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2026-01-01 17:57

2026年新シーズン開始 アタッチメント(愛着)を探求する

#アタッチメント #愛着 #発達障害
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サマリー

2026年の新シーズンを迎え、ポッドキャストは「アタッチメント」、つまり愛着について探求します。愛着障害に関する誤解や教育の場での言葉の使われ方に焦点を当て、特にジョン・ボルビーの理論にも言及されます。このエピソードでは、アタッチメントの理論と自己と他者の関係性、さらに自立の重要性について探求しています。特に、養育者との関係性や血縁関係の意味に疑問を呈し、愛着形成が現代の人間関係に与える影響を考えます。

新年の始まりとテーマの導入
Reverse Diverse アタッチメントを探求する
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
2026年になりましたね。
はい。
このポッドキャスト、ちょっと久しぶりになってしまっておりまして。
ちょっとね、別の大きなプロジェクトにこの間、時間を取られていて。
うん、確かに。
そうですね。
1月1日になったので、改めて新しい気持ちでポッドキャストやっていこうということで。
はい、今年は何ヶ月続くことやらと。
はい、調べてみたところ、昨年2025年度は5月の中旬ぐらいまで、結構いい感じにアップロードしてたようですが、
その後ちょっと失速して、7月にまたやり直そうと思ってやったけど、ちょっと続かなかったっていう状態でしたね。
今年はもうちょっとね、いけるかなと。
まあ、できる範囲で。
はい。
で、少しテーマをですね、イーノさんと一緒に考えまして、冒頭のジングルでちょっと出したんですけれども、
愛着、英語ではアタッチメントについて探求していこうというのを1月からやってみようと思うわけです。
教育界での愛着の誤用
で、なんでこの愛着っていうものをテーマに、アタッチメントですね、アタッチメントをテーマにしようかというと、いくつか理由がありまして、
私は学びプラネットで月1セミナーをやっているんですけれども、
セミナーでアンケートのところに必ずこのテーマも取り上げてほしいというのがあったら書いてくださいねっていうふうにアンケート項目を作ってまして、
先日セミナーのところのアンケートに愛着障害っていうものも取り上げてほしいというキーワードが書かれていたのですよね。
それを井野さんに共有したりして、やっぱり最近その愛着障害っていう言葉が結構教育の界隈で、ちょっとまあ御用と言いますか、
本来の意味とはちょっと違う意味で使われていることを危惧する声っていうのも上がっていたりしますよねっていう話をしていたんですよね。
平林さんと私が主催しているインクルーシブな学校づくり研究会という研究会でも、この研究会にはいくつかの自治体、地域から学校の教員や保護者、研究者が集まっているんですけれども、
その中である学校の教員が、最近通常学級の先生の口から、自分の扱いにくい子がいたときに、あの子は愛着の問題があるみたいな形で、すごく愛着っていうのがレッテルとして使われていて、ものすごく違和感がある問題だと感じているみたいな発言がありましたよね。
私もフェイスブックのリールで最近、植草はずきさんっていうのかな、感情に寄り添う支援の技術って本書かれてるみたいなんですけど、その方が特別支援学校の教員に対しての研修なのかな、いろんな研修とか講演の切り抜き動画っていうのが流れてきてて、
そこでも結構愛着っていうのがすごくキーワードになっているみたいなので、私自身はね、アタッチメントっていう概念を使って、あまり物事を考えてこなかったけれども、やっぱり今の使われ方はやや問題含みかな、危険かなっていうこともあるし、
掘り下げていくと、私たちがこれまでのポッドキャストで話してきた事柄とも密接につながっているかなっていうふうに思ったので、ちょっと今回は探求してみようかなと、勇気になったということです。
先日は私は臨床発達心理師っていう資格を持っていて、5年に1回かな、資格更新があるんですね。なのでそのために、研修を受けて情報をアップデートするということが必要になるんですけれども、いくつか毎年企画があって、そこから自分で選んで聞きたいことを聞くんだけれども、
アタッチメントに関する、遠藤俊彦さんという東京大学の教育学研究科の方が講演というか、研修の内容で喋っているのを聞いて、確かに日本語、その時におっしゃってたのは、日本語では愛着っていうふうに、愛情の愛につく、着で愛着って言ってるけれど、もともとの英語はアタッチメントなんだと。
ずいぶん日本で愛着って言った時に、みんなが思い浮かべるその概念とアタッチメントという概念は違うんですよっていう説明をしてくださってました。
遠藤さんはアタッチメントっていう言葉を使っていきましょうっておっしゃってると思うんですよね。
誤解の一つとしては、やっぱり愛着ってその愛情とか絆とか安心感とか、そういうものと誤解されがちだけど、もともとの言葉の意味っていうのはそういうもんじゃなくて、もうちょっとシステムみたいなものだよっていうのはありますよね。
あと日本を見てるとやっぱり親の育て方っていうものとの結びつけて広まってる誤解っていうのもあるかなっていうふうに思いますよね。親が適切に愛情を注いだら、子供は健全に育つみたいな。
なんかそういう話としてこの愛着形成とか、あるいは愛着障害っていうのも語られてるかなっていうふうに思ってますけど。
そうですね。先日SNSの方にも愛着に、アタッチメントに関する誤解っていうのは日本だけじゃないようで、アメリカの学会誌というかにこの愛着、アタッチメントに関する用語っていうものがいろんな分野で様々違う意味で使われていて、それがかなり多分実際の誤解に大きくなってきているから、
学会としてはそれをちゃんと整理していかなければっていう、そういう記事というか、投稿というか論文か、批判みたいなものが出ている。
どういう誤解が多かったんですか?
誤解っていうよりは領域によって言葉の意味が違うっていう。
日本みたくやっぱ愛情とか絆みたいに使われてることもあるんですかね。
それはちょっとまたその記事を取り上げて。
今度ね。
話した方がいいですね。
愛着じゃなくてアタッチメントっていう言葉を使いましょうねっていうふうに言っている。
遠藤さん自身も本のタイトルの副題とかには心の力っていうふうに子供の心の力を育むとかね。
やっぱり心の問題として捉えてはいて、それも誤解を実は生じさせる位置になってるんじゃないかなって私なんかは思うんですよね。
心の問題っていうね。
このアタッチメントっていう概念を最初に提唱したのがジョン・ボルビーっていう心理学者で。
私は大学生の時に心理学のクラスを取って授業を取ってその時に聞いた以来遠く忘れていた人ではありますけれどもね。
平林さんなんかは発達の心理学なんかで結構重要な人物として習ってきたっていうふうに言ってましたけど、そもそもどういう人なの?
そもそも?
うん。ボルビーって。
なんか私はあまりボルビーさんがどういう人なのかっていう。
その愛着理論っていうのを作った人として有名で、その愛着。
そこで習った時って愛着理論どんなふうに教わったんですか?
それはそのストレンジシチュエーション法っていう子供を部屋に、親子を部屋に、同じ部屋にまずいる状態から一旦その養育者である親が退室して、その時の子供の様子がどうかっていうのと、戻ってきた時にその養育者に対する関わりの子供の行動パターンっていうものが3つかな。
3つ。でその後4つになったのかな。分類されていて、その分類があるよっていう。
で私にとっては結構、なんていうのかな。回避型っていう、ややこうアンビバレントなというか、素直じゃないというか、嬉しいんだけれどもそれを素直に出すわけじゃない子供の反応っていうものが、
自分の感情というか、そういうことあるよねみたいに、共感するっていうか、だからこの愛着障害っていう言葉が日本で応用されるっていうのもちょっとわかるっていうか、
それは人間関係での自分が抱えている葛藤みたいなものの一端がここにあるのかもしれないって。自分が例えば人とちょっとうまくやれないなと思った時にもしかしたら自分の、なんていうのかな。ありようというのはこういうことかもしれない。
あーなるほどね。なんとなくわかる。
っていうふうにちょっと若い頃っていうんですかね、自分が。に感じるようなものだった。
心理学の授業ってそういう側面あるよね。そこで語られている、ある種の型とか問題行動みたいなものは、どっか自分の経験にも引っかかるところがあるからさ、自分もやっぱり何々障害なんじゃないかとか、何々症候群なんじゃないかっていうふうに思ったりするっていうところあるのかなと思ったりするけど、
やっぱり私はそのボルビーとかの理論っていうのは、基本的にそうやってさ、幼児、赤ん坊とか幼児が特定の人、この場合は親であることが多いんだけど、その親に対して、親との間でどういう関係を形成しているかみたいな、
アタッチメントの理論と自立
そういう話だからさ、どうしても親の育て方みたいな親子関係みたいなものとして捉えられがちなんだと思うんだけど、より広く言うとね、自分と世界との関係とか自分と他者との関係の中でどんなふうな安定性だったり信頼を構築するかっていう話なんだろうなっていうふうに受け取ってるんですよ。
つまり、そもそもね、一人の他者との関係、例えばこの場合だったら養育者、子供の場合だったら養育者になるんだけど、一人の他者との関係性がものすごく不安定な場合、やっぱり世界との安定的な関係っていうのを持つのも難しいと思うんですよね。
だから入り口としては一人の他者なんだけど、でも究極的に世界と自分との安定的な関係を築いていく、一定程度の信頼関係を築いていくっていうところが、やっぱり生きていく上でどうしても必要だから、それないとやっぱ死んじゃうからね、人間って。
だからそういう理論として広く捉えていきたいなっていうふうに思ってる。この後掘り下げるときにね。だから必ずしもこのポッドキャストをこの後、親子関係の話だけじゃないよっていうことは、リスナーの人にもあらかじめ伝えておきたいなと。あくまでも自己と他者の関係、自己と世界との関係の話だよって。
もう一つ言うとやっぱり、これは平昭さんがとても大事にしていることだと思うけれども、自己と他者、自己と社会、世界との安定的な関係を築くっていうことは、やっぱり自立していくっていうことでもあると思うんですよね。自分の人生の主導権は自分で握るっていうね。逆に言うと他者の人生の主導権まで握るなっていう話でもあるんだけど。
自立をどう実現していくのかっていうのと、やっぱりこのアタッチメントの理論っていうのはすごく深く結びついているかなっていうふうに思うから、自立の話にもなっていくかなと思って。
多分この愛着理論とかいうものっていうのは、ちょっと私の知識は正確じゃないかもしれないんですけど、もともとその養育者が血縁関係にある親でなければならないかっていうと、そうではないですよっていう。
別に親じゃなくても、その子を産んだ人でなかったとしても、その子との関係っていうものを作りながら大きくなっていくことができるんだっていうことを説明しているものでもあるはずなんだけれども、
というのはそれは、やっぱり血縁関係でなければ正しい親子関係が来れないんじゃないかみたいなことに対する、そうではありませんよっていうものでもあると思うんですけど、
なんかそれがなんか、自分というか大人になった人が自分が人との関係性悩んだときに、自分の問題は愛着に、子供の頃の愛着の形成に課題があったんではないかっていうふうにそこに原因を見出して、
それは原因じゃないって言いたいわけではないんですが、そういうこともあるかもしれないけど、でもその本来その世界とのつながりというのはまた作っていく。
そう、今からでもね。
今からでも。
うん。
なんだけれども、それがなんかどこかそこに原因を帰属させてしまって、そういうものに使われてしまうというか。
心理学ってそういう傾向はずっとあるからね。
ありますね。
ちょっと皮肉だなって思うのは、ボルビーって精神分析を批判するプロセスの中で、ある種の理論形成をしてきた人だと思うんですよ。
だから非常に、いわゆる科学的なアプローチで、非常にドライな理論を構築しようとしてきたのに、ものすごくやっぱりウェットなもの、精神分析的なものに引っ張られて浸透している部分があるんだなって今聞いてね。
なんか皮肉でもあるかなと思った。
精神分析っていうのは。
やっぱ親子関係ね。
原体験みたいなもともとの。
私も精神分析受けたけど、全体の3分の1ぐらいは本当に親子関係の話、昔の話。
で私はさ、やっぱりずっとそこは違和感があって、取り戻せないんだからもう。
やり直せないんだからさ、そこをこだわってどうするの?とか思ってたけど、やっぱり意義っていうのを解明していこうっていうのが精神分析でもあると思うから、そこに自分が言語化できていない何かがあるかもしれない。
それが今の問題にもつながっていて、今それを繰り返しているってことだよね。
精神分析も過去を変えようとか、過去をどうかしようっていうことじゃなくて、過去の経験っていうものが今にも繰り返されている。
それが自分を苦しめている可能性があるから、そのパターンを発見するために過去を見るみたいな、そういうことをやっているのかなと思うけどね。
そんな感じで、第1回は予告的なところでとどめておいて、第2回以降にもう少し詳しく振り下げていきましょうか。
そうですね。本年もどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日はありがとうございました。
17:57

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