織田あさみ
私EnjoyWorksには6年3ヶ月前に入社して
元々ずっと不動産の営業
その全職全全職とかもずっと不動産営業をしてて
不動産営業で入社して
で途中2年くらい経ったところかな
子供が生まれるタイミングで産休育休をとって 2年間お休みとらせてもらって結構ゆっくり
復帰してこの安能京都だったりとか
エンジョーバックスでやってるファンドを使って運営してるプロジェクトを担当させていただいたりとかっていう感じだったんですけど
まあでもやっぱ子育てしながらの仕事ってやっぱ難しいんですね。
難しいですね。
いやこんなに周りのママさんたちが
めちゃくちゃバリバリ両立されてる方ばっかり見てきたんで
なんか自分もやれるだろうって思ってたんですけど
まあ大変だなっていうのはすごい実感しまして
ママだけじゃないと思う。パパもそうだと思うんですけど
やっぱちょっと復帰して一年結局何か月だ?
一年半以上、一年十か月くらいですかね。
なるんですけど、辞めるタイミングは。
なんかこう、家庭と育児と仕事のバランスみたいな、
いい塩梅みたいなのが、
なんかこう自分の中でバランスづくりが難しいなっていうのは、
感じながらやってたんですけども
大丈夫ですか?
いやいやいや
近藤淳也
なんかどうでしょうね
昨日の飲み会とだいぶ
織田あさみ
飲み会とは若干違う部分だと思う
本当ですか?
私こんなこと言ってなかったですか?
落海達也
いやそれはでも一つのね
理由のうちの一つ
織田あさみ
そうですね
落海達也
いろんな要素があるとは思うんですけどね
織田あさみ
ちょっと いっぱいいっぱいになってはいって、
まあ、でもそれが一番おっきいですかね。
近藤淳也
じゃあ、うつり的な時間がやっぱり、 両立が難しいっていうところですか?
織田あさみ
そうですね。
なんか、たぶん、働き方とか、仕事のかかわり方とかにもよると思うんですけど、
どうしても時間終わってから家の時間になっても、 ずっと頭の中に仕事が引っかかってたりとか、
切り替えが私は結構うまくできてなくて、 ずっとその仕事のことを引きずっちゃったりとか、
目の前に子供がいるけど、頭はそっちの系とか、 そういうのは結構続いちゃったり、
自分の時間はやっぱり 気づいては取れてなかったんで、
あんまりリフレッシュする時間が なかったりとか、
そういうのはやっぱり 振り返るとあるのかなと思って、
その時はそれが普通だと思って、 みんなやってることだしと思って、
こなさなきゃっていう感じでは あったんですけど。
近藤淳也
なるほどね。
織田あさみ
じゃあ今はもうちょっと 1回区切りがついてなってんすかね?
近藤淳也
フレッシュ、リフレッシュしまくり みたいな感じ?
織田あさみ
一旦、そうですね、10月くらいは少し有休を取らせてもらいながら、
子供と少し旅行に行ったりとか、今日もその一環というか、
同じような形で3歳の娘を連れて羽伸ばしに来たんですけど。
落海達也
そのタイミングであのラジオで捕まった。
織田あさみ
捕まりました。
近藤淳也
まあ、はい。ひとまず、いい笑顔で。お元気そうで、良かったですけど。
織田あさみ
ありがとうございます。
近藤淳也
アンノーンの印象はどうでした?
なんか、ね、その情報としてはずっと前から、もう、ね、お世話になってて、というか、見ていただいてたと思うんですけど、
実物を始めてこられて。
織田あさみ
実物、実物と。
実物、感激しますね。
なんかもう画像で見てたものがやっと初めて空間になって
落海達也
平面だったものが平面だったものが
織田あさみ
なんかそれでも間取りとかまあまあ仕事柄ずっと見てきてたんで
なんか想像力ある方だと思ってたんですけど
全然想像と一致してなくて
近藤淳也
そうですかそのなんていうか構造的に
織田あさみ
構造的に入って見える見え方とか
北環南環とかあるじゃないですか
それもよくわかってなかったんですけど
ここでこうなって迷路みたいな
ここはこう繋がってるんだとか
近藤淳也
図面は見てたけど
織田あさみ
体感としては違うものを想像してたみたいな
落海達也
広さの感覚はどうですか
思ったより広かったとか
織田あさみ
思ったより小さかったとか
広さは想像とそんな変わんなかったかも
落海達也
変わんなかったですか?
織田あさみ
うん、知らないですね
近藤淳也
うん
織田あさみ
お部屋もでもめちゃくちゃ快適で
近藤淳也
うん
織田あさみ
お部屋も入った瞬間の空気感とかも
なんか泣きそうになりました
泣きそう?
近藤淳也
なんで泣くんですか?
織田あさみ
過激して
近藤淳也
本当ですか?嬉しいですね
落海達也
いや嬉しいです、やっぱりデノベーションにずっと関わってきて
織田あさみ
うん
落海達也
もうほんと寝ずにずっとやってきて
やっぱあの完成してそのみんなで
完成の会を迎える時とか感激でしたよね
まあおちみつさんね一番現場で
近藤淳也
本当に長い時間
落海達也
死にそうなくらい
普通のメインの会社の仕事もしつつね
やってたんですごい大変でしたけども
織田あさみ
いやーそうですよね
3年前ですよねちょうど
そうですねもうすぐ3年になりますね
でもすっごいたぶん日頃のお掃除とか 目にされてるんだろうなと思って
昨日も途中でお掃除かけてスタッフの方に かけられたりとかされてたんですけど
なんかすっごいきれいにされてるし
すごい細部への気遣いみたいなところとか
なんかちょっとしたところにお使いくださいって 耳栓お使いくださいとかカバーされてる
アンノーンのロゴ入りの放送というのかとか
あともまるやまさんって現場マネージメントしていたので
まるやまさんが3歳の子供向けに遊べそうなものっていうの
めちゃくちゃ用意してくださって
めっちゃ楽しく遊ばせてもらってますけど
感激しまくっております
近藤淳也
まるやまさんね、お子さんもいるんでそういうところが
織田あさみ
さすが。子供大好きって、昨日言ってましたね。
そう、ベッドを、ちょっと気になってたのは、子供と寝るときに、ホテルとか見てると、
ツインのお部屋とかって、真ん中に台があるじゃないですか。台っていうのか。
ベッドサイドの…
落海達也
サイドテーブル。
織田あさみ
サイドテーブル、小さい。あれが真ん中に挟まって、2台離れてるじゃないですか。
あれ絶対子供も寝相悪いから落ちるなと思って
どうしようかなと思ってたんですけど
近藤淳也
もうさすがなんかもう事前に寄せてくださってて
織田あさみ
サイドテーブルを端っこにして
2個ガッチャンコしてくださってて
これこれです
軽いところで手がついてる
言わずともやってくださってるっていうね
なんかそういう心配りみたいの すごいいろんなところに感じました
近藤淳也
なるほどなるほど じゃあまあとりあえず印象はそんなに悪くなかった
印象良かったです とっても感激しております
あのねエンジョイから来た人で言うと 長沢さんが来た時にね
織田あさみ
エンジョイってアンノーンって本当にあったんですねって
そこそのレベルで
近藤淳也
言っててめっちゃ面白かったんですけど
こう、ね、情報として知ってるけど、 初めて見たっていう感じが、ちょっとたまにね、エンジョイさんが。
織田あさみ
小笹は結構、なんかあれですよね、 宇宙的なことを時々言いますよね。
なんか、すごい面白かったですから、その。
近藤淳也
まあ、そういう近い感じがあったんですかね。
織田あさみ
そうですね。
いやー、あとなんか、今日朝お散歩してきたんですけど、
お散歩っていうか、朝ごはん会に川まで、 すぐじゃないですか。
落海達也
高瀬川、あのずっと話に聞いてた、高瀬川と。
織田あさみ
そのもうすぐ先に鴨川があるんですね。
なんかもうそれが、なんか「あっ、これが噂の高瀬川」
噂の高瀬川。
落海達也
歩かないと分かんないよね。
織田あさみ
分かんないんですよ、もうそう。
地名がもうずっと何回聞いても入ってこなくて、土地感とかが。
近藤淳也
確かにね、歩いてみて距離感とか、空気の感じとか。
織田あさみ
空気の感じとか、そう、あと梅雨。サウナの梅雨も。
昨日、結局夜11時近くかな、10時半くらいに、
なんか、子供がどうしても行きたいっていうから、行ってきたんですけど。
近藤淳也
行って帰れたんですね。
織田あさみ
行ってきました、あの時間から。
落海達也
あの夜から。
近藤淳也
えー、よかったですね。
織田あさみ
もう、さすがにこの時間だから、もう寝ちゃえと思ったんですけど、
おっきいお風呂行きたいっていうから、
行ったら、あの時間でもすっごい混んでて、
なんか、シャワー使えないから、しばらく待ち冒険みたいな感じだったんですけど。
そんなに?
落海達也
10時半とかで?
織田あさみ
ですね。
え〜
10時半くらいだったと思います。
近藤淳也
そうですか。
織田あさみ
今日までに確認できなかった
もしかぼして町に書いてあると思うんですけど
そう、田舎っていうところ、東村山の何駅か隣駅、市でいうと隣か隣の隣か生まれて、東村山っていうところで24、4くらいまで過ごしてて、
就職置きに実家を出て、そっちの方に住み始めてはいたんですけど、そっからずっと神奈川ですね。
落海達也
元々その不動産に興味があったんですか?
織田あさみ
えっと…
落海達也
最初から不動産ですか?
織田あさみ
最初から不動産ですね。
なんか、あの…
子供の時からそれこそ家の間取りが好きで、
もうほんとそういう入り口の人なんですけど、
なんかチラシの間取りを見ては、
なんか真似したり、真似して書いたりとか、
なんか想像したりとか、
近藤淳也
真似して書く?
織田あさみ
トレースみたいな?
いやなんかそれっぽく
近藤淳也
ああ書くまでいくとちょっとあれですね
織田あさみ
子供レベルですよ
近藤淳也
本格的?
織田あさみ
本格的じゃないですよ
近藤淳也
妄想広げますはよく聞くんですけど
織田あさみ
そう妄想広げるとか
そうなんか自分で
落海達也
勝手になんか間取り
いやこの方がもっといいかもっていう
織田あさみ
そこまで考えたかも
落海達也
もうリノベーション的なこともしてた
織田あさみ
ここの動線がなみたいなとかね
書かれちゃう
落海達也
隠し部屋があがってた
織田あさみ
そこまで考えてたかわかんない
落海達也
書いてたんですね、紙に
織田あさみ
なんかそういうレベルで
で、家は多分好きで
小4くらいの時に
うちのマンションから小立に引っ越したタイミングとかで
割と家の町内で引っ越したんで、学校内で
なんか現場に勝手に見に行ったりとか
してたんですよ、工事現場に
なんか習い事の帰りに自転車で
家の進捗とかになってくるかなって
近藤淳也
結構好きですね、これ。
織田あさみ
多分結構好きだったんですよね。
近藤淳也
建築学科入ろうとかは思わなかったんですか?
織田あさみ
建築学科に入ったんですよ。
建築なんですか?
落海達也
建築学科なんですか?
近藤淳也
初めてです。
織田あさみ
一応でも建築士の勉強までできずに終わったんで、
近藤淳也
あんまり建築でだって言わないようにしてるんですけど。
確かに。
落海達也
でも何も知らないからね。
近藤淳也
今初めて知りましたね。
落海達也
初めて知りました。
近藤淳也
そうですか。
織田あさみ
じゃあ本当に子供の頃からわりと一貫して家が好きっていうのは。
だから、専攻するときとかに学科とか理系、文系とか、
若干消去法でもあったんですけど、国語と社会苦手だったんですよ。
落海達也
数学と、その時はどうだったか、物理とかが割と好きで。
同じですね、私と。
織田あさみ
一緒ですか?
落海さんとの共通項がこの2日でだいぶ。
落海達也
「たなし」と。
織田あさみ
「たなし」と。
社会と国語ね。
文系はだから無理だと思って。
近藤淳也
でも確かに、数字強いイメージがあります。 森田さん。
織田あさみ
うーん、どうなんですかね。
だから、数式って決まってるものの方が、 答えが出るじゃないですか。
なんか、そういうすごいすっきりするのが 多分好きだったと思うんですけど、
落海達也
もう、国語の読解問題とか、 もう全然無理なんですよ。
なるほど。
近藤淳也
僕も苦手です。
僕、初めてお会いしたときの印象は、 すごい文系よりの方なんじゃないかなって思ったんですよ。
織田あさみ
話す感じとか。
近藤淳也
で、そう思ってて、で、安能会議で、
なんか一回、数字をまとめなきゃいけない時があって、
織田さんがすごい表を作ってくれて、
事業計画に考えてみましたって言って、
織田あさみ
こう話し始めたときに、あれ?って思って、
近藤淳也
それ、僕の中では、織田さんの印象が急に変わったときだったんですよ。
落海達也
確かに。
織田あさみ
理系。
落海達也
すごい、なんか、その、おっとりしたイメージがありながら、急にキリッとエクセルで。
織田あさみ
あ、本当ですか。
近藤淳也
キリッとしてたかどうか。
織田あさみ
キリッとじゃないんだ。
近藤淳也
いや、なんていうんですかね。
まあ、数字にも心が入ってる感じがしました。
その、なんか、完全にこう、数字だけっていうよりは、
なんか、この数字、まあでも、その数字にちゃんと心が込めれるぐらい、
逆に数字に強い方だなって。
織田あさみ
本当ですか。
そう、初めてでも言われました。
近藤淳也
こう思って、こう考えたんでこういう数字に置いてますみたいな、そのなんていうかな、神経が通ってるっていう。
織田あさみ
へー、そんな印象を持ってくださった。
近藤淳也
はい。で、じゃあ、家に興味があって、で、富野さん会社、ディベロッパーに入って、
織田あさみ
そう、で、そう、建築入ったんですけど、挫折したんですよ。
もう発想力がとぼしくて
もうあのエスキスとかあるじゃないですか
設計のね計画するやつとか
もうなんかねあの斬新なこう
もういろいろみんなこうね
あの柔軟な発想してくる
クリエイティブな人たちの脇で
なんか、なんかもうパッとしないものしか浮かばなくて
近藤淳也
へぇ~
落海達也
そんなに小さな頃からマドリー書いてたの?
織田あさみ
そう!だから、なんか多分
そういう生活に密着したものとかは、割と
落海達也
なるほど
織田あさみ
自分の想像できる範囲のものとかは、多分なんか考えられるんですけど
じゃあ美術館作ってくださいとか、図書館設計してくださいとか
なんか、そういうお題が出されても
うんみたいな
落海達也
そうですよね建築学科って結構自分の住宅だけじゃなくて
美術館とかそんななかなか設計するタイミングとか訪れないようなものが課題とかで出るから
近藤淳也
まずねよしやしを考える前によくわからないっていう
織田あさみ
そうわからないと言ったことないしみたいな
近藤淳也
仕組みがよくね美術館で何が必要なのかもわかってないとかね
落海達也
でも課題は出ますもんね
近藤淳也
そういうのから始めるんですか
織田あさみ
やっぱなんかコンセプトとかみんなこうそれぞれ考えながらいるんですけどなんかこうそういうの浮かばなくて
私こっちの線では生きていけないなって思って
でなんか不動産だとまあそのなんだろうどっちかというそのあの
まあそういうあのねクリエイティブな方も入っていただきながらこう街づくりとかあのそういう都市開発とか
なんかそういうところをどっちかというと、動かす側だったりとか、
デベロッパーだったんで、そんな大きい事業をやってる、事業っていうか業態じゃなかったんですけど、
基本住宅の会社だったんですけど、
近藤淳也
なんかどっちかというと、不動産で、動かす側の方が合ってる気がすると思って、
めっちゃ考えてますね。
織田あさみ
その時はそれなりに
近藤淳也
すごい真面目なんですね
織田あさみ
可能
落海達也
大学生の時ですよね
織田あさみ
そう就職活動くらいの時に
そう
落海達也
自分自宅側の方がいいんじゃないかと
織田あさみ
そうですね
そうだから不動産の中でそういう開発やってるような会社とか
落海達也
電鉄会社とか
織田あさみ
そういうところを
なるほど
その時は
だから専攻も途中でも都市計画系の方の専攻してて、なんか自分でそういう具体的に設計するっていうよりは、
なんかもうちょっと、なんかちょっと不動産寄りの方の専攻をしてます。専攻っていうか、最後1年だけでしたけど。
近藤淳也
どうだったんですか?一社名は。
織田あさみ
あ、そう。めちゃめちゃ濃厚な会社で、最初営業に配属されて、そこから結局ずっと営業の人生なんですけど。
3年目にBマンショックを受けて破産しまして、会社が。
近藤淳也
あら、なるほど。
織田あさみ
そう、点でばらばらになったんですよ、その瞬間に。
近藤淳也
割と激しめですね。破産までいったんですね。
織田あさみ
破産しました。
そう、周りが…
近藤淳也
縮小とかじゃなくて?
織田あさみ
そうですね結構周りがなんていうんですか周りのそのやっぱり中小デベロッパーとか不動産会社が
何て言うんでしたっけ忘れちゃった再生民事再生民事再生バタバタバタって出している時に
近藤淳也
まあ潔くなのかもう何だったのか分からないんですけど破産して
織田あさみ
当時そのなんだろう、大屋さん抱えた陳体管理部門とかだけはちょっと切り出して、別の会社として存続してるんですけど、そんなに多い人数ではなくて、最後300人くらいいた会社だったんですけど。
大きいですね。
そうですね。入社した時多分120とかそんなくらいの人数だった気がするんですけど、割ともう急成長して、バーンみたいな。
そんな時代だったんですよね
そっからはもう行き当たりばったりで
行き当たりばったり?あれ?急に?
落海達也
ちゃんと計画性のあった
近藤淳也
そうですね
今までは割と納得感のある行き札がありましたけど
落海達也
軌道修正とかしながらちゃんと方向性を見据えたはずなのに
織田あさみ
そうです
そう、だから、次収穫しなきゃって、とりあえず1ヶ月だけは財政が残る、破産宣告されてから。
翌月にみんな解雇になりますってなって。
近藤淳也
ちなみに、破産ってどんな印象ですか?結構つらいって感じですか?
織田あさみ
ショックではありましたけど、やっぱ周りがそういう状況だったし、いつ来るかいつ来るかとは思ってて、
織田あさみ
で、まあ、なんかこう、希望退職者を募るとか、
まあ、なんか一定の年齢以上とかだったんで、
まあ、私はその時は対象外だったんですけど、とかが、
まあ、少し前にあったりとかして、
ああ、なんかもうそろそろやばいぞ、みたいな。
で、前、なんかこう、この月末が、やっぱその支払いがショートするタイミングが、
破産のタイミング、破産というか、まずいタイミングなんで、
今月末がやばいんじゃないかみたいな感じで、
大体みんなソワソワしてて、
今日呼び出し来るかもしれないみたいな感じで、
だからちょっとその日とかも休みの日だったんですけど、
会社のこといて心構えしてて、
いつ電話かかってくるかもしれないみたいな。
近藤淳也
じゃあみんななんとなく予感はあって、
織田あさみ
予感はしてましたね。
私その時マンションの販売やって、
モデルルームとかでお客さん販売する仕事やってたんで、
お客さん接客するけど、売るなって言われてたんですよ。
売っちゃうと、契約しちゃうと手付金もらって、そこで終了しちゃうから、お客さん迷惑かけちゃうんで、
売るなって言って、占い営業しろって言われて。
落海達也
営業なの?営業しないっていう選択肢じゃないんですか、逆に。
そこはちょっと分かんなかったんですよ。
織田あさみ
なんでオープンしたのかよく分からなかったんですけど。
近藤淳也
結構売ってたんですか、その3年の間に。
織田あさみ
どうなんですかね
近藤淳也
小田さんのお話、営業で家を買った人が結構いた
織田あさみ
なんか2回くらいMVP賞をもらいました
すごい
新人、新人、新人は
近藤淳也
結構優秀な営業マンだったんですね
織田あさみ
いや、わかんないです
いや、優秀かどうか、あの民図がそもそもいないんであれなんですけど
落海達也
でもMVPにはならないですね
1人じゃない限り
織田あさみ
1人じゃない限り
二人、二人いれば。
結構若い子にいろいろ任せてくれる会社だったんで、
なんか2年目の時に販売の現場を持たせてもらったりとか、
そう、2年目、3年目の時は結構そんな感じで、
現場って言っても、割と若いメンバーと、
あと協力会社さんみたいなベテランのおじさまが結構一緒に入ってくれて
なんかそのチームみたいな感じで販売したんで
なんかベテランのおじさんたちとなんかキャピキャピしてる親戚
しかもなぜかリーダーが2年目とか3年目みたいなふざけた構図だったんですけど
すごいななんか
落海達也
想像すると結構すごい絵がイメージできますけど
織田あさみ
よくやらせてもらってたなって感じなんですけど
商品も高いし、買う方からしたら 一生の買い物なんですけど。
割とだから、若い時にチャレンジさせてもらう 環境はもらってたなという感じで、
2年8ヶ月くらいだったんですけど、その会社にいたのは。
めちゃくちゃ濃厚だったんですよ。
みたいな、一写目でしたかね。
近藤淳也
そこが息当たりばったりになったんですか
織田あさみ
そこから息当たり、いやそうですね
で、ちょっと個人の営業は一通りやらせてもらったんで、法人営業やろうと思って
で、そもそもリーマンの後だったんで、その業界だと結構みんな就職絞ってたんで、採用絞ってたんで
ちょうどギリギリ滑り込みで たまたま入れたところが銀行だったんですよ
近藤淳也
銀行?
織田あさみ
銀行?
落海達也
すごい滑り込めるの?
織田あさみ
銀行ってなんかよくわかんないですけど 多分親の調査とかあるっぽいですね
近藤淳也
いいお家の方ですか?
織田あさみ
全然普通の超サラリーマンのあれなんですけど
多分だから反射とかに回答してないかとか
落海達也
多分そういうチェックは
織田あさみ
そう多分そういうのは調べてそうななあっていうのは
なんか入社前に思った瞬間がありました
何を出したかは覚えてないんですけど
別に親の何かを書類を出した気はしないんですけど
近藤淳也
なんか名前くらい書いたような気がする
銀行
織田あさみ
そう。で、リソナ銀行だったんですけど、リソナ銀行って、信託銀行なんですよ。
信託銀行を兼ねてって、普通、水穂銀行とか三菱UFJ銀行とかって、別に水穂信託銀行とかあるじゃないですか。
三菱UFJ信託銀行とか。
リソナ銀行は信託銀行が併設されてる、ちょっと特殊な銀行で、
落海達也
で、不動産の仕事って、信託銀行じゃないとできないんですよ。
織田あさみ
だから、不動産の仕事とかの仕事は、水穂さんとかだと、水穂さんのお客様とかだと、水穂信託銀行でやるんですけど、
その銀行の場合は、銀行の中にも、不動産営業部っていうところで、不動産の仕事やってたんで、銀行のお客さんの不動産周りの仕事したりとか、
私はどっちかというと、銀行のお客さんというよりは 普通に不動産業者とか、
近藤淳也
当時結構伸びてるファンドとかリートとか、 そういう会社とかを営業もあったりとか。
ちょっと詳しく教えてほしいというか、 僕もわからないように教えてほしいんですけど、
織田あさみ
信託銀行がやる不動産の事業っていうのは どういう事業をするんですか?
もうほとんど事業用不動産で、収益不動産、収益物件、
もう一等もののマンションとか事務所とか、
あと開発用土地とか、あと商業施設、
郊外の、なんていうのでしょう、ショッピングモールとか、
なんかそういうのもあったりしましたね。
近藤淳也
それを何、仲介する?
仲介、前半は仲介の仕事でした。
織田あさみ
そこは4年いたんですけど、そう、中会の仕事と、
近藤淳也
後半2年くらいは、そういうファンドの会社に、今度ロンをつける。
織田あさみ
あー、なるほど。お金を貸して、そういう不動産を取得するためのお金を組み合わせる。
なるほど、なるほど。
もうローン借りてもうその時は貸したい時期だったのめちゃくちゃ
そうなんか家で借りてください営業で
近藤淳也
そういうファンドのアセットマネジメント会社とかを回ったりとか
落海達也
うん
両方できちゃうのか銀行だから
織田あさみ
銀行であり不動産事業とか
そうですねそうそうそう
だから仲介できるのは一緒にさせてもらったりとか
近藤淳也
へー
織田あさみ
まあでも、もう会社の本当名前でっていうか、してた仕事でしたね、その時期は。
落海達也
そんなのでも、そのすごいでっかい規模のものの、中会のその契約とかも、契約者とかも自分で作ったりとかもするんですか?
織田あさみ
一人で完結、多分当時できてなかったと思います。一緒にやらせてもらったと思います。
落海達也
そのおじさまがそばにいるとかあるの?
織田あさみ
そうですね。大きい仲介はたぶん私がサブで入ってましたね。
ちょっと怖いですよね。何億とか何十億とかそんなレベルの可能性があるんですね。
そうですね。取扱いの最低ロットがたぶん3億とかそういう感じだった気がします。
織田あさみ
ちんたいの会社だったんですけど
人も増えてきて会社の規模もちょっとずつ拡大してて
やっぱバイバイやりたいなってなったんですよ
不動産1.0から2.0
近藤淳也
違うかまだ1.0か
織田あさみ
そうでその会社でバイバイのバイバイ中会を立ち上げさせてもらって
近藤淳也
自分で?
織田あさみ
そう
近藤淳也
へー
織田あさみ
社長がまあ多少やってたと思うんですけど
実務レベルであんまやってなかったのかな
まあでもいいよってなって
でも私もなんかバイバイはその大きい収益物件とかしか
その全職であのねやってなかったから
今度逆にもう一般住宅の売買中解って今度初めてで
でどうしようってなってなんか契約になりそうだけどどうしようってなって
自分で立ち上げといて契約にまでこぎつけそうになったらどうしようって言い出したの
落海達也
お客さん欲しそうな顔してるみたいな
織田あさみ
そうでなんかあの私の大学のその研究室の
年計画系だったんですけど、研究室も一緒だった、
もう当時なんかもうバディーのような、一緒に卒論書いた
ウッチーっていう友達がいるんですけど、
で、ウッチーは1年、1年労任、留年か。
留年とか言っちゃった。あのして、
野村船舟さん番ネット行ったんですよ。
あ、すごい社名かってるって。
なんでここだけ社名めっちゃ言って。
で、まあ中介を極めてたんで、
もうめちゃくちゃウッチーに、なんか、
こういう風に言われたらどう言ったらいいんだろうとか
めちゃくちゃラインと電話で聞きまくって
そうであのいろいろ個人的に教えてもらって
とか他の会社に行ってる先輩なんかファミレスで
なんかあの中海のと売買中間の時に
何を調査すべきかみたいなこととかを
そこからか
落海達也
重要事項説明の何が重要なのかを
織田あさみ
なんかこの間すっかり忘れてたんですけど
あれファミレスでやったよねとか言って
それは一写目の時の先輩が何人か集まってくれて
なんかレクチャーを受ける回みたいな
ファミレスでやったりとかして
なんかなんとか何とか契約書を作ってみたいな
近藤淳也
達遣はもう一写目の時にとって
織田あさみ
達験は1者目の時に3回受けて、やっと3回目で受かってたんで、一応資格はあったんですけど、
もう自分一人で調査して、自分一人で契約作ってみたいなところは、
銀行ではやってなかったんで、調査班とかいるんで、調査してくれて、契約書もチェックしてくれる人がいっぱいいるんで。
近藤淳也
その不動産業の知識っていうのは 今拓見は皆さんもとるとして
やっぱ実務で身につけていくものなんですか
織田あさみ
だと思います どうですか
落海達也
いや僕の場合も もう既に会社で先輩がいたから
聞ける人がすぐ身近にいたから
そんなにそのファミリーズで 何が大切ですかとか
聞くようなことはなかったんですけど
やっぱりでも最初はね人に聞かない全部聞いて
近藤淳也
やっぱそういう感じなんですね
落海達也
一回流れがわかると次からあと足りないところを置きなぐらいでいいんですけど
一回もやったことないと本当に不安でしかないですよね
織田あさみ
そうなんですよひな型とかがないからベースがないから
落海達也
自分で作ったってことはその経験は自分にはないからそこがすごいなぁと思うんですね
すごいすごい
近藤淳也
なんかあのそれをはやったことなくても
要は社長に自家談判で事業やりましょうって言ったんですよね
そこはなんかこうあんまり不安とかはあんま感じないタイプ
落海達也
根拠なくせずよね
織田あさみ
なんか中華やったことあるし
落海達也
いけるだろうくらいに思ったんだと思ったから
織田あさみ
でもいざと目の前になったら
契約書どっから作ればいいかわかんないみたいな
いやその銀行の時に作ってたのはあったし
なんか一瞬契約書チェックチームみたいなこともやってたんで
なんとなく頭に入ってたんですけどでもゼロから作ってないから
その契約書見てみたいですね最初の契約書見てみたいですね
落海達也
トラブル起こってないといいけど
でも幸い1軒目は売り主さんが拓見業者さんだったんですよ
織田あさみ
でも再建築不可の物件でいきなり
でもある程度もうリフォームしてくださってたから
まあ大丈夫だろうみたいな謎の根拠があるかと言われたらあれなんですけど
そうみたいなのが1件目で
知る限りはクレームは来てないです
じゃあまあなんとかなっているかな
近藤淳也
じゃあやっぱり正しかったですね
売買部門立ち上げてトラブルもなく売れていったわけですから
織田あさみ
すごい近藤さんの目の圧力が
ちゃんと利益も出して貢献して
織田あさみ
旦那がある日突然、なんか、図書に住むって言い出したんですよ。
それまでずっと、電園都市線、あの、一番最初の会社の名残からずっと電園都市線に住んでて、一緒に住み始めてからも、その沿線に住んでたんですけど、
ずしマリーナっていう、海に面したところの、 結婚式場を兼ねている一角があって、
ずしマリーナでのお友達の結婚式の帰り道に、 「ずしに住むわ」って突然、始めて、
近藤淳也
それ、福田さんの回もそんな感じでしたけど、 いや、福田家が「早間、住もう」って言い出したみたいなのも、
なんかあるんですか? あの辺の魅力が。
織田あさみ
魅力はありますね。
でも私は別にその時そっちに住めた。
鎌倉になんとなく憧れはあって、
いつか鎌倉に住めたらいいなとかは確かに思ってたことはあったんですけど、
まあでもそんな現実的に考えてなくて、
もう突然旦那が帰り道の電車で、
なんか隣に座ってた別の友達と、
どうやら図紙からだと新橋あたりまで帰ってたんで、
座って通えるらしい、みたいな。
っていう情報とかをやりとりして、
「鎌倉より、図書がいい」みたいになって、
そこまで決め打ちになって、図書に住むって言って、
私、図書があんまりピンときてなくて、
鎌倉まではイメージできてたんですけど、
そこ行ってた図書マリーナも、図書なんですけど、住所は、
鎌倉からシャトルバスとかが出るんですよ、結婚式用に。
図書の駅自体もあんまりイメージできなくて、
鎌倉から電車に乗って帰る途中に そんな話になって、
もうその場で物件検索してて、 その次の週末くらいに物件見に行ってみたいな。
1ヶ月後くらいに引っ越したんです。
速い。
で、織田さんの仕事はどうなったの?
通えるだろうなってなったんで、 ちょっと通勤時間増えたんですけど、
でも座って通えるから、 電車で満員電車で立ちながら通うより、
近藤淳也
もう全然快適で、
「あ、これはいいわ」ってなって、
織田あさみ
一生こっちに住むなと思ったんですよ。
住んで1週間くらいの時点で。
そんなに違うんですか?
近藤淳也
何がそんなにみんなこう、惹かれるの?
あの辺は。湘南エリア。
織田あさみ
なんかでも、駅に降り立った時の、
なんか海の匂いが混じった香りとか、
近藤淳也
すごい「ふー」ってなるんですよ。
織田あさみ
「あー海に帰ってきた」みたいな。
落海達也
京都はないもんね。
織田あさみ
京都市はね。
また京都の風はまた違う風だと思うんですけど。
山の風はあるかもしれないですけど、海の風があるって感じ。
落海達也
ないですね。
織田あさみ
そう、なんか空気感がすっごい良くて、
なんか居心地が良くて、
多分こっちにずっと住むなって思ったんで、
近藤淳也
それから子供を産むことを考えたらこっちに仕事を移しとこうかなって思って
織田あさみ
ちょうど物件探ししてる時に検索してサイトを見つけてたのがエンジョイワークスだったんですよ
エンジョイワークスで家探しはお世話にならなかったんですけど結局
採用情報みたいなの見たらこっちに住んでる人って書いてあって
湘南エリアに住んでる人って書いてあったんで
じゃあ引っ越したらちょっと考えようと思って
で、しばらくは都内に通いながらやってたんですけど
そう、都内のその仕事はもうエリアはほんと点でバラバラだったんですよ
なんか物件軸で物件をピックアップしたんで
それこそ近藤さんのされてる物件ファンみたいに
面白い物件を見つけて乗せてみたいな
あとも素敵にリノベされてる物件とか
地域はほんと点でバラバラで、全然土地感ないのに東の方行ったりとか、
東っていうと、東京の右側?
東東京的なね。
そう、行ったりとか、横浜エリアとかもそうだったんですけど、
北側の方行ったりとか、時には埼玉行ったりとか、
あんまりその、土地のことをあんまりわからず仲介してて、正直。
で、なんかそれもなんかちょっと違和感っていうか、なんか自分の中でなんか、
うんっていう、なんかそこでの暮らしが、空間の暮らしはわかるんですけど、
もうそこの一歩出るともうわかんなくて、あんま語れなかったんですよ、それは。
落海達也
土地の説明ができないですよね。
織田あさみ
土地の説明できなくて。
近藤淳也
部屋のデザインだけで押していくみたいな感じ。
織田あさみ
なんかもうそんな感じで、それを軸に決めてる方も多かったから、そういうお客様だったんですけど、
あともしかもその場所のことすごい知ってるとか。
でもやっぱ自分が好きだって思う街の方が、それはなんか紹介するのも楽しいだろうなと。
愛着も多くて。
落海達也
さっき話した時に、急に旦那さんのお話が…
旦那が図書館に住むぞっていう話が出てきて
織田あさみ
今の話の中で旦那の話がありましたっけ?
落海達也
いろんな仕事で転職している時に、急に…
織田あさみ
どこで旦那さんとは知り合ってたんですか?
旦那は大学のサークルの同期なんですよ。
近藤淳也
結構古い。
織田あさみ
20歳から付き合ってて、結婚したの30の時かな、30だったと思います。
30になるからもう結婚しなきゃみたいな感じの時期で、結婚したんで、
3者目、私がバイバイ仲介をやるって言って、あさひさんがいいよって言って。
あ、あさひさん。
近藤淳也
あさひさん、いやついに。
あの、あれですよね、物件ファン的にもよく知っている某…
織田あさみ
よくお世話になっていました。
落海達也
なので一方的に存じ上げてました、物件ファンさんは。
織田あさみ
その時に、そうですね、結婚して、同性は結構前からしてたんですよ。
近藤淳也
あ、その、ああ、そう。
織田あさみ
なになに?
1社目の会社で、車宅に入ってたんですよ。
で、会社がなくなるってなったんで、
車宅がなくなっちゃうってなって、
当時車宅2万円で住めてたんですよ。
アパートに。
で、そのまま住み続けるんだったら、
77,000円くらいになりますって言われて、
そんな下から仕事ない人に77,000円の家賃なんて払えないよってなって、
それで同性始めたんですよね
(笑)
落海達也
(笑)
落海達也
すごいなぁ
運命的なんでしょねでもある意味
織田あさみ
どうなんですかね
そういう
外的要因
落海達也
外的要因で同性することになったっていう
織田あさみ
(笑)
同性するか
当時私東村まで育ってたんですけど
私が社会人になって
社宅に入るタイミングで
父親が新潟の父の実家の方に帰ってたんで、
その時点では、新潟の実家に一旦借り詰まりするか、
東京の板橋のおばちゃん家に住まわせてもらうか、みたいな、
3択くらいだったんですよ。
なるほど。
近藤淳也
旦那さんも建築系ですか?
織田あさみ
全く違います。
システム系です、どっちかというと。
どっちかというと、システムエンジニアしてます。
なるほど。
近藤淳也
はい、で、いよいよエンジョイワークスを 食べにきましたけど、
どうでした?
織田あさみ
そう、だから、自分の好きな地域に密着して、
物件紹介できるんで、それはすごいしっくり。
なんか、当時、前職で、前の仕事で 違和感感じてたことが、
すごいすっきり解消されて、
そう、なんか、家もそうなんですけど、やっぱその、
暮らし方を紹介するみたいな、
そう、それはやっぱ楽しかったし、
結構もう、自分も住みながら、
ご近所にお客さんが増えてったんで、
もう本当、今でも仲良くしてもらってるお客さんも多くて、
この間もなんか退職しますって言ったら、
なんかお家でパーティーしてくれたりとか。
コミュニティを作っていってるような感じですね。
そうですね。
結構それこそやっぱ一大決心して、
タワーマンションの30何階に暮らしてた人が、
もっと地面に近くて自然のある暮らしをしたいって言って、
たぶんもうほんと生活がらっと変わってると思うんですけど、子供も
もう2人とか3人とか学区変えてみたいな
決心して引っ越されてきたご家族とか
そうそのお家で行かせてもらったご家族とかその方なんですけど
そうなんか
いや本当にこっちに来してよかったとかって言えば
引っ越して3年とかに経つのかな
言ってもらえると、もう泣きそうになるみたいな。
よかったーと思って。
結構、まあほんと、
格子の境目はあんまないですね。
あの営業時代で言うと。
近藤淳也
実際エンジョイワークスに入って、
最初営業だったってことですね。
織田あさみ
最初営業ですね。
近藤淳也
もう家を売っていた。
織田あさみ
うん、そうですね。
土地から建てる方と、できてるお家、買われる方と、
あと、買ってリフォームする方か。
バイバイ中介。
近藤淳也
スケルトンハウスとかも?
織田あさみ
スケルトンハウス、何軒か私のお客さんで、建ててくださった方いたり。
なるほどね。
近藤淳也
割と、それまでの経緯を聞くと、EnjoyWorksっていうのは、すごい理想的な不動産会社に聞こえますけど。
落海達也
しっくり来て、ようやくたどり着いたっていうところですよね。
織田あさみ
そうですね。そうですね。
そういう意味だと、本当に、まあでも忙しかったですけどね。
こだわりの強い客さんしか来ないので、
決まるまでも当然時間かかるし、
なんかもう本当、1日ツアーしたりしてる感じです。
結構物件案内するときとか、
なんか一緒にご飯食べて、おすすめどころとかで、
なんか公園行ったりとか、
公園?
一緒に見晴らしのいい公園とか、 紫陽花の季節とかだと紫陽花公園行ってとか
落海達也
それを尾板さんがお客さんを連れてくってこと?
織田あさみ
連れてきます。
結構、うん。
落海達也
岸に居場所あるよーっていうことで、地域に居場所。
織田あさみ
そうですそうです。
物件回る近くのところ、いいスポットもあったりとかしながら、
お客さんも土地勘ない人だと 地名言っても分かんないじゃないですか
この辺がこういうエリアでとか そういう説明しながら案内するから
結構一緒に回ってくれるくらいの 関係になるお客さんは
結構一緒に時間を過ごして
近藤淳也
それは会社の方針として
織田あさみ
会社が、そうですね、そういう感じですね。 物件ツアーやりますとかエリアツアーやりますとか、
なんか当時も言って、今もやってますけど、やってたんで、
そう、もうそれを個人で、個々人でやってるみたいな。
近藤淳也
どうですか?八世さんはそこまでやることって。
落海達也
八世は、まあ海外のお客さんとか、あんまり東京のお客さんとか、
そんなに来れない人なんかはやっぱ一回で
できるだけ多くの物件見たいとかね
そういう方いるときにはその物件のルートを行くようなことはあるんですけど
途中でちょっと二乗城行きましょうかって
なかなか二乗城の横を通り過ぎるとかっていうのはありますけども
あんまりそういう意味では鎌倉とか寺子とかみたいに
高低差とかもそんなに多くないし
なんかこっからこの景色が見えますとか
そういうのが結構少ないのかもしれないですね京都は
まあ5番目
織田あさみ
でも見どころは相当ありそうですけど
落海達也
見どころはいっぱいあるんですけど
織田あさみ
行き出したらもう切れないですよ
落海達也
駐車場とか止めるのも結構大変ですし
織田あさみ
はいはい
近藤淳也
なんかでも確かに鎌倉のあたりの人って
そういうちょっとゆとりがあるというか
ご飯ぜひ食べようとか
なんかそのなんていうんですか
仕事だけじゃない方にすごい誘ってくれるイメージがありますね
織田あさみ
うんうんうん
ハチセルもたまにありますけれども、そんなに頻度がめちゃめちゃ多いわけではないですね。
だから営業効率が良いか悪いかっていうと、どっちなんでしょうね。どうなんだろう。
悪いのかもしれないですけどね。多分、かける時間とかで考えると。
でも、やっぱもうなんか、このお客さんのために頑張ろうっていう気持ちになるんですよ。
なんか、そこまでの関係ができると。
落海達也
面白そうですね。それがずっと不動産で行くのか。
どっかで全然違うここに行っちゃうのかもしれないしね。
近藤淳也
この先のが長いですよね。
織田あさみ
まだまだ長いですね。
でも本当、楽しいおばあちゃん生活をしてたいなって、すごい最近思ってて。
なんか最近、実家に帰ったりとかもあって、結構おばあちゃんと過ごしてたりしたんですけど、
私おばあちゃんのことすごい大好きなんですよ
でなんか組紐の先生とか着付けの先生とかやってたんですけど
もうさすがに今93で
ちょっと前にもう看板下ろしたんですよ
そうでも本当今もピンピンで
なんか90歳までなんかこう楽しいことやって
なんか元気で発熱としておばあちゃんでいたいなって
近藤淳也
これは15ターンぐらいあるかもしれない
織田あさみ
なんか80ぐらいで起業するとかあるかもしれないですよね
年齢制限ないですもんね起業にはね
なるほど
そういうのを思いながら
なんかこうちょっと楽しい方向に
まあ心地よい方向にというか
なんかちょっとずつ
あでも起動修正っていい言葉ですね
落海達也
いい言葉ですか?
織田あさみ
(笑)
なんか、脈絡のない経歴も、
いい言葉でまとめていただいてるな、と思って。
落海達也
でも、仕事ってそんなにいっぱいあるから、
やってみないと分かんないことがたくさんあるし、
やってみて、これ合うなとか、これ合わないなとか、
だから、一つのところに勤めて、
ずっと終身で働く人って、本当にすごいなって思って。
織田あさみ
すごいですよね。
落海達也
逆に3年ぐらいで少しずつ変えていく方が、むしろ人間的な感じは
そこで良いところ見つかったらそこで行ったらいいと思うけど
そういうのが至って自然な感じはしますけどね
近藤淳也
結構脈絡あると思いましたね
織田あさみ
脈絡ありました。繋がってました
行き当たりばったりじゃなかったですか?
近藤淳也
全然
織田あさみ
本当ですか?
行き当たりばったりにまっすぐでした
近藤淳也
生き上がりばったりに真っ直ぐ。
なんかちゃんと前の経験が次に生きてるような選択をされてるから、
ちゃんと前に進み続けてるイメージを持ちましたけど。
落海達也
もっと、もっと、なんかグルグル、グルグルする。
戻ってない感じがします。
戻ってないですか?
織田あさみ
なんか、泣いていいですか?
近藤淳也
そこなんだ。
落海達也
でも、戻った、仮に戻ったとしても、
過去に座って機動修正してきた履歴があるから
この時はこういうふうにしてればいいっていうのが
何となくまた見えそうですけどね
織田あさみ
そうですね
ちょっと彷徨ったらお二人に会いに来ます
近藤淳也
でも本当は次何してるんだってすごい気になるから
是非またお話聞かせてほしいですけど
ちょっとだけ戻っていいですか?
仕事の話で言ったら
EnjoyWorks の後半がハロリオの仕事になっていって、
ちょっと不動産直接っていうよりは、
ファンドの運営みたいな方に行ったと思うんですけど、
そこはどうだったんですか?
織田あさみ
めちゃくちゃ難しかったです。
正直自分がやってきたことは、
不動産の知識とか、多少絡むところもあるんですけど、
事業の運営とか、アンノーンで言うと、
宿泊、コワーキング、飲食を事業を運営して、経営してるのを考えることとか、
いや、1ミリもやったことないんで。
もうアイデア出てこないんですよ。
近藤淳也
それなんなんですか急に福田さんから「お前やれ」みたいになったんですか?
織田あさみ
急に「お前やれ」って多分なりましたね。
いやまあそもそも、すみません怒られそうそうなってた。
近藤淳也
ちょっと奥が煽りましたけど。
織田あさみ
そうまあ復帰する時点で、
まあやっぱりどうしても営業だと土日祝日基本やっぱりお客さんと合わせで出勤になっちゃうから、
子育てしながらそれはしんどいなってなって
土日営業しないって言ってもそっそと売り上げ立たないし
そうすると自分もしんどいんで
営業は営業じゃないところに行きたいっていう話はさせてもらってて
まあそういうとそのタイミングで
まあちょうどポジション的に
あのIRっていう投資家さん対投資家さんの仕事だった
ハロリのファンドの投資家さんの仕事だったりとか
その事業運営のところに絡ませてもらう仕事みたいなところが
土日も休めるしいいんじゃないかっていうところで
当てがってもらったんですけど
まあ難しくて 未知の世界というか
その事業運営を見る方も難しかったし
あとは対投資家さん
実績をレポートにまとめて発行するとかそういう意味だとまとめるのは
あるものを作ってまとめる仕事だからそれはわかりやすい仕事なんですけど
この投資家さんとの関わりを作るとか参加を促すとか
継続的にやっぱハロリのスタンスとして
継続的にみんなで応援だったりとか参加してもらって事業を盛り立てるみたいな
それの仕掛け作りみたいなのは
まあわかんなくて何をしたらいいか
落海達也
誰も教えてくれないですね
織田あさみ
そうですねなんかだから本とか買ったんですよ
コミュニティー作りとはとか
なんちゃらかんちゃらちょっと忘れちゃいましたけど
落海達也
でもそんな時にそれこそバイバイの経験ないところで自分で立ち上げたじゃないですか。
困ってる時ってやっぱりそれこそ本だったりとか、必ず助けてくれる人が。
織田あさみ
そうですね。
実際いたんですか、助けてくれる人とか。
結構瞑想期間長くて、そういう意味だと去年かな。
で、私の担当してたところ、新しく作ったポジションだったんで、一人でやってたんですけど、そこにメンバーが増えてってくれて、最終的に3人、私が最後抜ける直前で4人になったんですけど、
人が増えてきて、いろいろディスカッションとかをできるようになってきて、ちょっとずつ光が見えてきたみたいな。
正解はやっぱりないので、これに向けてまずやってみようとか、そういう会話ができてきて、
なんか、瞑想期は抜け出せたかなっていう期は
近藤淳也
すごい、抜け出してきてるんですね
織田あさみ
抜け出してきて、そうですね、抜け出して
まあね、それが正解、今やってることが正解だったかわかんないんですけど
それはお疲れさまでした
近藤淳也
まあ難しいと思いますよ
不動産投資型のクラウドファンディングっていうこと自体がそもそも新しい仕込みなんで、
そのファンドでどういうレポートすればいいかっていうこと自体も、日本の世の中的にも新しい分野だと思いますし、
その中でさらにお金のり回りだけを気にしてるような商品じゃなくて、割と物件とか事業に個性があって、
投資家さんも参加できるみたいな、かなり特徴のある案件がハロリナの場合多いと思うんで、
そこのIRって、新しい×新しい×新しいみたいな感じ。
織田あさみ
3個かけあった。
近藤淳也
だし、あとはインターネットが大きいですよね、比率が。
織田あさみ
そうですね。
近藤淳也
そこがそのバーベキューじゃ、ちょっと…
織田あさみ
そうですね。
近藤淳也
イベントすれば何とかなるかなみたいなんじゃない部分がありそうで
織田あさみ
やっぱその現地でイベントできてた時は
やっぱその参加で体感できる機会もあったと思うんですけど
その後にコロナがあって
私が復帰してそこにジョインした時はもうコロナ中だったんで
なんか参加を促す機会みたいなのもやっぱ難しくて
オンラインしたりになってたんで
石卒やっぱ顔の見えない人たちと
オンライン上では画面では見えるんですけど
そこを作り出すっていうのはやっぱ難しいなぁと思って
オンラインのコミュニティーってどうしたらいいんだろうと思って
物件ファンクラブに入ったりとか
(笑)
キーホルダー送ってもらいました
私も入りました
今日持ってくの忘れちゃった。 正面持ってくの忘れちゃいました。
みたいな、そんな困難を知ってましたね。
近藤淳也
なんかそこはね、ちょっといろいろ、まだ僕たちはやってきたところもあったと思うんで、
逆にちょっと今後、もう少し、なんていうか、やらなきゃなって思いました。
織田あさみ
なんかこう提案とかできることもあるのかもなってちょっと聞いてて
ありがとうございます
近藤淳也
すいませんなんか今更ですけど
織田あさみ
いやいやいやいやいやでもなんかあのそう
あの結構瞑想してた時期に
東鹿さんのインタビューっていうのを始めたんですよ
あのここにも結構よく来てるビオリーナっていう
あの一緒にIRを担当した子がインタビューやろうってなって
で結構東鹿さんの声を直接聞かせてもらう機会っていうのを
あのもうそれもオンラインでズームでやってたんですけど
アンノーンの立ち上げの時とかにイベントに参加してくださった方とかが
もう本当に楽しかったっておっしゃって
あのスタンプでなんかタイルみたいの作ったりとか
そうで当時の写真とかもすごくってくれたんですよ
で、なんか、あの、ほんと子育てを見てるような気持ちで見てますとか聞いて
落海達也
なんか嬉しい表現で
織田あさみ
そう、お腹にいる時の状態を見てたから
生まれてどういう風に育ってるのかを見るような気持ちで見てますみたいな感じで
だからなんか、関わる人がこうやって変わってるんだとか
で、まあ編成あるじゃないですか、3年もあると
なんかそういうのとかもすごいなんかもう母親、母親というかなんか親戚のおばちゃんみたいな言い方してると思うんですけど
なんかそういう風に