働く、遊ぶ、学ぶの考え方
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいとおもいます。
今回はですね、働くの感覚、遊ぶ、学ぶというですね、伊藤女優さんという方が言われていたということで、真後期期になるんですが、
そのあたりですね、働くと遊ぶ、学ぶ。
非常にしっくりきて、何回でも主考していたんですが、
このあたりですね、紹介元ですね、ゆりやまさんという方のポッドキャストから含めて、ゆっくりじゃないですけどね、考えていきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては働く、遊ぶ、学ぶというわけで、伊藤女優さんという方が言われていると。
これは真後期期なので、正確なソースまで伊藤さんの本とか見たわけじゃないんですが、
一時ソースというかね、僕のソースは、ゆりやまさんとゆりやまあけいさんという方が、ポッドキャストですね、
番組をビジネスインサイダージャパンのウェブメディアの一コーナーがありまして、そこでですね、スポーティファイで僕は聞いていますと。
その番組リンクも貼っておきますが、そのネタが面白かったので紹介していきたいなと思います。
紹介と言ってもらって、番組はぜひ聞いていただいて、かいつまんで、論点ですよね、ポイントだけ。
それを引っ張ってきて解釈していくというようなことをやっていきたいと思います。
このリチコクラジオで珍しいんじゃないですかね、こういう取り上げ方。
面白かったらぜひいいねと押していただいて、微妙だったら、微妙だなって。
微妙だなって書かなくていいですけど、また次期待してください。
今回ですね、ビジネスインサイダージャパンの入山さんのコーナーでは、自分の転職、適職は何かみたいなことを言っています。
結論的にですね、ビジネスインサイダー側の荒畑さんという方が質問をされていて、占いとかも面白かったんですけど、どうなんだと。
20代の方があまり聞いていないということで、四国理ラジオの方がもしかしたら20代の方が聞いてくれるワンチャンあるんじゃないかと思っているんですけど、
単純にですね、スタンドFMがメインというところでいくと、そっちの方は20代、30代の人が多いんじゃないかなと思っていまして、
お裾分けというのも変ですけど、どうかなと。意外に40代以上の人も聞いているかもしれませんね。
まず一つ目ですね、働く、遊ぼう、学ぶという伊藤上司さんの言葉を入山さんが紹介していたということなんですけど、
その感覚はですね、僕なりに解釈すると、多分ですが、働くというのは、四国理でかなり語ってきたつもりなんですが、
届いているかどうかはわかりませんし、初めての方もいらっしゃると思うので何度も言ってきますが、働くということがまず仕事をするということのみだと。
もしくは労働であると。もしくは大会をやる。僕の友人でもいるんですが、働くとは区役であると。区役というのはつらいことをすることである。
つらいこと、要は世の中にとって、社会にとってつらいことを自分が引き受けるのでその分お金がいただけるんだよと。
この労働感をバッサリ全部違いますということは僕はもちろんないんですが、それはあまりにもどうなんだと僕は考えるわけですね。
というか、そう思いたい。今の若い人、特に20代くらいの人だと、さすがにこれはあんまりないんじゃないかなと思っています。
遊びと学びの相互関係
もちろんそういう方もいてもいいと思いますけど。あと、教育ですね。親、環境もありますよね。
まあ、そんなところです。否定はしないですが、僕は嫌だなというくらいです。
遊ぶというのは、これも誤解されるというか、いいように使ってしまうんですが、遊ぶという感覚は非常に大事で、
ゲームというのはわかりやすいでしょう。ゲームで遊ぶといったら、ゲーム自体を楽しんでやる、だから趣味でやるとかってなるので、混乱しがちなのがプロゲーマーですよね。
ゲームという遊びでお金をいただくなんてどうなんだみたいなのが、特に格闘ゲーム界隈ではまだある。
その感覚は個人的には全然いいんじゃないかなと思いますけど、一方で、ゲームというものでお金が得られるという感覚というのをどうなんでしょう。
これ世代で言うと多くないんですけど、40代以降の人とかではきつい気がするんですね。
僕は今43ですが、その感覚は、説明しても理解、頭で理解しなきゃいけなくて、ちょっとしんどいですよね。
もちろん頭柔らかい人は全然やっていけると思うんですが、理解していただけないというのはある。
ここはしょうがない。別に考え方変えろとか洗脳したいとかじゃないですけど。
遊ぶ感覚も非常に難しい気がします。
つまり、ここはセットだと思っていまして、働く仕事で食い飽きたみたいな人がいて、そんな人はあまりいないと思うんですが、
辛いことをやる代わりに遊ぶことで解放して楽しいこと、趣味とかをできると。
なんかありそうじゃないですか、そういう考え方ね。
そうじゃないんだよっていう、いわゆるカウンターというか、オルタネティブというか、
違うものの考え方を、代替的なものを出したいんだけど、あまり上手く出せていないのが昨今な気がしますが、
その概念化するとかどうかを言う前に、今のブリコラジですね。
手持ちのやり方で、自分がやれるやり方で上手く示していくことをやっている人は、僕はいっぱいいらっしゃるんじゃないのかなと思います。
僕がその一人になっているかは分からないし、上手く生きているのか正直分からないので、そこは置いておいて。
最後の学ぶですよね。学ぶも非常に分かるなと思っていまして、結局働く仕事でお金をもらえようが、
遊びでお金をもらっていなかろうが、お金を使ってあろうが、もしくはその定義も怪しくなるわけですよね。
遊びの中で学びが得ることがあるし、仕事の中での学びもある。
遊びでお金が稼げることもあれば、働くでお金を失うこともある。
だからその固定概念というかですね、働くというのはこういうことなんだというふうに固定しすぎる。
逆、遊びもそうですよね。遊びというのはこういうことなんですよねというふうに固定しすぎると良くないのかなと。
多分学びもそうですよね。学びと言われたら何をイメージしますかということで、
学びのイメージの体験が乏しい方というところでいくと、乏しいに否定は入っていないんですけどね。
乏しいということはどういうことかというと、学校のイメージがあって、
それこそ机に座って教科書を開いて覚えるみたいなのがかなり乏しい体験だと思います。
実際にそれで学びになることってありますか。それは暗記になりますよね。受験ですよね。
得点取ります。点数取りますよね。ということでしかならないわけですね。
それの行為が全部ダメだとは思わないんですけど、それだけではやはりつまらないですよね。
というのが僕なりの考え方なんです。
この働く、遊ぶ、学ぶという考え方は非常に僕も良いなと思っていますし、
そう言われなくても、そう言われたらそうかもねというメッセージですごい大事だと思いつつも、
仕事クリエイターとしても働くというお金を稼ぐのと、遊ぶというのと、楽しむのと、
学ぶという知識を得るでもいいし、新しい視点を得るでもいいですね。
そんなことずっと言ってきているんじゃないかなと思っています。
働くとプライベートの境界
言ってきた。初めて聞いた方は知らないかなと思うんですが、言ってきたつもりです。
遊びから入ろうが、学びから入ろうが、ビジネスということですね。働くということに入ろうが。
働くって何だろうなと思ったときに、自分がやりたいことをやるという感覚じゃなくて、
人のためにやるという感覚があって、そういうふうに求められるならやりましょうかねというぐらいの
入り口に近いような気がしますね。だから別にどれが重視するとか割合で決めるというのが
悪臭なような感じもします。割合で決めてね。
割合で決めることで自分が動きやすいならもちろんいいんですけど、
その感覚が非常に伝えるのが難しいなというのも今話して思ったりしています。
また違う視点に行くと、プライベートと仕事を分けるというオンオフを分けるのも僕はあまり好きじゃないというか、
分けないと生きていけないという方もいらっしゃると思うし、結局ここが難しくなってくるのは
何をやっているかという仕事、何をやるかというのもありますし、
何でやっているかみたいなフォワー的なコンセプトベースの話ですよね。
何でそれをやっているんだろうねというようなことですよね。
例えば花屋さんをやっていたら、花屋って氷ですから朝早く市場に行って仕入れてみたいな、生花を扱うならそうなるんですが、
そういうところでやる場合、その仕事業務に適応させなきゃいけないわけですよね。
ライフスタイルって言ったらいいんですか。朝早く起きて入れて、夜寝てたり違うことやってたりするわけですけどね。
それもドライフラワー専門だったら全然違ってくるわけです。
要は商材とか自分がやる仕事とかビジネスとかの形態によってある種のライフスタイルも規定されるし、
やり方とか考え方とか全てに影響を受けるわけですが、一方でそういう仕事をやっているからそういうスタイルになるのか、
そういうライフスタイルをやっているので、ライフスタイルを取りたいから仕事をしているのかといったら、結構わからなくなるわけですよね。
例えば違いますけど、リモートワークみたいなのもあったりするじゃないですか。
それも何なんだという人もいれば、そうやってるよという人もいたりすると、
噛み合わないわけです。全然噛み合わない。
仕事とか働くとかの定義とか状態とか変数、環境、状況がバラバラすぎて、
まさに仕事とか働くという概念が共有できていないのが今なんじゃないかなと思ったりします。
共有する必要性があるのかもありますよね。
なので、働くというところでなんとか担保できているのは、それでお金がもらえていて、それで政権を立てているとかね。
ただ仕事も今一つの仕事と言っていますが、これを二つ三つという複数の仕事があってもおかしくない状況だと思いますし、
このシゴクリラジオを聞いている方はそんな感覚がある方だと、もしくは持ちたいと思っている人が聞いていると思うので、
それも一つしかやっちゃダメですよというのもちゃんちゃらおかしいし、
別に一つでやりたい人もいればいいし、別に複数やらなきゃいけないわけじゃないですかね。
やりたい人はやればいいしというところがある。
この仕事とプライベート、日常生活とかいわゆる仕事じゃないというのをオンオフで分けるというのも、
また僕はどうなのかなと思っています。
何でかというと苦手ということなんですけど、何でかというと結局働く、さっき言った同じことの繰り返しになりますが、
働く中でも遊びの要素があれば学びの要素もありますし、遊びの中でも働く要素、仕事的なものもあれば学ぶ要素もあります。
学ぶ中でもただ学んで終わりますよということじゃなくて、これビジネスとか何か使えるよねとか、
これ遊んでその人と関係性を構築する何かのヒントになります。
これが僕の中でもバラバラなんですよね。
だから分類するということがあまり意味がないというかね。
興味を持つことの重要性
もちろん分類して整理してこうですよって説明するってことはあり得ますが、
結局これも僕の中ではアイデア出しと一緒であんまり論理的には半分言えるけど、
残り5割のは感覚的主観的なものだから、説明する意味ないなっていうかね。
むしろ説明できないからそれが面白さなんじゃないかなっていうのも感じています。
なんか説明できてしまったら面白くないかなっていうのもありますね。
なので実際に今頑張っていったところでもその仕事っていうのが定義しづらいし、
もしくはその人によって変わるし、それを仮に同じ花屋さん、さっき言ったら花屋さんでも、
ドライフラワーで常時売れるっていうものの商材を扱っている、
例えば花屋さん、店長さんだとしてね、起業者としてね。
例えばその花を宅配便みたいにね、サブスクでありますけど、ブルームでしたっけ、
いろんなものありますけど、そういうものとD2Cですね。
さっきのいわゆる氷で花を市場で仕入れて朝早く売るみたいなモデルのものと、
他にもありますよね、ロスフラワーか、ロスする花を使ったビジネスである人と。
何を扱うかによって、もしくはそれをどういうふうに運用する、経営するかによって、
結局自由度が相当違うわけですよね。
それがたぶんビジネスをやる感覚だと思います、事業を作る。
でも、それがですね、ある種、もうすでに会社があって事業があって、
その中の従業員として雇用というかやられる方も多いと思うんで、
依然多いと思うんで、そういう人はそこで縛られるわけですね。
それが縛られるというよりも、そういうものだと思ってやっているときに、
その仕事の働く感覚は解像度というか自由度が低くなるので、
やれることも少なくなるというのはそのままだと思います。
多分企業というのは本来意味はそこの自由度が増すということなんで、
自由度が狭い企業というのは、悪種とは言わないですけど、
自由度を求めているのであれば違いますよね。
逆に自由度を求めて会社員とかさんが今やるのもまた違ってくるので、
ここが設計というか戦略ですよね。
人生戦略とか、自分をどうコントロールしていくか、
自己事実も含めて、なんていうんだろうな、そこが醍醐味だと思います。
そこを思いっきりいじくり倒していじり倒して、
いろいろやっていけばいいんだなという感じがします。
なんでポッドキャスト、入山さんという方も言ってましたが、
面白いかどうかをやるということが、興味があるかどうかをやるということになってくるんじゃないですか、
ということもずっと言われていると思いますが、入山さんという方がね。
僕もその通りだと思ってまして、興味があることをやらないと死んでしまうとはオーバーですが、
結局何やってるのってなってしまうので、
あとは興味があることのやる度合いをどこまで入れるかということなんですけど、
たぶんそれって、たまに僕も言ってます。
全部を興味があることで埋める必要はないんですが、
自己表現と楽しみ
10個あって2個ぐらい、
10個の何か対象があったときに、8個興味がないことで2個興味があることがあったら、
正直しんどすぎるんですよね。
だから基本的に興味関心があるようなもので埋めていって、
それがさらに、基本的に興味があることをやってるんだけど、
さらに興味が高いことをやるっていう感覚が多分適切かなと思います。
これがちょっと間違って伝わってたらだいぶ修正したいんですけど、
8個興味ないのを我慢してやってるのは多分ちょっと違いますね。
だいぶ違います。
2個興味があることをやっている。
なんとか生きていけるっていうのは、
もちろんなんとか生きていったらそれでいいんですけど、
全然面白くないなっていうところになります。
つまり、面白さの感覚と興味があることをやる感覚への配分というか理想数ですね。
そっちにだいぶ振る感覚でいいんじゃないかなと思ってます。
いいんじゃないかなっていうのは、
その興味があることをやるってことが、
それが冷静にすごい考えていくと、
自分が興味があること自体が奇跡というか才能と言ってもいいですし、
マリゼラのあなたに向けに言ってるんですけど、
それ面白いよねっていうのがめちゃくちゃ大事なんです。
そのめちゃくちゃ大事ってことが多分伝わってない。
伝わってないと思ったんです。
前にこの話しましたよね。
多分話したんですけど、
これ1ヶ月に、毎日言うのはさすがにしんどいんですけど、
週に1回じゃ足りないような気がしてまして、
伝わってないような気がしたんですよね。断絶みたいな。
ここから興味があることを続けるってことは、
実は不安とか怖いっていうのがあるんじゃないかなって思ったんですけど、
これはまた別の機会で言うかもしれません。
忘れるかもしれませんが、
とりあえずそれはそれだけ簡単に脱線するんですけど、
言っておくと、興味があることをやるとか、
楽しいと思うことをやる、面白いことをやるっていう風に、
僕は簡単に、さぞ簡単に言ってるんですが、
これを難しく捉える方が結構いらっしゃるんじゃないかなと思います。
レスラーのあなたはどうですか?
興味があることがありますね。
例えば最近だと銭湯みたいなのをたまたまね、
お風呂入るっていうのが好きっていう方がいる。
サウナでもいいですよね。
個人的にはサウナもお勧めしてないですね。
適度にやるぐらい。
それを置いといて、サウナでもいいです。
お風呂が好き、スーパー銭湯とかいっぱい銭湯ありますから、
温泉使うのが好き。
それは全然いいんじゃないですか。
やり続けることが楽しいなら良くないですか?
っていうところなんですが、
それがコンサマドリーっていうか、
自己重則的っていう言葉ですが、
それやってること自体がいいよねっていう風になれない。
つまり何でかっていうと、
他者、もしくは誰かにそれ楽しいのとか評価されるね。
それは他の人よりいいよねとか。
あとそれやってるのが、
写真あげてね。
SNSでしたっけ?
知ってますけどね。
いいねもらうみたいなのがいいとかね。
その他者の目線を得て、
自分がどう思うか。
他人がどう思うかじゃなくて、
自分がどう思うかはどうなんですか。
そういうのにカウンターでくると、
すごい怖がっちゃう人がいらっしゃるんですよね。
多分ね。
あなたはどうなの?
それにひたすら慣れてないので、
打たれ弱いっていう。
別に攻撃しないんですけどね。
慣れてないから、
もう訳わかんなくなるっていう。
あなたはどうなんですか?っていう。
自分の意見というか感覚を、
なんていうんだろうな。
戻してないと、
いいんですよ、自分はセントを好きで言ってるだけですから。
っていうところで、
それでいいんですよね。
そういうので、
興味があるからやり続けてるっていうことがあるんだけど、
それに、
評価ですよね。
成功、
別にスーパーセントで成功、
授業したいわけでもないのに、
ただ趣味で楽しんでるだけなのに、
いろいろ意味付けんなとかね。
ってなりませんか?
わかんないですけどね。
あなたの状況によるんだけど。
それを楽しむことで、
なんていうんだろう。
楽しんで終わりでいいんですよ。
楽しんで終わりでいいんだけど、
そこに何か、
役立たねばならないこととか、
これをやる意味あるのだろうかとか、
考えてる人って、
楽しんでると思います?
きついじゃないですか。
逆にお母さんが聞くんですけど、
それを楽しんでるものを、
どう仕事とかにしていくんですか?
って聞いてくる人いると思うんですよ。
もしそのイメージがわからない人。
それもわかるんですけど、
少なくとも楽しんでないとか、
それを意識しすぎて、
例えばサウナ入ってる時に、
想像ですけど、
これ何か役立つかなとか、
そんな風に、
一瞬ぐらいは思ってもいいですけど、
そういうことを頻繁に思う人って、
多分サウナ楽しんでなくないですか。
それは忘れらないといけないし、
忘れられないような、
興味レベルとか、
面白さなんじゃないかな、
という風に僕は感じます。
新しいアイデアの探求
そういうのを楽しんだり、
感覚で得ていって、
その仕事とか、
いろいろなこと、
興味あることを、
サウナだけ入ってるわけじゃないじゃないですか。
やっていくと、
そこに重なって興味が、
探索というか広がっていって、
繋がっていくんじゃないのかな。
繋がっていくことは保証するわけじゃないですよ。
繋がっていくことは絶対保証するわけじゃないんだけど、
大体繋がっていくと思います。
例えばある漫画が好きだったら、
その漫画とサウナを繋いで、
サウナ漫画を作るのもいいでしょう。
いいし、
サウナ漫画というものを取り上げて、
それを紹介するのでもよくないですか。
面白くないですか。
それはその人にとってはですよ。
僕もちょっと面白いと思いましたけど、
サウナやってない人でも、
サウナ漫画みたいなのを取り上げてみるってことは、
漫画というところのカテゴリーの人も
取り込めるかもしれないし、
サウナ好きを取り込めるかもしれないですよね。
これはアイディアですからね。
アイディアだから、
それをやってどうかまでは
その人次第なんですが、
その人がやって、
これは面白いなと思えるか。
思えるならやってみてください。
ということで話は終わるんですよね。
話は終わるんで、
それを一回やって、
はい、ダメでした。
そのやり方ではダメでした。
それが1ループ目なんですね。
じゃあ2ループ目やってくださいということで、
また同じように
違うものを持ってきてやる。
これをやり続けるってことなんですけど、
これが怖い、楽しめないってことですね。
怖いっていうことを感じる人は、
何か評価をそこでされないといけないとか、
評価がないとできないとか、
ロジックすぎて、
理屈すぎてちょっと動けないんだろうなと思います。
なので、
ものすごく大雑把に言うと、
興味を持ち楽しむ
そういう場合は、
身体、精神で、
めちゃくちゃ主観的なことを言ってますけど、
それ自体を楽しんでください。
楽しめないなら、
違うことやってください。
ぐらいしかならないし、
僕も言えないかなと思います。
ちょっと脱線しましたけど、
興味があり続けることをやり続けると
怖いっていう感覚ってあるんじゃないかなと思ったりします。
それは結局他の人の評価を
気にしすぎちゃってるということですね。
気にするなとは言わないですよ。
ただ、
自覚として、
自分が登山、山登りとか嫌いじゃないし、
先に言ってないですけどね。
歩くことは全然いいんですけど、
それって誰かに求められてやるんですか?
誰かに求められたら、
仕事っぽくないですか?
仕事っぽいんだけど、
お金が入るかどうか分解してもらって、
仮にお金がもらえるとしたら、
登山してね。
でも登山してお金もらえるって、
どっかのパトロンというか、
スポンサーがいてもらってるわけじゃなくて、
何かあなたがアウトプットするからじゃないですか。
だから、取材する記者の人だったら、
登山するんだけど、文字とか文章とか写真とか、
何かにアウトプットして、
それで対価を得ているから、
お金がもらえるわけですね。
お客さんからお金もらえるから、
取材したものがもらえるから、
価値があるからもらえるわけじゃないですか。
そういうのがですね、
趣味のサウナに求めるのかって言ったら、
求めるとおかしくなるわけですね。
このバランスみたいなのが、
非常に難しいというか、
理屈で考えると難しいんですね。
理屈で考えるようなものじゃない、要は。
これは、このサウナは入っていくと、
多分、何かになるぞとか、
そんなことを考えていたら、
楽しめないですよね。
一方で、
後でですね、
サウナをしていない時に、
これはサウナの体験に活かせるかもな、
というのは良いと思います。
なので、
一つだけ今言えることは、
言っていて思ったのは、
体験していること自体はそのまま楽しんで、
後で思い出したり、
振り返ったり、
自分の言葉にしたり、
誰かと話していて、
そこが出てきて、
活かす、というのが、
要は、
自分が状況とか当事者とか、
その状況にいる時には使わずに、
体験は楽しんで、
それを後から体験として取り出したり、
持ってきて、組み合わせる時とかに、
考えればいいんじゃないかな、
というふうに思ったりします。
これは練習というか、やるしかないですよね。
それが、
年齢と経験の関係
話を戻していくと、
20代とか、年齢の話をしているわけではないんです。
年齢だけの話ではないんですが、
若いということは、
経験値が乏しいということなんですよね。
シンプルに。
経験が乏しいということは何かというと、
組み合わせるものが少ない。
要は体験量が少ない。
何事においても、
経験量が少ないので、
組み合わせられる量が、
組み合わせ数が減るんですよね。
もちろん若い人でも、
いろんなことをやっている人もいるから、
別に若いから絶対そうというわけではないんですけど、
少なくとも、
平均値的な話をすると、
単純に、
生きている年数が少ないから、
体験量が減っているというわけです。
それだけです。
例えば、25歳の人がいて、
35歳の人がいた時に、
その10年分の、
特に社会人になってからの経験ですよね。
だから、22歳くらいから、
仮に新卒で会社とか、
社会に出ると言いますが、
働き始めたら、
25歳の人って、22から3年じゃないですか。
でも、35歳の人は13年、
何かやっているわけです。
もちろん、経験値で生きているから、
それだけで、
価値がありますというのは、
建物としても言っておきますが、
その13年間と3年間という、
25歳の人から見たら3年間、
35歳の人から見たら13年間、
その10年の差が、
確実に開いていて、
働くことと学び
ものすごく、
絶対的な何かというと、
これもまた違うんですよね。
経験としてはあるんだけど、
何も考えずに、
ぼーっとして生きていたら、
10年くらい勝手に経ちますから、
ぼーっとして生きていられるかというと、
また疑問なので、
何かやっているんですよ。
何かやっているんだけど、
多いです。
多いです。
だから、毎日すごい意識して、
何て言うだろうな、
ものすごい意識高いぞ、
みたいな風にして生きているという人って、
ほとんどいないんじゃないですかね。
だから、切り取りを見ている、
見ていらっしゃるというのが、
適切だと思います。
元目線というか、
自分の目線から言うと、
そういう切り取りを見て生きているんですよね。
インフルエンサーでも、
切り取ったのを見ている。
だから、切り取られていない、
日常のやつというのは、もっとグダグダだったり、
微妙だったりするわけです。
でも、そんなもんでいいんじゃないですか。
って、僕も言いますよね。
そこのあたり。
で、
何て言うんだろう。
話戻していくと、結局、
働く学ぶ、
遊ぶ学ぶか、
順番は何でもいいんですけど、
どれが主とか、そういうのも、
あまりないんですよね。
で、僕は、
遊ぶとか、働くとか、
学ぶとかも何でもいいんですけど、
学ぶこと面白いなと思います。
人の考え方とか、
知らない見方とかが面白い。
で、その時に、アイディアアイディアって言ってますけど、
先回言ったものを、
まだ覚えてますが、
要は、
ニュースとかアイディア、
そういったものを取り上げて、
それをどう言って、もしくは突っ込んで、
メモして、調べて、
自分の地肉というかですね、
考え方の中に
自分に入れていく。もしくは、
それは分からんなっていうのも、
一応検証して考えてみる。
そういうトレーニングみたいなね。
トレーニングとも思わないですけど、
トレーニングって僕は言ってますけど、
もっと楽しんでますね。
遊びでやってる感覚です。
遊びです。ゲームみたいにピコピコやって、
何だ?何だ?って言って、
時間が過ぎていく感覚でやってます。
このポッドキャストもそうです。
僕が関わっているというか、
やってることは全部その遊びの感覚が
あるはずです。
なかったらしんどいので、
やめるか切り替えて違うものをやる。
もしくは学びがないなら、
切り替えて違うことをやる。
働くでも、
お金を得るような仕事というのも、
あまりにも
つまらなかったり、
学びとか遊びが少なかったらやめる。
結局、何度も言ってますが、
僕は新卒で
プログラマーだったんですが、
それがやめたのは、
学びが少なくなっていったということです。
ゼロではないんですけど、
いわゆる脱線というやつです。
面白くないからやめますというのは、
かっこよさそうですけど、
その面白さって何かというと、
自分の学びが何かということを
吟味していないと、
面白さがわからないわけです。
これが自分は面白いなということを
ある程度探索したり、
やっていっているのがあるから
言っているだけで、
それが全くない人が、
面白い面白くないってやられます?
だけなんですよね。
それをやっていってどうかということなので、
いきなりその面白いかどうかを、
練習ですよね。
まさにやっていない人が判断して、
例えば漫画を全く読んだことがない人がいて、
漫画を読んで、
これ面白いかどうかって判断できます。
できないから、
漫画を読まずに、
いろんなものを読んだり、
人と経験してきたときに、
この作品は面白いかなと、
いわゆる批評というか、
書評というか、
批評レビューができるか、
できないじゃないですか。
というだけです。
それは何かしら別の、
漫画を読む前に積まないといけないじゃないですか。
もしくは漫画を読んでいってもいいわけです。
対象とする具体的なものの、
経験を積むのでもいい。
だから起業をするということで、
起業の体験を積むのでもいいんですけど、
たぶん起業する前に、もしくは起業をする前後で、
もしくは起業しながらもですが、
その起業ではないところで、
何かさっき言って、
ここでまさにポイントになるのが、
働く、学び、遊びということで、
働く、遊び、学びということでいえば、
他で遊んだものとか、
他で働いたこととか、
他で学んだこと、
起業というとどうしても、
分かるんですよ。
ビジネスとして、
何か事業経験というところでやったことがあれば、
それは優位ですけど、
僕の感覚からすると、
雰囲気もありますが、
起業、体験して、
例えばどこかの事業会社に行って、
それでやってきたことが、
そのまま活かせるということは、
あることはあるんでしょうけど、
実際に生きることって、
もっと違うこととか、
僕は好きですね。
好きだし、そのまま使えることって、
物事のノウハウって、
あんまりないんですよね。
なぜかというと、
もちろん自分が体験してやったことを、
何かしら活かしていったりとか、
そのままこれを活かせるなということで、
やることはあるんですが、
結局のところ、
自分の中で解釈して、
どういう風にやるんだということを考えて、
試していかないと、
何もできないという感じになるかなと思います。
どうかを判断して、
試してやるということになって、
生活と仕事のバランス
かなりシンプルになるんじゃないかな、
と思ったりします。
一貫して言っていることは、
生きている日常生活というところを、
仕事で働くということの
ウエイトを占めている、
家事育児とかでも全然いいし、
何をやっているかでウエイトを占めているものが、
もちろんあると思うんですが、
もちろんそのウエイトを占めていなくて、
一みたいに重分化されていたら、
そうすると何か
ウエイトを占めてるかわからないですよね。
3対3対3でもいいじゃないですか。
33%ずつぐらいで分かれていたら、
何がウエイトを占めていますと、
なりません?
あとは、その時間の話を今しているんですが、
お金で分配したら、
お金が全然働いていない、
時間が少ないもので稼いでいたら、
おかしくなりますよねってなりませんか 感覚として働く時間が多くてそれで稼いでるみたいなのをもしかしたらリスナーの中も想像してる
かもしれませんがそうじゃなかったらどうしますかっていうのはそれをやってる人は分かる けどやってない人にとってはもう未知の世界で
それは妄想ですかフィクションですかみたいなね ことも言いたくなるわけじゃないですかでもまあ
考え方としてですね別にその怪しい宗教でも怪しいビジネスもなくできますからね 理屈ではね
少なくとも自分でアイスクリーム屋さんをやる人の方がアイスクリーム屋さんの従業員で いわゆる雇用されてお金をね
時給で得るもしくは時給生者にとかもまあ結局ですよねサラリーマンとして得るよりも 人が自由度は高いわけですね
作ると見えてるはずもちろんサラリーマンだから絶対ダメとかできないわけじゃなくて その視点がいるわけですよね
やりたいならばですよね 売れるアイスでもいいしその商材としてアイスじゃない冷凍のものを作って売りたいっていう
意識がある人と学び度が全然違うと思いませんでそれを そうじゃないですか企業主体から何が学ぶっていう人の学び度やすごい高いもの
それがうまくいくかどうか別々の話として学び度合いが高い人っていうのはさっきの話は 興味とか好奇心とかがめちゃくちゃあると思う
めちゃくちゃあると思うんです
っていうのを
まあ冷静に考えていただきたいんですけどさっき言ってた好奇心とか興味の話でそれが 自分から自ら出してこれをやろう
学ぼうっていう人ってどれくらいいると思いますってことになってくるんですよね みんな多分やりたい皆さんね
リスナーのあなたもそうだし若い方もね若くない方もね 別に深い意味はないですけどそのいろんな人がいたときにその年齢関係せずに
自分が今これやりたいです興味ありますというふうに学ぶとか勉強するとか あとまぁそれで仕事すら働くでもいいし遊ぶとかこういったことやって遊ん
ではいいっていうのは僕の中ではすべてそれは 何にと何にひも付かったらパレアイディアになってくるんですね
つまり仕事をするアイディア起業するアイディアでもいいし遊ぶアイディアでもいいし 学ぶアイディアでもいいですけど多分そのアイディアが僕の中には多分あってそれをどの程度
どのレベルでやるかっていうその調整なさじ加減だけです でえっと学ぶとかだとその何でインプットするとかに近いんだけどでも実はアウトプットで
表現する方が大事だったり 遊ぶのもなんか創作というところで行くと表現が大事なように気がしますけど遊ぶって
実はその最初の仕込みのアイディアの部分のインプットの方が インプアイディアの中でもインプットがいるんじゃないかとか思ったり働くとか仕事する
ビジネスするっていうのもこれはバランスではありますが別に創作ね フィクションっていうね小説家でもお金を稼ぐこともできるし
逆にその実用的な実装っていうのもちょっと変なんですけど ガソリンスタンドみたいにその必要不可欠なものとか
まあティッシュペーパートレートペーパーみたいな必要不可欠なメーカーというか作って売るってことも できるし
それをやりたいかどうかとかやれるかどうかとか置いといてその別に必要日用必需品から そうじゃないエンタメ的なものまで様々なものがあるわけですよね
それをやっぱり選んで自分が興味 選べることができるし無限にあるから自分がやっぱり興味があることっていうところで
フィルターで 絞り込んでいってそしてかつ
それは継続できますよねであとは学び楽しいなぁとか面白いな気づきがあるもっとやって きたい何か気づきがあるなってことをやっていった方がいいし
ってことになっていくんじゃないかなと思いますこれがまあ僕なりの働く 遊ぶ学ぶ感覚ですね
学びと興味の関係
だからあの まああの何度もねそのエリアもさんってことも言ってるんですが興味があることやりましょう
面白いと思ったことやりましょうでまぁ僕の解釈ですがそれって結局何かっていうと あのすべてにおいて
それが一つの絶対的な選択肢っていうとちょっと固いんですが何をするにしてもそれ 面白いんですかともしくはそれは何でやってるんですかっていうような感覚になります
だから8まあ間違ってはないんだけどそれを押し付けるって感じになると面白くない ことをやってる人は何かてギターみたいになったりするわけです
そんなことは全然思ってなくてまず少なくとも自分は面白いと思ったことをやろうと 興味があったことをやろう
で興味がでそれはあのシンプルに何だろうな もっと感覚的な話で本能的な話だってことですけど
これなんで面白くないからやめよ っていう風になるわけですもしくはこれ面白いからもっとやろってくれるんです
だからどちらもあるわけですね面白いからもっとやるんだけど面白くないものはやらない その判断になっていくかなと思います
もちろん自分が全く興味ないことっていうことに対して興味がないからやらないっていうのは もちろんあるんだけど興味がなくてももしかしたら面白いかもしれないなっていう風にやる
いわゆる余地とか余白 そのなんですか余裕みたいなものがないとやっぱりできないんですよね
0か1かその対象物に対して興味があるかないかだけで分けてやっているわけじゃない ってことですねもっと緩やかなグラデーションで感覚的なものがあって
気分が乗らないからやらないでもいいしなんか普段だったらやらないけどまぁたまに あってもいいかなみたいなところであるまあそれがですねある種詐欺に騙される時もあるかも
しれないけどある種面白いことになるかもしれないですし いやこれはもうわかんないから醍醐味かなそういう面白さ
かなと思ったりしますはい
今日はこれぐらいですかねあの要はですね面白いことを興味があることをやるって ことはまあ尊いっていうと言い過ぎですが
それやってることとかやること自体でかなり 説明できないことなんですよね
だからこそを大事にしていただきたいそれがですね リツアーのあなたも僕もそうですし僕はまあアイディアとかが好きだしそのなんか可能性
というかワクワクしたりどうなるんだろうって思う だけなんで別たまたま揃うだけですってがむしろ相手ってすごい曖昧だから
いろんなものがあるからその中でまぁなんだろう結果的にまあ僕はアイディアみたいな ものしか面白がれなかったっていうふうに言ってもいいと思います
言ってもいいっていうのは別にその昨日今日でアイディアだって言ってるわけじゃなくて ずっとそんなことを言ってきてやっててまぁ結局そのビジネスのアイディアだとかね
企画のアイディアとかなんか実現するアイディアだっていうところで行くと結局何かを 思ったら形にするということに関して面白いって思うだけであって
究極的なことを言えばその別にビジネスとか経営とかじゃなくてもいいんですよ 全然
クリエイティブなことをずっとやってそれで合いよねっていう風で のもいいかもしれないですでもなんか僕の中ではいろんなジャンル横断してやってた方が僕は
そういうのに興味があるというわけですね なんか固定してこのジャンルでやりたいという人もいらっしゃるじゃないですか
それは否定してなくて ただ先回の話から言えば具体的に決めてやらないとフワフワしちゃうんでアイディアとか
企画ってことでまぁめちゃくちゃ言われましたよ あの20代の時に企画とか何やるんですかって言われたんですけど
基本的に企画ってその企画と思えば企画なんですよとかね 言ってましたし今も変わらないですけどね
でこの感覚が その人に説明する時にその人に伝わらなかったらもちろんそれはね
仕事にならないしお金にもなりづらいし分からないと思うんですが自分の中での 感覚っていうのは全然その当時から変わってないし僕は間違ってないと
僕の中でですよ誰かにとって解とか誰かにとって正解とかではなくて僕にとって その考え方が変わってなくて
アイディアと表現の重要性
結局企画って言うけどアイディアって言うけどなんか生み出すというけどその元 っていうのは結局アイディアの部分で変わらないわけで僕の中ではですよ
あくまで僕の中ではアイディアの原液みたいなのがあってもしくはアイディアがあって それを表現する何かで箱とかアウトプットが違うだけでその手前のところの
アイディアを形にする部分の抽象的なところがあんまり変わらなかったです つまりプログラミングだったらプログラムするアイディアがあってどういうものを作りたいかって決まる
じゃないですか便利なアプリでも面白いゲームでもいい スマホでもいいウェブサービスもいいじゃないですか
それが形にしていってなればあまりこだわりはないんですよ だからプログラミングってその行為を手段として見たらその通りで面白いんだけど
別にそれをずっとやり続ける人生はないなと思ったんです だからそういう人は多分
ソフトエンジニアというかプログラマーとかにやり続けないと思います 実際に僕もやってやめてますし
でもプログラミングが全然好きですよ 文章とか話すとかもそうじゃないですか今話す話題とかネタがあるから話しててこれが
全くないもしくは話してて出てくる何かがない インプットがない特化がなかったら話せないです
伝えたいことというよりも自分の話したいこととか考え方とかアイディアとか 何かインプットがないと話せないですね
文章もそうだし全部そう だからアイディア必ずあってそれを加工してるだけだ
もしくは調整してその人とか媒体とかメディアとか メディアがいいから場にあったものに対して提供してるだけだ
その感覚が消えなかった もしくは今もあるっていうことなんですね
これがまさに働く遊ぶ学びっていう風に切り取っても結局変わらないですよね
それを働くとかお金になるとか誰かが人が望むものがあれば アイディアとして提供するとか一緒に考えるとかってことでお金を取れる部分がある
でもそうじゃなかったら学びでこういうのを自分でやりましたやってみましたって
なんか謎のプロジェクトやってませんか そのなんかひらめきプロジェクトだとかいろいろ言ってると思うんですけど
興味の重要性
四国フリークの人ならご存知かもしれませんが そういう謎のプロジェクトをどんどん生み出して自分の中でやっていくってことは
遊びとか学びの感覚に近いですよね 遊んでるに近い
それがですね全く人に受けなくて全くわからんなっていうのも アーティストっぽくていいけど
それはそれでちょっとどうなのかなと思うので アーティストの自分とクリエイターの自分とビジネスマンの自分みたいな人格がいろいろあって
それがですね別にどれか統合することもなく 統合はしてるんですが
バランスを取ってねやって自分のいい感じのものを 作っていくという感じで生きてます
なので興味があることってどんどんやってほしいし 興味があること面白いと思うことをやることが全てにとれてバフなんですね
バフってのは強化です つまり学びの度合いとか定着とかすごいやる気も増えるし
その態度が他の人に波及していいなこの人の考え方いいなとか 面白いなって思ってもらえるし他の人にも影響を与えてるわけです
自分も楽しいからストレスも得るし しかもそれが仕事とかお金になればもっとやりたくなりますね
だから全てにおいて強化されるわけですよね だからこの配信とかラジオポッドキャストを聞いた方で
一番いいのは 一番いいっていうのはちょっと良くないです
嬉しいのはポッドキャスト自分で始めたりとか もしくは自分でまあポッドキャストは無理だけどなんかやり
創作活動表現活動を始めるとか何かチャレンジをね 自分の中で自分のレベルでいいのでまずはそこからでいいんだよってことでやっていただくのが一番いいかなと思います
挑戦と探索
さっきもくどいですが興味があるとか面白いというのは人によって全然違うんで それをまず自分の中で
フィルターですよね他人がどう見られるとか評価がどうとか成功とか お金がもらえるもらえないとかなんかそこらへんも一旦置いといて
それは後付けでいいんです後付けで良くてまず自分の興味をどんと これかなーあれかなーっていうのを探りながらやってみてやってみることが大事ですね
やってみて話はそこからです やってみてつまらなかったら飽きたり
全然違ってたらやめてこのことやればいいわけです それを探索を続ける os っていうかものはやっぱ回し続ける人があるんで
回し続けるって言うとあのすごく頑張っている感じがするんだけど面白い興味ある というのはずっとあるのでそこは安心してください
興味がない関心がなくなったら人間としてどうだろうかというくらい思うで僕はね それがなくなること多分ないんじゃないかなと思います
それはなんかちょっと病気で何か精神的にちょっと疲れているとか 休息が必要とかなんかやりすぎたっていう人でそれはなんかちょっともういいわーとか
話したくないわーって僕はありますが書きたくないわってありますがそれやった後 なんでそれ面白いですけど書くじゃないですか
回復してまた書きたくなりますし話じゃないですかもう話すにいいわって思うじゃないですか でまた話したくなるしアイディアだしないですかもうアイディア
いいやって思うじゃないですかでもまたアイディア出したくなるし考えたくなるんです 僕はそうですっていうものがリサのあなたにもあるわけなんでぜひ別にポッドキャストやる
やるってことじゃないですけど書いてもイラストでも写真でも何でもいいです 自分のご興味あることをですねぜひやってみて発信てはねその次の段階かもしれない
ですけど まずやってみて慣れてったら発信してもいいし発信してみてやるってもいいしそこは自分の
ですね性質というかね興味関心に合わせてレベルに合わせてやっていただくといいん じゃないかなという話となります
はいなんかしつこいですけどどんどんこの興味がある ことをねやってください結局それ仕事をクリエイトにも関わっていますその仕事作り
自己実現と行動
て結局自分がやりたい自分がやりたい自己実現やりましょうっていうような イメージもあるんですけどなんかそれはやっぱり一部でしかないですね
もっと手前というか であなた何やりたい何があっているのが面白いですかっていうことに
気持ちに素直になるっていうの 強いですかねそれを格好をつけてまませ見栄を張る目ず見栄張るなってことじゃない
んですけど あのなんかいい感じでやってますよっていうふうに
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まああの20代の頃とかよく言ってたんですがまあもう言ってますが見聞き 目聞きですね
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判断する失敗しても全然失敗してもいいんだけど判断して自分でなぜはどうしていくか ってことを
まあ鍛えるしかないですね鍛えるっていうのは別ストイックでも何でもなくて 興味があることをやっていって何かやっていったら
自ずと鍛えられていくっていう気がしますなんかそこはもっとふわっと楽に考えて いただいてまぁやるべきことはシンプルで興味があることをやりましょうと
今日1日ですね なんか
面白かったとか楽しかったことっていうのがあれば結構それだけで幸せですし 豊かだと思いますしそれが逆にないなって思うならそういうのと1個ず1個で見るので
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はいで全然その大きなビジネスでやってくださいとか あとちなんて小さくてもいいから起業してくださいっていうことを実はあんたがですね
どういう考え方によるかによるんで別に僕はそれを進めってことはないんですけど 自分で少しでもコントロールできるような小さな事業というかやっている枠があれば
なんかそれだけでもですね なんて言うんだろうな余裕というか予告みたいな生まれて
あの主体的になるような感覚はありますね だからまあおすすめっちゃおすすめですけどまぁそれもねあの世の中的な副業がどうとか
数えるとかどうとかっていうなっていくと話がおかしくなるんでまぁあんまりそういうのは 言わなくて
興味関心から少しもね面白く続けていくということがポイントかもしれないです というわけでですね
今回ですねえっとまあ20代の人がね聞いてくれてたらいいなというふうに思って願い ながらしゃべってますが
まあなんか40代のおじさんみたいな人のなんか 考え方聞きたくねーやって思っている方がいらっしゃるかもしれませんがまあそん
そんなことは多分もうここまで聞いてないんでここに入っていただいた方 ありがとうございましたぜひですね
興味 関心があることを大きく興味や関心があることを大事にしてくださいまあそれが
それこそなんか誰かに否定されたり何か違うなとかそんなできないよって思われても どうなんでしょうね
まあ別に今やれかなくても10年後にできるかもしれないし20年後にあるかもしれないし まあ諦めないっていうのは周りと精神論ですし自己啓発的でもあるんですが諦めない
大事だと思います諦めないから できるわけじゃないし諦めないから必ずそれが叶うとは僕も思わないし言わないですけど
諦めるってことはですねやっぱり誰がどう考えても自分が諦めるかどうかだけなんで あのそこは
粘って言っていいんじゃないかなと思いますで粘って言って それがどうなるかっていうところはもう自分の中で見届ければいい
できるしそれを誰かにね言ってどうこう言わなくてもいいとは思います ただ僕の役割としてはそういうチャレンジとかを行っていくことでああこうやって
やってる人もいるんだなってこれ何度も言ってますね 四国ラジオの目的としてこういう人がいてもいいんだよねみたいな
なんかよくわかんないけどアイデア出してる人いるぐらいの感じでいいんですけど そうやってなんかやっててこういう人いるんだなっていうのが僕が知りたいだけです
僕は知りたいんで行ってくとそういう人に出会えるかなっていうぐらいでやってます 情報の垂れ込み等はお持ちしてますのでこの人面白そうな人がいればぜひ
情報をください 気が向いたらではいというわけで今回はですね
ビジネスインサイダージャパンですかね での連載で入山さんという方が喋っている
ポッドキャストを聞いてそれを解釈したのかな 分かりませんがお話を少ししてみましたお話というかそれをネタに話していました
本編ですね何分とか25分と20分からぐらいありますが 全然僕のこのね話よりもまとまってて楽しいと思いますので気になった方はぜひ
ビジネスインサイダージャパン、ビジネスインサイダージャパンからお金もらってないですよ ごめんなさいあの有料会員でもないんですがごめんなさいファンとしてですね
20代の人ぜひ聞いていただいてというところです あごめんなさい20代の人向けに一つだけ言っておくと僕の時の20代の話を
してもあまり意味ないんですけど 結局ですね僕は
一言で言えば 学びたかったっていうのがあったんでしょうね
いろんな刺激を得て何かやりたかったで起業をすると起業と言ってもね 友人と会社作ったぐらいで特にできなかったんですけど
なんか見えるんじゃないかなと思って起業して会社作ったっていうのは今でも全然後悔してないです それは失敗したっていうことになるんですけどでも全然やって良かったです
今会社作る気全然ないですしフリーランスにはなってますが 会社ってなんだろうねぐらいの感じです
仕事を継続的に得られる仕組みとかその仕組み作ってなんかやるっていうのは面白いと 思いますが
それはまず事業のアイディアであってそれを試して何か事業的な何かが回り始めてからで 全然十分ですっていうのもやってないとわかんなくないですか
っていうのもありますからとりあえず何な何でもね経験だというのはバカバカしいし そんなことないでしょって思うかもしれませんが
経験とか体験とかめちゃくちゃ大事で それが全部糧になると思います糧っていうのは自分の
食料食料糧そうですね 知見ですね
自分に人生に役立つというよりも 元土台となりますからそれだけはねさすがに
40代のね お子さんかもしれませんがそこのあたりはしっかり行っていきたいと
興味を追求する重要性
うるさいおじさん面白おじさん キャラクターでいきたいなと思います
まあまあまあ別におじさんと思ってないですが20系感覚的に20代のままみたいなね 冷凍保存していますんで
それぐらいにしてしたいと思います 概要欄にリンク等貼っておきますのでよかったらそちらの紹介元の方も
参照先も聞いてみてくださいというわけで 四国ラジオ大橋でしたここまでお聞きいただきましてありがとうございました以上失礼いたします