アタッチメントの探求
Reverse Diverse。アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
今回のポッドキャストは、今年はアタッチメントを探求するということで、
愛着という人間関係のパターンみたいな、人の持っている、
人間関係において見られる行動パターンですかね。
はい、それについて話し合ってまして、
で、少し前回のポッドキャストを受けてというか、
ちょっとイーノさんが、ここはもうちょっと説明が、というか考え方がアップデートしたっていうか、ですか?
ちょっとその辺をちょっと。
そうですね。ちょっと前回の内容を振り返った方がいいかなって思うので、
再度同じ説明になっちゃうんだけれども、
前回は1991年の論文で、バーソロミューとホロビッズっていう人たちが、
成人のアタッチメントに着目して、そこで見られる行動パターンっていうのを、
4つのタイプに分類したよっていう話をまずしました。
で、その4つが何かっていうと、
安定型、拒絶回避型、恐れ回避型、とらわれ型の4つ。
この4つっていうのは、私はどこに当てはまるのかじゃなくて、
あくまでも他者との関係で、人がどういう行動パターンを取るのか、みたいなね。
囚われ型の行動パターン
そういうことだから、特定の人との間では安定型の行動パターンを取ってるんだけれども、
なぜかこの人との間では拒絶回避型のパターンを取っちゃうな、みたいなね。
そういうことも起きうるよと。
ただその後の研究の中で、やっぱりタイプに分けちゃうと、
カテゴリーとして区分するっていうこと自体がややミスリードというか、問題含みなんじゃないかということで、
いろんな修正が加えられて、前回のポッドキャストで紹介したのは1998年の論文で出された、
ブレナント・シェーバーさんの研究なんだけれども、
このさっきの4つの行動パターンはそのままなんだけど、
その行動パターンに影響を与えている因子って何なんだろうかっていうことを特定したところ、
一つには親密性の回避っていうのがあると。
もう一つにはミステラレフアンっていうのがあると。
この2つの尺度、親密性の回避とミステラレフアンっていう2つの尺度を用いた座標平面を描いて、
その平面上のどのあたりに自分の行動パターン、この人との行動パターン、
位置するのかなみたいなものとして把握する、分布として把握するみたいな、
そういう考え方が提唱されて、どうやら今もそれが非常に大きな影響を持っているみたいですね。
連続線上にあるっていう。
そう、連続線上にある。
その分布を見て、前回平橋さんは確実に自分は拒絶回避型だよな行動パターンを取りがちだみたいな話をしてたと思うんだけれども、
私どこだろうかっていうふうに述べてて、私ミステラレフアンは強くないんだよなというふうに言ったと思うんだけれども、
その後で収録した後ちょっと経ってから、ちょっと違うかもしれないなっていうふうに。
私もやっぱり不安高い方だから、もともと。
だからミステラレフアンっていうもののイメージがちょっと自分の中で狭くて、
自分は高くないっていうふうに言っちゃったけど、実はそこそこ高い方なのかもしれないなみたいに思ったんですよね。
人との関係においてそういう不安っていうものを持ちやすい傾向っていうのがあるのかなっていうふうに思った。
それがどういう意味なのかっていうのをちょっとお話ししたいんだけれども、
この囚われ型の行動パターンっていうのは一つの特徴として、他者からの承認を得ることで安心するっていうパターンなわけです。
結構よく見ますよね、SNSとかで、例えば自分の不安とか自分の悩みとか、こんなにしんどいんだ、こんなに苦しいんだ、こんなに大変なんだっていうふうに強調して表現する傾向がある。
人っていると思うんだけど、そういう人たちは何を求めているのかと、それに対して他者が反応してくれて、何らかの反応してくれて、そこで安心するっていうことを学習してるわけだよね。
そういう意味で、他者依存の自己調整みたいなのをしてる。
だから、この囚われ型の行動パターンが非常に強い場合、相手の顔色とか反応の変化にすごく敏感になって、相手が自分が思うような反応がないとすごく不安になっちゃったりする。
それで、攻撃することもあれば、ものすごい落ち込むこともある。どっちも攻撃なんだけど。
あともう一つは、すごく相手にしがみついちゃう。見捨てられたくないからしがみついちゃう、みたいなものも一つ特徴としてあるんだろうなっていうふうに思うんですよね。
だから、それを見ると、私の行動パターンは囚われ型ではないなというふうに思う。
ただ、じゃあ私も他者からの承認を得たいと思ってないのかっていうと、結構大きな承認を得ようとしてたんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。振り返って。
以前、私は完璧主義みたいなものに囚われてたところがあるよって話をしたんですけれども、他者からの承認といったときに、例えば、具体的な他者からの愛情とか、優しさとか優しい声かけとかね。
存在の肯定、何々さんはすごくよく頑張ってるよ、みたいな存在の肯定とか、そういうものもあると思うけど、私がその他者、世界から求めてたのは、いいのさんは倫理的に正しい人であるっていう承認だったと思うんですよね。
完璧主義っていうのもあそこまでいくと、あれなんだけど。でも、正しい自分でいる限り、私は世界、他者に受け入れられるけれども、そこでちゃんとした位置を確保できるけれども、間違った瞬間に追放されちゃうんじゃないか、みたいな恐れがあったと思うし、実はそういう経験をしてるわけですよね。
なので、やっぱりそういう意味で私も他者からの承認っていうのは、いいのさんは正しいよ、みたいな形で、承認を得たいという気持ちっていうのはすごく強かった。
ただ、得られないのも怖いわけよ。得られるかどうかわかんないけど、得られるのが怖いので、他者との親密性を回避するっていう行動パターンは結構あったかなって思う。
だから私は、やっぱり恐れ型、回避型、恐れ回避型の行動パターンっていうのを結構長いこと、いろんな人との関係の中で持ってたんじゃないかな、取ってたんじゃないかなっていうふうには思ったんですよね。
見捨てられ不安の理解
前回も多分、安定型ではないはずなんだけど、そんなにすごい恐れ回避とか捕らわれ型でもなさそうみたいな感じで、座標の中では中心ぐらいのところなのかな、みたいに言ってましたけど、どっちかっていうと恐れ回避型の方に近い、いいのかな、位置としてはっていうふうに思った。
だからこのアングザエティ、見捨てられ不安という言葉自体がもう少し違う言葉も必要かもしれないけれども、アングザエティって考えると、そちらは高いからけど、その親密さの回避はなくはないみたいな。
そうすると、上の方。
そうですね。
で、多方その平林さんは、見捨てられ不安というか、アングザエティは低い。
アングザエティは低い。
で、親密さの回避が高いっていうような位置に、自分の行動パターンはあるのかなっていう話をしてたってことですよね、前回ね。
そうですそうです。
なんかこれ、やっぱり言葉の定義にちょっと混乱させられるところがあって、その、なんていうのかな、やっぱりよく整理してこれを理解しないと混乱してるところがあるんですけど、
その見捨てられ不安っていうのが、他者が、他者を自分は、自分というか、他者というものはコントロールできるものなんだ。得られるべきなんだ。
っていう風に考えると、見捨てられ不安っていうのが起こるわけですよね。
ちょっと直感と違うんだと思うんですよ。見捨てられ不安の人は、実はその万能感が高いんだって言われると、え、じゃあなんで不安なのって思うかもしれないけど、
ここで言う万能感っていうのは、他者っていうのはコントロール可能である、自分のニーズを満たしてくれる存在であるはずだ、あるべきだっていう風な感覚のことなんだよね。
だからすごく依存的な万能感、他者依存的な万能感みたいな言い方もできると思うんだけど。
なんかね、もともと、他者はコントロールできないものなんだっていう風に考えているっていう、だから不確実性が高いとも言えるじゃないですか。他者はコントロールできないものだ。
そうすると、だから怖いみたいに考えると、そこは親密さの回避を取る行動にいきそうで、だけどそれは同じ軸ではないわけですよね。この2つの分布だと。
あそこが何か重なっているように、一つの軸のように自分が考えているのかもしれないと。
もうちょっとそれは具体化してもらった方がいいかな。
この間の万能感の対義語が、自立であるっていう風に対応させてた方が自分の感覚にフィットしているというか、人は自分の思い通りになるかならないかっていう風な軸で考えたときに、
思い通りになるものだと考えてしまうと、だから万能感を持っている。思い通りにならない、不確実性の高いものだ。だから自分でできる、自分がコントロールできるもの、つまり自分ですよね。
自分を自分でコントロールしていくっていう自立性っていうものに行くみたいに、そうするとそれは回避的な行動にもなる。不確実性が高い他者に頼るということはリスクだからね。
そうそう。っていう風な整理の方がしっくりくるんですけど、これは2つに分かれてるから、それが。
まあでもそれは何かこう、1本の軸の中で左に寄ったり、右に寄ったり、真ん中だったりみたいなこととして考えるのかな、ちょっとその辺が。
まあそうだね、この2つの因子っていうのも、これまでのアタッチメントに関連する様々な研究をね、ある種メタ分析して出したものだ。因子分析ですよね。
して出したものだと思うから、だから結構その文脈がさ、やっぱり西洋の文脈にも依存しているっていうところもあるし、心理学用語に依存してるっていうところも多分にあるから、直感的に理解しやすい人と、そうではない人っていうのはいるのかなと。
このポッドキャストではさ、やっぱりいろんな観点を入れながら、私たち自身のその経験みたいなものも生かしながら、そのアタッチメントについて探究していこうということだからね。いろんなその用語が多分最初は出てきて、聞いてる人も混乱するかもしれないよね。
それを少しずつ解きほぐして、我々なりの用語だったり概念だったり、地図っていうのを作っていけると、それがいいんだろうなというふうには思ってる。
ただ今は、いろんな人がどんなことを言ってきたのかなみたいなのをリサーチしながら、理解しながら、こういうことかないことかなっていうふうに言ってる段階ですよね。
でもやっぱりこう振り返って自分のことを考えてみると、その親密さの回避っていう傾向を示している背景ってどういうところにあるんだろうかって考えると、やっぱり他者が不確実なものだからっていう感じではないんですよね。
やっぱり不確実だから、例えば、だとしたらもうちょっとフラットに、自分が期待していたものと違うものが返ってきても怖くないはずなんだけど、つまり不確実なものだっていうふうに思ってたとしたら。
だけどそうではないので。
万能感が弱ければ怖くないってことですよね。そういうこともあるよねって受け止められる。逆に万能感強いと思ったのと違うっていうふうに衝撃を受けて、それがうまくコントロールできなくて怒りに走っちゃったり、鬱になっちゃったりみたいな。
そういう意味では、万能感高くなくても不確実性があるってわかってても恐れを感じるから。それが想定と違ったときに。そういう意味で、やっぱりもう一個軸があるのかっていう。
なるほどね。それは確かに、もうちょっと具体的な話を平林さんから聞きながら掘り下げに値する論点かもしれないなと思った。なぜ回避傾向があるのかっていうところですよね。
これなんか日常の何かわかりやすいというか、自分にとってもこういうことがあったんですよみたいなことが出てくるといいんですけどね。何せ回避だからそういうのが出てこないじゃないですか。
そうね。あまり何も起きないっていうね。観測しにくいですよね。だから自分の内面をある種掘り下げていかないとわかんない部分がある。
今自分は回避的だったなみたいな、こういうときに回避的だなみたいなことを意識して観察しておかないと。ちょっと消えてなくなるからわからないですもんね。
自己理解の深化
多分私が精神分析の心理療法の中でやってたのは、その時は全く全然理解も意識もしてなかったんだけれども、そういう自分の中の根源的なパターンっていうのかな。
自分では意識もしていないパターンっていうのを自分で気づいていく。で、それを解体していく。なんかそういうプロセスだったんだろうなっていうふうには思う。
自分で気づかなきゃいけないから、カウンセラーは私にとってはすごくさ、不愉快な、不愉快とも感じられる問いを投げかけるわけだよね。
例えばこういうことがあって、自分は尊重されてないっていうふうに感じたとかね、自分は全く評価されてないっていうふうに感じたっていうふうに、節々とさ、語るとさ、右側にいるカウンセラーが。
そうでしょうか。具体的に、なんか、どういうところにすごく感じたようでしょうか。みたいに、事実に戻していくっていうのかな。事実に目を向けさせるんだよね。
じゃあ、確かに具体的に何て言われたんだろうか、みたいに思うと、何にも覚えてなかったりするんだよね。恐れだから。自分の心がそのように反応してる。感情が。
で、もしその後、そういう経験をした後に、自分がその、事実に向き合った時に、「おっ!」って思うわけですか。実際の事実みたいなものが日常の中には埋まっていて、「あっ、これか!」みたいに思いますか。それともやっぱり、恐れだから、日常にはあまり存在していないものなのか。
事実にあった時に恐れを感じるかっていう質問ですか、今の。
いや、これが、その瞬間っていうのがあるわけですよね。日常を暮らしていたら、それがあるのかどうかっていう。起きていないことに関する不安なのか、やっぱり日常にも。
あるんじゃないんですか。
埋め込まれて。
埋め込まれて、それを敏感に察知して、自分は評価されてないっていうふうに感じたり、恐れたりしてるんだと思うんですね。でも事実に目を向けると、評価されてない部分もあるかもしれないけど、ここは評価されてるよね。もっとこう、部分的な。
解像度が高い。
自分はその部分を見て全体だっていうふうに誤認してたけれども、もうちょっとまだらなんだっていうことに気づいていける。
あと、やはり具体的にどういうところにそう感じたんですかって問われて、具体的なエピソードで言えるときもあるんですけど、こうこうこういう時にこう感じた、みたいなね。
でも、その時にはカウンセラーが。
でもその人は井野さんに10分っていう時間をとってくれたんですよね。
それは大切に思ってない相手にやるでしょうか?みたいな、そういう問いを投げかけてくれるんだよね。
もちろん私はさ、大切に思ったら1時間取るはずなのかな、そういうふうに思い込んでるわけだからさ、ちょっと反発もするんだけど、でも言われると確かに自分の相手に対する評価、自分を大切にしてないみたいな評価っていうのもちょっと極端だったかもしれないな。
そんなにすごい大切にはされてないかもしれないけれども、でもある程度は大切にしてくれてるのかな、みたいに修正していくことができたとは思うんですよね。
それまでの私っていうのは、完璧主義の私っていうのは、世界他者は私を全肯定してくれなければ安心できないっていうふうに多分思ってたんだよね。
だから肯定してないと全否定っていうふうにちょっと捉えちゃって。
少しでもそういうのが見えると。
世界が恐ろしい場所、他者が恐ろしい場所になっていて、回避するっていう行動パターンを取ってしまっていた。自分から拒絶するってことですよね。自分からもう断ち切っちゃう。怖いから。
なんだけど、心理療法を通して、その時に撒いてもらった種が心理療法をやめた後も、自分の日常生活の中でいろんな形で多分活かされて深められていくことを通して、
世界他者は私を全肯定するわけでもないけれども、全否定するわけでもないんだっていう、そういう理解に落ち着いていった。
だから万能感を手放すことが、そういう形で、そのプロセスで、万能感をもう少しずつ少しずつ手放していくっていうことができたんだと思うんですよ。
私はそれを信頼って呼んでるんだよね。
世界が信頼できる場所になったっていうのは、一般的に言われるように、世界は絶対に私を裏切らない、みたいな、そういう強い信頼じゃなくて、
世界は私を全肯定するわけではないかもしれないけど、全否定するわけでもないっていう、なんかその部分的な関係っていうのを常に持つことができるんだっていう、そういう理解に行ったかな。
なるほど。その全肯定というものがあり得ないというようなことにも行き着くっていう。
同時に全否定っていうのもあり得ないかもしれないねっていうね。
なるほど。
だから全否定っていうのはやっぱりすごく恐れたと思うんですよ。
ちょっとでも自分が間違っていたら、全否定されてしまうんじゃないか。
それはやっぱり自分が正しくさえあれば、世界は全肯定してくれるっていう意味合いで、非常に強い万能感であったと思うんですよね。
やっぱりその万能感を持っている限り、他者依存的な生き方をせざるを得ないので、どうしてもそうしてしまうので、
それは苦しみを生み出してしまう。だって他者っていうのは当てにならないものっていうかね、ままならないものだからね。
他者との関係性
なるほど。
あの井野さんの精神分析とのやりとり。すごくあの、もともと私その話好きなんですけど、今回このアタッチメントを探求するっていうテーマに関心を向ける中で、そこにまたフォーカスが当たってくるなっていう。
今回のお話もそうだったと思いますけど。
ボルビーがね、精神分析の領域から出てきてるっていうのもあると思いますけどね。
なのでまた改めてカウンセラーとのやりとりの話もこのポッドキャストで取り上げていけるといいのかなと思ったり、過去のポッドキャストでも比較的初期のシーズン1なんかでカウンセラーとぶつかり続けた7年間みたいなテーマでお話をしているので、
それももしまだ聞いたことがない方は聞いてみていただいて、これからまた掘り下げていきたいなと。
そうですね。なんかあんまり一般的じゃないかもしれない私の経験はね、やっぱりその心理療法を受けている間っていうのはあんまピンときてなかったんですよね。
何をしているのかもよく分かってなかったと思う。だけど確実にそのカウンセラーの問いっていうのは私の中に入ってきて、カウンセラーに問われるまでもなく自分が自分に対して問えるようになっていく。不思議ですね。
本当にそうでしょうか?具体的にどこが?みたいなね。そういうふうに自分の中で対話が成立するようになっていって、いろんな経験をくぐり抜けることを通して、本当にすごい長い時間かけて万能感を少しずつ手放していったっていう話だから、
あんまりなんかその今まさに苦しんでる人にとって役立つ話ではないけど、もし関心があったら聞いてもらえたらなって思う。
はい。では今日のポッドキャストはこの辺にしたいと思います。本日も聞いていただきありがとうございました。
ありがとうございました。