親密さの回避と承認欲求
Reverse Diverse。アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
今回のポッドキャストですね、引き続き成人のアタッチメントの行動パターンについて話していこうかなって思うんですけど、
今日は平林さんのこだわっている回避について焦点を当てていきます。
なんか親密さの回避ってなんだろうねっていうところ。
人とのさ、距離の近さ遠さみたいな、もうちょっとこう、物理的なイメージで捉えてもいいのかもしれないけどね。
人との距離っていうのをさ、近すぎてもいろんな問題起きちゃうし、遠すぎてもまた逆にいろんな問題起きちゃうでしょ。
そうですね。
なんかちょっとじゃあ軽い話から始めようと思うんですけど、なんか私、なんかこういう発言をすると随分なんか自信があるのかと思われるかもしれないんですけれども、
モテるっていうこと、人がモテてるのを見ると大変そうだなって思うので、あまり羨ましいって思ったことがないんですよね。
だからいろんな人に好かれるっていうことは、社会の中ではすごくいいことっていうふうに捉えられていて、モテる人っていうのはすごく羨ましがられるじゃないですか。
すごくモテるにはどうしたらいいかとか、そういう話題っていうものが世の中に出てくるけど、私そんなにそれをなんかそのようには思ったことないし、
自分がモテたとかそういうことじゃないんですけど、モテてる人を見ても羨ましくない、大変そうっていうふうに思っていて。
承認欲求が低いんですよ、たぶん。このミステラレーフアンっていう軸、尺度っていうのは承認欲求の高さ低さみたいなものと非常に強く関連してるんだろうなって思うんですけど。
そうですね。承認されるっていうことはやっぱりリスクもかなり含んでるよねっていうふうに感じるんですよ。
だからそれが私の回避がどちらかというとタイプ的には回避型、拒絶回避型っていうのと関係してるんだろうなと思って、
そこから紐解いていくと親密さの回避というものももうちょっとブレイクダウンできるのかなと。
だから承認されること、人から注目されるっていうことの、
じゃあ今度、人に裏切られるとか、人が自分が思ったのとはちょっと違うという、期待と違うっていうことを知ることへの恐れというか、
それも不安と一緒で実態がないと思うんですけど、
実際にそういう裏切られたとか予測と違ってすごくショックを受けたっていう経験が具体的にあるわけではなくて、
でもなぜかそっちの方をどちらかと言えば避けたい。
人間関係から得るものもあれば失うものもあると。
得るものを重く見積もる人もいれば、平橋さんのように失うものを重く見積もる人もいるじゃないか。
そして人から受ける影響っていうものをあまりポジティブに考えていない。
なるほどね。確かにそんな感じはする。
だからあまり影響を受けたくないんですよね。
だから結構人に影響を汚してくるような人からは離れていたいなっていう。
なるほど。そこはだから相手によるところもあるってことですよね。
すごく影響を与えてくるような人だとちょっと距離をもっと取ろうと思う。
だから子供の時というか義務教育それ以降、大学とか比較的人間関係が固定化されやすい中で逃げられないわけですよね。
なのであんまり影響を受けないように。
でも受けやすかったんだと思うんです。
受けやすいからこそ受けたくないっていう風に思うかもね。
ある程度受けてしまって影響を受けて嫌だなっていう感情が沸き上がってきて距離を取りたくなるっていう感じなんですよ。
だから具体的にすごく浸食されたっていう経験っていうよりはもっと手前なんだけど。
もうこれ以上影響を受けたくない。振り回されたくもないみたいな感覚。
やっぱり拒絶っていう言葉が。拒絶回避型っていう言葉がそういう意味ではしっくりくる話だよね。
人間関係の影響
そうですよね。だから人から受けるポジティブな影響もあるはずで、それとネガティブな影響とすごく均一じゃないんだなって。
ポジティブな影響だったら受けてもいいかなっていう感じなのか。
いや、だからそっちへの見積もりが低いわけですよね。そっちもあるはずだし。
あんま見てないのね。そっちは想定に入れてない。
わかんない。恵まれてたんですかね。あまりそれをすごく欲しなくてもそこそこ得られたんでしょうかね。
すごく阻害されたとかいうことではないかもしれないし、寂しいっていうのもあまり思ったことがない。
でも自分はあまり人に積極的に関わっていこうっていうタイプじゃないし、自分の内面を人に知ってほしいっていう気持ちがあまりなくて、どちらかと言えば知られたくない。
そうですよね。
だけど別にすごく内面に人に知られてはいけないようなことがあるわけでもないと思うんですけど、あるかもしれないけど。
だけどあまりSNSで自分のことをいろいろと言おうっていう気にはならないんですよね。
だからそれは承認欲求が低いからだと思うよ。
それよりもそれを言ったことによって、自分の内面を知られたことによって何かが影響を受けたら嫌だっていうような。
だからこれって、よくわからないけど私のもともと持っている。
まあでも行動パターンだから、そういうパターンを取りがちっていうことでしかないかなと思う。
なんて言うんでしょう、このダイメーション。
そうですね。
ただ大人になってきて、そして最近のことではあるんですけれども、
もともと人と一緒に何かべったりと相手を信頼して一緒に何かやるみたいなことってあんまりできないかもなみたいに。
どちらかと言えば苦手かなみたいに思っていたんですけど、
マナビプラネットっていう会社をやっていて、
他のいろんな団体と協力をするってなった時に、
というかしたほうがいいなって。
そんなに自分はそういうの得意じゃないよねと思ってたんですけど、苦手かなと。
だけど実際にフラットにやってみると、
団体と団体の協力っていう意味ではお互いにとってメリットがあるかとか、
共通の理念をそこに見出せるかとか、
それによってべったりなわけじゃないですよね、そもそもそういう協力関係っていうのが。
ということもよくわかって、フラットに協力できるところは協力したらいいよねって。
だから苦手も得意もないし、そんなにこう全面的にすべてを信頼して。
全人的な関係ってよく言うけどね。
そういうものとして考え、もともと団体についてそういうふうに考えてたわけじゃないんですけど、
個人と個人の関係については少しそういうものを想定して、
自分はそういう関係っていうものは人とはあまり持ちたくないし持てないのかもな、
みたいなふうに思って少し苦手かもな、みたいに思ってたんですけど、
もう少し現実に近づいて実際にやってみたところでの認識っていうのは、
できることは協力してやれるよね、みたいな。
だから人を信頼して完全に任せてやるっていうことは、
私のたぶんもともとの持っている考えとしては、
人間っていうのはある状況に置かれたら、すごく追い詰められたら、
たぶん何かその組織にとってもマイナスかもしれないことをやらざるを得ないことが起こるかもしれない。
だから人を信頼してっていうよりは、そういう状況に追い込んでしまったら、
人間はそういうことをするかもしれないから、
システムとして作らなきゃいけないんじゃないかということでシステムっていうのがあるのかなって。
なのであまりその人を信頼の上に乗っかっているシステムっていうのはあまり。
ここの人間のある種生前説みたいなものに乗っかっているシステムは。
大人の人間関係の変化
静寂かもしれない。
リスクがある。
みたいに考えてるかもなって。
なるほどね。
自分自身が。
だからそういうことにも今回のこの親密さの回避っていうこと。
たぶん大人になってあんまり人間関係っていうものは固定化されにくくなったし、
あと職場も週5日同じところで働かないっていうことから、
もうちょっと流動的じゃないですか。
だからあまりそういうことを考えなくても済む。
大人っていいねって思ってたんですけど。
でもまた人との協力っていうのはやっぱり必要というか、
一人ではできないこともあるよねっていうのは事実としてあると思うので、
そういうものとしてまた人と人や団体同士や関係性っていうものの作り方みたいなことに、
このアタッチメント理論の話を考えたり、
その尺度について知ったりしながら、
少し頭の中に浮かんできたのが今話したようなことかなと。
なるほどね。
前回のポッドキャストで承認要求の中身って人によって随分違うのかもみたいな話をしたと思うんですよ。
一般的には相手からのポジティブな反応で、
愛情とか優しさとかケアとか存在の肯定とか、
そういうものをイメージすることが多いんだけど、
私の過去を振り返ってみると私はやっぱり正しさみたいな、
正しいという承認をすごく求めてたというか、
それが得られないことを恐れてたっていう話をしたと思うんですよ。
モテっていうのも承認なんだと思うんですよね、何らかの意味でね。
その人のある種、人格をそれによって表す、
その人の魅力みたいなものを指し示す指標なんだと思うので。
だからやっぱり平昭さんは承認っていうものを求めてないところはあるのかもしれないですけど、
でも同時にやっぱり全く求めてないっていう人もいないわけだから、
自分はどういう承認は必要だと思っているのかみたいなのを考えてみるのもいいのかなと。
そうですね。SNSでの承認はやっぱり求めてないところはあるんですけど、
こうやってポトキャストとかで喋ったりとか、
自己表現とブログ
自分が考えていることを喋って知ってほしい。
その考え方は誰かが耳を傾けてくれる価値があるっていうことは思いたいかな。
そういう要求はあるかもしれませんね。
だから仕事を辞める何年か前にブログを始めて、
ブログに反応がたくさんもらえて、
自分の自信っていうものを少し取り戻したというか、
これでいいんだな、こういうことを続けていけばいいんだな、みたいな感覚っていうものを得ていった。
結構何人が見てくれたかなみたいなのは、ブログに関しては見たいんですよ。
あとどういうものをたくさんの人が見るのかな。
データとして捉えているところもあるんでしょうか。
観察しているっていうか。
どういう情報を求めているんだろうかとか、
こういうふうに出すとたくさんの人に届くのかとか、
そういうことには関心がありますね。
だからセミナーをやるときも、
こういう告知文にしたらどうかとか、
アイキャッチの画像はどうかとかですね。
タイミング、どのぐらい告知をどんな形ですれば届くのかとか。
そういう欲求はあるかなと。
でもそれは単に注目されたいっていうわけではなくて、
自分が大事だと思っていることに相手も必要だなと思って、
その人に届くっていう。
共有したいっていう部分なのかもね。
親密さの回避
そうそう。
そういう欲はありますね。
あと何あるかな。
昔からメイクとかそんなに関心がないんですよね。
でも基礎化粧品みたいなものは好きみたいな。
面白いというか科学的というか、
メカニズムじゃないですか。
だから結構ガジェットに似てるっていうか、
人の肌に働きかけて何か変化があって、
即時的なものはあまり関心がないんですよ。
だから顔色が良くなるのは、
上から塗ったら赤くなって顔色良く見えるみたいなことには関心がないんだけど、
基礎化粧品的なものでそこが変わるってなるとすごい関心がある。
不思議だなって自分でも思いますけどね。
今の話を聞いても、やっぱり他人が自分をどう見るかっていうことへの関心は低いんだなって。
そうですね。
メイクを楽しんでる人ってさ、もちろん自分自身が楽しむっていうのもあるけど、
メイクによって印象が変わったり、
それによって他者の反応が違ってびっくりさせて面白かったりとか、
もちろんもうちょっと綺麗だねって言われて嬉しいとか色々あると思うんだけど、
他者の反応みたいなものをそこに感じること多いけど、
そう、それはないです。
個人的探求で、探求したこれこのようにすごい良かったよっていうことは伝えたい。
みたいなね。
あと逆に今度は証人とか注目じゃなくて回避の方ね。
人と距離を取るみたいな時の距離も、
やっぱり色んなグラデーションがあったりとか、質的な違いみたいなのがあるなっていう風に思ってて、
平映さんはまだ自分が人と距離を取りがちだっていうことはパターンとして認識してるんだけど、
その距離がどういうものなのか、つまりなんていうのかな、
やっぱりそれって良い面も悪い面もあるのかな、
どっちなのかなみたいにアンビバレントな理解を、理解っていうか受け止めをしてるのかなっていう風にも思ったんだけど話聞いてて、
その辺どうなんですか、人との距離っていうのを取り過ぎてもいけないよなみたいな発言は以前もあったと思うんだけど。
うーん、なんかそうですね、やっぱり人との距離みたいにまとめる必要はないなっていう、
人も色んな対象がいるじゃないですか、
職場の人間関係、プライベートな友人、恋人みたいなもの、それ以外にも色々あるときに一緒くたに考える必要もないなって、
それがやっぱり組織同士だとか、
例えば自分は相談を受ける人で相談をする人みたいなときの関係性とかも色々あると思うので、
なんていうのかな、あまり特定のものについて、
というか大人になったから、やっぱり自分でコントロールしやすくなって、
だから年を取ってきたときに、
自分が友人関係みたいなものをちゃんとメンテナンスしてこなかったということで、
つまり自分から連絡したり、たまにご飯を食べに行ったりということをあまりしないことによって、
それはだから、例えば仕事上の関係というものが、
例えば退職したり、サラリーマンが退職して人間関係が、職場でのやつがなくなって、
孤独を感じる、だから日常的に趣味とか友人関係というものは持っておいた方がいいみたいな言説ってあると思うんですけど、
でもあんまりそういうふうにも思ってないというか、
ちょっとかすめるときはあるんだけど、どうだろうって。
あんまり自分がだからそういう。
自分一人でも大丈夫っていう感覚がそこそこあるってことですかね。
分からないよねって思ってる。
なるほどね。
友達がたくさんいたら大丈夫かって言うとそれも分からないしっていう、そういう意味?
というかもし自分が仕事を辞めて、どんな気持ちになるかは、その時じゃないと分からないよね。
だからその時のために、それこそ友達を道具的に考えるわけですよね、それって。
そうそう。
処理欲求が強い人っていうのは人を道具的に捉えてるんだと思うんですよね。
自分の欲求を満たしてくれる道具。
だからそのようには、今のうちにとかはあまり思わないし。
親はね、子供を道具的に捉えてるもんね。
将来のね。
年を取った時に面倒を見てくれるみたいなね。
だけどよく考えたら将来だから子供に面倒を見たいって思うかどうか分からないよね。
そうだよね。
子供も分からないよね。
なのであまりそういうことは考えないというところに落ち着いてますね、最近。
でもその今っていうのを見た時に別に人との密なつながりみたいなのがなくても全然大丈夫っていう感覚はあるんでしょうか。
分からない。
現段階の自分を見ても。
人との密な関わりはあるよね、と思う。
密っていうのが何かによりますけど。
そこが薄い可能性はあるってことか。
薄いけど。
いや別に、人によってはさ、もう本当にずっとぺったりとかさ、もう1日何件もLINEの交換をしてとか、
そういうのを密なやり取りっていう風に捉える人もいるわけじゃないですか。
そっかそっか、それはもともと望んでないからね。
そういうことだよね。
今のある種、人間関係って言ったらおかしいけど、
何て言えばいいんだろうね、人との距離感で、多分今のところはコンフィタブルっていうことなのか。
承認と葛藤
そうですね。
でもその、例えば一人でレストランで美味しいものを食べたと。
これ美味しいなって思うと、誰かにシェアしたいっていう気持ちは、
そっか。
でもそれはなんか、シェアしたいっていう気持ちなのかな。
ずっとそれは一貫してる感じがするね。
自分がいいなと思ったものをシェアしたいみたいな。
それで承認されたいっていうよりは、それもちょっとあんのかな。
だからそうですね。親密さっていうものが。
なんだっけ。
そんなにべったりした、しょっちゅうすべてを相談して。
前も言ったけど、自分の今の悩みがあったとしたら、
そっか。
そっか。
そうだよね。
それよりはね、自分の今の悩みがあったとしたら、
それを日頃から共有していないと、
改めて人に説明できない。
それほど言語力がないのか、めんどくさいって思っちゃう。
そこから、一から説明するのがすごく苦しんでるっていう状態だと余計にですね。
そうだよね。
それよりはね、自分の今の悩みがあったとしたら、
それよりは自分が感じていることをポッドキャストで言いなさんと話すっていうのは、
非常に好きだし、やりたいことではあるんですけど。
なんかやっぱり、さっきは共有したいっていう言葉が出たけど、
ポッドキャストってさ、こんなにいいものがあるので知ってくださいっていう内容にはなってないじゃないですか。
でもその考え、世界のある一面を切り取ったらこんな風に見えませんか?
あー、そうだねそうだね、確かに。
でもこういう見方もない?
確かにそういう見方もありますね。面白いですね。
この間そういえばこういうものも見つけたんですよ。
世界をまたこうやって切り取ったらこんな風に見えました。
みたいな話は好きなんでしょうね。
なるほどね。
ということで今日は回避をテーマにね。
私の回避、苦手だと感じていた回避と、
井野さんが回避の傾向もある時のちょっと違うものですよね。きっと。
そう、違うものだと思う。
ずいぶん違うと思った。今話を聞いて。
本当に?
でもやっぱり私の中では、結構自分って厄介な人間だなって思うんだけど、
すごくこの恐れ回避型っていうのも葛藤を抱えているわけじゃないですか、すごく。
その承認を必要としている。承認は欲しいと思っている。
でも承認されるのが、されないのが怖いから、自分から距離を取る。
あー、そういう回避。
そう、そういう回避なんだと思うんですよね。
そこで前回もちょっと言ったけど。
それはね、実はカウンセラーに指摘されて当時。
その時はピンときてなかったから、全力で否定したんだけど。
でも確かにそういうところ、そういうパターンだよね。
親密さの回避のメカニズム
そういうパターンがあるし、そういうパターンを持っている人は私以外にも見てきたし、
怖いから先に切っちゃうみたいな。
そういう意味ではね、私そうやって面と向かって切るってことはできない。
だからじわじわ離れるっていう。
なんだっけ、フェードアウトっていうね。
そうそう。面と向かって、多分言いたくない。
良い人に思われたいのかそれは分からないけど、言いたくなくて。
だから、例えば距離が近いな、ちょっと影響を与えてきて嫌だなと思っても、
嫌だって言えないんですよね。
だから離れていくっていう。
だからその回避の仕方も、仕方っていうかあり方なのかな。
方法ではないと思うから。
なぜ回避しちゃうのかみたいなところもずいぶん違うのかもしれないなと思う。
そうですね。
そういう意味ではこの暗具材の4証言っていうのは、質的な違いも同じ回避の方向にはあっても、だから4つに分かれてるのか。
そうそうそう。
そうすると前回話したように、やっぱり一直線上ではないんでしょうね。やっぱり二軸か。
二つの因子が非常に強く作用しているっていうことで、分析の仕方によってはもう一つの軸が出てくるかもしれないし、平面上に配置した方がわかりやすいっていうのはあるから。
インターセクショナル的な、その二つが重なった時にまた違うものが、違う要素っていうのはそこに複雑に。
それはそうなんじゃないですか。この座標平面の同じ点だったとしても、この平面上は同じ点だったとしても、やっぱりそこには質的な違いっていうのは確実にあるはずだし。
目的っていうのはさ、私ここの位置にあるって確認することではないはずだよね。もっと深く自分のこの行動パターンを形成している。
例えば私だったら恐れとか不安って一体何かなとかね。これまでの他者とか世界との関係っていうのはどういうものであって、自分はそこでどういう時には安心感をちょっと得たけど、どういう時にはすごくガラガラと自分のアイデンティティーが崩れちゃうような経験をしたのかな。
そういう感覚を持ったのかなとか。そういうのを振り下げていくことで、自分自身をより深く理解していく。自分自身を深く理解していくプロセスが、それこそ自分って本当にこんなにも不完全な人間なのかと気づいていくプロセスでもあったっていうか。
まあそういうもんなんだねって人って。完璧であらねばいけない。常に倫理的に正しくありたいと願っていたけれども、それは不可能なことで。不可能なことを追い求めてたんだなって。
それよりは今の自分を自分で受け入れてやっていくのがいいよねって。できるところで人と関わりながらっていうのが私の現在地かなと思う。
だから人との距離っていうのも、前回もちょっと言ったけど、ずいぶん取るようになったかなとは思う。もともとね、やっぱり回避型ではあるんだと思う。私も自己開示とかあんまりしない。
なんで友達なのに何も言ってくれないんだみたいに怒られたりとか。友達だったらもっといろんなことを話してくれるはずだみたいな、そういう経験もしてきてどうなんだろうみたいに思ってきたところがあるんだよね。
でも今はやっぱりどっちかっていうとね、やっぱりその相手も、他者の他者性っていう言葉を使ったけど、相手の自立性を奪いたくないなって。そこは私のさ、やっぱり倫理観みたいなものが強く影響していて。
なんで人と距離を取るのか、あるいは人に過度に期待をかけて、自分の思う通りに動いてほしいっていうふうに思わないようにするのかっていうと、やっぱり相手の自立性をそれは奪うことになるから。私はやっぱり奪いたくないなっていう。そういう倫理的な要請からだよね。
これまでやっぱり相手の問題を自分の問題にしちゃってたところがある。背負っちゃうっていうか、相手の問題まで解決してあげようとしちゃうみたいな、そういう倫理観というかおせっかいというかね、思ってたんだけど、それは相手の自立性を否定することだなっていうふうに捉え直しができて。
それで心地よく距離が取れるようになったっていうかね。心地よく観察できるようになった。今まではイライラしてたと思うんだよね。なんでしてくれないんだろうみたいな。コントロールしようとしてたってことだよね。
なるほど。なかなかやっぱりこのテーマ深いので、まだまだ掘り下げていけるのか。それともどうなのか。今日も聞いていただいてありがとうございました。以上になります。