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2026-03-06 29:03

なぜ飯野さんは嫌悪感を抱きながら、関係性を継続できるの?②

#アタッチメント #愛着障害 #となりのニューロダイバーシティ
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サマリー

本エピソードでは、飯野さんが他者との関係性において嫌悪感を抱きながらも関係を継続できる理由を探求します。飯野さんは、自身の認知の偏りを自覚し、他者の視点を取り入れるために不快な相手とも関係を続けることがあると語ります。また、過去の精神分析カウンセリングの経験から、不快な状況に留まることで自己の成長や新たな視点の獲得につながったと振り返ります。この経験を通じて、他者への信頼を取り戻し、主体的に人間関係を築くことができるようになったと結論づけています。

飯野さんの回避型と関係継続の謎
Reverse Diverse. アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
はい、こんにちは、飯野です。
今日のテーマを、じゃあ飯野さんからお願いします。
前回に引き続いてですよね。
そうです。
平林さんから見ると、私は回避型だっていうふうに言うけど、なんかそんなに回避してないんじゃないの?
むしろ、なんか苦手だなとか不快だなみたいに感じているであろう人とも、関係性を持続しているように見えると。不思議だなって思ったっていうことですかね。
不思議というか、そこはなんかすごくいいところだなと思うんですけど、なんでそれができるんだろうかっていう、そういうことですね。
前回は、いろんな理由ありそうだなみたいな話をして、その中の一つとして、私は自分の認知っていうのが、自分のものの捉え方ですよね。
偏ってるっていうこと?ちょっと人とずいぶん外れてるっていうか、そういうことを自覚してるんですよね。
なので、他者の視点というのが必要だから、不愉快だなって思ったからといって、あるいはちょっと傷つくようなことを言われたからといって、直ちに関係性を切るっていうことはせず、相手は自分にとっても必要な人だからっていうことで、関係続けてるんじゃないかなみたいな話をしました。
それも一つの理由としてあるかなって思うんですよ。
多視点性の獲得と不快感との向き合い方
っていうのもやっぱり、それぞれものの捉え方っていうのは人違いますよね。
ある意味、自分一人の捉え方だけで物事捉えてると、どっか偏りが生じてるというもんだと思うんですよね。
じゃあその偏り、自分で気づけるのって言うと、なかなか自分一人では気づけない。
自分とは全く異なる認識に触れることで、自分はそこを誤解してたかなとか、そういうことをあんまり知らずにいたなとかっていう形で気づくわけじゃないですか。
だからそういう多視点性みたいなものを獲得していくために、いろんな人が必要だし、むしろその不愉快だとか、ちょっとこうなんだろうな、もやもやするなみたいな、
そういう視点と出会うことでしか、自分の偏りに気づけない気もするんですよ。
いつもいつも一気統合してたら、自分と相手は同じってことだから、あんま偏りに気づけない可能性もあるので。
そういう意味でちょっと不快感を感じる相手だと、相手かなみたいに思っても、直ちにはそこから離れるっていうことはせずに、そこに留まって、その関係性に留まって、一定程度のつながりを保つ中で、
自分一人では到達できない、新しい気づきみたいなものに接していくみたいな、そういう感じはしてますよね。
リサーチャーとしての感情抑制と他者への恐れ
今の話を聞きながら、そういえばこれと同じかと思ったことがあるんですけど、それは以前ボトキャストで話したかどうかはちょっと定かではないんだけれども、
伊野さんって、例えば結構極端な差別的な発言がYouTubeであったらしいみたいなことがあったときに、それをちゃんと全部見るっていうことをできるんですよね。
私も一緒にそれを聞いたことがあるんだけど、これちょっと見続けるのは無理だわってなったんですけど、伊野さんはそれができるんですよね。
リサーチャーだからね。
それと似てる。
なるほどね。だから根本的にリサーチャーなのかもしれないけど。
感情っていうものが湧き上がってきたとしても、嫌だなっていうような、それは抑制できるってことですか?
抑制っていうよりは、こういうふうに感じるなみたいな。
じゃあちょっと第三者的に自分の感情を見る。
特に今の話に出たのは、とあるYouTuberですよね。アンチフェミニストのYouTuberだったり、ついこの間までは高市さなえのさなえチャンネルを延々見てたわけだけど、批判するためにね。
だけど、そういう人たちって別に自分にとって重要な他者ではないじゃないですか。関係性を維持したい他者ではないから、全然全くそんな感情っていうのは持たない。
私にとって非常に自分に混乱をもたらす恐れっていうのは恐れだと思うんです。感情っていうのは恐れだと思うんですよ。
相手との関係が壊れてしまうかもしれないみたいな。あるいは相手に嫌われちゃうかもしれないとか、相手の評価を落とすかもしれないみたいなのは結構恐れとして感じるんですね。
直ちに恐れっていう感じが繋がっていく。だけど別に高市さなえに何と言われようが、むしろこっちからの断りだし、フェミニスト嫌いのYouTuberに嫌われようと別に知ったことじゃないから、ああいうものは私は全然気にせず見られるんだよね。
そこがなんか、なるほどっていう。私なんか多分湧き上がってくる感情は似てるんですよね。相手が誰であれ。それをちょっと受け止められないねっていうものだったりすると、やや距離を取るっていう。
だから、何なんでしょうね。そこがちょっとまだよくわからないけど、ただそこに違いがあるなっていうことはよくわかった。
でもちょっと似てる側面もあるっていうことなのかもしれないですよね。
ただ私は結構大事な友人とかとの関係性においては、あるいは活動仲間との関係性においては、そんなに冷静ではいられない。
向こうを怒らせちゃったかもとか、あるいは自分が向こうに相手に対して怒りを感じてるっていう時には、高市とかそのYouTuberに感じる感情とは全然違う。
別の感情が湧き上がってくるってことですよね。
だからそれを恐れっていうふうに呼んでるっていうね。不安かもしれないけど。
それが私はあんまりないんだと思うんですよ。
重要な関係性と動揺、そして関係修復への試み
そうでしょうね。きっとね。自立してるから。
そういう感情は湧き上がってこなくて、むしろちょっと嫌悪感みたいなものがあったとしたら、それはYouTubeの人であっても、生身の人間であっても同じように感じるかな。
例えば、すごい大切な関係があるとするじゃないですか。友人関係とかね。そういう関係の間で、認識の違いというか、大きなずれがあって、向こうがすごく怒ってくるとかさ。
ちょっと攻撃的だと思うようなことを言ってくるみたいな時って、恐れっていう感じはないんですか。
あるかもしれないですけど、恐れなのかは分からないけど、動揺?
うん、動揺。それを何と呼ぶかっていうのは、ちょっと人によっても違うかもしれないし。
そういうものを何とかしようみたいにも思うと思うんですけど。
何とか関係を誤解を解こうとか、関係を修復しようとかっていうふうには思う。
だけど、ある程度弁明したりとか説明したりしても受け入れてもらえなかった場合、それを維持できるかっていうと、
向こうが自分に対して、その関係についての不満じゃないけど、何か言ってるとしたら、それは維持されないことじゃないですか。
自分が望んでも維持されないこと。
可能性としてはそうだよね。
カウンセリング経験と強制的な継続
だからちょっとシチュエーションが違うんですけど、自分がちょっと嫌だなって思った時の話ですよね、一番初めに戻ると。
それは、そこで留まるという、留まらずに嫌や引くとか、ずっと留まるっていうことのモチベーションがないのかな、やっぱり。
井野さんみたいに自分とは違う視点をくれるっていうふうには、あんまり思わないのかもしれないですね。
他者への信頼が低いのかもしれないよね。
なんで私はそういうふうに考えるのかなっていうふうに思った時に、やっぱりこのポッドキャストでも何度も話している、精神分析のカウンセリングを受けた、セラピーを受けた経験っていうのは大きかったんじゃないかなというふうに思うんですよ。
だって7年とか8年続けたんですよね。
で、じゃあそのセラピーすごい安心できる場だったの?っていうと全く違って、私がさ、もう私こんなに大変な思いしてるんですとかね、相手がこういう嫌なことしてくるんですって言っても、うーん、そうでしょうかとかさ、
井野さんは相手がなぜ怒っているのかわからないようでしょうかとか、まるで私が悪いみたいな問いを投げかけてくる。
あるいは私はね、もうセラピー必要じゃないと思ってます。カウンセリング必要じゃないと思ってます。もう終わりが近づいてると思ってますとか言ったら、私はそう思いませんとか言われるわけですよね。
だからすごくこう不愉快だし、嫌な思いいっぱいする場だったんですよ。
でもなんで8年も通ったの?って言われると、これも以前ね、ポッドキャストで言ったんだけど、45分のセッション終わると、私がすごい喋ってるのに、はい、もう時間ですからって切られるのね、ブチってね。
2分ぐらい伸びることはあるんだけど、それ以上はないのね。で45分、時間が来ましたから。そうですか、この話結構大事なんだけどなと思いながら、また来週って言われるんですよ。また来週って。
それ言われちゃったらさ、来なきゃいけないじゃん、また来週。
これってお正月に話してたんでしたっけ?
いや、ずいぶん前のさ、ポッドキャストで話したんだよね。
で、私の中では、また来週って言われると、行かなきゃいけないっていうものになってた。
で、そのカウンセリングっていうのが、イーノさんにとってはすごく変化をもたらす、そういう経験だっただろうから、すごい、どんな場所なんだろうと思って、今年のお正月あたりでしたよね。検索してみたんですよね、教えてもらって。
そう、まだあるからね。
それで、あ、見つけたってなって、レビューを見たら、そのレビューが、ほぼほぼ星1つがすっごいずらずらずらって並んでて、こんだけ星1つの悪口書いてあるレビューも珍しいですねって。
みんな怒ってたよね。
そう、みんな話聞いてもらえなかったとか、行かなければよかったとかね。だから、やっぱりイーノさんが感じてた、別に心地の良い場所ではなくて、むしろ非難されてるように感じたとか、そういうのをみんな感じてたみたいな感じだよね。
だけどそこに居続けた、継続し続けたことによって、じわじわとそのカウンセリングの効果というか、カウンセリングによってイーノさんの中に変化が現れてきたっていう話じゃないですか。
そういうふうにまとめるときれいな話だけど、別に私は辞めるときまで、もう行かなくなるときまで、毎週嫌で嫌でしょうがなかったからね、行くの。実際には。でも、あまりにも真面目すぎて私が、バカみたいに真面目すぎて、さぶる選択肢がない状態だったんだよ。
あれは結構強制的な継続だったと思うの。今振り返ると。正直にね、振り返ると。で、そうやって、私さ、だってやっぱりこの人に搾取されてるって思ってたもん。だってさ、それなりに高いわけですよ。セラピー量って。で、私すごい給与低いのに、なんかそんなに出せないって言ったこともあるんですよね。そうですか、みたいな。
だけどさ、別に強制されてないじゃないですか。そうなんだけど、ね、聞いて。いいですよ。お願いだから。本当にだからそういうやりとりもあったの。先生は私搾取してますよ、みたいなね。で、私がどれだけこの少ない給与の中で、生活費を削ってここに来てると思うんですか?とかって言うとね。
私もイーノスワのために週に1回、1時間という時間を、まあ45分だけど、取ってるんですよ。これは約束なんですよ、とかって言われるね。でもあなたは儲かるけど、私は損するだけじゃん、みたいにやっぱ思ってたの。
そういうすごくやっぱりさ、搾取されてるとか嫌だとかね、いう感情を持っちゃうと、多くの人はやっぱりその場を去っちゃうと思うんですよ。そうなんですよ。
あるいはもう沈黙して心を閉ざしてしまう。だから去れない人もいるんだよね。で、去れない人っていうのはその場に来ても、沈黙して自分の気持ちを察しろっていう受動攻撃をしたりするじゃないですか。
立ち去ることができない。立ち去るっていうのも一つの選択肢なんだけれども、その選択を取るのが難しい人も、あるいはそういう関係もあるわけよ。
カウンセリングの話じゃないですよね。
カウンセリングだけじゃなくて。カウンセリングでもあるかもしれない。来てやったけど、みたいな。あるかもしれない。
不快な関係性からの学びと自己成長
でも私は、自分にとっては不快でもあるけれども、不愉快だし、傷つくこともあるけど、この関係性の中に留まって、この人と一応のやりとりを続けることによって、
何らか自分にも気づきがあるという体験っていうのを8年間、少しずつ積み重ねていったと思うんですよね。
だからこのまた来週っていうのは、これはカウンセラーが私の真面目さをもしかしたら利用しただけなのかもしれないんだけど、それはもう話してればわかると思うから、小さい時のことから話すわけだから、どのぐらい意図的だったかどうかわかんないけれども、
自分にとって居心地のいい関係性ではない関係性。安全とも言えない。安全とも言えないって言ったらおかしいんだけど、よしよしって言ってさ、かわいがってくれて、万能感の中に浸れるような関係性ではない関係性を継続するための、ある種のフレームとして機能したんだと思うんですよ。
結果的にね。
今話聞いてて思ったんですけど、お金を払っているっていうこと自体がそのフレームでもあるよねってやっぱり思って、お金払うってことは力関係としてはやや優位に立つわけですよね。
当時はね、やっぱりそういうふうな認識じゃなかったんだよね。
だからセラピーが必要だったんだと思うけど。
でもまあその機能としてはそうじゃないですか。で、それを自分が払ってるんだからっていうふうに思えることでやめられる人もいるはずなんですよ。
でもそうじゃない人もいるかもしれないんだけど、でもそれがもしお金をもらったりしない関係性だとより難しくなりますよね。
継続するにしても、やめるにしても。
やめるためにお金ってあるよなって私は思うんですよ。
自分がお金もらって相談乗ってるのもあるけど、これはお金をもらうから相手はやめられるよねって。お金を払うのを。
なるほどね。
今回の話は、いろいろ嫌な気持ちを喚起されたり、これは不当だと思っても、それがあったから続けられたのかもしれないけど、また来週って言われるから続けられたってことですよね。
でもやっぱり8年ぐらいかけて、不快だなとか傷つくなっていうやり取りの先に、ふと自分にはこれまで見えてなかったような視点とか世界っていうのがあるんだなっていうことは学んでいったわけですよ。
だから右側、頭の中の右側にスペースを作っていくっていうことができたんだと思うので、そこに入れていくみたいなね。
それはやっぱり不快だから、関係者団みたいにしてたら得られないものだったよねと思って。
結構この井野さんが経験したカウンセリング、精神分析ですよね。っていうのは一般的に受け取りやすいものではないと思います。
そうそう、だからみんなが怒って位置付けるのはとてもよくわかるけど、私は7、8年通って、その後、今だからもう10年弱ぐらい経過してると思うんだけれども、
今振り返ってみると、その時にある種留まり続けたという経験。留まり続けることで得られるものがあった。
頭の右側の場所にスペースができて、それで今まで私にとって世界というのは恐ろしい場所、危険な場所だったけれども、世界との信頼というのをもう一度取り戻して、
カウンセリングルームじゃなくて、現実の社会の中でいろんな人と関わることで学んでいくことができるようになったわけだよね。
今は先週も言ったように、今日冒頭で言ったように、自分には持ってない視点を持っている他者が必要だから関係性を切らないんだっていう、主体的な選択として関係性を維持するってことをやってると思うんだよね。
カウンセリングではなかば強制的に感じてたとしても、でも今はそうじゃないっていうね。
他の価値を価値として感じられるようになったってことですね。
OSの更新と人間関係の再構築
そうだと思います。でも実際やっぱり、人間関係がこじれたりとか、相手からちょっとよくわからない攻撃をされたりとか、不機嫌をぶつけられたりすると、やっぱり私も動揺はするんだよ。
でもあんま恐れなくなったかもしれないなとは思う。前はやっぱりもっと恐れてたと思うんだよね。だけどあんま恐れなくなって、一旦こう、距離を置くか、みたいな。一旦なんか、これは脇に置いておこう、みたいな。いうことはできるようになったかな。
だから、脇に置いているときは意外と耐えている部分もあるんだけれども、こちらも言いたいことがあるけれども、それを言っても今の相手には通じないだろうな、今の相手には受け入れられないだろうなっていうふうに思うことも多いので、そこはもう自分の中で、ちょっとぐっと我慢して耐えるみたいな。
いうことはあるんだけど、やっぱり関係性を続けていくと、本当にいろんなことがあって、相手との非常に苦しい時期で、いろいろ自分でも考えて、少しずつ相手からも情報が得られる。
対話を続けるっていうのはそういうことだと思うから、相手も実はこういう時期を思ってたんだとかね、そういうことを聞くことで、やっぱり自分自身、成長してるなっていう実感もあるんだよね。
自分自身を更新してるなっていう、アップデートしてるなみたいな。そうやって、結構今はそういうふうに、他者とのやりとりというか経験から学んで、自分自身を更新して、自分を変えていくみたいなことをすごく楽しんでるし、なんかそれが喜びだし、幸せなことだなっていうふうに思えてるんだなっていうのを。
前回、ポッドキャストで話してみて、でも何なんだろうなーってずっと考えていて、この間にもいろんなことがあった時に、なんかふと思ったんだよね。
前ほどそんなに恐れてない自分っていうのに気づいたし、まぁちょっとそこはぐっと我慢して、様子見るかみたいなね、ちょっと不安もあるけど、でもまぁ仕方ないなとか、今の相手には、私が何を説明してもきっと伝わらないだろうなみたいなね、そういう感じはある。
なるほど。
あとなんか、私が変えられないことについて、それはなんでできないんだって思ってしまうときについて、ちょっと今日ボソッと教えてくれましたけど、それについては。
そんな時間あるんですか?
いい感じの時間だったら、次回にしたほうがいいんじゃない?
そうですね。じゃあお楽しみにということで。
今日の説明聞いて、なんとなく分かりました。
OSの更新っていうのは、痛みを伴う、というかもう根本から、やっぱり自分の前提みたいなものを変えていく、そういうプロセスだろうから。
そうそう。でね、カウンセリングってそういうことをするんだよね。まるっきり。で、あの時はカウンセリングの部屋の中で、カウンセラーと一対一の関係の中で、それをやってたんだと思うんだけど、その土台があって、
初めて今は現実というか、広い世界の中で、いろんな人との関係の中で、自分のOSを書き換えていくっていう作業がある程度できるようになったし、どこかそれを楽しんでる自分っていうのを発見してるんだと。
なるほど。だからちょっと私のそのまあOSの書き換え、まあ私はOSを書き換えられてるのかわからないんだけど、自分のその世界の見え方がどんなふうに変わるかみたいな、書き換え方とは違うのかもなっていう気が。
ああ、だからそれも知りたいですよ。
知りました。
平昭さんのOSの書き換え方。
書き換えられてるかはわからないけど。
書き換えられてんじゃないの?
それは。
ですかね。それをまた次回かその次か。
はい、ということで、私は恐れ回避型だと、このポッドキャストで言ってきたんだけど、まあいろいろ考えると、恐れは以前ほどは大きくない。
だからそこに留まったことで、それはそんなに恐れることじゃないっていうふうになったんですかね。
なんかその世界との信頼を取り戻すって何度も言ってるけど、取り戻したっていう。そこだよね。
取り戻すってことは昔はあったのに一回失ったっていうこと?
それもわからない。自分ではね。でもやっぱうつ的な状態になるっていうのはやっぱり、私にとって私の経験としてはすごく外の世界がものすごく怖くなってしまった。他者も怖くなってしまったっていう経験だったんだよね。
もう一回作り変えたってことかもしれませんね。再構築っていうのかな。
元のものを取り戻したというよりは、再構築なのかもしれませんね。
なるほど。
信頼と関係継続のバランス
でもまああんまり人を信頼しすぎると痛い目見るよってAIに言われたから、気をつけようと思う。
まあでもなんか、人を信頼しすぎて騙されるみたいな話とはちょっと違う話な気がしますけどね。
だってそこに留まって話を聞き続けているだけで、別に相手が言ってきたことを全部受け入れてるわけじゃないから。
そうね。
その中でどうやって断るかとか。
そうそう。自分の意見を言うかとかね。
それが言えるようになるから留まれるっていうことでもありますよね。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
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