバカンスってことらしいんです。
パリジャムがバカンスをとるっていうのは、
日本で長期休暇とか取れないとかいうのの理由としては、
やることがないからです。決まってないからですよ。
でもパリジャムが長期で2ヶ月とか休んでやらなきゃいけないので、
工作と植え付けなんですよ。
あ、そっか。
田舎にあるんですよ。
やるべきこととかが。
あ、そっか。本当に例えば日本とかにおいてはないん?
ない。ないですよね。
休んだらどうしようといろいろと計画をとってないかというか、
もともとやることがあって、
それはこの時期じゃなきゃいけなくて、
自然のほうが。
そっかそっか。
そりゃそうですよね。自然優先さえいいですもんね。
それはずらせないことなんで。
それがデュアルライフだっていう話で、
都会でコンピューターに向かったりとか、
人とのセッションとかをするのっていうのは、
多分今の大学生はそれをインストールされている。
まあそうですね。
それはもちろんそうだけど、
それでだけじゃなくて、
それこそ健康にそれをやるために、
もう一本の暮らしみたいなものとつながっているといいんですよっていう。
そっかそっか。
そういうことを言っているつもりなんですけど、
10年近くやってますけど、
やり始めましたなんて報告聞かないところを見ると、
なかなか無理なんですかね。
僕もそういうのをしようと思ってやったわけじゃないんで。
えいってやっぱり行かなきゃいけないというか、
踏み出さなきゃいけないところもあるし、
やっぱり遅延というか、
円がないところに回っていくっていうことのパワーとか、
いろんな偶然なのか応援なのかが連なって紡がれて、
そういうようなところはあると思うので、
そこにすごくやりたいと思う、強ければやる人はやるでしょうけど、
そこはそれぞれになっちゃうのかなという気もしますね。
54:03
田海さんは今までそういうふうにやられてきて、
ここからどうするみたいなものってあったりしますか。
そういった田舎はつまらない場所じゃないということとしては、
さっき言ったパーマカルチャーとか、
何かこっちで得た知見を向こうでやりたい。
それを今もすでに始めている仲間だったり、
そういう声をかけてもらったりするんですけれども、
それがもちろん建築という形で戻りたいというのはあったんですけれども、
最初はありましたけれど、今もそういうことよりかは、
そこにこだわらないでいきたいなと思っています。
それを一つ言葉にあえてキーワードするのはガーデニングなんですけどね。
ガーデニング。
建築という建物ばかりで、近所の四季地境界線ぐらいまでで話が進むのがものなのかもしれないんですけれども、
ガーデニングというと庭という話をすると、
自然とかそういうものが越えていくし、動物たちは越えていくし、
ガーデニングの方がそういう他社というか、
動物、昆虫も含めた広い領域なんですね。
それこそ土から集まって。
そういうのが、私のここだけが良くなるなんてことは基本的にありえないです。
それは肥料を入れたり何かを入れたりとかそういうことならあるかもしれないですけど、
そういうことをやっていく限界みたいなものの象徴が都市部のような気がして、
そうじゃないこととしてのガーデニングなんですけど、
例えば今向こうのそういう活動的な人たちと集まって、
月に1回集まりをやっているんですが、
家で対比作りができるコンポストバッグとか、
57:07
あれを作っている方と話していたら、
動機はゴミ問題とかから自分が出している生ゴミをそのままゴミ箱に入れていくのに
デコがあるという方が買っていただいて、
とにかくそうやってやっていたらできちゃった対比。
これどうすればいいのかということから、
売っているだけじゃなくて、そういう対比を持ってきてください。
ここに持ってきてくれたら農家の人が一人に来ます。
そうか、そうか。
対比で収穫物をくれますというような場所もデザインしていますね。
あれ、自分が食べた、残したゴミというか野菜とかそういうものでしょうね。
そういうものが野菜として帰ってくるみたいな。
そうですよね。循環しますよね。
そこには土というものを作るという、コンポストという大変にするということを返していくと終わりだして、
僕はそれでいいと思うんですけど、
その先にさらにあったら自分もこの対比を使えば野菜ができるのではないかという想像力とか、
この食べ物はどこから来ているのかとか。
単純に自分は何をしているのかというと、食べて出してやっている。
そっちのうんちだって十分な対比です。
考える、気づくことができると、気づくと行動変容が起きると彼女は言っていて、
やりたいのは行動変容なんですよ。
行動を変えちゃうくらいまでの、それはガツンと挫折するようなインパクトじゃなくて、
あれ?これって気づいちゃったらこうした方がいいんじゃない?というちょっとずつの変化が起きることをやりたい。
なるほど。行動変容に至るような促すような何かしら。
それが多分、土とかコンポストとかをやっていると、
すごい小さな生物が何時間で何倍になるか知っているみたいな。
なるほど。
爆発的な勢いで増えていって土に生えていったりする様を人間も照らし合わせてもいいんじゃないのかなという。
ちょっとずつ火がつけばバッと変わるという。
1:00:02
逆に価値観とか変わることだってあり得るよなと思って。
そうか、そうですね。
今まで僕もこうするのが当たり前だと思っているようなことで生きていたけど、
全然違うところに来たらこういうことだったのかもしれない。
さっきのそれこそ絵画っていうコツとか、そういうのにどんどん気づいていくことが楽しくなってきました。
本当そうですね。確かに。
それは別に気づいてもいいんですけど、気づいちゃったらもう戻れないですよね。
そうですね。確かに。
でもそういうことにどんどん気づいていきたいという気持ちがあります。
あと、僕こっちに来て、例えば自由だなっていうか自由があるって感じたのが、
裏山は自分の土地じゃないですけれども、倒れた木は誰のものでもないっていう不問律だと思うんですけど、
それも昔はそうやって誰もが山に入って薪を拾ってきたようなものと繋がれるとか、
つまり自分の敷地内での話を越えて自由に持って行っていいとかっていう話とか、
あと海に行ってビーチコーミングが何よりも嬉しいです。
何か打ち上げられてるかもしれないっていう浅ましい気持ちもあるけど、
それよりも宝買いとかいろんなものがある中で何かを探してるんです。
何を探してるかが分かんないんですよ。
何かを探してるけど、その何かが分からない。
でも、見つかると思ってるんです。
その状況が一番楽しいんですよ。
その話すごいですね。
明確にこれを探してるっていう風に一番の者ってガチガチガチガチやってるわけじゃないんですよ。
何かあるって思いながら、それの数々がこの辺なんですけど。
何かいろいろそうですね。
分かります。何か拾ってきちゃうんですよ。
それが海にあったもの。
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こういう貝殻が割れてる。
穴が開いたり。
こういう巻いた貝が穴開いちゃうと、これがこんなになって見えてくるっていうのを気づいちゃうこととか、
これを探したわけじゃないんだけど、こういうもので食わせちゃうことを期待してるんですよ。
それ見つけた瞬間があるわけじゃないですか。
海にあって、あってなって、うわーってなるんですよね。
これだったって勝手に思うんですよ。探してたものは。
何を探してるか分かんないんだけど。
本当だから海に行って拾ってくるものがたくさんあります。
持って帰ってきて、これ何が良かったんだっけっていうことになってあります。
あーすごい。
木の硬いところだけこうやって残って。
これを普段木を触ってどんどん家とかに立っても、硬い部分があるなっていうのをこういう形で目視できることなんてまずありえないですね。
それが波に現れて、何年経ったか分からないけどこういう風に出てきたりすると、ぶっとくるんですよね。
だからこの辺にあるものは海で拾ってきたものたちばかりですよ。
今も時々行くんですね。
疲れたら行くんですけど。
そういうアイデアが欲しいというか、無心になった時の方が。
こういう金消しみたいな、違うな、これはヤッターマンのシリーズですよね。
フィジゴムみたいなのも見つけると嬉しいですね。
でもその話は面白いですね。何かっていうのは分かんないけど。
明確な何かではないんですけど。
でもあると思う。
気づける気がするっていう。
すごいですね。
分かりやすいのはビーチコミングの最中で、もちろんそれ以外の車を運転していても、
このエリアの中で僕にとって解決しなきゃいけない問題というか、
仕事上必要な材料とかこうしたいんだけどって思っているものに対して、
ヒントを与えてくれるようなことが周りに転がっているということが。
そういうことか。分かる感じがします。
僕も散歩とかはよく普段したりすると、そういうのを探しているというか、
時々何かフワッとこうありますよね。
それをオブジェットとして、それが今ここ目の前にあるっていうのはすごいことだなって。
これって1週間、10日、1ヶ月でなっているものじゃないじゃないですか。
すごく長い年月がかかっているもので。
これはすごいな。
面白い。
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そういうことができる場所を、それぞれ都会にもあったらいいと思うし、
どこにでもあったらいいなって思うんですよね。
確かに。
今も小民家じゃないんですけど、会社をしているのを、
ほとんど手作業でマンパワーでやっているのも、
いわゆるプロの職人とかを使って来てもらえば話も早いし、
仕上がりも綺麗かもしれないけど、
そうあえてしないというか、
多少時間がかかることとプロセスとか材料とかも買えば簡単ですけれども、
なんでこれを自分の資格から手に入れないんだと。
それを考え出すとまた別なものを解いているというか、
別なことをしなきゃいけなくなってきて。
面白いですけどね。
そんなことをやっているからトロいんだという話はあるんですけど。
同時に並行していろんなことが進んでいるんですよね。
その時にまた別のことが出てきて。
タイミングとしか言いようがないですね。
自分が成功があったから、これで勢いになった。
ある時、どこかで自分が無理していこうとしてもいけない時もあるじゃないですか。
その時はあまり無理しないとか、
ちゃんと自然の流れにできるだけ。
それは本当にそうだな。
まあ隣での仕事はそのペースではできないですよね。
そうですよね。
それだったのかなとも思うんですけど、
そういうこのペースを可能にして都会で仕事をしたいと思っています。
ああ、なるほど。
それでの質とか、要は成果とか早く、時短とか。
効率とか。
タイパーとかコスパーとかじゃない価値観みたいなものと一緒に。
建築をなりわいとすることについて。
立山での暮らしのこと。
そして大学で建築を教え、学生の方たちを招いて学ぶといったこと。
そんな高木さんの自分たちの暮らしを設計しようという言葉がとても印象に残りました。
高木さん、ありがとうございました。
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それではまた次回。
ゆいなわさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
01:09:16

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