1. Reverse Diverse
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2025-01-01 19:33

01. 新シリーズ「Reverse Diverse それって逆じゃない?」はじめ


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00:04
はい、こんにちは。
こんにちは。
えー、ポッドキャストをですね、私と井野さんでやってるんですけれども、
2025年に再開しようということで。
どのぐらい休止してたんですか?
うーん、どのぐらいですかね?ちょっと見てみますね。
YouTube、どのぐらいかな?私がサボってしまった。
この1年は出してない。
け?
うん。確かそうだと思います。
そんなに久しぶりでしたっけ?
そう、もともとはコロナが始まって。
私の両親が来たのが11ヶ月前なので、ちょうど12月か。
最後に出したのは去年の12月。
今ちょっと冒頭流していますけれども、これ何日なのか。
あ、2024年1月12日が最後。
約1年。
そうですね、約1年。
そう考えるとコロナの時は、在宅勤務だったからっていうのもあると思うんだけど、
あとあんまり外出するっていうことがなかったから、時間があったんですね。
時間ありましたね。
結構あの時は、むしろ今の方が忙しいみたいなさ、
なんか再現なくオンラインミーティングとかが入ってて、
で、ちょっと慣れないオンデマンド授業とかのね、動画の編集とかやってて結構懸垂になったりとか、
なんか前より忙しいとかいう感覚あったけど、全然違いましたね。
人間の感覚など当てにならない。
でもどうなんですかね、なんか忙しさの質が違ったのかもしれないですけどね。
今だってポッドキャスト撮って編集しようって思わないの。
時間がないよね。
やっぱりあの移動時間っていうのが重なってくると、いきなり時間なくなっちゃいますね。
そうですね。
でもね、対面の良さもあるから、それが戻ってきてよかったかなと。
まあそんな状況ではあるんだけれども、2025年に新シリーズを始めたいということですね。
そうです。新シリーズは、今このタイトルにもなってるんですけど、
リバースダイバースっていうチャンネル名にしていて、
もともとそれってギャグじゃないのっていうことを2人で話していて、
それもっと話したいねと。
まあ世の中で、これが正しいよねとか望ましいよねとか、
こうすべきだよねっていうふうに言われている様々なことがあるんだけど、
まあそれって本当はギャグかもしれないなっていうようなこと柄を取り上げて、
トピック出して取り上げてみようっていうことですよね。
だからリバースってギャグっていうリバース。
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でダイバースはちょっと語呂なんだけど、ダイバーシティの多様性のダイバースでリバースダイバース。
なんか逆にしてみることで、なんかもっと多様な視点とか価値に開いていくみたいなことができそうな。
うん。
気がしていて、それを話したいなと。
必ずしも今その世の中で正しい望ましい、こうすべきっていうのはね、
いうふうに言われていることを完全に否定して、
なんかそれってギャグだよっていうふうに言うよりは、
今やってることのある種のなんか副作用みたいなものに焦点を当てて、
なんかちょっと違った立ち位置を、今現在の道徳性とかそういうものと、
違った立ち位置から道徳性を眺めてみることで、
少し違う考え方に開いていこうみたいな、そういうことができるといいなと。
そうですね。
抽象的だけど、今の説明。
なんかその、なんていうのか、結構逆に見るみたいな癖が私あるのか、
なんかたまに井野さんに、いつも反対の側から言ってくれるみたいなことを言われることがあって。
でも単に逆張りとかいうことじゃないんですよ。
よく逆張りみたいな感じで、ほら自分の方が正しかったみたいな、
そういう自慢する人いるけれども、そういうことではなくて、
いや、その考え方って本当は損なんじゃないの?とかね、
人々がそれが得だと思ってることは、実は損にもつながってる可能性があるっていうところを、
結構平林さんは見ていて、それがすごく私自身の学びになったり、
確かになっていう納得感を持つことも多いから。
結構なんか相談とかの中で、一面的な価値みたいなものに添えない、
そういう相談っていうのは結構あるわけじゃないですか。
世の中、価値として価値づけられていることの中に乗れないから悩みっていうものが出てくるんだけど、
実はそういう、それに乗れなさっていうのは、
それってこっちから見てみたらこういうことですよねって、
違う視点から見るとこういうことなのかなっていうことを一緒に考えるのが、
なんかこう、相談に乗るときのなんか癖みたいな。
構えとしてあるのかな。
あるんだと思う。
やっぱりその一面的な価値観とか同服観にすごくしんどい思いをしているからこそ、
ちょっと違った目線で見ることで、
なんだろうね、完全に自由にはなれないんだけど、
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ちょっとこう距離を取れるようになったりとか、肩の力を抜けたりとかすることを、
相談の中でやってるっていうことかな。
結構私がこの障害っていう分野がすごく面白いなって思うのは、
そういうことに気づかせてくれる。
自分がもともと価値だと思っていたものとは違う価値っていうものがあるんだとか、
それがなんか何かができないっていうふうに一般的に言われていることとか、
まあ良くない、正すべきことみたいにされていることの中に、
いやでもさあっていう、なんかこういう面白いところが見えるよねっていう。
私がなんか一番この間平昭さんから指摘されて、
いや本当にそうだなと思って行動を大きく変えたのは、
まさに今自分が他者に対して仕事を振るっていう立場にいて、
私はそこに権力関係が、不均衡な権力関係っていうのが存在するわけじゃないですか。
だからフェアでやりたいと常に思っているので、
相手の意思を確認してからやりたいわけ。
自分が必要だこれやってじゃなくて、
あなたこういう仕事があるんだけどやってみますか、やりたいですかっていうふうに意思確認をして、
相手がやりたいですっていうふうに言ったらばそれをやってもらうっていうのを、
ある種と正しいやり方として考えてたわけですよ。
でも仕事を渡した人の中には一向にしない。
やりたいって言ったのに一向に進まない。
で、進捗聞いてもちょっと曖昧に濁すみたいなことがあって、
私が悩んでいた。どうしてだろうか。
何かサポートが足りないんだろうか。何なんだろうか。
サポートは必要なのかなって言ってもちょっと曖昧な答え返ってきたりして、
なかなかその任せた仕事が終わらないみたいな状況の中、
平林さんに、いやそれは井野さんがやりたいって聞いたから、
相手はやりたいって言っただけだよって。
かもしれないよ。
そう。
ぐらいだね。
いうふうに言われて、最初ピンとこなかったんですよ。
言葉の世界に生きてるから、だってやりたいってもう約束じゃんって。
やりますって約束だよみたいな。
あー。
いうふうにちょっと思ってて。
相手に選択肢っていうか意思確認をそこでフェアにしていて、
で、相手はそれに対して応答してイエスと言ったんだから、
それは契約としてある種成立してて、
約束としてね。
相手にやるある種責務っていうのがあるんだっていうふうに私は考えたんだけど、
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でもそれはフェアなやり方を自分はしているって思ったけど、
その手前の部分でね、つまり上司的な立ち位置、
つまり権力関係において、
より多くの権力を持っている、リソースを持っている側がやりたいですかって言ったら、
それはね、それに対してより小さなリソースしか持っていない側っていうのは、
やりたいです以外のあんまり選択肢がなかったりとか、
よくわかんないけどとりあえず反射的にそういうふうに答えてしまったりすると。
だから相手がやりたいですって言ったからやりたいわけではなくて、
相手がやっていること、自動的にやっていることがその人のやりたいことのはずだから、
それをこううまく活かしていくしかないんだっていうことに気づかされて、
結構この数年間で大きく職場での人間関係のあり方っていうか、
コミュニケーションの仕方を変えたところがあるんですよね。
なんかやりたいですかって言葉に対して、その言葉がどういうことを意味しているのかっていうのが、
結構受け取り側っていうのは色々だなっていうふうに、
やっぱりそのコミュニケーションが言葉では流暢にとかスムーズにできない子どもたちとか、
私自身もそうなんですよね。
やりたいって聞かれると、やりたいんだろうか?
自分は果たしてやりたいのか?やりたいって何だろう?
よく分からないなっていうふうに結構思っていて、
それで答えられない。
それで分からないってよく言ってたっていう話を以前のポッドキャストでしたことがあるんですけど、
なんか自分の感情だったり、そういう意思っていうものを聞かれたときに、
本当にそうなのかっていうのが、自信が持てないっていうのはずっとあって、
結構それはそうだよねっていうことが、
その既適障害や自閉症の子どもたちのコミュニケーションの間では、
言葉で聞いてうんって言うんだよね。
それは形式的に聞かれたらうんって言うとか、
相手が期待しているのがうんだからうんって言うとか、
相手との関係を保ちたいとか、
ポジティブかネガティブかって言うとポジティブだなっていうときには、
うんって言った方が、
ノーって言うとものすごくネガティブな方に触れちゃうから、
本当はなんか中ぐらいなんだけど、
はいって言うっていうふうな感収的な作用もあるかなって思っていて、
自分としてはやっぱりやりたかったのかっていうのは後からしか分からないなっていう。
それでやっぱり行動っていうものは、
その人のやりたいことを知りたいっていう目的に立ったならば、
どういう方法でそれが確認できるかなっていうときに、
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行動っていうものは結構信頼ではないんだけど、
その人の毎日の中にそれがあるかどうかっていうことを確認することが、
一番近いのかなっていう感覚があるんですよね。
自分としても、やりたいかっていう質問には答えられないけど、
やってるかっていうふうに聞かれたら答えられる。
ここ一週間でやりましたかとか、一年でやりましたかとか、
だからポッドキャストを一年でやらなかったわけですね、やれなかった。
でも聞かれたらやりたいって言ってたと思います。
気持ちはやりたかったんですよ。
だけど優先的な、何を優先してしまってたかとか、
いうことなんかでできてなかったし、
それはやりたいではなかったのかもしれないですよね。
なんか、やっぱり私はさ、相手の意思を確認するっていうことを、
ある種望ましいやり方であるっていうふうに、
尺子定義に考えてたんだけれども、
なんかそれがすごく表面的な望ましさでしかなかったなっていうこととかね、
やっぱりその権力関係を意識していたんだけれども、
十分には意識してなかったなとかね、
そういうところを平林さんからの指摘を受けて、気づかされたっていうか。
それもね、やっぱり最初はちょっとピンとこなかったんですよね。
本当に徐々に、たぶん2年ぐらいかかったんじゃないかなと思うんだけど、
私もそういうところではちょっと固くなというか、固いところあるから、
そんなね、一度言われてピンときて行動修正できるほどでもなかったんだけど、
やっぱり2年ぐらいかけて、それを意識するようにはなった。
実は結構自分にとっても楽なんですよね。
そうだよね。
なんかもうちょっとこう、地面に降りてくるっていうか。
あとなんかこう、自分から一生懸命働きかけなきゃ、働きかけなきゃっていうふうに
たぶん思ってたんだけど、そうじゃなくて、今はちょっとゆったり座れる椅子にお座って、
見ているっていうか観察しているっていう感じのところもある。
もちろん急ぎでやらなきゃいけない仕事とかが出てきたら、ちょっと違うモードにはなるけど、
なんかいくつかのそのモードを使い分けながら、今職場で自分の役割をなんか遂行できてるかなっていう感じがして。
なんかさ、節目節目ではやっぱり言葉でもしっかり、はい確認しますっていう、今から確認しますねっていう、
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今時点のことでいいから答えて、次のその3ヶ月のことを一応決めなきゃいけないから確認しますねってやるのはすごく大事なことだと思う。
そうですよね。契約更新みたいなタイミングとかね。
だけどやっぱり言葉は何というか、出てきている言葉が全て真実ではないし、全てではないから。
そうですね。だしそう言ったからって、それが自分の行動をさ、保証できるものでもないから、
言ったじゃないって言われてしまったら、言ったんだけど、でもできない、できなかったんだよねって。
そうそうそう、だから結局その相手を非難してるんだよね。言ったのにやってないじゃないかっていうのはね。
多分、私多分そうだと思ってて、それでイライラしてたんだと思うんだよね。
やりたいって言ったから任せたのに、一向に進まないって不満を感じて、上司的な立ち位置としては不満を感じて、
ちょっとその相手を非難したような気持ちっていうのも芽生えてきてしまう。
でもそこは抑制するわけですよ、当然。
だけれども、あまり良い感情は持ってないから、関係性もそんなに良くはないというか、自分の中で。
だけれども、それをやめて、じゃあこの人はこの間何をしてるのかなみたいなのを、雑談の中だけ、
雑談なんかを通して聞く中で、今こういうことに関心持ってるんだとか、そういうちょっと違う、本当はいけないのかもしれないけど、
進んでいない仕事ではなく、やっぱりその相手、一緒に働いている相手をよく見るようになったかなと。
なんか言葉が引っ張ってくれるっていうこともあるんだと思うんですよね。
自分がやるって言ったから、それが約束になって自分を引っ張ってくれるっていうその認識が、自分を作るみたいなこともあるじゃないですか。
だから言葉が一概に、良くないとかそういうこと言いたいわけではなくて、大事な面もあるんだけど、
だからそれを言ったり来たりした方が意識的に、うまく自分のなんか考え、気持ちとか、やりたいことっていうのもわかるのかなっていう気がして、
で、こういう話をする中で、これって一般的なこととは逆に捉えることもできて、それを捉えることでまた違う可能性が出てくるかみたいな話、面白いですねみたいなね。
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それがまあ一つの、私の中では一つのきっかけだったかなって思う。
それはイーノさん、イーノさんがやりたいって聞いたから相手はうんって言っただけですよっていう。
そう、だから私聞いちゃいけないんじゃないかって思う時があるんですよね。
聞いたら絶対、大丈夫もそうっていう話前さ、フォトキャストしたことありますね。
大丈夫って聞かれたら大丈夫ですって言っちゃう。
反射的に。
相手に心配させないようにとか。
説明がね、めんどくさいよね。
それもある。
いろいろとね。
それもある。
そうだよね。
うん。
そうすると大丈夫って言っちゃって、そうすると本当にちょっと助け求めたくなった時に大丈夫って言っちゃったから、ちょっと言いづらいみたいな。
言いづらいくなったりとかね。
で、後であの時大丈夫って言ったじゃんって責められちゃったりね。
あるいは責めちゃったりね。
なんであの時言ってくれなかったの?みたいな感じで。
過去のことにこだわっちゃうっていうかね。
そうですね。
言葉って結構未来や過去を縛ってくるっていうか。
そう。
ところがあるよね。
実際私もそういうところあったから、やっぱりすごく言語の世界に生きてる分、
言葉を大切にしてるからこそ、言葉に出ない部分を読み取ろうとあんまりこうしていないとか抑制的になる部分があったんだけど、
なんかちょっと違う感覚っていうのを最近は持っている。
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