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こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、遊びとは何か。定義じゃないですが、遊ぶことを、遊びとは何かがちょっと漠然としているので、
遊びのすれ違いみたいなことですかね。遊びすれ違ってますか?みたいな。
ちょっと緩めですが、結構大事かなと思います。遊びについて少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマは遊びですね。遊びとは何か、もしくは遊びって誤解されてないかと。
誤解というか、言葉の定義とか、勘違いも含めて、僕もですね、知らないもありますし、
わからないもありますよね。よくわからない。
AIなんだとか、DXとか、SDGsなんだとか、何でもいいんですけど、
ジェンダーからいろいろありますよね。ダイバーシティとかも。
それを置いておいて、遊びって何だと思いますか。これまず問いかけてみます。リスナーのあなたは遊びって何だと思いますか。
でですね、遊ぶ遊ばないみたいな話があったと、ありますと。
大人が遊ぶみたいなことを言うときに、遊ぶって子供っぽいイメージがまず出てくるんじゃないかなって話です。
お子様ですね。例えば3歳もしくは小学生ぐらいで遊ぶって、割と普通じゃないですか。
で、何して遊ぶって言ったときに、毎日友達と小学生ぐらいで遊ぶのかな、遊んでる気がしますが、
ゲームで遊ぶのもいいし、外で鬼ごっこするなり、外で遊ぶのもいいし、どっか行って遊ぶのもいいでしょうと。
遊びって何なんだっていう話ですよね。
要は、どこかへ行くことを遊ぶっていうのは、たぶん小学校もしくは中学生ぐらいから街へ行って遊ぶとかね。
それこそボーリングとか、ボーリング若干僕トラウマがあるんですけど、それはいいとして、カラオケとかね。
カラオケもあんまりかな。まあまあ、そういうところもいろいろあるじゃないですか。
高校ぐらいになるとどっかでみんな少しお小遣いもあったり、まあ市長によってはアルバイトすごいしたりとかもありますしね。
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で、まあまあまあ、どんどん遊び方が変わってきますよね。
で、時に大学生ぐらいですよね。大学生じゃなくてもいいぐらいの年齢で20歳ぐらいになって、ちょっとお金があったりお金がなかったりしても、
遊ぶって、何だろうねってなるわけですよね。まあそれこそマクドナルド行って話をしているとかね。
どっか映画に行くとかじゃなくても話しているだけ、どっか行って話すっていう。
時に、遊ぶっていうのが特に定義ができないわけです。つまり、友達と遊ぶっていうね。
友達と遊ぶっていうところは、特にその友達との関係性で、例えばそれそうですね、
どっか店にね、ご飯食べに行く、遊ぶって言ってもいいかなってますね。まあご飯食べに行くっていうのが近いと思いますが、飲みに行くっていうのも
遊びかもしれないですよね。で、その時の遊びが
何だろうな。まあ端的にはですね、その既存にあるものですよね。すでに世の中にあるものを
サービスとして享受するという感じですか。飲み屋に行って、お金を払って飲食を
支益というね。支益って難しいか。変な言葉で言いましたけど、
まあ得てね、飲み物とか出してもらって、食べ物出してもらって、それをお金を払うっていうそうですね。消費っぽい遊び。
これをね、否定してるわけじゃないですよ。があります。で、もう一方で、僕が遊びって言ってるのはだいぶそれではなく
何だろうな。遊んだっていうよりも、なんか消費した、お金を使ったって感じなんですよね。
いやそれを、ごめんなさい、くどいですけど、否定はしてないです。そういうものもありますから。ただ、
これはもう人次第なんですが、なんか虚しくなるわけですよね。別にお金を使うことがダメとかね、お金は悪であるとかね。
そんなこと全然言ってないです。自分の感覚として、消費をすると消費行動をしすぎるとか、消費行動に依存してそれでストレスを発散するっていうのも、
それをばかりやってると、なんか虚しくなってくるわけです。これは僕の感覚の話です。
リスナーの方が感じているかはちょっとわかんないです。人によって全然なかったりする人もいるかもしれないし、
毎回すごく感じる人もいるかもしれないし、様々かなと思います。
その時に作るとか、自分で生み出すっていうことが入ると全然違ってくるわけですよね。
例えば、イオンというショッピングセンターありますけど、
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ああいうですね、いろんなものが揃った場所がありますと、ある種の街ですよね。
田舎とか行ったらもう街じゃないかなと思いますし、 都会にもそういう商業施設がいっぱいあるわけですが、そういうところに行くと楽なわけですよね。
そこで買い物して、なんか食べて飲んで、別に満足して、別に生きてると、それも否定しないんですけど、
そこで買わずに、飲まずに、お金を使わずに何ができますかって話なんですよね。
それがですね、結構相性が悪いなと思ってまして、 当たり前ですけど、盗めとか盗めとかそういう話は外的な話じゃなくて、
例えば、
料理です。食べるんだったら自分で料理をしてみるってことですよね。
わかります? うどんとかもまあまあね、慣れないと大変ですし、僕もやれないですけど、
うどん粉からうどんを作ってみる。 それが難しければうどんを買ってきて、そこに
出汁とかもしくは味付けとか添えるそういうものですよね。 ちくわでもいいし餅でもいいし、
いろんな天ぷらでもいいし、わかんないですけど、 それを自分で買ってきてもいいと思います。買ってきて作ってみる。
店は名古屋なので、地元では一応岸面というものがありまして、各地にあると思いますが薄い、
平たい麺状のうどんですが、そういうものがあったりして、じゃあそういう岸面みたいなものを食べたい、うどんでいいですけど、うどん食べたい、
そばでもいいですけど、何そばがいいですかって時に、大根をおろしたものを食べたい。でも店には大根をおろしたそばなんかないですと。
で諦めるじゃないですか。だけど、明らかに店に大根をおろしたものがあるから、それを頼んで
そばの上に乗せて食べると。これが店によってはね、行儀が悪いみたいになってやりづらいかもしれないですけど、
だいたいできるじゃないですか、みたいな。で時に、少し買ってるんだけど、同じサービス。
それも自分でやってもいいし、店の中でやってもいいし、
何だろうな、そういう方が遊びっぽいかなと思うわけです。
何か伝わります。で、要は自分の自発性とかアイディア、想像の方ですよね。クリエイティブな感じがする。要は何か作り出してる。
作り出している要素がある。だからショッピングセンター、イオンみたいなとこでも、自分で何か探すっていうね。
探索して、店は既存にあるものを使うんだけど、探索して組み立てるっていうことができる余地があるから、装備では遊んでいるかもしれないですよね。
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要はその服を買う時にその同じ店で全部揃えるって、まあブランドが好きだったらそのブランドで揃えるかもしれないですけど、
違うものを揃えることもできるじゃないですか。だからそこは結構遊びっぽいとは思うんですよね。
ただ今回言いたいのは、やっぱりさっきお話ししたように、与えられたもの、既存にあるものしかないと考えてしまうと、極端に幅が狭くなるんですよね。
要は遊びとはお金を持って、誰かとどこかに何かを買って飲んで楽しいものなんだ。で、わかります?これ何がいいって。
例えばデートとかでもいいんですけど、神社へ行こうみたいな、別に宗教的な神道であるとかね、そういうことは置いといて、神社でも寺でもいいんですけど、
まあそういうのがあると。神社でデートする時に何するのみたいな。わかります?この話。で、おみくじ引こうみたいな。
要はそこで行って遊ぶっていう時に、明らかにコンテンツがなさそうな状況において、どう楽しむかみたいなのが遊び方が問われてるんじゃないかなって僕は思ったりします。
これはちょっとハードルが高いかもしれないです。もちろん調べたり、何があるかとか、自分が楽しみ方があるからそれを提示する方が、僕は仲良くなれると思ってます。
それは大いなる勘違いかもしれません。つまり神社行って、神社って鳩とかよく行ったりすると思うんですが、場所によってはね。で、鳩のエサをあげて楽しむ。
これもできませんか。ここがアイデアになってくるから、いやいやそれは小笠さんがそういう風に言ってるだけですよって思うかもしれないですけど、そのアイデアは別にすごいアイデアとか必要なくて、
自分が面白いなと思うこととか、こんなことをしたらどうなんだろうなっていう、それを提示する相手でもいいですが、共有できるようなものってことですよね。
神社の周りを歩いてみよう。これできませんか。歩いたことなかったんだよね。歩いてみよう。できますよね。走るのはちょっと迷惑かもしれませんが、ちょっと高台があるからそこに登って眺めてみよう。
歴史に興味があったり、歴史に興味がある人もいるかもしれない。神社マニアみたいな人が説明をしなきゃいけなくて、その人しか神社は見ることができない。
神社マニアみたいな人が説明をしなきゃいけなくて、その人しか神社は遊びでしか使えないみたいな話じゃないわけですね。別に僕神社マニアとかでもなんでもなくて、単に神社って言ってる。たまたま言っただけなんで思いついた。
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周りにもしかしたらお祭りみたいなことをやってたり、縁日はお寺?分かりませんが、門前町とかね。そこは行くとかなりそこを狙っていくかもしれませんが、飲み食いする屋台が出てたりするかもしれませんよね。伝わりますかね。
だからつまり神社で遊ぶって多分あんまりないと思うんですけど、ご主人とかにもありますね。遊べるんですよ。既存のものじゃなくてもね。ということができるかが遊び。
これをクリエイティビティっていうとちょっと大げさなんですが、想像性とかね。大げさなんだけど、でも明らかにそこはクリエイティビティ度が高い方が僕が言っている遊びで、既存に与えられたものは別にそれだけをやってるのはちょっとどうかなって僕は思ってるだけですが、工夫をすれば自分のアイディアを入れていけばどんどん遊びっぽくなるって感じですね、僕の中では。
誤解っていうのがもう一個あって、遊ぶっていうと働かないとかサボるとか、与えられたことをやらないみたいなネガティブなものがありませんか。
なんかこれたまにあって、でも今言ってた遊びを本気にやる、真剣にやると今のアイディアを出したらどう楽しむかになるんですよね。それって遊ぶって言ってるけど全然楽っていうか楽しいことはもちろんあるんだけど、仕事とは変わらないっていう表現が良くないんですが、別にサボってないよねっていう話なんですよね。
僕の感覚からすると企画っていうのはほぼ遊びなので、工夫したらいいじゃないですかっていうのも、実現度を考えてたら言えないし、合理的すぎるっていうかね、感覚だとまた言えないしやれない。
どう楽しむかっていうのは、たまに言ってると思うんですけど、結構遊びですよね、遊び方みたいな話です。年齢とかもあると思います。いい歳になってきたから走ったり騒いだりとかしないできない。
めちゃくちゃわかるんですけど、それはそれでまたどうなのと思うので、別に遊んだらええやんっていう、やれる範囲でやったらいいじゃないっていうことになるんで、別に遊んだら社会的に悪くなるんですかねっていうか、遊んでる人がいる方が僕はいいんじゃないかなっていう風に思ったりする方なんで。
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で、究極的にはそこをなんで遊びになるかっていうと、何もしてない人っていうのは、例えとして何もしてませんっていう人はいるかもしれませんが、僕もたまにいますけど、そういう何もしてないってことはまずないと思ってます。
遊ぶっていうのも、消費っていう観点からすると、お金を使って経済回してるんだっていうのもだいぶ寒いと言ったら怒られるんですが、ずれてる感じもしてて、要は別に使っていただくのは全然いいと思います。
いいと思うんですが、遊んでるかって言ったら、お金を使ってますよねっていうのと遊んでるはまた別ではなくて、お金を使って遊ぶっていうのもあると思いますけど。
話をまとめますと、遊ぶって言ったときに、真面目じゃないとか、働いてないとか、仕事してない、やってない、やる気がない、サボっているみたいなネガティブなのがあるのがちょっと僕にはわからないっていう話ですね。
同時にもう一個踏み込んだときに、どこかに行って何か買ったり飲んだりサービスを受けるっていうような既存のものを使うことはあんまり遊びじゃないっていうイメージです。
それでも全然いいんですよね。その上で何でもいいんですよ。ここにまたペンがあるんですけど、ペンを置いて倒れた方向に進むみたいな。もしくはペン先で伸ばしてペン先ゴルフみたいなのがあるんですけど、これ皆さんやりました?
鉛筆でもいいんですけど、鉛筆はわかりやすいですよね。鉛筆の芯を紙の上に立てて、そのまま指先一本で先端、ボールペンだったらノックする方があって、反対を持ってそれを弾くように押すと線が引っ張られるわけですね。
それでゴルフというか、何かやる、遊ぶ、こういうのですね。
何となく僕が今掴んでいるのが、こういう遊びを言うと、それは面白いのっていう人と、それはいいんですよ。別にあなたが面白くないんですよね。
一緒になってやるのが、一緒にやって遊ぶ仲間がいなくなるっていうのが大きいかなと思います。
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わかります。同じようにね。それはあると思います。一人では遊べなかったりする。でも今一人でも遊べたりするから、ここはどんどん変わっていくかもしれませんが。
そういうことでですね、この遊びっていうものが、自分の生活の中でどういう位置づけにあるかで、だいぶこのウェルビングみたいなことを言ったりしますが、変わってくるんじゃないかなと思います。
それこそ人生生活における感覚っていうんですかね。要は毎日何か生きてるんだけど、何か面白くないとか楽しくないって嫌じゃないですか。
っていうかめちゃくちゃストレスなんで、それ。その楽しさや面白さがほとんどない。ゼロって言ったら嫌なんですけど、マイナスとかね。
それはストレスですよね。ストレスは別にいいんですよ。絶対うまくいかなかった、できなかった人間関係があっていいんですよね。
全然あっていいんだけど、それがどんどん溜まっていくとか、解消されるものがない。解消が消費型の遊びだとしんどいんじゃないかっていうね。
あとマイナスだと病気になったり、メンタルやられるっていうのはどういう感じかっていうと、僕メンタルやられるって感じはあまりないんですけど、
だから大丈夫ってことはなくて、気をつけながら生きてますが、要は自分のコントロールができなくなるんです。
何か言われたらそれやらなきゃいけなくなって、それを追い込んで、そんなこと周りが誰も言ってないのに脅迫症みたいなもんですよね。
例えばね、イメージとして。その脅迫症だからダメとかじゃなくて、自分はそうやって思いたくないんだけど、
そんなふうに思い込んでしまって、うまく動けなくなるんですよね。これが病気というか、精神でうまくいかないぐらいの不安になるなっていうのは全然健全だと思いますけど、
それを追い込んで持ってきて、常に持ち出して、その行動を阻害するんですね。もうこれやったら次できないから、もう本当に胃が痛くなったりとかね。
それはね、わかるし、それを過剰にやるとメンタル壊れますから、壊れるとどうなるかっていうと、当然その日常生活ができなくなります。
だから、ストレスとかをバカにしているというかね、軽んじてるっていうね。バカにするってよくないな。軽んじてるっていう方は、この遊びについてもすごく軽んじてるんじゃないかなっていうふうにも言えるわけです。
要は、この遊びを、別に魔法でもないですよ。大発見でもなくて、たぶん薄々気づいてる方いらっしゃるかもしれませんが、
自分なりの工夫を入れた遊びですよね、ここではね。何でもいいです。読書する、楽しい学びは遊びだと思う方はそうすればいいし、
外に行ってキャンプして自分でやるのが楽しい方も遊びだと思う。
それを結構コロナ禍を通して取り戻したというか、身に入ったんじゃないかなと思ってるんですけど、そのあたりはどうなんですかね。
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そういうところをしっかり遊んでる人はストレスも発散されてたり、むしろそこから何か得てるので、
より楽しかったり面白かったり、それを仕事に入れていったり、もしくは自分のプライベートや生き方にまで反映させてるような気がしますし、
生活の中で遊びがあるから楽しいんですよ、毎日が。これ全然違うと思うんですね。
これを侮ってはいけないというか、毎日が楽しいみたいなのと、毎日がつまんないって真逆じゃないですか。
何でもいいですよね。しゃべるでも書くでも誰かに話すでも、何でもいいんですよね。
なんでこのラジオが聞くのが楽しいとかって言われたら最大限に嬉しいんですけど、
その生き甲斐みたいなものも見つけたり感じたりするのが難しいわけなので、そのために何かやるっていう追い込んで、
このために何かやるんだっていうふうにやり込みすぎるのもまた僕はどうかと思うんで、いろいろあっていいんですよね。
100個くらい1000個くらいあってもいいんですよね。これがあると楽しいみたいな。
先ほどのYouTubeでこのチャンネルを見るのが楽しいでもいいですし、
月に一回何かどっかで食べに行くのが楽しいとか、誰かと話すのが楽しいとか、
会社とか組織にいる方だと、あんまり会われない人だけどその人とたまに会う機会が楽しいとか、何でもいいですよね。
そういう遊びとか楽しいなと思えることが作れるかどうかっていうのが、
ゼロイチっていうよりも僕はあるんだけど、生活の中であるんだけど、見過ごしてしまうというか、
軽んじるっていうつもりないんだと思いますよ。軽んじてるって言ってますけど、軽んじてるというよりも取り上げないっていう方が正しいですかね。
何だ、そんなことかみたいなね。処理してしまっているっていうのが、実はこの遊びっていう概念じゃないかなって僕は思ったっていう話であります。
なので、もうちょっと違う言い方をすると、遊びがある組織とかは柔軟性があったり適応性があったりするんじゃないかなって。
多様性ってことは最近ちょっと怪しいというか使いづらい感じもしてて、要は多様であればいいみたいなのってちょっと乱暴かもしれないなと思う。
最近思い始めてるんで。この遊び力みたいなのもまた見直されて、遊べる人たちがいる。
要は遊びって、要は飲みに行ったりなんかするっていう意味の遊びじゃないですよ。じゃなくて、それがあってもいいんですけど、
一緒になんかこう話したりでもいいですし、どっか行ったりでもいいですし、コミュニケーションしたりでもいいですし、
関係性をいろいろあって、こういう時がこう。いろいろ関係性があるっていうことですけど、その場合。
遊べるというのが、かなり幸せなことなんじゃないかなってことを改めて感じつつ。
これはですね、それぞれ人それぞれがその自分の遊びレベルというか、レベルがあってね、
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世界レベルの遊びを目指すとかそういうふうに言ってなくて、自分がやりたいことに応じたって意味のレベルですね。
これが身の丈というか、大事なんだろうなって思います。
要はその遊びレベルが高くない人が遊びレベル低いみたいな人とやると、こんな風にやらなきゃいけないんだみたいなことになって、
ちょっとおかしくなっちゃうというか。何言ってるかよくわかんないですけど、そういうことになるかもしれないんで。
楽しんで。要は楽しんで楽しんでみましょう。
その楽しみ方、毎日何で楽しんでるか面白がってるかというときに、お金を出して何かやるっていうのは否定しないし、
それで生活が回るとかもあるからそれは全然いいし、仕事にしてお金稼ぐのも大事ですよね。
一方で、自分で作るとか、自分の遊びですよね、こうしたら面白いかなっていう工夫を得ていくことが、
もっとできるよなということで、その遊びも入れるならば、
それ遊びと僕も言ってるんですが、非常に仕事にも行きますし、
まさに僕自身の生き方、仕事の非常に重要なことになるなっていうことを改めて感じましたので、
少し話してみました。今回は以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。