1. Reverse Diverse
  2. 02. 働くことは損?
2025-01-01 29:57

02. 働くことは損?

#となりのニューロダイバーシティ
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00:04
はい、こんにちは。
こんにちは。
このシリーズ、Reverse Diverse、今回で2回目ですね。
第1回は、このシリーズの説明をしていて、
なんでそれって逆じゃないっていうタイトルで始めたのかということで、
それは、やりたいですって言ったのに、なかなかやらないときは、
なんでなんだろうって言うときに私が、
それはやりたいって聞いたからじゃないですか。
やりたいって聞いたら、やりたいって答えちゃうんじゃないですか、
みたいなことを言っていて、
その対話を通して、相手の言葉にだけ焦点を当てちゃうんじゃなくて、
行動っていうものにも焦点を当てると、
私が考えていることっていうのを、
推測する上では役に立つし、
いろんな可能性に開いていけるっていうことを話しておりました。
言葉に縛られすぎないっていうことですよね、私のレッスンとしては。
言ったのになんでやらないんだって不満に思ってたけど、
人が言ったけどやらない理由ってごまんとあるわけで、
それだけを持って相手を非難するのも短絡的だし、
相手を理解することには繋がらないから、
でもそういう発想というか考え方、
マインドセットなのかな、
を変更しただけで、結構、
私自身も楽になったところがあるっていうかね、
なんか、ちょっと違う方向に思考を向けることができてきたなっていう感じがあって、
感謝してるんですよ。
そうですか。
ということで、第2回のトピックは。
はい、第2回のトピックは、
働くことは損なのかっていうことですね。
働くことは損だって考えてる人も、
多いかもしれないよね。
例えば一般的には働かずに所得を得られたらいいなみたいに、
なんとなく考えてたりとか、期待してる人とか妄想してる人とか多いと思うし、
不労所得だけで生きていくみたいな、
なんか察しがさ、ムックボンみたいなのがあったりするから、
なんかその働くこと、一生懸命働くことは損してるみたいな感覚っていうのがあるのかもしれない。
それって逆だよねっていう話ですよね。
働くことは実は得でもあるっていうね。
この話が出てきた一番初めについてちょっと振り返ってたんですけど、
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飯野さんがすごく一生懸命取り組んでいることが、私が取り組んでるなーって思っていて、
で、なんかそれ自分は一生懸命やってるのに、
あんまりそれを理解されていないんじゃないかみたいに言ってたことがあって、
それで、でもそれって飯野さんが一番得してるんじゃないですかって、
っていうふうに私は本当に感じてたんですよ。
それを通して、いろんな活動をしてることを通して、
本人も自分が一番勉強してるともよく言ってたし、
勉強になってる、勉強させてもらってるってね。
うん。
だからその、やっぱり何かをするっていうことが、
自分が手を動かしたり地味な仕事をするっていった時に、
それは自分の仕事じゃないんじゃないかみたいな発想っていうのが、
よく世の中にはあって、
より高い立場にいる人はそういうことをやらないみたいな。
研究者とかね、そういうことを言う人いますよね。
自分は研究するのが仕事で、事務仕事は雑用だみたいな形で、
なんでこんなこと自分がやらなきゃいけないんだって不満を持ってるような人。
でも実は事務仕事がないと研究職って回らないから、すごく大事な仕事でね。
そうそう。
自分だけがやってるわけじゃなくて、
特に大学組織みたいなのを見た時には、
もっとたくさんの人もそれを支えてくれてる、
事務的な仕事っていうのを支えてくれてるんだけど。
なんか、そういうふうに必要だっていうだけじゃなくて、
結構実際にすごく勉強になるというか。
そうだね。工夫するからね。
これをうまくね、毎回毎回このエクセルシートに一つ一つ入力していくのは、
とても意味がない仕事だから、じゃあどうするかみたいなね。
結構私も井野さんも助教という、
昔で言うところの助教っていうのは助手ですよね。
助手が授業もできるように制度を変えた新しい職種みたいなの、何年くらい前からあるんですか?
私がね、大学院の時にできたから、
多分だいぶ前、2000、ちょっとわかんないけど、
2000年代初頭かな。
その助教っていうのは何でもやるんですけど、
何でもやる、例えば本当にイベントのためのチラシを作る文言を考え、
チラシを作り、チラシを印刷して、
で、外に貼りに行って、人にも配り、
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会場の手配もするし、広報もするし、
お弁当の手配とかね、スタッフの手配とか、全てやるよね。
あとゲストに連絡をしたり、打ち合わせをしたり。
お膳立てだから、教授陣が来て話すだけっていうのを想定して、
ゲストもだけどね、お膳立てをする。
でもそれを通してすごくいろんなことが学べて、お得な立場というか。
そうそう、私結構助教は好きだったね。
で、私今自分が会社を始めてもほぼほぼ助教とそんなに変わらない。
確かに。
やってることは。
全部やるっていう。
で、その中すごく自分としてはお得だなっていうふうに。
お得っていうか。
仕事しながらいろんなスキルとかね、知識を身につけられたわけだもんね。
だから決して経営だけやりたいわけじゃ全くなくて、
むしろ管理職って大変だよねって。
そうだね、大変。
でしょ?大変だよね。
管理だけするってすごく苦痛だろうなって。
いろいろあって管理もするっていうならいいんですけど、
それだけ抽出されて、やらなければならないっていう仕事になると、
結構すごく大変な。
それは管理職手当必要だよねっていうふうに。
ないけどね。
思うんですよね。
結構下働き的な仕事っていうふうに、
世の中では勝ちづけられてしまうような仕事っていうのは、
すごく大事で、そして面白くて。
そう、それに狭い意味での自分の研究だけをやっていたら、
決して身につけられなかったであろう知識とかスキルを身につけることができるよね。
それが今の会社経営とかにもつながってると思うし、
私だったらフミゼミ&カフェの運営にも少しは役立ってるかなっていうふうに思うんだよね。
そうですよね。
仕事をいい仕事とよくない、悪い仕事みたいに勝ちづけてしまうと、
そういう仕事を自分はほんとしなきゃいけないときに、
すごくそれがマインドセット的にブロックされるっていうか、
なんでこんなことやらなきゃいけないんだって思った瞬間に、
すごくつらい経験になりそうな感じがしていて、
それってすごくもったいないことだなっていう。
働くのがつらい経験になってる人もいるってことだよね。
仕事は楽しんだらいいみたいな話あるけど、
それってどうやって転換するかっていうと、
多分そこのところじゃないかなっていう。
何でも楽しめる人っていうのがもともといるわけじゃなくて、
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何でも楽しんでる人ってどういうことをしてるのかっていうふうに見てみると、
なんかそういう小さなことから学び取っていく。
あんまり勝ちづけをしないみたいなのもすごく大事で、
この仕事はより価値が高くて、この仕事はより価値が低いみたいに考えてしまうと、
確かにしんどくなっちゃうし、不満が出てきてしまうよね。
でも仕事において大事なのは目的達成なので、
その目的のために複数人が集まって、
企業だったらもっと大きいけれどもね、
協力しながらそれぞれの役割を遂行していくっていうことだから、
本当に上下がないんだっていうのはそうだと思う。
役割はあるけれども、本来上下があってはいけない、いいんだろうなっていう、
そういう意味での価値の上下っていうのかな。
でも付けがちよね。付けがちなんだろうね。
だからやっぱり一つの職業しか自分が持てないっていうのは結構なリスクだなって感じるんですよ。
それはなんか、それが固定化されたりするじゃん。
役職が上がっていったりしてもそうだし、
逆にその、例えばアルバイトっていう形式だと働ける範囲というか、
仕事の範囲が限定されてたり。
だからアルバイトもして、自分でも会社をやって、
で、雇われもするみたいな。
私結構今そういう働き方。
で、それは結構いろんな形で機会っていうものが。
役割、いろんな役割を経験できるってことだね。
いろんな関係性の中での立ち位置というか、位置も経験できるし。
私この働くことは損だっていうふうに捉えている人がいるとしたら、
どういう心の動きというか、思考がそこにあるんだろうかっていうのを考えたときに、
時給で働いている人も、固定給で働いている人も、
同じことが言えると思うんだけど、
一生懸命働いても、特に一生懸命働かずに手を抜いても、
給与は一緒みたいなところあるじゃない。
その成果で出るわけじゃない仕事に関しては。
そうすると、やっぱりいろんな日常生活のいろいろ、
体調のこととか、他の心配事とか、いろいろ重なって、
あんまり一生懸命やらなくてもいいやとか、
あるいはとりあえず一生懸命やっているふり、
一生懸命じゃなくてもやっているふりをしていれば、
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その場をしのげるみたいな環境っていうのがそこにできてしまう。
特に職場との関係性とか、
とりわけ上司との関係性がそこに絡んできて、
例えばこの職場には貢献したくないとか、
この上司には貢献したくないっていうような気持ちが、
反発心っていうのが働いちゃうと、
サボタージュじゃないけど、
働き見解が生じやすいよなっていうのは、
これまでの経験から見てきた部分ではあるんだよね。
それはある種の労働者側というか、
雇用されている側の抵抗の位置形態でもあるから、
捉えるのが、
あながちそれがダメとは言えない部分もあるよなと、
そういう形でサバイブしている部分もあるからね。
働けば働くほどその人に仕事が集まるっていうのは事実として、
実際に起こるじゃないですか。
そうするとね、すごくアンバランスになる。
特にその職場にあんまり貢献したくないと思ってるとか、
結局上司の成果になることって多いから、
上司に貢献したいわけじゃないみたいなのが働いちゃうと、
そこはもう働き見解みたいなのが出てきちゃって、
それ働けば働くほど自分が損してるような、
実際には損してないんだと思うんだけど、
その気持ちとして損してるような気持ちになるのかなとかっていう風に見ながら。
確かに。
なんか対外的な得、外からの評価とか。
褒められるとかね。
この人がやってるんだ、みたいなものと、
実は働く中で得られている地位ですよね。
いろんなことを工夫したり、いろんな人との関係ができたり、
することっていうのはすごく溜まってくるものだから、
それが得なんだけど、それがなんか一色たり。
中長期的なものだからね、校舎っていうのは意外とね。
やっぱり目立つのは外側からの評価とかだったりするじゃん。
何々の雑誌に取り上げられましたとかさ、
学内でこういう評価を得ましたとか、こういう賞を取りましたみたいな。
そこで表に出ていくのは上司なわけでしょ。
だってそれが役割なわけだから。
でもそれをやっぱり良くないと思っていたら、
自分たちがやったものなのに、なんで全部盗んでいくんだみたいな形で思ってたら、
確かにね、働き理解みたいなのは。
でもその給料っていうのはどういうふうに出てくるのかって考えると、
それを業種がしてくれなかったら、その部分が閉鎖されたり。
アピールだからね。
その辺も大学組織の変容があるからさ、
いまいちピンときてない人まだまだいるんだと思うんだよね。
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今の大学は外部資金取ってきて成立してるからさ、
外部資金取るためには本当にかわいそうなくらいさ、
変なCMに出される人もいるじゃん。
あれは本当につらかろうなと思ったりするし、
ああいうのをやりたいという人。
私たちはさ、
結構、なんていうのかな、
やゆというか、
良くないなと思うんだけど、
やゆも込めて露出狂っていう言葉を使ってるんだけどさ、
露出狂の人じゃないとなかなかあれはできないよね、みたいなのは思ってた。
それもまたその捉え直してみると、もしかすると、
それをやることによる価値みたいなものが、
一般的な価値ではない、
アピールのすること?
そういうアピールなのかね。
あるんじゃない?ないとは言えない。
何でもその価値が、経験的な。
まだちょっとその価値は見出せてないかもしれない。
たださ、すごくそれが消費されるっていう感覚に陥ることがあるからね。
あともう一つは、
これまでの自分自身の経験っていうか、
いろんな人と一緒に働く中での経験で見てきたのは、
特に時間給で働いてる人っていうのは、
時間分しか働かないっていうのをすごく意識してる。
より意識するような時代になってきたなって思うんだよね。
これはまあ、ライフワークバランスの推奨みたいなものがあって、
のことで、望ましいとされてるわけじゃない。
仕事ばっかりしてちゃいけないよ。
それで健康を損なったり、
自分の人生を犠牲にしたらダメだよと、これまでのように。
だからすごい望ましいことだし、一見いいことなんだけれども、
それが逆の、逆っていうか副作用みたいなものも生じさせてるなっていうふうに思うのね。
一つは、結構最近顕著なのは、
その職務遂行に必要なスキルも、
この与えられた時間内で給与し払われながら身につけるっていう、
それが当然だよねみたいな発想も出てきていて、
ある一面それは正しいことなのかもしれない。
これまで時間外で、
手弁当で。
そう、手弁当でっていうのかどうかわかんないけれども、
やってたことも多かったから、
労働者の権利みたいな観点からは重要なのかもしれないけど、
それが結構専門職にも広がっていて、
これとこれとこれを教えてくれなければ、
しかもそれを勉強するためのお金ももらわなければ、
自分は今の仕事ができない、みたいなことを言われる。
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そういうようなことを言われることもあって、
いや、だったらもうその仕事はあなたには向いてないっていうことですよね、
っていうふうに言われかねない状況だなって。
いろんな職種に一様にこの考え方がさ、
労働者の権利っていうものが一様に当てはめられてしまうと、
特に私の働いているような研究職においては、
ちょっと副作用というか、
なんか違ったことが起きてきちゃうな、みたいなのを感じてる。
そうですね。その狭い枠の中に閉じ込めちゃうから、
もうちょっと自由にできるから良い領域じゃないですか。
自分の本当にこれが仕事なのか、それともこれは趣味なのかの、
行ったり来たりできないと発想が固定化されたりしてしまうし、
これ仕事なのかライフワークなのか。
自分のやりたいことと仕事が曖昧だから良くて、
自分でどんどん勉強していくことで仕事にもプラスに働いて、
それが良しとされる。せっかくいい場所、大学って。
それなのにそこに時間、時間給みたいなことが入ることの弊害ってすごくありますよね。
なんかね、うまくまだ言語化できてないところもあるし、
いや本当になんか、それ私がさ、古いタイプの人間だからかなとか思っちゃうわけ。
研究って時間給でやるもんじゃないからさ。
とりあえず一応その、何ていうのかな、時間給みたいな制度にはなってるけれども、
だからこそ時給が高く設定されてるんだっていうふうに思ってるのね、私は。
だけどその与えられた時給っていうのは、
1時間の労働に対する対価として労働者には受け取られていて、
それ以上もらわないとやりませんよ、みたいなのが、
その人の研究者としての可能性というか、
あるいは研究者になっていく道っていうのを阻害してるっていうかね、
閉ざしてるなっていうふうに思って。
もったいないなって思うけど、まあでも何も言わない。
言えないよね。
そこでおせっかいは出しないようにして。
必要なのは自分の生活が安定して、
なんか住むところがなくなっちゃうとか食べるものがないとか、
そういう状態だと困るから一定までお金必要だけど、
じゃあそれ以上いるかっていうと、実はそんなにはいらない。
それよりは自由に考える時間だとか、
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少し余裕があってやっぱり本を買うとか、
セミナーを聞きに行くとか、
そういう新しいところに出かけられるような余裕は必要だけど、
それはなんか時間、仕事とそれをきれいに区域に分けてしまったら、
うまくいかないよね。
そうそう。クリエイティブな仕事ってやっぱりそういう側面があるよねっていうふうに思ってて。
で、もう一つやっぱ気になってるのは、
そういうクリエイティブな仕事をしているにも関わらず、
時間分しか働きませんよと。
で、さらに空く時間、パートタイムで働いたら空いてる日もあるわけでしょ。
その空いた時間を別の時間給の仕事で埋めようとすることで、
すごくやっぱり少しでも多く稼ごうみたいな気持ちを、
気持ちっていうかプレッシャーを感じている人がすごく多いんだなって。
そう、だから世の中のある種、変化というか動きとも関係してるんだけれども、
より多く稼いだ人の方がより価値が高いみたいなさ、
そういう考え方があるから、
この仕事は週に2日、で、その別の3日は別の時間給の仕事で埋める。
で、結局クリエイティブな活動をする時間っていうのはどんどん縮減されて、
本来、例えば研究職としてやってきた方が研究したかったっていうふうに思ってたとしても、
それはなかなかできないみたいな状況も発生してたりするんだろうな。
なんか変な効率化っていうのが、ちょっと違った形で、
私から見ると変な形で理解されていて、
本来やりたかったことがどんどんできないような、
状況みたいなものを作り出してしまっている。
そういうなんか、人もなんか散見されて、その人が悪いっていうんじゃなくって、
なんかやっぱり社会の様々な規範とか望ましさとか、
理想みたいなものが、いろいろ悪さしてるなみたいに見てる。
基本的な生活っていうものは保障される、国が保障するべきだっていう考え方が規範になるから、
やっぱり自分でそれをやらないといけない。
自己責任がね。
自己責任になって、人に頼れないっていう風になっちゃって、
なんでそんな自由に遊んでたのに人に頼ってくるんだみたいな価値観を恐れてるんじゃない。
少しでも貯めておこうとかしてしまう。
ちゃんと稼いで、公と市を分けて、
そこの市のプライベートの部分は自分で自由に遊んだりしていいんだけど、
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そうじゃない部分で公私が混ざっているときに、
お金が足りなくなったからって頼っちゃいけないみたいな。
そういうこともありそう。
プライベートを充実させるとか、そういう話もよく聞くじゃない。
プライベートを充実させることが、実は仕事のパフォーマンスにもつながるんだみたいな。
結局仕事のパフォーマンスの話なの?みたいな。
ビジネス書とかビジネス系の記事とかでよく聞くんだけど、
私最初に出たライフワークバランスについても、
ちょっとなんかおかしなことが生じてるなと思っていて、
そもそもライフってなんだよと。ライフワークバランスって言ったときの。
もともとはケア労働とか、そういうものだったと思うんだよね。
だけども、どんどん消費をライフっていうふうにみんな言っていて、
遊ぶっていうことをそのライフ、遊ぶために働くみたいなことになっていて、
いい暮らしをするために働くみたいな。
それって結局消費社会の思う壺じゃんって。
結局このライフワークバランスっていうのもさ、
人の、人間のその豊かさにつながっていくんではなくて、
資本主義を肥やすために使われてるんじゃないのとか最近思って、
ちょっと斜めから見てるんだよね。
なんか遊びって言ったときのその考え方も、
最近すごく固定的っていうか、遊びから学ぶって言ったときに、
例えばそのギガスクール端末を遊びながら学ぶのに使うってなるのがダメみたいな。
それは勉強するものだから。
そうそう。公的なお金で買った端末は勉強にしか使っちゃいけない。
なんかその遊びって言ったときの遊びって一体何を指してるんだろうか。
子どもにとっての遊びっていうのは学びとすごく関連していて大事なことなのに、
なんか遊びと学びがすごく分かれていて。
仕事もそうだよね。
そうそう。すごい違和感を感じる。変なの?って思って。
ライフワークバランスっていうのはあくまでもバランスだから、
二極化するとか区別するとはまたちょっと違う側面も含んだ概念なのかもしれないけど、
ちょっと調べてみないとなって今思いながら喋ってるけど、
今なんか講師を区別するみたいな、仕事は仕事、プライベートはプライベートで分けて、
仕事では我慢してプライベートは充実させるみたいな風潮みたいなのはちょっと感じてて、
私が古い代の人間なのかなみたいな。
ちょっと変わってきちゃってるよね。
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そういう現代社会に対等してきている新しい文化とか価値観をどういうふうに捉えたらいいのかなっていう。
そうですよね。
だって市の部分で地域の活動をしたり、いろんな環境整備をしたりとか、それも立派な仕事じゃないですか。
そう、労働だと。
労働だよね。
それをなんかそういうことはもうなくなっちゃったのかな。
だからつまり企業でとか企業組織でビジネス組織でお金もらって働いてるのが労働でっていう、
70年代以前の議論に逆戻りみたいなね。
そういう感じもあるよね。
もうちょっとそこの境界線を揺さぶっていくというか、いくことの方がなんか面白い可能性が見出しそうなんだけど、
結構私も野々的にワーカホリックだって言われるから、
なんか自分の価値観が古いのかもしれないけど、
いいけど、今の価値観もちょっと変な感じがするなみたいな。
でもワーカホリックだって言ってくる人のワークの概念がやっぱり狭い。
まあね。
狭くて、なんか散歩してたりするのだって大事な仕事の一部だったりするわけじゃないですか。
だからそういうことは想像されないね、多分。
そうだろうね。
それはやっぱり現代社会の働き方の影響でもあるんだろうね。
やっぱり時間給で働いている人が圧倒的に多いと思うし、
そうするとそういう考え方っていうのを強化せざるを得ないよね。
強化されてしまうっていう側面はあるよね。
このコロナで在宅勤務が認められたんだけど、
ずっとパソコンの前にいないとみたいに監視されているようなさ。
実際監視されたりするんですよね。
するよね。
その違うところにちょっといたらすごいさ、批判っていうか。
無理じゃないと思うんだけど、そこのさ、切り分けをね。
それが緩やかだからいいわけじゃないですか。
で、力も発揮できる。
枠組みなのに、なんかヘンテコな。
そうっていうことで、それって逆じゃない?って。
働くのを損だっていうのは逆かもよって。
遊んでたら得なのか。
その時の遊びってなんだろう。
休んでたら得なのか。
ずっと休みっていうのも辛いことですけどね。
以上です。
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