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2025-01-01 22:19

04. 休めば良くなる?

#となりのニューロダイバーシティ
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00:04
今回、第4回目ですね。第4回目のテーマは、 休めば良くなる。逆じゃない?本当なの?
ということについてお話ししていきたいと思います。 この話はどういうきっかけで話したいなと思っているかというと、
いのさんが股関節が痛くて、例えば歩けない時、痛いって言っている時に、
私は、じゃあちょっと休んだら良いんじゃないか、じっとしてた方が良いですよとか、
あんまり痛いなら医者に行った方が良いとか、薬をもらった方が良いとかっていう風に、
すぐに考えてしまって、そういう風に言ってしまうんですけど、
それに対して、いやいや、そういうもんじゃないんだっていうことをよく言っていて、
それは、もちろん休むことも大事な時があるんだけれども、
休んでいるだけでは自分の状態っていうのがモニターできないんだと。
ちょっと歩いてみて、どのぐらい歩けそうかなとか、
今日の自分の体の具合はどうかなっていう形で、
フィードバックをもらって、それでやっぱりちょっと無理そうだったら引き返すし、
行けそうだったら行ってみるし、そういう風に暮らしているんだよという風に説明してくれて、
なるほど、自分は今までずっと痛いとか、そういうことっていうのを経験をしていなかったんだということが分かり、
でも確かにその通り、やってみながら、じゃないとフィードバックを得られないことっていうのは、
体調に限らずあるよなと思って、
休めば良くなるっていうようなことを捉え直していく必要があるなと思っているんですよね。
なるほどね。
このリバースダイバース、それって逆じゃないっていうシリーズ全体のモチーフとして、
やっぱなんかこの今の現代社会の中では特に何か一つの正しいやり方みたいなのがあって、
それをしっかりやればうまくいくはずだみたいなね、あるいは正しい対応の仕方があると、
それを間違えなければあまり責任は問われないとかね、そういう発想みたいなのがあるんだけど、
でもやっぱり社会ってすごく複雑で、
ゆえに私たちが直面している問題っていうのもかなり多様で複雑だから、
一つの方程式では解けないんだっていうことを言ってるんだろうね、話してるんだろうねっていうことをさっき言ってたんですよね。
03:10
今平林さんが言ったのは、いわゆる救世疾患モデル、私が名付けたんだけど、
救世疾患モデルの考え方で、通常の体調っていうのがあって、
そこから悪い体調になった時には医者に行く、薬を処方してもらってそれを飲む、
休むみたいな、何日か休んで回復するっていうようなモデルなんだと思うんです。
だけど慢性疾患の人っていうのは、基本ずっと悪いんだよね。
ずっと悪い中で、毎日医者に行くのかっていうとそういうわけにもいかないし、
毎日休むのかってそういうわけにもいかないので、
いろんな対応の仕方っていうか、ここまでならいけるとか、こういう時はこうしようみたいな、
いろんな対処法っていうのを、たぶん小さい時から積み重ねてきてるっていうのは、
そうなのかもしれないなっていうふうに思う。
その手前の本当に不思議な疑問なんだけど、
多くの人は朝起きた時に自分の体調わかるの?わかんないんじゃないの?
でもだいたいわかるんじゃない?
体調って言った時に、いろいろあるじゃないですか。
例えばちょっと二日酔いで頭が回らないみたいな、そういう体調の悪さと、
歩けないのかみたいな、そういうレベルの体調の悪さ。
でも通常なんか体調どう?って言った時っていうのは、
歩いて、例えば通勤できるみたいなぐらいのことを想定してて、
頭回っててしっかり働けますかっていうところまでは想定してなかったりして、
だからベッドから立ち上がって動けるかどうかみたいなのはわかるんだね。
なるほどね。多分そこが結構、そもそもの出発点として違うと思うんでね。
私の場合、目が覚めて、それですぐに起き上がれるわけではない。必ずしも。
さっき出てきたのは股関節痛だけど、これも本当に長くて、
お付き合いが高校生ぐらいの時から付き合ってるから、長い長いお付き合いで、
そのうち手術が必要なんだけど、万が一長生きしたら2回目の手術をしなきゃいけなくなるから、
1回目の手術をなるべく遅らせようという作戦を取ってるわけね。
06:04
医師とのやり取りの中で。
それで、毎日股関節周りを柔らかくして、どんな風かなみたいなのを考えながら、
この角度にした時に、今日はどうだろうかみたいなのを確認しながら起きてるっていうのはある。
それで起きた後も、結構痛くても動かす。
よくさ、私はいくつかの病気を抱えてるから、周りの人が本当に無責任に、
無理しないでくださいって言うんだけど、本当にやめてってよく言うのね。
慢性疾患って無理しなきゃいけないのよ。
無理しないとどこかに行けないし何もできない。
そうなの。ちょっと無理するってことが大事で、ちょっと無理して、
あ、でもこれじゃダメだ。これは今日歩けないわと。
途中でもう歩けなくなっちゃったらいけないわけだから、歩けないわって思ったら引き返すっていうのを決めてるわけ。
それ以外にも、呼吸器の病気もあるでしょ。
だから呼吸器の状態が良くない時、これもピークフローとか測って、数値を見てるんだけど、
でも行けそうかな。ちょっと無理して行ってみようと。出てみようみたいな。
それで歩いてみて、行けそうだ行けそうだっていう時もあるわけ。
でもこれはダメだっていう時もあって、その時は控えして休むとか、
今だったら在宅勤務にさせてもらうとかできるわけじゃん。
だからやっぱね、無理しないでくださいねっていうのはすごくお手軽で、
当たり障りのない、間違いのない、なさそうな言葉に聞こえるかもしれないけど、
実は慢性疾患の人はちょっと無理しないと、
今日の自分の状態っていうのが分からないっていう時があるんじゃないのかなと。
そこをしないと、ずっと家にいて休んじゃうことになって、
本来自分がやりたいことができなくなっちゃうんだよね。
で、それってすごく人間の精神状態も悪化させるから、
旗から見るとそんな無理しなくてもみたいに思うのかもしれないし、
それ嫌がられることもあるのね。
やっぱりそんな辛そうな顔したらこっちが気分悪いよみたいなこと言われる時もあるわけ。
痛そうな顔したりとかすると。
そういう時も、そういうのもあるんだろうなと思いながら、
ちょっと無理をするっていうことを常に意識している。
あと、ちょっと股関節の話に話を戻すと、
股関節が痛くなるのは筋肉が少なくなってきたっていうことだから、
09:02
歩かなきゃいけない。
歩いて筋肉をつけていけば痛みからが少し柔らいでいくんだっていう話を聞いて、
なるほど、そういう発想ってあんまり痛い時に動かすっていうのが逆。
それこそ逆。痛い時は動かしちゃいけないっていう価値観の方が強いじゃないですか。
一般的な急性的な怪我とか、そういったものは動かしていけないじゃん。
だけどそれとは違うんだな。
でもこの違いって、だから動きながら力をつけていくっていうのって、
打つとかの時とかにちょっと、打つの時に限らないけど、
やる気がない時とかに、やらないとやる気が出てこないっていう話があって、
私が何かうだうだやる気がないとか言ってた時に、
やる気はやらないと出てこないよって言ってくれた時があって、
なるほど、そうか。確かにそうかもしれない。
やってみたら意外と何かできるし、取り掛かりまでがすごい時間がかかってたんですけど、
私だいぶこの数年で取り掛かるまでの時間が短くて済むようになってきて、
それは何かやる気っていうものが存在してて、
それが出てきたらやれるんだっていうような誤解を自分が持っていて、
だからやる気がないからできないみたいな感じだったんだけど、
何かそれをやったらやる気が出てくる。またやったらやる気が出てくる。
積み重ねなんだっていうことを、歩けば少し歩きやすくなるみたいな話と重ねて。
なるほどね。
股関節の状態自体はもう変えられないものとしてあるわけですよ。
もともと生まれつきのものだから変えられない。
すぐグラグラしてずれちゃうみたいな、外れちゃいそうになるみたいなね。
だから股関節を強くすることはできないんだけど、
その周りの筋肉とかをちょっと補強することで、
そのグラグラを支えるっていうことだよね。
それがコロナ禍で全然歩かなくなっちゃって、通勤で歩いてたんだろうね。
歩かなくなったことで結構一気に落ちちゃって筋肉が。
それでコロナ禍開けてその体面が戻ってきた年とかは全然平気だったんだけど、
今年、去年か。もう開けたから。
去年ぐらいからちょっと悪くなって、かなり今悪い状態で、
これは何とかせんといかんと思って、筋力をまずつけようっていう感じかな。
12:09
これも長い付き合いだからわかるっていうだけだと思う。
いきなり何もなくて元気な状態でこの痛みだったら、
たぶんびっくりするのはびっくりすると思うんだよね。
これはやばいと思うんじゃないかって思うけど、
これまですごいいろんな痛み、いろんなレベルの痛みを経験してるから、
この程度の痛みは大丈夫みたいなのがある。
でも私もこのやばいぞっていう痛みになったら、ちゃんと病院に行くから大丈夫。
そこに蓄積があるってことですね。
経験のね。
それはそうだと思う。
あとそれに関連して、その井野さんがすごく習慣がしっかりしてるっていうのが、
私の観察に基づく、井野さんは習慣っていうものに支えられてるんだな。
この井野さんのやる気とかパフォーマンスとか、
そういったものっていうのを支えている一つが習慣っていうことがあるんだろうなって思っていて、
だから朝これをしてっていう風にルーティンみたいにしておくことで、
自分の状態がモニターしてるんだと。
しやすくなりますよね。
バラバラにやってると分からないし。
そうそうそう。
その中で自分のコンディションっていうのを整えていく。
まるでアスリートのような。
でも慢性疾患の人はアスリートだと思う。
そうですよね。
一郎の話とか聞いてすごくよく分かるもん。
やってること一緒だなって。
全然違うんだけど社会的に見たら。
身体的には全然違うんだけど、
やってることとか意識してることはそうかもしれない。
朝1、2時間かけてコンディションを整えていく。
だからそこが多分ルーティン化されているんだと思うんだよね。
例えばこう、今日は物が飲み込めないみたいな。
やっぱり肺の機能が落ちてるとそういうことが起きがちだから、
これ状態良くないんだなみたいな。
じゃあ薬の量を少し増やしておこうか。
1牛乳のところに牛乳にしてみようかとか。
そういう調整を日々繰り返して何十年も生きてきたから。
だから朝必ずお茶を飲んで丸々してっていうのがあることが、
それを支えているんですね。
で、やっぱり今日はやめようかなとかね。
だからこのテーマは休むのは、
休めば良くなる。
休めば良くなるんだけど、
休んだ方が良いなっていうふうに判断する時もある。それは。
それは良くなるっていう感じではないってことですよね。
休まないとこれはちょっとヤバいっていう。
15:00
良くなるために休む。
休むっていうのは良くなるためだけではなくて、
その右肩上がりの成長みたいな話と似てるけど、
そういうものではなく、必要なもの。
そう、休息はね。
ですよね。
だから今日できることを今日やるっていうのも、
なんでそんなに締め切り守れるんですかみたいな話を、
たまに井野さんに聞いてみることあるんだけど、
それは明日自分ができるかっていう確証が持てないんだから、
今日できることはやってしまいたい。
明日急変するかもしれないし。
だから本当に正直言って、
生きてるかどうかも分かんないと思って生きてると思う。
明日は多分生きてるだろうと思ってるけど、
病気ですぐさま死ぬことはないと思ってるけど、
でも数ヶ月後はちょっと分かんないよね。
うまく機能してるかどうか分かんないよねっていうのは常にあるから、
先延ばしにしないようにするとかいうのはあるし、
いつも例えば講演とか研修依頼受けるでしょ?
だいぶ先の依頼じゃない?不思議な気持ちで受けてるんだよね。
生きてないかもね、みたいな感じで受けてる時があって、
そういう時に自分の時間性の感覚っていうのかな、
テンポラリティの感覚っていうのが、
多分一般通常の人とは違うんだろうなと思っている。
だから本当に1日1日を生きるっていうのはかなり意識してるから、
だから大晦日もあんまり関係ないし、
実は元旦もあんまり関係ないし、
淡々と毎日同じように生活してる。
結構それって大事なことだなって思って、
だって県別に慢性疾患がないからって、
3ヶ月後に来ているわけかわからないわけですよ。
あっさり死んだりするかもしれないし。
その経験がないとなかなか切迫感というか、
リアリティはないんだろうなとは思う。
理論的には人はいつでも死ぬ可能性があるんだけど、
でもその急変するっていうさ、経験を何度か繰り返しているからこそ、
なんかその感覚が強いっていうことだと思う。
なるほど。
経験がその人を作るから。そういうところがある。
なので、休めば良くなる?良くなることもあるけど、
休んだからといって良くなるわけでもないよ。
ってよく言ってるかもね、私もね。
18:00
そうですね。
なんか悪いなりに仕事するとか、
悪いなりにやれるところまではやるとか、
そういう。
だから関連して、例えばこういう、
自分の状況がこうなればもっと働けるのに、みたいな話ってあるじゃないですか。
あるあるある。
それって、
私体力がないから。
体力がつけばとか。
安定した職につけばとか。
実はそれって、やっぱ言葉の世界のようで、
なんか、実際はそうなってみないと分かんないし、
それが嘘だと言いたいわけでもないんだけど、
なんか、今でもいい。できる。
やりたいなら、やりたいことをやるはずだから、
なんかそれは単に自分への言い訳?
みたいなことがあるのかなって。
未来を見てしまってるとね、そうなるのかもしれないよね。
でも、人生短い可能性もあるからさ、
あんまちょっと無駄にできないっていうか、
少なくとも自分にやりたいことがあるっていうね、
自分自体幸運なことで、
やりたいことがよく分かんないっていう人もたくさんいると思うから。
やりたいことも実はやりながらね、出てくるっていうこと。
そうなんだけどね。
やれば、また次やりたいことが見えてくるっていうね。
扉がどんどん開いてくる。
そういうこともあるけど。
結構習慣っていうのはそれを支えてくる。
やりたいことなくても習慣でやっておけば積み重なっていって、
その毎日の積み重ねが自分を作るわけだから、
まずは習慣を取り入れるっていうのはできることなのかなって。
なんか取り入れたい習慣あるんですか、最後に。
だから最近オーディブルを聞き始めて、
本読みたいかったんですけど、なかなかやっぱり本を読むっていう。
読書の習慣ね。
できなくて、読める時間には読んでたり、
特定の曜日とか特定の時間は読めるかなと思って読んでたけど、
それを日常的にすることができなかったけど、
やっぱオーディブルみたいな聞く読書は何かやりながら聞けるから、
車乗りながらとか、洗い物しながらとか、
それすごくいいなと思って、
習慣を作りやすくする。
本を読むっていうことを習慣にするときに、
メディアが特定の紙だとちょっとやりづらいみたいのを、
じゃあKindleだったらいいかっていうと、
それはそれでなんていうのかな。
21:00
聞くために作られてないから、
オーディブルの素材っていうのはやはり聞くためのものが、
先に音声化されてるのかなっていう。
結構聞きやすいものもあるから。
読書習慣を身につけて何か。
何がしたいか。
読書習慣を身につけて何かをしたいというよりは、
本っていうものがすでに何かについて考えてる人がいて、
そこに蓄積があるから、
それを知れたらいいよねって思ってる。
そうだよね。
効率的なんだけどね。
そうですよね。
これだけ効率性重視される時代なのに、
あんま本読まないっていうのが謎で、
逆じゃないって思ってることで、
本読めばいいじゃん。
1冊2冊っていつも思うんだけど、
その時間がないって。
じゃあ何するのみたいな。
時間かけてまとめて作られてるっていう。
そうなんですよね。
そうですよね、確かに。
ますます習慣にしていこうと思いました。
はい。
22:19

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